アルダープの屋敷一階、キッチンにて。
「事情は概ねわかったけど……どさくさに紛れてセクハラするのはホントに良くないと思うよ」
「仕方ないだろ。こちとら盗賊を捕まえようとしてたんだ。下手したら命のやり取りになってた。相手を気遣う余裕なんか持ってられるか」
「正論ぶってるけど、途中からガッツリ胸を揉みにきてたからね君」
潜入していたクリスであったが、運悪く屋敷にいたカズマに見つかってしまった。
相手が女性だろうと知ったことかとばかりに押し倒してきたカズマであったが、クリスだと知るとすぐに退いてくれた。
王城に連行されたと聞いていたカズマが何故アルダープの屋敷にいるのか。クリスは本人から事情を簡単に聞き出した。
王女アイリスとの時間を少しでも長く過ごしたかったカズマは、王都で噂になっていた義賊を捕えて手柄を立てることを発案。悪い貴族の屋敷に現れるとのことで、彼等は真っ先にアルダープの屋敷へ向かった。
貴族が大勢いるどころか王女の前で、カズマは堂々と宣言したそうだが──。
「もう一回聞くけど、義賊のメンバーは?」
「アタシとゆんゆんちゃんとバージルだよ」
「無理ゲーじゃねぇか」
どうしてこういう時に限ってバージルと対立する羽目になるのか。カズマは天を仰ぐ。
ちゃっかりゆんゆんのことも話したのは、他言しないと信頼しているからだ。鬼畜のカズマと謳われている彼だが、相手は選ぶ。比較的信頼を置いているゆんゆんを売る真似はしないであろう。
バージルも同様だ。友好度というよりも、敵に回したら恐ろしいとわかっているからであろうが。
「けど、まさかダクネス達まで来てるなんて……特にダクネスには、こういう事してるってバレたくないんだよね。怒ったら怖いし」
「ダクネスだったら正直に理由を話せば許してくれそうだけど……ていうか、そんな敵なしパーティーを組んでまでクリスは何を狙ってるんだよ?」
噂の義賊と義賊を捕まえる護衛という関係は一旦忘れ、カズマはそう尋ねてくる。
義賊仲間以外には語るべからずなのだが、クリスはその質問を待ってましたとばかりに答えた。
「君には真実を伝えておくよ。その方が事が進みそうだし。実は、アタシが狙ってるのはお宝じゃなくてじん──」
「待った! やっぱり言わなくていい! そして早くここから出てってくれ!」
が、カズマはそれを拒否。被せるように声を上げて彼は両耳を塞いだ。
「君が聞いてきたんじゃないか!? 折角答えてあげようとしてるのに!」
「俺は騙されないぞ! どうせ秘密を知ったからには協力してもらうよとか後出しするつもりだろ!?」
聞く耳を持たないカズマはクリスに問いかける。どうやら苦労した経験を糧に勘が培われていたようだ。
そう、当たりである。まさにカズマへ義賊勧誘の話を持ちかけようとしていたのだ。
「盗賊スキルだけじゃなくて色んなスキルを持ってる器用貧乏な君なら、アタシが目星をつけてる神器を手っ取り早く回収できると思うんだ! お姫様の世話係って役職も使えるし!」
「神器だのお姫様だのと不吉すぎる言葉が聞こえたような気がしたけど俺は何も聞いてないからな! あと器用貧乏って褒め言葉じゃないからな!」
「お願いだよ! この国の平和の為に──!」
「その前に俺の平和が乱されそうなんだよ! いいから出ていけ! 五秒以内に出ていかなかったら『スティール』連発の刑だ! メイド服だろうが関係ねぇ! ごーよんさんにーいちハイ時間切れスティ──!」
「きょ、今日のところは勘弁してやらー!」
パンツどころか全衣類剥ぎ取られる危機を感じたクリスは、全力でアルダープの屋敷から逃げ出した。
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最初に恐怖を覚えたのは、いつだったか。
地獄の鍛錬をつける父を見た時か、本気で怒った母を見た時か。それとも、全てを失い悪魔として目覚めたあの日か。
恐怖を意識しなくなったのも、あの日からだろう。戦いにおいて、恐怖などという人間らしい感情は邪魔でしかない。
では恐怖を覚えなくなったのかと言われたら、違うのだろう。どこまでいっても半分は人間だ。きっと心のどこかで恐怖を抱き、悪魔としての自分が溢れぬよう蓋をしていたのだろう。
でなければ──今抱いている感情に説明がつかない。
「何故アルダープの屋敷に突然現れたのか。いつもと服が違うのか。聞きたいことは山程あるが、今はそんなことどうでもいい!」
