東方短篇集   作:紅山車

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天子短篇「天子にラブ・ソングを。」(1)

ふわふわしていた。

何だか地に足が着いていなくて、ちょっとでも目を離したら、とんでもないことをしでかしそうで、けれど彼女自身は、あんまりにも見つめる僕のことを疎ましく思っているらしく、「子供扱いするなこの馬鹿!」などと、真っ赤な顔をしてわめき散らし出す。

 

比那名居天子とは、そういう天人だった。

 

「……何よ」

天子は、やや不機嫌そうな顔で、彼女をじいっと見つめていた僕を睨み付けていた。

「いいや……別に何も」

僕はそうは言いながらも、いつ何をやらかすか解らない天子から、目を離そうとはしなかった。

互いの視線が交錯する。

この空間にある全ての音が、空気と溶けて宙に霧散する。

「………………」

「………………」

しばしの静寂。

けれども視線は交わされる。

笑わせる気の無い睨めっこ。

けれど、意地の張り合い。

「…………ぅ…………」

一言、天子の口から漏れる。徐々に彼女の頬は、熟れた桃のように紅く染まっていく。

そんな彼女のおかしな様子に付け入るように、僕は視線を送りつづける。彼女は妙なまでにそわそわしはじめる。ここまで来れば、もう陥落寸前である。

もう一息とばかりに。

「……天子?」

言いながら、笑いかける。

「…………ぁ……」

顔から湯気が出はじめた頃に、ようやく──天子は、僕から目線をそむけるのであった。

 

 

 

「ちょっと、そこの人間」

人里で貸本屋を営んでいる僕の前に、突如現れた少女。真っ黒な帽子で押さえ付けた、青みがかった長髪を揺らしながら、その少女は──こう言ったのだった。

 

「特別に、ここで私を雇わせてやるわ。感謝しなさい、平伏しなさい、毎日祝詞をあげなさい」

 

ずべし、と。

とりあえず叩いた。

「わひゃう!?」

彼女は奇っ怪な声を上げて、頭を押さえた。そんなに強く叩いたつもりでは無かったけれど。

「な、な、な、何すんのよ!?」

ばっ、と顔を上げる。涙目だった。ちょっぴり罪悪感を覚えつつも、なってない子供のしつけは、しっかりと自分を持った大人の責任である、と、そう割り切ることにした。

「……人に頼み事をするときは、先ず頭を下げて、用件を言ってから、お願いしますって頼むんだよ?わかった、お嬢ちゃん?」

「ななな……!?天人である私が、何でわざわざ頭を下げなきゃいけないのよ!?卑しい人間の存在で、私に指図するなんて──ず、頭が高いわ!」

 

ずびし。

 

僕が何かを言う前に、少女の背後から手刀が飛んでくる。

再び頭を押さえ、うずくまる彼女──その後ろに見える、人影。

 

「総領娘様。貴方はそうやって、いつまで逃げ続けるおつもりですか?そろそろ私も、空気を読んでしまいそうなのですが」

 

薄色の布を肩口に纏わせて、先程の少女のように真っ黒な帽子を被った、女性。

「い、衣玖〜。こ、この人間が、他でもない私の頼みに、聞く耳も持たない上に、あ、あろうことか手刀なんてかまして来て」

「お黙りなさい」

「うひゃうっ!?」

ふらふらと近寄る少女に、再び手刀を振り下ろす──衣玖、と呼ばれた女性。

「勝手に私から離れたと思えば、厚顔無知な頼み事を初対面の人にしていたら、手刀くらいは当然です。むしろ、それで済んで良かった、とお思いください」

「で、でも……」

「でももストライキも団結権もありません」

「あ、あうぅ……」

一喝され、黙り込む少女。後に現れた彼女は、どうやらこの少女の保護者らしい。

「あぁ、どうも申し訳ありません。総領娘様がご迷惑を……さぁ、総領娘様も」

そう言うと彼女は、少女の頭を掴んで下げさせると、自身も共に頭を下げた。

「……ごめん、なさい」

俯いた少女から、声が漏れる。

平日の昼間から、一体この事態は何だろうか。

「挨拶が遅れました。私は、こちらの天人──比那名居天子のお目付け役をやっております、永江衣玖と申します。以後、お見知りおきをよろしく願います」

「……比那名居天子よ」

そう言って、また深々と頭を下げる彼女達──天子と衣玖。先程の騒動で、ただでさえ騒がしいのに、こんな立派な身なりの人が二人も集まっているせいで、いつしか貸本屋の入口には、と騒ぎを聞き付けた人々が、何だ何だと興味を示して群がり始めている。

