心すらも通り抜ける穏やかな風が、一面に広がる緑の草をなびかせる。
見上げれば青い空を点在する雲が隠し、風向きに沿って流れている。
街を歩けば聞こえる雑多な音も、モンスターの鳴き声もない。天国のように安穏な空間。
そこに、草を踏みしめて立つ人物が一人。肩に白い羽が施されている紺色の羽衣に身を包んだ銀髪の女性。
「ここは……どこでしょうか?」
女神エリスは、困惑した様子で周囲を見渡す。
下界──にしては物静か過ぎる。モンスターどころか、人の気配すらない。この空間にはただ一人、自分しかいないと思わせられるような静けさ。
おまけに、思考も寝起きのようにぼんやりしている。ここで横になれば、あっという間に眠れそうだ。目を擦り、感じている眠気を覚まそうと試みる。
とその時、うつらうつらしていた自分を覚まさせるように、強い風がゴウッと吹いた。エリスは思わず被り物とスカートを抑える。
風の目論見通りか、エリスの思考は先程よりもハッキリしたものに。ここが何処なのか不明だが、歩かなければ何も始まらない。
エリスは風の向くまま気のむくままに、広い草原を歩き出した。
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どれくらい歩いただろうか。それとも大して時間は経っていないのか。エリスはただひたすら真っ直ぐ歩き続ける。
普段ならばすぐさま天界へ戻る選択肢もあったであろう。しかし、その思考に至ることすらなくエリスは歩く。そして、ようやく広がっていた景色に変化が訪れた。
地平線から徐々にではなく、幻のように突如として前方に現れたのは、一本の立派な木。遠くから見ても把握できるほど太い幹を持ち、おびただしい量の緑によって、草原に影を作っている。
エリスは誘われるように木の方へ。一度木陰で休もうかと考えていたが、先客がいるのを確認した。
木の根本で座っているのは、小さな少年。足を伸ばし、静かに本を読んでいた。掻き上げられていた少年の髪は、エリスと同じ銀色に染まっていた。
「(この子は……)」
見覚えのある姿。思い当たる人物に思考が辿り着くまで、時間は掛からなかった。
だとしたら、何故これほど幼い姿になっているのか。エリスが不思議に思っていると、本を読んでいた少年はエリスの存在に気付いたのか、顔を上げて口を開いた。
「母さん? どうしたの?」
「へっ?」
聞こえてきたのは、想定すらしていなかった言葉。エリスはすぐさま辺りを見渡す。
彼が母と呼ぶ人物は一人だけ。しかし、この場に彼女の姿は無い。エリスは再び少年へ視線を戻す。
少年の目が向く先にいるのは、エリスただひとり。エリスは恐る恐る自分を指差すと、少年はコクリと頷いた。
「えぇええええっ!?」
エリスは驚嘆の声を上げる。当然だ。幼き頃の彼であろう少年から、母と呼ばれたのだから。
理解が追いつかない摩訶不思議な出来事。しかし少年は何も疑ってなさそうな顔でエリスを見ている。
いつから自分が彼の母親になったのか。それとも彼が見間違えているのか。いや、髪の色からして真逆なので間違える筈がない。
様々な考えが頭を巡った結果、これは夢だという結論に至り、しどろもどろになりながらもエリスは返した。
「え、えーっと……ここで何をしているのかなー?」
「本を読んでるんだ。見ればわかるでしょ」
「あっ、そ、そうだね。うん。あー……お、お母さんも一緒に読んでもいい?」
慣れない演技で、エリスは母親のように言葉を交える。エリスがそう尋ねると、少年は言葉を返さずコクリと頷き、本へと目線を落とした。
許可の意を示したのだろうと捉えたエリスは、そそくさと木のもとへ駆ける。そして、少年の隣へ腰を下ろした。
座高も自分の半分しかない少年。頭を撫でたくなる衝動に駆られたが、彼は嫌いそうだと自制し、上げていた手を降ろして、少年が読んでいた本にエリスも目を落とす。
書かれていたのは、元いた世界では見慣れない文字の羅列。隣のページには絵が載せられている。先輩女神との交流もあって異世界の文化にも触れていたエリスは、彼がいた世界、国での言語だと理解する。
「ねぇ、なんて書いてあるの? お母さんに教えてみて」
気になったエリスは、少年に尋ねる。少年は不思議そうにエリスを見たが、すぐに本へ視線を戻すと、おもむろに口を開いた。
「『それは昼も夜も成長を続け、やがて輝く林檎の実を付けた』」
「林檎の実……」
