外道に憑依した凡人   作:ひーまじん

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異端者二人

「ふーん。ここがアインツベルンとかいう魔術師の根城?陰気臭さ全開ね」

 

「魔術師とは元来陰気臭いものだ。セイバーのマスターぐらいだ。引き篭もらないのはな」

 

時間は遡って、数分前。

 

キャスターが到着して間もなく、その反対側からアインツベルンの敷地内に侵入した綺礼とアヴェンジャー。

 

本来なら、その背後からキャスターを襲っても良かったわけだが、それではキャスターを追跡しているはずのケイネスに存在がバレ、かつ切嗣にもバレると判断した綺礼は、先にケイネスとランサーが侵入したのを見計らって、この地に足を踏み入れた。

 

これならば、気づかれるにしろ、少なからず時間は稼げる。子どもを救うことに関しては、残念ながら初めから計算に入れていない。あれらは元より助かるはずのない人間だ。既にキャスターに魔術を仕込まれ、助けたところで化け物の依代になる。そんな希望を与えるぐらいならば、いっそ殺されてしまった方がマシなのだ。

 

「ここからは二手に分かれるぞ。私はランサーのマスターを叩く。お前は……」

 

「あんたの命令なんて聞くつもりないわよ。私は私で勝手にやらせてもらうから」

 

「……そう言うと思っていた。好きにしろ」

 

キャスターが、アヴェンジャーに対して『ジャンヌが~』と言った時から、アヴェンジャーは心底不機嫌だ。常に粗暴な口調のまま。道中でも、気を紛らわせるためか、綺礼に対して毒を吐いた。別段、綺礼は気にしていなかったが、アヴェンジャーの心中は大体察していた。

 

「だが、一つだけ忠告しておく。……奴は狂っている。情けをかけようと思うな」

 

「はっ。何を言うかと思えば、そんなものをかけるのはあの女だけよ。私は復讐者。救いの手を差し伸べる事も、罪を赦す事もないわ」

 

それだけ言って、アヴェンジャーは霊体化してその場から消える。

 

アヴェンジャーが離れていくのを感じながら、綺礼もまた逆方向へ向けて走り出す。

 

綺礼の狙いは二つ存在する。

 

一つ目はキャスターの討伐。

 

それに関しては、アヴェンジャー次第だが、先程の反応を見れば、彼女がキャスターに情けをかける事も、加勢に入る事もないのは火を見るよりも明らかだ。捻くれてはいるものの、通すべき筋がある事をキチンと理解している。自分が関係しているだけに、自らケリをつけに行ったのだ。

 

ならば、綺礼はどうするか。

 

答えは至ってシンプル。

 

キャスターはアヴェンジャーに任せ、自分はサーヴァントを連れていない者達を狩る。

 

そしてその標的は……意外にもすぐに出会った。

 

とはいえ、出会ったのは人ではなく音。

 

不意の殺気が、フルオート射撃の圧倒的火力が、綺礼を襲った。

 

だが、綺礼はそんな事などわかっていたとばかりに抜き放った黒鍵で全て叩きおとす。

 

この不意打ちを覚えていたわけではない。流石に細部までは綺礼とて覚えていない。

 

それに対応できたのは、『相手が衛宮切嗣か、或いは久宇舞弥の何れかである』と踏んで、不意打ちに対する全てに警戒をしていたからに他ならない。

 

続けて放たれる第二射。

 

全く別の方向からの射撃に、綺礼は幻惑の術にかかっている事に気づく。

 

これはマズい。

 

銃撃の方角はおろか、殺気さえも演出できるのなら、五感はアテにならない。ともすれば、戦士としての経験値を、この綺礼は持っていない。所詮は成りかわり。言峰綺礼というロボットを動かす操縦者でしかないのだ。

 

しかし、だからこそ。

 

背後から襲った銃弾の雨を綺礼は全て叩き落とし、そして銃弾の主を見つけることが叶った。

 

五感が頼りにならないならば、経験値が不足しているのならば、後は知識で補うほかない。

 

事ここに至って、綺礼は『あの者達ならば、こうする』というただの予測を以って、その弾丸を弾いてのけた。

 

タイミングはドンピシャ。脊髄を撃ち抜くはずの弾丸をゆうに叩き落とし、その目は狙撃位置にいた舞弥を捕捉していた。

 

完全なる不意打ちに対応しきった綺礼に、身を強張らせた舞弥であったが、彼女とて伊達に切嗣の助手をしているわけではなかった。驚きとは無関係に手にしていたキャレコの照準は綺礼に向けられ、発砲していた。

