――今からおよそ2千年前。
人間界の平和は、魔界の進攻によって砕かれた。戦いが日常と化している混沌の世界で戦い続けてきた悪魔達に、平和な世界で暮らしてきた人間が勝てる筈もなく、為すすべもなく人間達は殺され続ける。
もはや魔界の勝利は決定的と思われた時……1人の悪魔が正義に目覚め、魔界の軍勢に立ち向かった。
彼の名は、スパーダ――伝説の魔剣士。
彼は、たった1人で悪魔達に立ち向かい、圧倒的な力で彼らをねじ伏せた。そして、魔界の軍勢を率いていた魔界の王――魔帝ムンドゥスを封印し、人間界に勝利をもたらす。
その後、彼は人間界に残り、人間達の平和な世界を見守り続けた。その中で、彼と、彼が愛した女性――エヴァの間に2人の子供が生まれる。
1人はダンテ――1人はバージルと名付けられた。
平和な人間界で、幸せな家庭を築いていくスパーダ。だがしかし、彼は突如として家族の前から姿を消す。
母のエヴァと双子は、再び家族4人で食卓を囲む日を待ち望む。
――しかし、その日が来ることはなかった。
突如、彼らのもとに魔帝が差し向けた悪魔が現れ、襲撃を受ける。双子を逃がそうとする最中、エヴァが悪魔によって殺害された。
なんとかダンテを逃がし、悪魔との戦いを終えた後、殺された母の亡骸を見て、バージルは心に誓う。
――悪魔の――スパーダの力を得ることを。
そしてバージルは、悪魔として生きる道を選んだ。邪魔をする者は、誰であろうと容赦はしない。悪魔だろうと、人間だろうと、子供だろうと、女だろうと、協力者だろうと。
――たとえ、血を分けた兄弟であろうとも。
バージルは力を得るために。ダンテは兄を止めるために。スパーダの血を受け継いだ2人は剣を交えた。
家族として生きていた、あの頃の兄弟喧嘩とは違う。己の全てを賭けた魂の戦い。
人間界のみならず魔界をも揺らした2人の戦い。3度の死闘を経て、その戦いは終わりを告げる。
勝ったのは、誇り高き魂を受け継いだ者――ダンテだった。
彼に敗れ、魔界に取り残されたバージルは、その奥底で対面する。
魔界の王――魔帝ムンドゥスと。
彼は魔帝に立ち向かったが、魔帝を討つために必要な魔剣スパーダがない上に、ダンテとの戦いで傷を負っている。そんな彼に、勝機など存在しなかった。
数多の悪魔を切り伏せてきた閻魔刀さえも折られ、バージルは魔帝に殺される結果となった。
しかし、魔帝は死亡したバージルを消滅させなかった。惜しい力だと考えた魔帝は、まるでスパーダを侮辱するかのように、彼を操り改造し、新たな悪魔として迎え入れた。
漆黒の鎧を身に纏い、巨大な剣を振るう悪魔騎士――ネロ・アンジェロとして。
あの世へ行くことも許されず魂を囚われ、魔帝の駒となってしまった彼は、数年の時を経て、マレット島と呼ばれる場所で再びダンテと剣を交えることとなる。
過去にバージルを倒した時よりも成長したダンテと、互角の戦いを繰り広げるバージル。3度の死闘を経て、遂に決着が訪れる。
――バージルは再び、ダンテに敗北した。
バージルが断末魔を叫ぶと共に、彼の肉体が消滅していく。残されたのは、彼が肌身離さず持っていた金色のアミュレット。
――そして、彼の魂はこの世から完全に消え去った。
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「……その後、俺は女神に導かれ、この世界に来た」
どれだけの時間、話していただろうか。この世界には時計という物がないから時間を確認できないが、優に1時間は経っただろう。
それほどまでに長く、そして濃密されたバージルの物語。話し終えた彼は、フゥと息を吐く。
彼の前に立っていた女神エリスは、終始優しく微笑んだまま、黙ってバージルの話を聞いていた。
――何が目的で、生前の話など聞いてきたのか。
大方、地獄送りにするか否かの判断材料として聞いたのだろうと、バージルは推測する。
そして彼の口から出たのは、とても良き働きをしたとは言えない、大罪人の物語。そもそもこの世界に来る前に、タナリスから地獄行きだと伝えられていた。
