アクセルの街、正門前。刀と両刃剣を携えていたバージルは、鋭い眼光を正門の上へ向けている。
門の上に立つのは、かつての協力者であり裏切り者、アーカム。彼にまんまと騙された無様な自分を思い出し、怒りがフツフツと沸き起こる。
とそこへ、正門の門守がバージルに話しかけてきた。
「誰かと思ったら蒼白のソードマスターさんじゃないか。今日はララティーナお嬢様の結婚式だろ? アンタは行かなくていいのか?」
上にいるアーカムには気付いていないのであろう。門を見上げて動かないバージルを、門守は不思議そうに見る。
一方でバージルは門守に目を向けず、その場で膝を曲げる。彼は地面を軽く蹴り、高く跳び上がった。
彼の身体能力に見慣れていた門守は少し驚くのみ。そのまま門の上に移動したバージルは、眼光をそのままに隣のアーカムへ目を送った。
「ここに来てから、つくづく世間の狭さを感じさせられる。行く先々で見知った顔に出会っていたが、ついに死人もお出ましとは」
「感動の再会と言うべきだろう。もっとも、君と会うのはもう少し後にしておくつもりだったのだが、なぜ私がここにいると?」
「口は悪いが当たると評判の占い師がこの街にいる。半信半疑で試したが、腕は確かなようだ」
再会を分かち合うように挨拶を交わした後、アーカムはバージルへと向き直る。服装は以前と同じ黒装束。本を片手に持っているが、前の物とは別。
そして、明らかに変わっている点がひとつあった。アーカムの額──そこに埋め込まれていた、第三の目。
彼の青い右眼とも赤い左眼とも違う、黄金色の瞳。彼のモノではない異質な眼が凝視してくる中、バージルは問いかけた。
「貴様も導かれたか」
その言葉を聞いて、アーカムは不敵に笑った。
異世界へ渡る方法は、判明しているもので二つ。ひとつは異世界転生で天界の者に導かれること。もうひとつは、強い力の衝突によって世界の壁に穴を開け、異世界と繋げること。
アーカムが単独で後者の方法を取ったとは考えにくい。となれば、この世界へ渡った方法は前者と考えた方が自然であろう。
「この世界に来たのはいつだ?」
「機動要塞とやらがこの街に襲来する少し前だ。君も来ていると聞いていたが、丁度留守にしていたので観光させてもらったよ。いい買い物もできた」
バージルの質問に、アーカムは濁さず答える。
彼の言葉を鵜呑みにすると、アーカムはバージルよりも後に異世界転生をしたということ。
しかしバージルがこの世界に来たのは、マレット島でダンテに倒された後のこと。アーカムと戦ったのは何年も前になる。
あの後、運良く生き延びてバージルよりも後に死んだか。それとも地獄に堕ちた後、引き上げられたのか。
「機動要塞が襲撃した際、私は傍観に徹していたが、そこに偶然君が現れたのでね。少し挨拶をさせてもらったよ」
「やはり、あの悪魔を呼び寄せたのは貴様か」
「今の私は、上位悪魔だろうと召喚が可能だ。数にも制限が無い」
「それが貴様の『特典』か」
アーカムは、悪魔について造詣が深かった。バージルの読めなかった魔剣文書を解読する程に。
それでも、悪魔を召喚できるほどの力は持っていなかった。従えるとしても下級悪魔のみ。バージルが出会った悪魔には
しかし、その力が異世界転生時に授かる恩恵だとしたら、全て納得がいった。
アーカムは特に答えようとせず、話を続けた。
「目的は君への挨拶だけではない。彼女の力をもう一度見ておきたかった」
「彼女?」
「君があの場へ現れる前に、街の住民は機動要塞を止める為に奮闘していたが、そこで私は目にしたのだ。人間とも悪魔とも違う、別の力を」
だがここで、彼の口から意外な言葉が出てきた。
人間と悪魔以外の力。それを持つ存在は、バージルが思い当たる中では三人いる。
しかし、一人はアーカムよりも後にこの世界へ来た。もう一人は正体を隠して人間界へ降りている。となれば、挙げられる人物は一人しかいない。
