A remnant of the past   作:速水亜希

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Euphoric night

「アマリ。話を聞いて飛んできたよ。……ったく、外は大騒ぎだな。これも、今回の原因あってのことか?」

 地下室の扉を開いて入ってきたのは、定期的にここを訪れてくれるレイルロードのエージェント・グローリーと、本部でしかお目にかかる事の出来ないドクター・キャリントンだった。突然の来訪ではない。アマリがグローリーを介してキャリントンを連れてやってきただけのこと。グローリーは定期的にDr.アマリの居るこのメモリー・デンに足繁く通っているのは誰しも知っていたし、連絡手段を密に行っている事もあって、グローリーはジュリアンと、その連れであるマクレディの窮状をアマリから聞いて大急ぎでキャリントンを連れ戻ってきただけの事である。

「ああ、Dr.キャリントン。待ってたわ。私一人じゃ医療の心得がないから心配で。……って外が大騒ぎって、どういう事?」

 機器の画面の前から離れず、顔だけを扉に向けてアマリは出迎えただけだったが、キャリントンの言葉に引っかかりを覚えたのか聞いてくるので、

「例の……そこにいる男が殺した奴が一般人さながらの格好だったせいか、ジュリアンとこの男を自警団が探し回ってる。ここには居ない、と上に居るオーナーのイルマが対処しているおかげでここはひとまず安全だろう。……けど何度もちらちら見られながらここに入るのはいささか気分がいいものではないな」

 そこは自分の番だといわんばかりにグローリーが引き取って喋ってくれた。顎でしゃくるようにマクレディを指しながら。

「……まぁ、外の事はひとまず安心だろう。薬を盛られたのはこの男だね? ……マクレディ君だとか」

 言いながらキャリントンはシミュレーターの一台に近づき、手にした鞄を地面に落として聴診器を取り出すと耳にかけ、その先をマクレディの心臓付近に当てた。

「……特に変化はないな」とぶつぶつ言いながらあちこち当てて音を確かめている。

「見たところ、命に別状をはなさそう。薬の影響は脳内でしか起こってないみたい。それでも何かあるか分からないからあなたを呼んだのだけど……」

 アマリが自信なさげに言う。彼女の得意分野は機械工学故に人間の身体についての知識は僅かしかない。薬の影響が脳以外に影響を及ぼさないとも限らないため、キャリントンを呼んだのだ。万一、薬の影響を止められなかった場合と、今も単身、彼の脳内に入っているジュリアンの身を案じての事だった。

 キャリントンは聴診器を外しながらこちらを見て頷き、

「分かった。とりあえず私に出来る事をやろう。我々の大切なエージェントを一人失う訳にもいかないからな。君はエージェントのサポートをしているのだろう?」

 アマリは画面を見ながら頷く。「ええ、薬の影響が人体にどういうものを及ぼすかはまだ分かってないけど、少なくとも止めるにはその人物の脳内に入るしかないと思ったの。ジュリアンにそう提案したら即答で行くと言って……何があるか分からないのに」

「奴は猪突猛進だからな」グローリーがぽつりと言う。

「ええ、……けどまた連絡が途絶えたの。何処に飛ばされたのか……何かしらマクレディの頭の中に反応があればいいんだけど……」

 カタカタと記憶シミュレーターに繋がっているターミナルのキーボードを叩きながらアマリは毒づいた。人の脳なんて戦前の科学を持っても解明されてないものだ。その中に飛び込んだジュリアンをサポートしなければどうなるか分かったものではない。

 アマリはマクレディの頭につながれている電極の僅かな信号を見逃すまいと、装置を食い入るように見つめていた。

 

「……地下鉄か」

 見かけない地下鉄の駅だった。地下鉄の構内に繋がるエスカレーターと、雨風から防ぐためプラスティック製の巨大なドーム型の屋根に覆われている。エスカレーター脇に立てかけられている看板は僅かに地下鉄と判別できたもののそれ以上は読めず、行き先がどこかは皆目見当がつかない。

 それ以外何か建物は、と見回すも、建物だった残骸があちこちにあるだけで、殆どが荒れた大地が続くだけ。まさか荒野の真ん中に地下鉄の駅がある筈ないだろうから、かつてはここも栄えた町の一角だったのだろう。……今では見る影も無いが。

 となると、人影が入っていったのはここしかないという訳だ。かつては電気で動いていたであろう、今ではぴくりとも動かないエスカレーターをかん、かんと音を立てながら一段ずつ降りていく。近づくにつれ、下にはフェンスで囲まれた入り口らしきものが見えてきた。そこから先は立ち入り禁止とまでに、フェンスで頑丈に仕切られている。……その一箇所、フェンスの扉が僅かに動いているのが視界に入ってくる。間違いなく誰かがここに入っていったのだ。

 エスカレーターを降りると、僅かな踊り場と、その先の侵入を阻むためのフェンスの先には通路が見えた。隠密状態になると暗いところでは暗視能力がつく力を持っているせいで、目を凝らさなくともその先が地下鉄のプラットフォームに続いているのは分かる。手前には改札機があり、人を通す僅かな間には仕切るように横から板が降りていた。無人の駅でも切符ないし定期券を持たない者を阻んでいるように見えて、それが酷く物悲しく感じる。

