東方短篇集   作:紅山車

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四季映姫短篇(2)

彼は私にとって、一体どういった存在なのだろうか。

床に着く前に、あるいは仕事の合間に、または彼と話をしているときに、ふと頭を過ぎる疑問。

仕事仲間?

合っている。

部下?

その通り。

閻魔補佐?

もちろんそうだ。

──そうなのだけれど。

間違ってはいない、のだけれど。

いざ、彼と言う人物を、私の中にある人物フォルダに収めようとするとき、果たしてそのようにカテゴライズをしてもいいのだろうか──そう考えるのである。

肩書きなどは、人そのものを表す上で意味の無いものであることは、わかってはいるつもりなのだけれど──こと彼に対しては、腫れ物を扱うようになってしまう。

……結果として、彼はどのフォルダに入ることもなく、ただそれ単体として、私の頭の中に漂っている──浮いている、と表現した方が、具合がよろしいかもしれない。

更に困ったことに、私自身そのことを気持ち悪いとか、胸がつかえるとか、そういう類いの感情を抱かないでいる。『どっちつかず』という単語が、何よりも嫌いなはずの私が。

――ひとつ、ため息をついて、宙を見上げる。

ここで閻魔として人を裁き続けて、もうずいぶん長くなった。

白黒をはっきり付けることができる、そんな能力を持っていようとも、結局は自分の判断で人を裁くしかない。恨みもたくさん買ってきただろう。私はどうしても、私の基準でしか物事を判断することはできないのだから。その基準が絶対的に正しいか――そう問われると、私はすぐには肯けない。立場上、肯定はせざるを得ないだろうけれど。

……こういう性格が、よく「固い」と言われる所以なのだろうか。よく小町にも、そう言ってからかわれるけれど、自分だってこの型にはまった考え方しかできない性分を、なんとかしたいとは思っている。

「……考えているだけでは、何も起こらない、ですよね」

思っているだけでは、何も変わりはしない。身を以て知っていることだ。目を閉じて数秒、何も考えないようにしてから、私は勢いをつけて椅子から立ち上がる。

「何かを起こさなければ、何も変わりはしませんから」

気合を入れるように一言つぶやき、向かうところは――。

 

 

 

「あれ」

仕事もそこそこに、少し遅めの夕食でも食べに行こうかな――なんて気楽なことを考えていた、夜のこと。

意外な人物が食堂に座っているのが見えたので、私は思わず声を上げていた。

珍しいな、と思い視線をその背中に向ける。

パリッとしたスーツの襟にしっかりと折り目が付いていて、ああ成程、仕事が終わってからここで食べているのか、と思い至ったが、それにしても相変わらず覇気というものが存在しない。なんというか、すり抜けないで脚もある死人が、しっかりとスーツを着込んで食事を摂っている、という感じに、とにかく彼は存在が希薄である。もっと自己主張をしてみれば良いのに、とそれとなく言ってみたことはあったのだが、どうにも目立つことが嫌いらしい。茶を濁されてしまったことを覚えている。

あいつがあんなんだから、映姫様は――いや、これはどっちもどっちな話だったか。

「ほい、ラーメンお待ち」

「あ、サンキュー」

と、受け取り口からトレーに乗ってでてきたラーメンを受け取る。愛想もそこそこに、一人で寂しく夕食を食べる彼の背中に近寄って、

「珍しいねぇ、食堂で食べてる姿なんて初めて見た」

と声をかける。彼はその声に反応し、顔を後ろに向けた。食べていたのはどうやらうどんらしい。天ぷらもネギも載っていない、質素な掛けうどんだった。

「隣、失礼するよっと」

「え、あ」

有無を言わさず、彼の隣に座る。彼は何か言いたそうな素振りを見せたが、「何か文句でもあるかい」と問うと、諦めたように視線を手元のうどんに戻した。

「それにしても、よっくそんなんで足りるねえ。仕事終わりだろ?もっと食べて栄養付けないと、ぶっ倒れるよ」

「……幽霊に栄養の話なんて、小町に真面目に働けって話をするようなもんじゃないの?」

「そう言わない。ほら、ラーメン、ちょっと分けてやろうか?」

「……小町は仕事終わり?」

私が蓮華に乗せて差し出した麺束を、受け取ろうとせずに言う。あたいはつまらなそうに、蓮華を自分の口に持っていった。醤油のいい香りが、口の中にふわっと広がる。

「んー、終わったといえば終わったし、まだといえばまだ、かな」

「……要するにサボったんだね」

「そんな野暮ったいこと言いっこなしだよ。良いじゃないか、ちょっとした休憩だよ、休憩」

「翌朝までする休憩っていうのは、世間一般では早上がりっていうんだけどね」

言い、うどんを啜る。なんだかそれきり、話が途切れてしまったため、私も黙々とラーメンを口に運ぶ。結果、彼のほうが早く食べ進めていたのに、私のほうが早く食べ終えてしまった。

