東方短篇集   作:紅山車

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あじゃどう!

お久しぶりですが元気です。

リクを頂いたのと、ちょうど書きたい欲があったので、華扇ちゃんで一本。

今後ともよろしくオナシャス。


華扇短篇

 男は丘の頂上で寝転び、まるで何かを待っているかのように、静かに空を見上げていた。笠を深く被っていたため顔はよく見えなかったが、何やらを企んでいるようにも見えない。

「誰ですか」

 それでも不審に思い、声をかけると、笠を指でくいと上げた。今にも閉じそうに眠たそうな眼、整えられたようには全く見えない無精髭。笠を被っていることから修道者かと思ったが、この風貌からしてその可能性はなさそうである。

「んぉ、あぁ……どうも」

 その男は私にそう挨拶をすると、また視線を空に戻した。雲ひとつない快晴だが、不思議なことに鳥や虫などは一羽一匹見当たらなかった。

「私は、あなたは誰ですか、と問うたのですが」

 質問を無視され、少しむっとした口調で言う。しかし男は視線をこちらに向けず、ただ首の据わった人形のように空から目線を外そうとはしなかった。

「あぁ、無視をしているわけじゃあない。そう怒りなさんな」

 もう一度、今度は怒鳴ってやろうかとしたところに、釘を刺すように男は言う。私はすっかり勢いを削がれ、やり場のない言葉を飲み込んでから、溜息を一つ吐いた。

「……こんなところで、一体何をしているのですか。ここは滅多に人が通らない所なのですが」

「じゃあ俺ゃあ、その滅多の内ということで一つ」

 こちらを見ようともせず、私の言葉を飄々と受け流す。なんだろうか、やりとりを続ければ続けるほど、私のほうが不利になっていくような気さえしてきた。

「無いとは思いますが、もし貴方が妖怪で、人を襲うようなことを企んでいるのであれば――」

「無い。それに関しては、全く」

 そう言って彼は笠を外した。雑に刈られたぼさぼさの髪が、風に当たり吹かれる。

「それで、嬢さんは一体何用だい。こんな『滅多に人が通らない所』へ」

「……この場所に、特に用事があるわけではないのですが」

「そぉーうか、そいじゃあ邪魔してくれるな。俺ゃあ、日向ボッコの最中なんだ」

 その姿格好で日向ボッコとは、随分と似合わない台詞を吐くものだ。とは、言わなかった。その代わりに一言。

「それでは、お気を付けなさい。ここは人は通りませんが、『人以外は』よく通る」

「………………」

 男は私の言葉を聞いてか聞かずか、また笠を深く被って寝転がってしまった。私は肩をすくめて「忠告はしましたよ」と言い残してから、男に背を向けた。

「……どうやら、そのようだなぁ」

 男が小さく呟いたのは、風に流れて私の耳には届かなかった。

 

 

 

 

 

 次の日も、男はそこに居た。

「また会いましたね」

 どうやら寝ているらしい。顔に被せた笠の下から、決して小さくはないいびきが聞こえてきた。

「……妖怪が出ると言っておいたのに、よくもまあこんなところで、それも真昼間から寝ていられるものですね」

 無神経さに呆れつつ、男を見る。中肉中背、服は紺染の安っぽい甚平と使い古された草鞋。笠がなければ――いや、あってもその身なりからは浮浪者にしか見えなかった。ならばここへは、生きることに疲れて妖怪に食べられに来たのだろうか? しかし初めて会った時、さして人生に絶望した様子は見えなかったが。

「……おいお嬢さん、勝手に可哀想な人設定にしないでくれるか」

「……起きていたんですか」

「さっき起きたんだよい。何だよ黙って見てりゃ、人を自殺願望者みたいな目で見やぁがって」

「………………」

「違ったんですか、みたいな顔をすんのもやめてくれや」

 バレていた。

「俺ゃあ、別に死にたくてここにいる訳じゃあない。妖怪に出くわせば隠れるし、飯も食うし、水も飲む。必要とあらば睡眠も摂る」

「どう見ても必要以上に寝ているように見えますが」

 そう言うと男は笑い、

「そりゃそうさね。生きるために必要なのは、食って寝て、起きたらまた寝ることだ」

と宣った。

「お気楽なことですね」

「そうとも。それだけが生き甲斐だもの」

「自信満々に言うことですか、それが」

 額を抑える。どうやら自殺願望者ではなく、本当にその日暮らしの根無し草の浮浪者であったらしい。

「いけないことかい」

「……いいえ。貴方がそれでいいのならば、それでいいのでしょう」

 普段なら目くじらを立てて性根を叩き直してやる、と言うところであるが――幾分この相手だ。説教など右から左へ流すだろうし、そもこの男が改心した姿が到底想像がつかない。

「そりぁ良かった。説教なんてされたんじゃあ、溜まったものじゃない」

 男は笑って、また笠を顔に被せた。

「また寝るのですか」

「途中で起こされて、充分に寝れんかったのでね」

 妖怪が来たら起こしてくれ、などと言って私がまた呆れ返る頃には、既に男は寝息を立て始めていた。

 

 

 