彼が口にした詩を聞き、エリスは空を仰ぐ。見えるのは空を覆い隠す緑の葉と、偶然にも赤く実った林檎がひとつ。
エリスは立ち上がり、林檎を取らんと手を伸ばす。が、思っているより高い位置に実っており、手を伸ばしただけでは届かない。
跳び上がり、更に高く手を伸ばす。しかしそれでも林檎に手は届かない。幾度も跳んで挑戦するも、あと少しの所で自分の身体が落ちてしまう。
そんな彼女を見かねたのか、少年は本を閉じて草原に置くと、器用に木を登り、枝に実っていた林檎を落とした。エリスは慌てて両手で受け皿を作り、林檎を受け取る。
「あ、ありがとう」
小恥ずかしい気持ちを覚えながら、エリスは再び腰を降ろし、果実に口を付ける。中身は甘く、果汁が口の中に広がる。
少年も木から飛び降りると同じく腰を降ろして、本を再び取ることはなく前方を見つめた。
林檎を食べる手を止めて、エリスは少年に顔を向ける。彼にも林檎を食べさせようかと迷っていると、少年はポツリと零した。
「本当は──」
「えっ?」
エリスは少年に耳を傾ける。少年はエリスに顔を合わせることなく、広い草原を見つめて言葉を続けた。
「本当は、俺も守って欲しかった」
彼の声は空虚なようでいて、どこか悲哀を感じるものだった。
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ぼんやりとした思考。視界も虚ろであったが、次第にハッキリと見え始める。
目に写ったのは、隣のベッドで眠るゆんゆんの寝顔。スースーと穏やかな寝息を立てて、未だ眠りの中にいる。
そんな彼女より一足先に目覚めたクリスは、のそりと上体を起こす。カーテンの隙間からは太陽の光が漏れていた。
夢を見ていた。広い草原の中を歩き、そこで誰かと出会ったのだが──記憶はおぼろげで思い出せない。
幸せでいて、どこか悲しい夢であった。クリスは夢の内容を思い出せずにいると、不意に何かが頬を伝う感触が。
「……えっ?」
それが涙と気付くのに、時間は掛からなかった。気付かない内に涙を流していた自分に驚きながらも、手で涙を拭う。
夢といえば、悪夢問題解消の為にバージルへ夢見の像を渡していた。果たして効果はあったのか。
もう一眠りする気持ちもなかったクリスはベッドから降り、顔を洗うべく洗面所へと向かった。
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顔を洗い、寝間着から着替えているとゆんゆんも起床した。着替え終えたクリスは、ゆんゆんの支度が整うまで部屋で寛ぐ。
窓から部屋の外を覗くと、既に多くの住民が街を歩いていた。眠りについたのが深夜だった故か、どうやら目覚めも遅かったようだ。
ゆんゆんの準備が整ったところで、二人は部屋を出る。バージルのことが気になるとクリスは伝え、彼の部屋へ。だが部屋の鍵は閉まっており、ノックや声掛けをしても返答がなかった。
バージルを探すべく、二人は宿のロビーへ。受付の者にバージルが宿を出ていったか確認したが、見ていないと受付は答えた。
宿を出ていないのなら、急ぐ必要はない。二人は捜索を止め、一旦宿内にあった食事処に行き、朝食を済ませた。
軽く腹を満たし、二人は食事処を出る。部屋に帰っているかもしれないと考え、再度バージルの部屋へ行こうとした時だった。
「あっ! クリスさん! あそこにいますよ!」
ゆんゆんが指差したのは、ロビーに備え付けてあった共用の休息エリア。そこにあったソファーに独り、普段の青いコートを着て腰を降ろしていたバージルの姿が。
二人は駆け足で彼のもとへ向かう。バージルも気付いたようで、窓の外を眺めていた顔をこちらへ向けた。
「おはようバージル。よく眠れた?」
「あぁ。夢見の像とやらのおかげでな」
「ホントですか!?」
バージルの感想を聞き、持ってきた本人であるゆんゆんは胸を撫で下ろす。クリスも気にかけていたので、ホッと一息吐いた。
と、バージルはおもむろに立ち上がり、ゆんゆんの前へ。彼は空いていた右手を上げると──ポンと優しく、その手を彼女の頭上に置いた。
「礼を言う。ゆんゆん」
「へっ!? えっ、ちょっ、先生!? 急にどうしたんですか!?」
頭ポンからのお礼という、バージルが繰り出したとは思えないコンボ。これには受けていたゆんゆんも驚く。
横で見ていたクリスも、珍しいどころか何か悪い物でも食べたのではと疑う程に驚いていた。その一方で、ほんのちょびっと羨ましい気持ちを覚えながら眺めていたが──。
