「とてもお綺麗ですよ、お嬢様!」
メイドの二人が感嘆の声を漏らす。
視線の先には、彼女達が仕えるダスティネス家の令嬢、ダスティネス・フォード・ララティーナの、白いウエディングドレスに包まれた花嫁姿があった。
ダクネスは今日、結婚する。相手はアレクセイ家の当主、アレクセイ・バーネス・アルダープ。
本来なら結婚とはめでたいものだ。しかし此度は、アルダープによって課せられたダスティネス家の借金問題を解消する為のもの。酷く言えば身売りである。
自分の前にいるメイドは、仕えてまだ日が浅い。花嫁姿を見て素直に喜んでいるが、きっとこの結婚は父も手放しで喜んではくれないであろう。
誰も喜ばない選択。だが、これ以外に方法は無かった。どうしようもなかったのだと、ダクネスは自分に言い聞かせる。
「なぜ花嫁に会ってはいかんのだ! もう待ちきれんのだ! 早くワシのララティーナに会わせろ!」
すると、彼女がいる部屋の外から怒号が。声からしてアルダープであろう。
神聖な式の前だというのに、彼はもう本性を隠す気が無いようだ。
「ここはダスティネス家の控え室ですので、当家の者しかお通し出来ません」
「式が終われば貴様等の主はワシだ。それを理解できているんだろうな!」
「貴方はまだ我々の主ではありません。お引取りください」
「……チッ、貴様等の顔は覚えたぞ。式の後、どうなるか覚悟しておけ」
扉の前に待機していたダスティネス家の従者と、アルダープのやり取りが聞こえてくる。入室は諦めたようで、彼の物であろう乱暴な足音が遠ざかっていった。
「ドアの外の者を呼んでくれないか。礼を言いたい」
ダクネスは傍のメイドに伝えると、メイドはすみやかに扉へ向かい、扉を開ける。そしてアルダープの相手をしてくれた従者の男二人が、控え室に入ってきた。
「二人ともすまなかったな」
「いえ、自分達が仕えるのはダスティネス家だけですから。お嬢様が嫁がれた後は、辞めるつもりです」
「お嬢様が認めた男になら、仕えても良いのですが」
従者の言葉を聞いて、ダクネスの頭にあの男の顔が過る。
屋敷に侵入したかと思えば逃げ回り、その挙げ句捨て台詞を吐きながら窓から落ち、痛みで転げ回っていた彼の姿。
思い出した今でも可笑しく、彼女はクスリと笑う。それを見てか、従者は言葉を続けた。
「その笑顔が最後に見られて、私は幸せ者です。ただ……差し出がましいようですが、あまり激しい一人遊びはなさらぬようご自愛ください」
「はうぁっ!?」
思いがけない忠告に、ダクネスは羞恥を覚えて顔を俯かせる。
あの男が夜這いを仕掛けてきた時のこと。いったいどこで覚えたのか、彼の卓越した声真似によって、従者達にあらぬ誤解を抱かせてしまった。
今すぐあの男をとっちめてやりたいと、握り拳を震わせるダクネス。だが、もう彼とは会えない。その事実を理解してか、すぐに怒りは収まった。
「(……カズマ)」
ダクネスの人生が大きく変わったのは、あの男に出会ってからだった。
ジャイアントトードのヌルヌルプレイにパンツ強奪。彼の鬼畜さに惹かれてパーティーに入り、盾役として数多の攻撃を受け止めてきた。
結局最後まで攻撃はロクに当たらなかったが、それでも彼は自分を見捨てようとせず、盾としてガンガン使ってくれた。おまけにバリエーション豊富な罵倒も浴びせてくれて、彼との生活は本当に居心地が良かった。
アクアは問題ばかり引き起こしてカズマに度々怒られていたが、その実力は確かだった。アルカンレティアで見た彼女の神光は、鮮明に覚えている。
めぐみんの爆裂魔法には、何度も助けられてきた。一度巻き込まれてみたいと思っていたが、結局叶わなかった。さぞ激しい痛みを味わえたことだろう。
痛みと言えば、彼を忘れてはいけない。
祈りを済ませて教会から帰っていた道中、なんとなく立ち寄った路地裏で見つけた男、バージル。彼との初対面はまさに衝撃だった。
原石を見つけたという言葉があるが、それで例えるならあの男は、コロナタイトの原石だ。
常に人を見下しているような、冷たい眼差し。そして特別指定モンスターを単体で上回る力の持ち主。
彼へ依頼したことで体験した、嬲られ蔑まれたあの時間は、一生の思い出になるであろう。
しかし、全ては彼女との出会いが無ければ始まらなかった。
エリス教の教会へ、共にクエストへ行ってくれる友達が欲しいと願った日、風のように現れた盗賊少女。