僕はふらつく頭をどうにか抑え、彼女達に問う。

「まあ、それは別に良いけれど。天人さんが、こんなみすぼらしい貸本屋に何の用かな」

「……そうよ……なんで私ともあろう者が、こんなホコリ臭くってボロっちい所で……」

ぶつぶつと呟く彼女。否定出来ないけれど、何だかムカつく。

「はぅっ!?」

「ええ。実は、ですね」

ぐわしっ、と天子の頭を引っつかみながらも、笑顔で話しはじめる衣玖。うわぁ、何か頭がみしみしいってる。

 

 

 

比那名居天子は、他の天人と比べても、輪を掛けて──いや、断トツに我が儘だ。それは先程の口調からも振る舞いからも、その節々から見て取れた。

天人は誇り高い。

その天人の一人ともあろう者が、人間に威張りくさって、あぐらを掻いているようでは、選ばれた者としての自覚に欠ける。

そこで天人達は思い付いた。

聞くところによると、天子は元々から人間だったというではないか──それなら、しばし人間と触れ合わせて、その頃の純粋な心持ちに立ち返ってもらおう。

そうして組まれた、比那名居天子更正プログラム。

その一環として、選ばれた場所が──

 

 

 

「……この貸本屋だった、と」

そこまで聞いて、再度頭が痛くなってくる。そんな話は聞いた覚えも無ければ、誰かに知らされた覚えも無く、噂になったことすらも頑として無い。

「正確には『候補の一つである』ということですが、今となっては『唯一の候補』であると言わざるを得ませんね」

衣玖はそう言うと、一枚の紙(豪華な装丁が施された、貸本屋でも滅多に見ることの無い羊皮紙だ)を、僕に手渡して見せた。

何かの一覧表だろうか。八百屋、魚屋、陶器屋、寺子屋、エトセトラエトセトラ。その隣には見覚えのある名前が記されていた。

一番最後の行に、『貸本屋』の文字、そして僕の名前。他の大多数と違うのは、一番端のチェックボックスに、貸本屋だけチェックがされていない、ということ。

読めてきた。

「……つまりは、他の店で全て断られたから、最後の希望としてここに来た、と?」

「違います。店だけでなく、民家全てにも断られました」

田舎に泊まろうかよ。

「……慧音さんの寺子屋は行ってみたの?あの人なら、何でも断らなさそうだけれど」

僕は、既に寺子屋にチェックが入っているのを無視して、駄目元で聞いてみた。

「はい、それが……一度は快諾していただけたのですが、総領娘様は『寺子屋の生徒達よりも、圧倒的にたちが悪い』らしく……頭に大きなたんこぶを作って、泣きながら帰って来られました」

「あぁ……」

さすがの慧音さんでも、ギガント生意気な天人には我慢ならなかったか。あの人、他人への礼儀には人一倍厳しいらしいし。

「という訳です。プログラムは一週間なので、それまで預かっていただければよろしいのですが……お願い出来ますか?」

「うー……ん」

考える。確かに、この店には僕一人しか居ないけれど、だからって人手が足りない訳ではない。貸本屋なんて気ままな職業は、むしろ一人の方が気が楽だ。

けれども、こうして彼女達と見知ってしまった以上、放っておくのも悪い気がする。少なくとも、先程の僕の言葉を再利用するならば──『なってない子供のしつけは、しっかりと自分を持った大人の責任』だ。

 

それに──。

 

「まあ、別に良いよ」

「!」

ばっ、と顔を上げる天子。まるで信じられない、とでも言いたげな表情だ。

「……よろしいのですか?こちらから約束も取り付けない、勝手な申し出なのですが……」

衣玖が心配そうに問う。

「まあ、確かにそうだけど。でも──見捨てるのもしのびないし。それに、前からここ、ちょっと静かすぎると思ってたところだし。少しうるさい、くらいの活気が欲しいと思って」

