この素晴らしい世界で蒼い悪魔に力を!   作:(´・ω・`)

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第92話「この夢の世界に招待を!」

「フンフンフーンッ」

 

 昼下がりの街道を、カズマはご機嫌に鼻を鳴らしながら歩いていた。

 足取りも実に軽やかで、仲間に付き合わされてクエストに出かける時とは大違い。その理由は、彼の向かう先にあった。

 最近、ゴタゴタが重なったせいでご無沙汰になっていた例の店。文字通り、男の夢を叶えてくれるサキュバスのお店だ。

 

 昼食を済ませにギルドへ来ていた時、悪友のダストが声を掛けてきた。彼は隣に座るやいなや、サキュバスの店に関する耳より情報をコッソリと教えてくれた。

 ダスト曰く、あの店にはごく一部の人間にしか出さない裏メニューが存在する。条件は不明だが、相当なVIPでなければ味わえないとの噂だ。

 話を聞いたカズマは、即刻サキュバスの店へ行くと決断。ダストには情報料としてお金を渡しておいた。彼も最初からそれが目的だったのであろう。

 

 VIP限定の裏メニュー。金を積めば味あわせてくれそうだが、カズマの手元に約束の二十億エリスはまだ届いていない。

 しかし、自分は店のサキュバスとは顔馴染みなほど常連で、デストロイヤー迎撃戦では指揮を取って街を救った。そして彼女等が崇拝するバニルと交流がある。ここまで揃っていたら、きっとVIP扱いしてくれるのではないか。

 どのみち、サキュバスの店にはそろそろ顔を出そうと思っていた。カズマはギルドの掲示板に目もくれずに外へ。

 

「(裏メニューかぁ。いったいどんなサービスなんだろうな……んっ?)」

 

 まだ見ぬ裏メニューに思いを馳せながら、サキュバスの店に向かって歩く。と、前方から走ってくる人物を発見した。

 桃色の髪に町娘の服を纏った少女。この街に住む男だけが正体を知っている、サキュバスのロリーサであった。

 

「カズマさぁああああんっ!」

 

 あろうことか、お目当ては自分だったようで。目の前に来たロリーサは膝に手をついて息を整える。よほど急いでいたと伺える。

 サキュバスの店へ向かおうとしていた時に、サキュバスが自分を探しに現れた。現状を把握したカズマは全てを察した。

 

「サキュバスから直々にお出迎えとは。俺もいよいよVIPな男になってしまったか」

「はっ? 何言ってんですか? 自惚れないでください気持ち悪い」

「ストレートな罵倒やめてくれません?」

 

 どうやら全く違ったようだ。ロリーサから軽蔑の眼差しで見られ、カズマは心に傷を負う。

 一方で彼女は「こんな事言ってる場合じゃない」と頭をブンブン振ってから、カズマに涙目で懇願してきた。

 

「バニル様のいる魔導具店で、恐ろしいアークプリーストが暴れているんです! 助けてください!」

「嫌です。それよりも例のサービスを受けたいんで案内お願いします」

「あっ、ご利用ありがとうございまーす。ではまずお店の方へ……って違う!」

 

 流れで行けるかと思ったが、そうはいかないようで。ロリーサは切羽詰まった表情で迫ってくる。

 

「どうして断るんですか! いたいけな少女が助けを求めているというのに!」

「いたいけな少女は自分から言わないんだよ。それに暴れてるアークプリーストって絶対アクアだろ。なんでアイツの面倒を見なきゃならんのだ」

「あの人と同じパーティーで、カズマさんはリーダーなんですよね! だったら問題事を起こしてたら止めるのが筋でしょう!?」

「裁判で同じこと言った気がするけど、俺はリーダーであって親じゃない。いちいち付き合ってられるか」

 

 助けを求めるロリーサを冷たく突っぱねて、カズマはその場を離れる──と思わせて、数歩進んだところで立ち止まった彼は、ロリーサへ振り返りながら告げた。

 

「まぁ……裏メニューを提供してくれるって事なら、行ってやらないこともないけど?」

 

 VIP待遇の線が無ければ、恩を売ればいい。

 ロリーサは、サキュバスの中でも筋金入のバニル信者だ。店で会った時には、必ずバニルの話をしてくるほどだった。

 そんな彼のピンチを助けるためならば、きっと彼女はどんな条件でも呑んでくれる筈。

 

「う、裏メニュー?」

「とぼけても無駄だぞ。こちとら裏は取れてるんだ。あるんだろう? 特別な客にしか出さないサービスが」

 

 首を傾げるロリーサに、嘘は通じないとカズマは脅す。ロリーサは深く考え込む素振りを見せた後、意を決してカズマに応えた。

 

「わかりました! 裏メニューをご提供しますから、バニル様を助けてください!」

「しょうがねぇなぁっ!」

 

 交渉は成立した。

 

 

*********************************

 

 

 行き先を変え、ウィズ魔導具店へとやってきたカズマ。ロリーサは裏メニューの件を伝えるべくサキュバスの店へ戻っていった。

 女神と悪魔が喧嘩しているであろう声が、店の外に立っているカズマにも聞こえてくる。中に入るのも億劫だが、これを済ませば裏メニューが待っている。

 カズマは息を吐いてから、魔導具店の扉を開けた。

 