きっとこの女は、今にも女神の力を使って自分を地獄に強制連行するだろう。
そう思っていた彼は、いつ攻撃されてもいいように、ずっと刀を握っていたのだが……。
「(……地獄……か)」
それも一興か――と、バージルは刀を握る力を弱めた。
この世界には、魔界の連中のような歯ごたえのある敵は数少ない。それならば、悪魔どもがひしめき合っている地獄の方が楽しめるだろう。
まだ見ぬ魔王や特別指定モンスター、魔王軍幹部を狩れないことと、新しく手にした刀を手放すのは惜しいが、仕方のないことだ。
途中、ふとカズマ、アクア、めぐみん、ダクネス、そしてクリスの顔が浮かび上がったが……奴等など知ったことかと、バージルは自分に言い聞かせる。
地獄に行く覚悟は決めた。やるならさっさと送ってくれと思いつつ、エリスを睨む。
すると、バージルと目を合わせていたエリスは、ゆっくりと目を伏せ――。
「……よかった」
「……?」
両手を胸に当て、安堵するかのように息を吐き、そう呟いた。
何故彼女は安心したのか。今の話を聞いて出た感想が「よかった」とはどういうことなのか。
彼女の言動を不思議に思っていると、エリスは伏せた目を開き、バージルを真っ直ぐ見つめて言葉を続けた。
「やっぱりバージルさんは……人を求めていたんですね」
「……何だと?」
それは、予想だにしていなかった言葉。
エリスの言葉を聞いてバージルは眉を潜めるが、彼女は構わず話を進める。
「この世界に来る前、貴方は悪魔として生き続けた……しかしダンテさんとの戦いを通じて……悪魔として生き続けた果てに、人間を知ったのではないですか?」
「……」
「本来なら、そこで貴方は地獄へ行く筈だった……しかし、タナリス先輩によって思わぬチャンスが訪れた。この世界で、ダンテさんが得た人間の力を知り、手に取ることができるチャンスを……本心ではそう思っているのに、悪魔として生きた自分がそれを許さない……それが、今のバージルさんなんですね」
「……
自分を看破したつもりでいるエリスに、バージルは冷たい声で言葉を返す。
彼が最も嫌っていること。それは、自分が人間だと言われることだ。
人間は脆弱な生き物だ。1人では自分の身を守れる力さえ持たないにも関わらず、誰かを守るなどと豪語する、身の程知らずで愚かな生き物。
だから自分は強さを求めるために、弱さを――人間を捨てた。
なのにこの女は、自分が人間の力を求めているなどと、馬鹿げたことを言ってきたのだ。
これ以上自分を侮辱するつもりならば、今すぐ刀を抜いて彼女の首を斬り落とすまで。
――そう、思っていたのに。
「ならどうして、貴方は父の剣ではなく、母のアミュレットを選んだのですか?」
「……ッ!」
エリスが放った言葉に、バージルは初めて動揺を見せた。
彼女が言っていることは他でもない。あの時、初めてダンテに負けた時――父の剣『フォースエッジ』を捨て、母のアミュレットを選んだ、魔界の底に落ちる前のこと。
しかし、そのことをバージルは話していない、彼女が知っている筈のないことだった。
「貴様……何故それを……」
「すみません……勝手ながらここへ来る前に、貴方の記憶をタナリス先輩から見させてもらいました」
「……チッ」
どうしてそのことを知っていたのか。その理由を聞き、余計なことをしてくれたタナリスを恨むように、バージルは舌打ちをする。
「それにバージルさん、ダンテさんが自分を倒したことを話す時……憎たらしそうに話してましたが、どこか少し……嬉しそうでした」
そう話し、エリスはクスリと笑う。
何故自分の記憶を知っていながら、生前の話を聞いてきたのか、彼女の言葉を聞いてその疑問が晴れた。
彼女は、バージルの話を聞いていたのではない。話す時に見える、彼の心を見ていたのだ。
笑顔で見つめてくるエリスを見て、バージルは黙って彼女から目を逸らす。
