東方短篇集   作:紅山車

12 / 30
四季映姫短篇(1)

「こまちいいいいいいいいいいい!」

また始まった、と。

僕が頭を抱え、溜息を深くついたのに、彼女は果たして気付いただろうか。

「小町はっ!小町はどこに居ますか!?」

やや緑がかったショートヘアーを、仰々しい王冠の様な帽子で押さえつけた、小さな体躯の少女――のような風貌の、女性。彼女はぜえ、ぜえ、と荒く息を吐きながら、やや血走った目で僕を睨みつける――思わず僕は、身をこわばらせた。何もやっていないはずなのに。さっきの溜息が良くなかっただろうか。

「……さあ。少なくともここには来てませんよ」

「そうですか。見たら、すぐに私に!」

平常心で答えたのが功を奏したのか、彼女はその僕の言葉を聞くやいなや、すぐさま身を翻して部屋を後にした。

「こまちいいいいいいいいいいい……」

遠くなっていく叫び声と足音、それが完全に消えたのを確認して、改めて大きく、はあ、と溜息をつく――手馴れたように、手の平で額の汗を拭った。

「ああ、言い忘れていましたが」

先ほどの彼女とは全く違った声音――けれどそれは、間違いなく彼女のものであった――それが響いたので、僕の体が石のように固まる。

「溜息二回で、二点減点です。現在は二十四点、留意しておくように」

聞かれていたのか、それもさっきのも。乾いたような笑いしか出ない。どこまで目ざといんだ、この人は。

「それでいいのです。一点追加」

彼女――四季映姫・ヤマザナドゥは、何時も手に持っている悔悟棒を僕の眼前に突き出し、言う。

「貴方はそうやって、ずっと笑っていればよろしい」

そんな彼女の死刑宣告のような言葉に、僕はやはり苦笑いを浮かべた。

そんな僕を見て、彼女は満足そうに笑った。

そしてまた、かくれんぼへと戻っていった。

 

 

 

僕は人間だった。

そうやって胸を張って言えない位、人間としては不適格だったけれど、人間だった。

けれど今は、なんでもない。

命を落として、裁判にも掛けられていない今の僕を呼称するような言葉を、僕はとんと知らない。

唯一つ言えることは、僕は既に人間では無いこと。

そして、その『人間ではない何か』である僕には、役職がある。

命も、名前も、種族も無いのに、職はある――死んで無になってからも働かされるなんて、とんだワーカホリックだ、僕という奴は。

そして、その役職が。

『閻魔補佐』だなんて言うんだから、まったく性質が悪い。

僕は。

『人間ではない何か』は。

他の『人間ではない何か』を裁く人のそばに立って、一緒にその罪を暴くなんて、そんなご立派なものではないのに。

生前も、死後も。

僕には――手に余る。

 

 

 

いつの間にか、寝てしまったようだった。目をしぱしぱさせながら、机の上に目をやる。散らかった書類、その多くは、僕のこなすべき事務。

「……やるかな」

あまり気乗りはしないが、これも仕事である。これを僕がほっぽりだしてしまえば、他に迷惑がかかる。生前には、苦労して誰にも迷惑を掛けないように生きていたのに、死んだ先で迷惑を掛けてしまったら、どうにもやりきれない。

