東方短篇集   作:紅山車

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天子短篇「天子にラブ・ソングを。」(3)

「………………」

開け放しにされた扉から、少し冷たい風が入ってくる。つい先程までここに居た天子の姿は、もう既に無い。

私は椅子の背に全体重でもたれ掛かりながら、大きく伸びをする。その際、私の意志を問わず、欠伸が口から漏れ出てきた。

「ふぁ……ようやく帰ってくれたか、あ、あぁ……」

今日は、朝っぱらから天子に振り回されっぱなしで、ろくに自分の時間を取れなかった。そのせいでストレスが溜まっているのはもちろん、天子の相談(という名のぼやき)をぶっ通しで聞いて、今はとにかく眠気が凄い。

船漕ぎ状態の椅子の脚を、ごとりと地面に落とす。時計を見ると、もう日はとっくに回っている。よくもまあこんな時間まで、私を付き合わせたものだ。

「……ったく……私も、お節介なことをしたもんだぜ……」

今しがた、天子がぶち破って開け放しだった扉を閉めながら、やや自嘲気味に呟く。

あいつの性格が映ってしまったのかな。それとも、天子にそうさせたがる自分が居るのか。

いいや、違う。

後悔してほしくないのだ。

天子は勿論、私自身も。

中途半端の尻切れとんぼで終わるのは、言うまでもなく天子にとっても悔いが残るし、私からしても不満しか残らない。

つまるところ、私は──。

『恋敵』っていうのが、欲しかったのだろう。

『恋色の魔法使い』に相応しい、ライバルが。

「……エゴだよなあ……」

エゴな上に、バカだ。

勝負の前に、自分から勝率を下げようなどと。

けれど、せずには居られない。

真っ向から勝負する。

それが霧雨魔理沙の信条であり。

それが恋する乙女の誓約であり。

それが──惚れた者の、弱みだ。

「さて、と。今日はもう寝ちまうかな……ふぁぁ」

再び大きな欠伸を漏らしながら、ゆっくりと歩き出す。

せめて今日ばかりは、しっかり休んで英気を養おう。

明日からの戦いに備えて──。

 

 

 

「……はぁ……はぁ……」

 

何でだろう。

私は今、走っている。

何処とも知れず、走っている。

何故?

空を飛べば、速いのに。

私はわざわざ、地を這っている?

 

「はぁっ……くっ……はぁ……」息を切らしてまで。

服を汚してまで。

走る、理由。

──それは一つしかない。

 

「……はぁ……はぁ」

 

私は天人で。

彼は人間で。

私は偉くて。

彼は普通で。

私は優しくて。

彼は意地悪で。

私はお金持ちで。

彼は貧乏人で。

 

「……は……」

 

私と彼は。

こんなにも違う。

私と彼は。

何もかもが違う。

共通点なんて皆無。

私が普通にしていては、彼は永久に、私を見つけられない。

彼が普通にしていては、私は永久に、彼に気づかない。

 

だから──そう。

 

仕方なく。

 

私を見つけたそいつは、目を丸くしながら、呟いた。

 

 

「……天子……?」

 

 

本当に仕方なく。

 

彼の目の前に、立ってやった。

 

彼の目線に、合わせてやった。

 

わざわざ、天人の私が。

 

「………………」

 

けれど彼は、何も言わなかった。

 

「……何よ。何か言いたいことがあるなら言いなさいよ」

私は彼に謝りもせず、ただそんなぶっきらぼうな口調を向けた。

高飛車な奴と思われても良い。

生意気だと言われても良い。

ただ──。

 

「馬鹿」

 

そう言うと、そっと、私の頭に手を添えた。

 

「…………っ」

 

私の目の前に、彼の顔がある。

 

彼は、屈んだままで。

 

私と目線を合わせたままで。

 

言った。

 

「こうやって今、天子が無事でいてくれている。そんな時に言うことなんて、一つしか無いでしょ」

 

ああ、そうだった。

 

私が合わせずとも──彼は、自分で勝手に合わせてくる。

 

そういう奴だった。

 

「無事で良かった」

 

そういう奴だから。

 

