東方短篇集   作:紅山車

7 / 30
レミリア短篇

真夜中、空の月が満ちる頃。

私の背丈より遥かに高い鏡、その前に私は立って、私の姿を見ていた。決意の表れのように、口を真一文字に結んで。

ついに。

ついにこの時が来た。

私は、半狂乱になりそうな心を必死に押さえ付けながら、静かにその名を呼ぶ。

「はい、ここに」

平常通り淡々と、まるで感情を無くしたかのように、傍らに私の従者──十六夜咲夜が姿を現した。

私は咲夜に命を下す。

「かしこまりました。すぐに」

それだけ言ってから、またも一瞬で咲夜の姿が部屋から消える。

私は高揚した心を鎮めようと、胸に手を当てて息を大きく吐く。

 

──大丈夫よ。きっと。

 

他の誰でもない、自分自身を納得させるように、呟いた。

胸の動悸は治まる気配を見せず、ただ私の気持ちを表すように心の臓を叩いていた。

 

 

 

「失礼するわ」

そう言って、紅魔館のメイドである十六夜咲夜が、玄関の戸を叩いたのは、日が回って間もない夜中のことであった。

「……咲夜。どうかしたの?」

既に床に着いていた僕は、寝ぼけ眼で咲夜を応対する。

「お嬢様がお呼びよ。すぐに支度して来なさいな」

まんじりともせずに、咲夜は答える。同時に、僕はがっくりと肩を落とした。咲夜が発したその言葉は、僕の徹夜をほぼ確定させたようなものだからだ。

「何もこんな夜中にしなくともいいだろうに……まあ、毎度のことだからいいけど」

「あら。早寝早起きを心掛ける吸血鬼なんて、怖くも何とも無いと思わない?」

「どっちもぞっとしないね」

「どっちの意味で?」

月の後光を受けて、咲夜の顔に影が射す。僕は肩をすくめた。

「両方」

「まあ」

くすくす、と笑う咲夜を尻目に、ハンガーからコートを取り外し、それを羽織る。最近は冷えてきたので、やや厚手のものだ。

玄関の戸を閉め、鍵を掛けながら僕は咲夜に聞いた。

「で……何、また退屈凌ぎ?」

「さあ、私は何も聞かされていないから」

一つ、ため息。

「もう寝掛かっていたところを起こされたんだから、ちゃんとした用事であることを祈るよ」

「何に?まさか神様?」

まさか。この幻想郷で、どんな神様に祈ったって、叶うわけが無いのはわかりきっている。

「レミリアが言うところの、運命って奴に、かな」

「作為的な運命だけどね」

「……困ったもんだ、本当に」

「ね」

 

 

 

しがない画家の僕は、レミリアと面識がある。

何年前かは忘れてしまった、けれども季節は覚えている。確か、今にも雪が降って来そうに寒い、冬の出来事だった。

丁度その時も、厚手のコートを着て、毛糸のニット帽子を被って、白い息を漂わせながら、夜の道をあちこち練り歩いていた。

やがて見えた、見晴らしの良い丘。それに被って、まるで出来損ないのクロワッサンのように、下弦が欠けた月。

そして──、一人の吸血鬼。

 

「冬の月は良いわね」

 

吸血鬼の少女は、名前をレミリア・スカーレットと言った。こんな時間にここに居るのは、昼間に外出ると日光にやられてしまう、というものと、もう一つ。

「貴方に会いに来たのよ」

その言葉には、どこか憂いが含まれていた。僕は黙ってうなずき、背中に背負ったキャンバスを下ろし、それに木炭を走らせはじめる──彼女はただそれを、ものも言わずに眺めているだけだった。

 

 

呼ばれている。

僕は今、どうしても、吸血鬼を描かなければならない。

その混じりっけない姿を、キャンバスにしっかりと収めなければならない。

木炭で。パン耳で。指で。水滴で。油性絵の具で。

彼女を写し出すのだ。

ありったけの彼女を。

月に映える、彼女の姿を。

 

 

 

