東方短篇集   作:紅山車

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はたて短篇

「………………」

じとり、と。

目を細めて、私――姫海棠はたては、一枚の写真を映しているカメラ(というよりは、携帯電話のような代物である)の画面を見つめていた。

「……何とも、はぁ……」

どれもこれも、表示される写真は既視感があるものばかり。中には、こんなことがあったのか、と自分が驚かされてしまうような、そんな写真も含まれているので、やるせなくなってしまう。

たとえ映しているのは、私のカメラであっても。

写真として写しているのは、他の誰かのカメラなのだ。

私のカメラは、能力は、それをすっぱ抜く――なんて言い方もおこがましい。

こそこそと除き見る、それしか出来ないのだから。

「……せめて私しか知らないような取材対象でも居れば、良い記事の一つでも書けそうなものなんですけどぉー……」

そこまでいって、はぁ、と溜め息をつく。

私は、新聞記者としてのスキルが圧倒的に足りない。

例えば、射命丸文。彼女には――こうして思うだけでも腹立たしいが――幻想郷でも随一の速さがある。取材する価値の在るスクープがあると見れば、五秒で駆けつけ取材を済ませ、五秒で戻り記事を書く。毎度のことながらその速さには、舌を巻く。巻きすぎて辟易とまでさせられてしまう。

そんな技能が、私には足りない。

ならばせめてものアイデンティティとして、人脈、というものがあるが、不幸にも私にはそういうものすらない。念写をする程度の能力、というものは、現場に行かずとも記事が書ける、という利点がありはするが、その反面、人の話を直接聞くことは出来ない。となれば、交友関係は広がらないし、記事にもリアリティが増さない(音声録音が出来るわけではないので、談話などがそもそも取れないのだ)。

そもそもが、あまり外に出ない性質なので、人との繋がり――ありていに言えば、コネ、というやつが出来るはずもなく。

必然、私の書く新聞は、売り上げが伸びない、と。

「なんて単純な図式なんでしょう、と」

相も変わらず、似たような写真ばかりを映すカメラを閉じて、部屋の隅っこに投げ捨てる。ごいん、と嫌な音がした気がするが、私はそちらには目もくれずに、畳の上に寝っ転がる。今日はもう寝てしまおう、と、そう考えた私は、部屋の電気も消さずに、ゆっくりと眠りの世界に意識を委ねた。

かたかたと、冬の寒風が玄関の戸を叩く音だけが響いていた。

 

 

 

「……んむぅ?」

響く大きな音に、私は目を覚ます。寝惚け眼で時計を見ると、まだ携帯をほっぽりだしてから三十分しか経っていない。服も皺になっていないし、髪にも寝癖はついていない。ただ、眠気だけはさっきとは倍ほどになってはいたが。

ああ――いや、眠気だけではない。

「……うるさいなぁ、もう……」

さっきから鳴り響いていた騒音は、玄関から聞こえてきていた。寝る前は、風の仕業だと思っていたが、今なっている音からすると、どうも違うらしい。明らかに、誰かの手によって戸を打ち鳴らされている、そんな音だ。

夜中に来客、しかも寝ている時になんて。

運が悪い、と、私は頬を軽く掻く。やっぱり無精を垂れずに、きちんと電気を切っておけば良かっただろうか。来客は避けられなかっただろうが、部屋の電気が落ちていれば、もう寝てしまったと思わせて帰る可能性もぐんとあがる。

ただまあ、過ぎたことは仕方がない。もう眠気は覚めつつあるし、ひょっとすれば――いや万が一――ううん、タテジマをヨコジマにするくらいの確率で――記事のネタになるかもしれない。

そう思った私は、渋々ながらも少々の期待感を抱き、戸を開く。

「はぁい、どちら様です……か」

「すいませんごめんなさいちょっと入れて」

「え、あ、ちょ、うわ、!?」

戸を開けるや否や、ずかずかと入り込んでくる――誰だろう、男?――に、私は目を丸くして驚く。男は家の中に入ると、電光石火で戸の鍵を閉め、玄関の照明を落とした。

 

……え、あれ。

 

そんな混乱状態の中、私は気付く。

 

暗闇の中、素性も知れない男と、二人きり。

 

これって。

……私、もしかして、いやもしかしなくても、危ない?