ダクネスにとって初めてのパーティーメンバーであり、親友──クリス。
王都の一件で指名手配になったからか、あれ以来姿を見かけていない。クーロンズヒュドラ討伐の時もおらず、この日まで会うことはできなかった。
親友として、別れの言葉だけでも言っておきたかったなと、ダクネスは少し後悔する。が、時計の針は戻らない。この部屋を出て式場に向かい、誓いを立てれば、二度と彼等とは会えなくなる。
それでも──たったひとつだけ、願いが叶うのならば。
もう一度、彼等に会いたい。
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アクセルの街にあるエリス教の教会から、祝福を示す鐘の音が鳴り響く。だが白い鳩は羽ばたかず。
教会の前には、ダクネスの花嫁姿をひと目見ようと冒険者がごった返していた。しかし教会の中に入れるのは貴族のみと、領主の部下によって警備が施されていた。
教会内にいる貴族達は緊張感もなく好きに喋っていたが、扉の開かれる音を聞いた途端、彼等はしんと静まり返った。
新郎新婦の控え室、その扉が同時に開かれ、片方からは白いタキシードを着たアルダープが、もう片方からは父の代理である執事に手を引かれている、花嫁姿のダクネス。
アルダープも含め、貴族達はダクネスの姿に見惚れる。しかしベールの下に隠されたダクネスの表情は、物悲しげなものであった。もっとも、彼女の身体しか見ていないアルダープが気付くわけもなく。
執事の手から離れたダクネスは、アルダープと共にヴァージンロードを歩き出す。パイプオルガンの音を背景に、貴族達の注目を浴びながら。
アルダープはいつまでもダクネスの身体を見続け、ダクネスは俯いたまま。おおよそ新郎新婦とは思えない二人は、誓いを立てるべく祭壇の前に立つ。祭壇にはフードを被った司祭が一人と、その脇に同じ格好をした者が一人。
司祭を務めるのは、この街一番のプリーストだと執事は言っていた。それを聞いて思い浮かべるのは彼女しかいないが、ここはエリス教の教会。アクシズ教徒である彼女が来るわけがないだろうと、ダクネスは顔を上げようともせず司祭の言葉を待つ。
やがて新郎新婦の前に立っていた司祭は、纏っていたフードを取りながら言葉を掛けた。
「えー、汝ダクネスはこの豚みたいなおじさんと結婚し、流されるまま夫婦になろうとしています。貴方はいかなる時も豚おじさんを愛することを誓いますか? 私はやめたほうがいいと思うから、このまま一緒に帰って一杯やりましょ?」
いる筈のないアークプリーストの声が、静まり返っていた教会に響いた。
ダクネスはたまらず顔を上げる。祭壇の前には、羽衣を纏っていたアクアがいた。何故か片手には卵を持っている。ダクネスは思考が追いつかず、アクアの顔を見て固まったまま。
そんな彼女よりも先に、王都にてアクアとも面識のあったアルダープが声を上げた。
「お、お前はワシの屋敷で散々迷惑掛けていった女! ここで何をしている!?」
「何って、そこの執事さんに司祭役を依頼されたから来たのよ。それよりもアンタ臭いんですけど。ちゃんとシャワー浴びてきたの? できれば半径五メートル以内に近づいて欲しくないんですけど」
「司祭が新郎にかける言葉とは思えんのだが!? 大体その卵はなんだ!」
「私の大事なドラゴンの卵よ! ちょっとでも孵化作業をサボると生まれなくなるんだから、片時も離さず温めてるの!」
「ドラゴンの卵がそんな小さいわけないだろう!」
「そもそもなんでエリス教の教会で結婚式を挙げるのよ! ダクネスも言ってくれれば、私からセシリーに頼んでアクシズ教の教会を貸し切りにしてあげたのに!」
「大事な結婚式を野蛮なアクシズ教の教会なんぞで挙げられるか! 守衛は何をやっている! さっさとこの偽プリーストをつまみ出せ!」
口を開けたまま固まるダクネスの前で、口喧嘩を始めるアクアとアルダープ。そこでようやく事態を把握できたダクネスは、慌ててアクアに声を掛けた。
「アクア、これは冗談などで済まされないぞ! 今ならまだ間に合うから──!」
早く帰れと、アクアに告げようとした時であった。アクアの隣にいた人物がフードを取りながら飛び出し、ダクネスの腕を掴んだ。
「うっせーこの大バカ女が! お前こそバカなことばっかりしやがって!」