「……あの、先生? なんだか頭に痛みを感じるんですけど。というかどんどん痛くなってるんですけど!? ちょっと待って痛い痛い痛い痛い! 頭が割れるぅううううあああああっ!?」
「何やってんの!? ホントに何やってんの!?」
頭ポンに見せかけたアイアンクローによって、ロビーにゆんゆんの悲鳴が響き渡った。受付係や他の宿泊客が何事だと様子を伺ってきたが、仲間内でのことだとクリスは伝えた。
アイアンクローから開放されたゆんゆんは痛そうに頭を擦り、隠れるようにクリスの背後へ。危うく警察沙汰になる所であったが、バージルは反省の色を見せないまま、ゆんゆんに尋ねた。
「夢見の像を、貴様はどこから手に入れた?」
「うぅ……た、タナリスちゃんから貰いましたけど……」
「となれば、出処はあの魔道具店か。どうりで欠陥品なわけだ」
「欠陥品って、もしかして──」
クリスの言葉に、バージルは頷いて返す。
「おかげで最悪の目覚めだ。どんな夢だったかは、もう覚えてすらいないがな」
「ご、ごめんなさい……私がタナリスちゃんから説明を詳しく聞いていれば……」
「謝るのはアタシだよ。バージルに勧めたのはアタシなんだから」
責任を感じて謝るゆんゆんに、クリスは優しく言葉を掛ける。そんな彼女を見兼ねてか否か、バージルは言葉を続けた。
「この像に象られているのは、獏という生き物だ」
「ばく?」
「この国ではどうか知らんが、人の夢を喰らい生きると伝えられている。悪夢を見た場合は、その夢を獏にやると唱えれば同じ悪夢を見ずにすむらしい」
「じゃあ、もし夢見の像にも同じ効果があったら、バージルがまた悪夢を見ることはないってこと?」
「そうであって欲しいがな」
悪夢はもううんざりだと、バージルは零す。
何度も見せられる悪夢に参っている様子に見えたが、その一方で、どこか付き物が落ちたようにスッキリしたようだと、不思議とクリスは感じていた。
しかしその答えが出ることはなく、先にバージルが話題を切り替えた。
「で、今日はどうする? 自由行動でいいと貴様は言っていたが」
「うーん、そうだね。アタシは昨日みたいなヘマしたくないから、情報収集に専念するよ」
「わ、私にもできることがあればお手伝いします!」
「ありがとう。でも気持ちだけ受け取っておくよ。本業のアタシにお任せあれってね」
ゆんゆんの頭を撫で、クリスは優しく断りを入れる。彼女も納得したのか、それ以上前に出ることはしなかった。
バージルに朝食はどうしたのかと尋ねると、既に済ませた後であった。二人も食べ終えた直後だったので、このまま各自別れることに。
「じゃあアタシは先に行くね。好きに過ごしてもいいけど、あんまり目立つような真似しちゃダメだよ。勿論危ないこともしないように」
「世話焼きな奴だ。さっさと行け」
鬱陶しそうにバージルは手を払う。母親のように言いつけを残したクリスは、一足先に宿を出ていった。
残ったゆんゆんとバージル。自由行動といっても、観光は初日で終えている。どうしようかと思いゆんゆんがバージルに視線を送ると、バージルはそれに気付き、彼女に言葉をかけた。
「ゆんゆん、予定はあるか?」
「へっ? い、いえ、特に決めてないですけど……」
「なら少し付き合え」
「付き合えって、どこに行くつもりですか?」
「気分転換だ」
バージルは短く答える。その手には、刀が一本。
彼は悪夢を見させられて、気分が優れていない。更に悪夢を見せた原因は、ゆんゆんが持ってきた夢見の像にある。
ここまで考え、ゆんゆんは彼がどこに行こうとしているのかを予測した。彼は気分転換と称しているが、そんな生ぬるい物では決して無い。
危ないことはしないようにとクリスからは言われていた。しかしゆんゆんは断る勇気が出ず、怯えながらもバージルの後について行った。
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お昼時の、王都の城下町。道は住民、冒険者、騎士達によって彩られている。
冒険者と騎士は、皆レベルの高い者ばかり。そんな中、まだ王都の標準レベルにも満たない冒険者が、仲間を連れて歩いていた。
「カズマ、そう気を落とさないでください。捕縛こそできませんでしたが、犯行は未然に防いだんですから」
「慰められると逆に辛いんだけど。それと、別に王城での暮らしに固執してたわけじゃないからな?」