 先程誰かが入ったであろう、フェンスの扉をくぐって地下鉄構内に侵入すると、ひんやりとした空気と、黴と長年人の手の入っていないなんともいえない匂いが肌と鼻にまとわりつく。嫌な匂いだ。俺がVault111で目覚めた時を思い出させる、あのなんともいえない──皆死んでしまい、生きているのは俺一人──そんな絶望と心細さを思い出させてくれた。時の概念が無い世界。そう、まさにこの地下鉄は長年ほったらかしにされた、人の目にも手にも触れない、孤独に打ち捨てられた世界そのものだ。……こんな所に一体、誰が入っていったのだろう。

 身を屈め、夜目が利く状態を常に維持しながら、そろりそろりと構内を歩く。途中、ヌカ・コーラの自販機が目に付いて思わず中身を確かめようとしたが、俺の知っている自販機と形状が違っていた。

 ここがもしキャピタル・ウェイストランドだとしたら、外にいる時点でマクレディは16歳以上なのは間違いない。けど……今のところ彼の姿が見えないのは確かだ。追っている人影がマクレディであればいいのだが。

 自販機から離れ、仕切り板が降りっ放しの改札機をジャンプして抜ける。そこから先はあちこち土砂が崩れて通路が塞がれてあったものの、一箇所、プラットフォームに通じる階段があるのを発見した。他に行く先はない。となると──人影もここを降りていった筈だ。

 音を立てずにゆっくりと階段を降りていくと、……何かが耳に入ってくる。微かではあるが、誰かともう一人が話し合っている。会話のようだった。

 やはり一人ではなかったようだ──マクレディだとしたらもう一人は誰だ? 

 気になりながらも、俺は努めてゆっくりと近づいていく。……と、かしっ、かしっ、と何かと何かが擦り合う音が数回立ち、ぼぅ……と光が僅かに辺りを照らす。どうやら火打石か何かで火を熾したのだろう。

 その光で、俺はその人物を見ることが出来た。……一人は女性。暗がりでよく見えないが、薄茶色の長い髪、僅かにカールしてる辺り天然だろうか。目鼻立ちの整った、美人といえる女性だった。隣にいる、火を熾した奴に何か話しかけている。小声のせいか、その声は全く聞き取れない。

 そして隣に座っている──火打石をポケットに入れながら、女性の方に顔を向けて返事を返した時、その顔がはっきりと見えた。帽子は被っておらず、茶色い髪が短く切り揃えられている。口髭はまだそれほど伸びておらず、僅かに生えているのみ。──見紛う事などなかった。マクレディだ。

 隣の女性と何か話して微かに笑っている。その表情は楽しげで、こんな無人の地下鉄のプラットフォームでは酷く場違いに思えた。……となると、あの女性は、まえに話で聞いた……

『ジュリアン! やっと見つけたわ』

 突然脳裏に響いてきたDr.アマリの声に再びびくっとしてしまう。……やれやれ。人が少しだけ感傷に浸っているのに。

『……アマリか』

 心なしか、不機嫌に聞こえてしまったかもしれないがそう答えると、彼女は当然のようにそうだと付け加え、

『Dr.キャリントンが来てくれてるのよ。そこであなたの脳波の信号を追えば見つけやすいって聞いて試したら間違いなかったわ。……さっきの場所からは大分飛ばされたみたいね』

『ああ、そうらしい。……俺は今何処のセクターにいるんだ?』

 聞くと、現在第18セクターに居るとの事。つまり18歳。……16歳でリトル・ランプライトから追い出されると前に言ってたな。やはりこの先に居るのはマクレディで間違いないのだ。

『マクレディは見つかった?』

『ああ、今俺の目前……といってもかなり離れてるけどな。で奥さんと一緒に居るよ。何か話してるみたいだ。──ここらに薬の影響は?』

 彼女は何かを操作しているのか僅かな間の後、『……このセクターも殆ど侵食されてる。今居る場所も影響はすぐそこまで来ているのは確かよ。ただまだ実体化や悪化させるほどではないみたい、いずれ変化を起こすとも限らないから気をつけて』

 わかった、と言って一度会話を切る。薬の影響は思った以上に早いみたいだ。マクレディの近くに居たほうがいいのは間違いなさそうだった。

 相手に気取られないように、そこらに散乱している木の板や壁だった残骸に身を隠しながら近づいていくと、マクレディと彼の妻──確か、ルーシーと言ったか──の会話が耳に飛び込んできた。

「……今夜一晩中ここでやり過ごすの?」

「ああ。そのほうがいいだろう。上は危険だ……といってもここが危険じゃない保証は何処にもないけど」

「うん、でも、火をつけても何も襲ってこないみたいだし、大丈夫じゃないかしら」

 ぱちぱちと爆ぜる音と共に、彼らの会話を嫌でも聞いてしまう形になる。とはいえ──俺の姿をここで晒すのも分が悪い気がした。

 マクレディと妻のルーシーはプラットフォームに続く階段のすぐ下、開けた場所に出てすぐの所の壁に寄りかかるようにして座っていた。俺はというと、改札のある階とホームに続く階段の踊り場の反対側の壁によりかかってマクレディとその妻を見ている。……と、先程まで気がつかなかったが、彼女の両手には抱えるようにして何かを持っているのに気がついた。彼女は時折、それを見ながら撫でるような仕草を見せている。……まさか。