「そして、バージルさんは話しませんでしたが……あの世界から去る直前、笑っていましたよね? 父のように、悪魔と人間の力を持ったダンテさんを見て……」
「……」
エリスにそう問われたが、バージルは口を開かない。肯定もしなければ、否定もしない。
「ダンテさんと何が違うのか。どうしてダンテさんは強かったのか……もう、わかっているんじゃないですか? だから、人間に歩み寄ろうと……」
「戯言を。俺が人間に歩み寄るなど――」
「ならどうして、私達を斬ろうとしないんですか?」
「……ッ」
否定しようとすれば、エリスは矛盾を突いてくる。
まるで、バージルの全てを見透かしているかのように。
「どうして、人間を斬ろうとしないんですか? どうして、私達と一緒にいてくれるんですか?」
「……貴様等が、まだ利用価値のある人間だからだ。不必要になればいつでも斬り捨てる」
エリスの問いかけに、バージルは少し間を置いて答える。彼女から目を背けたまま。
バージルの返答を聞いたエリスは、小さくため息を吐くと、もう一度問いかけた。
「では何故、デュラハンに悪魔だと……貴方は寂しそうな顔で答えたんですか?」
「……ッ!」
それは、バージルがベルディアと戦った後、ベルディアが死ぬ間際に問いかけてきた時のこと。
彼の問いに、バージルは少し間を置いて答えていた。まるで、迷いを見せるかのように。
「迷って……いるんじゃないですか? 本心と、悪魔として生き続けた自分……どちらを選ぶか……」
「……俺は……迷ってなどいない。俺はこれからも悪魔として生き続ける。人間の力など……」
「なら、どうしてあの剣士の力を見て、刀を納めてくれたんですか?」
「……ッ」
バージルは、どこか歯切れが悪そうに答える。するとエリスは、畳み掛けるようにすかさず次の質問をぶつけてきた。
あの剣士――ミツルギの最後の意地。人間の力を見たバージルは、満足そうに笑って刀を納めた。それどころか、彼を含む3人の傷を治してくれた。
「彼の話をした時……最後のは良かったと、少し嬉しそうに言ってました」
「……黙れ……」
「バージルさんは、自分に正直になれていないだけなんです。だから――」
「黙れッ!」
ガタリと、バージルは椅子から立ち上がる。勢いで椅子が後ろに倒れたことなど気にも止めず、バージルは机を迂回してエリスの前に立つ。
「これ以上、俺を侮辱するつもりならば……斬る……」
今まで見たことのない――殺意を剥き出しにした目を見せて。
バージルは右手で刀の柄を持ち、鞘からキラリと光る刀身を見せる。彼の神速を越える抜刀術には、悪魔だろうと天使だろうとついてくることはできない。
しかし、エリスは怯えるわけでもなければ警戒するわけでもなく、ただただバージルを優しく見つめている。
そして、両手を胸に当てると――慈愛に満ちた微笑みを見せ、口を開いた。
「……素直に……なりましょう?」
「――」
――気付けば、バージルは刀を抜いていた。
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――誰もが寝静まっているであろう夜。街の外からは一切の物音が聞こえない。
その街の中にある、静けさが立ちこむ1つの家。2階の窓から月の光が差込み、1階の床を照らしている。
光の中心に立つのは、神秘な雰囲気を纏う、月の光に包まれ微笑む女神――エリス。
それとは対照的に、月の光が届かない暗闇に立っている男。
「……グッ……!」
抜いた刀を、エリスの首元ギリギリで止めていた――バージル。
否、止めているのではない――動かせないのだ。
「(何故だ……何故斬れない……!?)」
バージルは必死に刀を持っている手と腕に力を込めているが、刀はピクリとも動かない。
エリスが女神の力を使っているわけではない。彼女は一切魔力を使わず、その場に突っ立っている。
まるで――ここから先に踏み込めば、もう二度と帰ることはできないと、目に見えぬ誰かが警告しているかのように。
ダンテに負ける前の彼ならば、容易く彼女の首を撥ねることができただろう。
