「それなら料理で勝負よ!」
穏やかな昼下がり。
のほほんとこたつにミカンでくつろいでいたのに、そんな誰ともわからないやかましい声が聞こえてきたので、僕は眉をひそめる。
誰ともわからない、とは言ったが。
大体の目星はついている。
この寒いのに、僕の家の玄関前で、ぎゃあぎゃあと騒ぐのは、間違いなく――あいつらの中のどれかだ。
可能性としては、⑨率が高いか、あとはサニーあたりだろうな、と、そんなことを考えながら――ついでに耳も塞ぎながら、玄関の扉を開ける。
「ふーんだ!あたいを誰だと思ってるの?天才よ、天才!あたいに料理を作らせたら、まず後ろに出る者はいないわ!」
「何よ!冷凍しかできない無能妖精のくせして、天才だなんておこがましいんじゃないの!?作れるもんなら作ってみなよ!あんたなんか、かまどの火で溶けちゃえばいいのよ!」
「どうでもいいんだけど、サニー。貴方、料理なんて作ったことあったっけ。いつも私に作らせて、自分は食べてばかりだったじゃないの。あとチルノ、後ろに出る、じゃなくて、右に出る、だから」
「え、えっと、ほら、喧嘩はやめましょう。ね。ルナちゃんも、ほら、何か言ってあげてくださいよ……あ」
「……痛い……」
案の定、である。
女三人集まればかしましい、とはよく言ったものだ。
五人になったところで、静かになるはずはなく、更にうるさくなることなど解りきっている筈なのに。
「……ほら、ルナ。立てるか?」
「……うん、ありがと」
とりあえず、と、会話の外でつまはじきにされた挙句転んで涙目の少女――ルナチャイルドを引き起こす。
「ああ、汚れてる……というか、汚れてなかったことなんか無いよな」
そのまま、白いロングスカートに付いた砂を払う。なんだか解らないが、このルナチャイルド、よく転ぶことで有名なのだ。真っ白な服を着たルナチャイルドを見れた者には、今日一日の幸運がやってくる、なんて噂も人里で流れているらしい。
「……さてと、はぁ……」
人数が多いため、突っ込むのに時間がかかるなあ――と、肩を落としていると、この場に集った妖精の中で、唯一といっても差し支えないであろう、まともな人物である大妖精(皆からは大ちゃん、と慕われている)が、玄関の僕に気付いて駆け寄ってきた。
「あ、こんにちは」
ぺこり、と頭を下げる。こんな時でも甲斐甲斐しいのは、果たして良いことなのだろうか。この状況に慣れてしまった末で身に付いたスキルであるのなら、同情する。
二児の母、みたいな貫禄。
いや、似たようなものか。
「あぁ、こんにちは大ちゃん。今日もお母さんしてるね」
「ふぇっ!?」
……一瞬で大ちゃんの顔が真っ赤になる。何だ、そんなに破廉恥な事を言ったか、今の僕は。
「そそそ、そんな、お、お母さんだなんて!あ、いえ、その、やぶさかではないんですが、えと、まだ私達は、そんな間柄じゃないですし、え、と、とにかく、ふふふふつつかものですがどうかよろしく」
「気をしっかり持ってくれ、大ちゃん!君まで取り乱したら、この物語が先に進まないでフィナーレを迎えてしまう!」
「は!……し、失礼しました」
あたふたする大ちゃんを諌め、何とか落ち着かせる。
「……で、何?今回の『これ』は」
僕はまだ料理、料理とやかましく騒いでいる妖精たちを、くいくいと指で指し示しつつ、大ちゃんへ事情聴取を試みる。
「……えぇと、ですね」
大ちゃんは、苦虫を噛み潰したような顔をしながら、今回の喧々諤々に至るまでの経緯を、話し始めた。
「チルノちゃん、料理を始めたんです」
「へぇ。良いことじゃない」
「ええ。そうしたら、その……それを知ったサニーちゃんが、チルノちゃんを小ばかにしちゃって。それでチルノちゃんが怒っちゃって」
「料理で勝負、とかいう話になった訳よ」
いつの間にか、僕の傍らには、白いフリルがあしらわれた、青のドレス
――三月精のひとり、スターサファイアが居た。
「それにしても寒いわね。中入れてくれる?出来ればお菓子と、暖かい飲み物なんかがあるといいわ。こたつの電源を入れることも忘れずに」
「来て早々遠慮の欠片も無いな、お前は」
惚れ惚れするほどのずうずうしさである。大ちゃんの爪の垢でも、煎じて飲ませえてもらえばいいのに。
「……私は、コーヒー」
「………………」
ルナよ、お前もか。
「……あ、その、私は大丈夫ですから。お構いなく」
大ちゃんの優しさに全米が泣いた。
涙が出てきそうになるのをこらえて、三人を中に入れる。
後二人は、まあ、大丈夫だろう。
なんちゃらは風邪ひかない、というし。
それにしても。
「怠け者のあんたには料理なんて出来ないに決まってるわ!」
「能無しのあんたには料理なんて出来ないに決まってるわ!」
「……鏡を見ているようだ」
