この素晴らしい世界で蒼い悪魔に力を!   作:(´・ω・`)

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第51話「Darkness ~常闇~」

 魔力を高め、即座に魔法が放てるよう警戒するウィズ。対峙していたハンスは、右腕を紫色のドロドロとした液体に変化させ、先端を口のような形状にしてウィズ目掛けて腕を伸ばした。

 

「『アイスウォール』!」

 

 迫りくる攻撃を、ウィズは氷の壁を形成して防ぐ。と同時に『アイスニードル』を唱え、出現させた氷のトゲをハンスに飛ばした。しかしハンスは避けるどころかスライム状の腕で喰らい、一瞬で溶かす。

 威力の低い氷魔法は効かないと見たウィズは、次に『カースド・クリスタルプリズン』を詠唱。前方にかざしたウィズの手から冷気が放たれ、冷気が通った道は瞬時に凍りつく。

 流石に受けきることは愚策と考えたか、ハンスは横に跳んで回避。ウィズはハンスの移動先にもう一度『カースド・クリスタルプリズン』を放ったが、再びハンスに避けられる。

 二回とも不発に終わり、氷の波を形成するだけであったが──ハンスの両側を壁で塞ぐことには成功した。

 

「『カースド・ブリザード』!」

 

 ウィズはすかさず魔法を唱え、壁の間に激しい雪風を起こした。左右に避けることができず真正面から受けることとなったハンスは両腕をかざし、吹き荒れる氷の息吹に耐え続ける。

 その間、ウィズはハンスへと接近。彼女の右手には魔力と思われる青白い光が。至近距離で氷結魔法を確実に当て、凍らせる算段だった──が。

 

「ッ!」

 

 腕一本分まで迫った瞬間、ハンスは吹雪を跳ね返すように腕を開くとスライムに変化させ、懐に迫ったウィズを両側から喰わんと襲いかかった。

 歴戦の勘か、ウィズは咄嗟にブレーキをかけて後方に跳んで躱した。僅かでも遅れていたら彼の餌食になっていたであろう。攻撃を避けられたハンスは、悔しそうに舌打ちをする。

 

 デッドリーポイズンスライム──スライムは、カズマの知る世界(ゲーム)では雑魚の中の雑魚として出てくることの多い種族だが、この世界は違った。

 彼等に物理攻撃は通じず、魔法攻撃にも耐性がある。危険度の高い悪食なモンスターであった。中でも強力なのが、現在対峙しているハンスのようなデッドリーポイズンスライム(死の毒を持つ者)だ。

 毒に触れてしまえばそれまで。毒耐性が高い者でない限り、たちまち溶けて喰われてしまう。それは、リッチーであるウィズも例外ではない。

 

「先程の氷魔法さえも耐えきってしまうとは……」

「言っただろ? 悪魔を喰ったおかげで耐性がついたんだ。そんなちっぽけな氷魔法じゃあ、俺の腹を満たすことすら叶わねぇよ」

 

 余程、悪魔を喰らったことで力を得たのだろう。まだまだ余裕だとばかりに、ハンスはウィズへ挑発を見せる。

 苦戦するウィズの姿を見て、後方に控えていたカズマは狼狽する。このまま彼女が押されるようであれば、連携に不安があるもののアクアを投入するべきか。

 

「……フフフッ」

 

 しかし、突如耳に入った女性の声を聞いてカズマの思考が止まった。氷のように冷たく、されど愉快そうな笑い声。

 それがウィズの発したものだと気付いたのは、彼女が魔力を更に高め始めた時だった。

 

「いいですよ。では、ハンスさんもお腹いっぱいになってしまうような、特大の氷魔法を差し上げましょう」

「う、ウィズ? おいウィズ!」

 

 足元に魔法陣が浮かぶ傍ら、ウィズは片手を上げて魔力を集中させる。普段の彼女を知っているが故に、今のウィズは異常だと気付いたカズマは呼びかけたが、彼女の耳には届いていない。

