東方短篇集   作:紅山車

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星短篇

 幻想郷の外れの外れ、人里からも少し離れた、ともすれば妖怪に襲われても何も文句は言えないような、そんな場所にその骨董屋はあった。

 風の神がふぅっと吹けば礎ごと飛んでしまいそうな風体で、とても大きいとは言えない、そんな小さな、小さな店。

 

 

 

「こんにちは。今日も来ました」

 そう言って今日も少女は店に入り浸る。

 何時間だろうと飽きもせず、ふわぁー、だの、ほわぁー、だの言いながら、古めかしい皿や壺を眺め続け、もう日が暮れようかという頃合いになると、こちらにぺこりと一礼をして小走りで店を去る。店主はそれを見届けて、ハァ今日もまともな客は来なかった、などとボヤきつつ店を閉める。そんな生活を送るほど老けこんでは居ないのだが――そもそもこんな酔狂な店をやっている時点で、言い訳にもなっていないだろう。

 対して少女の方は、この店には似つかわしくない格好をしていた。金色の髪に赤鮮やかな花飾りをちょこんと載せて、虎柄模様の服を着込んだ姿は、茶色溢れる店内からは明らかに浮いていた。まぁ浮いていたところで、それを気にするのは店主か、たまに訪れる数少ない客しか居ないのだが――何せ少女の方はさして気にすることなく、花飾りを揺らしながら商品を吟味している。

 他に客も居ない状況で、「お前の服装は浮いている」と指摘するだけの度量も、店主にはなかった。朝一番から店を閉めるまでの間、何も買わず店の中をうろうろとうろつかれては店主としてはたまったものではないのだが、かと言って品物を買う気がないのかというとどうもそうではないらしい。時折「これは」と思う品があるらしく、その時は少し独り言の語調が高くなるのである。

 完全な冷やかしではない、というところがあって一方的に追いだすのは気が引けるし、それをやって里に噂を流されてしまっては店の心証に関わる。それならば居たいだけ居させてやればいい、どうせ店には数える程度しか客は来ないのだ。そんな状況で悪い噂など流されては、数少ない顧客をも失いかねない。それだけは避けたいのだ。

 そういう理由であったので、暫く少女は放置することとした。どうせそのうち、飽きて店に来ることもなくなるだろう。店主はそう思っていた。

 

 しかし予想に反して、少女は店に足繁く通った。

 開店から閉店まで、品物を穴が空くように見つめて、満足したように帰っていく。品物を買うことはせずにただ品物を見て帰る。同業者かとも思ったが、それならこんなに目立つはずもない。けれどこんなに酔狂な客も珍しい。店主は心に決めて、少女に声をかけた。

「いくら探しても、あんたに見合う物はここには無いと思うがね」

 そういうと少女は、初めてこちらを見た。正面から見ると、やはりこの店には不釣り合いな風貌である。少女は店主にこう返した。

「いえ。探しているのは、私に見合うものではないのです」

「……誰かへの贈り物かい?」

「……えぇ、まあ。そんなところでしょうか」

 店主は思った。贈り物にここまで時間をかけるとは、よっぽど心優しい聖人か、それとも本当の酔狂者か。

「まぁなんでもいいんだがね。こちらとしては、商品を見るだけで買わない、それも毎日、となると、流石に参るのだけど」

 店主はわざと愚痴っぽく言った。と言っても本気ではない。どうせ客などそうそう来ないのだ、冷やかし目当ての客が一人増えたからって、何の問題もない――店の経営的には問題は山積みだろうが。

 けれど少女はその店主の言葉を真面目に受け取り、

「あ、それは、その……も、申し訳、ありません」

と、語尾が段々すぼんでいくように言いながら頭をすごすごと下げていった。店主は一つため息を吐いて頭を抱える。

「……まぁ、いいさ。客なんて滅多に来やしないんだし、好きなだけゆっくりしていけばいい」

「……い、いいのですか?」

 少女は上目遣いに尋ねる。

「いいって、何が」

「この店に居ても」

「………………」

 店主は悟った。こいつは、酔狂な聖人だ。それもクソが付くほどに真面目な。

「座敷に上がりなよ。お茶でも入れよう」

「あ、ありがとうございます」

 それから少女は、たまにではあるが値段の安い箸置きや小物類を買っていくようになった。

 けれども店にやって来る頻度はこれまでと変わらず毎日、開店から閉店まで。

 店主はしかし、これも悪くはないと思いつつ、少女の相手をしてやるのであった。

 