しかし、彼には――ダンテが持つ人間の力を見、相対したことで迷いが生じている今の彼には、斬れなかった。
――かつての母と同じ笑顔を見せるエリスを、斬ることはできなかった。
「……ッ」
しばらくして、バージルは刀をエリスのもとから離すと、左手に握っていた鞘の中に納める。
それを見たエリスは、まるでバージルが最初からそうするとわかっていたかのように、ニコリと笑った。
気に食わん女だと思いつつも、バージルは刀を持ったまま、机に腰掛けるようにもたれる。
――ここまで真正面から、自分と向かい合ってきた女は、母、フォルトゥナで出会った女に続いて3人目だ。
だからだろうか、それとも彼女が女神だからなのか。もう隠すことができないと思ったからだろうか。
それとも――今を逃せば、もう二度と機会は訪れないと感じたからなのか。
バージルは――あの日からずっと隠してきた本心を、エリスに打ち明けた。
「……俺の記憶を見たのならば、知っているだろう。俺が何度、ダンテと剣を交えたか」
バージルの言葉を聞き、エリスは静かにコクリと頷く。
「……最初に奴と戦った時は、何もかも俺の方が上だった。奴が悪魔の力を開放した後でも、それは変わらなかった……しかし、最後の戦いだけは別だった」
バージルは、自分の右横腹に手を置く。
魔界のどこか――激流が流れる鍾乳洞のような場所。あの戦いは……あの時のダンテの力は、今でも脳裏に焼き付いている。
「奴は、遥かに強くなっていた。いくら奴が悪魔の力をコントロールしようとも、たった半日であそこまで力の差を埋めるなどありえない。しかし、俺が悪魔の力を使い、全力でぶつかろうとも……奴は、俺を超えてきた」
ダンテとバージル――スパーダの力を受け継いだ2人の力、センス、成長速度……どれもが同じだった。
唯一違ったのは性格。バージルは真面目に鍛錬に励み、ダンテは時々サボろうと父親から隠れていた。
そこで生まれた力の差は、お互いに成長した頃も変わらなかった。バージルが悪魔として力を身につけていたのもあるだろうが、塔の上で戦った時――塔の地下で戦った時、確かにバージルの方が力は上だった。
ならば何故、ダンテは最後にバージルを超えることができたのか?
「この世界に来てから、俺は何度も考えていた……何故、奴はあれほどまでに強くなったのか……しかし、辿り着く答えはいつも同じだった」
その答えはただ1つ。
バージルは捨て――ダンテは受け継いだ物。
「奴は、俺にはない力を得ていた。かつて俺が捨てた力……人間の力を。くだらない力だと思っていた……人間の力など、悪魔の力と比べれば脆弱で価値のない物だと……だが俺は、そのくだらない力に負けたのだ」
ダンテとバージルは、悪魔であるが人間でもある。その人間の部分をダンテは切り捨てず、受け継いだのだ。
弱くて脆い人間の力――しかしそれは、かつて魔界の軍勢と1人で立ち向かい、魔帝を封印することができたスパーダが、人間界で得た力そのものだった。
「本来ならばそこで、俺の生は終わりを迎えていた。しかし、あの女の気まぐれで、俺は再び生を受けた。記憶と身体をそのままにな」
だが、それを知った時にはもう彼は死んでいた。魔帝に殺され、操られ、そして成長したダンテによって魂が解放され、地獄へと行く筈だった。
なのに、彼は女神タナリスによって、もう一度生きるチャンスを与えられた。憎たらしくも、記憶も身体も引き継いだ状態で。
「その時から俺は考え、迷っていた……人の力とは何か? 何故ダンテは得られた? ……そう考える内に、心のどこかで人間の力を求めていたのだろう」
ダンテは人間の力を受け継ぎ、自分を超える程に強くなった。スパーダも、人間の力を持っていたからこそ魔帝を封印できた。
ならば自分も、人間の力を得れば強くなれるのだろうかと、人間の力に気付いた彼は迷っていた。
だが――。
「しかし……悪魔として生きてきた俺が、それを認めなかった。許さなかった。今更人間を求めるなど……おこがましいにも程があるとな」