 ハンスが嬉しそうに笑みを浮かべる手前、彼女の魔力が高まるのを表すように風が吹き荒れる。今、彼女が放とうとしている魔法でハンスを仕留められるのなら、止めるべきではないだろうが──このままではマズイと、カズマの勘が訴えていた。

 止めなければ。しかしどうやって。カズマが慌てながらも必死に頭を働かせていた──その時。

 

「『ターンアンデッド』!」

「ひゃあああああああああああっ!?」

 

 アクアの呪文を唱える声が聞こえたと同時に、ウィズの悲鳴がこだました。途端にウィズの周りで吹き荒れていた風はやみ、ウィズの魔力も姿を隠した。

 カズマよりも先にウィズの異常に気付き、行動を起こしたアクアは、ひと仕事終えたように軽く手を払ってウィズに伝える。

 

「安心しなさい。成仏しないよう軽めにかけてあげたから」

「……あ、あれ? 私、どうしてたんでしたっけ……」

「やっぱり、イヤーな瘴気を受け続けた影響でハイになってたのね。目覚ましついでにちょっぴり加護もつけてあげたから、しばらくは大丈夫の筈よ」

「そうだったんですか……すみませんアクア様……」

「ったく、世話の焼けるリッチーなんだから。ダクネスー! ウィズを連れてってくれるー!?」

「あ、あぁ!」

 

 指示を受けたダクネスはウィズに駆け寄り、彼女を背負ってカズマとめぐみんのもとへ戻る。それを確認したアクアはハンスと向き合う。

 

「選手交代よ。こっからは私が相手になってあげるわ」

「んだよ。折角楽しくなってきたってのに水を差しやがって……まぁいい。喰う順番が変わっただけだ」

「スライム如きがこの私を喰おうっての? いいわ。やれるもんならやってみなさい!」

 

 ウィズからアクアへとバトンタッチし、ハンスとの第二試合が始まった。

 

 

*********************************

 

 

「潰れろッ!」

 

 一方、凍りついた露天風呂。バージルと戦っていた悪魔(バエル)は、その巨体からは想像できない高さまで跳び上がると、腹で押し潰さんとばかりにバージルの頭上から落ちてきた。

 これをバージルは素早く跳んで避け、激しい揺れを起こしてバエルが氷上に着地したところを刀で斬りつける。時にはベオウルフに切り替え『流星脚』を、時には『ラウンドトリップ』で背中の両刃剣を飛ばし、隙あらば絶え間ない連撃を与えていった。

 傷を負ったバエルは後方に跳んで距離を空け、背中に付着していた氷を飛ばす。上空から襲いかかる魔の氷弾。しかしバージルは難なく横に回避(サイドロール)した。涼しい顔のバージルを見て、バエルは歯を軋ませる。

 

「小癪な人間が! ちょこまかと鬱陶しい!」

 

 バエルは大きく息を吸い込み、その場で咆哮。と同時に辺りが暗くなり、バエルの姿は暗闇の中へ。代わりに現れたのは、バエルの触覚となっていた青い精霊達(ルサルカ)だった。

 一体の精霊が、形成した剣を片手にバージルへ斬りかかる。一方でバージルの背後に回っていた精霊は両手を広げ、ゆらりとバージルに接近した。

 後方の精霊から冷気を感じ取ったバージルは、前方の精霊による攻撃を刀でいなしつつ後方から迫った精霊を跳び越え、着地して間もなく『疾走居合』で精霊の間を駆け抜け『次元斬』による追い打ちを繰り出した。

 その後もバージルは華麗に立ち回り、精霊達にダメージを与えていく。やがて精霊は逃げるように暗闇の中に消えると、再びバエルが姿を現し、大口を開けてバージルに襲いかかった。

 が、二度目も喰らうことは叶わず。未だバエルはバージルに致命傷どころか、かすり傷すら負わせられずにいた。

 

