「アヴェンジャー……余計な事を言うなとあれほど言っておいたのに……!」
アヴェンジャーの挑発に、それによる英雄王の激怒。
綺礼は頭を抱えていた。
ランサーとの戦闘。さらにライダーの乱入と、アヴェンジャーの誘いで引き寄せられてきたセイバー。そしてライダーの呼びかけに結果的に応じた形になったアーチャー。
ここまではほぼ想定内。イレギュラーがなければ、こうなる事は大体予想できた。
特にランサーに関しては、マスターがあのロード・エルメロイ。自信に裏打ちされた実力を持ち、生粋の魔術師だ。どちらかといえば研究者としての側面は強いものの、この聖杯戦争において一、二を争う実力者だ。それ故に人を見下す傾向があり、今回の聖杯戦争も時臣ぐらいしかマトモに相手にしていないだろう。自信は過ぎれば慢心になる。それを含めても、綺礼に正面から勝てる見込みは無いが、やりようはいくらでもある。
だからこそ、誘いに乗るのは必ずロードだとわかっていたし、こうなる事も大方予想はついていた。
予想外だったとすればアヴェンジャーがランサーに技術的な面では押されていたものの、裏をかく形で戦況を有利に運んだことだ。
正直言って、もっと苦戦し、最悪令呪を使っての撤退も視野にいれていた。伝承や逸話を鑑みても、到底アヴェンジャーがランサーと白兵戦において勝利できると考えていなかったからだ。
ライダーの乱入がなければ或いは、勝利を収めていたかもしれない。
もちろん、その保証はないが、それだけの実力をアヴェンジャーは綺礼に見せた。
(いや、勝つことが目的ではない。あくまでも生き残ることが目的だ。アヴェンジャーの実力が高い事は嬉しい誤算だが……出来れば、奴には
右手の聖痕を見て、綺礼は思う。
もし最後まで勝ち残るようなことになれば、アヴェンジャーには令呪で自害を命じなければならない。
それは仕方のないことだ。仮に最後に残ったのが綺礼と時臣の陣営、ギルガメッシュとアヴェンジャーになれば、十中八九負ける。マスターもサーヴァントもだ。
いくら綺礼が肉体を鋼のように鍛え、異端の徒を駆る執行者として優れた代行者だとしても、魔術師として優れているわけではない。魔術戦になれば時臣に綺礼が勝てるわけがない。何せ、彼の師であり、そも敵対すること自体を考えていなかった綺礼は時臣に隠れて別の魔術の鍛錬をしていたわけではない。というか出来ない。
それを分かった上で敵対するほど馬鹿ではない。理想的なのはどこかでアヴェンジャーが敵のサーヴァントと相打ちないし、それに近い形で敗北すること。
(ふっ……外道に堕ちるつもりはない……か。これではそう大差ないな)
自らの手を汚さずに、恨まれずに目的を果たそうなどとしている自分に綺礼は自嘲めいた笑みを浮かべる。
これではアヴェンジャーが言うことを聞かないのも無理はないだろう。自分だけ安全なところから高みの見物を決め込み、サーヴァントに戦わせ、剰え聖杯は与えないなど、普通に考えれば令呪を使わない限り使役することはかなわない。
「……少しは身体を張るか。今のうちに消しておきたい人間もいることだしな」
首から下げたロザリオを握りしめた後、綺礼は懐に入れてあった黒鍵の柄部分を取り出す。
聖堂協会の代行者が使用する特徴的な投擲武器で、その刀身は魔力によって生成される。基本装備ではあるものの、その扱いは非常に難しいとされ、綺礼自身もすでに体に馴染んだそれを寸分違わず再現するのには半年も費やした。
綺礼はそれを右手の指全てに挟み込むと無雑作に投擲する。
だが、それは無雑作にしては綺麗な弧を描き、数メートル先の標的に直撃……する前にかわされる。
「やはりそう簡単には取らせてはもらえんか。流石は魔術師殺し。不意打ちをされた時の対処法も心得ているというわけか」
標的たる人物ーー衛宮切嗣はワルサーWA2000を投げ捨て、懐からトンプソン・コンテンダーを抜き放ち、綺礼に向けて構えていた。
「狙いはランサーのマスターか?確かに、魔術師ならば狙撃に対する警戒はしていないだろうな。特にロードともなれば、科学は忌避して当然だろう」
綺礼の問いに切嗣は何も答えはしない。元よりそんな言葉は持ち合わせていないとばかりにただ視線を綺礼に向けたままだった。
「どうした。何か言ったらどうだ?或いは今生の最後の言葉になるかもしれんぞ」
軽口を叩いてはいるものの、向けられた銃口から視線を外さない。何故ならアレの破壊力を綺礼は知っている。
