外道に憑依した凡人   作:ひーまじん

6 / 12
例え、光でなくとも

人差し指で用心鉄の下のスプールを引き、薬室のロックが解除されると銃身ががくりと前に倒れこむ。

 

開放された薬室に、魔弾の一発を装填。手首のスナップのみで銃身を撥ね上げて薬室を閉鎖する。

 

長年のブランクあってか、劣化していた技術も、今となってはそのブランクが嘘のように以前までのキレを取り戻している。

 

(……勘の方はあまり戻ってないか)

 

装填した弾丸を取り出し、自身の専用礼装とも言えるコンテンダーを机の上に置くと、切嗣は日本に来てすぐ、何の気なしに購入した煙草を一本銜えて、火をつけた。

 

遠い異郷のアインツベルンでこそ、吸い慣れた銘柄が手に入らないことと、それ以上の母子への気遣いがあって吸わなかった煙草も、戦いの本番に入ってから、頻繁に吸うようになった。

 

今までは控えていたにもかかわらず、特にここ数日は、見る見るうちに煙草が消費され、一日に最低でも一箱は空いてしまう。

 

それは、切嗣が元々ヘビースモーカーだった、というわけではなく、先日の倉庫街での出来事が関係している。

 

あの日、切嗣は死んでいてもおかしくなかった。

 

『魔術師殺し』たる切嗣の戦法は、聖杯戦争だろうと変わりはない。魔術師の常識を上回る方法で魔術師を屠る。それが衛宮切嗣の戦術だ。

 

先日も、マスターの一人であるケイネスの籠城するハイアットホテルを爆破した。

 

何故ケイネスを狙ったのかと問われれば、偏に最も狙いやすかったからに他ならない。

 

魔術師は優れたものこそ、足元を見ない。自分の能力を信じて疑わず、相手の魔術レベルを見て、初めて正当な評価を下す。

 

もちろん、それが全ての魔術師に通じる道理でないにしろ、多くの魔術師がこれに該当し、エリート街道真っしぐらかつ挫折を知らないケイネスはその典型と言える。

 

よもや、時計塔きっての一流魔術師はホテルが爆破解体されることを一ミリも考えていなかっただろう。しかし、脱落していないのは既に聖杯の器であるアイリスフィールを通じて知っている。そのあたりで言えば、成る程。確かに並の魔術師でないのは確かだ。いくら負傷もあり、死体の確認まで出来なかったとはいえ。

 

もっとも、いかに優れた魔術師であれど、魔術師である限り、切嗣は勝てる自信がある。魔術師の常識に囚われている限り、切嗣の戦術は予想できず、掌の上で転がされていることにさえも気づかないだろう。

 

だからこそだ。

 

衛宮切嗣にとって、言峰綺礼はこの聖杯戦争における一番の危険人物だった。

 

何の情熱もなく、空虚さを感じさせる男。

 

元が異端狩りを主とする『代行者』である事はそうだが、それ以前に言峰綺礼の在り方が切嗣は悍ましいと感じていた。

 

そしてその男が、あの日自らの前に現れた。

 

結果から言えば完敗だ。故に切嗣は最初の脱落者となってもおかしくなかった。

 

だというのに、今もなお生きているというのは合点がいかない。それは幸運であるが、何故自分が生かされているのか、何故綺礼は自分を見逃したのか。

 

その疑問が、目下、切嗣の頭を悩ませている。

 

怪我の方はアイリスフィールに治療してもらい、ほとんど完治しているが、それを考えるたびに傷が疼く。

 

(やっぱりあの男が一番危険だ。早く居場所を見つけ出して、始末しておかないと)

 

身をもって理解している。この聖杯戦争で切嗣は魔術師全てに対して天敵であるが、その切嗣に対する天敵こそが綺礼であると。だからこそ、早々に見つけ出して、早い段階で脱落してもらわなければならない。

 

でなければーー。

 

湧き上がる恐怖を紛らわせるように切嗣は頭を振る。

 

暗殺者である切嗣は、英雄や武人のように、五分の生死を懸けて競い合う、そんな勇気や誇りとは無縁の臆病者だ。故に慎重に、的確に、最低限のリスクで勝利と生存を勝ち取ることだけを狙う。狩人にとって最大の悪夢は狩られる側に立たされることだ。

 