「ハイハイ、わかりましたから。今日は一日ゆっくりして、明日にはアクセルの街に帰りましょう」
アイリスとの暮らしを長引かせる為に、王都で暗躍する賊を捕まえると豪語したカズマ。
だが、よりにもよって義賊の正体はクリス、ゆんゆん、バージルの三人。そのまま捕えて突き出す真似などできず彼は見逃し、正体は明かさず、交戦するも逃してしまったと報告。
まだ一緒に暮らしていたいのはアイリスも同じだった。彼女は果敢に戦ってくれたとフォローをしたが、側近でありカズマを目の敵にしていたクレアは聞く耳持たず。早々に城から追い出され、彼はトボトボと街を歩いていた。
「本当だ! 私が寝泊まりしていた部屋に、黒いコートを着たバージルが寝込みを襲いに来たんだ!」
「ダクネスったらまだ言ってるのね。昨晩見た夢を皆に自慢したいのはわかるけど、あんまりしつこいと嫌われるわよ?」
「夢じゃない! 部屋の窓ガラスも割れていただろう!」
「部屋に入ってきた義賊をバージルさんと見間違えたか、お前が寝ぼけて割っちまったんだろ。なんにせよ妄言なのは確かだな」
「そこまで寝相は悪くない! それにあの男は間違いなくバージルだった! 幾度もプレイを交えてきた仲だからこそ断言できる!」
どうやらバージルはダクネスと鉢合わせてしまったようだが、日頃の行いのおかげか、ダクネスの話は誰からも信じてもらえてなかった。
カズマも見間違いではないとわかっていたが、言ってしまえば義賊の正体がバレるので、皆に合わせてダクネスをあしらっていた。我ながら演技派だなとカズマは思う。
クリスは手伝って欲しいと言っていたが、これ以上厄介事に巻き込まれるのは御免被る。さっさと王都から退散するが吉。
脳裏に過る、アイリスの寂しそうな表情に後ろ髪を引かれる気持ちをしまい込み、カズマは足を進める。
「サトウカズマ! サトウカズマじゃないか! 女神様もお久しぶりです!」
とそこへ、カズマを呼ぶ若い男性の声が道の先から聞こえてきた。カズマは顔を上げて前を見る。
歩み寄ってきたのは、カジュアルなスーツを着こなす、いけ好かない顔立ちの男。
彼はキラキラとしたエフェクトが舞っていそうな笑顔をアクアに見せる。対するアクアは、彼の顔をしばらく見つめてから言葉を返した。
「どちら様でしたっけ?」
「えっ」
彼の存在は、すっかり頭から抜けていた。哀れに思ったカズマは、アクアに彼のことを説明する。
「覚えてないのか? こいつは確か……マチリガだったっけ?」
「ミツルギだ! ミツルギキョウヤだ! もはやその間違え方は覚えていなきゃできないだろう!?」
「ミツルギ……はて、そんな人いたかしら?」
「女神様!? 僕の名前を聞いても思い出せないのですか!? 貴方に魔剣グラムを託された者ですよ!」
「あぁ魔剣の人ね! やっと思い出したわ!」
どうやら彼女の中では魔剣の人でしか認識されていないらしい。その事実にミツルギはショックを受けている様子。
「ねぇねぇ、あの人って魔剣の勇者じゃない!?」
「ミツルギ様ー! こっち向いてー!」
そんな時、道端にいた女性二人がミツルギに黄色い声を送った。ミツルギは笑顔でそれに応えると、二人は嬉しそうに飛び跳ねる。
アイリスやクレアから聞いていた通り、アクセルの街でも名を馳せていた魔剣の勇者君は王都でも人気のようだ。その事実を目の前で見せつけられたカズマは、わざとらしく手をポンと叩いた。
「あー俺も思い出したよ! 魔剣の勇者ミツルギ君かぁ! 勇者候補筆頭のソードマスターでありながら、最弱職の冒険者であるこの俺、サトウカズマに自ら勝負を挑んで、二度も敗北を喫したミツルギ君かぁ! アクセルの街で会った時以来だねー! 俺に二回も負けた、魔剣の勇者ミツルギキョウヤ君?」
「き、君という奴は本当に……」
どれだけ彼が有名になろうと、自分が彼に二回も勝った事実は覆らない。それを強調するように、そして住民達へ聞こえるように大声で話しかけた。
負けず嫌いなカズマに、ミツルギは怒り半分呆れ半分といった表情。後ろにいためぐみん、ダクネスも大人げないカズマに呆れていた。
『となれば、アクセルの街に襲来し貴様を恐怖で震わせた俺が、この中で最強ということだな』
「んっ?」
その時、ミツルギでもカズマでもない男の声が耳に入ってきた。カズマ達は辺りを見渡すが、それらしき人物は見当たらない。
しかし程なくして、その正体は自らカズマ達の前に現れた。