「はは、こんな時でもこいつは無邪気に眠ってるな」

 マクレディが笑いながら、彼女の手に抱かれているものにそっと触れる。その表情は俺が見たことがない程、穏やかでやさしそうなそれだった。──あんな顔をするのか。

「ふふっ、そうね。この子は恐らくパパ以上に強い子になるに違いないわ。こんな時でも泣き言言わずにしっかり眠ってくれてるんだもの」

「そうだな。……ダンカンお前、ひょっとして俺より強い奴になるんじゃないか? パパより強い奴になって、大きくなったら母さんを守ってやるんだぞ」

「ちょっと、駄目よ。あなたも入ってないと駄目じゃないの」くすくす笑いながらマクレディの肩を叩くルーシー。

 産着に入っているであろう、小さな命は何も言わず母親の腕の中で寝ているようだった。……あれがダンカンか。1歳前後といったところか。その姿に思わず、俺は自分の息子、ショーンの姿とダブらせてしまう。そして……妻、ノーラ。

 頭を数回振り払って思い出そうとする行為を追い出した。今はそんな記憶に思いを馳せている場合じゃない。……彼らはどうして夜にこんな地下鉄の跡地にやってきたのだろう? 何かに追われてるのだろうか。

 その時、記憶の中で何かが引っかかるような気がした。……地下鉄、駅、夜……この話、何処かで……

「もう夜も遅い。お前も休んでていいよ、ルーシー」

 マクレディの声に考えを中断し、思わず耳を欹ててしまう自分が居た。その返事に対して彼女──ルーシーは、大丈夫と言いながら手をひらひらと振って見せる。

「あなた一人で寝ずの番をさせるわけにはいかないもの。私も手伝う」

「大丈夫さ。ここは長い間誰も入ってないみたいだ。レイダー共の気配も無い、俺が守ってるから安心して寝ていいから」

 マクレディはそう言うものの、彼女は食い下がろうとはせず、起きているの一点張りだった。随分気が強い女性だな、と内心ぼやくと、マクレディがふっと笑ってみせながら、彼女の方へと身を近づけていく。

 キスでもするのか、と思ったがそうではなかった。彼は彼女の──ルーシーの肩に身を凭れかけたのだ。その動作は自然で甘えるように、そして彼女もまた彼の身体を受け止めながら背中に手を回す。

「……ルーシー、俺はそんなに頼りないように見えるか?」

「まさか。私にとって、あなたは最高の兵士よ。……人々を守ってくれる、正義の兵士さん」

 その刹那記憶が脳裏によみがえった。

 そうだ、マクレディはあの時そう話していた──ある夜の事を。

 

『どれだけ状況が悪化しようと、いつも傍に居て、肩に寄りかからせてくれた。

 それが…その、強く前進するために必要な勇気をくれた……決して諦めないための』

 

『けど……もうどうでもいい事だ。彼女は数年前に死んだんだ。

 ある夜、地下鉄の駅に身を隠したが、それが間違いだった──』

 

 まさか、まさか、まさか。

 思わず俺は背中に背負ったコンバットライフルを手にしていた。その直後、

『ジュリアン? どうしたの? 心拍数が上がってる。脳波に乱れがあるわ。Dr.キャリントンが何かあったんじゃないかって言ってる。どうしたの?』

 Dr.アマリの声が脳に直接響いてきた。が、俺はそんな呼びかけに正直、応じたくなかった。いつ自分の目の前で──彼の愛した最愛の妻が殺されてしまうのかが不安で、恐怖で、それを見たくなくて。

『……アマリ。俺はこの記憶の行く末を知ってる』

『え?』

 銃弾の装填を確かめながら応じると、何のことだか分からないといった様子の返答。

『知ってるんだ。この記憶の中でマクレディの大切な──奥さんが殺されるっていう結末を。だから俺が──』

『どういう事? 今あなたが見ている彼の記憶の世界をあなたは知ってるというの?』

 ああ。知っているんだ。俺があの時──Vault111で冷却ポッドの中で、成す術無くむざむざとノーラが殺され、ショーンを奪われていく様を見せ付けられたようにな。

『せめて記憶の中だけでも、助けてあげないと──』

 そう返事を返ししな、突然Dr.アマリは強い口調で『だめ!』と言ってきたので思わず身をびくっと竦ませてしまった。しまった、ばれてないだろうか?

 ちらりとマクレディの方を見ると、彼はまだルーシーの肩に凭れかかっていたので、ほっとする。……駄目って何が駄目なんだよ。

『何で駄目なんだよ、アマリ』

『彼の頭をおかしくさせたいの? 実際あった記憶を捻じ曲げてはいけない。そんな事をすれば彼の記憶に齟齬が生じてしまい、記憶障害を引き起こすきっかけになりかねないわ。目覚めた時、彼は妻を生きているものと信じて探し回るかもしれない。記憶の先と今の現状に差異があることに気付きながら、どうしてそうなったか分からず混乱してしまうかもしれない。──そうなれば、彼は連邦で生きられない身体になるかもしれないのよ』

 まさか、と思ったが──マクレディの脳内で記憶を捻じ曲げれる事が彼にどういうった後遺症を残すのかなんて、俺にわかる筈もなければ──そんな事をしていい理由にもならないのは間違いなかった。けど……頭でそれが分かっていても、感情はそれを許さなかった。

『……Dr.アマリ、俺には辛すぎる! こんなの俺は見たくてここに来たんじゃないのに!』

 自分に出来ることは何もないのか。俺と同じ事を──そうだ、俺とマクレディは似ていた。互いに結婚し、互いに相手が居たのに、互いにどちらも妻に先立たれてしまう事実──それを彼の分まで見なければならないなんて。