眼前に立つのは、薄いネグリジェ姿のダクネス。彼女はバージルを逃すまいと扉に鍵を掛ける。
彼女の目は明らかに正常ではない。瞬きすら忘れているほどに見開き、その碧眼はバージルを捉えている。
悪魔、悪霊に取り憑かれているのではと疑うほどの目。しかし彼女を知る者からすれば、何を馬鹿なことを思うのであろう。
そう、これがダスティネス・フォード・ララティーナなのだ。
「寝込みを襲うとはなんと卑劣な……! だが運が悪かったな! そう簡単に私の身体を弄ばせると思うなよ! さぁかかってこい!」
聖騎士たるもの、敵に背を向けはしない。ダクネスは意志を固めて構える。だが身体は両手を左右に広げたウェルカムポーズ。
鳥肌が立つのを感じ、バージルは後ずさる。これ以上屋敷を探索することは不可能。どうにかしてダクネスを黙らせてここを去らなければと思考を働かせる。
「どうした? そっちから侵入しておきながら来ないのか? ならば私から行くぞ!」
とその時、痺れを切らしたのかダクネスはバージルを狙って駆け出した。よもや向こうから襲いかかってくるとは想定しておらず、バージルは驚きながらも咄嗟に後ろへ退く。
──が、ダクネスは何も転がっていない平らな絨毯の上で躓き、バージルの前で倒れた。
「な、なんだこれはー。急に眠気がー。このまま寝てしまったら、襲われてしまうー」
大根役者もビックリな棒読み演技。ダクネスはバージルに聞こえるように言い、目を閉じる。勿論狸寝入りなので、ダクネスはチラリと片目を開けてバージルの様子を伺ってくる。
金髪美女からの熱烈なアプローチと言えば聞こえはいいであろう。それを受けていたバージルは、選択肢はこれしかないと意を決する。
彼は、ガラスの窓を破ってアルダープの屋敷から脱出した。
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屋敷潜入作戦から時間が経った深夜。
「聞いてないですよ! 私を置いて二人だけ行っちゃうなんて!」
「ホントにゴメン! こっちも切羽詰まっててさ。わが身可愛さで少しでも早くあそこから出たかったんだ」
追っ手もなく宿に戻れた三人は、クリスとゆんゆんが泊まっている部屋に集まり、情報交換兼反省会を行っていた。
ほぼ同時に屋敷から脱出したクリスとバージル。どちらも慌てたあまりにゆんゆんの存在を忘れ、敷地内から出ていってしまった。
バージルが盛大に音を立ててしまったことで、屋敷内は警備も集まり騒動に。取り残されたゆんゆんは『ライト・オブ・リフレクション』で警備の目を掻い潜り、どうにか一人で脱出したのだった。
「で、アタシはカズマ君に、バージルはダクネスに見られたわけだけど、こればっかりはカズマ君の判断に委ねるしかないね」
「王都では噂にもあがる義賊の実態が、こうも行き当りばったりだとはな」
「まさかカズマ君達がいるとはね。今回ばかりはアタシのリサーチ不足だったよ。でも、窓をぶち破って逃走した君にだけは言われたくないね」
ジト目で睨んできたクリスに対し、バージルはそっぽを向く。いつも通り反省の色は見られない。
クリスは呆れてため息を吐くと、反省会はここまでとして情報交換に話を移した。
「まず目的のお宝だけど、アタシはロクに探索もできなくて……バージルはどうだった?」
「ある程度見て回ったが、それらしき物はなかった」
「うーん、アテが外れちゃったかぁ」
バージルからの報告を受けたクリスは背中を倒し、腰掛けていたベッドに仰向けで寝転がる。
先程屋敷へ行った際、神器の気配は確かに感じていたが、カズマパーティーがいたことを考えると先輩女神の持つ羽衣と勘違いしていたのであろう。
「で、次はどうする?」
「んー?」
「貴様が言っていただろう。目星をつけているのはもう一つあると」
壁にもたれて腕を組んでいたバージルが呆れ気味にクリスへ告げる。
彼の言う通り、狙っている神器はもうひとつあった。事前準備で聞かされていなかったゆんゆんは「そうだったんですか!?」と驚く様子を見せている。
バージルの問いかけを聞いたクリスは、困ったように頬を掻きながら返答した。
「よく聞いてるなぁ。バージルとゆんゆんちゃんには潜入が難しそうだと思って、詳しく言わないでおくつもりだったんだけど」
「先生でも難しいなんて、潜入先はいったい何処なんですか?」