「……なあ」

手持ち無沙汰になった私は、まだ半分以上残っているうどんと彼の顔とを見比べながら、聞いた。

「なに?」

対する彼は、顔をこちらに向けず、けれどうどんを食べる手も進まず、ひたすらそれの湯気を顔に浴びていた。

「お前もさ、ここで働くようになってから、ええと……結構経つじゃんか」

「経つね」

「なんかさ、そのー、あれだ。楽しい事とか、あったか?」

顔を上げる。珍しいものを見たときのような、怪訝そうな表情。

「……急にどうしたの、小町」

「いや、他意はなくてさ。ただ単に、気になっただけだよ」

慌てて取ってつけたようなことを言う。あとで、何で私が慌てる必要があるのかと思い直し、一つ二つ咳払いをしてから、話を戻した。

「……お前ってさ、いつも……なんというか、つまんなさそうじゃんか。だからさ、なんてーの、こう……生活に、張り?というか、潤い?というものが、欠けてるんじゃないかなー、と思ったりしたわけだよ、うん、……なあ?」

「………………」

首を傾げる。彼の視線が何を物語っているのかに気づき、私はいち早く声を上げる。

「小町、なんか」「悪いもんは食べてないよ」

「……それじゃあ」「熱もない」

「……頭は」「ぶつけてない」

言う言葉言葉を先行された彼は、呆れたようにため息をついてから、私に話の続きを促した。こういうところでは、案外気の利く奴なのだ。

私はそれを受けて、本題に入る――次に彼に会った時に言おうと、心に決めていたこと。

「単刀直入に聞くよ。あんた、好きな人はいるか?」

 

「……それは、今答えなければいけない質問?」

多少言いづらそうに、彼は言う。

「強制はしない。ただ、今答えなかったらあたいはこれから先、あんたに会うたびにこの質問をするから。今の内に答えておいたほうがいいんじゃあないかな?」

「それはほとんど強制だよね……」

「さあて。受け取り方次第じゃあそうかもね」

で、どっち?と、続ける。

「………………ご馳走様」

彼はけれど、目を伏せがちにしてから、まだ残っているうどんを載せたトレーを手に席を立ってしまった。

「……つまんねえの」

去っていく彼の背を見送り、一言つぶやいてから、手元のラーメンのスープに口をつける。

初々しさも、ここまでくると見てるこっちが辟易する。

「――ねえ、映季様?」

 

 

 

見るつもりはなかった。

聞くつもりもなかった。

ただちょっと、部下が話しているのが目に付いたから、なにかサボる口実でも作ろうとしているのではないか、と。

そう思ったから、なるたけ近くで話を聞こうと思った。

盗み聞きではなく、部下の状況把握である。

「……言い訳がましいですねえ、映季様」

「な、どこがです!しっかりと筋が通っている話でしょう!?不自然な点など、どこにもありません!」

顔を真っ赤にしながら、私の言葉を否定する映季様――さっきの話を、彼のすぐ後ろの座席で聞いていたのに、まさか私が気付いていないはずもなく。というか、映季様がすぐ後ろにいたからこそ、ああいう話題を出したのだけれど。

「まあ、そういう事でもいいんですけどね、あたいは」

「だから、そういう事じゃなくて、私は本当に――」

「それで、さっきの話。聞いていてどうでしたか?」

瞬間、映季様の顔が強ばる。

「……な、なんともありませんが。それが、なにか」

「嘘つき」

「!?」

箸の先端を上司に向ける――なんて、普通じゃ考えられない行為だが、今の映季様には効果があったようだ。身体を引き、驚いたような表情を浮かべて、こちらを見ている。

「見てましたよ。あいつの好きな人、って話題になった時。あからさまに動揺してたでしょう。肩、ビクゥッ!って感じで動いていましたし」

「そ、それは……は、話していた内容が私の思っていたものとは違っていたからです!そう、そうに決まっています!」

「………………」

何と言うか、もう……映季様をあいつも、もうちょっと歩み寄れば良いのに。つくづくそう思う。ただ、このまま話し続けていても話は平行線だろう。

私は箸を降ろし、映季様に静かに、こう伝えた。

 