「ええいっ! 黙って喰われておればいいものを!」

「蛙にしては芸達者だな。体臭に気を遣いさえすれば、愛好家にさぞ気に入られることだろう。俺には理解できんが」

「人間風情が、またワシをカエルと言ったか! 絶対に許さんぞ!」

 

 獲物を捕まえられない苛立ちもあってか、バージルの挑発を受けてバエルの怒りが頂点に達した。つんざく咆哮と共に、バエルの身体が赤く染まる。

 わかりやすい奴だとバージルは内心思いながら、柄に手を添えて出方を待つ。対してバエルは再び息を大きく吸い込み咆哮──と同時に、直線状に伸びる氷の剣山が出現した。

 彼にとっては渾身の一撃。「生意気な人間が調子に乗りおって」と、バエルは今の技でバージルを仕留めたと確信する。

 

 それが勘違いだと気付いたのは──飛び上がるほどの痛みを感じた時だった。

 

「グウゥッ!?」

 

 あまりの痛みにバエルは顔を歪めながらも振り返る。彼が見たのは、殺したと思っていたバージルが刀を抜いている姿と──氷上に転がる、切断された自身の尾だった。

 

「尻尾も取れていない子供のようだったので、手づから斬らせてもらった。土産話にするといい」

「まだ終わっとらんぞ! ワシの兄弟達が仇を──!」

Die(死ね)

 

 バエルの言葉を遮るように、バージルは抜き身の刀で袈裟斬りをする。バージルから放たれた『ソードビーム』は、既にバエルの身体を真っ二つに切断していた。

 息絶えたバエルの身体は瞬時に凍り付き、その場で爆散。砕け散った氷が舞う中、バージルは静かに刀を納めた。

 カエルの悪魔と対峙する羽目になるとはと、バージルはため息を吐く。しかしそこで、彼はバエルの言い掛けていた言葉を思い出す。

 

「待て……兄弟達だと?」

 

 気付けば、バエルが発していた体臭、そして悪魔の臭いが再び蔓延していた。まさかと思い、バージルは周りを見渡す。

 白い吹雪の中から顔を出したのは──触覚としてぶら下がっている精霊が赤い、蛙の悪魔(ダゴン)が一匹、ダゴンが二匹、ダゴンが三匹……いつの間にやら、四匹ものダゴンがバージルを取り囲んでいた。

 悪魔を狩り終えた矢先、再び悪魔に囲まれた。戦闘狂の彼ならば喜ばしいことであっただろう──姿が蛙でさえなければ。

 

「……本当に、最悪の温泉旅行だ」

 

 

*********************************

 

 

「『セイクリッド・クリエイトウォーター』!」

 

 アクアの手のひらから、神聖属性の付与された水鉄砲が飛び出す。その速度は、力を得たハンスでも回避は容易でなかった。

 腕や足などに受け、ハンスは苦痛に顔を歪める。当たった箇所には焼けたような後が残っていた。ハンスは自身の肉体の一部──スライムをアクアと同じように飛ばし、反撃に転じる。

 アクアは華麗に避けていくが、ハンス同様避けきることができず。しかしハンスの予想と反して溶けることはなく、焼け跡が残るだけに終わった。

 

「チィッ! なんで溶けねぇんだテメェは!」

「そんなヒョロい攻撃で私の『女神バリアー』を破れると思ったら大間違いよ!」

「……あっ? 女神?」

「えぇ! 私は、この世界で生きるアクシズ教徒達が崇める水の女神、アクア様! その私が直々にアンタを始末してあげるんだから、光栄に思いなさい!」

「……アクシズ教徒は軒並み馬鹿だが、テメェはとびきりぶっ飛んでるな」

「なんですってぇええええっ!」

 

 互いに言い合いながら、飛び道具主体で攻め続けるアクアとハンス。二人の戦いを、少し離れた場でカズマ達は見守っていた。

 弱ったウィズは岩により掛かるように腰を下ろさせて、傍でダクネスが守っている。今は気を失っており、アクアに止められて以降暴走する様子は見られない。

 あとはアクアがハンスを倒すだけなのだが──。

 