『ジュリアン。──見届けてあげて。正しい記憶に手を出す事は許されない。記憶がここにあなたを飛ばしたのなら、ここにはアンハッピーターンがいて、あなたはそれを倒すためだけにそこに飛ばされただけ。

 自分が記憶を是正できると思ってはいけないわ。正しい記憶ならともかく、ありのまま起きた事を捻じ曲げるのは彼にとっても辛い事よ。現実に目を背けてしまう事と同じだもの。

 見届けて、そして悪夢の存在を見つけ出して倒す──それだけがあなたがそこにいる理由。忘れないで』

 忘れないさ。忘れる訳がないだろう。自分がノーラを殺された瞬間を。ケロッグの手で銃に打たれ、力なく倒れていく彼女を。

 もし自分が今のマクレディの立場だとしたら、その記憶が勝手に捻じ曲げられる事だ。けど現実にはノーラはもう居ない。それを認めることが出来ない人間になっちまう。

 それを第三者が勝手に捻じ曲げたとしたらどう思う? ……許さないだろう。それがあなたの為によかったと思うからやったんだって言われても、俺はちっとも嬉しくなんか無い。

 だから──俺は黙って銃をホルダーに戻した。

 アマリは何も言ってこなかった。分かっているんだろうと思い、こちらからは敢えて何も言わず、身を屈めたままじっと階下の先に居るマクレディを見る。

「最高の兵士、か」

 マクレディはルーシーの肩に寄りかかったまま、力なく笑った。ルーシーはうんうんと頷きながら、彼の背中をぽんぽんと叩く。

「そう。だから私はあなたの傍に居ると安心するの。……でもここはなんだか嫌な予感がする。だからどうしても眠れなくて」

 神経を研ぎ澄まして辺りに気を配るが、特に何の気配も感じない。が、最初にこの駅構内に入った時の、ひんやりとした空気と黴臭い匂いは慣れそうになかった。リトル・ランプライトに居た時みたいな、あたたかさを全く感じないのだ。

「大丈夫だよ。……ダンカンは俺が抱いてるから、少し眠っておけって」

 凭れていた身体を上げ、マクレディはルーシーの膝に抱いていたダンカンを受け取った。彼女は渋々といった様子で分かったわ、というと、焚き火に近づいて身を横たえた。

 すぐに寝息を立てて眠ってしまう彼女を見て、マクレディはほっと一息をつくと、暗い辺りに目を配らせ始める。片手にはダンカンを抱き、もう片手にはアサルト・ライフルを持っている。リトル・ランプライトで持っていたものと同じものだった。

 すると、突然むくりとルーシーが起き上がったので、マクレディはびっくりした様子で、

「どうした? 寝てなきゃ駄目じゃないか」

 そう言うも、彼女は従うどころか首を横に振って、「……何か聞こえない?」と言ってくる。

 何か聞こえない、だって……?

 階段の途中で身を隠しているのもあって、俺には何も聞こえてはこない。が──ルーシーはしきりに辺りに目をやっている、何も見つからない様子だったが。

「何か聞こえないかって、何がだ?」とマクレディ。

「こう……何かを引きずるような音。寝てて気付いたんだけど、床を通して何かが音を立ててるのは間違いないわ。……ねぇマクレディ、私怖い」

 そう言われて気になったのか、マクレディは立ち上がり、アサルト・ライフルの銃口を向けながら辺りにしきりに目を配らせ始めた。

 何か近づいているのか、と思った矢先──俺にはそれが目に入った。

 隠密状態だと夜目が利くようになっているせいで、マクレディよりも先にそれを見つけることが出来たのだ──フェラル・グールの群れを。

 彼らは線路の上をよたよたとした足取りで、光──即ち、焚き火の明りに向かって歩いてきている。焚き火をしてから随分たっているから、プラットフォームから僅かに遠い場所で寝転がってでも居たのだろうか、焚き火の明りに集まるようにまっすぐ向かってきていた。

 マクレディはまだ気付いておらず、その場を動かずせわしなく辺りに目をやっているばかり。……歯痒かった。これが見届けるというものなのか? いまだアンハッピーターンの影響が近づいているという知らせがないのも腹立つ。今だったらその影響さえ、彼の辛い記憶を見せ付けられるより幾分かマシに思えるというのに──!

「……何の気配も感じないけどな」

 マクレディがそう言って、再び座りなおした時。──ふっ、と、にわかに焚き火の火がゆらいだかと思うと、その炎が瞬時に消えたのだ。

 瞬時にあたりが暗闇に包まれる。きゃっと短い悲鳴を上げながらルーシーがマクレディに飛びついた。

「くそ、なんで消えちまうんだよ、もう一回つけなきゃならないじゃないか……」

 慌ててマクレディが再度火打石を取り出して火を熾そうとするも、ショーンを抱えていてはそれも出来ない。仕方なく、怯えながらマクレディに寄り添っていたルーシーに、

「すまない、ダンカンを抱いててくれ」

 と彼が言ったのと──フェラルが数体襲い掛かってきたのはほぼ、同時だった。

 

「きゃぁっ!」

 闇から伸びる幾数の手。抵抗する事も叶わずルーシーはその手に掴みかかられ、身体ごとマクレディから引き剥がされる。

「?! ルーシー!」

 アサルト・ライフルを持っていた手を銃から離し彼女のほうへ手を伸ばす。伸ばした先に掴んだのは──彼女の髪の毛。豊かな髪がなびくように動きながら彼とダンカンの傍から離れていく。