「あたいは、あいつの事が好きです」

 

「………………え、?」

信じられないものを見たような、そんな視線。

「ちょっと鈍いところはありますけど、まあ良い奴ですし。話していても、何と言うか、疲れませんしね。仕事も真面目だから、あたいはその分サボれる。良い事尽くしじゃないですか」

「……え、え、と。それは、その、仕事仲間として、友達としての好き、ですよね……?」

「いいえ。女として、あいつが好きです」

「――――――」

口をパクパクと動かし、言いたい言葉が見つからない――いいや、言葉が多すぎて何を言えばいいのかわからない、といった感じだろうか。いずれにせよ、混乱しているようである。

「職場結婚なんて、あたいの柄じゃないかもしれませんが……ま、寿退社なんて事にはならないと思うんで。そうなったとしても、これまでと変わらないお付き合いをお願いしますよ、映季様」

ごちそーさん、そう言い残して席を立つ。トレーを洗浄場に返し、自分の部屋に戻る途中――映季様に視線をやる。

 

映季様の背中が、なんだか妙に寂しい物のように見えた。

 

 

 

部屋に戻るやいなや、私は電気も付けずにベッドへと倒れこんだ。

あの、小町が?

彼を?

にわかには信じられない話であったけれど、あの時の小町の視線は、嘘を付いているようには思えなかった――否、ついていない。

白黒はっきり付ける程度の能力。

自分の能力が出した答えに、これほどショックを受けたのは初めてだ。

「ああ」

天井を見て、呟く。

「こんなのだから、私は」

重罪人を裁く時も。

そうでない人を裁く時も。

人ではない、あらゆる種族を裁く時も。

ショックなど受けなかった。

有罪か無罪か、天国行きか地獄行きか、白か黒か。

それが当然だった。普通だった。

ところが彼は――そのどちらでもなかった。

どちらかでなければいけなかったのに。

どちらでもなくなってしまった。

いや。

『どちらでもなくしてしまった』。

 

彼を私の補佐とした時。

あの審判は、能力によるものではなかった。私の能力は、どんなに細かな粗でも探し出し、適正に白か黒かを判断してきたのだから、間違いはない。ただ、彼はイレギュラーだった。

善行も悪行もゼロ。

これではどういう人間だったのかもわからないし、どういう一生を送ってきたのかもわからない。だから私の能力は、最後まで、彼が白か黒かという決断を下すことはなかった。

けれど、その時。

彼は抑揚なく、言ったのだ。

 

『地獄に行かせてください』

 

私はその時の彼の目を見て、思った。

彼が普通だなんて、とんでもない。だって、彼の眼はこんなにも普通じゃないではないか――。

普通の人間ならば。

白黒で分けられる人間ならば。

 

こんなにも、かわいそうな目をするはずがない――。

 

灰色の彼は、天国地獄のどちらにも送るべきではない。

私は彼に、閻魔補佐という役職を与えた。

能力ではなく、私自身の判断。

それが正しいのかは分からないし、知る術もないけれど。

「少なくとも、私は」

それが良いことだったと、胸を張って言える。

だって。

そうでなければ。

 

私の胸は、こんなに締め付けられることもないし。

 

私の眼から、こんなに涙が零れることもない。

 

「……う、っ……く、ぅ……」

ぼろぼろと、雫が溢れる。

頬を伝い、枕を濡らす。

何を泣くことがあるだろう、部下同士が結ばれるのだ。祝福をしなければならないのに。私が喜びこそすれ、悲しむようなことは何も無いはずなのに――どうして。

どうしてこんなに、彼の顔が浮かぶのだろう。

 

「映季様」

 