それでもかつての切嗣なら、己の窮地だろうが、天敵の出現だろうが、眉ひとつ動かさず、最善の打開策を見出すことに専念していた。

 

それもこの数年で愛する者を得てしまったが故に、欠落し、弱点となっていた。

 

もしも、もう一度あの男と出会った時、自分は勝つことができるのだろうか。

 

恐怖に怯え、足をすくませることはないだろう。いくら心が脆弱になってしまったとしても、切り替えられないほどに落ちぶれたわけではない。戦になれば、すぐに『魔術師殺し』の顔に切り替わる。

 

だが、勝算は別だ。

 

少なくとも、初見時には全くと言っていいほどに勝機が見えなかった。今も、正面からの戦闘では、綺礼に対して勝ち目を見出せないでいる。どういう訳か、あの男はこちらの行動はおろか、戦術、使用する魔術まで理解している節がある。

 

由々しき事態だ。暗殺者が手の内を知られているのは。

 

ならば、どうするか。

 

煙を肺に入れることでクリアになっていく脳で、答えを導き出そうと思考を走らせる。

 

答えはすぐに出た。

 

実に簡単なことだった。

 

セイバーに、自分のサーヴァントに任せればいいだけの話なのだ。

 

けれども、自分のサーヴァントはマスター殺しを許容しない。清廉潔白を謳う騎士の王だ。不意を打つことさえも躊躇い、戦うならば堂々と名乗り上げ、相手が臨戦態勢になるのを待って攻撃に向かうことだろう。

 

であれば、綺礼のサーヴァントを、と思っていたが、それでは他のマスターを殺して、サーヴァントを奪い、復帰しかねない。切嗣の不安は綺礼を完全に殺してしまわない限り、拭えないのだ。

 

こうしているうちにも、あちらは自分を虎視眈眈と狙っている。せめて、次に相見えた時も引き分け以上に持っていかなければ……。

 

それが脳裏をよぎった時、切嗣はただ自嘲気味に笑った。

 

未だかつて、そんな可能性を視野にいれたことがあっただろうか。

 

それ程までに切嗣にとって、強大な相手なのだ。他のどの陣営よりも、今まで相対してきた誰よりも。

 

ーーその時、切嗣の私室の扉をノックする音が響き、返事をする間もなく、扉が開かれる。

 

「舞弥か。どうした?」

 

「マダムの結界が侵入者を捉えました。ーーキャスターです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

キャスター討伐命令が出たのは、英霊ならぬ怨霊がアインツベルンの城を訪れる数時間前のことだった。

 

神秘の秘匿もない、それどころか、ただの快楽を追求するだけの行いが冬木のセカンドオーナーである時臣の逆鱗に触れた。

 

そこで聖杯戦争のルールが変更。キャスターの討伐まで一時休戦とし、その報奨として、令呪一画を監督役から進呈されるというもの。

 

無論、それは璃正神父の時臣に対する計らいである。

 

アーチャーを撤退させるために使用した令呪を、最後の最後でアーチャーにキャスターを討伐させることでプラスマイナスゼロにしようという算段だった。

 

その為に、綺礼もまたキャスター討伐に駆り出される事になった。キャスターを追い詰めたところで、時臣にそれを伝えるために。

 

それが、時臣と璃正神父の決めた方針で、綺礼もアヴェンジャーも特に異論はなかった。

 

ーーキャスターが目の前に現れるまでは。

 

「お迎えにあがりました。聖処女よ」

 

恭しく頭を垂れて、畳の上に膝をつき、臣下の礼を取るキャスター。

 

その姿に、綺礼もアヴェンジャーも、互いに別の意味で当惑していた。

 

綺礼は自身の拠点が暴かれている事に対してだった。

 

しかし、相手は魔術師(キャスター)クラスで現界したサーヴァントだ。たかだか一人の、魔術師でもない相手の拠点を見つけ出すのは容易だ。それが、いくら正規の者でなかったとしてもだ。

 

対するアヴェンジャーは、一目でその男に気づいた。眼前に跪く男の風貌に覚えがあった。

 

「ジル……」

 

「おおぉ……!そうでございます。貴女の忠実なる永遠の僕、ジル・ド・レェに御座います。今一度貴女と巡り会う奇跡だけを待ち望み、こうして時の果てにまで馳せ参じてきました」

 