「ええい離さんか蛮族女神め! 横暴なクレームをぶつけてくるだけに飽き足らず店員に手を出すとは、とんだ迷惑客である! お客様は神様という言葉を過信する常識知らずな客以下の厄介者には速やかにご退場願おう!」

「実際神様なんだからいいじゃない! そっちこそ詐欺まがいの売り文句で欠陥品を売りつけておいて、問題が起きても知らんぷりってどういうことよ! せめて倍のお金を返すか高級品を渡すなりして誠意を見せなさい! その気がないんだったらアンタの残機半分減らさせてもらうから!」

「それが横暴だと言っておるのだ! 話を聞かぬ脳筋女神が! 貴様が最後まで話を聞いておればこうならずに……このっ! 我輩の仮面を引っ剥がそうとするでない!」

 

 店内に入ってまず目に映ったのは、予想通り取っ組み合っていたバニルとアクア。お互いに一歩も引かず、カズマの来店に気付く様子もなく口喧嘩を続けている。

 カウンターには、消えかかっているウィズが前のめりに倒れていた。二人の喧嘩の余波を食らったのであろう。わりと危険な状態なのだが、いつもの事で見慣れてしまったのでカズマもそんなに心配していなかった。

 そんなウィズの側に立っていたのは、汚れひとつ無い純白の翼に、赤いトサカが特徴の、やたらと威圧感を放っている一匹のニワトリ。

 

 さてどこからツッコむべきか。カズマは少し迷った後、先にアクアを止めるべく背後から脳天チョップを食らわせた。

 

「ふぎゃっ!?」

 

 悲鳴を上げたアクアはバニルの仮面から手を離し、頭を抑えてうずくまる。解放されたバニルはエプロンについた女神臭を取るように手で払い、襟元を正してこちらを見た。

 

「良いところに来てくれたな。真面目な顔をしていながら裏メニューのことで頭がいっぱいな煩悩小僧よ。突然店に殴り込んできたお邪魔女神に手を焼いていたのだ。礼を言う」

「そう言いながらちゃっかり小馬鹿にするんだな」

「挨拶代わりに悪感情をいただくのは我輩の日常。今更指摘されたところで直せというのが無理な話である」

 

 流れるように悪感情を摂取されるも、慣れてしまったカズマはため息を吐くのみ。それよりも状況を整理すべく、バニルに尋ねた。

 

「で、今回アクアはどういう難癖をつけてきたんだ?」

「ちょっと! なんで私が悪者前提なのよ!」

「このパターンでお前が正しかった例が一度も無いからだよ」

 

 彼女が店先で騒いでいる時は、理不尽なクレームをつけていることがほとんど。酷い時は法外な慰謝料を請求するなど、脅し同然の問題行動を起こしていた。

 

「一応聞いてやるけど、何が原因でいちゃもんつけてたんだ?」

「いちゃもんじゃないわよ! ぐり帝を成長させられるアイテムが無いか尋ねたら、ウィズがステータスアップのポーションを勧めてくれて、それを飲ませたら身体がニワトリになっちゃったの! こんなの詐欺だわ! ドラゴンになる筈だったぐり帝の未来を返しなさい!」

「すみません、ウチのワガママ女神がご迷惑をおかけして」

「大概のクレームはお客様の貴重なご意見として頂戴しているが、其奴から発せられるのはクレームとも呼べぬ騒音ばかり。営業妨害で訴えれば勝訴間違いなしだが、太客小僧の顔に免じて許してやろう。我輩の寛大な心と、我輩と交流を深めていた小僧に深く感謝するがいい」

「ということだ。俺のおかげで許してもらえてよかったな」

「なんでよぉおおおおっ!」

 

 未だにドラゴンの子だと信じているアクアは納得がいかず。再びバニルへ突っかかりそうになったので、カズマは二度目の脳天チョップを浴びせてやった。

 うずくまるアクアから視線を外し、カズマはカウンターに立つ立派なニワトリを見る。アクアの話を聞くに、ぐり帝で間違いないであろう。

 

「で、お前はなんでそんなに落ち込んでるんだよ」

「わかってた。ニワトリ野郎になる未来は避けられねぇってわかってたけどよォ……耳にタコができちまうぐらいドラゴンになれるって言われたらさ、ちょっとは期待しちまいたくなる気持ちもわかるだろ?」

 

 改めて現実を突きつけられ、ショックを受けていようだ。悪魔が転生してニワトリになったのだ。心中は察するに余りある。

 が、そんなことよりもカズマは気になる点がひとつ。

 

「なぁバニル。アクアが使ったポーションって、前に俺達へ見せてくれたヤツか?」

「うむ。飲めばステータスが向上する代わりに年を取るという、年齢公表NGリッチーには理解できない副作用を持つ粗悪品である」

 

 バニルは空になった小瓶を振って答える。

 

「確か一本につき百歳進むって聞いてたけど、ぐり帝はどれだけ飲んだんだ?」

「まるっと一本飲んでおったな。ヒヨコとは思えぬ良い飲みっぷりであった」

「……そうなると、ぐり帝は百歳ってことになるんだけど、この世界のニワトリってそんなにご長寿さんなの?」

「いや、せいぜい十年が限界である。二十年生きればかなりの生命力と言えるな」

 

