東方短篇集   作:紅山車

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咲夜短篇

「それでは、お嬢様。おやすみなさいませ」

「ええ。咲夜も、少しくらい休みなさいよ」

夜が明け、カーテンの隙間からは眩い日差しが漏れ出して来ていた。

私は、あくびを漏らしながら部屋に向かうレミリアお嬢様を、ふかぶかと頭を下げて見送った。

「さて、と」

凝り固まった肩を手で揉み解しながら、さて、と思案する。お嬢様は休んでもいい、と言っていたが、実はあと少しやることが残っていた。

今から私の『時を操る程度の能力』で時を止めて、少し仮眠をとってからその用事を済ませてもいいのだが。

「……まあ大した用じゃないし、すぐに終わらせられるでしょう」

紅魔館のメイド、という職業に就いている性分か、何かをやり残したまま休むというのは、どうにも気分が悪く、結果寝付けなかったり疲れが取れなかったり、といった事は良くあるのだ。だからこそ、やることは全て済ませて、晴れやかな気分で床につきたい。

それに――。

「……そう。大した用じゃ、ないの」

言い聞かせるように呟きながら、私は懐中時計を取り出す。

「時よ、止まれ」

紅魔館の紅が、いっせいに灰色に染まっていくのと同時に、私は人里へと歩みを進める。

「……あ、会いに行くだけだから、うん……うん」

その灰色の中、唯一紅く色づいているのは、私の両の頬。

そして、静かに光る、二つの眼だけであった。

 

 

 

今日の人里は、いつにもまして人で混みあっている。僕は店の軒先から、行き交う人達の顔を見比べながら、ふと呟いた。

「……あぁ、バレンタイン、か」

そういえば今日はそんなイベントがあったなぁ──なんて、他人事の様なことを考えている限り、僕には甘い思い出というものは訪れないな。

よくよく見ると、なんだか人の波全体が浮かれているような、そんな雰囲気を出している。そんな日だと言うのに、僕という奴は。

「何が悲しくて、八百屋なんかしているんだか……はぁ」

八百屋の店先に並んだ、白菜やら人参やらを一通り眺めていると、悲しすぎて涙が出てきそうになる。ついさっきまで、バレンタインなんてことはころっと忘れていたのに、そうだと意識した途端、この世の無情を嘆いてしまう。

そりゃあ、バレンタインだもの。野菜も売れ残る。

あぁ、そうか。神は死んだのか。

そうだ、八百屋も時代のニーズに合わせるとしよう。となると、店先にチョコレートを置いてみようか。それもただ置くだけじゃ面白くないから、八百屋っぽいやつを。

キャベツチョコ。ダメ。

人参チョコ。アホか。

茄子チョコ。論外。

さつまいもチョコ……おお、これは結構うまそうだ。

「あの、すみません」

「はーい、いらっしゃい」

──と、こんな時にも笑顔で接客しなければいけないのが、商売人の辛いところだ。

「あぁ。いつも御贔屓にどうも」

客は、いつもやってくる常連さんだ──幻想郷では中々見ることの無いメイド姿は、もはや彼女の代名詞となっている。

「あの、今日はですね」

「今日はね、そうだな──やっぱり白菜かな。歯応えが良くて、そんで雪に晒された分甘くって。これで鍋なんかすると、もう寒さなんか吹っ飛んじゃうから」

「い、いえ。そうではなく」

「ん、今日は炒めものの予定?それじゃあこれだな、このキャベツ。そこの肉屋でね、ホルモンなんか買って一緒に炒めたら、もうたまらんから。キムチなんかも一緒にするとね、また旨いよ」

「そうじゃなくて、貴方に」

「煮物ならね、それはもうこれに決まり。このゴボウと、それからね。人参なんかも良いよ。見てよこれ、まだ土被ってるの。これは今朝採れたてのやつ、うまいよ。これで筑前煮なんか作ったらもう、野菜嫌いなお嬢様なんかいちころ。レシピ、教えとこうか?」

「それはそれで物凄く魅力的なのですが少し落ち着いて私の話を聞いてください!」

「……え……あ、はい」

久しぶりの客だったので、思わず気分が昂ってしまい、何がなんでも商品を買わせようと躍起になっていたところを、大きな声でたしなめられる。普段は物静かな印象しかない、そんなメイド服の彼女の大きな声に、道行く人々もなんだなんだ、と足を止める。

「……怒鳴ってしまい、申し訳ありません。ですが、こうでもしないとお話を聞いてもらえなかったかもしれませんので」

「あぁ、いえ。こちらこそ、ごめんなさい」

すっかり商人モードが削がれ、敬語に戻ってしまう。何故だか僕は、店先で接客をする時に性格が変わってしまう。父親もそうだったことを考えると、遺伝だろうか。

「それで、話って……?」

「……そうですね。ここは少し騒がしいので、別のところで」

「ああ、それもそうですね。それじゃあ、店の中で」

「いえ」

僕の申し出を断ると、彼女は懐から──なんだろう、時計らしきものを取り出して、言った。

「ここで、結構です」

 

 

 