式場に響いた、忘れられない彼の声。
冴えない顔の茶髪男。普段はヘタレだが、仲間が危ない時は腹をくくって助けてくれる、なんだかんだで頼れるリーダー。
サトウカズマが、そこにいた。
「か、カズマ……?」
「頼んでもないのに俺の尻拭いまで勝手にしやがって! 女房気取りか! 俺の事が好きならそう言えよな!」
「ななな何を言っている!? お前まで何しに来たのだ!」
感動の再会とはいかなかったようで、二人はここが式場であることも忘れて口喧嘩を始める。
これも演出なのかと席にいる貴族達がざわつく中、カズマの登場にポカンとしていたアルダープが我に返り、彼へ怒号を発した。
「小僧! 貴様まで結婚を邪魔しにきたのか! お前のような一般庶民はすっこんでろ!」
「それよりもまず私に謝りなさいよ! アクシズ教徒を野蛮だなんて言ってごめんなさいって! 私のことを偽プリーストとか言ってごめんなさいって謝って!」
「ええいまだいたのか! いいかよく聞け小僧! お前の大好きなララティーナはこのワシに莫大な負債があるのだ! この女が欲しいなら、相応の金を用意しろ! できるならの話だがな!」
喚くアクアを無視して、アルダープはカズマへと告げる。この事情は彼が屋敷へ来た時に話していた。庶民ではどうにもできない金額であることも。
何をするつもりなのかとダクネスが見守る中、カズマはその言葉を待っていたと笑みを浮かべた。
「言ったな? 約束は守れよ!」
カズマはそう言うと祭壇の裏へ。アクアの足元に置かれていたのはひとつのアタッシュケース。
彼はそれを持ち上げると鍵を開け、中身をアルダープへ向けてぶちまけた。
アルダープの頭上から──億千万にもなる銀貨の雨が降り注いだ。
「ダクネスが借りた金、エリス魔銀貨でキッチリ全額だ! 文句無いな! あと別に大好きだなんて事はねーよ! 大事な仲間ってだけだから!」
領主の言葉を訂正しつつカズマは告げる。様々なハプニングが同時に起こり、アルダープは呆然としていたが、吸い寄せられるように地面の金へ。
「こ、この金はワシのモノだ! 拾え! 拾ってくれ!」
「よし今だ! このままずらかるぞ!」
「待って! まだ私謝ってもらってない!」
「そんなのどうでもいいから早く来い!」
アルダープが床に散らばった銀貨を集めている隙に、カズマはダクネスをお姫様抱っこの形で抱え上げた。
「か、カズマ! これはいったいどういうことだ!? あの金はどうやって──!」
「売った。俺の思いつく限りの知識と権利を全部。それと今までの貯金足したらちょうど借金と同額になった。おかげでひもじい生活に逆戻りだ。お前は自由になったけど」
「バカ者! 誰がそんな事を頼んだ! お前は……お前という奴はっ!」
「ガタガタ言うな! お前はもう俺の所有物になったんだ! 俺がはたいた金の分、身体で払ってもらうから覚悟しろ!」
「ふぁ……ふぁいっ!」
カズマに最高の言葉で怒鳴られたダクネスは、それはそれは嬉しそうに顔を歪ませた。
その表情があまりにも酷かったのか、カズマは一切目を合わそうとせず走り出す。遅れてアクアも追いかける。このまま外に出ようと試みたが──。
「いかん! ララティーナを逃がすな! なんとしても捕まえろ!」
ここでアルダープが逃走するカズマ達に気付き、指示を受けた守衛がカズマ達の前に立ちふさがった。
「流石に数が多いな……アクア! 今こそゴッドなんちゃらの真価を発揮する時だ!」
「なんちゃらって何よ! ていうか私、卵温めてるですけど! 戦ってる最中に卵が割れたらどうするのよ!」
「じゃあその卵を相手に投げろ! 目潰し程度には使えるから!」
「酷い! どういう生き方をしたらそんな発想が生まれるのよ! あそこの豚おじさん以上に鬼畜だわ!」
彼にとっては最善の選択肢であるようだが、その指示は受けられないとアクアは反対する。
ダクネスは未だカズマの腕の中。自分も降りて加勢すべきかと思っていた矢先であった。
「『ライト・オブ・セイバー』!」
扉の向こうから詠唱の声が聞こえると、扉を含めた壁に丸く亀裂が入り、一泊置いて壁が吹き飛んだ。
その衝撃に巻き込まれた守衛が何人か倒れる。ポッカリと空いた教会の入り口には、外の光を背景にポーズを決める、二人の少女。
「悪い魔法使いが来ましたよ」