「(アクア……本当に大丈夫なのか?)」

 

 一見、両者拮抗している戦い。しかしカズマは気付いていた。アクアの様子が、いつもと違うことに。

 口だけは達者に動かせているが、アンデッドや悪魔を倒していた時のような勢いを感じられない。また、時折彼女は苦しい表情を浮かべていた。伊達に長い付き合いではない彼だからこそ気付けた違和感。

 もしかしたら彼女は、思うように力を出せていないのでは? だとしたら何故? カズマは辺りを見渡しながら原因を模索する。

 

 戦闘を続けるアクアとハンス。未だ止まぬ吹雪。固唾を呑んで見守るめぐみんとダクネス。そして気を失い、岩に持たれて休んでいるウィズ。

 ウィズの暴走について、アクアは「嫌な瘴気にあてられて」と口にしていた。またウィズは、山に入ってからたちまち元気が出てきたと話していた。気力が回復したのが暴走する前兆だったのであれば、アクアの言う瘴気は山全体に漂っているとみていいだろう。

 瘴気を受け続けた結果、ウィズは暴走。普段の彼女からは想像できないほど好戦的になっていた。丁度、今のハンスのように。

 そしてこの山には悪魔が蔓延っており、悪魔の仕業で吹雪が吹き荒れ始めたと推測されている。もし山に漂う瘴気も悪魔の仕業、悪魔のモノだったとしたら──魔族寄りであるウィズが暴走仕掛けたのも、アクアが本領を発揮できないのも合点がいった。

 

「(ったくアクアの奴、こういう時に限っていらん見栄張りやがって……!)」

 

 恐らく、山に入った時から無茶をしていたのだろう。それを悟られまいと平静を装っていたアクアに、そして気付けなかった自分に苛立ちを覚えてカズマは頭を掻く。

 アクアには負ける気など更々無いだろうが、このままではジリ貧だ。いざ加勢すべく、カズマは矢に手を伸ばす。

 

「……あれ?」

 

 が、抜けない。矢筒から引き抜くことができなかった。一体どういうことだと、カズマは矢筒を降ろして中を確認する。

 矢筒の底──そこには氷が張っており、矢先は全て氷の中だった。しかし自分は矢筒に水を淹れた覚えなど一度もない。考えられる原因があるとすれば──ただ一人。

 

「(なんっであの馬鹿は! いつもいつもいらんことばっかするんだ!)」

 

 アクアには一度、矢に神聖属性を付けてもらっていた。恐らく彼女はそれを経て「なら矢筒の中に私の聖水を入れとけば、手間がかからないじゃない」とでも思ったのだろう。水が凍る心配など一切考えずに。

 きっと彼女に悪気はなく、良かれと思ってやったことなのだろう。しかし結果的にカズマの数少ない武器を奪う結果となってしまった。

 残す武器は盗賊スキルと初級魔法にソードスキルの『ソードビーム』のみ。だが、低レベルな自分の技がウィズやアクアと渡り合っているハンスに効くとは到底思えない。他に何か手立てはないかと、カズマは自分の所持品を探し始める。

 

「……うん? 何だこれ?」

 

 するとカズマは、バッグの中に気になるアイテムを見つけた。覚えのない物かと思ったが、カズマはこのアイテムを手に入れた経緯を、効果を思い出す。

 もし、彼の話を信じるなら──試してみる価値は十分にあった。

 

「めぐみん、ここは頼んだ。あとダクネス、ウィズを前からガードするように守っていてくれ」

「……カズマ?」

 

 カズマは意を決し、二人にこの場を離れることを告げる。急に動き出したカズマを見て二人は不思議に思ったが、程なくして彼女等は気付く。

 強敵相手には決して真っ向から勝負しようとしないカズマが、無策で飛び出すわけがないと。

 