自分は悪魔として生き、多くの人間を殺してきた。何人殺したか数えるのも億劫になるほどだ。
そんな自分が、別の世界で心機一転して人間の力を求めて生きるなど、できるわけがない。許される筈がないのだ。
バージルが初めて語った本心。それを親身に聞いていたエリスは目を伏せ、口を開く。
「……確かに、バージルさんは生前、あまりにも多くの人を殺め、混沌に陥れようとしました……その罪は、決して許されるものではありません」
「……」
エリスの言葉を聞き、そうだろうなとバージルは心の中で呟く。
この罪を償う方法は1つ――地獄へ行き、贖罪を受けるしかない。
「だから――女神としてこの私が、貴方に罰を与えたいと思います」
「……何っ?」
その筈なのに、エリスは伏せていた目を開けると、自ら罰を与えるとバージルに宣言した。
地獄へ行くものかと思っていたバージルは、内心少し驚きながらもエリスに尋ねる。
そしてエリスは、降ろしていた両手を再び胸に当て、優しい声でバージルに告げた。
「この世界の冒険者として生き……その力を、人のために使ってください。決して、自分のためだけに使おうとしないでください……それが、この世界で一生受けていく罰です」
――生きて、と。
「嫌だ、なんて言わせませんよ。これは私が女神として、大罪人である貴方に課した、れっきとした罰なんですから」
願いのように聞こえる罰を告げた彼女は、バージルに近寄りながら言葉を続ける。
「けど……今すぐに、とは言いません。少しずつでいい……この世界の人間達に、歩み寄ってください。大丈夫、バージルさんならできますよ」
エリスはバージルの右手を両手で持つと、彼の手のひらを上に向かせ、包み込むように自分の手を置く。
「自分の歩んでいる道が間違いだったと気付き、正すことができるのは、人間の素晴らしいところです。そしてバージルさんは今、間違いに気付き、正そうとしている」
バージルの手を包んだまま、エリスは母親のように優しく語りかける。
「――『
彼女がそう呟いた途端、2人の手の間から白い光が漏れた。
手のひらからは暖かい感触を覚え、バージルでさえも少し心地よさを感じるほどだ。
しばらくして光が収まると、エリスはスッと手を離す。
「そして、悪魔でありながら人でもあるバージルさんにしかできないことを……道を歩んでいけると……私は信じています」
バージルの手のひらに――蒼い宝石と、それを包むような銀色の天使の羽で装飾された――アミュレットを置いて。
そのアミュレットには、微かに女神の――目の前にいる、女神エリスの力が宿っていた。
女神からのささやかなプレゼント――いや、贖罪者の印とも言うべきだろうか。
それを渡したエリスは照れくさそうに頬を染め、ニコリと笑っている。
この世界で生きる――罰を受けるべきか否か。もっとも、大罪人であるバージルに選択権などなかったのだが。
エリスに罰を言い渡された時、彼は心のどこかで――ホッとしてしまった。その時点で、答えはもう決まっていた。
「……女神であるにも関わらず、大罪人を現世に残し、更には罰と称して悪魔へ祝福を送るとは……」
エリスから受け取ったアミュレットに視線を落としつつ、バージルは呆れるように呟き――。
「……愚かな女だ」
魔剣スパーダを手にしたダンテを見たときのように――笑った。
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――夜の街を照らしていた月は姿を隠し、日はまた昇る。
山の向こうから顔を出した太陽がアクセルの街を照らし、そこで暮らしている人々が次々と目を覚ます中――。
「……ムッ……」
この男――バージルも目を覚ました。
バージルはベッドから起き上がると、傍にかけてあった青いコートを手に取り、階段を降りていく。
昨日の夜――話を終えたエリスは、クリスの姿になって家を出た。やましいことなんて何一つしていない。もっとも、この男はその気など全くなかったのだが。