ド派手に登場した、めぐみんとゆんゆんであった。ダクネスを抱えていたカズマを確認して、口元を綻ばせる。
「守衛はゆんゆんが引き受けてくれます! 私達は早くここから逃げますよ!」
めぐみんの指示に、カズマは迷わず頷く。ゆんゆんはクーロンズヒュドラ相手でも臆せず戦っていた。守衛の一人や二人、訳ないであろう。
カズマ達は急いで教会の外へ。冒険者達が道を作るように脇で見守っており、階段を降りた先には再び守衛が待ち構えていた。
「逃がすか!」
カズマ達が階段を降りた所で、守衛の一人がこちらへ向かってきた。と同時に、冒険者の中から一人の男が守衛の前に飛び出した。
突然のことに守衛は立ち止まれず、男にぶつかる。すると冒険者の男はぶつかった肩を手で抑え、その場に倒れた。
「いってぇええええっ! 肩の骨が折れたぁああああっ!」
「はっ!? いや、そこまで強くぶつかってないだろ!」
「大丈夫かキース! てめぇ、よくも俺の仲間を!」
痛がるキースに駆け寄ったのは、彼のパーティーメンバーであるダスト。仲間を傷つけられた彼は、守衛を強く睨みつける。
「俺は最近、とある貴族にエラい目に遭わされたんだ! お前らで鬱憤晴らしてやんよ!」
守衛にとっては言いがかりも甚だしいが、ダストは怒り心頭で守衛達に襲いかかった。倒れていたキースもすぐに立ち上がり、他の荒くれ冒険者も加勢する。
「自分勝手に嫁に行こうとしたお前を、ヒュドラの時みたいに皆が助けてくれたんだ。ちょっとはその固い頭を柔らかくして反省しろよ?」
「……そうだな。皆には感謝してもしきれない。本当にありがとう。私は今、人生で一番幸せだ」
カズマの言葉を聞き、ダクネスは嬉しそうに涙ぐむ。彼女の泣き顔が見ていられなかったのか、カズマは一息入れてからダクネスに告げた。
「ところで、そろそろ降ろしてもいい? お前、筋肉ついてるから地味に重いんだよ」
「んなっ!? お、おおおお前という奴は本当に!」
雰囲気ぶち壊しである。しかしカズマよりもダクネスの方が筋肉量は上であることは事実。カズマはそっとダクネスを下ろした。
相変わらず締まらない男だなと、痛そうに腰を叩くカズマを横目に見ながら、ダクネスは走りやすいようドレスの裾を引き裂く。
「ララティーナ! 待ってくれ、ワシのララティーナ!」
後方から、アルダープの呼び求める声が届いた。ダクネスは教会の方へ振り返り、アルダープを見る。
「ワシのもとへ戻ってこい! お前はワシの花嫁だろう! ララティーナ!」
教会の前にいた彼は必死に手を伸ばし、ダクネスを呼び続けている。しかし彼女を縛っていた鎖は、既にカズマの手で壊された。
もう、あそこへ帰る理由は無い。帰るべき場所はあそこではない。過去の自分と決別するように、ダクネスはアルダープに背を向けた。
*********************************
「ララティーナ! ララティーナ!」
アルダープは愛しき花嫁の名を叫ぶ。しかし彼の隣に花嫁の姿は無い。
この国の主に成り代わる道が断たれた今、せめてララティーナだけは手に入れる。それが、あと少しで叶う筈だった。
あの男が、全てを台無しにした。下劣で低俗な庶民の癖に、彼女と親しくしているあの男が。
「待ってくれ、ワシのララティーナ!」
アルダープは縋るように手を伸ばす。ようやく彼の声が届いたのか、ララティーナがこちらを見た。
裁判の時と同じように、辻褄合わせの強制力を使えば、きっと彼女は戻ってくる。そう願い、アルダープは彼女へ命じた。
「ワシのもとへ戻ってこい! お前はワシの花嫁だろう! ララティーナ!」
今にもララティーナは踵を返し、自分の隣へ来てくれるだろう。アルダープは彼女の反応を待つ。
だが──戻ってくるどころか、彼女は自分に対して背を向けた。
「なっ!?」
辻褄合わせの能力が効かない。肝心な時に使えない奴だと、アルダープは役立たずな使い魔に悪態を吐く。
このままでは、ララティーナが行ってしまう。奪われてしまう。ララティーナは自分の物だ。誰かに奪われていいわけがない。
が、この場に彼の願いを叶えてくれる者はいない。アルダープの叫びは虚しく響き渡るのみ。
──その筈だった。
「お前は……お前はワシのモノだ! ララティーナ!」
彼の憎悪と強欲に呼応するかの如く。
アルダープの影から、闇が溢れ出した。
********************************
「お、おい! なんだアレは!?」