「ちょっ、まっ……!う」

「しっ!静かに!」

声を挙げようとする私の口を、男はやや乱暴に手で塞ぐ。一瞬止まる息、相手の顔も見えない状況に、私の心拍数は否応無しに上昇していく。

やばい。

やばいやばいやばい。

こんな、良い記事にはなるけど――それは私が書いた、という意味ではなく、むしろ他紙にとっては格好のネタになるわけであって、そんな中私は被害者Hとしてインタビューを受けなきゃならなくなって、それがトラウマになって新聞記者引退とかになっちゃって、天狗の里からは厄介者扱いされて追い出されて、生きていく術を失った私は人里に降りて、そこで一人の慰み者として生きて、あぁでも途中で嫌になって死んじゃうかも、うわああああ嫌だ嫌だ嫌だ。

「……ええと、その、もう大丈夫。ありがとう」

「神は言っている。ここで死ぬ定めではないと」

「……え、ちょっと、何言って……なんか紫色のオーラとか出てるんだけど!?え、スタンド使いだったの!?」

「シィィィィィィィザァァァァァァ!!!」

「とか叫びながらオーバードライブとかマジやめて浄化される堕天するって洒落にならないってぇぇぇ!」

 

 

 

「…………あの」

「五月蝿いちょっと黙ってなさいゴミ屑」

「…………はい」

一喝され、軽く凹む。

……最近、どうにも災難が続いているような気がする。

通学中、事故でバスが横転するし。

そのせいで、僕は死んだのだろう――こんな得体の知れない、辺鄙なところに飛ばされるし。

何をするべきか迷っていると、酒臭い鬼のコスプレをした少女に出会った……までは良かったのだが、勧められた酒を未青年だから、という理由で断ったら、「私の酒が飲めないのかー」って言って、巨大化して追いかけてくるし。

何とか見知らぬ民家に入れてもらって、やり過ごせたと思ったら、その家の人にお叱りを受けるし――いや、まぁ、勝手に上がりこんで迷惑を掛けたのは僕のほうだし、非は全面的にこちらにあるのだから、仕方ないのだけれど。

女性を見ると、顎に手を当てて、なにやらぶつぶつと呟いている。その様子が気になったので(あと無言の空間に耐えられなくなったので)、とりあえず話しかけてみることにする。

「あの」

「世送りにされたくなければ黙ってなさい」

「………………」

もうここがあの世じゃないのか、という僕の疑問は、もちろんぶつけない。ぶつけたら確実に、二段底が僕を襲う。

うぅん。あの世って、想像以上にへヴィだ。

「……一つ、聞かせてもらってもいいかしら」

「あ、はい、なんですか」

思わず敬語が口をついて出る。なんと言うか、彼女の放っている雰囲気というか、そういうものに気圧されているような、そんなものを感じたのだ。

「あんたは、さっき、私に、乱暴を、働いたわね」

ぼそぼそっと、抑揚なく言う。けれど僕は、その言葉にナイフのような鋭さを感じた。

「あ、いや、その!えぇっと、確かにちょっと強引だったかもしれないけど、他意は無くて、その、なんと言うか」

「言い訳は要らない。謝罪も結構。慰めなんてもってのほか。私はただ、こう聞いているだけ」

しどろもどろになる僕に、彼女は淡々と――罪状を読み上げる裁判官のように――問う。

「あんたは、私に、乱暴を、働いたわね?」

「――――」

彼女は、探りを入れるような目つきで、僕を下から眺めている。

対する僕は、何も言えずにただぱくぱくと、口を動かすだけであった。

「……私はあんたを許さない」

そう告げる彼女は、けれど、とも付け加えた。

「あんた自身が犯した罪を気に病んで、『自主的に』贖罪を私にしてくれる、というのなら、その気持ちを汲んでやらないこともない」

「……えぇ、と、つまり、どういうこと」

いまいち理解が出来ず、首を傾げていたところを、彼女は――一体何処から取り出したのだろう――ノートとペンを手に持って、僕をじっと、見つめていた。

 