「相手は全てを喰らい、触れた瞬間に毒で死に至るデッドリーポイズンスライムだ。何をするつもりか知らないが、気を付けるんだぞ」

 

 ダクネスは指示通りウィズの前に移動しながら、カズマへ警告する。それを聞いて思わず尻込みしそうになったが、カズマは深呼吸をして歩き出した。

 危険な戦場へと自ら赴くカズマを、めぐみんは杖を強く握り締めながら見送った。

 

 

*********************************

 

 

「いい加減私に倒されなさい!『セイクリッド・クリエイトウォーター』!」

「うおっと!」

 

 アクアの放つ水の弾丸を、ハンスは身体に掠めながらも躱す。未だ、互いに有効打を与えられていない。

 さっさと喰ってしまうつもりだったハンスは、予定を狂わされたことによる苛立ちを覚えながらアクアに向けて手を伸ばす。

 

「テメェこそ……さっさと喰われろ!」

「わっぶ!?」

 

 瞬間、ハンスの腕は槍のように鋭く尖り、アクアを突き刺さんとした。が、アクアは身体を翻してこれも躱す。

 

「ちょっと! 危ないじゃないの! そんな攻撃してくるなんて聞いてないわよ!」

「敵に手の内を明かす奴なんていねぇよ馬鹿が!」

「誰が馬鹿ですってぇっ!?」

 

 少し言い争った後、またしても飛び道具が飛び交う戦闘へ。戦い始めてしばらく経つが、未だ膠着状態だった。

 

「(負ける気はねぇが……このまま消耗戦ってのもマズイな。俺が悪魔を喰った影響か、聖職者(プリースト)らしき青髪女の魔法が結構効きやがる。さっさと喰ってしまいたいとこだが──ッ!?)」

 

 戦いながら思考を巡らす──とその時、アクアの水鉄砲とは違った何かが飛んでくるのを、ハンスは視界の端に捉えた。

 すかさず右手を液状化し、側面から飛んできた物をキャッチ。彼の中に取り込まれた物は、見る見る内に溶けていく──が。

 

「グッ……!?」

 

 そこで、彼の味覚が危険信号を発した。口に含んだ物を吐き出すように、ハンスは吸収しかけた物を外へ出す。

 ほぼ溶けかけていたソレは雪の上に落ち、周りの雪を溶かして地面にへばりつく。その表面に書かれた印を見て、ハンスは目を見開いた。

 

「こ、これは……あのアクシズ教徒共が配っていた……!」

 

 まだ彼が悪魔を喰らう前。アルカンレティアに潜入していた際、アクシズ教徒に絡まれて入信書と共に幾つも渡されたもの。

 アルカンレティア自慢の商品──食べられる洗剤石鹸であった。お土産として旅行客が買っていく人気商品(アクシズ教徒談)だが、どうやら彼の口には合わなかったようだ。

 

「よそ見してんじゃないわよ!」

「うわっぶね!?」

 

 洗剤石鹸に気を取られていた時、そこへアクアが怒り気味に水の弾丸を飛ばしてきた。彼女の声で我に返ったハンスは、危なげながら水弾を避ける。

 再び交戦しながらも、先程の石鹸洗剤について考える。飛んできた方向からして、聖職者が放ったものではない。では誰がと、ハンスは視線を横に向ける。

 目に映ったのは、気を失っているウィズに彼女を守る金髪の女騎士、紅魔族と思われるウィザードの三人。見るからに貧弱そうな茶髪の男が忽然と姿を消していたのが、答えを示していた。

 

「(あのガキか……! よくも俺にあの石鹸を喰わせやがったな! いくら悪食の俺でも食えねぇモンはあんだぞ!)」

 

 洗剤石鹸を投げつけたであろう男に、ハンスは憤りを覚える。今すぐ喰ってやろうと男の気配を探ったが──見つからない。

 どういうことだと疑問に思ったが、思考を遮るようにアクアの攻撃が飛んできた。ハンスは再びアクアと交戦する──が、ハンスの後頭部にコツンと何かが当たり注意を逸らされた。

