東方短篇集   作:紅山車

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妹紅短篇

痛みには慣れてるつもりだった。傷付けられても傷付けられても、決して死ぬことはないなんて事は解りきっているのだから。

けど、まあ……何だろうな。

一人で居るときとか、たまに凄く不安になる。有り得ない話だけど──私はこのまま消え去るように死んでいくんじゃないか、というやもしれない不安が。

体の痛みに慣れていても。

心の痛みに慣れられない。

……柄じゃないってか。そんなの自分が一番解ってるんだよ。でも事実なんだ。

私は──

……そういや、何でお前なんかにこんなこと話してんだ?

 

 

 

頭を揺らす痛み。

がらがらの声しか出ない喉。

息苦しさ、熱苦しさ。

部屋の真ん中に敷かれた布団で、横になりながら、私──藤原妹紅は一言、誰に向けるでも無く、しゃがれた声で呟いた。

「……風邪……かぁ……」

けほ、けほ、と二回咳。あぁー、だのうぅー、だの言いながらもぞもぞと布団に包まる。

体温は計っていないが、恐らく三十七、八度では留まらないだろう──千年以上もの間生きた身体なので、自分の──特に体温に関するたいていの事は手に取るように解る。

原因は解っている。あのにっくき輝夜の奴だ。起きぬけの私に『炎には水でしょうねさあ喰らいなさい悶えなさい顔が濡れて力が出なくなりなさい!』とかなんとか言って、頭からバケツの水をぶっ掛けやがったのだ。そこからは、まあいつも通りの殺し合いが始まったんだけれど。ただでさえ風邪を引いて腹が立つのに、その原因が輝夜にあるというのが、私の怒りを増大させている。憤怒と暴力だけが友達さ。

「……いかん、ムカムカしてたらまた体温が上がっちまう」

何とか心を鎮め、寝返りを打つ。治ったらぶちのめしてやる、と、そう心に決めて。

それにしても。

「風邪なんて……引くのは、けほ……久し振りだな」

蓬来の薬を飲んで不老不死になっても、病気にはかかる。とはいえ、免疫力は普通の人間のそれとは比べ物にならないため、滅多にかかることはない。以前にかかったのは、確か何百年前だったか。

と、そこまで考えた所で、また激しい倦怠感が身体を襲う。

「……あー、駄目だ。大人しく寝とこう」

こんな状況では何も物を考えられない、そう判断した私はもぞもぞと布団の中に篭った。少しでも体温を上げて、早く治してしまおう──でなければ、輝夜にどんな事を言われてからかわれるか、解った物ではない。

「……うー……孤独、だ」

何百年ぶりか──もしかしたら、人間じゃなくなってから初めてかもしれない、そんな感情をぽつりと呟いてから、むしむしとした中に意識を落とす。

 

 

 

「……ん……む、ぅ?」

しゅんしゅん、という蒸気の音、カチャカチャ、という金属の音で目が覚めた。泥棒かと疑ったが、どうやらそうではない。いつの間にか額に、冷えたタオルが乗せられていたのだ。傍らにはタオルを絞るための桶が置いてある。

──こんな事をするのは。

直ぐさま一人の男の顔を思い浮かべた私は、台所へ続く障子を、そっと開いて覗き見た。

 

「あ、寝てなきゃ駄目だよ」

 