「貴族の屋敷なんかよりも警備がキツい、お姫様の住む王城だよ」
「王城って……えぇええええええええっ!?」
まさかの潜入先を聞いて、ゆんゆんは時間帯も考えず大声を出して驚いた。慌ててクリスが人差し指を口の前で立てると、ゆんゆんは両手で自身の口を塞ぐ。
「アタシが今探しているお宝は二つ。ひとつは、ランダムにモンスターを対価無しに召喚できる魔道具。もうひとつは、他者と身体を入れ替えることができる魔道具」
「そ、そんなに凄い魔道具が……」
「最初に手にした所有者にしか、本来の力を発揮できないよう施されてるらしいけどね。といっても対価が必要になったり制限時間が設けられたってだけで、力の本質は変わってないんだけど」
ゆんゆんがいるのを考慮し、あくまで強力な力を持っている魔道具として話を進める。
「ある貴族が二つとも買い取ったっていう情報を手にしたから、お宝の気配がある屋敷をしらみ潰しに探していたんだ。で、残ったのは二つ。けどアルダープ家の別荘はハズレだった。残るひとつなんだけど……」
「そこが王城というわけか」
バージルの言葉に、クリスは小さく頷いた。改めて目的の場所を聞き、ゆんゆんは息を呑む。
「騎士団や近衛兵がどの程度の実力か知らんが、俺が遅れを取るとでも?」
「思ってないからこそだよ。必要以上に暴れられたら大問題になるし」
たとえ王城の全勢力を差し向けられても撃退できそうな力を持ってるが、発揮してしまえば王都から目をつけられるのは明らか。最悪指名手配されかねない。
本人は返り討ちにする気満々でいたのか、言い返そうとせず窓の外へ視線を移した。
「でも、アタシ一人じゃ厳しいのも事実なんだよね。兵士に包囲でもされたらなんにもできないし」
「回りくどい。要するに、屋敷潜入と同じく戦闘は極力避けろということだろう」
「そういうこと。バージルには引き続き協力してもらうとして……ゆんゆんちゃんはどうする?」
クリスはゆんゆんと向き合い、このまま義賊活動に付き合うか否かを尋ねた。
屋敷潜入に使用した『ライト・オブ・リフレクション』だけでなく『スリープ』や『パラライズ』など足止めに便利な状態異常魔法も使用できる。
しかし潜入先は王城。アルダープの屋敷とはリスクの高さが比べ物にならない。危険な目に遭わせたくない気持ちもあったクリスは、本人に判断を委ねた。
怖さもあるのだろう。対面する形でベッドに腰掛けていたゆんゆんは俯き、鼓動を抑えるように胸に手を当てている。だがしばらくして顔を上げると、意を決した表情で答えた。
「わ、私も行きます!」
「……本当にいいの?」
「ここで退いたら、と、友達のタナリスちゃんに顔向けできませんから! 最後までお供します!」
数少ない友達から頼りにされた。ゆんゆんの原動力はそれだけで十分。
揺るぎない紅い瞳。その圧に押されてしまったクリスは、諦めたように息を吐いた。
「それじゃあ引き続きよろしくね。アタシもサポートするから」
「は、はい!」
クリスから任を受け、ゆんゆんは力強く返事をする。が、再び大きな声を上げてしまったことに気付き、彼女は慌てて口を塞いだ。
「これでメンバーは三人。で、実はもうひとり連れていきたい人がいて──」
「カズマか?」
「うん。色んなスキル持ってる上に王城暮らしの経験もあるから、是非とも引き入れたいんだよね」
「屋敷での勧誘は断られたと聞いたが」
「たった一回で諦めるほどクリスさんは根性なしじゃないよ。明日カズマ君の所に行って、もう一度勧誘してみるよ」
カズマも義賊メンバーに引き入れるつもりでいたクリス。彼にはセクハラまがいの事をされた記憶が残るゆんゆんは、少し微妙な表情。
バージルも、何かと厄介事を引き寄せてくる彼にはあまり近付きたくない。しかし潜入において便利な駒なのは確か。どちらも反対はしなかった。
「じゃ、時間も遅いしそろそろ寝よっか。明日はまた自由行動ってことで」
今後の予定を決め終えたところで反省会はお開きに。バージルは壁から背を離し、部屋から出ていった。
と、その後ろ姿を見送っていたクリスは思い出す。今朝、彼が悪夢に苛まれていたことを。
しかし、今の自分にはどうすることもできない。考えあぐねたクリスは、就寝の準備を進めているゆんゆんに声を掛けた。
「ねぇゆんゆんちゃん。ぐっすり寝られるようなアイテムとかって持ってたりしない?」
「えっ? 急にどうしたんですか?」