それとも、こういう性格だったから。

四季映姫は僕の願いを、聞き入れてくれなかったのだろうか。

扉がノックされる。

「……はい?」

そう言いながら、まとめた書類の束を机の上に置く。誰だろう、まさかまた四季映姫が来たのだろうか。妙な事を考えていたのを、咎めにでも来たのか。

ゆっくりと、扉を開ける。

「ちょりーっす」

「………………」

扉を閉める。

「ちょっ!?た、頼むよ!映姫様に追われてるんだ、ちょっと匿ってくれるだけでいいから!な、な!お願い!先っぽだけだから!」

何の先っぽだ。とは、言わない。聞いたら本当に言いそうだ。この、小野塚小町という死神ならば。

「わかったわかった、開けるから」

「おーう、さんきゅーさんきゅー」

これ以上危ない発言が飛んでくるのも御免なので、僕は堪忍して扉を開け、小町を迎え入れると、すぐさま扉を閉める。

「……それで、今回は何?」

「あれ、美味しそうなお菓子あるじゃないか。丁度いいや」

「丁度良くない。質問に答えること」

視界の端っこで、RPGの主人公の如く戸棚を荒らす小町の手から、戦利品の菓子を奪い取る。

「えぇー。だって、それ言ったらお前、映姫様にあたいのこと突き出すじゃんか」

「解んないでしょ。理由によっては、突き出さないで一緒に謝ってあげるかもしれないし」

「謝る事確定!?」

何をいまさらなことを言うんだろう。

「小町が四季映姫に追い回される理由なんて、そう幾つも思い当たらないから。どうせまた、仕事サボって遊んでたとか、居眠りしてたとか、そんなとこなんでしょ?」

「ちげーし、全然ちげーし。あたいがサボってたって、それどこ情報?どこ情報よー?」

「四季映姫ー」

「うわああああああ!止めて止めてお願いしますもうしませんからああああああ!」

扉を開けて大声で叫ぶ僕を、小町が慌てて制止する。そこまで焦るのなら、最初からそういうこと言わなきゃいいのに。

「解った、言う。言うよ」

そう観念したように言うと、小町は今、四季映姫に追われている理由を話し始めた。

「実は、サボってました」

「四季映姫ー。ホシはここにいるよー」

「ご協力、感謝いたします」

「うわああああああ!」

そしてまた、いつもの時間が始まる。

 

 

 

本当に反省しているのですかガミガミガミガミ。

大体貴方という人はガミガミガミガミ。

聞いているのですかガミガミガミガミ。

私は貴方が憎いんじゃなくて怒っているのではガミガミ。

「……はい、はい。すみませんでした」

正座をさせられ、顔を俯かせて映姫の説教を聴く小町。頭部には、漫画か何かに出てきそうなほど、大きなこぶが出来ている。

「貴方も貴方ですよ!小町を一瞬でも招き入れようとしたということは、上司である私の命令に背いたということになるのです!解っているのですか!?」

「はい、その通りです」

矛先が僕に向いたので、すぐに頭を垂れる。こぶのない、まっさらな頭。元々僕はついでに怒られているようなものなので、小町のように悔悟棒で殴られずに済んだ。まあ、一緒に謝る、と言いはしたものの、罰まで同じものを受ける義理は無いし。

「……まあ、今回はこの程度で済ませましょう。今後このようなことがあったら、これで済みませんから、そのつもりで」

「はい……はい……すみませんでした……」

「………………」

四季映姫は、無言で再び悔悟棒を振り上げる。

そして、息をするように、それを振り下ろした。

「……頭がっ!割れるように痛いっ!」

ごろんごろん、とのた打ち回る小町。

「説教中に寝るのがありますか!いいですか小町、私は貴方のそういった不真面目な態度が――」

ガミガミガミガミ、と。

再び始まる説教に、僕は呆れたように肩を落とした。

 

 

 

『これを』

四季映姫・ヤマザナドゥが、そう言って僕に手渡してきたのは、一枚の四つ折にされた紙であった。何の変哲も無い、飾り気も無い、味気も無ければ情も無い。そんな、一枚の和紙。

僕はそれを何も言わずに開く。恐らくその紙には、僕に下される判決が記されているのだろう。そして中に何が書いてあろうと、僕は驚かない自信――というか、覚悟があった。

 

僕が生きている時。

いわゆる『生前』というやつだった時。

一体何をしてきただろう。

一体何を残しただろう。

思い返せど、何も思い返すことは無い。

いや、言葉が足りない――思い返すことなど、出来るはずが無い。

何も成さず、ただ怠惰に生きていた。

それならいっそのこと、人生を最後まで全うしたかった。

けれどそれさえ出来なかった――死んでも死に切れない、そんな浅はかな感情しか浮かんでこない僕なんかには。

 

『地獄に行かせて下さい』

 