「あんたは今から、私が申し込む取材に受けざるを得ない、ということよ」

 

私は姫海棠はたて。

しがない新聞記者。

さあ、教えなさい。

あんたの名前、性格、その他諸々。

ああ、答えなくとも構わないわよ。あくまでこれは、『あんたが』『自主的に』『語ったこと』を載せる予定だから。

ただし、あんたが何も語ってくれなかった場合。

その時は、別の記事に差し替えなきゃいけないけれど。

『とある新聞記者、夜中に押し入った男に暴行を加えられる!』。

……良い見出しだと思わない、ねぇ。

 

「さて、改めて質問。あんたの名前は?」

 

 

 

 

 

 

 

 

世界が反転した。

 

通学中、横転したバス。側部からの激しい衝撃に、傾くバスと共に、僕の身体も次第に傾いていく。

 

悲鳴が響く車内。

 

もう一度、バスが大きく揺れた――そのはずみで僕の身体が、大きく横に揺さぶられる。バスの揺れと同じぐらいの衝撃が、僕の身体を走った。

どこか固いところに頭を打ち付けたのだろうか、頬のあたりを液体が這っていく感触が伝わった。目の前の景色が、だんだんとぼやけてくる。二転、三転、四転と回っているのが、バスなのかそれとも僕の身体なのか、もはやわからない状態になっていた。ただ慣性に従って、僕の身体は右往左往しているのだ、ということだけは理解できていたが、それだけだ。もう、悲鳴も聞こえなくなってきた。

 

収まったのだろうか。

 

いや、違う。景色はまだ、ぐるぐる回っている。

 

そうか、これは、僕の方か。

 

こんな状況でも、何故かクリアになっていく思考とは裏腹に、視界はどんどんと薄暗くなっていく。右目に血が染みて開けなくなった。左目のみで見る今の光景は、何もかもが反転していて、何もかもが逆転していて、何もかもが台無しになっていって――。

 

 

 

不意に、無数の眼が、窓から見えた。

 

薄ぼんやりとした中に、はっきりとした存在。

 

僕は薄れ行く意識の中で救いを求めるように、ゆっくりと、弱々しく、手を伸ばした。

 

 

 

誰かのぬくもりが、僕の手に伝わったのを感じた。

 

 

 

 

 

「…………む、ん……?」

人工的な光が、僕の手を通り抜けて眼に突き刺さる。先程の光景が夢であったことを確認し、ゆっくりと身体を起こす。下には布団が敷かれており、掛け布団も身体の上に掛けられていた。

しばし眼をしぱしぱさせながら、どうやらずっと掲げていたらしい手を降ろす。長時間血が行かなかったためか、指の先は少し青白くなっていた。

「……夢、かぁ」

今まで見ていたものがそれだと分かり、起こした身体を再び布団に預ける。手が段々痺れてきたのと、あまり見たくもない夢をみたせいで、眼はすっかり冴えてしまっていた。今寝転がっているのは、夢でよかったという安堵から無意識にしてしまった行動だ。

あの日起こったであろう、あの出来事のことを。

思い出したくは、無かったのだけれど――。

「……起きよう」

手の痺れが治まってきたのを見計らい、身体を起こす。

そうして今日もまた、いつもどおりの「取材」が始まる。

 

 

 

「いい、よく聞きなさいよ」

朝餉の席。

僕の対角に座り、味噌汁のおわんを手に持っている少女――姫海棠はたては、語気をやや荒らげながら僕を睨みつけて言った。

「貴方はあくまで、私の取材対象なんだから。何度も何度も言うようだけれど、勝手に家の外に出たり訪問客に応対したり、挙句の果てには妖怪とフレンドリーになったりしないように。わかった?」