 

だが、綺礼は両腕で頭をガードするだけで、避けようとすらしない。

 

詰め襟の僧位は袖まで分厚いケブラー繊維製。しかも、教会代行者特製の棒の呪札によって隙間なく裏打ちを施されている。九ミリ口径の拳銃弾程度ならば、例え至近距離であろうとも貫通は望めない。それでも秒間十連発で叩き込まれる二百五十フットポンドの運動エネルギーは、まさしく金属バットの猛打のように綺礼の総身を殴り続ける。

 

しかし、それに怯む綺礼ではない。

 

鍛え上げられた肉体が、骨と内臓を守りきっているお蔭で、表面的な痛みが走ろうとも、臆するほどではないのだ。今ここで臆せば、それこそが死につながりかねない。

 

ただの数歩でその距離のほとんどを詰め寄った綺礼に、弾が効かないと判断した舞弥はキャレコを投げ捨て、太ももからサバイバルナイフを引き抜いた。

 

ケブラー繊維は弾丸に対する耐性とは裏腹に、刃物による切断にはきわめて脆い。その判断は間違ってはいない。

 

こと、相手がこの綺礼であることを除けば。

 

弾幕が途切れたところで、綺礼は右手に一本だけ黒鍵を手にする。

 

あくまで投擲に特化した刃物であるために、機敏さや取り回しにおいては、舞弥のサバイバルナイフよりも圧倒的に不利。特に懐に飛び込まれれば、どうしようもない。

 

だが、それは無傷(・・)で相手を制する場合である。

 

突き込まれたサバイバルナイフを、綺礼は空いていた左手に突き刺すことで、受け止めた。

 

「っ!」

 

予想だにしえない防御に、今度こそ舞弥は隙を作ることになった。そして、その隙は綺礼に最も見せてはならないそれだ。黒鍵の握られた腕は舞弥の首めがけて放たれーー。

 

「動くな、とは言わん。死にたいのなら動け」

 

首元で止まった。

 

この攻防にかけられた時間は十秒にも満たない。

 

その十秒にも満たない時間で、綺礼は左手に風穴を作り、舞弥の生殺与奪の権利を握っていた。

 

「くっ……」

 

「やめておけ。そちらが指一本動かすよりも、こちらが首を掻き切る方が速い」

 

自分の命は優先順位の中で、最も低い舞弥であるが、その命を賭しても、この代行者に与えられる傷は微々たるものである事を悟っていた。

 

絶体絶命の状況、この状況で舞弥が取るべき選択肢は、ただ一つ。

 

切嗣から指示されたアイリスフィール逃走の援護のみ。それに対して最善策を考えるだけだった。

 

だがそこで、舞弥は目を疑った。

 

「マダム、いけない!」

 

舞弥自身、これほどまでに今の自分が恐怖や狼狽を表に出してしまうとは思いもしなかった。

 

綺礼の侵入を察知し、その迎撃に当たると結論を出した時、アイリスフィールは終始身を隠して掩護に徹するものと、申し合わせてあったのだ。その彼女が、魔術の行使以外には一切の闘争手段を持たないはずのアイリスフィールが、木陰から飄然と姿を現して、綺礼に対峙したのである。

 

無謀の極みである。

 

アインツベルンという魔導の一族は錬金術に特化するあまり、戦闘魔術の運用を不得手とすることで知られている。三度の聖杯戦争において悉く緒戦での脱落を余儀なくされたのも、彼ら北の魔術師一門が実戦において、甚だ脆弱であったが故だ。衛宮切嗣という傭兵を召抱えるに至ったのも、その屈辱の記憶による反省だった。

 

ならば、護衛の女が地に伏したこの状況下において、セイバーのマスターと認識されているはず(・・・・・・・・・)の彼女が、単身で綺礼の前に立ちはだかるという展開は、まずありえない事態である。

 

けれども、綺礼は全くと言っていいほどに驚かない。驚く要素など何もないからだ。

 

「アインツベルンの女よ。意外に思うかもしれんが、私はお前を倒す目的でここにいるわけではない」

 

「解っていますとも。言峰綺礼。あなたの目的は知っている。しかし叶わぬ相談です。あなたが衛宮切嗣にまで辿り着くことはーー」

 

「だから、それが違うと言っているのだ」

 

アイリスフィールの言葉を、綺礼はぴしゃりと言い放ち、否定した。

 

これに驚いたのは、他でもないアイリスフィールと舞弥であった。

 

この男の狙いは切嗣。

 