 

 

 少女が店にやって来るようになって一ヶ月と三日ほど経つ頃。

 とある馴染みの客である男(それでも店に訪れることは滅多になく、これが久々の来店であった)が、割れた代わりの湯呑みを買ったついでとばかり問うてきた。

 

「店主、あれは……店主の嫁さんか何かかい?」

 

 その直後、「ふぁっ!?」と聞いたことも無い声が店に響いた。声の方に視線を向けると、顔を真っ紅に染めて、皿を両手で持ったままこちらを凝視している、件の少女の姿が見えた。小刻みに身体が震えている――持つ皿が、それに連動して不安定そうに揺れているのが見えた。

「ありゃま、冗談のつもりだったんだが」

 男はそんな軽口を残し、湯呑みを持ってサッサと退散してしまう。残ったのは、先程の体勢で硬直する少女と、それを気まずそうに見る店主の二人のみである。なんとも言えぬ空気に店主は軽く頬を搔きながら、硬直する少女に言葉を掛ける。

「その持ってる皿、買うのか?」

 と、少女はアワアワ、という感じで皿を取り落とそうとする。なんとか膝を立てて支えることで、皿を落とすことは免れたが、少女は未だに頬を真紅に染めたまま、たどたどしく言葉を紡ごうとするばかりである。店主は、致し方なし、といった風に一つ溜息をつき、少女に言った。

「その皿は、君にやる。いつも店に来てくれているから」

 その言葉に少女はポカンとしてしまう。けれどハッとしてから、その言葉にこう言い返すのであった。

「それはいけません。私は対価となる銭を支払っていませんから」

「いいんだ、いい。ただ、その皿を持って、今日のところは帰ってくれないか。その調子で平常通り店に居座られると、皿の二、三枚は平気で割れそうだ」

 店主の言葉に少女は何も言い返せず、ほそぼそと言葉を紡いだ。

 

「このお皿の代金は、いずれ必らずお支払い致します」

 

 そう言って彼女は大事そうにその皿を抱えたまま、初めて、閉店時間ではない時間に店を去っていったのであった。

「これで、この店に来る回数も減るだろう」

 店主は、これでいい。この店は、年頃の娘が通うに相応しい店ではない、などと思いつつも、内心は胸にポッカリと穴が開いたような気分でいた。

 結局その日は少女が店にやって来ることはなかった。

 そしてその日から、少女がぱったり姿を現さなくなったので――店主の胸に空いた穴は塞がることなく、店主と彼を取り巻く環境は、いつも通りの日常に戻ったのである。

 

 

 

