東方短篇集   作:紅山車

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久しぶりに。


小町・華扇・魔理沙短篇

 その河の色は、いやにどす黒く見えた。

 近付いて掬ってみると、水自体は透明だ。けれどその底が、真っ暗闇だったのだ。光なんて一筋どころか欠片も見当たらない、深淵。

 じゃあこれは河ではないのか――河というものは、対岸があって、そう深さはなくて、水生物が生息していて。

「それ以上近寄ると、魅入られるよ」

 声がした方を見ると、座り込んで水面に釣り糸を垂らす女性がいた。

「魅入られるって、何に」

「決まっているじゃないか」

 しかし女性はそう言ったきり押し黙り、ただ釣り糸の先の浮きをただじぃっと見るのに戻った。

 沈黙。

「……釣れますか」

 ただ会話もせず突っ立っているのもなんなので、話を振る。

「釣れないだろうね」

 にべもなく、女性は言う。妙に確信を持ったような口調で。

「じゃあなんで釣り糸を垂らしているんですか」

「んー。なんでだろうね」

 女性はくぁ、と欠伸を漏らす。きっとこの女性はよほどのんきな人か、人生に諦めを付けた人かのどちらかだろう。

「まあ強いて言うなら、獲物はあいつさ」

 彼女はそう言って、水面を指差した。そこにはけれど、魚の影などない。それどころか流木も、長靴も、水面の揺れさえも。

「何もないじゃないですか」

「いーや、ある。本当に何もないと思ってんのかい? あんたは」

「………………」

 付き合っていられない。身体を翻し、僕は歩き出す。

「どこに行く気だい」

「ここ以外ではないどこかです」

「ここがどこかもわからないのに?」

「ここがどこかを知りに行くんです」

「ご苦労なこって」

 ショリ、という音が聞こえた。林檎か何か食べているんだろうか。

「まぁいいさ。飽きたらまた、ここに来ると良い。あたいもそろそろ、仕事に戻らなきゃいけないしね」

 仕事? 休憩中だったのか。

「サボってたことをバレたら、またどやされる」

 サボってたのか。やっぱりろくでもない人間だった。

「あー、行くあてがないならこの河沿いに進んで、蛍の集う辺りを曲がるといい。そこになんかしら建物があるかもしれないね」

「……『一応』耳に入れときます

「素直じゃないねぇ」

 立ち上がり、ここから去る女性の足音が聞こえる。全くおかしな奴だったなあ、と思いながらひょいと振り向く。

 

 巨大な鎌を背負い、林檎を齧る少女が見えた。

 

 

 

 女性の言うとおりにしばし歩くと家が見えた。少なくとも普通の民家では無さそうな、大きな屋敷だ。

「良かった。ここがどこか教えてもらおう」

 御免下さい、と戸を叩く。少し経って、戸が開く。

「……何用でしょうか。河ならあちらですが」

 出てきたのは、何やら不機嫌そうな女人。薄桃色の髪に前掛けと道着を組み合わせたような服を着ていた。ヒョッとすると、ここは道場か何かだったのかもしれない。

「いや、その河からここに迷い込んだ者ですが」

「ならば今すぐに河に戻り、然るべき場所に行きなさい。ここは貴方が居ていい場所ではない」

 酷いことを言うな。僕はここにいちゃいけないらしい。

「河にいた女性に、ここに行けば何かあると言われまして」

 僕は言う。多少脚色はしたが、まぁ大体こんな感じのことを言ってたと思う。言ってたよな。言ってた。

「……その女性というのは」

 眉がぴくりと動く。同時に顔に少し陰りが見えた。

「一体どういう者でしたか」

「どういうって」

 僕は素直に特徴を伝える。

 