 バニルはぐり帝をまじまじと見つめながら、カズマの推測とは矛盾する言葉を告げる。それを聞いていたのか、ぐり帝は慌てた様子で話に入ってきた。

 

「ちょ、ちょっとマテ! だったら今の俺様はどういう状態なんだ!? 隠居する気も起きねーぐらい元気満タンなんだが!? 気分は最悪だけどよ!」

「フム……おしゃべりニワトリからほとばしる膨大な魔力を鑑みるに、特殊個体と呼べる存在になったようだ」

 

 バニルの口から、カズマもゲームでよく耳にしていた単語が発される。

 通常の個体と比べて見るからに身体が巨大だったり、部位が発達しているような個体で、されど新種と呼べるほど現種から逸脱していない者を総じて特殊個体という。

 ぐり帝は、女神と魔剣士の地を継ぐ半人半魔の魔力を与えられて命を授かった。故に、高い魔力を持つニワトリになったのであろう。オマケに元悪魔の魂も宿っている。

 姿はニワトリだが、もしかしたら──。

 

「成長した今の姿なら、悪魔だった頃の技とか使えるようになってるんじゃないか?」

「マジか!? 久々に良いニュースが舞い込んできたぜ!」

 

 思わぬ朗報を聞いてか、ぐり帝の声色が上機嫌に。流石に店内で試すわけにはいかないので、カズマはぐり帝を持って外へ出た。

 

「ちょっと! 私のぐり帝をどこに連れて行くつもりよ!」

「アクアはそこで静かに見ててくれ。ひょっとしたら、ドラゴンすら超えるニワトリになれるかもしれないんだ」

「だからニワトリじゃなくて……へっ? どういうこと?」

 

 呼び止めてきたアクアを制し、カズマは地面にぐり帝を置いた。ぐり帝は力強く翼を動かし、その身体を宙へ浮かす。

 もし本当に力を使えるなら、大きな戦力になれるかもしれない。カズマは期待を胸に抱きながら、徐々に高さを増すぐり帝を見守る。

 やがて、カズマの顔と同じ高さまで飛んだ瞬間──ぐり帝は勢いよく羽を広げた。

 

「雷を操るグリフォン様の力、とくと見やがれ!」

 

 

 ──雷どころか静電気ひとつ起こらず、ぐり帝の身体は地面に落ちた。

 

「な、なんでだ!? イメージは完璧だったのに、微塵も雷を出せやしねぇ!」

「ニワトリなのだから当然であろう。雷どころか、魔力を解き放つことすら不可能と見える」

「……はっ?」

 

 戸惑うぐり帝へ、後ろで見守っていたバニルが無情な言葉を掛けてきた。ぐり帝は言葉を失い、その場で固まる。

 いや、まだ諦めるには早い。カズマは僅かな希望を見出すべくバニルへ尋ねた。

 

「モンスターや動物にもレベルってあるよな? なら、レベルを上げたら使えるように──」

「期待はできんな。ニワトリが覚えられそうなスキルといえばモーニングコール程度であろう。あとは、使い物にならない膨大な魔力で敵を脅すぐらいか」

 

 が、その希望も閉ざすようにバニルはズバッと答えた。わかりやすく表情が絶望に染まっていたぐり帝は、震える声でバニルに聞いた。

 

「なァ、俺の寿命ってどんぐらいだ? ショージキこの身体からさっさとおサラバしてーんだが?」

「我輩が見積もるに……喜べ、少なくともあと千年は元気に生きられるであろう」

「ザケンナッ!」

 

 元悪魔の御長寿ニワトリがここに誕生した。

 

「あんな嘘つき悪魔の言う事なんか真に受けちゃダメよ! 今はニワトリだけど、きっといつかドラゴンの姿になって、雷も自在に操れるようになる筈だわ!」

「この期に及んでまだ言ってンのか能天気女! カズマから聞いたけどよ、テメェが卵を間違って買いさえしなければこんなことにはならなかったんじゃねーのか!?」

「間違ってないもん! あの行商人は確かにドラゴンの卵って言ったもん!」

「ダメだこいつ頑なに認めやしねぇ! おいカズマ! オメェからも何か言ってやってくれよ!」

 

 話が通じないと感じたぐり帝はこちらに助けを求めてくる。一方でカズマは、ぐり帝を見ながら考えていたことを口にした。

 

「卵を産んでくれたら良い経験値になりそうだったけど、オスだから産めないし……やっぱり唐揚げにして食べるのが手っ取り早そうだな」

「ボソッと恐ろしいこと呟いてンじゃねーよ! 確かにこの身体を捨てたいとは言ったけどよ! 人間に食われるなんざまっぴらゴメンだぜ!」

「私の目が黒いうちはぐり帝に手出しさせないわよ! ちょっとでも齧ろうものなら、カズマが外へ出る度に大粒の雫が頭に落ちてくる呪いをかけるからね!」

「俺様の肉ひと齧りに対して呪いがしょっぱすぎんだろ! 仮にも俺の親を名乗るんなら、もうちょっと派手な呪いをかけやがれ!」

 