冒険者の一人が、教会の方を指差して驚愕の声を上げた。声を耳にしたカズマは思わず振り返る。
彼の目に映ったのは、教会の前にいたアルダープが、大量の闇に覆われる様であった。
「カズマカズマ! 急激な魔力の高まりを感じます! 爆裂魔法の準備をした方がいいですか!?」
「クッサ! ひっどい悪魔臭だわ! あの豚おじさん、ずっと鼻につく臭いがすると思ったら、悪魔を従えてたのね!」
「はっ?」
焦るめぐみんに、鼻を摘むアクア。カズマはアクアの口から出た単語に、嫌な予感を抱く。
バニルは言っていた。魔道具によってアルダープは悪魔を従えていると。であればこの現状は、その悪魔による仕業と見ていいだろう。
だが、拭いきれないこの違和感は何なのか。
「グァアアアアッ!?」
アルダープは悲鳴と共に闇の中へ消えていく。彼を飲み込んだ闇は増幅し、徐々に形が作られていく。
腕は丸太のように太く、オークを彷彿とさせる巨大な体格は冒険者達を圧倒する。
やがて姿を覆っていた闇は晴れ、その下に隠されていた顔が顕になった。
アルダープの面影は金色の髪しかあらず、彼の顔は醜い豚の物へと変わり果てていた。
「こんなの聞いてないんだけどぉおおおおっ!?」
捻じ曲げる能力があるとは聞いていたが、主に悪魔の力を与えるなんて話はバニルも言っていなかった。
魔獣と化したアルダープを見て、カズマは届くことのない叫びを上げた。
「ど、どうしようカズマ! もうヤツの所には戻らないと決めたのに、あの醜い魔獣に囚われたい欲求が収まらない!」
「意志ブレブレじゃねーか! 反省しろって言った傍からお前ってヤツは!」
パニックになっているカズマの気持ちも知らず、ダクネスは魔獣に興奮している模様。やっぱり助けない方が良かったのではないかと少し後悔する。
だが、ダクネスよりも先に相手が動いた。魔獣は四足歩行の姿勢を見せると、カズマ達に向かって突進した。
「ララティーナ! ララティーナァアアアアッ!」
「いやぁああああっ!? こっち来たんですけどー!?」
「待ってください! まだ爆裂魔法の準備が──!」
「ここは私が前に出る! カズマ達は後ろに隠れていてくれ! ハァ、ハァ……さぁ来いアルダープ! お前の重い一撃を見せてみろ!」
パニックになるアクアとめぐみんを見てか、本能に従ってか。ダクネスはいつものように盾役を買って出た。
アルダープの狙いは当然ダクネスだ。彼女をみすみす盾にするのは、相手にわざと差出しているようなもの。だが、彼女以外にあの突進を止められる術がない。
カズマが頭をフル回転させている中、魔獣は一直線に突っ込んでくる。進行方向にいた冒険者や守衛達は慌てて脇に避ける。
そして、両手を広げて待つダクネスに魔獣が突っ込もうとした──その時であった。
「ハァッ!」
二人の間に、割って入る者が現れた。
ぶつかる衝撃音と風圧が起こり、ダクネスの数歩手前で魔獣の突進が止まった。
カズマ達の前にいたのは、浅葱色の魔剣で魔獣を食い止める、青い鎧の勇者候補。
「お前は……ベルルギ!」
「『混ぜるな!』」
魔剣の勇者、ミツルギであった。姿は見えないが、ベルディアのツッコむ声も聞こえた。
ミツルギは魔獣の動きを止めながら、カズマへ言葉を掛けてきた。
「君のことを少し見直したよ、サトウカズマ。後は僕等に任せてくれ。君は女神様達を連れてここから逃げ──」
「本当に貴様という男は! 尽く私の邪魔をしてくれるな!」
「えぇっ!?」
しかしダクネスはお怒りであった。お楽しみを直前で取り上げられたのだから、激怒するのも無理はない。
もっとも、そのお楽しみを理解できないミツルギは理不尽な怒りを受けて困惑する。
「久しぶりに強い一撃を受けられると思っていたのに、この収まりがつかない興奮はどうしてくれるのだ!」
「どうもしないでいいから下がってろ! そんでアクア! ボサッとしてないで早く退魔魔法をぶちかませ!」
「わかったわ! セイクリッド──!」
『待て待て待て待て! 俺まで巻き込むつもりか!?』
退魔魔法で決まると思われたが、ベルディアの必死な呼び止めによって不発に終わった。
今は退魔魔法を撃てない。爆裂魔法も彼等を巻き込んでしまう。助けに来てくれたのはありがたいが、めんどくせぇなとカズマは思う。
「ララティーナァアアアアッ!」
