外道に憑依した凡人   作:ひーまじん

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始まりの歪み

「頼り甲斐のあるご子息ですな。言峰さん」

 

「『代行者』としての力量は折り紙付きです。同僚たちの中でも、アレほど苛烈な姿勢で修業に臨む者はおりますまい。見ているこちらが空恐ろしくなる程です」

 

「ほう……信仰の護り手として、模範的な態度ではありませんか」

 

「いやはや、お恥ずかしながら、この老いぼれにはあの綺礼だけが自慢でしてな」

 

峻厳さで知られる老神父ーー言峰璃正は、衒いもなく相好を崩した。

 

それは話し相手である魔術師。遠坂時臣に余程気を許しているものと見え、眼差しからは一人息子に向けられる信頼と情愛がありありと伺えた。

 

「五十を過ぎても子を授からず、後継は諦めておったのですが……今となっては、あんなにも良くできた息子を授かったことが恐れ多いぐらいです」

 

「しかし、流石に教会の意向とはいえ、難色を示していましたな(・・・・・・・・・・・)。彼は」

 

「アレの信仰に懸ける意気込みは激しすぎるほどですからな。本来、異端の徒を葬る者の一人として、疑問を抱いたのでしょう」

 

「正直なところ、彼がマスターの権利を放棄せず、承諾してくれた事に関しては安堵したものです。彼からしてみれば、何の関係も無い闘争に巻き込まれたも同然のことだったでしょうに」

 

「いや……寧ろアレにとっては、それが救いだったのかもしれません」

 

僅かに言葉を濁してから、璃正神父は沈鬱に呟いた。

 

「内々の話ですが、つい先日、アレは妻を亡くしましてな。まだ二年しか連れ添っていなかった新妻です」

 

「それは、またーー」

 

意外な事情に、時臣は言葉を失う。

 

「態度にこそ出しませんが、令呪が現れる数日前までは酷い有り様(・・・・・)でしてな。二年とはいえ、アレが初めて愛した女。余程応えたようです。……イタリアには思い出が多過ぎる。久しい祖国の地で、目先を変えて新たな任務に取り組むことが、今の綺礼にとっては傷を癒す近道なのかもしれません」

 

璃正神父は溜め息混じりにそう語る。

 

忘れもしない。

 

綺礼の生を見続けてきた璃正神父は、今の今まで信仰以外に何の情熱も示さなかった息子がーー否、その信仰さえも情熱を示していなかった息子が妻を失った直後、人が変わったように(・・・・・・・・・)取り乱した。

 

二年。感傷に浸るにはその年月はあまりにも短い。

 

けれども、綺礼にとってはかけがえの無いものだったのだろう、璃正神父は令呪の宿る昨日に至るまで、綺礼に暇を与えた。

 

本来なら長期の休暇を寄越すはずだったが、それも綺礼に令呪が宿ったことでキャンセルとなってしまったわけだが。

 

「時臣くん、どうか息子を役立ててください。アレには今、己が信心を確かめる事しかできない。苦難の度に、アレは真価を発揮することでしょう」

 

「痛み入ります。聖堂教会と二代の言峰への恩義は、我が遠坂の家訓に刻まれることでしょう」

 

老神父の言葉に、深々と時臣は頭を下げた。

 

「今度こそ、聖杯は成るでしょう。どうか見届けていただきたい」

 

時臣の堂々たる態度に、璃正神父は胸中で、今は亡き朋友の面影を祝福するばかりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

地中海からの爽風に髪を吹き煽られながら、言峰綺礼は、丘の頂のヴィラから続く九十九折の細道を、一人、黙然と引き返していた。

 

否、黙然としていたのは表面ばかり。その鉄面皮のような無表情の下には様々な感情(・・)が渦巻いていた。

 

(やっべ……全然話聞いてなかった……)

 

つい先程まで語り合っていた……と思われていたが、その実、綺礼は何も聞いていなかった。

 

というよりも、何かを聞く余裕がなかった。

 

右手に宿った聖痕。令呪と呼ばれるその代物を眺め、思う。

 

日本の冬木という場所に六十年に一度現れる万能の願望機。『聖杯』を奪い合う魔術師の闘争。

 

七人の聖杯に選ばれしマスターがサーヴァントと呼ばれる歴史や伝承に名を残す超人或いは偉人を使い魔として使役し、殺しあう。

 