「……ありがとうございます。それではこちらが、プログラムの概要です」

そう安心したように言うと、衣玖は先程とはまた別の紙束を僕に手渡した。

僕はそれを受け取り、贅沢に金箔が貼付けられた、豪華絢爛な冊子の表紙をちらりと見る。

 

 

 

『てんこちゃんのドキ☆ドキッ!はじめてのしょくばたいけん』

 

 

 

僕は思った。

そりゃあ、慧音さんも匙を投げる──というか。

……僕、騙されてないよな。

 

 

 

「何をやればいいの?何もすることないの?私は何もしなくても良いの?私は何もしなくても良いの。それじゃ昼寝するから晩御飯出来たら起こしてねお休み」

「おいコラそこの穀潰し」

衣玖が帰るやいなや、ゴロリと横になる天子に、僕は辛辣な言葉を投げ掛ける──いや、辛辣でもないか。これが普通だ。

「何よ人間。まさか、本気で私を働かせようっての?あーやだやだ、これだから本音と建前を理解できないノータリンは」

「しゅとー」

ずびし。

「…………!…………!?」

もんどりうつ天子に構わず、僕は彼女に業務を与える。

「店内の掃除、及び本棚整理。終わったら僕に言ってね。カウンターで受付やってるから」

「……そ……掃除……?」

「掃除」

顔を上げた天子に、ぐい、と箒とちり取りを押し付ける。

「まず無いとは思うけど、本棚の場所とか貸出状況とか聞かれたら、真っ先に僕の所に来てね。それじゃ、頑張って」

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!こ、これ……!」

「何?」

呼び止められた方を見ると、天子が箒とちり取りを持って、所在無さ気に佇んでいる。

「これ……その……」

あたふたと、焦ったように箒を右往左往、ちり取りを右往左往。天子の視線はあっちに行ったりこっちに行ったり。

その様を見て、ようやく僕は解答に到る。

 

「……ひょっとしてそれ、使い方わからない?」

 

「………………」

 

しばらく真っ赤な顔で居た天子は──やがて、こっくりと頷いた。

 

 

 

「……まぁ、仕方ないのかな」

使用方法を教えられて、それでもまだ危なっかしく箒を動かす天子──それを見て僕は、呟いた。

「掃除なんて、その言葉だけしか知らなかったんだろうな」

全てが他に任せきり。

全てを他に預けきり。

自分は他人に甘えきり。

他人は自分を背負いきり。

天上一を名乗りながら。

天下の一の字も知らぬ。

そんな、筋金入りの世間知らずを治すためには。

熱い火に入れ、その筋金を柔らかく曲げるほかには無い。

先程の冊子をぱらぱらとめくる。そこには、これからするべき事項がずらりと書き連ねられていた。

朝七時起床、正午まで店手伝い、昼食後は洗濯掃除、おやつは無し、夕食後は十時までに就寝。

キッチリと定められたスケジュール。カチカチに固められた日程。

冊子を閉じる。

「はぁ」

疲れたように一つ息を吐いてから──呟いた。

「……これから叩き治すっていうのに、これはないよな」

僕は少しもためらわず、その冊子をごみ箱に投げ入れた。金箔には多少心を惹かれるが。

「お……終わったわよ」

ふと前を向くと、はぁはぁと息を切らせながら、箒とちり取りを僕に差し出す天子の姿。

ひょいと覗かせると、所々にゴミが氾濫していた先程と違い、きちんと掃除された床が見えた。

「……うん」

一つ、頷く。何だ。やればできるじゃないか。

僕は腕を伸ばして、天子の被っている帽子を取った。

「ちょっ!?……何すんの──」

 

「お疲れ様」

 

僕はそう言ってから──、

 

優しく、頭を撫でた。

 

「……ふ、ふえっ!?」

びっくりしたのか、少し身体を跳ねさせ、奇声を上げる天子。

こうされること自体には、天子は慣れているかもしれない。何せ、常に褒められ、崇められる天人だ──けれど。

自分の手で、何かを成して。

その報酬として、こうやって褒められるのは。

恐らく初めてなんだろうと思う。

だって。

 

『自分の手で、何かを成す』。

 

この機会が、天子には皆無だったろうから。

常に任せきりだったから。

 

これから一週間。

形にとらわれずに。

それを教えていくのが。

 

僕の役目なんだろう、と思う。

 

天上の天人に対して。

 

少し傲慢かもしれないけれど。


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