「力比べかい? だったら僕にも自信がある!」
未だ突進を続ける魔獣に押されないよう、ミツルギは更に力を入れる。
とにかくここは彼に任せて、なるべく遠くへ離れるしかない。そう判断し、カズマがダクネス達の手を取ろうとした時であった。
「キョウヤー! 教会内にいた人、全員外に出したわよー!」
「キョウヤ早く! 守衛達が来る前に!」
教会の方角から、ミツルギを呼ぶ声が。そこには、彼の仲間であるクレメアとフィオの姿があった。
二人の声を聞いたミツルギは小さく頷くと、後ろにいたゆんゆんを横目に見た。
「ゆんゆん! 今だ!」
「はい!『グラビティ・フェザー』!」
指示を受けたゆんゆんは、戸惑いもせずに魔獣へ魔法を唱えた。
対象の重力を軽くする魔法だが、それが動く人やモンスターとなれば、必要となる魔力量も多くなる。
軽くできても数秒が限界。しかし、彼には数秒あれば十分であった。
ミツルギは飛び上がると魔獣の後ろへ。魔獣に生えていた金色の髪を掴むと、彼は教会に向かって走り出した。
軽くなっていた魔獣は抵抗もできず、ミツルギに引っ張られていく。そのまま二人は教会の中へ。
それを確認したゆんゆんは、彼等を追いかけるように教会へ。
「あっ、ゆんゆん!」
めぐみんの呼び止める声も届かず、ゆんゆんは教会の中へ。取り残されたカズマ達は唖然としたまま。
アルダープの魔獣化に、タイミングよくミツルギは現れたかと思えば、手際よく彼の仲間が貴族達を避難させ、ゆんゆんも打ち合わせていたかのように参加。
彼等がどういう意図を持って魔獣討伐を引き受けたのかは不明だが、これでようやく邪魔が消えた。
「なんかよくわからないけど、守衛の注意があっちに向いてる今こそチャンスだ! 早くここからずらかるぞ!」
「あ、あぁ……でも一回でいいから、あの突進を受けてみたかったなぁ」
「私も爆裂魔法をあの魔獣に撃ち込みたかったです! 中途半端に高まってしまった私の魔力はどうすればいいんですか!?」
カズマは仲間達に指示を出すが、ダクネスとめぐみんの二人は消化不良のようで。
しかしカズマとしてはこれ以上危険な目に遭いたくない。魔獣の相手なんてもってのほかだ。
本末転倒だが、彼女等を置いて自分だけ逃げてやろうか。そんな考えすら浮かんでいた時、アクアが二人を落ち着かせるように告げた。
「ここはゆんゆん達に任せましょう。あれから更に進化するパターンとか無ければ、彼女達だけでも大丈夫よ」
「お前はフラグを建てないと気が済まないのか!?」
もはや様式美にすら思えるアクアのフラグ発言。嫌な予感しかしないカズマは、一刻も早くここから立ち去るためにめぐみんとダクネスの手を掴む。
しかし運命は、そう簡単に彼等を逃さない。魔獣の物と思わしき奇声が聞こえたかと思うと、ポッカリと空いた教会の入り口から、一本の触手がカズマ達に向かって伸びてきた。
「ほらやっぱりだチクショォオオオオッ!」
仮面の悪魔による占いと等しく当たる、アクアのフラグ。カズマは二人を引っ張って走り出す。
が、強い力に引かれて彼は逃げられず。何事かと思い確認すると、ダクネスが触手を食い入るように見て、その場を動こうとしていなかった。
「何やってんだよ! ホントに何やってんだよお前!?」
「す、すまないカズマ! 私も逃げるべきだと頭ではわかっているのだが、あの触手を見た途端に足が動かなくなったんだ! こ、これはあの魔獣による呪いなのだろうか!?」
「全部お前のせいだよ! ヨダレ垂らして心底嬉しそうな顔で何言ってんだ!」
「こんな時に口喧嘩を始めないでください! というか、カズマに手を掴まれていたら必然的に私も動けないのですが!」
触手が迫っている今でも、性騎士としての本能を優先させるダクネス。カズマは必死に説得するが、触手は待ってくれない。
彼等のもとへ辿り着いた触手はその身体を曲げ、ダクネスを捕えた。ついでに手を繋いでいたカズマとめぐみんも巻き込まれる。
「あ、あぁ……! どうしようカズマ! 冒険者達が触手に襲われる私を見ている! 本当に今日は、人生で一番幸せな日だ!」
「このド変態クルセイダーがぁああああっ!」
「か、カズマさーん!」
アクアを除き、カズマ達は触手によって再び教会の中へと引きずり戻された。
********************************
時は少しばかり戻って、教会内。