「…………?」

突然何を言い出すのだろう、と首を傾げる僕。確かに昨日、妖怪の訪問客が一人いたけれど、特に何をするでもなく普通の優しそうな人だった。その妖怪と懇意になることも駄目だなんて、ちょっと厳しいんじゃないか。大体、訪問客を応対するなって……居留守を使えと言っているようなものだ。

「とにかく。貴方がここに居るということが広まったら、少し厄介なことになるの。ただでさえ妖怪の山なんて、噂話は悪事よりも伝わるのが速いっていうのに」

「? ……よく分からないけど、僕が此処に居ると、はたてにとって迷惑になる……ってこと?」

「別に迷惑だとは……って、そうじゃなくて!」

ばしん、と机を叩くはたて。僕は驚いて、少し身を退かせる。

「っ……とにかく。誰が来ても相手にしない、外にも出ないこと。わかった?」

「わかり、ました」

半ば強引に首を縦に振らされる。はたてはそれを見てから、不機嫌そうな顔をして立ち上がった。

「じゃ、取材に行ってくるから。今言ったこと、忘れないように」

そう言ってさっさと出て行くはたてに、僕は小さく「行ってらっしゃい」と言うことしか出来なかった。

 

 

 

通学バスの横転事故に遭ったと思ったら、いつの間にか別の世界に来ていて。

鬼に襲われそうになっていたところを、姫海棠はたての家に逃げ込んだことで事なきを得て。

けれど彼女は、強引な手段を取った僕に、免罪の条件を要求した――いや、体裁的には「僕が自主的に申し出た」ということになるのだろうか。

その条件というのが。

 

『貴方は今から、私が申し込む取材に受けざるを得ない、ということですよ』

 

かくして僕は、新聞記事を書くための取材対象として、はたての家に居候をさせてもらっている。

勿論これは一時的なものであり、取材が終わればまた根無し草としてこの得体の知れない世界にほっぽり出されることになるだろう。そのことについて異論はないのだけれど、やはり居候をさせてもらっている内に、こちらでの食い扶持を探しておかなければ不安ではある。そうでなければ取材が終わった途端に路頭に迷い、彷徨う内に妖怪に襲われて終了、なんて事にもなりかねない。はたての仕事を手伝おうか、とも考えて申し出たこともあったが、「貴方と一緒に仕事なんてできるほど、私は貴方のことを信用しちゃいない」と言い返され、ぐうの音も出なかった。第一印象は大事だということを思い知った瞬間である。

となると必然、自分自身で職を探すことになる、のだが。

「……いかにも古風、って感じなんだよな……この世界って」

こちらに来て一週間ほどになるが、その間に受けた印象は「昔の日本」といった感じだった。はたての家の他にも、窓から見える家屋のほとんどが日本家屋の藁葺き屋根である。新聞も所謂瓦版であり、家の設備もかまどに五右衛門風呂など、「いかにも」の前置詞が相応しいほどに日本風なのであった。まだ外に出歩いても居ないので、この世界のすべてがそうなのかは知らないけれど。

そういった事情からすると、家に居ながら職を探すといったことが難しくなってくる。就職情報誌もアルバイト斡旋の広告も無いし、電話すらも存在しない。はたてが使っているカメラは携帯電話にそっくりだったが、どうやらカメラ機能しか使えないようだったし。電話線が各家屋に行き届いていないのかもしれない。

そうなると、残る方法は「自分の足で職を探しに行く」ということになる。はたては出歩くなと言っていたが、彼女の取材は少なくとも夜まで帰って来られない。夜になれば暗がりで妖怪に襲われる可能性はぐんと高くなる。出来るならば、明るいうちに、はたてに見つからないようにこっそりと仕事を探すしか無い。

「……ごめん。すぐに帰るから」

今ここには居ないはたてに、届くはずのない弁明を玄関に残し、僕は家を出た。

どこに行くかも決めず、ただ職を探すという目的だけを持って。

 

 

 