その七人の一人として選ばれた綺礼だが、その時心中穏やかではなかった。

 

混乱に次ぐ混乱。聖杯に選ばれるはずが無い、と確信を持っていた綺礼にとっては寝耳に水だった。

 

俗世に染まった願望程度しか持ち合わせず、この世に生を受けたその時から精神を苛んでいた苦悩さえも消え失せた。今の言峰綺礼には、聖杯に選ばれるだけの理由が無いはずだった。

 

彼の魂は、既に言峰綺礼ではない(・・・・)のだから。

 

絶賛、鉄面皮の下でパニクっている彼は正しく言峰綺礼だ。

 

しかし、その中身は違った。

 

何の間違いか、はたまた運命の悪戯か、言峰綺礼の中には全く無関係の人間の魂が宿ってしまっていた。

 

キッカケはわからない。

 

言峰綺礼の中にいる男にも、そして今は欠片として残っていない本体にも、思い当たる節など微塵も無いだろう。

 

ただ一つ。キッカケのようなものがあるとすれば、それは妻の死であったのだろう。

 

愛せなかったと、そう自ら断じたはずの彼女の死がともすれば、言峰綺礼には何よりの衝撃だったのかもしれない。何も感じていない、と思っていたのは本人だけだったのかもしれない。

 

そう、本来ならあり得ない現象(魂の憑依)を引き起こしてしまうほどに。

 

結果として、今現在の言峰綺礼は見た目こそそのままであるものの、全くの別人となってしまった。

 

そして言峰綺礼を任された男は、当然の如く、いきなり放り込まれた環境に精神病棟への隔離が勧められかねない程に酷いことになっていた。その時の璃正神父が冷静に綺礼を慰めようとしていなければ、或いはこの場にいなかったのかもしれない。

 

もっとも、精神病院に送り込まれるのと、現状のどちらが良かったのかなど、今更是非を問うまでも無いが。

 

数日経ってようやく整理がつき始めた頃に令呪の顕現。時臣を交えた話し合いの最中も、綺礼はひたすらパニクっていた。既に別の中身になってしまったはずの綺礼に与えられた令呪。聖杯にかける大望なぞ、一欠片も持ち合わせていない今の綺礼にとっては、傍迷惑以外の何物でも無い。

 

早々に放棄したい……のが山々であったのだが、それをどう切り出すか、考えながら適当に返事を返していたら、うっかり時臣の話を承諾、結果として聖杯戦争への参加を余儀なくされるのであった。

 

全くもって冗談では無い。

 

聖杯戦争は元よりこの世界には所謂『死亡フラグ』と呼ばれるものが氾濫する世界だ。

 

表はともかく、裏には魔術師と呼ばれる存在が当たり前のように存在し、魑魅魍魎は疎か真祖と呼ばれるものまで存在する始末。例え一般人でもたまたま優れていれば、何かの餌になるという具合に何の安心もできないのがこの世界だった。

 

つまり、この言峰綺礼の『代行者』と呼ばれるものを放棄したところで、運が悪ければ何時でも死ねるということである。死の大安売り。何もかも一般人には優しく無い世界だった。

 

そう考えた時、綺礼の脳内から一般人へと戻るという選択肢は放棄されている。何かの間違いで研究材料や餌になるのなら、それに対抗できる今の力を維持しよう。

 

何は無くとも、この肉体は既に凶器であるのだから。何も与えられていないよりは遥かにマシだ。

 

そうやって落ち着けたのが令呪の顕現する一日前の話である。目標を立てた途端の最悪の事態に綺礼は神を呪った。一応、この身は信徒であるにも関わらず、神殺しを真面目に考えたほどに。

 

様々な事に思考を働かせている間に、既に麓まで来ていた。

 

「聖杯戦争まで三年もの猶予があると考えるべきか……それとも三年しか無いと考えるべきか……」

 

遥か遠ざかった頂上のヴィラを顧み、綺礼は思う。

 

やはり聖杯戦争への参加を辞退させてもらえないかな、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

言峰綺礼の身体に移った魂は、推して量る事もなく、凡庸な男だった。

 

凡俗。そう言えば耳障りは悪いが、こと世の中においてはその凡俗というものは存外に悪い話では無い。劣っていれば当然人並など不可能であるし、優秀であるが故に選べないものもある。

 