「河辺に座ってて」

「ふむ」

「釣りをしていた」

「ふむ」

「髪は赤色で」

「……ふむ」

「林檎が好物で」

「…………ふむ」

「巨大な鎌を背負って」

「………………」

「仕事をサボっていた」

「今すぐそこに案内しなさい」

 ぐわしと肩を掴まれる。痛い痛い。

「案内はいいですけど、もう河には居ないと思いますよ。「仕事に戻る」って言ってましたし」

「……はぁ。今度あった時にはお灸を据えなければ」

 そういって女性は手を離した。肩、赤くなってそうだな。

 と、当初の目的を果たさなければ。

「ところで、ここはどこなんですか」

「……貴方、一体どこから来たんですか」

 疑いの視線。

「それが覚えてなくて、気がついたら河辺にいたんで」

「………………はぁ」

 呆れたように溜息をつかれる。まあそりゃそうだ。こんな荒唐無稽な話を初対面の相手にされて、呆れないほうがおかしい。

「……いいですか。よく聞きなさい」

「はぁ」

「ここは、あの世とこの世の境目です」

「……はぁ」

「そして貴方が目覚めた河は、三途の河です」

「ははぁ、なるほど。道理で底が真っ暗なわけだ」

「………………」

「どうかしたんです?」

「……そこまで言って、まだ気付かないんですか?」

 気付く。気付くとは、一体何に。

「今の話の流れでわかるでしょう。ここはあの世とこの世の境目で、貴方の目の前には三途の河があった。これが何を意味しているのか」

「ふむ」

 話された項目をまとめる。

「えーと、つまり」

「はい」

「家に入れてくれるってことでしょうか」

「何故そうなったんですか!?」

 驚かれた。どうやら違った答えだったらしい。結構自信があったんだが。

「……はぁ。物分りの悪い貴方に、教えてあげましょう」

 教えてくれるらしい。親切な人で良かった。これでまた出会ったのが、さっきのような飄々とした掴みどころのない人だったらどうしようかと――。

 

「その身を以て」

「おぶ」

 

 腹パンされた。超痛い。

「……当たった? いえ、今の話が本当なら彼の身体は霊体で、殴る蹴るなどの攻撃はすり抜けるはずですが。きっと死ぬ際に未練が……」

 顎に手を添えてぶつぶつ言ってる彼女の姿が、だんだん黒に侵食されていく――ああ、僕が目を閉じているのか。

 あぁ、あんまり良い人じゃなかったなぁー……。

 

「……って……だいじょ……起き……」

 

 でも、意識を手放す直前に見えた彼女の心配そうな顔は、悪い人には見えなかった。

 

 

 

『黒ってさ、二種類あると思うんだよな』

 まっくらな中で、僕はそう言われる。

『安心出来る黒と、安心できない黒』

 だとすると、僕の周りを渦巻くこれは、間違い無く安心できない黒だ。

『まっくらな中にこもってるとさ、だんだん、この世界にはひょっとしたら自分しか居ないんじゃないか、って気分に陥るんだ』

 それは安心できないなあ。

『でも、そこから出たときはさ、なんか今まで以上に、光って安心できるもんなんだなあって思えるもんなんだ』

 そういうもんかね。

『そういうもんなんだよ』

 それじゃ、黒は安心できないし、安心もできるってこと?

『いや、ちがうちがう。世の中には、数少ない『安心できる黒』ってのがある、って話さ』

 へぇ。それって一体何なの?

『そりゃ勿論、この私だよ』

 ……安心出来る黒では、ないんじゃないかな。世間の印象的には。

『そんな周りの噂に流されんなよ。お前の印象を言ってるんだよ、私は』

 ま、確かに。君の黒を見たら、ちょっと安心するところはあったりするけどさ。

『だろ!? そうだろ!?』

 ただ、安心できないところもあるかな。

『お、私に意見か。偉くなったじゃないか』

 まぁ安心できないってのは、会うとドキドキするってのがあるからなんだけど。

『………………ん? え、あ、あぁ?』

 っと、そろそろ行かなきゃ。それじゃあね。

『ちょ、おい、待てよ! 最後のって一体どういう意味だよ! なぁ!』

 そんな安心できる声に後ろ髪を引かれながら、僕を呼んでいるもう一つの声に向かう。

 

 

 

「お、起きたね」

「……えっと、いつぞやの釣りをしながら林檎をかじっていた巨大な鎌を背負っている赤髪のサボり魔さん」

「具体的な説明ありがとう」

 その女性の顔がすぐ側にあったので、僕は内心どぎまぎしながら身体を起こす。純和風の部屋。きっとあの屋敷の中なのだろう。

「いやぁ、災難だったねえ」

 彼女はやけににやにやしながら言う。なんだろう、僕の顔になにか付いているのだろうか。

「はぁ、まあいきなり殴られるとは思わなかったですけどね」

「あぁ、いやそうじゃなくて――まぁそれもちょっとあるんだけど」

「?」

 話が読めず頭をかしげる。

「ちなみに聞くが、ここはどこか知っているかい?」

「えーっと、あの世とこの世の境目、ですか?」

「そう。じゃあ、ここにいるあんたは一体何なんだろうね」

 考える。

「あの世とこの世の境目人」

「そんな限定的な人種は存在しないさ」

「じゃあ、この世人ですね」

「いやぁ、あの世人だ」

 あの世人。

 あのよ、の、ひと。

 ということは。

「僕死んでるんすか」

「んー? あー、死んでる死んでる。結構な確率で死んでる」

「どれぐらい死んでますか」

「まだギリギリなんとか無理すれば生き返れそうなくらい死んでる」

「絶望的ですね」

「絶望的だねえ」

「何故そこでベストを尽くさないのか!」

 ッターン、と開け放たれた麩からは、薄桃色の髪の少女。

「あ、殺人犯だ」

「あ、殺人犯さんだったんですか」

 ドーモ、サツジンハン=サン。

「違いますッ! あ、いや、違わないけど! まだ死んでないでしょう!」

「いやあ、私と会った時はまだ『この世』の人間だったのにねえ。どこかの仙人が気まぐれに腹パンしたら一気にこっち側に来ちゃったんだから。これはもう、大変なことやと思うよ」