 

「釣れますか」

 次の日は、男は黙って釣り糸を垂らしていた。

「釣れると思うかい」

「いいえ。まったく非合理的で意味のないことをしていますね」

 もちろんその丘には、川や泉など影も姿もない。ただ男は、空に向けて釣針を飛ばして、当たり前のように釣針を地面に落としていた。

「そうさなあ。あんまりにも退屈だから釣りでもするかと試してみたんだが、釣果がお嬢さん一人だけたあ、ほとんどボウズのようなもんだ」

「……つくづく人生が楽しそうですね、貴方は。羨ましいです」

「お、そっか? そう言われると嬉しい気ぃもするわ」

「皮肉ですよ」

 真正面から叩斬ったつもりであったが、男はそれでも無邪気に笑って、

「そんじゃあ、ここ数日毎日ここに来てるお嬢さんも、似たようなもんだな」

 そう言うので、私はもうすっかり何を言う気も失くしてしまった。

「……もう何も言いませんよ、私は。貴方など、妖怪になりなんなりに食べられてしまえばいいのです」

「はっはぁ、そんならせめて顔良し気前良しの別嬪に食われたいもんだ」

 そう言って脳天気に笑う男は、妖怪に食われたくらいではとてもじゃないが死にそうではなかった。

「……貸してください」

「ん?」

 貸すって何を、と言いたげの男から竿をひったくると、私は男に向けて言い放つ。

「こんなことにはなんの意味もないということを、私が証明して差し上げましょう。どうせ何にも釣れやしません、釣れる訳がありません」

 そう言って私は、男がやっていたように釣針を宙に飛ばす。その様子を見てか、男がまた無邪気に笑った。

「俺もだけど、お嬢さん。あんたもよっぽどの暇人だ」

「嬉しくないです……って」

 竿がしなっているのを見て、私は目を丸くした。まさか、本当に何か釣れたのか――いいや、こんな釣針に餌も付けていないのに、釣れるなんてことは。

「………………」

「………………」

 ぷらーん、と。

 釣針に貫かれたどんぐりが、私の眼前に垂れていたので。

「よっ、釣り名人」

「……うるさいです」

 私はもう、それしか言うことが出来なかった。

 

 

 

 

 次の日も、また次の日も。

 明くる日も飽きること無く。

 男はその丘の頂上に佇んでいるので。

 私は一つ、尋ねてみたことがある。

「貴方は、一体何者何ですか」

 男はいつもの調子で、答えた。

「何者でもないさ、俺ゃあ。居ても居なくても同じ、存在が希薄な、ただの人」

「とてもそうは見えないのですが」

「それは、コッチの台詞でもあるんだけどもね」

 その時の男の視線は、いつものにへらとしたものではない、こちらを刺すようなものであった。

「いいじゃあないか。俺ゃあ暇人で、お嬢さんも暇人。たまたま、暇を潰す場所が被ってしまった、それだけ」

 けれどそう言う男の様子は、もう元に戻っていたので。

 私はそれ以上何も言うことが出来ず、平常通りに佇んでいるのみであった。

 

 

 

 

 その日は、蒸すように暑い日であった。

「……こんにちは」

「んあー……」

 いつもなら軽く「おぉう、また来たのかお嬢さん。本当に、俺らぁ暇人だなあ」なんて返してくるのだが、その日の男は笠を顔に被せたり、身体を涼しいところへ持って行ったりと、少しでも涼しくしようと努めているようだった。相当暑さに参っているらしい。

「元気そうですね」

「これがそう見えるんかい、お嬢さんには」

「いつものだらけている姿よりも、そうして少しでも涼しくあろうとしている方が余程人間らしいと思いますがね」

「あぁ、そうですかぃ、そいつぁー、良かったねぇ」

 どうやら本当に辛いらしい。息も絶え絶え、と言った感じで、こちらの言葉が耳に入っているかどうかも怪しいところである。

「……もうじき梅雨の季節ですか、こんな天気ももうじき無いのかもしれませんね」

 会話が無くなったので、天気の話を振る。

「……そうだなぁ」

 そんな、あっても無くても変わらないような相槌を打たれ、私は相変わらずだと安心したと共に。

 ふ、と、思い至った。

 

 男と会ってから、毎日欠かすこと無く、ここに訪れている。

 

 決して短くはない期間、私は彼と過ごしている。

 

 その間、丘の天気は――ずっと、ずっと、変わること無く、快晴だった。

 

 雲ひとつ無い、鳥一つ飛ばない、虫一つ鳴かない、そう。不自然なほどに。

 

 

「霞だ」

 男は、今にも耐えそうな声で、言った。

「貴方――」

「名前じゃあない。霞なんだ、俺ゃあ」

 苦しそうに、けれどいつもの通り寝転がりながら、男は言う。

「春が去ると、霞も消える。次に来るのは、ジメッとした梅雨と、嫌になるくらいの雨だ」

 

「それが過ぎたら、今度は茹だる夏だ。そこまで来ると、もう霞なんて欠片も残っちゃあいない」

 

「そうして季節が流れて、また春が来ると、また霞は来る。ただし、それはもう、違う霞だ」

 