その確信を持って、彼の元には行かせないと立ちはだかったにもかかわらず、その相手は否定したのだ。衛宮切嗣の元に向かうのが目的ではないと。

 

「なんですって?」

 

「私の目的は、衛宮切嗣ではない。私よりも先にこの地に侵入したランサーのマスターが目的だ。どこへ行ったか、行方が分からなかったが、キャスターを追う過程で偶然見つけた。あの男を排除するために、私はこの地に来た」

 

元より、アイリスフィールも舞弥も、綺礼は眼中になかった。切嗣さえもだ。

 

ここに来たのは、キャスターの討伐とランサー陣営の排除。前者はアヴェンジャーとの因縁から、後者は時臣と対峙することがあった時、魔術戦で時臣を制することが唯一出来る人間であるからだ。

 

切嗣に関しても言える事だが、今は優先順位が違う。仮にここで切嗣を消したとしても、その直後に今度は自分がケイネスに襲われる。それならば、いっそケイネスを排除してしまおうという魂胆だった。

 

「そこでだ。お前達と交渉がしたい」

 

綺礼は懐から一枚の文書を取り出し、アイリスフィールの足元に向けて投げた。

 

魔術的な仕掛けがないかと警戒をしたアイリスフィールだが、それも綺礼の略歴を見ていただけに無いと判断し、おそるおそる拾い上げる。

 

「っ……これは……『自己強制証明(セルフギアス・スクロール)』!?」

 

自己強制証明(セルフギアス・スクロール)』。

 

権謀術数の入り乱れる魔術師の社会において、決して意訳しようのない取り決めを結ぶ時にのみ用いられる、最も容赦ない呪術契約の一つ。

 

自らの魔術刻印の機能を用いて術者本人にかけられる強制(ギアス)の呪いは、原理上、いかなる手段を用いても解除不可能な効力を持ち、命を差し出そうとも、次代に継承された魔術刻印がある限り、死後の魂すらも束縛される。決して後戻りの効かない危険な術だ。この証文を差し出した時点での交渉は、魔術師にとっては事実上、最大限の譲歩を意味する。

 

魔術回路を十分に開発していない綺礼とて、例外ではない。その呪いは十分に効力を発揮する。

 

それを出された事にも驚きだったが、内容もまたアイリスフィールを驚かせるものだった。

 

「どういうつもり?」

 

「それはさっき説明した。私の目的はランサーのマスターだ。衛宮切嗣には此度は用がない……が、それだけでは到底信用されまい。なればこそ、私は交渉を持ちかける」

 

その内容を要約すればーー。

 

『言峰綺礼とその関係者及びサーヴァントは、ランサーとそのマスターを排除するまで一切の危害をセイバーのマスターとその関係者及びサーヴァントに対して直接的・間接的にも与えない』。

 

『セイバーのマスターとその関係者及びサーヴァントは、ランサーとそのマスターを排除するまで一切の危害を言峰綺礼とその関係者及びサーヴァントに対して直接的・間接的にも与えない』。

 

『また、ランサーとそのマスターを排除した後十二時間は、互いに危害を加えられないものとする』。

 

というものだった。

 

あまりにも目を疑う内容に何度も繰り返し目を通すが、証文の内容が変化することもなく、違う解釈が成り立つ余地もないことを理解した。

 

「もちろん、それはお前にではなく、本当のセイバーのマスター(衛宮切嗣)に持ちかけるものだ。お前達にはこちらを要求する」

 

綺礼もう一つ投げ渡したのは、要約すれば『これより十二時間の間、言峰綺礼、久宇舞弥、アイリスフィール・フォン・アインツベルンは互いの危害を加えることを禁ずる』というもの。こちらは舞弥とアイリスフィールの同意があれば、すぐに契約完了となるようにされていた。

 

「所謂停戦というやつだ。私からしてみれば、お前達と戦う理由も、殺す理由もない。そしてお前達も、私が衛宮切嗣に危害さえ加えなければ、特別敵視する意味もないわけだ。ことこの場に限って言えばの話だがな」

 

確かにその通りだ。

 

あくまでも二人が綺礼を阻むのは切嗣のため。綺礼が切嗣を狙わないのなら、阻む理由がない。

 

だが、それでも理解できない。

 

何故この男がこのような交渉を持ちかけてきたのか。アヴェンジャーのマスターが、綺礼である事は既に分かっている。アヴェンジャーは決して弱くない。ランサーを相手に一歩も引かず、それでいて浅くない手傷を負わせたほどだ。遅れをとってはいない。

 