歓喜の念に打ち震えるような声音と表情で、自らの胸中と共に真名を吐露するキャスター。

 

それに対して綺礼は眉根一つ動かさない。そんなものは既に知っている。未だ他の陣営はーー否セイバー陣営も例外的に知っているが、それを除いて未だにキャスターの真名は知られていないにも関わらず、綺礼が知っているのは偏に元の知識のお蔭である。

 

「ああ……我が麗しの聖処女よ。貴女にこうして巡り会えた事を私は聖杯に感謝します。未だ神に囚われたままの貴女がいる事も捨て置けぬ事実ですが、今はただ、この奇跡を噛み締めるだけでございます」

 

キャスターの言葉に、アヴェンジャーは疑問を抱いた。

 

確かに自分は聖処女だ。かつて誰よりも激しく、誰よりも敬虔に神を信じ、フランスの救世主として、そして最後には魔女として処刑された存在。

 

だが、それは本来の彼女の話である。

 

今のアヴェンジャーは、何の加護も救済もなく、処刑された彼女の最後を、後世の人間が恨みつらみを抱かぬはずがないという想いを依代に、全く別の次元から生み出された贋作。

 

ならば、この聖杯戦争に、彼女は二人存在してもおかしくはないのか?

 

答えは否だ。

 

いくら、贋作の彼女でも、英霊として不完全な彼女でも、自分の事は誰よりもわかる。

 

アレが、あの女が、この聖杯戦争に召喚されるはずがない。

 

用意されるクラスそのものが、今回のような正規の聖杯戦争ではあり得ないのだ。

 

裁定者(ルーラー)を必要としない聖杯戦争で、あの女がーー聖処女ジャンヌ・ダルクが呼び出されるはずがないのだ。

 

だからこその疑問だ。

 

本来のジャンヌ・ダルクがいないにもかかわらず、キャスターの発言は、あたかもアヴェンジャーを含めて二人存在するような物言いであった。

 

「ジル。私は今、ここにこうして存在します。神の呪いに囚われてなどいません」

 

「ええ。ですが、貴女の半身は、未だ神に囚われたままでございます。ですから、今夜、私が今度こそ貴女を神の呪いから解放いたしましょう!」

 

「ですからーー」

 

「無駄だ、アヴェンジャー。その男にマトモな話が通じるわけがない。例え、お前であってもな」

 

念願の再会とあって、今まで黙秘を続けていた綺礼も、噛み合っているようで、ズレている会話に口を挟んだ。

 

あわよくば、このキャスターをアーチャーが討つように仕向けようとした綺礼だが、例えジャンヌ・ダルク当人を目にしても、未だセイバーの事もジャンヌ・ダルクだと勘違いしているこのキャスターには、どんな言葉を用意しても意味はないのだと理解したからだ。

 

この男にとっては、一人の人間が複数存在する事さえも瑣末な事なのだ。

 

そもそも、聖杯戦争でクラスの違う同一人物が召喚される可能性はゼロではないが、ことジャンヌ・ダルクにおいてはそれはありえない。彼女のクラスは元々一つしか存在しないためだ。

 

とはいえ、このキャスターがそれを知る由もない。

 

綺礼の疑問はそこにはなく、あったのは『今のアヴェンジャーを見て、正しくジャンヌ・ダルクだと認識したこと』だ。

 

アヴェンジャーとして召喚された彼女は同じジャンヌ・ダルクであっても、その魂の在り方を変えているはずだ。清廉潔白とは程遠い。セイバーとは似ても似つかない。

 

だというのに、何故この怨霊はジャンヌ・ダルクであると気づいたのか。

 

それを問おうとしたが、それよりも先にキャスターが言葉を紡ぐ。

 

「では、これにて私は失敬させていただきます。ジャンヌ、必ずや貴女を、神のしがらみから解放致しましょう」

 

そう言い残して、現れたとき同様にキャスターは姿を消した。

 

それを見届けたアヴェンジャーは複雑な表情だった。

 

彼女は知らなかった。正規の英霊ならば、少しは覚悟もできていたかもしれない。

 

けれども、彼女は知らなかったのだ。正規の英霊ではない故に、聖杯から与えられた知識が不十分であったために、自らが死した後、キャスターが、ジル・ド・レェ伯が何を為していたのかを。

 