小町の声が聞こえる。

「あたいは、映季様の想いを知ってます」

「それがあたいの想いなんて比べものにならないほど強いってことも」

「なかなか表に出てこないってことも」

「みんな、知ってます」

「……でもね」

「映季様が動かなかったら、あたいはもう、あいつに告白してしまいますよ」

「映季様がそうやって、布団をかぶって、枕を濡らしている間に」

「あたいはあたいの想いに従っちまいます」

「映季様の想いなんて知ったこっちゃない、って具合にね」

「それでも、いいんですか?」

 

「……小町」

はい。

「貴方、今日の業務は、どうしましたか」

実は、サボっちまいまして。

「それは、いけないことです」

ええ、わかってます。

「でも、今日だけ、許します。早くここから出ていきなさい」

………………。

「何をしているんですか。明日も朝早いでしょう、自分の部屋に戻りなさい」

……それで、いいんですね?

「……私が良いと言ったらいいんです」

……そうですか。それじゃ、今日は休ませてもらいます。

「そうしなさい」

そんじゃ、失礼しました。お休みなさい、映季様。

「……お休みなさい、小町」

 

 

 

これで、良かったのだ。

涙を濡らした布でぬぐってから、私はもう一度布団に潜り込んだ。

小町は、この後彼に告白をしにいくだろう。

私が、小町と彼の恋愛に口を出す義理はない。それは仕事上ではなく、当人同士の話であって、いち上司の私が介入することではないからだ。

小町は、彼を想っている。

彼も、小町のことを悪くは思っていないだろう。

きっとあの二人は付き合いだして、少ししたら結婚して、お互いに幸せな家庭を築く。何事もつつがなくこなす彼と、ちゃらんぽらんな小町の家庭なら、上手くバランスが取れるだろう。あの二人の上司である私が言うのだ、間違いない。

私は――そうなったら、笑顔で送り出してやろう。

二人の上司として。

そうなったら。

私は――。

 

「………………っ」

 

何で、泣いているのだろう。

 

喜ぶべきことで、悲しむべきことでは――そんな、先程もした問答が、頭の中に再度浮かんでくる。

同時に彼の顔も。

……もう、いい。

これ以上自分の気持ちに、嘘を付く必要はない。

いいのだ。

彼のことが好きでも、今は。

どうせ潰えることになる、その気持ちを。

吐き出せるのは、今しか無い。

 

「……っう、あああ……」

泣いて、泣いて、泣いて。

それでもまだ足りない、想い。

「好き、好きなのです……」

叫んで、叫んで、叫んで。

だが決して伝わらない、想い。

……初めてかもしれない。

ここまで自分に能力があることを恨んだのは。

「私は、貴方のことが……っ!」

 

コンコン、と。

私を止めたのは、そんなノックの音。

そして、続く言葉。

「四季映姫」

驚くほど響いた、彼の声。

「――っ!?」

驚く。間違いなく彼の声だ。でも何で?

「……えっと、起きてる?」

「え、あ。お、起きていますが」

頭を整理しきれないまま、質問に答える。今の彼の言葉から察するに、私の言葉は聞こえていなかったようで、ひとまずほっとする。

「入ってもいいかな?」

けれど、そんな言葉に私は再び慌てふためく。

「ちょ、ちょっとだけ待ってください!入っちゃ駄目です!入ったら減点ですから、そのつもりで――」

「あ、いや。中に入れないんならそれでいいから……そこで聞いていてくれればいいよ?」

「え」

涙を拭おうと、急いでコットンを水に濡らしていた私は、彼の言葉に拍子抜けしたような声を出した。ここで聞け、とは、扉越しに聞けということだろうか――。

意図が読めない私の耳に、彼の言葉が聞こえてくる。

 

 

 

「さっき、小町が僕の部屋に来たんだ」

 

「っ……そうですか。それが、何か」

なんとまあ、こういう時だけは動くのが早い――そんな皮肉めいた一言も出そうになったが、何も言えない。いずれにせよ、こうなるのは分かっていた。

「……その前にも食堂で話をしてたんだ。だからもう夜遅いし、明日にしてくれって言ったら、今日じゃなきゃ駄目だって言われて」

「……随分とアグレッシブなんですね。仕事の時も、それくらいキビキビ動いてくれたら、私も説教する暇が省けるのですが」

「僕もそう思って、それとほとんど同じこと言った。そうしたら」

「――もう、やめましょう」

「…………え」

話を遮られ、彼はどんな顔をしているだろう。小町に告白されたので有頂天になっているのか、はたまた惚気話を聞いてくれない私を、なんて嫌な上司だと思って不機嫌そうにいるか。