 当たった物は、またも忌まわしきアクシズ教印の洗剤石鹸。ハンスは男の気配を探るも、やはり見つからず。イラつきながらアクアに向き直ると、しばし間を置いて洗剤石鹸が再び後頭部に当たった。

 相手の男は、洗剤石鹸を投げつけては隠れ、投げては隠れを繰り返している。これを受けながら、ハンスがまともに戦える筈もなかった。

 

「(陰からネチネチネチネチ洗剤石鹸洗剤石鹸! あぁイライラする! さっさと姿を現しやがれ!)」

 

 アクアと戦ってはいるが、コソコソと攻撃を仕掛けてくる男ばかりに意識を向けていた。お陰で被弾することも多くなり、ますます彼のフラストレーションが高まっていく。

 少しでも気配を見せたら即刻喰い殺してやると意気込むハンス。とその時──彼の思いが聞き入れられたかのように、願ってやまなかった卑怯者の気配を感じ取った。

 

「そこかクソガキィ!」

 

 ハンスは怒りと喜びが入り混じった笑みを浮かべると、男を喰らわんと右手を液状化させ、気配を感じた背面方向へ駆け出した。

 その先にいたのは、予想通りあの場から姿を消していたひ弱そうな冒険者の男。彼はハンスと向かい合っており──高く掲げられた右手には、謎の水晶が握られていた。

 アクアが放ってきた水弾のように、清らかな水が入った物。それが何なのかハンスには理解できなかった。しかし本能が、危険信号を大ボリュームで知らせていた。

 ハンスはすかさずブレーキをかけ、後方に跳ぼうと足を踏ん張る。それとほぼ同じタイミングで、冒険者の男も行動を起こした。

 

「うぉおおおおおらっしゃあああああああああっ!」

 

 男は右腕を振り下ろし、握っていた水晶を地面に叩きつけた。衝撃に耐えられず、ガラスにヒビが入り水晶が砕け散る──瞬間、砕けた水晶を中心に眩い光が放たれた。

 避けられないと見たハンスは両腕で防御する。光は瞬く間に広がり、冒険者の男は勿論のこと、後方に跳んでいたハンスすらも飲み込んだ。

 

 

*********************************

 

 

「カズマ! 大丈夫ですか!」

 

 カズマがその場で尻餅をつく傍ら、待機していためぐみんが彼のもとへ駆け寄ってきた。カズマは大きく息を吐きながら、めぐみんに言葉を返す。

 

「あっぶねー、タイミングギリギリだった……そして丁度良いところにきてくれた。迫ってきたハンスがあまりにも怖過ぎて、腰抜けて立てなくなったから手を貸してくださいめぐみんさん」

「どうして最後だけ締まらないのですか! 全くもう……」

 

 めぐみんに手を貸され、普段とは逆になったと思いながらもカズマは立ち上がる。前方を確認すると、ハンスの姿はどこにも見当たらなかった。ようやく足に力が入ったカズマは安堵するように息を吐く。

 彼が唯一ハンスにダメージを与えられる可能性のあった武器──アクセルの街を発つ前に寄ったウィズ魔道具店で、バニルから買い取った退魔の水(ホーリーウォーター)。バニル曰く、強力な悪魔相手でも大ダメージを期待できる。これを至近距離で当てれば、悪魔を喰って力を得たハンスを、あわよくば倒せるのではないだろうか。

 そう考えたカズマは、まず『潜伏』でハンスにある程度接近。そしてアクシズ教徒から嫌というほど貰った洗剤石鹸を『狙撃』で投げつけ、注意を引きつけた(ヘイトを稼いだ)。ある程度繰り返したところで『潜伏』を解除。