だが、現世で何をしているのかは既に知ってしまっているし、それは彼の様子を見ても明らかだった。自分のように『黒く染まった』わけではない。あれは『狂っている』。

 

複雑な表情の彼女を見て、そう思った綺礼は、その空気を打開しようと口を開く。

 

「アヴェンジャー」

 

「……何ですか?」

 

「気になるか? キャスターの事が」

 

ーー否、打開するどころか、全力で渦中に飛び込んだ。

 

元より、こうなる可能性は考えていた。

 

アヴェンジャーがこういうリアクションを取るのは意外ではあったが。

 

ひょっとしたらーー。

 

そう思って、問いかけた綺礼を、アヴェンジャーはいつものような嘲笑を見せる。

 

「はっ。何を言うかと思えば。気になるか、ですって? 私には関係ありません。私は復讐者。ジルがどうなろうと、何を成そうと関係のない話です」

 

「……本当にそう思っているのか?」

 

「くどいですよ。それとも、私が感傷に浸っているとでも?」

 

少なくとも、先程までの綺礼にはそう見えた。

 

けれども、今はそれが芝居だったのでないかと思えるほどに、今まで通りに見える。

 

「……でも、本物(アレ)と同じにされるのは心外ね。例え元は同じでも今は全く別の存在なんだから。それに、そんな奴がいるなら、見過ごすわけにもいかないわ」

 

「やはり……」

 

「何?」

 

それ以上は焼く。

 

暗に目がそう語っていた。因みにネタではない。本気で焼かれる。

 

「……奴の言っていた『半身』とやらはおそらくセイバーだ。キャスターを待ち伏せるなら、セイバーのマスターがいるアインツベルンに向かうのが最適だろう」

 

これ以上追求しても仕方がない。

 

綺礼はキャスターの言動と、記憶を頼りに、キャスターが次に起こす行動を予測する。

 

キャスターがジャンヌ・ダルクと勘違いしているセイバーの元に向かうのなら、あそこで戦が起きる。

 

綺礼とて、わざわざ戦場に身を投げる趣味はないが、あそこには何かと用があるのも事実。アヴェンジャーが結果的にその気になっているのなら、便乗しておいて損はない。その理由がなんであれ、アヴェンジャーを御することは至難の業だ。なんといっても性格が捻くれている。頼んでも承諾しないし、かといって突き放すように言っても反発する。伊達に反抗期の女子高生じみているわけではない。

 

(……いや、まだマシか。なんていうか……この捻くれ具合なら緊張感が寧ろ増すし)

 

それとなく、記憶を遡れば、彼女のキャラ崩壊ぶりを思い出す。可愛いのは許されることだが、いかんせん、これは聖杯戦争。文字通り命のやり取り。そして今の自分はそれを画面の向こう側でポチポチしている第三者ではないのだ。こちらの方が良いに決まっている。

 

「行くわよ。あの女に似ているっていう奴も、狂ってくだらない事を言うジルも、我が憎悪の炎で燃やし尽くしてあげるわ」

 

「(あ、なんか地味に怒ってる)それはいいがな、アヴェンジャー。アインツベルンの拠点がどこか、貴様は知っているのか?」

 

「はぁ? 知っているわけないでしょ。さっさと案内しなさい、ポンコツマスター」

 

何気にどんどん自分に対する評価が下がっているような気がしなくもない。

 

ついでに言うと、主従関係も何もあったものではない。他のマスターなら、ここで額に青筋の一つでも浮かべ、サーヴァント風情が、と口汚く罵るところであるが、どうにも綺礼はそういう気にもなれず、渋々頷いて、アヴェンジャーを引き連れ、家を出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時は戻り、キャスターの侵入をアイリスフィールの結界が探知して数分後。

 

噎せ返る程の臓物臭のする、血の海にセイバーはいた。

 

数分前にこの地に侵入したキャスターは、生贄の子どもを連れ、余興と称して、無辜の子どもをセイバーが到着するまでの数分で虐殺した。

 

キャスターが人質としていた少年も、つい先ほどセイバーの元に来たかと思えば、身体を真っ二つにして現れた青黒くうねくる異形の生物によって原型も留めないほどに寸断された骸と化した。

 

そして騎士としての誇りも今は胸になく、怒りに燃えた騎士はまさしく嵐のような勢いで現れ出る異形をまるで歯牙にもかけず、切り刻まれ、血海の一部へと成り果てている。

 