放たれる弾丸は自動防御とはいえ、あのロードの礼装を突破し、彼の起源である『切断』と『結合』の効果を有した弾丸は、全ての魔術師を人としても、魔術師としても再起不能に追い詰める。衛宮切嗣を「魔術師殺し」たらしめる、まさに必殺の礼装である。
それは鋼の肉体を持つ綺礼も例外ではない。事実、原作において、その弾丸を右手で庇った綺礼はただの一撃で粉砕されている。
だからこそ、黒鍵は使わない。アレの刀身は魔力で出来たものだ。弾こうとすればたちまち魔術回路がズタズタに引き裂かれる。
(流石にご自慢の礼装は持っていたか。暗殺をするなら必要最低限の装備だと思っていたが……甘く見ていたな)
少しばかり早計だったかと内心で後悔しつつも、それでもここで逃すわけにはいかない。
綺礼だけではない、時臣にとっても、この男は厄介極まりない人物だ。魔術師然とした時臣が切嗣に到底勝てるわけがない。魔術師として優れているほど、切嗣との相性は悪くなる。
だからこそ、綺礼が切嗣の相手をするしかない。例えセイバーを屠ろうとも、切嗣は他のマスターを殺して、サーヴァントを奪い取るだろう。そういう男だ。
対する切嗣もまた、自分を嗅ぎつけた相手を睨みつけるように見据えていた。
切嗣がここに来たのはほんの十分ほど前だ。
先にサーヴァントの気配を感じて辿り着いたアイリスフィールの発信機の信号に導かれて、夜の倉庫街に駆けつけた切嗣と、助手であり彼を支えるパーツである久宇舞弥は、距離を隔てた位置から戦況を見極め、隙を見て敵のマスターを狙い撃つのが目的だった。
元より霊的存在であるサーヴァントに傷を負わせることができるのは、神秘を宿したものに限られる。ワルサーWA2000にどれほどの火力があろうとも、サーヴァントには豆鉄砲ほどの効果もない。
監視には絶好の位置であるデリッククレーンも、他の監視者が現れることを予期して、あえてデリッククレーンを見張れる位置に切嗣と舞弥は陣取り、アヴェンジャーとランサーの戦いを見届けていた。
アヴェンジャーのマスターの姿が見えない事に警戒を抱きつつも、ランサーのマスターを狙撃しようとした直後にライダーの乱入。タイミングを完全に逸した事で静観を決め込む羽目になった。
早々に現れたアーチャーとアヴェンジャーが対立したのは僥倖だったが、その強烈な殺気に紛れて、接近していた綺礼の存在に気づくのが遅れてしまった。綺礼がほんの一瞬放った殺気に気付けたのは幸いだった。あと少し気づくのが遅れていれば、串刺しになっていただろう。
気づいたところで分が悪いのは確実に切嗣の方だった。
最大の武器こそ持っているものの、牽制用に使用できるキャリコM950はこの場に持ってきておらず、狙撃用のワルサーはとても実戦向きではない。あんな取り回しの悪いものを対人戦に用いるなど自殺行為だ。
そして何より、切嗣はこうして正面からの戦闘を避けるタイプであり、相手を知り尽くした状態でない限り、敵前に姿を現わすことはなく、先程までのように意識の死角から相手を殺す事に長けた人間だ。
故にタイミングとしても、切嗣にとっては最悪。代行者としての実績を残している綺礼の脅威こそ知れど、その戦術、戦略が全く予測できない上に推し量ることができる装備ではない。
切嗣が仮に魔術師としても優れた人間であるのなら、或いは綺礼を撹乱し、その場から逃げおおせることもできたのかもしれない。
だが、切嗣は決して優秀な魔術師というわけではない。魔術を手段としてしか見ず、それ故に魔術師の心理的盲点を利用した殺害を行っていた人間だ。当然、魔導を極めるつもりなど欠片もないために綺礼を魔術戦で圧倒する事はかなわない。
ならば、切嗣が見極めるのは相手を殺すことではなく、相手の隙をついて逃走するための手段。
切嗣の足が一歩、後ろに下がる。
こちらで不測の事態が起きたことは、既に反対側に移動していた舞弥にも伝わっているだろうが、すぐに駆けつけることは出来ない。時間稼ぎに費やすよりも、逃走する方がよほど建設的だろう。令呪による己がサーヴァントーーセイバーの強制転移による召喚は論外だ。その時はセイバーのすぐ隣にいるアイリスフィールが全くの無防備となる。現時点ではアイリスフィールがセイバーのマスターだと思われている以上、そこにサーヴァントもなく立っている状況を他のマスターが許すはずもない。
もっとも、令呪による召喚自体を綺礼が許すはずもないが。
予備動作を含めコンマ八秒。
恐るべき速さで抜き放たれた黒鍵は、左右から切嗣の退路を断つようにして迫る。
ーー速い!