けれど私は、それ以上、彼の話を聞けそうになかった。

「貴方が小町に、どういったことを言われたのかは、容易に想像がつきます。貴方がここに来て、私に話さなければならないと、そう思うのも理解できます。ただ」

扉に近づき、手を付ける。ひんやりとした、木の感触。そこには、彼の私に対する想いなど、一欠けも含まれていないということを再確認して。

「私には、その話を最後まで聞くことができそうにありません」

乾いたと思っていた涙が再び頬を伝った。

じくじくと、胸の痛みがぶり返してきて。

けれど、疑われぬよう、声は震わせず気丈に。

私は、言い放った。

 

「小町の言葉に、答えを出すのは貴方自身なのです。これ以上、私を――困らせないで、ください」

 

 

 

言ってしまった。

私は背を扉に預け、彼の返答を待つ――いや、願わくば、このまま何も言わずに去ってくれれば、それがわたしにとって一番良かった。

 

彼も、この想いも。

 

「……四季映姫」

それでも彼は、言葉を紡ぎ続ける。私は耳を手で塞ぐ。

「確かにそうかもしれない。小町の言葉に答えを返すのは、僕自身だ」

聞きたくない。

「けど僕は、その答えを四季映姫に聞かせるべきだと思う」

聞きたくない。

「聞いて欲しいんだ。四季映姫に」

「………………」

塞いでいた手を、耳から離す。

聞きたくない――何故。

簡単だ。それを聞いてしまうと、私は――。

 

二人を、祝福してしまうからだ。

 

私自身を、諦め、裏切ってしまうからだ。

 

けれどもういい。彼はきっと、小町の告白を受ける。二人で道を歩き始める。良いことではないか。部下同士が結婚する、これに悲しむ要素など何一つ無い――それに。

 

彼が幸せを見つけることができた。

 

それだけで、私はもう――。

 

 

 

「僕は、四季映姫が好きだ」

 

 

 

「――――――は、?」

頭が真っ白になる。

今彼は、なんと言ったか。

 

彼が。

私を。

好き、と――?

 

そんなこと、ありえない。

 

「……聞き間違いでしょうか。もう一度言ってもらえますか」

 

息を整えて、あくまで冷静に努めて、そう聞き返す。

けれど、彼から帰ってくる言葉は――。

 

「何度でも言う。僕は、四季映姫が、好きだ」

 

 

 

ずず、と、預けた背がずり落ちる。何が起こったか、頭が混乱して何も分からない状態で、やがて地面にへたり込む――私はもうその時、何度流したのかも分からない涙を流していた。

私は言う。

「何故ですか」

「……何故、って」

彼の当然のような返答。

ああ、私はこんな時にも、理由を求めずにはいられないのか――そんな自己嫌悪に陥りながら、ぽつぽつと、言葉を紡ぐ。

「小町は、あなたのことが好きだと言っていました。その小町が、あなたの部屋に行ったと聞いた時、私は貴方が告白されたものと、思い込んでいました」

理由を探る。小町が私に気を遣って、彼をこっちに仕向けた――もしくは、告白しようとはしたが勇気が出ず、咄嗟に私の名を出したのかも知れない。思い当たる理由は、出せるだけ出す。

「ですが、そう、そうですか。貴方が此処に来れたのは、きっと小町が貴方への告白を済ませていないからでしょうね。全く、小町は妙なところで、緊張しいですから――」

その気遣いは、ただ私を傷つけるだけだと言うのに。

小町が告白していたら、私も気分良く、送ってやれたのに。

なんで。

なんで。

 

 

 

「さっき小町から、告白された」

 

彼の言葉は。

 

今まで聞いたことがないほど、芯が通っていた。

 

「けれど、僕にはその告白を受けることができなかった」

 

「……何故ですか、何で……」

 

私は、また理由を尋ねる。

閉じた扉の鍵を解錠する。

かちん、という音がする。

その音に、心の靄が晴れていくような、そんな錯覚に陥って。

 

扉が開いた。

 

 

 

「四季映姫の側にいると、いつも笑っていられるから」

 

一緒に仕事をしている時も。

説教を受けている時も。

加点、減点を言い渡された時も。

 