『こっちだ馬鹿者共! よもや、この俺を忘れたとは言うまい?』
「わっ!?」
ミツルギの背後からにゅっと出てきたのは、おたまじゃくしのような形をした人魂。その顔部分は、灰色の甲冑の下で赤い目を光らせている。
特徴的な頭を持つ奇妙な存在を目の当たりにしたカズマは、しばらく顔を見つめてから口を開いた。
「どちら様でしたっけ?」
『うぉい!?』
見覚えはあったのだが、名前までは思い出せなかった。相手は意外だったようで酷く驚いている。
一方で、後ろにいためぐみんとダクネスは覚えていたのか、慌てた様子でカズマに声を掛けてきた。
「忘れたのか! こいつは、戦いながら私の鎧を少しずつ剥がしたり、呪いをかけて城に連行しようとしてきたド変態デュラハンだ! 名前は確か……ベルシア!」
「我が爆裂魔法によりまんまとおびき出された、間抜けな魔王軍幹部ですよ! その名は……えっと……バルディアです!」
『ベルディアだ! そして間抜けでもなければド変態でもない! 勝手に属性を付け加えるな!』
「あー、そういえばそんな奴もいたっけ。知らない所でバージルさんに討伐されてたから、他の幹部に比べて印象薄いんだよな」
『本人の前で印象薄いとか言うな! 呪い殺されたいか貴様ぁ!』
名前を覚えられていなかったベルディアはお怒り状態。しかしその姿は小さな人魂なので、怖さは微塵も感じない。
「ていうか、なんでベルディアがミツルギと一緒にいるんだよ。その様子じゃ、生き返ったって感じでもなさそうだし」
「修行の成果と言うべきかな。僕がベルディアの剣を師匠から授かったのは、君にも話しただろう?」
ミツルギの確認を聞いて、カズマは記憶を掘り起こす。
魔剣を失った彼と再会したのは、機動要塞デストロイヤー迎撃作戦の日。その夜、彼からベルディアの剣について聞かされたのをカズマはうっすらと覚えていた。
「あの剣には、ベルディアの魂が宿っていてね。あの時は剣を触った者としかベルディアは意思疎通ができなかったけど、修行を積み重ねていく内に──」
『俺は剣を離れ、ゴースト的な存在となって自由に対話することが可能となった。魔力のほとんどは剣に残している故、今の俺に戦う力は無いがな』
ベルディアは自慢げに語る。アクセルの街で目撃して以来だったが、よもやこんな形で再会するとは思いもしなかった。
アンデッド族のデュラハンがゴーストになるとは奇妙な話があったものだと、ユラユラ揺れるベルディアをカズマはまじまじと見つめる──そんな時だった。
「『ターンアンデッド』!」
「『うぉおおうっ!?』」
唐突に、横で話を聞いていたアクアが魔法をベルディアに向けて放った。これをミツルギとベルディアは咄嗟に避ける。
「ようやく思い出したわ! アンタ、私のことを無視した不届き者ね! しぶとく生きてたみたいだけど、ここで余生を終わりにしてあげるわ!」
『まさか貴様、この俺が女騎士にかけた『死の宣告』を解いたというアークプリーストか! 待て! 俺はもう魔王軍幹部ではないぞ!』
「そうやって油断させておきながら寝首をかくつもりでしょ! 私には全てお見通しなんだから! 観念しなさい!」
「アクア、コイツはこんなになっても一応元魔王軍幹部なんだし『セイクリッド・ターンアンデッド』の方がいいんじゃないか?」
「サトウカズマもけしかけるな! 待ってください女神様! ベルディアはもう僕達の味方です! 僕にとっても無くてはならない相棒なんです! 浄化するのはおやめください!」
放つ気満々のアクアに、ミツルギとベルディアは制止を呼びかける。嘘を言っているようには思えない。
対して珍しく話を聞き入れたのか、アクアは渋々魔法を放とうとした手を下ろす。それを見て、ミツルギとベルディアは安堵の息を漏らした。
「ベルディアが味方になったとしてもよ、元魔王軍幹部をそうやって引き連れてるのを知られたらマズイんじゃないか? 城の連中は何も言ってこないのか?」
「それなら心配ないよ。ベルディアは僕の使い魔だと伝えてある。流石に最初は疑われたけど、王都で魔王軍と戦い続けていたら、王女様のお墨付きで認めてくれたんだ」
ミツルギは安心させるように答える。ダスティネス邸での会食でも、アイリスとクレアはミツルギのことを高く評価していた。
加えて、街行く住民はミツルギの傍で浮いているベルディアを見ても驚く素振りは見られない。彼等には見えていないのか、それともベルディアを侍らせていること自体が日常風景なのか。