「俺ゃあ、普通に霞として生まれて、何をするでもなく終わるんだと思ってた」

 

「それが目覚めたら急にこんな、人間の姿を与えられて、なぁ。正直、戸惑ったよ。幻想郷を恨みもした」

 

「そこに居て、そこから消えるのが仕事なのに、存在を与えられてちゃあ、仕事の食いっぱぐれなのさ」

 

「妖怪に食われて終わりでもいいかとも、正直、ちらっとだけ、思った」

 

「でもなぁ、気づいちゃあくれねえ。ここを通る妖怪は、皆、霞の存在なんか気づきやしねえ」

 

「唯一、お嬢さんを除いて、だ」

 

 お嬢さん、霞が見えたってことは、あんたぁ仙人なんだろう。

 男は、そう言って私の方を、指さした。その指先は、もう枯れ、萎んでいるようであった。

「後生だ、頼む。霞を、食ってはくれまいか」

 

 仙人は、霞を食って生きて居る。

 霞の存在価値は、それに尽きる。

 仙人に食われ、消える事こそが。

 霞にとって至上の喜びであると。

 

「貴方は。貴方は、それで」

「良いに決まっているだろうさ」

 戸惑い言い淀む私を、けれど男は制し言う。

「俺ゃあ、お嬢さんに言ったぞ。どうせ食われるなら、別嬪さんに食われたいと――お嬢さんに食われるのなら、人生まだまだ捨てたもんじゃあないと思えるさ」

「――――――」

 私は。

 私は、何も言えなかった。

「お嬢さんには、感謝をしている。俺ゃあ、話相手が居るってことが、何よりも幸せだった」

「そんなこと!」

 私は、何もしていなかった。

 ただ、貴方の言うことに、一々悪態をつくことしかしなかった。

 貴方が、自由気ままに生きる貴方のことが――羨ましかった。

「……お嬢さんよぉ、俺ゃあ説教は嫌いだ」

 けれど、と男は続ける。

「お嬢さんの説教なら、ちょっとだけなら、聞いてもいいって気分になった」

 だから、頼む。

 男の身体は、もうすっかり、やつれ、痩せ細っていた。

「……貴方は、本当に、大馬鹿者です」

 

「ぐうたらで、サボり魔で、自己中心的で」

 

「それで、その時が来たら勝手に消えていく」

 

「しかも消えるのが嫌だから、私に最期を看取らせる」

 

「本当に、駄目男です。卑怯者です」

 

「……それでも、だからこそ、私は貴方を」

 

「貴方を、好きになってしまったのかもしれません」

 

「私とは正反対の貴方に惹かれたのかもしれません」

 

「ですので」

 私は、男にそっと、口付けをした。

「これからは、私と共に、生きてゆきましょう――」

 

 

 

 ありがとうよ、お嬢さん。

 男の言葉が、初夏の空に溶けて消えた。

 男の姿は、もうそこにはなく。

 寝転んでいた場所は、露が草に垂れて光って居た。

 

 

 

 

 

 

 

「……ほら、霊夢。きりきり歩きなさい」

 すっかり疲れて歩く速度を落とした霊夢を、後ろで叱責する。霊夢は肩を落としながら、不満そうに呟いた。

「こんなところまで水を汲みに来なくても、すぐ近くの井戸にでも行けば幾らでも水は汲めるでしょうに」

「そうとも、水を汲みに行くのならすぐそこでも良いでしょう。しかし、目的は貴方のだらけきった性根を叩き直すことにあるのです。分かったなら、ほら、ちゃちゃっと歩く」

「はいはい……ったく、それにしたって、こんな高い丘に登らなくったって」

 ぶつぶつ言いながら、水桶を背負い直す霊夢を見て、私は溜息を吐いた。

「全く、私も昔はこの丘を、毎日のように登ったものですが……」

「はぁ? この丘をぉ? あんた一体、何のために登ったのよ」

「それは勿論、彼に会いたくて――ぇ」

 そこまで言って。

 ぼっ、と顔に火が着いたのを感じたのと同時に。

「ん、ええ? 何々? あんた、まさか好きな男に会うために――」

 霊夢が水桶を放っぽってこちらに寄ってくる(本当に、こういう時だけ行動が早い)ので、私は思わず口を塞いで失言を取り消した。

「ち、違っ! ほら、霊夢! 私のことはいいからっ! 早く歩きなさい!」

「えー、いいじゃないの減るもんじゃなし。ほらほら、華扇? 早いとこ言っちゃいなさいよ――」

「あぁぁぁぁ、もうっ!」

 どこかの烏天狗のようにしつこく食い下がってくる霊夢を退けながら。

 私――茨木華扇は、彼の顔を思い出して、また赤面してしまうのであった。

 

 きっと頂上では、彼はいつものとおり笑っているのだろう。

 そうしてまた、釣れるはずのない釣りを始めるのだ。

 ――まったく、まんまと釣られてしまったものだ。

 そう言いつつも嫌な思いは全くしていない、そんな私が、そこには居た。

 

 爽やかな風の吹く、早春の候であった。


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