「人間と思えない強大な魔力で、彼女は機動要塞の結界を打ち破った。私が召喚した悪魔も、容易く蹂躙していった。戦い方は野蛮極まりなかったがね」
「奴はただの粗雑なアークプリーストだ。貴様が思うほどの女ではない」
「隠しても無駄だ。この世界に、同名の女神が存在していることは把握している。何故現世に降りているのかまでは不明だが」
アーカムが目を付けたのが、彼女なのは間違いないであろう。悪魔に心酔していた彼だが、どうやら女神──天使の力にも興味を示しているようだ。
「アルカンレティアに訪れたのも、奴を知るためか」
「そうだ。もっとも、熱心な教徒のおかげで街を歩くのは一苦労だったがね」
「一苦労で済んだのならまだ幸いだ。それで、腹いせに山へ悪魔を放ったか?」
「それもあるが、女神の動きを見る為でもあった。力の源とも言える街に変化があれば、いずれ現れるであろうと。そして、彼女は来てくれた」
「買いかぶっているようだが、貴様が思うほどあの女は繊細ではない。事実、奴は信徒から話を聞くまで気付いていなかった」
「どちらにせよ、彼女があの街に訪れたことに変わりはない。思惑通り、女神の力も再び見せてくれた」
アーカムは、アルカンレティアで見た光景を思い出すように空を仰ぐ。
「彼女の力は、私の想像を遥かに超えていた。蔓延っていた悪魔は瞬く間に滅び、魔の瘴気は浄化され、山は元の姿へと還った。まさに奇跡──そう言わざるをえない」
アーカムは嬉々とした表情を見せる。かつて悪魔について語った時のように。
悪魔に魅せられた彼は、その力を得るために家族を生贄に捧げた。とすれば再び彼を魅せた天使の力も、手中に収める気であろう。
アルカンレティアでの経緯を理解したところで、バージルは話を進めた。
「次に貴様は、紅魔の里にいた魔王軍幹部に接触を図った。奴に悪魔の力を授けた理由は?」
紅魔の里でシルビアと交戦した際、彼女はある男から悪魔の力を授かったと言っていた。その人物もアーカムであろう。
「単なる実験だ。悪魔とは違う魔物がさらなる力を得て、どのような進化を遂げるのか」
アーカムは視線を戻し、紅魔の里での件を話し始めた。
「アルカンレティアでは、スライムの種族が私の召喚した悪魔を喰らっていた。どうやら魔王軍幹部と呼ばれる者だったらしいが、彼は中々興味深い進化を見せてくれた」
「それで、他の魔王軍幹部を狙ったということか」
「紅魔の里という場所で、魔王軍が度々交戦していると聞いたのでね。国の中心部からは離れた場所だったので都合が良かった。おまけに目的の魔王軍幹部も発見し、更には君達も来てくれた。私の運も捨てたものではないらしい」
どうやらバージル達が紅魔の里へ訪れ、悪魔化したシルビアと対峙したのは偶然であったようだ。
「ついでに女神の力をもう一度見ておきたかったが、アルカンレティアほどの力は見せてくれなかった」
アーカムは残念そうに方をすくめる。バージルは依然として睨みを向けたまま。
「あの貴族に悪魔の力を植え付けたのも、貴様の実験か」
「彼は強欲に満ちていた。負の感情が巨大であれば、闇もまた大きく膨れ上がる。魔の力を注げば、彼は欲望の権化たる悪魔へなれるだろう。その進化を見届けたかったのだが、誰かに幕を閉ざされたようで残念だ」
ここからアルダープのいる教会までは距離がある。魔力を通じて視覚を共有できるのだろう。
アーカムの言葉から察するに、教会側の彼等へ渡した魔道具が予定通り使用されたようだ。
「しかし、折角君と出会えたのだ。この機会を逃す手はない」
アクセルの街襲撃から此度の騒動まで。その暗躍を語ったアーカムは、ここでバージルに向き直ってきた。
いつでも刀を抜けるよう柄に手を添えるバージル。だがアーカムは、まるで敵意がないかのように手を差し伸べてきた。
「私と共に来い。バージル」
彼が告げたのは、勧誘であった。