 離すまいとしっかり握って引っ張ると──いともそれは簡単に、ぶちぶちと音を立てて引き剥がされた。

「え、っ……」

 手にした毛を持ちながら呆然と立ち尽くすマクレディに、

「助けて! 助けてマクレディ!」

 叫ぶルーシーの声。……その声は後半、彼の名前を呼ぶ頃には喉を食いちぎられていたのか、ひゅうひゅうと息の通る音しか聞き取れなかったのだが。

 フェラルが数体、ルーシーの身体を囲み、柔肌を引き裂き、眼球を抉り取っては口に含み、そのほか言葉に言い表せないほど残酷な“食事”を行っていた。マクレディはその場でがたがたと震えている。逃げるという行為を忘れたかのようだった。

 くそっ──これ以上見届けるなんて俺には、俺には出来ない!

「マクレディ!!」

 声を張り上げる。名を呼ばれて反射的に彼はこちらを仰ぎ見──目を丸くした。何であんたがここにいるんだ、といわんばかりの表情だった。

 俺は一気に階段を下りると彼の手を握り締め、

「お前も食われたくなかったら逃げるんだ! いくぞ!!」

 空いている片方の手を握り締め、一気に階段を駆け上がる。その音に反応して数体、フェラルが階段を上がってこようとしたが追ってこれないと判断したのか、改札機を出る頃には誰も追ってはこなかった。

 そのまま一気にフェンスを開けて外に出て、エスカレーターを駆け上がり月が出る荒野に出てから、俺達はようやく走るのを止めた。マクレディから手を離し、はぁはぁと息を切らして手を膝についてしまう。

 あの時分かっていた。火が消えた事も。フェラルの群れが歩く音は殆ど聞き取れないが、彼らは獲物に飛び掛る時、一気に走って間合いをつめて飛び掛ってくる。その風で焚き火の火が消えたのだ。それを見ていても、俺は手を出す事を許されなかった。けど、……けど、辛すぎるぜ、これは。

「あ、あんた……」

 ふと見ると、マクレディがこちらを凝視していた。……しまった。俺の事なんてまだこの時代には知る由もないのに。

 今も若いが、月の光に照らされて改めてマクレディを見ると、口髭は先程言ったとおりだが、まだそんなに薄汚れた感じがしない。手も汚れてはおらず比較的きれいなほうで、服装は俺が知ってるダスターコートを着た彼ではなく、合成皮革の黒いジャンパーの上にこれまた皮製の硬くした肩当てがついている井出達だった。

「はぁ、はぁ……よう、マクレディ」

 思わずいつもどおりの返答をしてしまった。走り続けていたせいで考える事を放棄していたのだ。

「……ジュリアン、だよな? Vault101の?」

 えっ? と思わず耳を疑った。まさかさっきの12歳の記憶が反映されてるんじゃないだろうな、と思ったがそれもおかしな話だ。……しょうがない、また演じてやるか。

「……そうだよ、立派な大人になったじゃねぇか、マクレディ」

 話をあわせてみると、やっぱり、と言いながら彼は何処か身体を震わせていた。文字通り、ぶるぶると。

「あんたを……探してたんだ。ずっと、リトル・ランプライトを出てからずっとあんたの事を探していたのに、まさ……まさか、こんな所で会うなんて。

 ルーシー、彼がジュリアンだ。俺が探してたVault101のジュリアン。覚えているだろ? 彼の話を何度もしてやっただろ?」

 言いながら彼は傍らを見る。……勿論そこにルーシーは居ない。

「あれ……おかしいな。ルーシー? 何処に言ったんだ?」

 片手にダンカンを抱きつつ、身体を震わせながら彼はきょろきょろと周りを見やる。……居たたまれなかった。かつての自分を見ているようだった。

「ルーシー? ……そうだ、俺さっき、彼女の髪を──」

 言いながら、ずっと握り締めていた──右手に握られていたものを見る。髪の毛の束が数十本、その手中にあった。毛先には毛根だけではなく、剥がれ落ちた皮膚がいくつも見受けられる。……見ていられず、俺は目を背けた。

「そうだ、さっき……奪わせやしない、って……掴んだのが、これだけで……ルーシーは……ルーシーは……」

 身体を震わせながら、マクレディの目から涙が溢れた。とめどなく溢れるそれを止める事など俺には出来ず、黙って目を閉じた。

「ルーシー……嘘だろ、嘘だって……違うんだよな、ルーシー……ルーシー……!」

 嗚咽を漏らしながら、彼は月夜に吼えるようにして泣き崩れた。ダンカンをその手に抱きしめながら、助けられなかった妻を思い、助ける事が出来なかった自分を恨み。

「どうして、どうして……どうして彼女が死ななければ……どうして俺じゃなくて、ルーシーなんだよ……!」

 くそっ! 俺は思わず地べたに膝をつき、涙を流すマクレディの両肩を掴んだ。

「マクレディ! 馬鹿な事を言うな!」

 それだけ言うのが精一杯だった。ちくしょう。情けない事に、俺も涙を流していた。もらい泣きかもしれないが、あまりにも見ているのが辛く、そしてそれ以上に彼を──マクレディを放っておくことなど出来ないからだった。