「そうですか……えぇ、どうも。ご協力、ありがとうございます……はい、はい……それでは」

人里にある老舗の和菓子屋での取材を終え、私は店を出る。十一時頃に始めた取材であったが、店を出る頃はもうすっかり日も真上に来ていた。好意でいくつか菓子を食べさせてもらったのであまりお腹は減っていないが、家で待っている彼のことを考えると、一度家に帰ったほうがいいかと考える。お土産も幾つか頂いたことだし、今日の取材はこれまでにして彼との話に花を咲かせる、というのも……。

「……な、何を考えてんのよ私は。話っていっても取材、それも私を襲おうとした張本人なんだから、お菓子なんか要らないでしょうに……」

あせあせと、脳裏をよぎった考えを必死に排除しようともがく。そう、彼とはギブアンドテイクの関係――それもこちらが有利な側なのだ。菓子で釣らずとも、あの事件を記事にするぞとほのめかせば取材など容易なはずである。

 

それなのに、私は。

 

彼が来て一週間も経つというのに。

 

考えの中には、取材のしの字も出てきやしない。

 

「……何を考えているんだかね、私は」

菓子の入った手提げ袋をジト目で睨みながら、はぁ、と一つ大きく溜息をつく。とりあえず家に帰ろう――そう思って足を家の方に向けた、その時だった。

 

 

 

「あやや、誰かと思えば。はたてじゃないですか」

 

 

 