だというのに、何故ランサーを排除することに拘るのか、その疑問が脳裏をよぎった時、綺礼がそれに応えるように言う。

 

「私は魔術師狩りを専門とする代行者だ。しかし、ものには限度がある。かのロードは私では到底勝てる道理がない」

 

「……それで、切嗣となら勝てると踏んでの交渉というわけ?」

 

「ああ。『魔術師殺し(メイガス・マーダー)』の異名を持つ奴ならば、ロードなどに遅れは取るまい」

 

切嗣がどのようにしてケイネスを相手に立ち回るのかはアイリスフィールにはわからない。仕事をしている切嗣の姿を見たことがない彼女はそれに対して力強く頷く事はできないが、何も勝算無しに切嗣がケイネスを迎え撃とうとするはずがないのは理解している。

 

「私などいなくとも衛宮切嗣はロードを倒す可能性は十分あるが、それでは困る。確実にロードにはこの聖杯戦争から脱落してもらう。そのダメ押しとしての一時的な同盟関係だ。断るならお前達を排除して、衛宮切嗣がロードを倒した後、奴も殺すつもりだが……どうする」

 

悩むアイリスフィールにダメ押しとばかりに綺礼は言い放つ。

 

もしもこの交渉に応じなければ、貴様達にはここで死んでもらう。と暗に綺礼はそう告げていたのだ。

 

今のこの状況では、アイリスフィールも強く出られなかった。交渉を終わらせた時点で、応じなければ舞弥の首が飛ぶ。そして殺傷手段を持たない自分では、ほんの数十秒程度の時間を稼ぐので精一杯だ。そしてその程度時間を稼いだところで、切嗣のところに向かうのは明白だった。

 

とはいえ、ここで自分の一存で契約を果たしていいものか、というのもアイリスフィールの考えだった。

 

確かにここで綺礼の提示した条件に則れば、切嗣も、自分達も無事。それは最も望んだ結果だ。綺礼の発言通りなら、いかに切嗣が警戒していたとしても、何らかの形で契約をするはずだ。

 

しかし、何故かわからないが、アイリスフィールは綺礼を行かせてはならないような気がした。言葉で表現は出来ないが、言いしれぬ不安が、アイリスフィールにはあった。

 

「早くしろ。時間がない。交渉に応じるか、この場で死ぬか。二つに一つだ」

 

全く焦るような素振りも見せず、綺礼は手にした黒鍵に力を入れる。

 

死がより一層近づいても、舞弥は何も言わなかった。本心では応じるなど言いたいが、切嗣の命令を守るのなら、交渉に応じるなと言えず、かといって応じろとも言えない。それ故に、アイリスフィールに任せるという意思表示でもあった。

 

どちらを選んだとしても、決して良くない事が起きる。

 

ならーー。

 

アイリスフィールは胸に手を当てて、綺礼を力強い眼差しで見た。

 

「承りました。言峰綺礼。契約に応じます。一時ですが、貴方の戯言を信じましょう」

 

「……感謝する。女を手にかけるのには抵抗がある」

 

黒鍵の刃を消して、懐にしまいこむ。

 

綺礼はアイリスフィールから切嗣用の『自己強制証明(セルフギアス・スクロール)』を受け取ると、すぐさまアインツベルン城へと駆け出した。最早、二人に興味はないとその背中が語っていた。

 

「……申し訳ありません、マダム。私が不甲斐ないばかりに……」

 

キャレコを向けるが、引き金を引く指がピクリともしないことで、銃口を下ろし、申し訳なさそうに舞弥はアイリスフィールに謝罪の言葉を述べた。

 

「いいえ。舞弥さん。あなたには何の落ち度もないわ。私もごめんなさい。二人で決めたことなのに、約束を破ってしまって」

 

アイリスフィールもまた勝手に姿を現してしまったことへの謝罪をするが、それでも後悔はなかった。結果として誰も死なない。生きることを切嗣から学んだアイリスフィールはこの結果を決して悲観することはなかった。

 

ただ一つ、悔やむとすれば、それはあの代行者を信じて送り出すほかなかったという事実のみだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(……やはりな。私では人間(・・)を殺せないか)

 

未だ震える自分の手を見て、綺礼は冷静にそう思った。

 

可能性は十分にあった。

 

切嗣を殺せなかった時、魔術の干渉でないと知り、真っ先に疑ったのはその線だ。

 

殺せなかったのは他でもない自分自身に人を殺す覚悟が足りないだけなのではないかと。

 

結果から言ってしまえば、それは正しかった。

 