見事に息の合った言い争いに嘆息しながら、玄関の扉を閉める。何だかんだ言って、僕も人間、寒いものは寒いのだ。
――結局、二人が家の扉を叩いたのは、スターとルナが三時のおやつを要求し始めたころであった。
ちなみに二人とも、二時間近く外に居た割にはぴんぴんしていた。
「というわけで、料理対決よ」
「何が『というわけで』なのか、簡潔に述べよ」
「全略!」
「まず字が違う、次に簡潔に述べすぎ、そしてそのどや顔をやめろ。別にうまくないから」
家に入ってきて早々にボケをかますサニーとチルノに、一つ一つ突っ込みを入れていく。さっきまで僕、大ちゃん、スター、ルナの四人でこたつでまったりしていたのに、この二人が絡むと一気にせわしなくなる。そのエネルギーを別のことに使えばいいのに、とは思うのだけれど、多分無理なんだろう。バカだから。
「……で、料理対決って、何?どういうこと?」
そこそこの事情は、今も今でくつろいでいる三人に聞いていたが、事細かには聞いていない(そもそも聞きたくなかった)ため、仕方なく話を促す。そうでもしないと、このやかましさが止みそうにない。
「察しが悪いわね。これだから貴方はバカなのよ、バカ」
「仕方ないわね。天才であるあたいが、優しく説明してあげるわ。心して聞きなさいよね、バカ」
「殴る」
とりあえず殴った。のた打ち回る二人。かわいそうだとは思わない。むしろ事前に宣言した分優しいほうだ。
料理対決のルールはこうだ。
チルノとサニーミルクが料理対決を行う。
テーマは冬。それに見合った食材を使い、調理をする。
判定員は僕一人。純粋に美味しい方を決めるには、審査員が何人も居ても邪魔だ、とは、サニーの談だ。
勝者は、僕と一緒に、幻想郷の中の何処でも行ける権利を得る。
敗者は、風見幽香の花畑を荒らして回る罰ゲーム。
正直に言おう。
いかにもバカっぽい。
「……で、結局やるんだよね」
うんざりした様子で呟くスター。
向こうの方では、かちゃかちゃ、と、いかにも「ただいまクッキングタイムです」な音が響いている。それも、ちゃんと二つの音が重なって。
「ねえ、牛乳どこー!?」
「右上の棚の上段」
「ちょっと、醤油は!?」
「調理台の端っこに在る引き出しの中」
……まあ、こうやって材料の場所を教えている辺り、ちょっとだけ、期待はしていたりするのだ。
理由がどうであれ、誰かの手料理を食べる機会なんてのは、今まで皆無だったから。少しばかり、幻想的なものも混じっているかもしれない。
男のロマン、とでも言おうか。
女の子の手料理、というものは。
「あ!ちょっと、今私が使おうと思ってた牛乳取ったでしょ!」
「ふーんだ!ぼさっとしてるあんたが悪いのよ!」
「何よ、生意気に!それっ!」
「ちょ、ちょっと!あたいがせっかく捌いたのにー!」
「………………」
ロマンじゃないな、これは、うん。
なんというか、こう、おしとやかさが足りない。
「あ、お茶のおかわり、入れてきますね」
「……大ちゃんがロマンだ」
「へ?」
「ああ、いや、こっちの話」
「はあ」
首を傾げる大ちゃん。うん、清涼剤だ。
「ちょっとー!冷凍カエルってどこにしまってあるのー!?」
そんなものはこの家にない。あってたまるか。
さて、テイスティングタイム。
何だかんだで、完成。
らしい。
のだが。
「さぁ、遠慮なく食べればいいわ!」
そう言ってサニーが持ってきたのは、鍋であった。なるほど冬っぽい。テーマにきちんと沿ってはいる。
ただし。
スープは牛乳、具はチーズ。
これではただのチーズ風味のホットミルクである。
と、傍らに目をやると、そこには一膳のご飯。
「……これ、なに?」
「チーズリゾットにするためのご飯よ!」
……給食を思い浮かべたのは、僕だけでいい。
視聴者の方々は、本物のチーズ鍋の映像をお楽しみ下さい。
「あたいの実力、思い知るがいいわ!」
さて、対するチルノが持ってきたのは、これまた鍋と、魚の切り身。切り身のブリが、なんとも冬らしい。ブリしゃぶとは考えたものだ。
と、感心するのは早かった。
「………………」
見たくはなかった。
見たくはなかったのだけれど。
見えてしまったのは仕方がない。
「ねえ、チルノ……」
恐る恐る、魚の中に紛れた『それ』を指差しながら、尋ねる。
「これ、食べるの?」
――カチンコチンに凍ったカエルが、そこにはいた。
一体どこから獲ってきたのか。
「当然でしょ!冬眠してたところを凍らせてきたんだから、あたいの苦労に感謝して食べなさいよ!」
こいつ、守矢の神様に食べられればいいのに。
割と本気でそう思った。
迷わずエチケットタイム。
視聴者の方々は本物のブリしゃぶの映像を以下略。
さてジャッジメントタイム。
これは完成と言っていいのか、といえば。