あざとく私を見つけたそいつは、粥をおたまで掻き混ぜながら、そんな事を言った。

「……うるさい。寝飽きたんだよ……て、てーか、いつの間に来たんだよ。このお節介が」

否応なしに上昇する体温と、そのせいで赤くなった顔を隠しつつ、つい暴言を吐いてしまう。

「まあ……元気そうだし、起きたんならいいや。はいこれ」

そんな私の言葉を軽くいなしながら、彼は私に体温計を手渡した。何の変哲も無い、そこらに売ってそうな、普通の体温計。

「……おい……こんなもんで、私の熱に耐えられると思ってるのか……熱暴走するぞ」

「布団が焦げてる、っていうなら無理だろうけどね。大体、妹紅の炎って妖術でしょ。能力みたいな自然発生じゃないんだから、暴発なんてのは無いよ」

「……そりゃまあ、そうだが」

不承不承、体温計を口にくわえる──と、これでいいんだっけ、という疑問が浮かぶ。前に風邪を引いた時、どうしたんだっけ。

「なあ。ほれ、ほうでいいのふぁ?」

体温計をくわえながらなので、呪文みたいな言葉になってしまったが、彼には伝わったらしく、

「ああ、合ってるよ。舌の下で、ね」

と返してきた。よく伝わったな、と我ながら感心する。

「お粥、出来たから持って行くよ──そこで食べられる?」

「……ん」

軽く応えてから、引いた椅子に腰を降ろす。まだ頭がボーッとするが、寝転がりながらでないと飯を食べられない、というほどではなくなった。

口先で体温計を上下させながら、改めて彼を見る。用意した盆の上に、粥を入れた器とレンゲを載せている。続けて、冷蔵庫から梅干しと鰹節を取り出すと、ひょいとこちらに視線を向けた。

「!」

見ていたことが知られると恥ずかしいので、咄嗟に目を逸らす。机に目を落としている私の耳に、彼の声が届いた。

「梅干しと鰹節入れるけど、大丈夫だよね?」

「え、あ、おぉ、うん」

目もくれずに、どもったような返答をする。その間、私の目線はずっと、机の木目に釘付けである。今あいつの目を見たらやばい──そういった自覚があるのだ。

と、その目線を遮るように、真っ白な蒸気が視界を支配する。少し遅れて、手元に真っ赤なレンゲが置かれ、私は視線を上げた。

 

「もう体温計は良いでしょ」

 

「っ!?」

 

生きているもの、驚きが限界を超えると声も出なくなるらしい。私の口先から体温計を外す、彼の顔がすぐ目前にあった時の私がそうだから、先ず間違いない。

「んー、三十八度二分……まだちょっと高いかな……って、あれ。どうかした?」

「あ、うあ、う、が」

今一度体温を測ったら、間違いなく五、六分は上昇しているだろう──そんな冗句が出てきそうなほど、身体が熱くなった。

彼はそんな私を見て、少し不審がったような顔をしてから、

 

「……んー」

 

こつん、と。

額を、私の額に当てた。

 

「!?……、……!……!?」

 

言葉にならず、口をぱくぱくさせている私を尻目に、彼は暢気に「……ちょっと上がったかな?」等とほざいている。

あ。

やばい。

頭がくらくらする。

何てこった。

熱暴走を起こしたのは。

体温計じゃなく、私だった──!

「……!」

ちらり、と目に入ったのは、ほかほかと湯気を上げている粥。私はそれを見るや否や、レンゲを右手に取り、急いで食べはじめた。食べることでしか、この状況を打破することは出来ない──!

「がふっがふっがふっがふっ……げほっげほっ!」

が、急いで食べすぎたせいか、熱い粥が器官に入ってしまい、思わずむせ返る。

「あぁ、もう急いで食べるから!水飲んで、水!」

「……っく……んく……」

言われるがまま、コップの水をぐびぐびと飲み干す。本当に、こういう時は用意の良い奴だ。

「……ぁー……助かった……」

落ち着き、ようやく一息付く。

「ああ、もう、ほら、頬っぺた。ごはん粒ついてるよ」

「ん、悪い──」

眼前には、真剣な眼差しで、ちり紙を構える彼の顔がある。しまった、墓穴を掘ってしまった!

「っと、取れた……って、顔真っ赤だけど。大丈夫なの本当」

「あ、あ、ああ──」

喉から声を搾り出すように出す私と、心配そうな視線で更にこちらを見つめる彼。

その顔を見ていると、何だか、いたたまれなくなって。

思わず私は、椅子から立ち上がっていた。

勢いよく立ち上がったため、座っていた椅子が、大きな音を立てて倒れる。

「えっと……どうかした──」

「お前は」

心配そうな彼のその言葉を遮り、私は──聞いた。

「何で、ここまでしてくれるんだ──私がどんな人物か、知らない訳じゃないだろ」

 

 

 

不老不死。

時を飛び越えながら生き。

時代を追い越しても死なず。

神の頭を上から踏み付け。

道理や常識を真っ向から覆す。

歴史に弾かれた特異な存在。

 

「……お前がこんなことしないでも、私は死ぬことはない。でもお前はそうじゃないだろ」

人は老いる。

彼も老いる。

人は死ぬ。

彼も死ぬ。

私を、これ以上知ったら。

私と、これ以上関わったら。

私に、これ以上構ったら。

──いけない。

「風邪が移ったら大変だろ。解ったなら、私の事は私に任せて、さっさと帰れ」

 

 