出来上がった絵を、彼女に見せる──彼女は、何も言わない。

けれど、鮮やかに色彩されたキャンバスから、彼女の視線が外れることは無かった。

「どうかな」

僕は、彼女のその真剣な横顔を見つめながら、聞く。

「良い絵ね」

一言だけ。

褒められたことがわかるのに、数秒を要するほど短く──吸血鬼は呟いた。

「ただ、この絵は──私には少し甘ったる過ぎるかしら」

彼女からキャンバスを受け取る。まじりっけのない、吸血鬼の姿が変わりなく写っている。

「……そっか」

僕はそれを月に向けた。凛として立つ吸血鬼と、それに重なるように薄ぼんやりと、淡い光が透けて射さる。

「君にはこの絵が、甘ったるく見えたんだね」

怪訝な表情を浮かべる少女に、僕は「ちなみに」と続ける。

「その甘さは、君から見てどんな甘さだった?」

「どうって……そうね」

少し考え込むそぶりを見せる。少し間が開いて、答える。

少しだけ、口角を吊り上げて。

「まるで、仲間内で馴れ合っているような──そう、吐き気がしそうな甘ったるさよ」

ふふん、と鼻を鳴らす。どうだ、と得意げに。まるで、どこかで聞いた格言を自信満々に引用する、未熟な学生のように。

「そう、そうなんだね」

僕はうんうん、と頷く。彼女の自信に、多大な虚偽が含まれていることを知っているから。

「貴方、見る目があるわね。いいわ、私の下僕第一号にしてあげる──光栄に思いなさいよ。何せ私は、あの高名なツェペシュの子孫なんだから」

「あぁ、うん、どうも」

何やらテンションの上がっている少女を余所に、僕は少し、困ってしまっていた。

目が冴えて眠れないから、ちょっとデッサンでもして気分を入れ換えよう、と思っただけなのに。

妙な少女──いや、吸血鬼に魅せられてしまった。

僕はふと、手に持ったままだったキャンバスに目を落とす。

やはり、というか──そのキャンバスには既に、少女の姿などは、影も形も無かった。

これが、僕とレミリアの出会いである。まだレミリアが、年端も行かない少女だった時の話だ。

何年前かは──いや、何百年前かは、忘れてしまった。

 

 

 

「………………」

椅子から立ち上がる。

そわそわと辺りを見回す。

腕とか組んでみたりする。

「………………」

やっぱり座る。

紅茶を一口。

ほっ、と一息つく。

「……これで九回目ね」

椅子から立ち上がった(正確には今の一連の動きをした)回数を、恨めしそうにつぶやきながら、私は頭を掻きむしる。

「お、落ち着きなさいよレミリア・スカーレット!何を緊張する必要があるの?そう、いつも通り、適当に理由を付けて、ただ会ってちょっと話するだけでしょう」

自分に言い聞かせるように言う。ちなみにこの部屋には、私以外は誰もいない。もう夜中の三時半なのだから、当然だといえる。従者の咲夜も、今は彼を呼びに行っている。

「そうよ、いつも通りに……い、いつも通り……に……」

段々、と。

身体が縮こまっていく。

わかっているのだ。

いつも通りじゃ、駄目なんだ、と──何度も自分に、言って聞かせてきたはずなのに。

 

運命というものは、抗うことのできない崇高な存在である。私がこうと決めたなら、すべての事象はこうと進まなければならない。

だからこそ、私は私に、こういう運命を課した。

 

『今日こそ告白するのだ』。

 

無論、私の『運命を操る程度の能力』の前では、こんな運命は制約にはならない。だがそれでも、私は決して、自身が定めた『運命』から逃れるつもりはない。

あの日。

あの丘で。

私と彼が出会って以来。

今日が最良の日なのだと、私が運命付けた以上──この機を逃すと一生私は後悔する。

だから、今回こそ。

私の気持ちを伝えるのだ。

何百年来の、この気持ちを。

……と、そう決心をしたのはいいのだが、いかんせん行動に気持ちが伴わない。

「…………うー……」

私は、恐らく真っ赤であろう顔をテーブルクロスにうずめる。

もうすぐ彼がここに来る。

その事実は、徐々に私に緊張感と焦りが出るだけだった。

 

 

 

「あーっ!」

咲夜に連れられ向かった紅魔館、俺を出迎えたのは、フランの突拍子のない声。

「お、フラン……おぅふ」

そして特大の、ダイビングヘッドバットだった。

僕の鳩尾に、フランが手荒な歓迎をするのは、毎度毎度のことなのだが、未だに慣れることはない。というか慣れたくない。

僕は「ねぇねぇ、遊ぼうよ!」と、袖を引っ張りながら言ってくるフランを、また今度遊ぶという約束を取り付けて宥める。

別れ際にもう一度、背中にヘッドバットを喰らうのもご愛嬌だ。

 