警戒を怠っていたわけではない。
綺礼の動作にあまりにも無駄がなく、あまりにも早過ぎた。ただ、それだけのことだった。
しかし、驚きに反応を遅らせたのは僅かのことで、すぐさま切嗣は自らの魔術回路を起動させ、詠唱する。
「
瞬間、世界全てが停滞したかのように全ての動きがスローモーションになる。
ーー否、停滞したのではなく、術者である切嗣が加速したのだ。
自らの体内を固有結界とし、術者の時間を文字通り加速ないし停滞させるのが固有時制御。それ自体に殺傷能力はなく、効果が解除されれば世界の修正力によりフィードバックがその身に返る。そのダメージは変化した速度によりけりではあるが、切嗣はそんな事を気にも留めない。退路を断つように正面から無手で迫っていた綺礼に倍速のままに迫る。
切嗣の固有時制御を、知るものは殆どいない。
今まで切嗣が屠ってきた相手は数知れず。けれども、誰一人として標的になったもので生き延びたものはいないのだ。
故に彼がどのような手段、方法を用いたのかは所詮第三者の目からでしか知ることは出来ない。
それを綺礼が知り得るはずもない。図らずも奇襲を仕掛ける形になったことで、切嗣はすぐさま戦略的撤退ではなく、撃退に切り替え、綺礼の眉間にコンテンダーの照準を合わせ、引き金を引く。
その距離にして僅か3メートル。発砲からの回避はまず不可能であり、その魔弾から綺礼は逃れる術を持っていない。
そう、逃れる術は。
綺礼は表情一つ変えず、魔装の凶器と化している肘先で螺旋を描き、竜巻を生まんばかりの勢いでねじ上げられたその腕の動きはまさしく『纏』の化勁だった。
本来ならば敵の拳を巻き取って流すだけの受け技で、初速毎秒二千五百フィートの弾丸を弾く術も、綺礼を守る術も持ち合わせてはいない。
だが、綺礼はそれを何も弾くつもりも守るつもりもなかった。
ただその弾丸が眉間から、己が命を刈り取る軌道から、逸れればいいだけのことだ。
魔術も、令呪も使用していない。あるのはこの時のためにつけておいた神秘も何もない硬さに特化しただけの手甲と、純粋な膂力だけでのそれは、とても軌道を完全に変えるだけの力はなく、寧ろ拮抗するでもなく眉間ごと頭部を吹き飛ばしかねないものだった。
しかし、そんなことはわかっている。令呪二画を使用してようやく軌道を完全に逸らせる代物だ。いくらその一撃を防ぐために作らせた手甲をつけているとはいえ、それが気休めであることも十分わかっている。
「う、ぐぉぉぉおおおおお!」
結果、その手甲を凹ませ、軌道をずらした弾丸は肉を裂き、骨を砕いた。ついに綺礼の頭部を吹き飛ばす事はなかった。
その代わりに左手から肩口にかけて直進する弾丸は、彼方へと飛んでいく。
左腕はもうこの場では使えない。だが、それに見合う結果を得た綺礼の直進は止まらない。
眼前にまで迫った綺礼は、全力の拳打を放つ。狙うは心臓。治癒の術を持たない切嗣には必殺の一撃たり得る。
奇しくも二倍速の解除に合わせて放たれた一撃は、切嗣に詠唱の暇を与えない。
咄嗟にコンテンダーを持たない左手で庇うように防御するが、拳が触れた瞬間、まるで飴細工のように腕があらぬ方向を向いた。
それだけではない。防御したはいいが、威力自体はほぼ死んでおらず、致命傷は避けたものの、そのまま数メートル先まで吹っ飛び、コンテナの上を転がる。下に落ちなかったのは幸いだが、それもこの全身凶器の神父が近くにいるのなら何の意味もないことだ。寧ろ、落ちていた方がいくらか望みはあったかもしれない。
対して、綺礼は残心の後、ふと左腕に視線を飛ばす。
(手甲が無ければ手首ごと頭蓋を撃ち抜かれていたな……我ながらとんでもない賭けに出たものだ)
変形した手甲と、軌道を変えた弾丸によりズタズタにされた左腕を見て、綺礼は表情を歪める事なく、そう思った。
綺礼は生憎と痛みには慣れている。問題は治るか治らないかのみに絞られるが、治癒魔術においては時臣すらも上回っている。元より肉体を酷使する事前提の戦術を組む事になると考えていた綺礼は、その治癒魔術にだけは鍛錬を怠らなかった。