そんな何でもない日常が、僕には新鮮だった。

四季映姫が側に居たから。

僕に、居場所を与えてくれたから。

笑顔を――教えて、くれたから。

 

「だから僕は、四季映姫が大好きだ」

 

 

 

「……大馬鹿です」

小町も相当大馬鹿ですが。

貴方は本当に大馬鹿です。

「私のような頭の硬い閻魔が、大好きだなんて」

いけませんね、いけません。

これはもう、大分減点しなければなりません。

「そうですね。二十五点、減点にしましょうか」

酷いと思いますか――そうでは私の相手は務まりませんね。

私の隣に、対等に立ちたいのならば。

 

「もう二度と、私の前で落ち込まないこと。いいですね」

 

それを聞いた彼は――しっかりと頷き、笑っていた。

 

私もそれを見て、頷き、笑う。

 

「うん、良い顔です。二十五点追加」

 

 

貴方は私を、離さない覚悟がありますか。

 

 

もとより私は、離す気はありません――。

 

 

 

 

 

 

 

「小町」

翌朝、私の声に振り向いた小町の顔は、やけににこやかだった。

「あ、映季様。おはよーございます」

「おはようございます」

「いやー、昨日深夜に見たい映画が偶然やってましてねー。ついつい深入りしちゃって、気がついたら朝だったんですよー。しんどいですねー、実質二時間しか寝てませんからきっついですよー」

「……小町、貴方は」

「映季様」

私の話を遮る小町――言わずとも全て解っているような、そんな表情を浮かべていた。

「それ以上は、言いっこなしですよ。あたいを今、この場で泣かせたいってんなら別ですけれど」

「ですが、貴方は」

「フラれましたよ」

さらりと。

こともなげに言う。

「ですけどまあ、あいつが映季様を選んだんだから、あたいがこれ以上言うのは野暮ってもんです。それに、橋渡しなんて職業やってると、いい男の一人や二人、見つかりますって」

そう言って、にゃははと笑う小町――その目尻に、泣き腫らした跡があるのを見て、私は口を噤む。

「……それなら、これからはサボらずに仕事をするべきですね」

「ういうい、善処しますよっと」

小町はそう言い、食堂の方へと歩いて行った。朝食を食べに行ったのだろう――私の胸の奥に、何とも言えないもやもやが残った。

 

 

 

「……うーん」

三途の川から離れたところで、寝転がりながら一つ、大きく伸びをする。

最初は真面目に仕事に取り組んでいたが、なんだか身が入らなくなってしまったため、始業二時間も経たぬ内にこの有様である。そもそも男漁りをする、なんて柄ではないから、さっきの映季様とのやりとりもほとんど口から出任せである。

というわけなので、川を渡りたい人には辛抱してもらって、すこしばかり惰眠を貪ろうか、などと考えていたのだが……。

「……駄目だ。眠れやしない」

昨日は遅くに眠ったはずなのに、妙に目が冴えて居眠りができない。

「……だめだね、どうも。まだ昨夜のことを引きずるなんて、あたいらしくもないや」

はは、と自分に向けて嘲笑。空を見上げる。あいも変わらず、いつもと変わらぬ空。平常の風景。変わったのは、自分の感情ただ一つである。それに構わず、時間は、土地は、生物は、動いていく。

「……仕事、するかなっと」

頭を振りながら起き上がり、渡し船へと乗り込む。

こんな状態でどこまで平常業務を出来るのかは分からないが――。

「まあ、なんとにもなるかな……」

ふぁ、と一つ欠伸を漏らし、舟を漕ぎ出す。

気持ちに整理を付けるには、まだ暫くかかりそうだ。

とぷん、という水の音が、今の私にはなんだか、酷く懐かしいもののように聞こえて仕方がなかった。

「……うん、よし。今日終わったら、おもいっきりからかってやろう」

自分に言い聞かせるように呟く――見えてきた向こう岸には、もう既に順番待ちをする死者の列が出来ていた。

「……っと。そんじゃ、やるとしようか」

意識を切り替え、前を向く。

これが、今の自分に出来ること――そう言うには、あまりにも気持ちが後ろ向きだ――そう思い、自然に口元が緩んだ。

 

 

 

彼岸に死者を運んでいる途中、「姉ちゃんのほうが今にも死にそうな目をしている」と言われ、思わず笑ってしまったことは――映季様には内緒にしておこう。


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