それはキャスターにとって、大いに誤算であった。

 

武功の程度だけで覆せる数の差にも限度はある。かの怨霊も、狂っているとはいえ、元は武人だ。決して無策に、ただ己が欲望に身を任せているわけではない。

 

けれども、その誤算はやはり彼が狂っているからこその誤算なのだろう。彼が本来の精神性を宿していれば、この白銀の騎士が現れたその時に、勝機はないと悟っていたはずなのだ。

 

徐々に、などという生易しいものではなかった。

 

怒濤の勢いで攻め立てるセイバーに、異形の生物の召喚速度は追いついていない。一匹復活する暇があれば、セイバーは五匹は叩き斬っている。それでもキャスターに届かないのは、彼の宝具に溜め込まれた魔力によるものだ。倒された異形を餌に復活するものとは別に、溜め込んだ魔力を消費して召喚している。それは無尽蔵にも思えるが、例えそれがどれだけあろうと、その前にセイバーの剣がキャスターの体躯を斬り伏せることはそう遠くない未来であった。

 

いかに自信過剰なキャスターといえど、撤退を視野に入れ始めたその時。

 

「ーー随分と魅せる剣だな。流石はセイバークラスといったところか」

 

閃いた赤と黄の稲妻が、怪魔の群れを薙ぎ払った。

 

「ッ……ランサー。どうして……」

 

「主からキャスターを討つよう命じられた。セイバー、これより我が槍はお前と共にある」

 

ランサーの言葉に、セイバーはふっと笑う。

 

どういう理屈かはわからないが、ともあれこの槍兵が来たことで、キャスターはより苦しい状況に立たされている。否、それどころか逃げる事すらままならなくなった。

 

そう、詰んでいた。

 

キャスターには、最早逃げることさえも選択肢には与えられなかった。

 

或いはセイバーが右手だけなら、どうにかなったのかもしれない。

 

セイバーの実力の程を目にしていれば、この程度の策で挑まなかったのかもしれない。

 

だが、万全の三騎士クラスのうち二人を相手にするには、キャスターでは力不足が過ぎた。

 

最早手遅れ。近くも遠くもない距離では、暴発させた魔力による目くらましも意味をなさない。かといって、近づけては、それよりも早くに頭と胴が決別を果たすことになるのは目に見えている。

 

「その気高き闘志、尊き魂の有り様は、紛れもなく貴女がジャンヌ・ダルクであることの証。それなのに、何故だ? 何故目覚めてはくれないのです? 未だ神の加護を信じておいでか? 貴女の魂を、未だ縛りつけている神を、貴女は信じるというのか!」

 

しかし、そのような窮地でも、キャスターにとってはさして重大なことではなかった。

 

彼にとって重要なのは、あくまでも未だ縛られ続けているジャンヌ・ダルクの魂の救済なのだ。

 

故に、戦況など最早視野に入っていない。自らが何を成さなくても、解放されている魂を、自分の命を賭して神の呪いから解放するまで。

 

キャスターは自らの所有する宝具。己をキャスターたらしめるソレを開き、惜しむことなくーー。

 

ヒュッという風切り音と共に飛来した真紅の槍が、キャスターの手にした魔導書の表紙を切り裂き、キャスターの肩を貫いた。

 

それを投擲したのは、無論一人しかいない。

 

「貴様ッ……キサマ貴様キサマ貴様キサマァァァッ!!」

 

「何をするつもりかは知らんが、そのように隙だらけではな」

 

その身を傷つけられてなお、絶望的状況に立たされてなお、白目を剥くほどに表情を歪め、泡を吹いて逆上するキャスターに対して、苦笑交じりに言うランサー。

 

それとは別に静かな怒りを声に滾らせながら、セイバーは不可視の剣を掲げ、その切っ先でキャスターを睨み据えた。

 

「……覚悟はいいな、外道」

 

既にキャスターを守る異形の化け物はいない。

 

魔導書であり、宝具である『螺湮城教本(プレラーティーズ・スペルブック)』は、ランサーの宝具、『破魔の紅薔薇(ゲイ・ジャルグ)』によって、その効果を一時的に失い、異形の化け物を生贄の鮮血に回帰させた。

 

ランサーの宝具自体は【刃に触れた瞬間だけ魔力を遮断する】のみであるため、宝具そのものを破壊する威力はないが、この状況ではどちらも同じことだった。

 