自分には人を殺す覚悟も度胸もない。人の死を、その重さを背負う度胸がないのだ。

 

本能的にそれを止めてしまう。排除しなければならないと頭の中で断じていても、その実、綺礼は最後の一線を越えられないでいた。

 

だからこそ、回りくどくあんな物を用意した。殺せないのなら、自分の手を汚す度胸がないなら、その度胸をつけるよりも、別の手段を講じたほうがいい。つまるところ、人を殺すか殺さないかという選択を強いられた綺礼は、その選択から逃げたのである。

 

自分が殺せないから、切嗣に殺させる。

 

適材適所といえば聞こえはいいが、結局のところ罪を背負うことを綺礼は良しとしなかった。

 

舞弥でそれを改めて確認した綺礼は、切嗣の元へ向かう。既に戦いは起きているのか、外にいても聞こえる爆発音は、ケイネスが切嗣の術中に嵌っていることの証明でもあった。

 

既に破壊された窓から侵入した綺礼は、中の惨状を見て、静かに息を呑んだ。

 

これが本当の言峰綺礼ならば、この程度の惨状では眉一つ動かさないであろうが、こちらは違う。

 

これから赴くのはまさしく死地。間接的に一時同盟を組んだとはいえ、ここは無数に仕掛けられた罠の宝庫だ。ケイネスのために仕掛けられた罠は、あの契約の対象外。それによって死に至ったとしても、切嗣には何の非もないのだ。

 

幸いだとすれば、その惨状を辿っていく事こそが最も安全で、そしてロードと切嗣の居場所を教えてくれる近道という事である。

 

「……?」

 

そこではたと気づく。

 

足元に糸ほどの光る筋が垂れている。

 

微量だが、それが水銀の雫だとわかると即座にその場から飛びのいた。

 

直後、綺礼が先程までいた真上の天井が円形に切り抜かれ、ポカリと空いたその開口部から、コートの裾を翻して階下へと降りてくる影があった。

 

「貴様は……あのネズミではないな?」

 

綺礼の顔を見て、降り立った影の主ーーケイネスは疑問の声を上げた。

 

彼の礼装たる『月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)』は自動索敵を組み込まれているが、それは目があって相手を視認しているわけではなく、空気振動を判別して、気温の変化から熱源を察知しているだけに過ぎない。

 

本来なら切嗣を探すために行っていた自動索敵で、たまたま切嗣よりも綺礼の方が先にかかっただけなのだ。

 

綺礼も綺礼で、ケイネスの全身をくまなく見て、小さく舌打ちをする。

 

ーーまだ無傷か。しくじったな。

 

遅れて侵入したこと、アイリスフィールや舞弥とのやり取りで、綺礼はてっきりケイネスは肩に一撃もらっている頃だろうとタカをくくっていた。

 

しかし、その実ケイネスは未だ無傷。よりにもよって、切嗣が怒らせるよりも早くにケイネスと邂逅を果たしてしまっていた。

 

「まあいい。貴様もあの男の仲間だろう。魔導の面汚し共め。ーーScalp!」

 

「っ!」

 

ケイネスの宣告とともに、それに応じて伸びた銀の鞭が左右からはさみ込むように綺礼を襲う。

 

この狭い通路だ。左右を塞がれてしまっては、綺礼に回避する術はない……常人ならば。

 

けれども、綺礼は知っている。

 

その攻撃が組み込まれたもので、軌道は単調なものであることを。

 

それにあれだけ攻撃の意思を見せれば、避けることは容易い。

 

ケイネスの詠唱とほぼ同時に後ろに飛んでかわした綺礼は、黒鍵を投擲する。

 

人間の投擲速度にして、それはありえない速さであるが、飛来する銃弾やクレイモア地雷にも瞬時に対応できる自動防御はその程度の威力と速さに遅れをとりはしない。

 

すぐさま防御態勢を取り、ケイネスを黒鍵から守る。

 

無論、綺礼とてそれはわかっている。

 

わかっているからこそ、投げた。その隙にケイネスの目の前から逃走するために。

 

外ではなく、中へ。一時同盟の相手である切嗣と合流するために。

 

「これは……成る程。代行者か。揃いも揃って卑賤の輩ばかりとはな」

 

ケイネスの中にあった僅かな怒りの炎が再度燃え上がる。

 

よりにもよって、魔導の名門でありながら、機械仕掛けの小細工に頼るネズミに、更には魔導の尊さを理解しない代行者を使役しているなど、手段を選ばないというにはあまりにも度し難い。一人でさえも許容できないというのに、それがもう一人などと断じて許せるはずがない。