「………………………………」

「ちょーっとちょっと、無視していこうだなんて、人付き合いが悪いんじゃないですか?」

スルーしようとすり抜ける私の肩をがっちりと掴む――天敵、射命丸文。

「あら、射命丸さんじゃないですか。どうしたんですか、こんなところで?」

無理やり貼りつけたような笑顔で応対する。けれど射命丸の方は意に介せず、

「その営業用の敬語を、私に使うのは違うと思いますが」

なんてことを言ってのけたので、私は内心「嫌な奴に会った」と思いながら、また深く溜息をついた。

「はいはい。それで? 幻想郷一のスピードを誇る射命丸が、引きこもりの私に一体何の用? まさか私の取材をリークさせようとしてんじゃないでしょうね」

「まさか。ただ、引きこもりの貴方が外に出歩いて取材しているのを見るのなんて初めてだったので、つい話しかけてしまっただけですよー」

「……最初の『まさか』ってのが引っ掛かるけれど、まあいいや」

 まるで私の書く新聞記事など、漏らす必要性を感じない、といったニュアンスを含む物言いにムッとしながらも、話を続ける。

「それで?」

「ん?」

「本当は、一体何の用事?」

その瞬間、射命丸の眼光が鋭くなったのを私は感じた。

「んっふふ。鋭いですねー。貴方、本当にはたてですか? 何か悪いものでも食べたんじゃないですか?」

「残念ながら正常よ。むしろ、私の能力を見誤っていた貴方の方がおかしいんじゃないの?」

「さあて、どうでしょうね」

射命丸は私に背中を向け、肩をすくめる。彼女の方から早々と舌戦を切り上げたため、私も本題に入ることにした――彼女の目的も、恐らくそちらの方だろう。

「用事ってのは、外来人のこと?」

「そうです。その外来人のこと、です」

言うと射命丸は、どこからとも無くペンを取り出して、私にその先端を突きつけた。

「私は貴方の新聞記事に興味はありませんが」

眼前でペンがくるくると回る。

「貴方が拾ったという外来人のことには、大いに興味があります」

「……拾った、ね……」

あれはどちらかというと押しかけられた、の方が正しい気もするけれど。

「それで、私の後を着いて来て取材しようって算段?」

「イエース、ザッツライト」

指先で弾かれたペンが跳ね、すぽりと射命丸のシャツの胸ポケットに収まる。相変わらず変な所で器用な天狗だ。その器用さが、私にとっては何よりも羨ましいのだけれど。

「というわけで、早速彼の元に向かいましょう」

「行かないわよ」

「ふへ?」

その言葉に射命丸はきょとん、とした顔でこちらを見てくる。

「残念ながら私、午後からも回らなきゃいけないところがあるから。行くなら一人で行ってね、相手にされないだろうけど」

嘘ではない。家に帰ろうかいうのは思案していただけであって、そうした場合明日に回す予定だった取材も、家に帰らなければ今日中に終わらせてしまうことも出来る。彼も昼に私が帰って来なければ、一人で勝手に何か作って食べるだろう。その時のために、食材はそれなりにおいてある。ので、このまま帰らずに取材を続ければ、射命丸の追求も振りきれるし――あれだけ言ったのだから、射命丸が訪問したとしても取り合わないだろう。勝手に家を出るなとも忠告をしておいたし、まあなんとかなる、と私は考えていた。

 

次の射命丸の言葉を聞くまでは。

 

 

 

「いやー、それがですね。さっきはたての家に行った時、誰も居ませんでしたので」

 

 

 

「………………は?」

思わず目を点にする。

家に?

射命丸が?

いつ?

いや、そこは問題ではない。

問題なのは。

「……誰も、居なかったって……?」

「? ええ。人っ子一人居ませんでしたよ」

さも当然、という風に言う射命丸。私は混乱する頭を手で押さえつつ問う。

「え、ちょ、ちょっと、待って? 私、鍵、閉めた」

「カタコト外国人みたいな喋り方ですねー」

「それはいいから! 貴方、鍵はどうやって」

「どうやって、と言われましても」

困った素振りを見せながら、射命丸は――答えた。

 

 

 

「最初から掛かっていませんでしたけど」

 

 

 

「うー……ん」

広大な平原で一人、腕を組んで佇みながら唸る。

職を求めて三千里(感じ方には個人差があります)。

歩いているうちに空腹が顔を覗かせ始めたので、食を求めて三千里(感じ方には個人差があります)。

食は万里を越える、とはよく言ったものである。

だがどうやら、職が万里を越えるにはちょっとばかし無茶があったかもしれない。

有り体に言ってしまうと、だ。

「迷った」

案の定である。

よくよく考えれば、見知らぬ世界で地図も持たずに職探しって、危ない事この上ないなこれ。なんて今頃自覚する辺り、僕は色々と鈍い人間なんかもしれない。

「そこの男、止まれ」

と。

上空から声がしたので見上げてみると、そこには一人の少女が宙を漂っていた。

「此処から先は天狗の山。何人たりとも、無断で立ち入ることは」

 

一振りの刀を携えて。

 

「この犬走椛が、許さぬ」

 

「ごめんなさいもうしません失礼します」

チキンな僕はそれだけで尻尾を巻いて逃げるが勝ち、と背を向けていた。

やばい。怖い。何が怖いって、あの人を簡単に斬れそうな目付き。それとあの刀。陽の光が当たって光ってたよ。紙とか上に乗っけたらぱらって二つに分かれそうなほど切れ味良さそうだったよ。後は何かしらんけど尻尾もふもふだったよ。何か分からないけど恐ろしいよ。一度触ったら病みつきになっちゃいそうだよあのもふもふ。

「……何か不埒なことを考えてはいるまいな」

「いやいやいやもうぜんっぜんですぜんっぜん」

彼女の眼が細くなったのが見えて、僕は全力で容疑を否定する。濡れ衣です、ただ僕は貴方の尻尾にくるまって眠ってみたいと考えただけなんです、信じてください。トラスト・ミー。

「……まあ、良い。今後天狗の山に近寄ることがあれば、容赦なく叩っ切る。そのつもりでいろ」

「はい」

即答。折角助かった命を、ここで無駄にすり減らすわけにもいかない。いのちをだいじに。人類における本能共通の作戦である。

「それでは、失礼する」

言い残して、彼女は森の方へと去っていった。僕は疲弊しきった身体を地面に降ろし、深く息を吐いた。精神は磨耗し、しばらく動きたくない。

「はぁ……少し休んだら、さっさと帰ろう。うん、そうしよう」

結局職は見つからなかったが、それでも命があるだけ儲けもん、である。命あっての物種とも言うし。何、これから先、仕事を見つける機会はまだあるだろう。少なくとも『働いたら負けかと思っている』状態にはならないようにはしないといけないだろうが。

「っと……はたてが心配しないうちに、帰らないと」

 

「はたてと、今言ったな」

 

「は」

頭上から声――いや、もふもふの尻尾――違う、刀――。

 

刀?