「お前の腕に居る子はどうする? ダンカンのためにも、あんたは生きなければ駄目だろう! この子の為にも、あんたは生きろ。どんな事をしてでも生き延びるんだ。それが、ルーシーへの手向けになるだろう? そうだろう?」

 腕に居る、と聞いて彼は一瞬我に返ったのか、ダンカンを見た。こんな状況でも静かに寝ているのは……所詮は記憶の中の世界だからだろう。普通なら目を覚まして泣きじゃくってもおかしくないからな。

「ダンカン……ルーシー……!」

 僅か数分前に生きていた人が、次の瞬間には死んで居なくなっている──認めるまでに時間はかかるだろう。けどマクレディ、お前は一人じゃない。腕に抱いているあんたとルーシーの間に出来た子なんだ。その子のために、お前は生きなきゃならないんだ。

 うわあああ、と叫びながら再び顔をくしゃくしゃにして慟哭するマクレディ。掴んでいた肩から俺は腕を背中に回し、ぎゅっと抱きしめた。ふわっと暖かさが全身に伝わる。ああ、そうだ。この暖かさ。躍動する彼の命の息吹が伝わってくるようで、ほっとする。

「大丈夫だ、俺がついてるから」

 不思議とそんな言葉が口から出たのに自分でも驚いた。女性でもないマクレディは男性なのに。……そう思いながらも、頭の中では何となく分かっていた。マクレディは俺と同じ境遇を体験しているからこそ、放っておけないのだ。俺より数年も若く、それなのに俺より辛い事を何度も経験している、放って置けない──だから彼をつれて旅をしているのだ。

「……ジュリアン」

 ぐすぐすと洟を啜っていたマクレディがぽつりと俺の名前を呼んだ。

「ん、大丈夫か?」

 腕をほどくと、彼は名残惜しそうな表情を浮かべつつ、黙って頷いてみせたので俺は彼から離れた。表情は落ち着いていたが、泣き腫らした目は腫れぼったく、重そうに見える。

「あんたが……来てくれなかったら、俺もどうなっていたか」

 言葉を選んで言ってる様子だった。

「さっき、俺を探してたっていってたよな」

「……ああ」言いながら彼は伏目がちに頷いてみせた。「あんたの噂は聞いていたし、外に出たらあんたを探して、出来たら傘下に入れてもらえないか、って言うつもりだった。けど何処を探してもあんたは見つからなかった。メガトン、リベット・シティ、カンタベリー・コモンズまで行ったけど、あんたの話は沢山聞くのに、全然見つけられなかった。……だから俺は探すのを諦めて、一人で生きようとした。そんな矢先にルーシーと会ったんだ。……あんたの話も沢山したんだぜ。彼女もあんたの名前は知ってたんだけどさ」

「……そうか」生きているうちにルーシーと会話をしたかった──と言おうとした矢先だった。

『ジュリアン! ジュリアン、聞こえる?』アマリの声が脳裏に響く。相変わらず甲高い声に俺は意味もなく耳を塞いでしまう。……もう少し音量調整できないものか。

『どうしたアマリ、俺は今──』

『そっちにアンハッピーターンの影響が向かってるのよ! 何がくるかは分からないけど用心して!』

 一方的にまくしたてたアマリの声は緊迫感そのものが出ており、否応にもこちらもあたりを警戒せざるを得なくなる。

 背中に背負ったコンバットライフルを手にして、身構える俺を見てマクレディが怪訝そうに「どうした? まさかさっきのフェラルが来てるのか?」聞いてくる。

「……そうだ。お前は俺から離れるな。今戦闘できる状況じゃないだろ?」

 何が来るか分かってないがそう伝えておいたほうが話が早いだろうと判断しての事だった。マクレディはダンカンを両手で抱え、俺の背後に立った。──と、何処からか微かに声が聞こえてきた。

「……ィ……マク……ディ」

 辺りは月光に照らされ、夜だというのに見通しはいい。……そんな中、声が聞こえてきたのだ。方角は恐らく、俺達が逃げてきた地下鉄のほうから。徐々に大きく、はっきりと聞こえてくる。……マクレディを呼ぶ声だった。

「ん? この声……どこかで」

 銃を向けながら、耳に入る声は聞いたことのあるそれだった。……女性の声。ルーシーの。

「ルーシー? 居るのか?」

 彼が一歩踏み出そうとするのを俺が手で制する。

「やめろ。あんな状況を見て、彼女が生きてる訳ないって分かってるだろう?」

「け、けど……」

 逡巡するマクレディを他所に、俺は内心焦っていた。畜生、嫌なものに寄生していたって訳か。道理で……彼女の姿がはっきり見えた訳だ。フェラルの群れも。

 つまりそれらは、アンハッピーターンが寄生して出来た悪夢の具現化した姿だったのか。ルーシーが最初から薬に寄生された存在だったかは分からないが、彼を苦しみ、打ちのめすには最高の材料だっただろう。

 雲ひとつない月夜が、徐々に黒い霞に覆われて光が届かなくなっていく。近づいてきているのは自明の理だった。──と、駅の方から歩いてくる人影。それらに蠢くようにして纏わりつく黒い霞。

「……ルーシーだ! ルーシー!」

 マクレディが手を振った。ああ、くそっ。黙っていろと口に物でも詰め込みたい気分だった。あれがルーシーだと?