「いやー、最近寝付きが悪くってね。聞けばバージルもそうみたいで、鞄に旅行アイテムいっぱい詰め込んで持ってきたゆんゆんちゃんなら、何か持ってないかなーと思ってさ」
本人のプライドの為にも悪夢のことは言わず、自分も寝付きが悪いとして話を進める。するとゆんゆんは、脇に置いていた鞄をすかさずベッドの上に置き、様々な物を嬉々として取り出しながら話した。
「そう聞かれても大丈夫なように、安眠グッズも持ってきてたんです! 安眠枕、心地良いメロディーが流れる魔道具、抱き枕、ぬいぐるみ、他には──」
「ア、アハハ……自分から聞いといてなんだけど、予想以上だね」
次々とアイテムを出すゆんゆんに、クリスは苦笑いを浮かべる。そんな中、ゆんゆんは動物を象ったガラスの置物を取り出した。
「あと、王都へ行く前にタナリスちゃんから貰ったんですけど、夢見の像という魔道具で、これを枕元に置いて寝ると良い夢が見れてぐっすり寝られるそうですよ!」
「良い夢を……」
ゆんゆんが見せてきた魔道具。タナリス経由というのが怪しいが、効果は今のバージルに最適な物。
これならもしかしたら──クリスはゆんゆんから、夢見の像を受け取った。
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部屋に戻り、簡単にシャワーも済ませたバージル。ベッドに寝転がったまま、フックに掛けた黒いコートを見る。
このまま眠りにつけば、再び悪夢を見る可能性は高い。ここは寝ずに朝を迎えるのが得策であろう。
幸い、今日は夜更けまで活動していた。数時間も待てばあっという間に朝日が昇る。寝ないことを決めたバージルは、視線を天井へと移す。
と、部屋の扉からノックする音が。訪問者が誰かはわかっていた。
「空いている。入りたければ入れ」
バージルはそれだけ告げる。扉はゆっくりと開けられ、通路を通って訪問者が姿を現した。
今朝と同じ、クリスであった。しかしその手には見慣れないガラス製の飾り物が。
「何だそれは?」
「ゆんゆんちゃんから貰った、夢見の像という魔道具です。枕元に置いて眠れば良い夢を見れる効果があるそうで、お借りして持ってきたんですが……」
ガラスの置物を見せながら、クリスはそう説明する。動物が象られていたが、その姿には見覚えがあった。バク、と呼ばれる動物である。
元いた世界では姿が似た
夢を喰らう者が夢を見せるとは奇っ怪だなと思うバージル。それよりも、これを使えば悪夢に悩まされずに済むのではないだろうか。
「一晩、借りさせてもらう」
出自は怪しかったが、それよりも悪夢をどうにかしたい気持ちが勝ったバージルは、クリスから夢見の像を受け取った。少しでも力になれて嬉しいのかクリスは微笑む。
「ではバージルさん、おやすみなさい。良い夢を」
最後にクリスは祈るようにそう言い残し、部屋から出ていった。部屋の外まで見送ったバージルは扉を閉めてベッドへと戻り、脇の机に置いていた夢見の像へ目を向ける。
ゆんゆんが持ってきた魔道具だと彼女は言っていた。もしこれで悪夢問題が解決したならば、スイーツのひとつでも奢ってやろう。
バージルは再びベッドに横たわると枕に頭をつけ、眠りへ誘われるように目を瞑った。
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その頃、アクセルの街にて。
「すまんな。バイトの身であるお主をこんな時間まで働かせてしまって」
「構わないっすよ。お給料をキッチリ払ってくれるなら」
「そこは任せておくがいい。新人には低賃金で働かせ、勤務年数が多いというだけで高給を支払う無能経営者と違い、働き者には相応の対価を支払う。無能には我が破壊光線で焼かれてもらうがな」
近隣の建物が全て明かりを落としている中、唯一灯りがあったウィズ魔道具店。二人は商品を数えては紙にメモし、在庫数を記録している。
二人は棚卸しの真っ最中であった。幾多の街に支店を置くような大手と違い、個人経営でこじんまりとした店。棚卸しはすぐに終わるものと思われたが、進めていく度にバニルの把握していない商品が出ること出ること。
その全てが売れそうにない商品。我慢ならなかったバニルは元凶である店主のウィズへ破壊光線を放った。使い物にならなくなったウィズを横目に、二人は会話を交えながら手を進めていった。
「はて、ここに確か置いてあった像はどこにいった?」
「夢見の像ですか? 僕が知り合いにあげましたよ」