再び召喚の術を唱える暇などない。その前に、セイバーの剣が、キャスターの首を刎ねるだろう。

 

セイバーとキャスターの距離が、あと一歩で剣の間合いに届きそうになったその時、二人の間に漆黒の炎が奔った。

 

「くっ……!」

 

キャスターの術かと後方に下がるセイバーだが、その炎の向こう側。

 

熱量で歪んだ空間の向こう側に立つアヴェンジャーの姿を目にした時、彼女が脳裏にバーサーカーから逃げた時の光景を思い出した。

 

しかし、何故このようなことをするのか。

 

よもや、キャスターに助成するのではあるまいか。

 

状況のわからないセイバーは、致し方なしと判断し、自分の剣を覆い隠す風の一撃で炎ごと彼等を吹き飛ばそうと考え………はたと思い留まった。

 

助成にしては様子がおかしい。

 

アヴェンジャーはセイバー達に見向きもしないし、キャスターもまた臨戦態勢と呼ぶにその姿はあまりにも無防備すぎた。

 

セイバーが構えていた不可視の剣の切っ先を下げたちょうどその時だった。

 

ーーアヴェンジャーがキャスターの首を刎ねたのは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

キャスターにとって、彼女(ジャンヌ)の存在は全てだった。

 

彼女の旗の元に集い、彼女の副官として、一人の騎士として、輝きを追って馳せた。

 

しかし、その結末は、屈辱と憎悪に染められ、貶められた。

 

だからこそ、キャスターは鬼畜に堕ちた。

 

彼女こそが生きる意味だった。腐敗した現実において、彼女こそが神の存在の証明と言えた。命を与えた存在が、異端の烙印を押されて断罪されたその時、神への深い信仰心は、呪いへと変わった。

 

陵辱と残虐の限りを尽くし、それでもなおキャスターを裁いたのが人であり、その理由もまた浅ましいモノであるがゆえに、キャスターは絶望せずにはいられなかった。

 

だがーー。

 

「おぉ……ジャンヌ……」

 

今確かに。彼女(ジャンヌ)はここにいる。

 

過ぎし日とカタチこそ違うが、その在り方はまさしくキャスターが、ジル・ド・レェが望んだ姿だ。復讐と憎悪に染まった、神への信仰心など欠片も感じさせないその立ち姿。神に裏切られた彼女なら、そうであって然るべきだと断じていたキャスターには、今までの行い全てを肯定するものに見えた。

 

「何をしているのです、ジル」

 

「ジャンヌ……! 私は貴女の魂を……」

 

「何を言っているのですか。いつまでも愚かだと殺しますよ。私は、ジャンヌ・ダルクはここにいます。アレは私ではない。あんな最後を迎えたというのに、未だあのように愚かにも清廉さを謳い、神の操り人形に甘んじていると?」

 

侮蔑の込められたその言葉に、キャスターは我に返るかのようだった。

 

そうだ。今こうして、目の前に立つ彼女こそが、神への復讐を誓い、怒りと憎しみを以って立ち上がった彼女こそが、あのような最後を迎えたジャンヌの、正しい姿なのではないかと。

 

「そうか……神に謀られていたのは、ジャンヌではなく……」

 

「ええ。でも、もう良いわよ。あなたは最後に(・・・)ちゃんと気付いたじゃない。アレが偽物で、私こそが本物だという事に。それで十分よ」

 

頬に添えられた手に、懐かしむように、慈しむように自らの手を添えるキャスター。

 

元より、解放する意味などなかったのだ。

 

聖杯が自分を選んだその時から、彼女の魂はとうの昔に解放されていたのだ。

 

はらはらと涙が流れ落ちる。

 

それは感動か、或いは後悔か。

 

理解する事さえも、キャスターにはなかった。

 

「だから、さよなら。ジル」

 

それよりも早くに振り抜かれた一撃が、キャスターの首を刎ねたのだから。

 




そんなわけでジルさんフェードアウト。

割とあっけない終わり方だと思いますが、セイバーが万全の状態だと怪魔は物の数ではないだろうと言われていますので、こんなものかなと思い書きました。終わり方は彼女がいるならこんな感じにと思っていましたので。

次回は安定のマスター戦。様々な思惑入り乱れる激戦に……なるといいな。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。