とにかく、ベルディアが味方だという事実は信じてもいいのだろう。カズマがそう思っていると、ベルディアはグイッとカズマに顔を近付かせ、釘を刺すように言ってきた。
『この男は使い魔だと言っているが、あくまで便宜上、王都で不便なく暮らす為に仕方なく使い魔になってあげているんだ。決してこのヤサ男にへーこらする落ちぶれた元魔王軍幹部などと勘違いするんじゃないぞ? いいな?』
魂だけの存在になったベルディアだが、譲れない部分はあるようだ。彼はそう伝えると、再びミツルギの傍に戻る。
「ところでサトウカズマ、今空いているか?」
「何だよ急に。空いてるけどさ」
「君に大事な話があるんだ。少し付き合ってくれ」
「俺、別にお前と仲良くする気ないから断ってもいい?」
「大事な話と言っているだろう!?」
面倒臭いことこの上なかったが、ミツルギがあまりにもしつこかったのでカズマは仕方なく折れた。
自分達には関係のない話だと考えためぐみんとダクネスは別行動を取ることに。カズマは話を聞くべく、アクアを連れてミツルギの後を追った。
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ミツルギに案内され、街道沿いに建てられた喫茶店に入ったカズマとアクア。壁際の席に座り、ミツルギの奢りで注文を頼む。
品が運ばれるまでの間にミツルギはアクアへ、非常に高価であろう指輪を箱付きでプレゼントしたが、サイズが合わなかったのを理由にアクアはその指輪をハンカチで覆い、一瞬で消すマジックを披露した。
どこに移動したのかと尋ねると、アクアは消えたんだからどこにもないと返答。ミツルギはショックを受けていたが、女神様の為になったのならとどうにか笑顔を繕った。
宴会芸を披露して気が乗ったのか、喫茶店にいる他の客にも見せてくると席を離れた。楽しそうなアクアを微笑ましい目で見送った後、カズマに視線を戻す。
「じゃあ早速本題に入ろうか。まず一つは、君にも他人事じゃない話だ」
「もったいぶらずに早く話せよ」
カズマは出されていたお冷に口を付け、ミツルギの話に耳を傾ける。
「アクセルの街に魔王軍幹部だったベルディアが襲撃してきたのは覚えているかい?」
「あぁ。ウチの馬鹿が招いたせいで大変だったよ」
「確かに襲撃の原因は彼女にあったが、それよりも前に、ベルディアはアクセルの街から遠くない古城に移住してきた。どうしてだと思う?」
ミツルギの問いを聞いて、カズマはハッとさせられる。
レベルの高い冒険者と戦う魔王軍幹部が、駆け出し冒険者の集まる街付近に現れるなど、確かに不可解な話だ。
考えられる線は、魔王軍幹部が出張るほどの冒険者がアクセルの街に現れたこと。思い当たる人物は二人。
「きっかけは、アクセルの地に大きな光が舞い降りたと、魔王軍の預言者が言い出したことらしい」
「大きな光ってもしかして……」
カズマは店内の賑わっている方角を見る。その中心には、宴会芸で場を盛り上げている女神アクア。
視線を戻すと、ミツルギは小さく頷いて話を続けた。
「魔王は半信半疑でベルディアを派遣したけど、師匠に討たれた。続けて送った仮面の悪魔も行方不明。更に二人の魔王軍幹部も討たれたと聞いている」
「そ、それって……」
「話は王女様から聞いている。そして君はさっきベルディアのことを、他の幹部と比べて印象が薄いと言っていた。どうやら、魔王に興味を持たれているパーティーは君達で間違いないようだね」
「ちょっと待てよ!? 俺達魔王に目つけられてんの!?」
『魔王軍幹部が立て続けに倒されたんだ。おまけに機動要塞デストロイヤーを消滅させているときた。当然だろう』
ぬるりと出てきたベルディアから冷静に言葉を返され、カズマは何も言えず口を閉じる。
「そのパーティーが拠点としている街に、また何かが攻めてくるかもしれない」
「魔王軍が本気で襲撃してくる可能性も?」
「無いとは言い切れない。今、魔王軍は目立った動きを見せていないが……用心しておいた方がいいだろう。女神様と師匠がいても、だ」
ミツルギは念を押すように忠告してくる。余程心配しているのだろう。
先に待つ未来を憂うカズマであったが、こういう時、人は現実逃避をしたくなるのであろう。彼は別の話題へと話を持っていった。
「そ、それで他の話は?」
「あぁ……もう一つは、王都で貴族を騒がしているという義賊についてだ」
ミツルギが次に話し出したのは、カズマにとってもタイムリーな話題であった。