 店の前で騒ぎ出す女神とニワトリ。放っておいたら長引きそうだと感じたカズマは、アクアの首根っことぐり帝の首を掴んで魔道具店から離れていった。

 

 

*********************************

 

 

 同じ頃、アクセルの街からそう遠くない場にある小山。普段は静かな木々の中を、激しい音を立てて走る黒い影が二つ。

 一つは、四本の足で先を走る黒豹のモンスター、初心者殺し。獲物を追うことの多い彼だが、今は生きるべく必死に逃げていた。

 走りながら一瞬だけ後方を確認する。足場の悪い道を駆け抜けていたのだが、自分を狙う狩人は涼しい顔でついてきていた。

 刃を魔力で形成した大鎌を持つ、死神と見紛う黒装束の少女が。

 

「逃げ足の速い猫ちゃんだね。でも、僕だって負けないよ」

 

 防具も纏わずモンスターを狩っていた彼女を発見し、小腹にちょうどいい餌だと目を付けたのが間違いだった。

 いざ手を出してみれば、触れることすら叶わず。勝てない相手だと判断した彼は迷わず逃げ出したが、少女はしつこく追いかけてくる。

 振り切ることも難しいであろう。が、諦めたわけではない。

 

 彼は山を登るように駆ける。目指すは山の頂上──その一帯を縄張りにしている、ワイバーンの寝床だ。

 相手が強ければ、より強い相手にぶつければいい。ワイバーンと争っている間に自分は逃げる。今までも高レベル冒険者に追い詰められた時は、これで上手く逃げ切れた。

 道中で撒ければそれでもよかったが、期待は叶わず。気付けば目的地に辿り着いた。視線の先には、寝床でぐっすりと眠るワイバーンが一匹。

 さっさと起きろと、初心者殺しはワイバーンの顔を引っ掻いた。あとは両者が争っている間にトンズラするだけ──だったのだが、ワイバーンは起きる気配を見せなかった。

 いったいどうしたのか。彼は恐る恐る近付いたが、ワイバーンの目は開かない。何度も引っ掻いてみたが動きはなく。

 

 ワイバーンが、永遠の眠りについてると気付いた時にはもう遅かった。

 

「『パラライズ』!」

 

 刹那、初心者殺しの身体が己の意思と反して硬直する。逃げようとも、足は地面から離れない。

 

「残念。ここでゲームオーバーだ」

 

 命を刈り取る死神の声が聞こえた束の間、彼の肉体は鋭い刃で斬り刻まれた。

 鮮血が吹き出し、彼はその場に力なく倒れる。ご丁寧に喉も斬られ、断末魔すら上げられない。

 薄れゆく意識の中、彼が最後に見たのは──ワイバーンの傍に立っていた、こちらを見下ろす銀髪紅眼の少女であった。

 

 

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「討伐履歴の確認ヨシ。無事クエスト達成だね」

 

 タナリスは冒険者カードを懐にしまい、同行者であったゆんゆんに声を掛ける。彼女も冒険者カードを確認しており、近寄って覗き見すると、討伐履歴にワイバーンの名が記されていた。

 今日の朝、ゆんゆんにクエストへ誘われたタナリスは、掲示板に貼り出された物の中から高難易度のもの受注した。

 討伐対象は初心者殺しだったが、目的地の山にはワイバーンが住んでおり、出くわす危険性も加味して難易度が上げられていた。

 が、悪魔を相手にした彼女等にとっては生温い。いっそワイバーンも倒してしまおうと考え、タナリスは初心者殺しを、ゆんゆんはワイバーンを狩るために別行動を取っていた。

 

「山を登り始めた時はまさかと思ったけど、本当にワイバーンの住処に行くとはね。僕とワイバーンを相打ちさせようって腹積もりだったのかな」

「多分……格上と出会った時には、ずっとそうしてきたんだと思う。ワイバーンの巣にいくつか鎧もあったから」

「賢いネコちゃんだね。この子の爪の垢を煎じてアクアに飲ませたら、ちょっとは知性の数値も上がりそうだ」

 

 ついでに素材もいただいておこうと、タナリスはナイフを取り出して初心者殺しの死体の前にしゃがむ。

 ノコギリの要領で初心者殺しの牙を斬り落とし、ポーチにしまう。あとは麓の村に行って依頼主の村長に報告し、ギルドへ戻るだけ。

 

「じゃ、早いとこ帰ろっか」

「う、うん」

 

 まだ日は高いが、長居は無用だ。立ち上がったタナリスはゆんゆんへ声を掛け、その場から移動する。

 テレポートはできないので山道を下っていく。前をタナリスが歩き、後ろからゆんゆんがついてくる。会話もなく、森のせせらぎがよく聞こえるほど静かであった。

 普段なら、ゆんゆんはここぞとばかりに話題をたくさん振ってくれる筈なのだが、いったいどうしたのか。クエストへ誘ってくれたのもゆんゆんからだというのに。

 もしかしてと、タナリスは足を進めながらも後方にいるゆんゆんへ声を投げかけた。

 

「何かお悩みかい?」

「えっ?」

「僕に相談があるから、クエストに誘ってくれたのかなーと思ってさ。ほら、僕がギルドの裏で魔剣君と話してた時も、用事があるみたいだったし」

 