 

「うわあっあ!?」

眼前に向けられた刀の切っ先に、思わず腰を下ろしたまま、無様に飛び退く。急に刀を向けられたら誰だってこうなるだろう。そんな僕の混乱具合など構うこと無く、何故か戻ってきた先程の少女――犬走椛は、問うた。

「今のはたてというのは、よもや姫海棠はたてのことではあるまいな」

「……え、知ってるの?」

刀が振り下ろされる・

「ひいい!」

無様に以下略。急に刀を振り下ろされたら以下略。さっきまで僕がヘタレていた場所には、ぎらぎらと鋭い刀が突き刺さっていた。冗談じゃない、すり減るどころか一刀両断じゃないか。二回も避けられたのが奇跡と言えるほど素人目に見ても太刀筋が鋭かった。

「そうか、貴様が」

刀を引きぬく彼女の眼は、何故だか刀に負けないくらいの鋭さで僕を射抜いていた。何だ、僕が何かしたか。

 

 

 

「貴様がはたての『恋人』とやらか」

 

 

 

「はえ?」

恐怖で何を言っているのかわからなくなっているので、彼女がなんと言ったのかは理解できなかった。僕の耳には確かに「恋人」という単語が聞こえてきたと思ったのだが。

「しらばっくれるな。はたての家に押し入った挙句居着いてしまい、今は恋人関係となった外来人――容姿も記事の通りだ。貴様以外にはあり得ないな」

「………………」

聞き間違いでは、なかったらしい。

「いやいやいや、恋人なんかじゃないです、マジで」

首をちぎれそうなほど左右に振る。なんだそのデマは、どこが出所だ。

「ではこの新聞記事は何だ。貴様のことが、事細かに記されているが」

そう言うと彼女は懐から、折り畳まれた新聞を取り出し、開いて見せた。そこには大きな見出しで「衝撃スキャンダル、姫海棠はたてに恋人疑惑!?」と書かれていた。正直一体何が何だか――。

 

『私、……新聞記者の……と申しますが』

 

「あ」

そうだ。

数日前の来客。

確か彼女は新聞記者だった。

新聞名は、確か。

「……聞きたいことがあるんですが」

「言ってみろ」

「その新聞の名前、一体なんていうんですか」

 その言葉に彼女は眼を一層細くした後、言うのであった。

 

「文々。新聞」

 

 

 

「貴方がああいう記事を書くから、こんな誤解が広まったんじゃないの?」

「何を言います。真実を追い求めるのが新聞記者の本懐じゃないですか」

「真実じゃないから問題なんでしょうが」

「またまたー。照れちゃって」

上空を飛び回りながら射命丸に愚痴る私と、それを適当に受け流す射命丸。私も射命丸も口ではそう言いつつ、眼は地上に向けている。

何故こんなことをしているのかというと――。

「もう一度聞くけれど、本当に私の家には誰も居なかったの?」

「ええ、確かに居ませんでしたよ。まあ、彼は空を飛べませんから」

そう遠くには行っていないでしょう、と射命丸は続ける。

「……ったく、何やってんだかあの馬鹿は!」

彼には夜にだけは外に出るなと言っていたが、それは妖怪が出る可能性が『高く』なるという理由だからだ。決して昼だからといって妖怪が全く出てこなくなるというわけではない。そこらへんを彼は履き違えていたのかもしれない――射命丸の流した噂が広まる以上に、私はそちらの方が心配だったのに。もっと強く言っておけばよかったか――悔やんでも悔やみ切れない気持ちに、私は歯噛みをする。