バージルは青コートに袖を通しながら1階へ降りる。
いつもと変わらない朝――しかし、ここまで清々しい朝は、この世界に来てから……いや、以前の世界も含めて初めてだった。
――とその時、扉を軽く叩く音がバージルの耳に入る。
「……?」
こんな朝早くに来客とは珍しい。クリスだろうかと思いながら、バージルは扉に向かって歩く。
そして扉を押し開け、ノックをしてきた来客を見た。
青と黄色の装飾の鎧を身にまとい、腰元に1本の剣を付けた茶髪の男。
「……貴様は……」
「昨日ぶりです、バージルさん」
昨日、バージルが叩き直してやったソードマスター、御剣響夜だった。
彼の後方10メートル先では、何やら怯えた表情でバージルを見ているミツルギの取り巻き2人が待機している。
一方は刺し殺しかけられ、一方は締め殺しかけられたのだ。バージルにトラウマを持っていても無理はないだろう。
「これ、落し物ですよ」
しかし、同じく殺されかけた筈のミツルギは、決して怯える様子を見せず、懐から3つの空き瓶を取り出してバージルに見せてきた。
それは、バージルが3人を回復させるために使った、回復の粉が入っていた瓶。これを返すためだけにわざわざ来たのだろうか。
「そんな物は知らん」
「そうですか……なら、僕達が預かっておきますね」
バージルの返答を聞いたミツルギは、わかっているかのようにイケメンスマイルを見せて、瓶を再び懐にしまう。
用はそれだけかと思い、バージルが扉を閉めようとした時――ミツルギは、バージルに頭を下げてきた。
「バージルさん、ありがとうございました」
頭を下げたまま、ミツルギはバージルに礼を告げる。
「バージルさんと戦ったお陰で、いかに自分が魔剣に頼っていたかを思い知りました……まともに戦える力も無しに、仲間を守るだなんて言い張って……身の程を知れって話ですよね」
頭を上げたミツルギは、あの時の自分がいかに無力であったかを、自分に言い聞かせるように話す。
……もっとも、あの戦いは相手が悪すぎたとしか言えないのだが……。
そんなミツルギを見たバージルは、扉を閉めようとした手を止め、黙って彼の話を聞き続ける。
「なので、今日からまた……この街から、3人で旅をやり直そうと思っているんです。武器も防具も見直して……本音を言えばレベル1からやり直したいんですけど、レベルドレインなんてスキル持ってる味方キャラなんて、この街にはいないでしょうし」
再び駆け出し冒険者からやり直すと、バージルの前でミツルギは宣言する。
そう話した彼の顔は、以前見た時とはまるで別人になっており、どこか清々しさを覚えた。
「後ろの2人にはこれから話すところで……まずはバージルさんに話したいと思って、街の人にバージルさんの家を聞き、伺わせてもらいました」
「……そうか」
「……改めてバージルさん、本当にありがとうございました。またいつかお会いしましょう」
ミツルギは再び頭を下げると、別れの言葉を告げてバージルに背を向ける。
そして、ミツルギが後方で待機していた仲間のもとへ行こうと歩き出し――。
「待て」
「……はい?」
バージルは短く言葉を発し、ミツルギを呼び止めた。
呼び止められるとは思っていなかったのか、ミツルギはどうしたのかと疑問に思いつつ後ろを振り返る。
彼が足を止めたのを見たバージルは、ミツルギから背を向けて家の中に入っていった。ミツルギは首を傾げながらもその場で待つ。
しばし待っていると、再びバージルが家の中から出てきた。
両手に、浅葱色の大剣――魔剣ベルディアを持って。
「……この魔剣を貴様にやる」
「えっ!?」
まさかのプレゼントを目の当たりにし、ミツルギは目を見開いて驚いた。
バージルが持ってきたのは、昨日の夜、戦っていた時も彼が背負っていたもの。
しかし、まさか自分が持っていた物と同じ、魔剣と呼ばれる物だとは思っていなかった。
「えっ……い……いいんですか!? いやでも、僕は魔剣に頼らない力を身に付けると誓って――」