一瞬の攻防を制した綺礼は、息を吐いたあと、黒鍵を抜き、静かに切嗣に歩み寄る。
片腕がひしゃげ、次弾の装填すらままならない切嗣に残された手段は令呪のみ。だが、それを使用すればアイリスフィールが無防備になる。そうでなくとも、令呪を発動する素振りを見せた瞬間に黒鍵が切嗣を貫くが、それすらも切嗣には思考できる状態ではなく、吹き飛ばされ、頭を打ったせいで意識が混濁していた。
どちらにせよ、切嗣に生存の道は残されてはいなかった。
綺礼も悠長に構えるつもりはない。先の銃声でこちらに他の者達がいる事をサーヴァントも、マスターも知った。特にロードに関しては綺礼も勝ち目はない。ここで素早く切嗣の命を刈り取り、危険分子には退場願おう。
「悪く思うな。私の生存に、お前という存在は最も危険なのだ」
右腕を振り上げ、そのまま首を刎ねるように横に振るう。
それだけで切嗣は絶命し、この場における最大の目的は達成される……はずだった。
黒鍵の切っ先が首の手前で止まる。
何者かの介入も干渉も受けてはいない。
ここにいるのは未だ切嗣と綺礼だけだ。故に綺礼が切嗣を殺せるという状況だけは覆ることはないのだ。
しかし……綺礼は何者にも介入されていないにも関わらず、そのトドメの一撃を放てないでいた。
何故だ、何故動かん。
必死に力を込めているはずの右腕は微動だにせず、まるで金縛りにでもあっているかのように動きを停止させていた。
ならばと、綺礼は心臓めがけて突き刺そうとする……が、こちらも寸前で切っ先が止まる。
(何かの魔術的防御か?……いや、そんな痕跡はない。だというのに、何故。私の手は動きを止める?)
わからない。
あと少し。数センチ押し込めば、危険分子は排除され、自分の生存率は飛躍的に上がる。
自らを阻むものは何一つないというのに動かない手に、ついに綺礼は焦れるのと、轟音が響いたのは同時だった。
視線をサーヴァント達のいる方へ向ければ、どういった経緯があったのかは想像に難くない。いつの間にか現れたバーサーカーとアーチャーがぶつかっていた。
黒い靄がかかり、二重三重に見える狂戦士の姿ははっきりと見えなくとも、こちらも自分の知るものと同じだと理解する。となると、おそらくはここで師は令呪を使用するのだろう。
(……いかんな。師に令呪を使用させるわけにはいかない)
失念していた。
切嗣の事ばかり気にしていたが、同じように事を進めるというのなら、バーサーカーとアーチャーは激突し、時臣はアーチャーを撤退させるために令呪を使うという事も当然ある。そちらの方を全く考えていなかった。
(アヴェンジャーに邪魔をさせるか?……いや、アレの邪魔をさせるのは正気の沙汰ではないな。まして私に何の得もない以上、同盟の可能性を示唆させかねない)
少し前のアヴェンジャーとアーチャーのやり取りで、図らずも時臣と綺礼の同盟関係を感じさせるものが無くなったというのに、ここで下手に邪魔をすれば、アーチャーの怒りを買い、バーサーカーの標的にされ、同盟関係を疑われるという何の得もないどころか、己が首を絞めかねない事態に発展する。
思考した結果………最早令呪の使用を止められはしないと断じた綺礼は、切嗣の服に手を伸ばす。
どういうわけか殺せない。殺せないなら仕方がない。雀の涙だろうが、武装を剥いでおこう。
それが綺礼の魂胆だ。ついでにコンテンダーも破壊すれば、時臣を脅かすものはなくなるし、運が良ければロードが切嗣を殺してくれるかもしれない。
自分にできない以上、適材適所というわけだ。
切嗣の懐から弾丸を数発。手榴弾二個とサバイバルナイフ一本を取ると、綺礼は無雑作にナイフをへし折り、他をポケットの中に入れ……るその前に額を弾丸が掠めた。
それが切嗣の協力者である久字舞弥のものだと瞬時に悟った綺礼は使える右手だけで頭部を守りつつ、その場から離脱していく。