アーカムと接触を図っていたシルビアも、同じくバージルへ勧誘を試みていた。魔王の指示と思っていたが、どうやら違うのかもしれない。
もっともバージルからすれば、どの口が言っているのだと思う発言であるが。
「見ない間に、冗談が上手くなったな」
「君の力……伝説の魔剣士の血を絶やすのは惜しい。君は再び私の仲間となり、剣を振るうべきだ」
「俺を一度裏切ったことをもう忘れたか? その相手に、再び手を差し伸べる貴様の神経は理解できん」
「安心しろ。君を裏切る真似はもうしない」
「目的すら明かさん相手を信用しろと?」
そして、未だ不明なのは彼の目的。アーカムはこの世界で何を成そうとしているのか。
「君ならば、私の目的にも察しがつきそうに思えるが」
アーカムはバージルから目を離すと、街の方角から背を向けて草原側へ移動する。崖の端に立ったところで、彼はバージルへと振り返った。
「私の夢は、今も昔も変わっていない」
「……神、か」
「私がこの世界へ訪れたのも、この力を扱えることも、君と再会できたことも……全ては、私が神へと至る道に過ぎない」
夢見る子供のように、アーカムはその両眼を輝かせていた。
元の世界では叶わなかった彼の夢。話を聞いたバージルは、その夢を侮辱するように軽く笑った。
「どうりで予測がつかんわけだ。貴様が、一度破れた夢を性懲りもなく追いかけるほど無様で愚かな男だったとは」
「あの時は不完全な力しか得られなかった。だが今は違う。私は、魔帝をも超える神となる」
余程の自信があるのか、諦めるつもりはないアーカム。彼は再びバージルへ手を差し伸べる。
「君は便利屋を営んでいるのだろう? 依頼として受けてくれても構わない」
アーカムから差し伸べられた手。刀を構えながらその手を見つめるバージルだが──彼の脳裏に浮かんでいたのは、かつての父の姿であった。
魔剣士スパーダは、元は魔帝の側近であった。
しかし彼は魔帝を裏切り、戦った。人間界を守るために。
裏切った理由はわからない。既に人間への情を抱いていたのか、単なる気まぐれだったのか。
「俺は便利屋として、それなりに仕事をしてきた。中には一風変わった依頼もあったが──」
ただ、同じ血を受け継いだ息子として、ひとつ推測できる理由がある。
「気に食わない依頼人の仕事は、全て断ってきたつもりだ」
スパーダはきっと、魔帝が気に入らなかったのだ。
バージルは差し出された手を握ることはせず、アーカムに視線を戻した。アーカムは差し出した手をおもむろに下げる。
「ようやくこの街にも住み慣れてきたところだ。行きつけの店もある。貴様のくだらん夢と比べれば、どちらを優先すべきかは考えるまでもない」
「残念だ。君ともあろう者が、見ない間に随分と落ちぶれたな」
「貴様ほどではない」
交渉は決裂。バージルの、刀を握る手に力が入る。
「お互い、話題が尽きたようだ。そろそろ始めるとしようか」
「本当にいいのかね? 私と共に来れば、この世界の覇者として君の名を轟かせることができる。君の求める力も、手に入るのではないかな」
「くどい男だ。態度を改めて何度頼まれようとも、引き受けるつもりはない。貴様がここで自害するのなら、考えてやらんこともないが」
端から協力する気はないと、バージルは言葉を返す。ようやくアーカムは諦めたかと思われたが、彼は不敵に笑って告げた。
「強くなりたいのではなかったのかね? 母を守れなかった、弱き自分を変えるために」
「──ッ」
アーカムの言葉を受け、バージルは無意識に刀を抜いた。
彼の刃は正確にアーカムの首を狙ったが、当たる直前にアーカムの姿が消え、空を切った。
バージルは咄嗟に草原の方へ目を向けると、アーカムの姿を確認。バージルは正門の上から飛び降り、草原に降り立つ。
「貴様……」
悪魔の道を選んだあの日のことを、何故アーカムが知っているのか。
バージルの警戒心が増す中、アーカムは笑みを崩さない。先に仕掛けるべきかと考えていると──。
「よっと!」