声を大にして、言おう。
「これは、料理では、ない」
そう宣告され、打ちひしがれるチルノの背中を。
私は、複雑そうに、見ていた。
それは、今朝、湖のほとりでのこと。
「チルノちゃん?」
膝を抱え、湖から昇る朝日を眺めている氷精――チルノの後姿を見た私は、少し心配しながら話しかけた。
どうにもここ数日、チルノは元気が無い。
天真爛漫を擬精化したような彼女が、最近はセンチメンタルな、浮かない表情をすることが多かった。時折吐く溜め息など、長い付き合いの中で一度も見たことがなかったので、驚いたものだ。
「……大ちゃん?」
私の言葉に、チルノは振り向いた。今にも泣き出さんか、とばかりの表情と、丸まった背中。
なんとも憂鬱そうなその姿に、気がつくと私は尋ねていた。
「何か、悩みごとでもあるのですか?」
しばしの間。
そして、ゆっくりと、首肯。
チルノは再び、視線を朝日に戻す。私はその隣に腰掛ける。
私は何も聞かない。
彼女が――おてんばなチルノが、悩むことは、良いことだ。
自分で考えて、考えて、考え抜いて、それでも駄目なときに、頼ってもらいたい。
自分から手を差し出さずとも、彼女は自分で、決断すべき。
「……ねぇ、大ちゃん」
「はい。なんでしょう」
にっこりと、顔をチルノに向ける。大したことは言えないかもしれないけれど、励ましくらいは私でも出来るはずだ。
「あのね」
「はい」
「男の人って、何されたら嬉しいのかな」
「………………」
笑顔で固まる私。
首を傾げるチルノ。
「えー、と、です、ね」
かくかくと、視線を朝日に逸らす。冷や汗をかいているのが、光でばれないだろうか、と心配するが――今は別の心配をしたほうが良い。
何を隠そう、この大妖精。
今、チルノと同じ悩みを抱えているのだ。
更に。
チルノと親しい男性を、私は一人しか知らない。
そしてその男性は。
私が今、好きな男性なのだ。
これが意味するところが解るであろうか。
バミューダ・トライアングル(三角関係)!
「ねぇ、大ちゃん?」
ああ、期待を込めるような視線が痛い。そのピュアな瞳を向ければいちころなんじゃないか、と思うが、口に出来ないこのもどかしさ。
結局、私はそれから一度も、チルノと視線を合わせることなく。
「お手製料理、なんか、いいんじゃ、ないですか?」
こんなことを、口走ってしまったのだ。
チルノが料理なんてできないことを、知っていながら。
つくづく思う。
私は、最低の妖精だ。
ぺたん、と床に座り込むサニーの姿を見て、私は眉をひそめる。
正直、見ていられなかったのだ。
「サニーは、彼のことが好きなんだよね」
いつもどおり、彼に悪戯をしようと、玄関近くの木の上で待ち構えているとき、私はこういうことを口走った。
「は、はえっ!?」
「……そうなの、サニー?」
顔を紅潮させるサニー、それを呆けた目で見るルナ。
「い、いや、そんなわけ、ないでしょ」
「あるよ。だってサニー、口癖のように彼の名前を連呼しているじゃない」
「……そういえば」
ルナが思い出したように言葉を紡ぐ。
「この間、うなされていると思ったら、寝言で彼の名前を言ってた」
「え!?まさか、聞いてたの!?」
……墓穴を掘った。
「……サニーは寝言を言ってたことを知っているの?」
「……あ」
今気付いたらしい。全く、私たちのまとめ役はなぜこうも騙されやすいのだろう。
「答えは簡単よ、ルナ。寝言じゃなかったんでしょ」
「……やっぱり、好きなんだ」
「……う、……うん……」
かくり、と頷くサニー。
こうなれば簡単だ。
あとは、私がちょいちょいと扇動してやれば良い。
私は今朝、偶然仕入れた情報を、こともなげに漏らす。
「そういえば、氷精が料理で彼の気を惹こうとしているらしいわよ」
先にも言ったけれど。
私はサニーが料理など出来ないことを、よく知っている。
だからこそ、サニーが打ちひしがれているのを見ていられなかった。
見ていたら。
顔を上げていたら。
ほくそえんでいる私の顔が、見られてしまうから。
スターはいつでもそうだった。
私やサニーが失敗して、慌てふためいているのを尻目に、悠々と目標を掠め取ろうとするのだ。
私はスターが、そういう妖精であることを知っている。
そして、彼女もまた、彼に惹かれている妖精である、ということも。
黙って見ている――とんでもない。
スターを――いや、もう一人。
彼女らを、倒してみせよう。
「あの……」
「ねぇ」
「……ちょっと、いい?」
「「「次は、私に作らせて」」」
男のロマンを追い求めるには、犠牲は付き物である。
血走った三人の目を見て、僕は恐れおののきながら、そう実感したのであった。
そして、つくづく思う。
最高の調味料は、『愛』なのだ、と――。