片腕が使えない状態では、攻撃と防御を同時に行うことができない。いくら僧衣に防護符を貼っていたとしても、頭部となると話が別だ。先の一撃で額から血が出て右方向に死角もできた。相手が切嗣でないにしろ、深追いをして危ないのは綺礼の方だ。
切嗣から離れた際に追撃が無くなったことを確認すると、綺礼はすぐさま倉庫街を後にした。
アヴェンジャーとアーチャーの一触即発の空気を破ったのは、六体目のサーヴァントの出現だった。
すぐ近くで銃声が聞こえ、サーヴァントの意識がそちらに向く中で、唯一その黒い靄に包まれたサーヴァントーーーバーサーカーは、アーチャーに視線を向け、アーチャーもまた許しもなく自分を見上げるサーヴァントに嫌悪感を露わに宝具を展開、石礫のように無雑作に投げつけられた宝具を、バーサーカーは難なく掴み取り打ち払うというおよそ理性を失ったとは思えない芸当を持って、危機を脱した。
しかし、それはさらなるアーチャーの怒りを買うもの。
汚らわしい手で、己が宝物に触れられたことでその怒りは計り知れぬもので、最早己以外に王を名乗る輩も、己を侮辱したサーヴァントの存在も、彼方に吹き飛んで行った。
無尽蔵の備えがあるかのごとくーー否、事実無尽蔵に宝具を持つアーチャーは、ただの一つとして同じ宝具を出さず、バーサーカーめがけて宝具を放つ。
その規格外さに、誰もが度肝を抜かれ、目を剥いていた。轟音は夜気を揺るがし、炸裂する閃光は夜空すら払わんばかりで、不可解な銃声もまた、一瞬で思考の隅に追いやられるほどの攻防が目の前では行われていた。
バーサーカーが打ち払うたびに倍々計算で増えていく宝具だが、それでもバーサーカーには一つとして到達することはない。ライダーも融通の利かないアーチャーに呆れたような態度をとる。アヴェンジャーもまた、同盟相手である以上、他のサーヴァントに比べ、驚愕の度合いが少ないものの、あれで本当に他のサーヴァントを倒せるのか。正直煽り耐性の低さに足すくわれ放題じゃないのか、と。
そしてバーサーカーの投げた宝剣がアーチャーの立つ街灯のポールを寸断し、それよりも先に身を翻していたアーチャーは地表に着地を決めながらも、憤怒がついに臨界点を突破。さらに宝具を展開したところで……時臣からの令呪による撤退を命じられ、憤懣やるかたない面相のまま、アーチャーは『雑種ども。次までに有象無象を間引いておけ。我と見えるのは真の英雄のみで良い』とだけ言い残し、その場から姿を消した。
一波乱あったものの、殺意と殺意のぶつかり合いにようやく落ち着きが見え始めたところで……はたとセイバーが気づく。
黒い狂戦士が、その茫洋と光る双眸が、新たなる獲物を見定めて、爛々と燃え盛っている事に。
怨念の色だけに染まった視線に見据えられ、セイバーの背筋を悪寒が奔り抜ける。
「……ur……」
地の底から湧いたような声。祟るような、呪うような、人語としての意味すらなさない怨念の呻き。
誰もが初めて耳にした、バーサーカーの声音だった。
「……ar……ur……ッ!」
まるで人型の呪いであるかの如く総身に殺意を漲らせたまま、黒い騎士はセイバーめがけて突進する。
野獣の如き勢いで迫るバーサーカーに、セイバーは即座に白銀の甲冑をまとい、不可視の剣を出現させ、防御に入る。
低く地を這うような不気味な気迫とともに、バーサーカーは手にした得物をセイバーの脳天に振り下ろす。
それを難なく受け止めたセイバーであったが、受け止めたその武器の正体を見極めたところで、彼女は愕然とする。
鉄柱ーーさっきまでアーチャーが足場にし、バーサーカーに切り倒されて地に転がっていた街灯のポールの、残骸である。セイバーへと突進しながら、バーサーカーは足許にあったそれを拾い上げていたのだ。
長さ二メートルあまりに寸断されていたその鉄屑、さながら槍に見立てたかのように両手で構えて、バーサーカーは凄まじい圧力でセイバーの剣を圧迫してくる。だが、驚くべきはその膂力より、得物がただの鉄屑でしかないということ。