私は──惚れちゃったんだ。

 

 

 

「どうも一週間、ありがとうございました」

衣玖が古本屋の戸を叩いたのは、最終日の昼。

笑っちゃうほどの快晴だった。

「何事もありませんでしたか?総領娘様が、色々とご迷惑をお掛け致しましたでしょう」

苦笑いで、そう言う衣玖。僕もそれに笑い返しながら答えた。

「いや、全然。むしろ良く働いてくれて、こっちの方が助かったくらいだよ」

「……嘘や隠し事は良くありませんよ?」

「……いや本当に本当に」

「ふうん……?」

やたらと目を細くして、こちらを見てくる衣玖。天子の奴も、余程信用が無いんだろうな。

けど、まあ、確かに。

迷惑を全く被らなかった、といえば嘘になるけれども。

「……まあ、強いて言うなら」

ちらり、と、店内に視線を送る。

そこには──

 

 

 

「ちょ、ちょっと白黒!あんた、何勝手に座敷に上がり込んでんのよ!?早く降りなさい!そこは従業員専用よ!」

「え〜……いいじゃんいいじゃん。いつだったか、お前だって私の家に上がり込んだじゃんか」

「あ、あれは……そ、そう、仕方なかったのよ、やむを得なかったの!」

「そうか。じゃあ私も仕方ないから、お前が天上に帰るのを見計らって座敷に上がり込むとするぜ」

「な、ななな!?だ、だめ!それだけは駄目!あんた、もし私が帰ってからそれやったら、入店禁止にするからね!」

「後数十分で従業員じゃなくなる奴なんかに、何言われても怖くは無いけどなー」

「〜〜〜〜〜〜!」

 

 

 

……いつの間にか仲良くなったらしい天子と魔理沙が、痴話喧嘩とはおおよそ形容しがたい争いを繰り広げていた。

「随分と店内を騒がしくしてくれた、ってことくらいかな」

「……それはそれは」

衣玖は口に軽く手を添えて、くすりと笑った。

「貴方が良ければ、もう一週間は預けても大丈夫そうですね」

「……冗談としても、それは勘弁してほしいな」

「冗談じゃない、としたら?」

「……遠慮しておくよ。僕はなるべくなら、静かな方がいい」

衣玖はそれを聞いて、空気の読めない方ですね、と、さぞつまらなさそうに呟いた。

「素直じゃないのは、総領娘様だけじゃありませんでしたか」

「さてね。もしかしたら、天子の意地っ張りが移っちゃったのかもしれないかな」

「意地を張り合っていては、離れて行くばかりですよ?」

「だからこそ、だよ」

彼女は天人で。

僕は人間。

彼女は下ばかりを向いてもいられないし、僕も上ばかりを向いてもいられない。

「まあ、また機会があればいつでも来たら良いよ」

「その台詞、総領娘様本人に言ってあげたらいかがですか?」

「あー、いや……天子は……」

僕は相変わらず激論を繰り広げている、やかましい店内に、もう一度目を向ける。

 

 

 

「もう頭に来たわ!頭に来たわ!あんたがあいつに手を出さないように、これから毎日ここに顔を出してやるんだから!」

「き、きったね!それなら私も、お前がまだ寝てる時間からここに来てやるんだからな!」

「な、ななななな!?ああ、あんた、言うに事欠いて、よよ、よよ夜這いなんてする気!?ふ、ふ、不潔だわっ!」

「うっせーうっせー!お前のぺちゃパイで夜這いなんかされても、あいつは気にも留めないだろうよ!ざまあみろおこちゃまめ!」

「う、ううううぅうぅぅぅう!」

 

 

 

そんな光景を見ながら、僕と衣玖は諦めたように吐く。

「言わなくても、勝手に来るだろうから……」

「……勝手に抜け出されて、怒られるのは私なんですが……」

「……ご愁傷様」

頭をもたげる衣玖に、せめてもの労いの言葉を掛ける。この苦労が僕にまで掛かってくると思うと、人事では済ませられないのだ。

「……と、もうこんな時間ですか。つい話し込んでしまいました」

「あ、本当だ」

衣玖の言葉に、僕も声を挙げる。さっきまで正午を少し回ったところだったのに、気がつけば一時を回っている。

「それじゃあ……そろそろ?」

僕はそう言って、衣玖に目配せをする。店内では不毛な言い争いが絶えないけれど、衣玖は一体どうするんだろう。

「そうですね。総領娘様、そろそろ行きましょうか」

衣玖は天子にそう呼び掛けながら、店の中に入って行く。

 