瞬間、時が止まる。

勿論、彼の動きも。

「……申し訳ありませんが、こうでもしないと渡せませんので」

──主に、私の方の都合で。

私は赤らむ頬の温度を抑えようと、ぶんぶんと頭を左右に振ってから、そっと、小さな箱を、彼の前掛けのポケットに忍ばせた。

「ハッピーバレンタイン」

それだけ言い残し、私は八百屋を後にする──と、その前に。

「………………」

少し思案の後、さらさら、とメモに一言書き残し、それもポケットの中に一緒に入れる。

一杯になった前掛けを見て、私は一つ頷いてから、くるり、と身を翻す。

 

「こういうことだったのね」

 

「っお嬢様!?」

突然現れた主──レミリア・スカーレットの姿に、私は驚きを隠せずあたふたする。

「お、お休みになったのではなかったのですか!?」

「貴方がそう思うんならそうなんでしょうね。『貴方の中では』、ね」

にべもなく言い放ちながら、お嬢様はゆっくりと、未だ動くことの無い彼に歩み寄る。

「へえ、そう。貴方なのね」

そうして、聞こえることのないはずの呟きを漏らす。

「貴方のせいで……食卓に、野菜がっ!緑が!赤がっ!」

「お嬢様!八つ当たりは、やめ……

お嬢様っ!」

ぷるぷると、今にも殴りかからんと震えるお嬢様の腕を、がっちりと掴んで抑える。

「……冗談よ、もう」

「どうでしょうか」

わりと本気で抑えて、尚も止まらないほど力を込めていたけれど。

「それで、咲夜。どうなの?」

「……は。どう、とは?」

途端に歯切れが悪くなる、私の言葉。

「貴方、彼にチョコを作るためだけに、わざわざ能力を使ってまで無理していたじゃないの。それで渡す時にも能力を使って、世話無いわね」

「……返す言葉もありません」

まあでも、とお嬢様は続ける。

「貴方がどうしても、というのなら……彼を紅魔館に住まわせて、蜜月の日々を過ごさせてあげても?まあ、私としては?咲夜への、心配りとして?別に構わないと、思うのだけれど、ね?」

ちら、ちら、とこちらを見ながら、お嬢様は言う。私はそれを聞いて、にこやかに笑いながら返す。

「私の機嫌をとっても、食卓から野菜がなくなりはしませんよ?」

「ああぁぁっ!」

絶望したような表情で頭を抱え込む。そんなに嫌なものだろうか。

「それに、彼を紅魔館に住まわせる訳にもいきません」

「……それは、何で?というか貴方、彼の何処が好きになったの?」

私は、お嬢様のその質問に──やや、顔を紅潮させながら、こう言って答えた。

 

「優しくて、子供っぽくて──ちょっぴり、強引なところ、です」

 

 

 

「……あれ?」

話をしたい、と持ち掛けてきた少女の姿が、いつの間にか消えていて、僕は頭を傾げる。本当にさっきまで、その場に居たはずなのに。

と。

「……ん」

前掛けから、先ほどはなかった重量を感じ、ふと視線を下げると──何かの小包が入っていた。丁寧にラッピングが施された、真っ赤な色の小箱。紐で結ばれたタグには、『dear you』と金文字で書かれている。

「何だ?」

おかしなことばかりだ、と思いながら、リボンをほどいていく。やがて包装が無くなり、小箱のみが手のひらには残った。

「………………」

僕は、ゆっくりと箱を開ける。

それにつれ、ふわりとあがる甘い香りが鼻孔をくすぐる。

ああ、これは。

「……チョコレート……」

箱の中身は、ころころと丸いトリュフチョコ。下には銀紙が敷かれていて、その上のチョコを包み込むように、色とりどりの紙の切れ端が、がさがさと音を立てている。

「あれ」

ふと気づくと、前掛けの中にまだ何か入っている。なんだろう、と取り出して見ると、それは一枚の紙切れだった。

頭の上に?マークを浮かべながら、何気なく裏返すと、メッセージらしきものが書き記されていた。恐らく、このチョコをくれた──メイド服の彼女からのものだろう。

 

『ホワイトデーのお返しは、料理のレシピでお願いします。

 

それと、私の名前は十六夜咲夜と申します。次に会ったときは、是非ともそう呼んでください。

 

P.S.白菜と人参、頂きました。お代金は前掛けの中に入っています

 

通称・メイド服の少女より、親愛なる八百屋さんへ』

 

読み終えた手紙を、前掛けにしまうついでに、中に入っていた代金を取り出す。白菜一玉と、人参が二本分だろうか。それだけの小銭を数え終わると、僕は改めて、辺りを見回す。

 

メイド服の少女は。

いや、十六夜咲夜は。

どこにも居ない。

 

僕は一つ溜め息を吐くと、手で持ったままだったチョコに手をつける。

そのチョコは、少しほろ苦くて。

けれど、とても甘くて。

一瞬で溶けてしまう。

 

「……お返し、考えなくちゃな」

まさか本当にレシピだけ、というわけにはいかないだろう。

となれば。

「……これで、いくか?」

商品のさつまいもを手に取り、うーん、と首を横に傾ける──これは店をやっている場合では、どうやらなさそうだ。

僕はその考えに到るや否や、店仕舞いの準備を始める。どうせ開いていても、客なんか来やしない。

期間は一ヶ月。

それまでには、なんとしても、しっかりとしたお返しを考えなければいけない。

「やるぞー!」

決意の現れのように、僕は叫びながら、野菜を中へと運ぶ。

小さな箱の中で、チョコレートに、小さな雫が浮いた。

止まった時間が、再び動き出したかのように。


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