 飛び道具を放たれたら危なかったが、思惑通りハンスは怒りのままに距離を詰めてきた。そこで聖水を解き放った結果──どうやら上手くいったようだ。

 魔王軍幹部であり、悪魔を喰らっていたデッドリーポイズンスライム。さぞ経験値を貰えただろうと期待し、カズマは冒険者カードを取り出してレベルを確認する。

 

「……あれ?」

 

 が、記載されているレベルは19。下級悪魔を倒した時から変わっていない。また、モンスターの一覧にハンスの名前は記されていなかった。それが何を意味するのか。

 

「ウッソだろ……!?」

 

 カズマは慌てて顔を上げる。次の瞬間、けたたましい咆哮と共に闇が広がった。瞬く間にカズマ達を包み込み、彼等の視界は何も見えない漆黒の世界に支配された。

 何も見えなくなったのは自分だけではないようで、隣にいためぐみんが服を強く握ってきている。不測の事態にカズマも焦ったが『暗視』のスキルを使って辺りを確認する。

 

 そして──前方から徐々に近寄ってきていたハンスの姿を見た。半壊していた彼の身体にスライムが集まり、瞬く間に再生する。彼の目は、真正面に立つカズマをしかと捉えていた。

 恐怖で震え上がったカズマは、めぐみんの手を引いて後ろへ駆け出す。だが、ここに来て運に見放されてしまったのか。その先に待っていたのは崖だった。

 崖際で足を止め、カズマは振り返る。ハンスは着々と接近している。とにかく逃げるしかないと、カズマは『潜伏』を使い、右へ走り出そうとする──が、彼の行動を遮るようにハンスの腕が伸びてきた。

 

「ヒィッ!?」

 

 ほんの少し前に出ていれば餌食になっていたであろう。間一髪で無事だったカズマは、再びハンスを見る。

 『潜伏』は、あくまで気配を最大限に消せるスキル。決して透明人間になれるわけではない。故に、相手がこちらに気付いていないか視線を外した時に使わないと効果は薄い。相手の眼前で使ったのなら、余程の馬鹿でない限り意味をなさないだろう。

 唯一の逃走手段も使えない。どうやって脱出すべきかとカズマは頭を働かせる──とその時。

 

「私を無視してんじゃないわよぉおおおおおおおおっ!」

 

 ハンスの後方から、アクアが拳を握り締めて襲いかかった。以前アクアと二人でダンジョンに潜った際、彼女も暗闇の中を見ることができていた。故にハンスの位置を突き止められたのだろう──だが。

 

「邪魔だ」

「もがっ……!?」

「アクアッ!?」

 

 アクアの攻撃が届く直前に足元から紫色のスライムが広がり、人食い花のように彼女を飲み込んだ。囚われたアクアはスライムの中でもがき苦しむ。アクアを見もせずに対処したハンスは、決してカズマから視線を逸らさず近付いてくる。

 希望に見えたアクアの助太刀も、失敗に終わってしまった。恐らくウィズもまだ気を失っている。そしてこの暗闇では、ダクネスの助けも期待できないだろう。

 

「か、カズマ! 今どうなっているんですか!?」

「最悪の状況だ! 倒したと思ったらまだ生きてたハンスがジリジリ迫ってきてるし、後ろは崖! アクアは捕まって身動きが取れないし『潜伏』も使えない! どうあがいても無理ゲーだ!」

 

 『暗視』で状況を確認できているカズマとは違い、めぐみんには音しか伝わらず何が起こっているのか理解できていない。安心させるニュースの一つでも聞かせてあげたいが、現実は非情なり。カズマは絶体絶命の現状をめぐみんに伝えた。

 不安を表すかのように、彼女の服を掴む力が更に増す。しかしめぐみんは、暗闇の中でのハッキリと映る紅い目を輝かせ、震えながらも力強さを感じられる声でカズマに応えた。

 

「私は構いませんよ……カズマ」

 