「マクレディ、こんなところにいたのね」

 にっこり笑いながら近づいてくる、かつて“ルーシー”だった者。マクレディは近づこうにも俺の手で制されているため彼女に駆け寄る事が出来ない。

「ああ、本当にすまない。俺とダンカンだけ逃げてしまっ──」

 謝るマクレディを見て、霞をまとったルーシーはにやり、と笑みを浮かべた。生前の笑顔とは似ても似つかない、醜く得体の知れない笑顔──思わずぞくり、と背筋が凍る。

「何当たり前のこと言ってるの? 私を襲ったフェラルを倒そうともせず、あんただけ一人で勝手に逃げちゃってさ、おかげで私がどうなったか見てみる?」

 言いながら、彼女はけたけたと笑い──その“身体”を動かしてこちらに見せた。歩いているときは普通に五体満足の身体だったルーシーのそれが、みるみるうちに血にまみれ、あちこちが欠損し、食いちぎられた跡がいくつも見受けられる“躯”そのものへと変化していったのだ。

「う、うあああああ!」

 マクレディが悲鳴を上げる。見るも無残、とはよく言ったもので──いやいや、彼女の身体はそれを超えていた。眼球は両目とも抉られ、美人だった顔立ちは歯形と血でまみれているのだ。悪夢そのものだった。

「あんたが逃げたせいで、私はこうなったんだ!」

 霞が蠢いたと思ったかみなかで、俺とマクレディ両方に襲い掛かってきた。それが彼の首に纏わりつき、ぐっと首を絞める。俺はというと……相変わらず黒い霞はこちらの身体を通り抜けていくだけだった。

「ぐ、ぐぁ……」

 マクレディが呻く。相手を倒すより彼を解放しないと命が危ない。……しかし銃だけではちょっとな。……切り刻むモノが必要だ。

 念じると、ぱぁぁ、とまばゆい光と同時にそれが現れた。──炎を纏った刃シシケバブ。念じるとは慣れると便利なものだな。と内心感心した。

「マクレディ、目を伏せてろ!」

 言うと彼は目を閉じ──俺は手にしたシシケバブを振りかぶって、炎を纏った刃を彼の首を絞める霞に当てた。じゃっ、という燃えるような音を立ててそれは消えていく。開放されたマクレディは地面に手をつき、げほげほと咳き込んだ。

《貴様、我の邪魔をするのか!》

 かつてルーシーだった、今ではただの肉塊となったモノがその独特の声を発してきた──リトル・ランプライトでも聞いた。アンハッピーターンの声。

「マクレディをあんたに殺させる訳にはいかねぇんだ!」

 こちらが言ってる間にも霧が何度も襲ってくる。マクレディを再度捕まらせまいと、俺は彼の目前に立ち、その霞からの攻撃をたたっ斬っていた。霞は何度も何度も襲ってくるため、きりがない。

「マクレディ、俺の肩に手を掛けていてくれ」

 咳き込みながら立ち上がったマクレディに、相手のほうを向いたままそう言うと、彼はえっ、と言いながらも俺の左肩に手を載せた。……温かみが感じられる。彼と俺の繋がりが温度となって伝わってくる。

《くそっ! 貴様、この者の記憶にある存在ではないな!》

「ああ、俺はマクレディをあんたから助けるために外から来たんだ」シシケバブを脇に収め、俺は背中に背負ったコンバットライフルを手にし、照準を定める。「マクレディから出て行け、彼をこれ以上苦しめるんじゃねぇ!」

 照準器で狙いを定め、躊躇いもせずそのまま引き金を引いた。弾奏から送り出された銃弾が勢いをつけ一気に狙った相手──かつてルーシーだったもの──の頭頂部に見事にヒットした。

《ぐあぁぁぁぁあああ!》

 叫ぶ。が、しかしまだ倒れない。──しぶといな。薬の影響がマクレディの体を蝕んでいるせいだろうか。

『アマリ、こいつ一発じゃ倒れそうにない。前回と違うのはどうしてだ?』

 頭の中で呼びかけると、彼女はすぐに応じてみせた。

『……前回より規模が大きいのは確かよ。薬はいくつも分裂し、幾重にも姿を変えて記憶を侵食しているけど、どうやらこいつは十代後半から二十代初頭の記憶を侵食していたせいか、力をつけているのは間違いないわね。でも倒せば薬の影響の殆どを開放出来る筈よ。負けないで、ジュリアン』

 どうやって分析しているのか気になるが、それは帰ってからの方がいいだろう。……と、黒い霞が再びこちらに襲い掛かってきた。

「マクレディ! 飛ぶぞ!」

「あ、ああ!」

 助走もつけず、その場から瞬時に右へ飛んだ。不思議な事に──マクレディも殆ど俺と変わらず速さで同じ方向へ飛んでいる。息がぴったり、というより、彼が俺に合わせているような気さえした。気のせいだろうか。

「いいぞ、マクレディ」

 僅かに顔を後ろに向けてそう言って見せる。彼は照れくさそうに顔を俯かせた。

《ええい、ちょこまかと!》

 再び霞が襲ってくるがこれをシシケバブで応戦すると、相手は一瞬怯んで見せた。……どうやら炎に弱いらしい。なら接近戦で一気に片をつけるか。

「マクレディ、一気に突っ込んで片をつけてやる。俺と一緒に走るんだ。……いいな」

「りょ、了解」

 その言い方がいつもの彼とそっくりで、不思議と胸が高鳴った。……ああ、そうだよな。

 どんな事があろうと、俺はこいつと一緒に居たい。マクレディと一緒に居たい。

 ぐっとシシケバブを握り締め、一気に走り出した。間合いを詰めてくるこちらに対し、自ら飛び込んできたかと勘違いしたのか、アンハッピーターンは一四方に黒い霞の触手を伸ばしてきた。……このときを待っていた!