「実は、義賊捕縛に協力してくれないかと頼まれてね。どうやら君は昨晩、義賊と出くわしたそうじゃないか。よければ君が得た情報を話してくれないだろうか?」
情報提供をミツルギは提案してきた。これに対し、カズマは腕を組んで熟考する。
義賊の正体。カズマと義賊の関係。そしてミツルギとの関係を整理した後、カズマは彼に手のひらを見せながら言葉を返した。
「十万」
「……はっ?」
「情報料として十万エリスだ。まさかタダで教えてもらおうだなんて思ってないよな?」
「僕はさっき大事な情報を話しただろう! なのに君は金を取るっていうのか!?」
「そりゃあお前が勝手に話してくれたからな。それとこれとは別問題だ」
『やられたなミツルギ。この男、悪魔よりも悪どい輩だ』
後出しでやり込められたミツルギはぐぬぬと唸っているが、世の中には情報を売る情報屋も存在する。有益な情報は金になるのだ。
カズマとしては正当な要求と思っているので、悪びれる様子もなく言葉を続けた。
「言っとくが値下げは受け付けてないぞ。キッチリ十万払えるっていうなら話してやる」
「君がそこまで言うってことは、十万エリスに見合う情報を持っていると考えていいんだな?」
「勿論。ただし、俺から得た情報は決して口外しないこと。どうしても言わなきゃいけない場合は、絶対に俺から聞いたとか言わないこと」
「……いいだろう」
交渉の末、ミツルギは購入を承諾。自身の財布から紙幣を取り出し、カズマに渡す。
数えてみると、確かに十万エリスであった。サラッと大金を出されて癇に障ったものの、躊躇することなくカズマは受け取った。
カズマは一度周囲を見渡す。店内はアクアの宴会芸で盛っており、客も店員もアクアのもとに集まっている。アクアもノッているようで、こちらに戻る気配はない。
盗み聞きされる心配がないことを確認したカズマは、小声でも聞こえるように席を近付かせてから話した。
「俺が掴んだのは義賊の正体だ。人数は三人。そして、お前も知っている人物だった」
「僕の知っている? 一体誰だ?」
「一人は、クリスという銀髪の盗賊。そして残る二人は……ゆんゆんとバージルさんだ」
「なんだって!?」
思いもよらぬ事実を聞いて、ミツルギはたまらず席を立った。
慌ててカズマは人差し指を立てて静かにするよう伝える。幸いにも、アクアの宴会芸を見た観客が感嘆の声を上げ拍手を送っていたタイミングであったので、ミツルギが立てた音と声はかき消されていた。
ミツルギはすまないと一言謝り、席に座る。
「ゆんゆんと師匠が、どうして……」
「詳しい経緯は俺も知らないけど、何か探してるみたいだったぞ。流石に知り合いをとっ捕まえて差し出すわけにはいかなかったから、俺は敢えて見逃してやったってわけ」
巻き込まれたくないのが第一であったが、そこは伏せてミツルギに話す。
彼はバージルを師として敬っている。その生徒であるゆんゆんとも交流はある。事実を知っても、口に出すことはしないであろう。そう見据えてカズマは彼に話したのだ。
「あの二人が悪事に加担するとは思えない。クリスという盗賊も、悪魔の討伐戦では前線に立ってくれていた。信頼に足る人物なのは間違いない。きっと事情がある筈だ」
『簡単に信じていいのか? コイツが嘘を吐いている可能性だってあるだろう?』
「確かに彼は卑劣極まりなく冒険者の風上にも置けない男だが、仲間を陥れるような嘘を吐く人間ではない。少なくとも、今は信じていいだろう」
『ふーむ……まぁ確かに、コイツにあのバージルを嵌める度胸は無さそうだからなぁ。見た目からしてヘタレっぽいし』
「二人揃って俺をディスるのやめてくれる?」
棘のある言い方にムッときたカズマであったが、否定はできない。特にベルディアの言葉に関しては。
彼を嵌めたら、どんなしっぺ返しが来るかわからない。余程の馬鹿でもなければ手出ししないであろう。
「俺が得た情報は以上だ。何度も言うけど、絶対誰かに話すなよ? 俺から聞いたとか絶対言うなよ?」
「あぁ、有益な情報をありがとう。君のことだから騙し取ってくると構えていたが、十万エリスどころか三十万エリスでも余り有る情報で驚いたよ」
ミツルギは素直にカズマへ礼を述べてくる。
一方でカズマは、そんなこと言ってくれるならもっと値上げすればよかったと、独り後悔していた。
*********************************
時間は過ぎ、太陽が山の奥へと隠れた夜。