「うぉおおおおっ!」
魔獣を引っ張ってきたミツルギは、勢いのまま奥の祭壇に向かって魔獣を放り投げる。
羽のようにフワリと飛んだ魔獣だが、そこで『グラビティ・フェザー』の効果が切れ、床に落ちる。
ミツルギは剣を構え直し、魔獣と対峙する。土埃が晴れた後には、立ち上がる魔獣の姿が。
「ミツルギさん!」
とそこに、後から追ってきたゆんゆんが合流してきた。隣に立った彼女は短剣を抜いて戦闘態勢に。
ここまでは脚本通り。アルダープの結婚が失敗に終わることも、その果てに魔獣と化すことも、全て脚本家から聞かされていた。
サトウカズマによる救出劇は成功する。だが、舞台を乱そうとする者が現れる。それを排除するのが、ミツルギ達に与えられた役であった。
アルダープの魔獣化は、部外者による勝手な演出。元凶である部外者の相手は、彼に任せているので問題ない。
とにかく今は、魔獣の暴走を止めることが最優先。こればかりは、自分達の力次第である。
「ゆんゆん、作戦通りこの教会に結界を張ってくれ!」
ミツルギは再び指示を出す。声を聞いたゆんゆんは、一枚の札を取り出した。
以前バニルが所持していた、防音覗き見対策バッチリの結界を張れる魔道具である。
入り口に穴を空けてしまっているが、出る時に強い力で破壊しないといけないだけであって、結界を張る際は建物が一部破損していても構わないとのこと。
建物に札を貼るだけであったが、それよりも先に倒れていた魔獣が起き上がった。
「ワシノモノ……スベテ、ワシノモノダァアアアアッ!」
魔獣が雄叫びを上げる。魔力が高まるのを感じた時、魔獣の背中を突き破るように一本の触手が生えた。
束の間、触手がこちらに目掛けて伸びてきた。ミツルギは咄嗟に避ける。そのまま懐へ潜り込もうとしたが、ここで違和感を抱いた。
自分を狙っていた筈の触手は伸び続け、教会の外へ。触手が向かう先には何があるのか。ミツルギは、振り返らずとも答えに気付いた。
「まだ諦めていないのか!」
アルダープが欲するモノはひとつしかない。ミツルギは飛び込むのをやめて、伸びる触手を斬ろうと剣を振り上げる。
その時だった。魔獣の背中からもう一本触手が生え、ミツルギを阻むように攻撃を仕掛けてきた。ミツルギは咄嗟に剣で触手を防ぐ。
「ぐっ……!?」
だが触手の攻撃は、先程受けた突進よりも重くなっていた。突進よりは軽い一撃だと見ていたミツルギは耐えきれず、教会の外へ吹き飛ばされた。
少しばかり滞空した後、勢いのまま地面を転がる。受け身を取って起き上がった時には、教会から遠く離れていた。
「くそっ、油断した」
『飛ばされている途中、小僧共が触手に捕まって教会に連れ去られていくのも見えた。ひとりだけ物凄い嬉しそうだったが……』
カズマ達ともすれ違ったとベルディアは話す。どうやらダクネスだけでなく、カズマ達も巻き込まれたようだ。
となれば、敬愛する女神様はどうなったのか。ミツルギは周囲を確認する。彼のいる場所からそう遠くない所に、アクアの姿は見えたのだが──。
「あーもー! なんで私ばっかり狙ってくるのよー!」
騒ぐアクアの周囲にいたのは、猿のようなモンスター。だがその禍々しい見た目と魔力、そして魔獣とほぼ同時に現れたのを考えると、悪魔であるのは間違いない。
悪魔は他の冒険者達に目もくれず、アクアに襲いかかっていた。文句を言いながらも、アクアは向かってくる悪魔を蹴り飛ばす。その一発で悪魔が消滅していくのを見て、流石女神様だとミツルギは敬う。
しかし、彼女の手には大切なドラゴンの卵が。戦闘に巻き込まれて卵が割れてしまえば、女神様の努力も水の泡になってしまう。
いや、そもそも彼女を助けることに理由なんていらない。ミツルギはすぐさまアクアのもとへ。アクアに飛びかかろうとした悪魔を斬りつつ、彼女の前に降り立った。
「アクア様! 僕がお守りします!」
「アナタは……えーっと……マチラギさん?」
「ミツルギです!」
相変わらず名前は覚えてもらえないが気にしない。ミツルギは剣を構える中、悪魔達の獲物を狩る目がミツルギへと向けられる。
悪魔を警戒しながら、ミツルギは教会を横目に見る。教会の前には守衛が集まっていたが、誰も中に入ろうとしない。どうやら守衛に入られる前に、ゆんゆんが結界を張ったようだ。