「飛ぶぞマクレディ!」

 同時にたん、と地面を蹴り、相手めがけていっきに飛び込む。霞の触手は僅差で俺とマクレディを掴み損ねていた。

「うおぉおおおおおお!」

 刃を垂直に持ち、重力に倣って相手の脳天めがけて一気に刃を突きたてる。肉を突き刺す感触と共に、切っ先から炎が溢れ、その全身を燃やしていく。

《ぎゃああああああああ!》

 突き刺した刃は真っ二つにその身を斬り落とし──霞の内側から光が溢れたかと思えば、やがてばんっ、と音を立てて四散した。それと同時に辺り一面に漂っていた黒い霞も消え、夜空には再び月が顔をのぞかせていた。

「ふぅ、……これでよし、と」

 シシケバブを腰に収め、俺はマクレディの方を振り向いた。彼は抱きしめているダンカンを見ていたが、こちらの視線に気付いて、ふっと笑顔を見せた。

「……よく分からないが、あんたのおかげで助かったのかな」

「ああ、そう思ってくれて構わない。……と、と」

 不意に足がぐらつき、こけそうになったのを留まる。何かに躓いたのかと思ったが──その時、俺は自分の目がおかしくなったのかと思った。俺の足が透けていたのだ。足元が透けて、その先の地面が見えている。

 おかしいな、と思って手を見ると、驚いた事に俺の両手の指先もうっすら透けていた。何だこれは?

「なぁ、ジュリアン」

 呼ばれたので、俺は考える事を止め「何だ?」と応じると、彼はもじもじとした態度──男がそういう態度をするのはあまり見てて気持ちのいいものではないが──の後、

「あ、あのさ。お、俺と、よかったら、」

「うん? よかったら?」

 鸚鵡返しに問い返すと、彼はがりがりと照れくさそうに頭髪をしごきつつ、

「俺と、よかったら……一緒に来て欲しい、んだ。

 ああ、いや、あんたがクソ忙しいのは分かってる。あんたは誰にでも必要とされてる存在だもんな。けど……ほんの僅かな間でもいい。俺と、ダンカンが、一緒にちゃんと生活できるようになるまで、その……見届けてほしい」

 何だ、そんな事か。──勿論俺ははっきりと頷いて見せた。「ああ、構わないよ。俺もあんたとこのまま別れたんじゃ、気になって仕方がないからな。俺でよければ力になる」

 返答を聞いて、マクレディは目を潤ませて喜んだ。……心なしか、胸が痛む。本来の俺はこの時まだ連邦で冷却ポッドに入れられて眠っているのに。

 このときの俺はまだ、お前を見届ける事は出来ない、けど──連邦に来たときは必ず、お前の事を──

 世界はうっすら東から白んできていた。夜明けが近いようだった。長い夜がようやく終わりを告げているようにも思えて、ほっとする。

「夜明けだ。……とりあえず、どっか居住地に向かおう。腹ぺこもいいところだ」

 そう言うマクレディは力なく笑っていた。彼はさっさと歩き始めている。何処へ向かうかは分からないが、恐らく知っている居住地があるのだろう。

 ああ、と返事を返しながら一歩、歩き出そうとした時──今度は足が落ちるのではなく、一瞬にして世界が切り取られた。

 切り取られた、というのは言葉では言い表せないが──一一枚の巨大なガラスの板で仕切られてしまった、と言った方がいいかもしれない。えっ、というまもなく、今までいた世界はガラスの向こう側に四角く切り取られ、ぴかっと光ったかと思うと何度も見ているあの、記憶の欠片となっていずこかへ消えていく。

 今度はどうやら落ちたりしないらしい。立っている感覚もある。自分の視界がぐるぐる回ったりもしない。しかし、辺りは真っ暗で、自分が立っている場所は果たしていいのだろうか……と不安になってきた。

「今度は何処に連れて行くんだ? 薬の影響があるなら、何処へでも行ってやる」

 と──頭上がにわかに輝き始めた。記憶の欠片は殆ど見かけないが、頭上の光はやがて大きくなり、俺を包み込むかのように降りてきた。──暖かい。

 その暖かさに、俺の両手両足は不思議と同化するように徐々に色、輪郭を奪っていくのに気づいたのはその後だった。

 

 いつの間にか閉じていたのだろうか、俺は目を開けた。

 ──見覚えのある場所だった。地下鉄のプラットフォームを改築した店内。あちこちにはテーブルがしつらえ、客がめいめい酒を口に運んでいる。中央奥にはカウンターがあり、そこには忙しそうに動いているであろうMr.ハンディ型のロボット、通称ホワイトチャペル・チャーリーが左右に動いている──筈だった。

 サード・レール。グッドネイバーの旧州議事堂の地下にある酒場。 

 その世界は何もかもが止まっていた。人の姿はあるのに、誰も動いていない。いつも見るマグノリアの姿をある立ち台に目をやると、彼女の輪郭だけが作られたモノが置かれてあるだけだった。

「サード・レール……22歳のマクレディが」

 そこにいるのか──俺の視線の先、彼と初めて出会ったVIPルームがあった。




18歳のマクレディと、その妻ルーシーの容貌と装備は想像です。

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