「えっ、ちょ、あ、待って衣玖!この白黒を論破したら、すぐに帰るから!」

「一生掛けても無理なので止めてください」

「ひどい!?」

「ついでに言えば、身体の成長も一生掛けても変わらない、と私は思います」

「ついでには要らないよぉぉ!?何その必要以上に人を傷つける発言!そこら辺はちゃんと空気読んでよ!?」

「え、今のところは別に空気読む必要なくね?」

「ついにはタメ語!?何だろう、今ならおぜうさまの気持ちが痛いほどわかる気がするっ!」

「病まない病まない。需要はあるさ」

「慰めになってないよぉぉぉ!」

「はいはい、わかったから行きますよー」

「え、やぁっ、ひ、引きずっちゃらめぇぇぇ!」……衣玖に引きずられながら、天子が店から出てくる。天子が何故か嬉しそうな顔をしているのは、気のせいだろう。多分。

 

 

 

「それでは、皆様どうもお世話になりました……総領娘様」

「………………」

衣玖が頭を下げるように促すが、天子はぶすっとした顔で、そのそぶりも見せない。衣玖は苦笑いを見せながら、僕に言った。

「最後までこんな調子で、本当に申し訳ないです」

「そうだぞー。ちゃんと挨拶しろー。何せ、これが『最後』になるんだからなー?きししし」

僕の隣で、魔理沙が意地の悪そうな笑いを見せる。

「う、うるさいうるさいうるさい黙りなさい!そこの白黒!」

「おぉ、こわいこわい」

怒鳴る天子に、魔理沙は素早く僕の背後に隠れた。その態度が、天子の怒りを増長する。

「こ……コ、イ、ツ〜……!」

「……せぃ」

「いでっ」

僕は呆れたように溜め息をついてから、こそこそ隠れ回る魔理沙の頭を軽く小突く。

「いったいなー。おい、いきなり何すんだよー」

「何で殴られたか、自分の胸に手を当てて考えてご覧」

僕は魔理沙にそう言い残して、憤怒で顔が真っ赤になった天子の前に向かう。

「天子も。そんなに怒ってばかりいたら、天人様としての品格に欠けるんじゃないの?」

「………………」

天子は、やはり顔を赤くして俯いたまま、何も言わなかった。衣玖は衣玖で、そんな天子の様子に、肩をすくめている。

僕は、天子の目線近くに屈んで、顔を覗き込む。

「ほら、そろそろ帰らないといけないんじゃ──」

「………………やだ」

ぼそり、と。

天子の呟きが耳に届く。

「……帰りたくない……」

小さな。

本当に小さな。

天子の、最後の意地っ張り。

「……そうは行かないでしょ」

「……何で、帰らないといけないの?私が……天人だから?天人は、地上に住んじゃ、いけないの?天人は……っ、わ、私は、ここに居ちゃいけないの!?」

俯いた天子から溢れ出す、思いの丈。それは、確かに意地っ張りだけど──これ以上に無く素直で純粋な、意地だった。

「……総領娘様。彼のご迷惑になりますよ」

「だってっ!」

衣玖の手を振り払う。上げたその顔は、涙で濡れていた。

「わ、わ、わた、し……は……、ここが、いいの。ここからも、貴方からも、離れたく、ないの」

だって。

だって。

 

「……好き、だから……」

 

一瞬でも離れたくないから。

 

 

 

僕は、何も言わずに。

 

そっ、と。

 

泣きじゃくる天子の髪を、櫛で梳くように、撫でた。

 

「また、何時でも来れば良いよ」

 

そうすれば僕は、何時でも。

 

こうやって、頭を撫でてやれる。

 

あの時、帽子を僕にくれたのは。

 

そういうことなんでしょう?