 あの時の用件は何だったのか、結局わからずじまいであった。タナリスも気にかかっていたので、聞くには丁度いい機会だ。

 少しの間沈黙が続いたものの、やがてゆんゆんは小さな声を絞り出して悩みを打ち明けてくれた。

 

「私……先生から戦い方を学んで、レベルも上げて、使える魔法や武器も増えて……里を出たあの頃に比べたら、とっても強くなれた。そう思ってたんだけど……王都で上位悪魔と戦って、力の差を痛感したの」

「そうかな? 僕から見たら、ゆんゆんは大健闘だったけど」

「私の魔法は、上位悪魔に全く効いてなかった。めぐみんの爆裂魔法みたいな一撃も出せないし、タナリスちゃんや王女様、ミツルギさん、先生みたいな戦い方もできなかった」

 

 フォローの言葉を掛けるが、ゆんゆんは自身を卑下する。そんなことないと言い続けても、結果は同じであろう。

 ここは遠慮なく伝えておくべきか。タナリスは足を止め、彼女に向き直ってから言葉を返した。

 

「なら言い直すよ。ゆんゆんは、人間にしては大健闘だった」

 

 二人の間に線を引くように。冷たさを帯びた彼女の言葉にゆんゆんはショックを受けた様子だったが、すぐにタナリスはいつもの軽快な笑顔に戻して話を続けた。

 

「そもそも、人間が上位悪魔と渡り合おうとするのが無謀なんだ。僕とバージルは人間じゃないから戦えたってだけ。なんならアクアだと二体同時でも余裕だったかもね。炎の悪魔に相性バッチリだし」

「で、でもそれじゃあ、めぐみん達は──」

「めぐみんは他の魔法をかなぐり捨ててるが故の爆裂魔法。王女様は生まれながらの超天才。魔剣君は元幹部の魂を使って無理矢理力を引き上げてる。真っ当に努力して強くなってるゆんゆんと比べるのは違うんじゃないかな」

「だとしても、私はもっと強くならないといけないの! 一人でも、上位悪魔と戦えるように──!」

 

 ゆんゆんは声を張り上げる。紅魔族の象徴でもある紅い瞳も、強い光を放っていた。

 使命感が強い故に、上位悪魔との戦いで役に゙立てなかったことが余程堪えたようだ。しかし、些か焦り過ぎではとタナリスは思う。

 

「向上心が強いのは結構だけど、そんなに生き急がなくてもいいんじゃないかな。まだまだ若いんだし」

 

 冒険者が悪魔を一人で相手にするのは中位が限界であろう。相当レベルを上げたうえで、だ。それは悪魔専門業者(デビルハンター)も同じ。

 その域に、ゆんゆんは今の年齢で既に達している。このまま成長すれば、ソロで上位悪魔討伐という偉業もやってのけるであろう。

 心配することはないとタナリスは伝えたかったのだが、言葉を受けたゆんゆんは首を横に振った。

 

「そんな悠長にしている場合じゃない気がするの」

「……どういうことだい?」

 

 どうやらお悩み解決とはいかないようで。気になる発言を聞いて、タナリスは村に戻ることも忘れて耳を傾ける。

 

「一年も経たない間に、魔王軍幹部が次々と倒されて、未知の悪魔が現れて、戦いも熾烈になってきてる。この先何か、大きな戦いが迫ってて……きっと、時間は残されてないんじゃないかなって」

 

 ゆんゆんは両手を胸に当て、不安げな表情で理由を語った。彼女なりに、待ち受ける戦いを予感していたようだ。紅魔族の勘の良さであろうか。

 しかし、彼女の言う通り時間がないのも事実であった。明日にもアーカムが悪魔を引き連れてやってくるかもしれない。その時、上位悪魔を更に従えていたとしたら?

 バージルがいれば何とでもなる。が、王都の時のように彼が不在だったら……不測の事態に備えて、上位悪魔を倒せる戦力は一人でも多いほうがいい。

 

「けど、急激に強くなれる方法なんてあるのかな? 思いつくのはステータス向上系のポーションを飲みまくることだけど、結構なお金が掛かりそうだよ?」

「実は、ひとつ考えてることがあって……それをタナリスちゃんに相談したかったの」

 

 パワーアップの手段は考えていたようだ。ゆんゆんは真剣な面持ちで、その詳細を話す。

 

「ミツルギさんは、魔剣に宿ってるベルディアさんの力を合わせることで、上位悪魔と戦えるほどにステータスを向上させてる。人ならざる者の力を……それが手に入れば、私もきっと戦える」

「……悪魔の力を手に入れるつもりかい?」

 

 目には目を、歯には歯を、悪魔には悪魔を。タナリスの言葉に、ゆんゆんは頷いた。

 悪魔の力を手に入れたら強くなるのは確実だが、故に相応のリスクが伴う。力に溺れて身を滅ぼす者を、タナリスは女神として何人も見てきた。

 友達として止めるべきであろうが、手っ取り早い手段なのも否定できない。タナリスは開口一番で止めようとはせず、ゆんゆんに尋ねた。

 