「……ずず……むぐ……はふぅ……」

 熱いお茶を啜り、お茶請けである饅頭を頬張る。

「ご主人。今あまり食べ過ぎると、夕飯が食べられなくなってしまうよ」

「………………」

「……ご主人?」

「え、あぁ、ナズーリン。一体どうしましたか?」

 ナズーリン、と呼ばれた鼠の妖怪は、夕飯の準備をしながら少女に言う。

「だから、今食べ過ぎると夕飯が食べられなくなってしまうよ」

「え、それは……」

 少女はふと、手元を見る。盆の上に載っていた4つの饅頭が全て消え失せていた。……いつの間に4つも食べたのだろう。

「信者からの御供とは言え、そんなに食べていてはいけないよ。ただでさえ最近は、あまり出歩かなくなったのだし。少し前は毎日のように外に出ていたのに」

 肥満体質の毘沙門天なんて、誰からも信仰されはしないよ、と冗談っぽく語るナズーリン。ふと少女の脳裏を、あの店主の顔が過ぎった。

「……そう、ですね。気をつけます」

「……ご主人。どこか悪いところでもあるのかい? 顔色が優れないようだけど」

「いえ、そんなことは」

 慌てて否定する少女に、訝しげな顔を浮かべつつ夕飯の準備を進めるナズーリン。

「まぁ、ご主人が外を出歩かなくなったから、また宝塔を失くしてしまわないか、という心配をせずにいいからこちらとしては楽でいいんだけれどもね」

「いくら私でも、宝塔のような大事な物を、そうそう失くしたりはしませんよ」

「わかっているよ」

 ナズーリンは顔に微笑を浮かべつつ、野菜を盛った皿を机に置く。これを見た少女は、顔を上げてナズーリンに問いかけた。

「ナズーリン、このお皿は……」

 青菜や人参、大根など、色とりどりの野菜が盛られた、土製の皿。あの時、店主に譲ってもらった皿であった。

「あぁ、この皿? 人数分のサラダを盛るのに丁度いい大きさの皿だね。感謝するよ、ご主人」

「……いえ」

「それにしてもこの皿、どこから貰ってきたんだい? 命蓮寺の信者からの物だというのは、想像に難くないのだけれど」

「それは……」

 少女の顔が曇ったのを見て、ナズーリンは「まぁ、話したくないのならいいのだけど」と、そこで話を打ち切った。

「ただいまーっと」

「あー、お腹減った」

 と、襖を開けて現れたのは、セーラー服姿の少女と、傍らに人の顔を模した雲を携えた女性。村紗水蜜と雲居一輪である。一輪の傍に常に付いている人面雲は雲山という。三人(二人と一塊)ともれっきとした妖怪であり、ここ――命蓮寺に住む私達の同士である。

「おや、ムラサ船長に一輪」

「おかえりなさい、二人共。……聖と響子は?」

「まだもうしばらく掛かるみたいだよ。先に夕飯食べといてってさ」

「姐さんには皆で一緒に食べましょうと言ったんだけどもね……」

 一輪が困ったように言う。人里でまた信者たちに捕まっているのだろう。何も聖のような身分の者が、わざわざ人里に出向いて布教活動を行う必要も無いんじゃないかと思うのだけれど。響子もそれに付き合わされているのだろうか。

「……ちょっと、外の空気を吸ってきます」

「ご主人? 夕飯がもうすぐ出来上がるよ?」

 席を立つ少女に、ナズーリンが声をかける。少女は軽く微笑み、

「それまでには戻ります」

と、そう言って、外へと続く障子を開けた。

「……ねぇナズーリン。星に何かあったの?」

 その様子を疑問に持ったムラサが、ナズーリンに問う。

「さて。ご主人の考えることは、私にはわからないさ」

「またそんな思ってもないことを言う」

 その言葉に対し、一輪が茶化すように言う。

「本当さ。今回ばかりは、ね」

 鍋をかき混ぜながらナズーリンが言う。僅かばかりの微笑を浮かべた顔には、どこか憂いが混じっているように感じられた。

 

 

 

「おんや、こりゃまた」

 外に出たところで、ふと誰かに呼び掛けられる。見知った声に少女は、振り返り名を呼んだ。

「マミゾウ。こんなところで何を?」

 二ツ岩マミゾウ。幽谷響子と共に、つい最近命蓮寺に居着いた、化け狸である。狸らしくどこか腹に一物ある態度ではあるが、その実は心優しい妖怪である。尤も、彼女の態度もさることながら背後に見える大きな狸の尻尾から、里の人間などはいかんせん「胡散臭さ」を拭い去ることが出来ないらしい。

「何を、と言われてもの。儂はただ、ほれ」

 手の煙管をつい、と上に向ける。くゆらせた煙の先には、綺麗な満月が浮かんでいた。

「こんなに月の良い宵には、外に出たくなるものでの」

 お前さんもそうじゃろ、そう言って煙管を口に咥えるマミゾウ。

「……マミゾウには、悩み事はありますか」

「んん?」

 少女は思い直した。私は何を言っているんだろう。こんな下らないこと、誰かに言ったことで解決するはずもないのに。けれどこちらを刺すマミゾウの視線に、訂正することもできぬまま、少女は俯いてしまった。

「悩み事のう。まぁ、無いことも無いかの」

「……一体どんな悩み事ですか?」

 少女は驚いて聞き返す。マミゾウのように楽観的な人物にも悩みはあるのか。マミゾウはもう一度煙をくゆらせ、答えるのであった。

 

 

 

「お前様がそんな風にいることが、儂の悩み事じゃよ」

 

 

 

 