 

「嫌だよ」

 

そう言って、彼は笑った。

 

「僕が風邪を引くよりも、妹紅が風邪で苦しんでいるのを見る方が──よっぽど辛いから」

 

 

 

私と関わった人は。

皆、皆、死んでいった。

残ったのは、あの馬鹿姫だけ。

他は皆、私を残して死んだ。

父も、母も、兄弟姉妹も、その子もその子もその子もその子もその子もその子もその子も。

だから、私は決めた。

人を覚えない。

人を好きにならない。

けれどその決意は、あの時。

『迷ったのか?』

彼に竹林で、こう声を掛けた時。

崩れてしまったのかもしれない。

 

 

 

『……君は、妖怪?』

『いいや、人間だ。千年ばかし生きてるけどな』

『ああ、うん、そう』

『そんで、どうかしたのか?迷ったんなら道案内を──』

『頼みがあるんだ』

『……何だ、薮から棒に』

『友達になってください』

 

 

 

あの時、本当は一刻も早く竹林から出たかった。

もう夜遅かったこともあるが、まかり間違って永遠亭に迷い着いたら、何をされるか解らない。

でも、妹紅を見た瞬間。

そんなのはもう、どっかに吹き飛んでいった。

『迷ったのか?』

そう言う妹紅に、僕はもう。

好きに、なってたんだ。

 

 

 

後日。

「……本当にいいのか」

風邪もすっかり治った私は、改めて彼と向き合っていた。

「僕が言い出した事だから。自分の言葉には責任持つよ」

私が今持っている小瓶の中では、透明の液体が揺れている。

「……なら良いんだが」

「ん」

そう言ってから、私はその瓶の蓋を開け、彼に渡す。彼は瓶に口を付けて、一息に飲み干す──前に、私に言った。

「妹紅」

「ん、何だ?」

 

「これから幸せになろうね」

 

そう言って彼は──透明の液体を飲み干した。

 

「……幸せ、ねえ」

私は一言呟いてから、皮肉たっぷりに彼に言った。

 

「……幸せになるのは、まずお前の風邪を治してからだな……」

 

「妹紅、この薬苦い。もっとマシな風邪薬無いの?」

「子供か!」

ぐずる彼に盛大なツッコミを入れて、思わず溜め息をつく。

「ったく……本当に私の風邪移すなんて、何考えてんだ」

顔を真っ赤にしながら布団に潜っている彼に、諭すように言う。

「いや、でも妹紅が看病してくれるから、そう悪くはないね」

「確信犯か……」

呆れる。あの時の告白と、それにときめいた私の乙女心は、一体どうしてくれるんだ。

「まあ、でも、さ」

彼は息を絶え絶えにして、けれど幸せそうな表情を浮かべながら、言った。

 

「すぐに治すから」

 

妹紅がこれまでに過ごしてきた、途方も無く永い時間と比べて──僕が妹紅と一緒に居られる時間は少ないから。

 

「……うしっ!そんなら私が、直ぐ治るように徹底的に看病してやるからな!覚悟しろ!」

「おー、役得役得」

そう言って笑う彼。

私は微笑み掛けながら、

不器用なりに粥を作って、

不格好なりに林檎の皮をむいて。

懐かしい──思い出だ。

 

 

 

「一つ聞きたいのだけれど」

「何だよ」

「なぜ彼は、蓬来の薬を飲まなかったの?もし飲んでたら、今も貴方と幸せにやってたでしょうに」

「……そりゃあ、私だって飲んでほしかったけどな。あいつが飲まないっつーんだから、何も言えないだろーよ」

「飲まないって?……その彼が?どうして?」

「『僕は妹紅みたいに強くないから』だとさ」

「ふぅん」

「……ところで、輝夜」

「解ってるわよ。生憎私も、今日は殺し合う気分じゃないの。今の貴方の話、いいお酒の肴になりそうだから。もう帰って酒盛りにするわ」

「……そっか」

「ええ、それじゃあ。また殺し合いましょう?」

 

 

 

「なあ」

 

『不老不死にはならないけど』

 

「楽しかったなあ」

 

『短い分』

 

「また一緒に暮らしたいなあ」

 

『濃くすれば良いんだよ』

 

「二人の時間を」

 

『二人の時間を』

 

一粒の雫が、墓石に落ちる。

 

この呟きは、彼に届くだろうか。

 

「好きだぜ。今も、昔も」


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