「悪魔の力が目的だとして、どうやって手に入れるつもりなんだい?」

「その……バニルさんに強そうな悪魔がいないか聞いてみようかなって」

「僕から言ったとしても、簡単には教えてくれないと思うよ」

 

 ゴールは明確だが、その道筋までは見えていないようだ。タナリスから希望のない返答を受けてか、ゆんゆんは肩を落とす。

 野良悪魔を従えたところで格段なパワーアップは望めない。最低でも中位以上は必要だ。だからこそバニルに紹介してもらおうと考えていたようだが、うまくはいかないであろう。

 従わせなくとも、悪魔の力──それに近い力を与えることができれば。

 

「……待てよ?」

 

 そんな時、タナリスの頭にひとつの案が舞い降りてきた。が、すぐ口には出さずに腕を組んで悩みの声を出す。

 

「いやでも……難しいかなぁ」

「な、何か良い案があるの?」

「一個思いついたんだけど、うまく運ぶかどうか……そもそも許可してくれるかって話だけど」

 

 リスキーなことに代わりはないが、悪魔を探し出す手間は省ける。

 息を呑んで言葉を待つゆんゆんへ、タナリスは試すように問いかけた。

 

「悪夢に呑まれる覚悟はあるかい?」

 

 

*********************************

 

 

 翌日──アクセルの街、郊外地域に建つ一軒家。

 その入口前に突如として眩い光が発生する。光の中からは一人の少女──『テレポート』で移動してきたゆんゆんが姿を現した。

 前の建物を見て、問題なくテレポートできているのを確認。彼女が来たのは、テレポート先に登録していた便利屋デビルメイクライ──バージルの家である。

 

 昨日、案を思いついたというタナリスからは詳細を伝えられず「力を手にする覚悟があるなら、バージルの家に来てほしい」とだけ言われた。

 警告のようにも聞こえたが、ゆんゆんの決意は揺るがない。力を得るべく、彼女は言われた通りここへ来た。

 タナリスの姿は見当たらない。もう既に中にいるのだろうかと、ゆんゆんは家の扉をノックする。

 

「あの、ゆんゆんです。タナリスちゃんは──」

「既に来ている。さっさと入れ」

 

 扉越しに尋ねると、中からバージルの声が。聞き慣れた声だったが、少し怒りを帯びているように聞こえ、無意識にゆんゆんの背筋が伸びる。

 扉の前で一呼吸してから「失礼します」と、ゆんゆんは家に入った。中ではバージルがいつもの席に座り、相談席のソファでタナリスが寛ぎ、彼女の傍には一匹の立派なニワトリがいた。

 

「た、タナリスちゃん? そのニワトリは──」

「ニワトリじゃなくてグリフォン様だ! ぐり帝でもチキン野郎でもネェ! よーく覚えとけ!」

「えぇっ!? しゃ、喋った!? って……ぐり帝ちゃん?」

「早速間違えやがったなテメェ! そのドタマをつっつきまくってやろうか!?」

 

 軽快に喋るニワトリはぐり帝、及びグリフォンと名乗った。間違っていなければ、先日カズマ達の屋敷で見たヒヨコであろう。

 

「なんでニワトリになってるの? 成長が早過ぎるような……」

「ウィズ魔道具店の成長するポーションを飲んだら、こうなっちゃったんだって。ニワトリ頭って言われても否定できないね」

「まったくだぜチクショウ! 身体は無駄に丈夫だが、魔力は自由に使えやしねぇ! 神がいんならブッ殺してやりてートコだぜ!」

「堕天した女神でもよければ相手してあげるよ?」

 

 ぐり帝は白い翼をバタバタ動かして文句を垂れる。黒いソファーの上に羽が数枚ハラリと落ちていく。

 騒がしい上に家を汚くするぐり帝が気に入らなかったのか、奥にいるバージルから舌打ちの音が聞こえた。

 

「そんなことはどうでもいい。さっさと本題に入るぞ」

 

 バージルの視線はぐり帝からゆんゆんへ。呼ばれていると察したゆんゆんは、緊張しながらもバージルの前へ。

 彼は腕を組み、冷たく鋭い目線をこちらへ向けながら口を開いた。

 

「話はタナリスから聞いた。悪魔の力を手にしたいそうだな」

「……はい」

「少しはマシになったかと思ったが、見当違いだったようだな。己の弱さを棚に上げ、悪魔に頼るとは実に愚かだ」

 

 既にバージルも耳を通していたようで、怒り混じりの声でゆんゆんを叱責してきた。対してゆんゆんは何も言い返せず、しゅんとする。

 彼がいたで怒られる予感はしていた。そもそも彼に怒られたくないから、タナリスに相談したのだが。

 どう話を進めるべきかゆんゆんが迷っていると、ソファーに座っていた筈のタナリスが前に出てきて、机に腰掛けてからバージルへ話しかけた。

 

「アクセルの街にいる人で上位悪魔と渡り合えるのは、バージルと魔剣君とアクアとエリスだけ。エリスは下手に力を使えないから除外して三人。対して相手は上位悪魔を何体従えてくるか検討もつかない」