「あぁ、あれってそういう」

 てっきり本気で殺しに来てるのかと思った。

「ッ! そ、それは貴方も悪いでしょう!? 生きてるか死んでるかわからないような者を、死神である貴方が私の屋敷に寄越すなんて……狙っているとしか思えないじゃないですか!」

「んー? 寄越したつもりはないけどねえ」

「しらばっくれないで下さい! だいたい貴方はいつも――」

「あの」

 す、と手を挙げる。会話を遮られた二人が、こちらに視線を向ける。

「なんとか、今から生き返る――というか『この世』に戻れる方法ってないもんですかね」

 僕がそう言うと、仙人であるらしい彼女は「ないこともないです」と言った。死神であるらしい彼女も「ないこともないねえ」と言った。

「じゃあ、何とかして帰して欲しいんですが」

「んー……本当なら、映姫様の意見を伺わなきゃいけない場面だけども」

「……いえ。あんな閻魔に任せたらこんな『あの世』寄りの人間は、最後は幸せな地獄行きを宣告されて終了するに決まっています」

 幸せな地獄行きってなんだろう。甘い物を死ぬまで食わされるとか、そんなんだろうか。

「じゃあどうするのさ」

「知れたことです。本来生き返るはずだった彼がこうなってしまったのは、私達によるところが大きい――」

 けきょけきょ、ぐわっぐわっ、ぐぉぉぐぉぉと。

 襖の奥から、何やら不吉な声が聞こえたような――そんな気がした。

「だったらやることは一つだねえ――」

 がしょん、と。

 死神は手に持った鎌を鳴らした。

 

 

 

「「私達の手で、死んでも生き返らせる」」

 

 

 

 

 これなら幸せな地獄行きのほうが良かったなあ、と。

 ちょっと思っちゃったりしたのは秘密である。

 

 

 

「あっ!」

 ……視界がぼやけている。暗闇。それが少しづつ晴れていく。

「お、おいっ! 大丈夫か、なぁ!」

 その先は、また漆黒。けれど、どこか暖かい黒。

「……うん。ちょっとくらくらするけど、大丈夫だよ」

 僕がそう言うと、真っ黒な彼女はじわじわと涙の粒を零して、

「うわ嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼ん!!!!」

「おぶ」

 腹に突っ込んできた。危ない、鍛えてなかったら死んでいた。

「ご、ごっめ、ん、なぁ! わわ、私がお前に、どどど毒キノコ入りのシチューなんか、えぐっ! 食わせなきゃ、こんなこっと、に、は……うううっ!」

「あー、うん。もう大丈夫だから。もう泣き止みなよ、っていうかあぁもうほら、はなぢる出てるから」

 ティッシュを手渡すと、少しえぐえぐ言いながら豪快に鼻をかむ。

「ご、ごめんなぁー! もう二度としないから、な!」

「うんうん、もう二度としないでね、お願いだから」

「んう」

 落ち込む彼女の頭を、軽く撫でる。

「……私のこと、嫌いになったろ。本当にごめんな」

「?」

「いやだって、こんなことする女って嫌いだろ……」

「あぁ、そゆこと。バカだなー」

 そう言うと彼女は途端にムッとして、

「だ、誰がバカだよ!」

「嫌いになるわけないでしょ。心配性なんだから」

「だ、だってさぁ……」

「それじゃあさ。魔理沙は僕のこと、嫌い?」

「なあっ! ん、んなわけねーだろ!」

「うん。僕も魔理沙のこと、嫌いじゃないから。それでいいんじゃないかな」

 けれど彼女は――魔理沙は、やや不満そうに言う。

「……私はそれじゃ嫌なんだけどなあ……」

「……はあ。じゃ、物分かりが悪い魔理沙に教えてあげるよ」

「んえ? なにを?」

 首を傾げる魔理沙。

 

 

 

「魔理沙、好きだよ」

 

 

 

 その後、恥ずかしがった魔理沙から再度腹にタックルを受け、今度こそあの世に行ってしまいそうになったのは内緒だ。

 

 

 

 

 

「……貴方という人は、またサボっているのですか」

「サボっているとは心外だね。今度はちゃんとした休憩中だよ」

「どうだか。釣れもしない魚を、ボケっと糸を垂らして待っている様は、サボっているようにしか見えませんが」

「誰が魚を釣ろうとしているって?」

「貴方以外の誰が居るんですか」

「そんなちんまい獲物ははなっから相手にしていないさ」

「じゃあ一体なにを釣ろうと?」

「あれさ、あれ」

「………………」

「………………」

「一体何年掛かることでしょうね」

「さぁてね。けど、釣れたら面白いに決まっている」

「……釣れますか?」

「釣れないだろうね」

 

 

 

 

 

 真っ暗な水面にぽつんと映った月が、糸に掛かってちらりと揺れた。

 

 

 


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