 

 

扉が打ち鳴らされる音に、私は瞬時に顔を上げる。

「お嬢様、お連れ致しました」

遅れて聞こえる咲夜の声に、私はつとめて冷静に答えた。

「……は、入りなさい」

少し語尾が上がってしまったが、許容範囲内だろう。むしろよくやった、と自分を褒めてやりたいくらいだ。偉いぞ、私。

「レミリア?」

「!」

いつの間にか、部屋に入っていた彼の声に、思考が停止する。

あれ。

えーと。

私は、一体。

何を言うんだっけ。

………………。

うー☆

「お嬢様、気をしっかり」

「は」

咲夜の一言で我を取り戻す。いけない、思わず地が出そうになった──こほん、と一つ咳を漏らし、たたずまいを直す。

目付きは鋭く。

背筋は真っすぐ。

口元は常に微笑。

物腰は柔らかく。

よし。

完、璧、だ!

「よく来てくれたわね。どうぞ、ゆっくり寛いでちょうだい。紅茶も一番を煎れてあるし、スコーンも焼きたてを用意してあるわ」

「……レミリア、大丈夫?何か無理してない?」

は、何をいきなり言うのかしら。今の動作は紛れも無い、レミリア・スカーレットでしょう。

「やばいやばいどうしよう動揺してるのがバレてるようスコーン焼いたのが私だってのもバレてるわよね焦げてるもんごめんなさい生まれて来てごめんなさい」

「お嬢様。本音と建前が逆になってますよ」

「あら咲夜。普段の私が建前だって言うの?心外ね、ほらご覧なさい。これほど優雅に紅茶を嗜む者なんて、この幻想郷では私をおいて他に居ないわようふふ」

「お嬢様。手が震えて、カップがカチャカチャいってますが」

「何を言っているのかしら咲夜、これは地震よ。けれど、地震が起きても優雅さを崩さないのが、私が私である所以よ。『押さない、かけない、喋らない』。常識でしょう?さあ早く避難をしましょう、煌めく新しい明日が私たちを待っているわ!」

そう言って私は脱兎する。

「ああっ、お嬢様どこに!?」

だけど案の定咲夜に捕獲される。私は涙目になりながら、半狂乱で叫ぶように言った。

「無理!私には無理!というか、もう夢も希望も無いわ!だって優雅さのかけらも無いじゃない!こんな状況で告白なんてうまくいくはずないでしょ!?」

「手づくりのスコーンを食べさせられて、落ちない男子なんてこの世には居ません!」

「どこ情報よそれ!?」

「ハーレクインです!」

「夢物語ぃぃぃぃぃぃ!」

 

「うん、美味い」

 

 

「え」

私は振り向く。驚くことに彼は、何事も無かったかのように椅子に座って、私が作ったスコーンを、口に運んでいた。

黒く焼け焦げたそれを。

「いや、本当に美味しいよこれ。レミリアが作ったの?」

「あ…………」

気付く。

彼は、私が私で居られるようにしてくれようとしているのだと。

高貴な吸血鬼──レミリア・スカーレットで居られるように。

そして、気付く。

彼は私の気持ちに──。

 

「……ふふっ」

 

私の口元に、微笑が戻る。

もう間違えない。

私は私だ。

どれだけ間違えても。

真実は──。

「ええ、そうよ。お口にあったようで良かったわ」

「うん。ところでさ」

「あら、何かしら?」

「話があるんだ」

彼は何とも無しに言う。彼をここに呼んだのは、私だというのに。

「ふん。つまらない話だったら、許さないわよ」

「うん……実は、ね」

まあ。

結果的には。

どっちでもよかった、ということに、なったらしい。

 

「好きだ。付き合って下さい」

 

「仕方ないわね。付き合ってあげるわよ」

 

遠くで、咲夜の呟きが聞こえる。

「説得力ゼロですね」

本当に。

こういうのは逆だろう、と。

本来告白する方が、顔を真っ赤にするものなのに。

目の前の彼は涼しい顔で。

当の私の方は、体温がどんどん上昇しているのがわかる。

こうして茶番は、幕を閉じた。

壁の絵が、あの頃と比べて、幾分甘さ控えめになったのは──勘違いではないはずだ。

けれど月は、あの頃と変わらず、瞬いていた。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。