四季映姫・ヤマザナドゥと初めて会った時、そして彼女が閻魔という役職に就いていると知った時――気がつけば僕は彼女に真顔で、こう口走っていた。

こんな僕でも。

痛みは感じる。

辛さは感じる。

罪を償える。

たとえ僕に、犯した罪が無くとも。

罪の意識を償う事は、出来る。

けれど、それを聞いた四季映姫は。

口を開く。

 

『貴方は地獄には行けません』

 

悪行を働いていませんから、と。

 

続ける。

 

『かといって、天国へも行けません』

 

善行を積んでいませんから、と。

 

僕は答える。

『それなら僕は、どうすれば』

どこに行けば、いいのですか。

四季映姫は答える。

『今の貴方は、灰色です』

ここから白くもなれる。

ここから黒くもなれる。

『そのような半端者を、天国や地獄に送る訳には行きません』

天国で悪行を働かれては困ります。

地獄で悔い改めないのも困ります。

ですので、と。

『貴方はしばらく、こちらに留まっていただきます』

『しばらくって……』

僕の言葉に、四季映姫は少し考え込む素振りを見せた後、手に持った悔悟棒を、机に立てた。

どちらかに倒れる、と思われたその棒はしかし、どちらにも倒れず――しゃんと背筋を伸ばして、直立不動でいた。

四季映姫はそれを見て、一瞬笑みを見せた。

そして、言う。

『半端は半端でも、こうなれる程度までには』

かぁん、と。

裁判終了の音が響いた。

『判決。貴方は今日付で、私の部下です』

 

 

 

四季映姫は僕に、ある基準を設けた。

子供でも理解できる、単純なもの。

『笑ったら一点追加、落ち込んだら一点減点』

五十に達したら、天国へ。

ゼロになったら、地獄へ。

持ち点は二十五点。

今の点数は、変わらずの二十五点だ。

増えたと思ったら減って。

減ったと思ったら増える。

点数は二十三から七の間を、行ったり来たりしている。

なぜかって、そんなもの。

原因は解り切っている。

 

 

 

「もしもし、聞いていますか!?」

は、っと覚醒する。四季映姫の顔がすぐ目の前にある。そうだった、今は説教の途中だった――失念して、思案に耽っていた。

「聞いていなかったのですね?」

「………………」

こっくり、と頷く。

ああ、これは減点を食らう――と思うのは、一瞬である。

 

「うん、素直でよろしい。一点追加」

 

……ほら。

「映姫様ー。それってちょっと甘くないですかー?」

小町がそう言って、四季映姫を煽る。その顔は何だかにやついていた。

「わ、私のことはいいんです。それよりも、小町。貴方は自分の心配をしていなさい」

少しどもりながら、小町のほうを向き直る。その顔はまた、すっかり説教モードへと摩り替わっていた。それを見た小町が、思わず「うげ」と漏らしてしまい、また四季映姫の火に脂を注ぐ結果となる。

再び激しくなった四季映姫の口調に――僕は、苦笑いを浮かべる。

「む」

それを目ざとく、四季映姫が見つけた。

そして、また――。

 

「説教中に笑うとは、なっていませんね。一点減点です」

 

僕の持ち点が、二十五に戻ったので。

僕と小町は、思わず顔を見合わせ、笑い合う。

そしてまた、今日何度目かの、説教が始まって。

一言、呟いた。

「僕は、いつになったら、ここから出られるのかな」

それを聞いてか聞かずか――四季映姫は一つ手を叩き、言う。

「さあ、説教はまだまだ続きますよ」

 

――四季映姫は、まだまだ、僕をここから出す気は無いようだ。

 

その事実に、僕はまた、苦笑いを浮かべて。

「一点追加」

四季映姫は、もはやお決まりの台詞を言う。

「貴方はそうやって、ずっと笑っていればよろしい」

 

その方が、溜め息をつくよりも、楽だとは思いませんか?

 

そう言って、四季映姫が微笑みかけるので。

 

僕はもう、白旗を掲げるように頭を垂れるしかなかった。

 

 

 

「落ち込んではいけませんね。一点減点」


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。