「その時は一匹残らず狩ればいいだけだろう」

「君がいるなら構わないけど、この前の王都の時みたいに、君がいない場所に現れたらそうはいかない。だからこそ、戦える人材は一人でも多く備えたほうがいいと思うんだ」

 

 口ごもっていたゆんゆんに代わって、タナリスが経緯を伝える。しかしそれだけではバージルも納得してくれず。不機嫌な顔は変わらない。

 

「悪魔に対抗したければ、ゆんゆんの武器にアクアの加護をつければいいだろう。代価に酒を求められるだろうが、悪魔と交渉するよりはマシな筈だ」

「欲しいのは強力な武器じゃなくて、上位悪魔を相手に立ち回れる力さ。そのためには、魔剣君のような急激なステータスアップが必要になる」

「ゆんゆんの持つ鞭は、悪魔の力を有した魔王軍幹部の素材を使ったと聞いている。それに魂らしき物は?」

「しばらく使ってますけど、何も感じないです。にるにるさんも、乗っ取られたりとかの心配は無いと言ってました」

 

 その可能性も考慮したが、魔鞭に意思のようなものは宿っていなかった。ミツルギと同じ方法の強化は期待できない。

 

「順当にレベルアップしていくのがベストだけど、敵が気長に待ってくれるとは限らない。カズマ達だって最近悪魔と仲良くなったんだし、ゆんゆんにも使い魔がいたっていいと思うんだ」

「……悪魔の力を求めた愚か者の末路は様々だが、大方の行き着く先は破滅だ。力に溺れ、悪魔に利用され、最後は魂すら代価として奪われる」

「ゆんゆんはそんなタマじゃないよ。君だって、間近で見てきたからこそわかるんじゃない?」

 

 タナリスの言葉に、バージルは何も返さず眉を潜める。すぐさま否定の言葉を出さなかった彼を見て、ある程度は認められていると感じてゆんゆんは独り嬉しく思う。

 

「……なんて言ったけど、強力な悪魔を探すのに時間がかかるんだよね。バニル先輩には聞いても無駄だろうし」

「力を求めると豪語しておきながら手段も決まっていないとはな」

 

 呆れた奴等だとバージルはため息をつく。しかし、昨日タナリスは何か思いついた様子であった。

 いったい何を考えているのだろうと、ゆんゆんは静かに言葉を待つ。そんな中、タナリスはバージルを指しながら告げた。

 

「そこで考えたんだけど……君から与えてくれないかな?」

「……なんだと?」

 

 タナリスから告げられたのは、バージルすらも予想もしていなかった方法であった。

 

「正確には、君の中にある悪夢の力。ニワトリの卵に流してぐり帝君を生み出した要領で、ゆんゆんに流せばその力を彼女に宿せるんじゃないかなーと思ったんだ」

 

 悪魔を探す手間も省けるしと、タナリスは自慢げに語る。だが、悪夢の力というのがゆんゆんには理解できず、頭上にハテナを浮かべたまま。

 そんな時、話を聞いていたぐり帝がソファーから飛び立ち、机の上に移動してきた。

 

「なるほどなァ、それで俺を呼んだってワケ」

「参考人としてね。早速聞きたいんだけど、今の話でゆんゆんに力を宿すことはできそう?」

「俺は元大悪魔のグリフォン様だが、正確にはバージルが魔力を高めるついでに吸い込んだ、思念みてーなモンだ。俺以外の思念がバージルの中にあって、ソイツを流し込んで屈服させりゃあ、擬似的に悪魔の力を使うこともできるんじゃネーの?」

 

 悪夢の力に理解があるのか、ぐり帝はタナリスの案を後押しするように話す。が、バージルが待ったをかけるように口を挟んだ。

 

「前も言ったが、俺はただ魔力を送り込んだだけだ。悪夢の力と意識した覚えはない」

「でも、ある程度コントロールはできるんじゃない? あの黒騎士になれたっていうならさ」

 

 タナリスからそう言われ、バージルは再び眉を潜めた。黒騎士とは、盗賊団の一味として手配されていたあの姿であろうか。てっきり単なる変装だと思っていたが、彼女の言い口からしてバージルの変身のひとつであったようだ。

 話が上手く進んでいる様子であったが、そこでぐり帝がゆんゆんの方を向いた。

 

「だが、ひとつ忠告しておくぜ。悪夢を見ても死ぬことはねーが、逆に言えば夢の中で何万回死ぬ思いをしても死ねねぇってコトだ。どんなに泣き叫んでもナ!」

 

 脅すように告げられたぐり帝の言葉に、ゆんゆんは息を呑む。悪魔だろうが悪夢だろうが、簡単には手に入らないということであろう。

 タナリスも机から腰を離して立ち上がると、ゆんゆんの目を真っ直ぐ見つめながら問いかけてきた。

 

「改めて聞くよ、ゆんゆん。悪夢に呑まれる覚悟はあるかい?」

 

 まるで、これが最後の警告だと言うかのように。引き返すなら今しかないであろう。

 だが──ゆんゆんはここへ来た時点で、逃げるつもりなど一切無かった。

 

「私は強くなりたい。力が必要なの。悪魔にも負けない力が」

 

 力強く、タナリスの問いに答える。タナリスはじっと見つめてきたが、ゆんゆんは決して目を逸らさず。

 しばらく見つめ合った後──先に口を開いたのは、傍で見ていたバージルであった。

 