「そうであったか。まぁあれは中古も中古の品で売れる気配ゼロであったので、良しとしよう」
「あれってそんなに使い古されてたんですか?」
「うむ。あれは使用者に良き夢を見せる快眠アイテムであるが、低確率で悪夢を見せることがあってな。更に悪夢の内容は、それまでに良い夢を見せてきた数だけ重くなる。つまり使えば使うほど、時たま見せられる悪夢で酷くうなされるのである」
「へぇー。ってことは、ゆんゆんに渡した夢見の像は──」
「既に多くの夢を見せてきたおつとめ品であろうから、次に悪夢を見る者は災難であるな」
バニルが話した夢見の像の実態。それを聞いたタナリスは、やってしまったと頭を掻く。
「ゆんゆんにそのこと言ってないや。大丈夫かなぁ」
「さみしがり小娘の運次第であろう。もっとも余程運の無い者でなければ悪夢は見ない確率と聞いている。床に転がっている幸薄店主にも黙って試したが、悪夢を見てはいなかった」
「んー、なら大丈夫かな」
リスクはあるが当たる確率は低い。今度会った時に説明すればいいかとタナリスは楽観する。
もし見てしまったのなら、お詫び代わりにクエストでも付き合ってあげよう。そう考えながら、棚卸しの手を進めた。
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瞼の奥から差し込む、微かな光。それに起こされた彼は、おもむろに目を開ける。目に映ったのは、灯りのないシャンデリアが付けられた天井。
朦朧としていた意識が次第に鮮明になる。やがて、宿泊していた王都の宿につけられた物ではないと気付いた。
「……ここはどこだ?」
バージルはゆっくりと身体を起こす。身体に問題はない。あるとすれば、脱いでいた筈の青いコートをいつの間にか着ていたこと。
ベッドの上からバージルは辺りを見回す。大人二人は容易く入れそうなキングサイズのベッドに高級な家具。貴族の寝室と思わしき部屋。
明らかに寝泊まりしていた部屋ではない。だが、酷く覚えのある部屋でもあった。
バージルはベッドから降り、寝室を出る。迷う様子すらなく廊下を歩いてひとつの部屋に入ると、リビングらしき場に出た。
窓際のソファー。その上に置かれた本。木製のテーブルと椅子。壁に掛けられた絵画。柔らかい絨毯。そのどれもが、記憶に残っている。
そこは、かつてバージルが家族と住んでいた屋敷であった。しかし住民は、バージル以外誰もいない。
「これが良い夢だとでも?」
彼にとってはどっちとも取れない内容の夢。バージルはそう零して足を進める。
屋敷のエントランス。入り口正面にある階段の奥には、大きな額縁で飾られている家族を描いた絵が。
一瞥し、彼は背を向けて扉を開ける。外も記憶にある風景と同じ、近隣に建物がない平原であった。
名残惜しさもなく、バージルは屋敷から離れるように歩く。ここでスパーダに鍛錬を受けた日々、ダンテと剣を交えた思い出が蘇ったが、浸ることはしない。
「……ムッ」
と、彼は視線の先にある物を見つけた。それは、だだっ広い平原には似つかわしくない、ポツンと置かれた木製の椅子。
普段なら罠だと警戒するが、バージルは誘われるように歩を進め椅子の傍へ。彼は椅子に腰掛けて正面を向く。
視界に広がるのは、変わらず何もない平原。だがしばらくすると、彼から数メートル離れた場に黒い霧がどこからともなく現れる。
やがて黒い霧はバージルの視界を覆う。彼は目も瞑ることなく様子を伺っていると、霧は次第に晴れていった。
代わりに現れたのは、バージルの対面で木製の椅子に座っていた男。服装はバージルと同じだが、コートの色は黒い。
そしてバージルと違った、細い顔立ち。肌は病人のように白く、左右に流した黒い髪が風で揺らぐ。
更にその奥。人の形をしているが、男と比べ一回りも二回りも巨大な身体を持つ、人ならざる者。その者の左胸はポッカリと穴が空いており、退屈そうに頬杖を付いて巨大な椅子に座っていた。
「貴様は誰だ?」
バージルは静かに尋ねる。当然の質問だ。夢を見ていると思っていたら、目の前に見たことのない男が現れたのだから。
しかし不思議なことに、バージルはそう尋ねてから野暮な質問だと感じた。向こうの男も同じことを思ったのか、小さく笑って言葉を返した。
「『名前などない。まだ生まれて二日目だもの』」
DMC5には繋がりませんが、どうにか二人を出したいと思い、こういう形になりました。