「いいからさっさと受け取れ」
「は、はいぃっ!」
これを受け取るべきか否か。バージルの前で葛藤していたミツルギだったが、脅すように黙って取れとバージルに言われ、すぐさま受け取ることにした。
太陽の光が反射してキラリと光る魔剣を見て、ミツルギはゴクリと息を呑む。そして、ゆっくりと魔剣に手を伸ばし――。
「――渡す前に言っておく」
「……?」
魔剣が手に触れる直前、バージルが忠告を促すように言ってきた。
ミツルギは魔剣を取ろうとした手を止め、バージルの言葉を聞く。
「この魔剣には、魂が宿っている。それも厄介な魂がな」
「魂……ですか?」
「奴は、真の強者しか認めない男だ。この剣を扱う者が奴の気に入らない者であれば、魔剣は一切力を貸さん。それどころか、逆に魔剣を扱う者の意思を乗っ取り、身体を支配しようとするだろう」
「うっ……」
バージルの話を聞いて、ミツルギは思わず伸ばした手を引っ込めそうになってしまう。
目の前にあるのは、使用者の意思を取り込み、肉体を奪ってくるという、謂わば呪いの剣だとバージルは言う。
こんな自分が、本当にそんな魔剣を扱えるのだろうか。
――だが、そんなミツルギを激励するように、バージルは言った。
「決して、魔剣の力に溺れるな。己が力に変えろ。力を支配しろ。その時にこそ、この魔剣は力を貸すだろう」
「……ッ!」
魔剣を扱える力がなければ、強くなればいい。魔剣が身体を奪おうとするなら、抗い、逆に乗っ取ればいい。
全ては、大切な仲間を守るために――。
ミツルギは意を決し、魔剣の柄を握る――瞬間、ミツルギは一瞬背筋が凍るような感覚に陥った。
レベルはそれなりに高いものの、魔力に関してはまだまだ未熟な彼でも感じる――絶大な魔。
今の自分では、いとも簡単にこの魔力に飲まれてしまうだろう。しかし――決して力には溺れたりしない。
自分には――守るべき者がいるのだから。
「――はい! 師匠!」
「ムッ……」
ミツルギは魔剣ベルディアを強く握り締め、元気よく声を上げる。予想だにしていなかった呼び方で呼ばれ、バージルは少し驚いた。
その間に、ミツルギは魔剣を手にしたまま仲間のもとへ走っていく。
「ちょっとちょっとキョウヤ!? アイツ私達のことぶっ刺してきた奴だよ!? なんであんな仲良さそうに話してんの!?」
「そ、それにその剣……あの人が背負ってたヤツだよね……それ多分ヤバイやつだよ! 別の剣に替えようよ!?」
「ハハ……まぁヤバイといえばヤバイかな……でもこれじゃなきゃダメなんだ。それと、一旦宿に帰ってもいいかな? 2人に話しておきたいことがあるんだ」
ミツルギは仲間の2人と話しながら、バージルのもとから離れていく。
遠くなっていくミツルギの背中を見ながら、バージルはため息を吐いた。
「……師匠……か」
そんな風に呼ばれる日が来ようとは思ってもみなかった。前の世界では弟子を取るどころか、誰かに何かを教えるなどしたことがない。
ましてや、あのように誰かへ授け……人間と関わりを持つことなど。
――しかし――。
「……悪くない」
バージルはフッと笑いながら呟き、扉を閉めて家の中に戻る。
そして、今日もクエストへ行くために支度を始めた。
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――ダンテに敗れ、魔界に落ちたバージルは、単身魔界の軍勢に挑むも敗北。彼は魔帝に操られ、ネロ・アンジェロとなり、数年後、マレット島にて再びダンテと剣を交える。
3度の死闘を経て、再びダンテに敗れたバージル。魔帝から開放された彼の魂はこの世から消え去り、地獄へいくのもかと思われた。
――が、彼の魂は地獄に行かず、1人の女神のもとへ呼び寄せられる。
女神は言った。「地獄へ行くか、異世界へ行くか」
伝説の魔剣士の息子であり、人々を混沌の渦に巻き込んだ大罪人。冒険者として彼は求める。
――悪魔の力を――人間の力を。
「――
この