「……本当に恋人じゃないんですか?」

疑惑の視線で射命丸が見てくるので、私は即答する。

「当たり前でしょ! 誰があんな――」

「そんなに顔を赤くしながら言われても、説得力皆無ですがねー?」

「っ!?」

そんなことはない、とおたおたと頬をつねったり叩いたり。首をぶんぶんと二回振り、

「……そんなデタラメを言って揺さぶろうたって、そうはいかないわよ」

「現実逃避がここまで下手な人も初めてですねぇ」

呆れたように射命丸は言う。努めて冷静に振る舞ってきたが、こうまで言われては私も黙っていられない。いつまでも下手に出ていると思ったら大間違いだということを、思い知らせてやる。

「とにかく! 私と彼は、貴方が思っているような関係じゃ――」

「はたて」

「…………?」

急にトーンダウンした射命丸の声に訝しむ。その視線は地上、天狗の山の入口に注がれていた。

「あれ、もしかして」

指さすその先にいたのは、哨戒天狗の犬走椛。普段は山周辺の哨戒に当たっているため、彼女がここにいることは何もおかしくはない。

問題なのは、彼女が刀を抜き、構えていること。

そして、その刀の切っ先に居るのが。

 

「あの……馬鹿!」

 

件の彼、だったこと。

 

 

 

「はたてと恋人関係ということはつまり、抱きあうくらいはしたのか。答えろ」

「え、あ、っと、その」

「していないのか。それなら接吻はどうなんだ。したのかしていないのか」

「いや、だから」

「していないならそう言え、したのなら感触とその後取った行動を詳細に述べよ」

「し、して、ないです」

「そうか。それなら……ま、まさかとは思うのだが……ま、まぐわったのではあるまいな?」

「ま、まぐわいあ……?」

「ええい、間怠っこしい!」

「ひいいっ!」

「男女の仲になる程の記事が出たくらいなのだ、少なくともそれに準ずる行為はしたのだろう! うらやま……もといけしからん!」

「だ、だから僕ははたてとは恋人でも好き合ってもいなくて」

「黙れ小僧! お前にはたての何が解る!」

「そ、そんな理不尽なぁ!」

 

 

 

「……………………」

「……………………えーと」

気まずそうに射命丸が声を出す。私が何か言おうにも、一体この状況で何が言えるというのだろうか。

 

刀を突きつけて、彼から私の身体の詳細を聴きこむ椛。

その眼はまるで獲物を狙うかのような鋭さを持っていた。

 

そしてその脅しにびびりまくりの彼。刀が揺れるたび、小動物のように身体を震わせている。

 

もう正直、言葉が見当たらない。

 

「助けましょうか?」

気を遣ってか、そんな言葉が射命丸の口から出る。珍しいこともあったものだが、私の返答はもう決まっていた。

「……ほっといたら」

 その回答を射命丸も予想していたのか、あっさり

「そうしましょうか。取材は後日、ということで」

と、そう言って帰り支度を始めた。さりげなく取材をする気が満々だったので、私は一応、釘をさしておく。

「私の取材が終わってからね」

「……それは、いつになりそうですかね」

「さあ? いつになるか、見当もつかないわ」

「……本当に、現実逃避が下手なんですから」

今のは、自分でもそう思った。

けれども、それを射命丸に言うのは、なんとなく悔しいので。

私は精一杯の意地を込めて、こう返すのであった、

 

「何のことかしらね」

 

 

 

彼のさっきの言葉。

 

『はたてとは恋人でも好き合ってもいなくて』

 

その言葉を聞いて私の胸はずきりと痛んだ。

 

この痛みの正体がわかるのは、正直言って怖い。

 

けれど、もしこの怖さを打ち破れた時は。

 

その時は堂々と、私の新聞で――発表してやろう。

 

けれど今は。

 

 

 

「それで、はたてと抱き合った時の胸の感触は? 大体でいい、教えろ」

「え? えーと、確か……DからEくらいは」

「そこまでよ!」

 

 

 

この時間を、大事に使おう。

 

取材は、まだまだ続くのだから。


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