 

「ゴミ共めが。死んで身の程を弁えるがいい」

 

再度、自動索敵の為にその形態を変化させた水銀が、二匹のネズミを探し出す。

 

それは実に数秒にも満たない時間だった。どれだけ逃げようとも、この城内にいる限り、この水銀の索敵からは決して逃れることは出来ない。

 

意気揚々と歩みを進めるケイネス。

 

だが、はたして。

 

逃れられない運命にあるのはどちらか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「探したぞ、衛宮切嗣」

 

死神のごとき代行者が目の前に現れた時、切嗣の心境はとても穏やかではなかった。

 

ロードだけならば、切嗣も遅れはとらない。知らず識らずのうちに狩る者が狩られる者に変わっていることにも気付かせず、素早くその命を絶つ自信さえあった。

 

しかし、その代行者がいるのなら話は別だ。

 

外法の者をさらなる外法を以ってして狩る切嗣の思考を唯一読み取り現れる男。

 

この聖杯戦争において、切嗣の天敵である人物が殆ど日を置かずして、目の前に現れた。

 

当然だ。これは聖杯戦争。日を置かずして邂逅を果たすのは必定であった。

 

かの代行者を、綺礼の姿を捉えた瞬間、すぐさまキャレコの銃口を向け、発砲しようとする……が、それよりも先に何かの文書が投げられる。

 

何だ?

 

それを考える間もなく、目前まで迫っていた綺礼が口を開いた。

 

「そう慌てるな。私は、何もお前を葬るためにここに来たわけではない。同じ標的を持つ者同士、一時休戦と行こうではないか」

 

「……何?」

 

これには流石の切嗣も問い返さずにはいられなかった。

 

綺礼がロードを狙うのは当然だ。相手はマスター。この聖杯戦争において、マスター殺しは常套手段でもあるし、切嗣も元よりそれを狙っている。

 

だが、それを何故切嗣と共に行おうとしたのか。

 

勝機があるなら自分一人で挑めばよし、仮にこちらの手段を知って、ロードを殺せると判断したのなら、それを待って仕留めたところを後ろから狙えばいいだけの話だ。何も同盟を組む道理はない。

 

「ロード・エルメロイにはここで脱落してもらう。確実にだ。衛宮切嗣。確かにお前の戦術は完璧だろう。だがな、お前はセイバーやランサーの掲げる騎士道とやらを甘く見過ぎだ。アレは正当なる果し合いの場を設けるためなら、ランサーをこの場に寄越すだろう。ロード・エルメロイの意識があろうとなかろうとな」

 

つまるところ、綺礼が一時同盟を組むにあたっての言い分は、切嗣の詰めの甘さではなく、サーヴァントとの意識の差にあるという事だった。

 

事実、綺礼の知る原作において、セイバーはランサーがケイネスの元に向かうのを制止するどころか送り出している。無論、それは二人における緒戦の相手であった事も起因しているだろうが、そうでなくとも、セイバーはランサーがマスターを救出する事を是とし、正面から己が武技を以って倒すことをよしとするだろう。

 

どの道放っておけば切嗣が殺すとはいえ、アヴェンジャーがキャスターを屠ることを前提条件とした場合、ランサーは二槍のまま、マスターを妻であるソラウに代えて参加する事になる。

 

それでは駄目なのだ。不確定要素は徹底的に排除する。

 

ここにはキャスターに加え、ランサーも脱落させるつもりで綺礼は臨んだのだから。

 

「同盟を組むにあたって、『自己強制証明(セルフギアス・スクロール)』を用意した。私達はロードが倒れてもすぐには手出しが出来ん。無論、それを信じるお前ではないことは知っている、だが、少なくともロードを排除するまではお前も私も互いに危害を加えることはできん。何の気兼ねもなく、ロードを排除できるというわけだ」

 

もっとも、契約を結べばの話だがと綺礼は締めくくる。

 

足元を見れば、一瞥するだけでそれが『自己強制証明(セルフギアス・スクロール)』である事は理解した。

 

聞きたいことがないわけではない。寧ろ、『自己強制証明(セルフギアス・スクロール)』を使用してまで、切嗣と手を組み、ロードを排したい理由も気になる。

 

だが、それよりも早くに、悠然とした足取りで、ケイネスが曲がり角から現れた。

 

「どうした?もう逃げんのか、ネズミ共」

 

余裕綽々のケイネスが、二人を見据える。

 

ーー二人一緒とはありがたい。一々ネズミを追いかけ回すのは面倒だ。

 