無論、凡人であれば選り取り見取りなどということは断じてないが、人は劣っていれば知性を損ない、優れていれば人間性を損なうという未熟な生き物である。

 

その点については、凡人というものは並の知性、並の人間性を有する。特筆するべきものはなくとも、欠点も無いと呼べる。

 

流石にそんな都合のいい話では無いが、それでも綺礼の身に宿ったものは優れてはいないが故に聡明で、劣っていないだけに愚かだった。

 

この世界、この物語を知っている。

 

だからこそ、男は言峰綺礼として生きたくはなかった。

 

この身はまさしく物語における主要人物であり、主人公に立ちふさがる害悪。いずれは悲惨な末路を迎える身であり、天寿を全う出来るような存在ではない。悪逆ではなく悪人。非道ではなく外道。そう言わせしめた人間に憑いてしまった。

 

既に世界から決められた、どうしようも無い悪ではあるが、それは言峰綺礼の本質があればこそのもの。

 

中身がごくごく普通の感性を持った人間であれば、そもそもそのような役どころには抜擢されるはずも無い。

 

それをすぐに気づいた男であったが、しかしそうならないという確証は無い。

 

『IF』ばかりを考えるこの男はどうしようもなく、凡人だった。

 

結果、聖杯戦争参加を断るタイミングを失い、仕方なく原作通りに遠坂時臣を師事し、その元に降った。

 

綺礼自身にも、憑いた男にも才能なんてものは無い。

 

魔術師には悲しい事であるが、才が無ければ行き着けない極地があり、見えない世界がある。

 

武道武術とはわけが違うのだ。努力だけでは超えられない壁がある。どこぞの一族は『武で根源に至る』という目標を一時期掲げていたらしいが、男には関係のない話である。

 

それを綺礼は他人の十倍、二十倍にも及ぶ鍛錬によって身につけた。無論、その壁までの話だが。

 

それは言峰綺礼が答えを得たい一心で歩んできた遍歴であり、男に同じことができるわけでは無い。

 

同じ理由なら。

 

男には別の理由がある。

 

ごく普通の、人間なら殆どのものが同じ状況下で至る思考だ。

 

『死にたくない。殺されたくない』。

 

ただ生きたいという一心で、身を削る思いで、男は励んだ。

 

それは原初にして、理性を持たない獣にさえも持ち得る本能として、男を突き動かした。

 

結果ーー。

 

男は物語通りの言峰綺礼と遜色ないほどに多芸に秀で、格別際立ったもののない異様な魔術師としての来歴を身につけた。

 

ーーその、精神性を除いては。

 

「うえええええええん!」

 

「あー、またやっちまったな、ちくしょう」

 

頭をガシガシとかき、言峰綺礼となった男は面倒臭そうに呟いた。

 

泣き喚く少年の額は赤く腫れており、余程のことがあったのだろうと思われる。

 

だが、実はそうではない。

 

単に別事を考えていた綺礼と少年がぶつかっただけである。

 

おまけに腫れた額も、歩行の際に自然と振られる軽く握られただけの拳が当たっただけ。

 

泣くほどのことでもない……綺礼が普通の人間なら。

 

全身凶器と言っても過言ではない綺礼とぶつかったら、だいたいこんな感じになってしまう。拳打で壁は砕くし、震脚で地面を凹ませる。

 

マジカル☆八極拳の担い手ともなれば、常に細心の注意を払って出歩かなければならない、ということを綺礼は心がけているつもりなのだが、一度思考の海に落ちると、周りが全く見えなくなる。これで危ないのが本人だけなら何の問題もないのだが、危ないのが周りの人間というのがまたタチが悪い。

 

聖杯戦争が近づくにつれ、おざなりになっていく表の世界への気遣いに綺礼は溜息を吐く。

 

「泣くな、少年。傷というものは痛いと思うから痛いのだ」

 

少年の額をさすりながらそう告げる綺礼。

 

それでも鼻水を垂らして泣く少年は………ふと痛みがしないことに気がついた。

 

「よし、いい子だ。これをあげよう」

 

泣くのが止まった少年に綺礼はポケットから飴玉を取り出す。もちろん、綺礼が後で食べようと思っていたものであるが、この際仕方ない。丸く収めるには飴玉の力を借りるしかなかった。

 

少年はそれを受け取ると、そのまま走り去っていく。

 