宿では、くたびれた様子でクエストから帰ってきた者、夕食にありつく者、ひとっ風呂浴びて湯気を立たせる者が見える時間帯。
「ふぅ、今日も美味しい夕食でしたね」
「アクセルの街と比べると質が違うな。流石に王都で構えているだけのことはある」
王都での自由行動を済ませて宿に帰ってきたバージルとゆんゆんは夕食を食べ終え、休憩所でひと息吐いていた。
バージルに「気分転換」と称して付き合わされた筈のゆんゆんであったが──。
「そうですねぇ。色んなお店でスイーツを食べ回ったけど、どれも甘くて美味しかったし。こ、今度はめぐみんも連れて、来てみようかなー……なんて」
その実態は、王都スイーツ巡りだった。スイーツ専門店、喫茶店、お土産屋など、スイーツがありそうな場所をくまなく探し、バージルの奢りで食べ歩いた。
一体何をされるのかと、最初は怖がっていたゆんゆんであったが、内容を知った後は喜んで同伴。もはや王都のスイーツグルメ本を出せそうなほど、彼女はスイーツで満たされた。
「スイーツを好んで食べる女とは思えんがな」
「先生がそれを言うんですか。一応、めぐみんとは学校帰りや休みの日に、喫茶店で過ごしたこともあるんですよ。確かにめぐみんはスイーツよりも、お腹にたまる料理を頼んでた覚えがあるけど……」
「紅魔の里にある喫茶店か。復旧後、スイーツを食べに立ち寄ったが、さしてレベルは高くなかった」
「王都の物と比べられたら流石にそうなりますよ。あっ、でも私が王都で見つけたスイーツを教えてあげれば……いやでも、私なんかが言い出しても聞いてくれないかな……」
「貴様は族長の娘だろう? 貴様の父に頼めば、ある程度の融通は効くと思うが」
「はっ! た、確かに! ていうか、もし私が族長になったら、紅魔の里にスイーツ専門店を置くことも……!」
長としての権力を、スイーツ欲のために振りかざそうと思案する次期族長候補。
バージルにしては汚い手段と思われるかもしれないが、紅魔の里にスイーツ店ができれば、紅魔族流のスイーツが生まれる可能性もある。スイーツの幅が広がることは、彼にとっても望ましいことなのである。
「(それにしても、クリスの姿が見えんな)」
ゆんゆんがブツブツと独り言を呟く傍ら、バージルは周囲を見渡しながら思う。
受付にも確認したが、宿には帰ってきていなかった。まだ情報収集に勤しんでいるか、カズマの勧誘に向かっているのだろう。
どのみち、今は大人しく宿で待機するしかない。もう少し寛いだ後、風呂に入ろうかと考えていたバージルであったが──。
『魔王軍襲撃警報! 魔王軍襲撃警報! 現在、魔王軍が王都近辺の平原に展開中! 騎士団は出撃準備! 今回は魔王軍の規模が大きいため、王都内の冒険者各位にも参戦をお願い致します! 高レベル冒険者の皆様は、至急王城前へ集まってください!』
けたたましい警報と共に、協力を仰ぐアナウンスが二人の耳に届いた。急な出来事にゆんゆんは驚嘆すると同時に我に返る。
「ま、魔王軍の襲撃!? これからお風呂に入ろうとしてたのに!」
「丁度良い。スイーツだけでは物足りなかったところだ」
ゆんゆんは突然の襲撃に驚いている様子だが、ここは魔王軍と最前線で戦っているベルゼルグ王国の首都。むしろ襲撃が無い日の方が珍しいのである。
「最近音沙汰無しと思っていたが、急に来やがったな!」
「幹部級の敵はいるのか!? 真っ先に俺が倒してやるぜ!」
「ここで戦果を上げれば、僕も騎士団に……!」
宿で寛いでいた冒険者達も、目の色がガラリと変わる。忙しなく部屋へ戻る者もいれば、宿に帰ってきたばかりで装備を整えていたので一足先に出ていく者も。
早速バージルも動き出そうとしたが、ここでゆんゆんが気付いたように声を上げた。
「あっ! で、でも、クリスさんからは目立つ真似をしちゃダメって言われてたような……」
「奴の言いつけなど、いちいち守っていられるか。それに、ここで参加しなければ逆に怪しまれる危険性もある」
「そ、そうですね……イチ冒険者として、ここは前線に出て戦わなきゃ!」
言いくるめられたゆんゆんは、独り気合を入れる。クリスを待つことなど、バージルはとうに選択肢から外していた。
二人は急いで部屋へと戻り、装備を整える。そして、我先にと駆け出す冒険者の流れに乗って宿から出ていった。
自由を得たベルディアさんですが、剣にいない時はほとんど力が無いので他人に憑依したりはできません。