自らの礼装に絶対の自信を持つケイネスは、目の前の二人が逃げるだけしか能のない相手だと完全に見下していた。

 

いくら機械仕掛けに頼ろうとも、自らの礼装を突破できるはずもない。

 

何の警戒も懐かずにケイネスはゆっくりとした足取りで二人の元へと歩いていく。

 

「どうする?この場で三竦みに持ち込むか、それとも一度休戦するか。二つに一つだ」

 

警戒をそのままに切嗣は文書にさらっと目を通す。

 

確かに内容としては問題はない。信用出来なくとも、この呪いは綺礼に解けず、それがあれば後ろから刺される事はない。

 

ならば、どうするか?今はどちらに持ち込めば、最小限のリスクで目的を果たせるか。

 

考えるまでもない。三竦みに持ち込むよりもこの場で敵を一人に絞り込んだ方が安全かつ確実に葬れる。それが魔術師ともなると尚更だ。三竦みに持ち込む理由がなかった。

 

個人の感情を殺し、あくまでも機械的に思考を働かせた結果、切嗣は即座に一時休戦を飲み込んだ。

 

そして距離が十メートルほどになったとき、切嗣が手にしていたキャレコを発砲……しようとしたところで、綺礼が手で制した。

 

「待て。お前が何をしようとしているのかはわかるが、やるのはまだだ。やるなら一撃で殺せ(・・・・・)

 

その制止を無視しようにも、銃口にかぶせられた手が邪魔で引き金が引けないと判断した切嗣は小さく舌打ちする。

 

綺礼は空いている右手で黒鍵を三本投擲し、有無を言わせず、切嗣を担いだ。

 

いくらあの礼装が優れていようとも、単一である限り、同時に防御と攻撃は出来ない。まして、それが組み込まれた術式なのであれば、尚更機転は効くはずもないとにらんでの逃走方法だ。

 

そして綺礼の読み通り、月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)はさきに防御に転じた。

 

その隙に綺礼は駆け出し、その場から離れる。成人男性を一人背負っていようとも、鍛え上げられた肉体にはさしたる問題はなく、枷たりえない。

 

索敵の範囲内にとどまりつつ、決してケイネスが攻撃出来ない位置で足を止める。

 

今の時点においても、ケイネスにとって自らは狩る側。切嗣と綺礼は狩られる側だ。

 

それは実力に裏打ちされた自信であると同時に、大きな間違いであるのだが、それに未だ気づいていない。

 

まだ好機は十分に……否、多分にあった。

 

あれ程狙いやすい敵もないな、とほくそ笑みつつ、綺礼は担いでいた切嗣を下ろした。

 

「数十秒は来まい。今の内に、奴を一撃で殺す算段をつける」

 

切嗣は何も言わない。既に頭の中であの魔術師を殺す算段は付いている。それは、綺礼が言うところの一撃ではないだろうが、それでも確実性はある。

 

「とはいっても、まあ単純だ。衛宮切嗣。お前は奴の頭か心臓を狙え。いかな魔術師といえど、何の対策も無しに急所を破壊されては打つ手はあるまい。隙は私が作る」

 

「どうやってだ?」

 

こればかりは切嗣も聞かねばならなかった。

 

別に目の前の男が囮を買って出るならそれも構わない。そしてそれに失敗して死んだとしても、切嗣にはマイナスどころかプラスにしかならない。

 

だが、それが失敗して、自分もまた窮地に立たされる可能性がないわけでもない。

 

なればこそと問い返した。

 

「貴様の銃……キャレコと言ったか。それを貸せ。お前がやろうとしていた事を、私がしよう」

 

「っ……!」

 

切嗣は息を呑んだ。

 

この男、一体どこまで自分の行動を読んでいたのかと。

 

月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)の弱点を見抜いていた切嗣は、先程ケイネスにキャレコを発砲しようとした折、ある事を狙っていた。

 

それはキャレコの発砲から阻まれ、不可能となったが、綺礼はその一連の戦術を読み、理解していたと言い放ったのだ。

 

これが恐怖と言わずして何だというのか。暗殺者が、その行動全てを読まれるというのは即ち死に直結する。そしてそれを綺礼は平然とやってのけるのだ。現時点においては無害のこの男が、切嗣にとっては今追ってくる魔術師よりも遙かに恐ろしい存在だった。

 

そんな事など露知らず、綺礼は手を出す。

 

もちろん、銃の事などさして詳しくない綺礼であるが、発砲出来る状態にあるのはわかっている。反動を制御するだけの力は持ち合わせている以上、後はケイネスに防御させるだけの命中率があれば良いのだ。元より、それは牽制にしか使わないのだから。