バージルの横から、紫の斬撃が飛び出した。斬撃はアーカムに向かっていったが、彼は驚く様子もなくかわす。
程なくして、バージルの隣に鎌を持つ少女が立った。
「感動の再会はどうだった?」
「最低の気分だ」
「あらら、折角空気を読んで邪魔しないであげたのに」
バージルと共にここへ来ていた、タナリスである。彼女は鎌をアーカムへ向ける。
「初めまして、君のことはバージルから聞いてるよ。噂通りの極悪人顔だね」
タナリスはいつものように、アーカムへ軽口を叩く。
しかしアーカムは何も返さず、突如現れたタナリスを興味深そうに見つめている。一方のタナリスも、アーカムを──正確には、彼の額に埋め込まれた第三の目を注視していた。
「あれ? 君の目、どこかで……」
「この力……成程、君が堕天したという女神か」
意味ありげな言葉をアーカムは呟く。どうやらタナリスのことも既に把握しているようだ。
アーカムは納得したように頷くと、バージル達に向けて手をかざした。
すると、バージル達の回りに光が出現。と同時に感じた、鼻につくこの臭い。
アーカムが放った光からは、光とはおおよそ無縁な闇の住人──悪魔が現れた。
「スパーダの力は惜しいが、仕方がない。より容易な選択を取ればいいだけのこと」
悪魔に囲まれたバージル達を確認してから、アーカムは懐からひとつの水晶を取り出す。
それは、バージルも見覚えのある魔道具──テレポート水晶であった。
「天使の力もいずれ手に入れる。全ては、私が神となるために」
彼はテレポート水晶を手のひらに乗せる。水晶は光を放ち、テレポートの準備を始める。
何故あの魔道具を持っているのか。疑問を抱いたバージルであったが、それよりも今はテレポートを阻止しなければ。
バージルはアーカムのもとへ走る。だが、鎌を持つ悪魔達がそれを許さない。彼等は一斉にバージルへ襲いかかった。
「
もっとも、下級悪魔の有象無象では足止めにもならなかった。バージルによる神速の斬撃で、悪魔達は瞬く間に塵となる。
バージルはアーカムの姿を捉える。まだテレポートは完了していない。奴を斬るのは今しかないと走り出そうとしたが──。
「バージル! 街に悪魔が!」
不意に、タナリスの呼び止める声が聞こえてきた。バージルは咄嗟に街の方角へ振り返る。
アーカムが新しく召喚したのか、トカゲの悪魔はバージル達に目もくれず、街に向かって走っていた。横目にタナリスを見るが、彼女は悪魔達と戦闘中。
「チッ」
街に侵入させるわけにはいかない。バージルはすかさず進行方向を変えて地面を蹴る。
刹那、バージルの姿が消える。続けてトカゲの悪魔達に突風が横切ったかと思うと、既にバージルが悪魔達の進行方向に立っていた。
彼は抜かれていた刀を鞘に納める。つばの当たる音が響いた後、走っていた悪魔の身体が音を立てて崩れ、草原に血の色を塗った。
バージルは前方に目をやる。が、既にアーカムの姿は消えていた。気配も感じられない。まんまと逃げられたことに怒りを覚え、こちらに歩み寄る悪魔達を睨む。
現在感じている悪魔の気配は、バージルと対峙している者達と、街中の教会方面。だが後者は段々と数が減っている。
教会側を優先すべきであろうが、街への侵入を防ぎつつの討伐で、この数をタナリスひとりに任せるのは心許ない。
と、戦っていたタナリスが悪魔の包囲網から抜け、こちらに合流してきた。飛び退いた彼女はバージルの隣に立つ。
「置き土産にしては数が多いなぁ」
「先程、街に走っていく門守が見えた。緊急警報を鳴らされ、冒険者に駆けつけられては面倒だ」
「モタモタしちゃいられないってわけかい。それじゃあ10分で片付けちゃおうか」
「いいや」
タナリスと言葉を交わす傍ら、悪魔達が二人に襲いかかる。
しかしバージルは焦りの色など微塵も見せず、刀に手を添えながら小さく笑った。
「5分もあれば十分だ」
女神アーカムという言葉が少しでも頭に過った人、正直に手を挙げなさい。