「……いいだろう」

 

 ひたすらに力を求めるゆんゆんに何を思ったのか。先程までの否定的な姿勢から打って変わって、バージルはタナリスの案に乗った。

 

「提案したのは僕だけど、意外だね。正直言って絶対断られると思ってたよ」

「ただしチャンスは一度きりだ。さっさと始めるぞ」

 

 彼は椅子から立ち上がり、こちら側へ移動する。彼の気が変わらない内に始めたほうがよさそうだと、タナリスはパンと手を合わせて準備に取りかかった。

 

「じゃあ僕が『スリープ』をかけて眠らせるから、ゆんゆんはソファーの上で横になって」

「う、うん」

「俺の羽が散ってるけど気にすんな! なんなら毛布代わりにもっと落としてやろうか!?」

「翼をバタつかせた程度では数枚しか落ちんだろう。貴様の身体に生えてる羽を全部使えば問題ない。俺が一枚残らず引き抜いてやろう」

「待って悪かった冗談だって! これ以上羽落とすのはやめっから! マジな目でこっち見んなって!」

 

 悪夢を見せるには眠りが必要。ゆんゆんは言われるままにソファーの上で仰向けに寝転がる。騒がしいぐり帝の声を聞きながらも、ゆんゆんは目を閉じる。

 怖くないといえば嘘になる。だが今は恐怖よりも力への渇望が勝っていた。絶対に、この試練を乗り越えてみせる。

 

「おやすみ、ゆんゆん……『スリープ』」

 

 タナリスの優しい声が聞こえ──ゆんゆんの意識は深い暗闇へ落ちた。

 

 

*********************************

 

 

「ううん……」

 

 いつもの朝と同じように、徐々に意識がハッキリしていくのを感じる。

 眠りから覚めたゆんゆんは重たい身体を起こし、周囲を見渡した。

 

「ここは……どこ?」

 

 目に入ったのは、見慣れない部屋だった。バージルの家でもゆんゆんの部屋でもない。

 高級そうな絵画やインテリアが飾られ、奥には不気味な女性の像と、吸い込まれそうな全身鏡。他に目に付くのは、バルコニーへ続く扉に、ゆんゆんが寝ていたキングサイズのベッド。

 この部屋を一言で表すなら、貴族の寝室だ。だが部屋の隅には所々に蜘蛛の巣が張られており、長い間主が不在だったかのよう。

 いったいここはどこなのか。見知らぬ空間に放り出されたゆんゆんが不安を抱いていた、その時であった。

 

「珍しい客人が来たものだ」

 

 突然、男の声が部屋に響いた。ゆんゆんは酷く驚きながら部屋を見渡す。

 先程まで誰もいなかった筈だが、全身鏡の前に男が立っていた。黒髪に白い肌、ゆんゆんよりも細い腕をした、黒装束の男。その手には一冊の本。

 知らない男だ。初対面なのは間違いない。なのに、どういうわけか既視感を抱く。

 

「だ、誰?」

「この世界の案内人、とでも言っておこう」

 

 男は名乗ろうとせず、全身鏡から移動する。ゆんゆんが警戒しながら見守る中、彼はバルコニーの扉の前へ。

 

「ついてこい」

 

 男はそう言いながら扉を開けた。怪しく思いながらも、ゆんゆんはベッドから降りて後を追う。

 開けられた扉から外に出ると、下には庭園が広がっていた。中央にある噴水からは水が出ていない。王都で見た庭園と負けず劣らずの広さ。ここはどこかの王城だろうか。

 その時──背後から強い衝撃を受けた。

 

「きゃっ!?」

 

 突然のことに対応できず、ゆんゆんはそのまま前に押し出されて庭園へ落ちていく。

 

「『トルネード』!」

 

 彼女は咄嗟に風魔法を地面へ向けて放ち、落下の衝撃を和らげた。ダメージもなく着地したゆんゆんは庭園内を移動し、先程自分がいた場所が見える位置へ。

 そこには、自分を突き落としたであろう黒髪の男がこちらを見下ろしていた。

 

「さらなる力を望むのならば、お前の力を影に示せ」

 

 男はそう告げると、右手を前にかざす。すると手の先から、黒いモヤが勢いよく飛び出した。

 モヤは下へ落ちながら形を成していき──地面へ到達する頃には、初心者殺しとよく似た黒豹のモンスターとなった。

 一方で男の髪は色が抜け落ちたように白くなっており、彼はかざしていた手をおろす。

 

「『甘い夢は木陰のもとで。愛しき我が子の頭の上に』」

 

 そう言い残し、男の姿は霧のように消えていった。ゆんゆんは対峙するモンスターに視線を向ける。

 ここは夢の世界──バージルによって流れ込んだ、悪夢の中。このモンスターはその主であろう。

 ならばやるべきことはひとつ。この試練を乗り越えて、力を手に入れる。

 

「絶対に……負けないから!」

 

 大事な人達を守るために。彼等に追いつくために──彼女と並び立つために。

 

 




あのステージといえばネロアンですが、個人的にはシャドウたん✕2の地獄も捨てがたい。

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