 

切嗣は迷った。

 

この提案を断っても、この男はおそらく牽制を買って出る。成功確率は下がるし、綺礼の死亡率も上がる。願ったり叶ったりだ。

 

だが、それでケイネスを殺す機会を逃してしまっては意味がない。ケイネスが来て、綺礼が来ているということはキャスターはセイバー、ランサー、アヴェンジャーの三人のサーヴァントを相手にしているのだ。自らの工房でない場所でキャスターが三人を相手に大立ち回りが出来るとは思えない。ケイネスが倒れる前に、お互いのサーヴァントが帰還するだろう。その時また上手い具合にマスター同士の戦いになるかは運任せだ。とても効率的とはいえない。

 

ならばーー今は。

 

「……いいだろう。今は、お前を利用してやる(・・・・・・)

 

「ふっ、それでいい。元より、そういう契約だ」

 

信頼も信用もない関係であるが、この局面で道具として使うのなら、十分な駒だ。一人でするよりも十分に効率的だ。

 

キャレコを受け取る綺礼はすぐさまケイネスの歩いてくる方角に向けて、銃口を向けた。姿は見えないが、その気配で、隠そうとしない足音でわかる。

 

「十秒だ。十秒経ったら撃て」

 

「わかった。しくじるなよ」

 

綺礼の挑発じみた言葉に、切嗣は眉一つ動かさない。

 

弱点はわかった。隙を作る人間もいる。狙いの動きは微々たるもの。ここまでの条件があって、衛宮切嗣の手元を狂わせる可能性など微塵もなかった。

 

十数メートル先で、姿を現したケイネスは、銃口を向けられてなお、ほくそ笑んでいる。

 

既にキャレコが効かないのはわかっているし、切嗣の手に握られたコンテンダーも見たところ大した事はなさそうだと、高をくくっていた故の危機感の無さだった。

 

相手は防御膜を突破できない。警戒する価値すらない。

 

一歩、また一歩とネズミを追い詰めたつもりのケイネスは相手に絶望感を与えるつもりで近づいていく。

 

だが、これが切嗣にさらにチャンスを与えることになっているのを、ケイネスは気付かない。既に頭部に定められた狙いは、例え遮蔽物の向こう側に姿が消えようとも、位置関係が変わらないのであれば、あってないようなものだ。それこそ、その遮蔽物が軌道を変えるだけの耐久性を兼ね備えていなければ。

 

衛宮切嗣という男をもっと警戒していれば、聖杯戦争を『聖戦』ではなく『戦争』だと認識していれば。

 

そんな後悔をするのも、死した後だ。そして何より、苦しまずに済むことが、彼にとっての救いなのかもしれない。

 

時は来た。

 

きっちり十秒数えた綺礼は、引き金を引く。

 

反動で跳ね上がりそうになるキャレコを半ば力づくで抑え、ばら撒くように発砲する。

 

「馬鹿め……無駄な足掻きだ」

 

防御膜の向こう側で笑いを零すケイネス。

 

弾幕が尽きるのは数秒後。その瞬間、月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)がケイネスの命令と共に二人を襲う。

 

尤も、その数秒後が訪れる事は無いのだが。

 

ケイネスの頭部に狙いが定められていたコンテンダーの引き金が引かれる。

 

キャレコの弾幕に対応するように展開された防御膜は、その威力と攻撃範囲故に薄く広がっている。そして一旦薄く広がってしまった液体に、瞬間変形を遂げるだけの圧力をかけるのは不可能だ。偏に流体力学の限界だ。

 

よって、新たな大威力の攻撃に対し、水銀は即座により強固な防御形態を取ろうとしたものの、当然間に合うはずもなく。

 

鏡面のような水銀の膜に、ズボリと黒い大穴が空く。そして貫通したスプリングフィールド弾は、その標的の頭蓋を貫き、脳漿を地面にぶちまけさせるに至った。

 

悲鳴も、怒りによる罵声も無い。

 

ただの水銀の溜まりに、崩れ落ちるその体には、既に生命活動を感じさせるものは何一つなかった。




そしてケイネス先生退場。救済があるかと思った?残念!生き残るためには主人公手段を選びません。方向性次第では綺礼よりも外道かも?

やや駆け足気味ですが、聖杯戦争ってサーヴァントが闘い始めてからかなり短期間で終わったイメージがありますし、脱落する時はあっさり脱落します。救済なんてあるわけが無い!ジルさん?知らない人ですねぇ……。

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