魔獣の相手をゆんゆんと、中で待機していたもうひとりに任せる事になってしまったが、仕方がない。今は女神様を守ることが先決だ。
「女神様には指一本触れさせない! 僕が相手だ!」
敬愛する女神様を守る為に、ミツルギは剣を奮った。
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「うわぁああああっ!?」
外へと吹き飛ばされたミツルギと代わるようにして、触手に捕まったカズマ、めぐみん、ダクネスが教会に入ってくる。
一方、建物に魔道具の札を貼ろうとしていたゆんゆんであったが、ミツルギがいなくなり、カズマ達が囚われた現状を見て手が止まってしまう。
更に教会の外では、守衛達がこちらに向かってきていた。魔獣との戦いに彼等を巻き込むわけにはいかない。
「ごめんなさい!『フラッシュ』!」
ゆんゆんは咄嗟に教会の外へ眩い光を放つ。守衛達が目を眩ませて足を止めた隙に、ゆんゆんは札を壁に張った。
瞬間、空いていた入り口の穴に光の壁が出現し、外の景色は見えなくなった。窓の外も同じ。
本来ならミツルギも中で戦う予定であったが、彼を待つことはできなかった。ゆんゆんは振り返り、魔獣と対峙する。
「ゆんゆん! 早く助けてくれ!」
「ヌメヌメして気持ち悪いです!」
「わ、私はお構いなく……」
触手に掴まれたカズマ達が助けを求めてくる。まずはあの触手を切り落とすべきだと考えた、その時であった。
「やあっ!」
教会の隅から、声と共に銀色の光が飛び出した。光はカズマ達を捕えていた触手を切断する。
銀色の髪に淡く光るダガー。カズマ達を助けてくれたのは、この教会内で待機していたクリスであった。触手から開放されたカズマ達は教会の地面に落ちる。
「カズマ君! ダクネス達をお願い!」
「助かったぜクリス! ほらお前ら、こっちに来い! また触手に捕まりたいとか言い出したら一生ララティーナ呼びするからな!」
「なっ!? わ、わかった! わかったからそれだけはやめてくれ!」
カズマの脅しに屈したダクネスは、彼と共にゆんゆん達の後ろへ移動する。クリスも魔獣から離れてゆんゆんの隣へ。
「今は結界を張ってて外には出られないんだ。だからカズマ君は『潜伏』を使ってダクネス達と身を隠してて」
「待ってください! 二人だけで戦うつもりですか!?」
「ここじゃめぐみんの爆裂魔法は使えないでしょ。それにダクネスさんは狙われてる身。戦わせるわけにはいかないわ」
「だそうだぞダクネス。変に気を起こして飛び出そうとするなよ?」
「うぅ……」
クルセイダーとしての使命を果たせないからか、それともおあずけを食らったからか。ダクネスは悲しい声を出す。
めぐみんも爆裂魔法が撃てない事は理解してるようで、それ以上声をあげようとはしなかった。
「悪いクリス、ゆんゆん! 任せたぞ!」
カズマは二人に声を掛けてから、めぐみん達を教会の隅へ。そして『潜伏』を使い気配を消した。
ダクネスの姿が見えなくなったからか、魔獣が困惑したように辺りを見回す。残る二人が何かしたと考えたのか、魔獣はゆんゆん達に敵意を向けた。
「ミツルギ君がいないのは予定外だけど、やるしかないね!」
「はい!」
クリスとゆんゆんは共に武器を構え、魔獣と対峙した。
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教会で魔獣騒ぎが起きている頃──正門の上に、黒い服を着た男が立っていた。
男は静かに街を見つめる。魔獣が現れている教会の方向を。
「遮断された? 何かの結界によるものか……欲望の権化となった彼がどのような進化を遂げるのか、興味深かったのだがな」
息を吐き、男は残念そうに呟く。やがてその視線は正門の下へ。そこには、こちらを見上げる一人の男が。
片方は青く、片方は赤いその両眼で、男は見下ろしたまま語りかけた。
「君もそう思うだろう? バージル」
蒼いコートに刀を携えた、彼にとって懐かしい人物へと。
一方、正門の前に立っていたバージルは、殺意の込もった目で男を睨む。
これまで悪魔を呼び出し、騒動を引き起こした元凶。舞台を乱す、招かれざる者。
かつて自分を嵌めた存在であり、魔剣士の力を手に入れようとした、愚かな男を。
「道化役が好きなようだな、アーカム」
もう既におわかりだったかもしれませんが、9章にしてようやく黒幕登場です。