礼の一つもないのか、とは言わない。そも、ぶつかったのは綺礼が原因の一端を担っているし、大の男に迫られては子どもからしてみれば恐怖の対象でしかない。

 

寧ろ、泣き叫ばれて大事にならないだけマシだ。

 

「いかん。思わぬところで足止めを食った」

 

腕時計を見て、約束の刻限が迫っていることを確認した綺礼は周囲に気を配りながら、それなりの速さで師の遠坂時臣が待つ遠坂邸に向かう。

 

因みにそれなりとは綺礼の主観でしかないので、とてつもなく速い。一般人の全力疾走ぐらい。

 

それを綺礼は駆け足をするような軽さで行っていた。化け物である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

程なくして着いたのは冬木市にある深山町の高台に聳える遠坂邸。

 

その地下の工房に綺礼は訪れていた。

 

聖杯戦争開催が間近となった現時点において、綺礼と遠坂時臣は既に袂を分かっているという事になっている。

 

なっている、というのはそれが時臣の筋書き通りに事実を歪曲して公表しているという事であり、既に三年前に手に入れていた令呪も、今月になってから『偶然』令呪を宿したという事にして、聖杯を相争うものとして、決裂した事になった。

 

「遅くなりました。我が師よ」

 

工房に入った綺礼は思考のスイッチを切り替え、時臣に語りかける。

 

この三年間、男は言峰綺礼として振る舞うように努めてきた。

 

結果的に、素の状態も、とまではいかなかったものの、父にさえも『少し変わった』と感じられる程度。たったの三年でその程度は上々であると思っていた。

 

「ああ、綺礼。君にしては珍しい。何かあったのかね?」

 

「いえ。くだらない些事ですので」

 

本当にくだらない。それこそ、この場には似つかわしくない理由だろう。

 

綺礼の答えに時臣はそれ以上の追求をせず、手にしていたまだインクの生乾きの用紙に目を戻した。

 

「師よ。それは?」

 

「『時計塔』からの最新の報告だ。神童ことロード・エルメロイが新たな聖遺物を手に入れたらしい。これで彼の参加も確定のようだな。ふむ、これは歯応えのある敵になりそうだ。これで既に判明しているマスターは、我々も含めて五人か……」

 

「此の期に及んでまだ二人も空席があるというのは、不気味ですね」

 

間桐雁夜、ケイネス・エルメロイ・アーチボルト、遠坂時臣、衛宮切嗣、そして自分。

 

残る二名も、綺礼自身は誰になるのか、既に見当が付いている。

 

というよりも、あえて行動を起こさなかった。残る二名を他の魔術師にしてはイレギュラーになりえる。

 

片方は正直言ってサーヴァントが非常に厄介であるし、もう片方に関しては魔術師ですらないただの殺人鬼。諸々の事情を考えると始末しておいたほうが良い、とも言えるが、今の綺礼に他人の命を尊ぶ余裕などない。非情であるが、この地で失われる命に感心など向けられるはずもなかったし、この聖杯戦争を勝ち抜くことが目的でない以上、どんなサーヴァントを引き当てられたところで、綺礼には関係のないことである。

 

故に口先だけでは不審がっているものの、心にもない言葉だった。

 

「なに。相応しい令呪の担い手がいない、というだけのことだろう。時が来れば聖杯は質を問わず七人を用意する。そういう人数合わせについては、まぁ概ね小物だ。警戒には及ぶまい」

 

実に時臣らしい。というよりも遠坂らしい楽観である。

 

三年の期間の中で、改めて確認させられた遠坂という家系の『うっかり』。準備においては用意周到でありながら、いざ実行に移す段に入ると足元を見なくなり、結果予想だにしないことに頭を悩ませる。

 

これ程敵として裏をかきやすい人物はそういないが、彼に死なれては困るのが現状であり、何かの間違いで自分が残らないように脱落ルートを突っ走りたい綺礼は、そちらについては自分が何とかしようと思っていた。

 

「まぁ用心について言うのならーー綺礼、この屋敷に入るところは誰にも見られていないだろうね?表向きには、我々は既に敵対関係なのだから」

 

「ご心配なく。可視不可視を問わず、この屋敷を監視している使い魔や魔導器の存在はありません。機械仕掛けのものに関しても同様です。保証はしかねますが……」

 

本来なら、ここで絶対に問題ないと言っておきたいのが綺礼の本音であるが、つい先日召喚したサーヴァントの関係上、そうもいかなくなってしまった。

 