 めぐみんは顔を上げる。偶然にもカズマと顔が合い、彼は思わず見入ってしまう。その傍ら、ハンスはじわりじわりと近付いてきている。

 ほんの1%でも生き残れる可能性があるのなら──ただ死を待つよりはマシだ。めぐみんの真意を汲み取ったカズマは、彼女を抱き寄せ──。

 

「さらばだぁああああああああ!」

 

 彼女と共に──崖から飛び降りた。動き出したカズマを見てハンスはすかさず腕を伸ばしたが、一歩届かず。スライムの手から逃れたカズマは、地面に背中を向け落下していく。

 やがて、辺りを覆っていた暗闇が晴れると──彼等に迫っていたハンスが、二人の落ちていった崖を見下ろしていた。

 

「俺に喰われるよりはってことか。つくづく気に入らねぇガキだ……まぁいい」

 

 カズマへ報復することが叶わなかったハンス。しかしすぐに切り替えるように崖から目を背けると、未だスライムに覆われているアクアを見た。

 

「さて……楽しいディナータイムだ」

 

 スパイスの効いた上質な味を期待し、アクアを捕らえているスライムを回収すべくハンスは足を進める。

 

「うぉおおおおおおおおおおおおっ!」

「……あん?」

 

 その時、遠くから女の雄叫びが。何事かと思いハンスは顔を向ける。声を上げながらやってきたのは──ウィズの傍にいた女騎士、ダクネス。

 ダクネスは囚われたアクアの元に駆け寄ると、迷いすら見せず手を伸ばし、スライムの中に両腕を突っ込んだ。分離されてはいるが、あくまでハンスの身体の一部。当然、彼女にも猛毒が襲いかかった。

 

「っ……づぅ……!」

「正気か? 人間如きが俺の毒液に触れたら、たちまち溶けちまうぜ?」

「な、なんという熱さだ……このまま突っ込んでいたい気持ち良さだが、今はアクアを助けるのが最優先だ!」

「おい待て。今お前何つった?」

「ぬぉおおおおおおおおおおおおっ!」

 

 ハンスも耳を疑う発言をしたダクネスは、中にいたアクアを掴み、勢いのままにスライムの中から引っ張り出した。

 身体にスライムがこびりついていたが、それもダクネスが払い取り、何故か自分についているスライムは取ろうとせずアクアの安否を確かめる。

 

「アクア! 大丈夫か!?」

「うぇえええ……熱くてドロドロしてて気持ち悪い……助けてくれてありがとダクネス……正直言って私だけでも脱出できたけど」

「んなっ!?」

 

 アクアの発言にダクネスがショックを受け、しばし落ち込んだが……ふとこの場にカズマとめぐみんの姿が見えないことに気付く。

 

「カズマとめぐみんはどこにいった!? まさか貴様が──!」

「ちげぇよ。確かに喰おうとしたが、すんでのところで後ろの崖から飛び降りて逃げられた。あの高さなら死んでるだろうぜ」

「なっ──!」

 

 ハンスの無慈悲な言葉を受け、ダクネスは驚きと悲しみに見舞われる。だが、そんな彼女を安心させるかのようにアクアは立ち上がりながら切り出した。

 

「カズマが落ちる瞬間は私も見たわ。でもねダクネス。あのヘタレが何の考えも無しに崖ダイブできる勇気を持ってるとは思えないの。きっと安全に着地できる算段があるから、あんなかっこつけて飛び降りたんじゃないかしら」

「……確かに、肝心なところでヘタれてしまうあの男にその度胸はなさそうだが、もし本当に二人とも死んでいたら──!」

「その時は、私が二人まとめて生き返らせてあげるだけよ。それより……よくもこの私を汚してくれたわね!」

 

 カズマとめぐみんが犠牲になってしまったからか、自分をコケにしたからか。怒りの宿った瞳をハンスに向け、アクアは高らかに宣言した。

 

「ここからが本番よ! 覚悟しなさい!」

 




長くなったので後半に続きます。

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