不可視の剣。『
「なん……だと?」
歯を食いしばって耐えながら、セイバーは目を疑った。
バーサーカーの手にした鉄柱が、黒く染まっている。
葉脈のような黒い筋が、幾重にも鉄柱に絡みつき、今もじわじわと広がりながら侵蝕していく。
起点はバーサーカーの両手だった。黒い籠手に掴まれたその場所から、黒い筋は蜘蛛の巣状に鉄柱全体に広がっている。
それこそがバーサーカーの宝具であり、時にサーヴァント自身に備わる特殊能力として発揮されるタイプのものであった。
それをセイバーが、ランサーが、ライダーが、アヴェンジャーが理解した。バーサーカーの宝具の正体を。
アーチャーの投げ放った無数の宝具を強奪して自在に駆使したバーサーカーの絶技の正体に。
セイバーとバーサーカーが交戦する最中、ふと何の音沙汰もなかったアヴェンジャーの通信機に声が届く。
『アヴェンジャー。撤退だ』
「はぁ?」
突然の宣言に、アヴェンジャーは眉を顰める。
この戦を始めたのは元は綺礼自身の策であり、撤退のタイミングを見極めるのも綺礼自身である。それをアヴェンジャーは理解していたし、多少の無理は強いられると踏んでいたのだが、どういうわけか、この不可解なタイミングでの撤退を要求してきた。
此度はランサーの真名を明かし、ライダーが自ら暴露したことで戦果は上々。セイバーやバーサーカーの戦い方を少なからず知れたこともプラスではあるし、まだ退くにしては他のサーヴァントが追撃してくる可能性もある。
綺礼ほど、アヴェンジャーは他のサーヴァントの性格を知らないが故の警戒だった。
しかし、アヴェンジャーの疑念とは裏腹に綺礼が続ける。
『即時撤退しろ。
やや焦った声で二の句を告げた綺礼と、攻めあぐねていたバーサーカーの視線が不意にアヴェンジャーを捉えたのははたして偶然であったのか。
アヴェンジャーの疑念を振り払ったのは、バーサーカーの殺意と憎悪が自らに向けられたことによる背筋の悪寒だった。
瞬時に思考を切り替えたアヴェンジャーは剣を構え直し、バーサーカーへと切っ先を向ける。
セイバーから一度離れたバーサーカーは二人を交互に見て、より強い怨嗟の声を放つ。
かの英霊の名はわからない。けれども、その英霊の放つ殺意と憎悪は、計り知れるものではなかった。
それは自らがアヴェンジャーであるからこそ、理解できた事でもあった。
「ar…urrrrr!!」
バーサーカーの咆哮が響く。
迷いを打ち払うように吼えたバーサーカーは、ついにアヴェンジャーにも殺意に漲る鉄柱を振るった。
「何よコイツ……見境いなしってわけ……!」
アヴェンジャーは両手で剣を持ち、バーサーカーの一撃を受け止める。
強烈な一撃に屈しなかったのは、単純にサーヴァントとしての筋力値がバーサーカーに拮抗しており、突進力の含まれたその一撃も、僅かに膝を折るだけだった。
しかし、技だけは別だ。
バーサーカーの絶技を目の当たりにしているアヴェンジャーは、正面から戦って勝てる見込みは少ないとわかっている。
(目くらましに使うのなんて、本当は嫌なんだけど!)
アヴェンジャーは内心でそう毒づくと、剣に黒い魔力を迸らせる。
それはランサーと戦ったときと同様に見えるが……違った。
迸る魔力はアヴェンジャーの剣だけにとどまらず、バーサーカーの持つ鉄柱を奔る。
そして次の瞬間、バーサーカーを炎が襲った。
跳ねるように鉄柱を離し後方へと下がるバーサーカーに合わせて、アヴェンジャーも後ろに下がり、それと同時に霊体化する。
バーサーカーに攻撃されたときこそ、厄介なものに目をつけられたと苛立ったものの、結果として逃げるタイミングを生み出すことができた点に関しては僥倖だった。
霊体化した自分を追ってくる気配がないことを確認したアヴェンジャーは、予め、決められていたポイントに一直線に向かった。
その戦場を見る者がいたことになどまるで気づかずに。