 

──少し、自意識過剰な考えかもしれないけれども。

 

 

 

「……子供扱いしないでよ」

「そういう台詞は、そんな嬉しそうな顔で言うもんじゃないと思うけれどね」

「いいの。次に会う時には、もっと大人っぽくなって、帰ってくるんだから」

「あはは、楽しみだ」

「……信じてないわね」

「そんなことないよ」

「ふん、良いもの。次に会ったとき、びっくりするのはあんたなんだからね」

「期待して待ってるよ」

「……ふんっだ」

 

 

 

──終始、顔を真っ赤に染めて、天子は有頂天へ帰っていった。

今でも帽子は、店に置いてある。まあ、被ろうにもあのデザインは男には似合わないだろうから、今まで一度も被ったことはない。

 

さて。

あれから、変わったことを幾つか挙げて行こうと思う。

まあまず、何と言っても、魔理沙が店にやって来る頻度が増えた。以前は、週に二度来れば多い方だったのが、天子が帰ってからというもの、週に五度六度は当たり前のほぼ毎日ペースになっている。きちんと本は借りて行ってくれているので、こちらとしては文句は無いのだけれど──延滞していた本も、少しずつ帰ってくるようになったし。悩みの種は、大図書館の子──パチュリーと言ったっけ──が、やたらと僕に敵対心を持っている、といったところだろうか。僕からは何もした覚えは無いのだけれど。この間なんて、朝起きたら目の前に火の玉が落っこちてきた。おっかねえ。

衣玖もここ最近良く来る。何でも有頂天には、娯楽という娯楽が殆ど無いのだそうで、やることといえば天子の世話か桃を貪り食うかのどちらかだという。そのため、本を借りて木陰で読むのが一番の楽しみらしい。ちなみに、最近愛読している本が『恋空』という恋愛小説……変な物に毒されないか、少し不安だ。

後は、まあ微々たることではあるんだけれど、慧音さんに良く話し掛けられるようになった。どうも以前、天子が居なくなった時に、一緒に捜していた自分を無視して帰ってしまったことを、根に持っているらしい。悪いことをしたと思って謝ったら、何故か顔を真っ赤にしてあたふたしながらも、許してくれた。それ以来、以前にも増して良くしてもらっている。ただ、夜中に勝手に僕の布団に忍び込んでくるのは、勘弁願いたい。あなた聖職者でしょ。

で、まあ、天子のことなんだけど──ご多分の予想に漏れず。

有頂天に帰った、その翌日。

彼女はいきなりやって来た。

そして僕に言ったのだった。

 

『どう、驚いたでしょ』と。

 

大人っぽくなったかどうかはどうなった、と聞くと、彼女は無い胸を張ってこう言うのだ。

 

『昨日の私よりも、一日分、大人っぽくなってるじゃない』。

 

……まあ、屁理屈だと。

確かに驚いたし、微量ながら大人っぽく(というか、大人)にはなってはいるけれども。

僕としては、一刻も早い成長(主に断崖絶壁への)を望みたい。衣玖は絶対に成長しないとか言っていたけれど、まあ僕は別に、それでも良いんじゃ無いかとは思う。……需要は確かにあったようで、何よりである。とまあ、こんな長口上をつらつらと並べている内に、もう良い時間になったようだ。

店先の戸に、小さな影が映った──と思えば、その戸が勢いよく開け広げられる。

 

そしてまた、店が賑やかになる。

 

「ただいまー!」

 

僕はその小さな影に、そっと、話し掛けた。

 

「──おかえり」

 

 

 

人里の一角には、古ぼけた貸本屋がある。ほこりくさくて、ぼろっちくて、けれどとても明るい店。笑いの絶えない、いつ行っても騒がしい、楽しい店。

その店はいつしか、『天使の通う店』なんて呼ばれるようになった──その『天使』が誰の事かは、誰も知る由が無いけれど。

 

けれど、ほら。

 

耳を凝らして聞いてご覧。

 

古本の甘ったるい匂いと共に。

 

今日もまた、『天使』の歌声が、店内に響き渡っている。


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