「あら。貴方は――」

 人里にやってきた少女に話しかけてきた人物。金色に紫のウェーブがかった特徴的な髪色の女性。

「……聖」

 聖白蓮。少女達の住む命蓮寺の開山者――命蓮寺に居る者は皆、その人徳に惹かれて居着いた者ばかりである。

 妖怪からも。

 人間からも。

 尊敬、尊厳、敬意を向けられる存在。

「聖。貴方に、聞いて欲しいことがあるのですが」

 少女は、思った。

「はい。それが貴方様の望みならば」

 彼女ならば、私の悩みを解決してくれるかもしれない。

 消え入りそうな声で――実際、聞こえるかどうかも怪しいくらいの声で、少女は言った。

 

「私は彼に、一体、何がしてあげられるでしょうか」

 

 

 

 今日も、少女は来なかった。

 これでいいのかもしれない。

 そもそも、こんな店にあんな小綺麗な少女がいることがおかしかったのである。

「これで、いいんだ」

 店主は呟いた。もう閉店の時間である。小走りに去る少女の後ろ姿も、今はもうない。きっと、これから先も。

 

「あのっ!」

 

 店の明かりを落とそうとした直前、聞き慣れた声が辺りに響く。店主は驚いて振り向いた――あの少女だ。

「……お客さん、もう閉店だから。来るならまた明日にしてくれるかい」

 ここまで走ってきたのだろうか、少女は息を切らしながらも、店主のその言葉に言い返す。

「私は――」

 

 

 

 初めは単に贈り物を探しに立ち寄っただけだった。

 いつも迷惑を掛けている皆に、何か感謝を表せる物があれば、そんな気持ちで立ち寄ったのがこの店。

 けれど、店の奥に佇んでいる彼の姿。

 つまらなそうな、やる気の無さそうな、そんな目。

 それを見る内、私はこう思うようになった。

『彼に元気を出して欲しい』

 店に通う内、彼のことが色々わかってきた。

 彼は感情を表に出すのが苦手なのだ。

 煮え切らない態度を取っているだけなのだ。

 本当は――心優しい人物なのだ。

『どうせ客なんか、来やしない』

 そう語る彼の顔は、言葉と反して悲しそうだった。

 私はただ、彼に笑って欲しかった。

 だって私は――。

 

 

 

「私は、貴方のことが、好きになってしまったようです」

 

 店主の顔が、驚きに満ちる。少女はそれに構わず、矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。

「おかしいとお思いでしょう。笑って下さっても結構です。蔑んで下さっても結構です。ただ――」

 少女は顔を上げた。目に浮かんだ涙は、頬をまで濡らしていた。

「貴方にこのことを伝えないまま、離れていくことだけは、できなかったのです」

 少女はそれきり、黙ってしまった。店主も何も言えず、ただその場を沈黙が支配した。

 沈黙を破ったのは、少女の方であった。

「言いたいことはそれで全てです。……邪魔をして申し訳ありませんでした」

 涙を拭い、一礼をする。そして、背を向けて小走りでその場を去ろうとした――。

「ちょっと待て」

 店主のその言葉に、少女は足を止める。

「……少し前に君にあげた皿があったろう」

 少女は店主の方に向き直った。店主は頬をぽりぽりと掻きながら言う。

「あの皿は、結構値の張る物なんだ。だから、あの時あげた、と言ったのは、撤回させてもらう」

「……はい。ですから、その代金は――」

「持ってこなくてもいい」

 少女は店主の言っていることがわからなかった。

「では、どうすれば――」

「……ここで働いて、返してもらう。そっちの方が、君もいいだろう」

「え――」

「だから、だ」

 

 

 

「明日、開店時間に、店に来るように。いいかい」

 

 店主の言葉に、少女は――また、涙を流しながら言った。

「……はいっ。誠心誠意、働きます」

 その言葉に店主は、初めて、少女に笑顔を向けるのであった。

「そういえば、名前を聞いていなかったね」

 店主がそう言うと、少女は袖で涙を拭い、満面の笑みでこういうのであった。

 

 

 

「はい。私は――私の名前は、寅丸星と言います」

 

 

 

 その時初めて店主は知るのであった。

 

 

 

 恋し、恋された相手が、毘沙門天であることを。

 

 

 

 

 

「それと、だ」

「はい?」

「言われっぱなしっていうのも、ちょっと癪なんで」

「はぁ」

「……僕も君のことが好きだ」

「え?」

「だから、僕も君が好きだ」

「………………きゅぅ」

「……これはなんともし難いな……」


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