間諜の英霊たるハサン・サッバーハ。

 

このサーヴァントさえ引き当てれば、暗殺の危険性はなく、そして自身はアサシンに物語通りの仕事をさせてもよし、マスター暗殺に奔走させるもよしと多種多様な選択肢が用意されているはずだった。

 

戦略もまた、綺礼のアサシンが奔走し、他のマスター全員の作戦や行動方針、サーヴァントの弱点などについて徹底的に調査。そして各々の敵に対する必勝法を検証した後で、時臣のサーヴァントが各個撃破で潰していく算段だった。

 

そのために時臣は、徹底して攻撃力に特化したサーヴァントを召喚する方針であったし、その触媒も選んであった。綺礼は聞かされてこそいないものの、どの英霊であるか、既に知っていた。

 

「私の手配していた聖遺物が、今朝ようやく到着した。希望通りの品が見つかったよ。盤石の準備をしている、とは言えない状況になってしまったが、私が招くサーヴァントは全ての敵に対して優位に立つ。およそ英霊である限り、アレを相手にして勝ち目はない。ちょっとしたイレギュラーもさしたる問題ではないよ」

 

ほくそ笑む時臣は、持ち前の不敵な自信に満ち溢れていたが、正直な話、この男の自信はあてにならない。遠坂であるがゆえに。後、そういう発言をしたものが、思惑通りの結果を叩き出した試しがない。

 

「早速、今夜にも召喚の儀を行う。ーー他のマスターの監視がないというのなら、綺礼、君も同席するといい。それにお父上も」

 

「父も、ですか?」

 

「そうだ。首尾よくアレを呼び出したなら、その時点で我々の勝利は確定する。喜びは皆で分かち合いたい」

 

こういう傲岸なまでの自信を、何の衒いもなく誇示できるのは、遠坂時臣の持ち味でもあるのだろう。ある意味尊敬にも値する。真似をしようなどとは露ほどにも思えないが。

 

「わかりました。父には私から伝えておきましょう。師は英霊召喚のための準備を」

 

「ああ。とは言っても、後は触媒を置いて、刻限を待つだけだがね」

 

ふと綺礼は、振り子の宝石に目をやった。

 

FAXと同じような性能を示すその魔導器は、時臣のものだ。ロール紙に(したた)められる宝石の揺れは、まだ止むことなく続いている。

 

「新しいマスターの情報ですか?」

 

「いや、それは別件の調査でね。最新のニュースじゃない。ーーおそらくアインツベルンのマスターになるであろう男について、調査を依頼しておいたんだ」

 

外界との接触を断絶しているアインツベルンの情報は、ロンドンの時計塔においても極めて手に入りにくいのだが、時臣はそのマスターについて兼ねてから心当たりがあると語っていた。手元の紙を巻いて書見台に置くと、彼は新たな印字紙を手元に取り寄せる。

 

「我が師。申し訳ありませんが、その書類を拝借してもよろしいですか?」

 

「……………………ああ、構わんよ。なんなら、こちらの方も、私に代わって吟味してもらえれば助かる。時に君の忠告は大いに助けとなるのでね」

 

ざっと流し読みをした後、時臣は印字紙を綺礼に手渡した。

 

普通なら、自らも参加する聖杯戦争の参加者になるかもしれない男の情報だ。自らが吟味すべきであるのだが、それほどまでに時臣は綺礼を信頼しているし、裏切る気など毛頭無い綺礼はその信頼を損なうこともない。それらは綺礼の聖職者という魔術を忌避して然るべき身分でありながら、あらゆるジャンルの魔術に対して貪欲な吸収力でそれらの秘儀を学んでいった姿勢にあり、それが時臣を大いに喜ばせたからに他ならない。

 

一礼した後、綺礼は地下の工房を辞し、一階に戻る。

 

その頃には既に母子の姿はなく、居間には誰もいなくなっていた。

 

遠坂葵に遠坂凛。

 

時臣の妻とその娘であるが、その二名との関係は比較的良好と言える、

 

元より、無碍にする理由もなければ、体裁上師と仰ぐ人物の家族である。それなりに親しくはなったし、性格がまるで違う綺礼は、凛と予想以上に打ち解けていた。完全に近所の面倒見がいい年上のお兄さんとそれに懐いた小学生状態で、猜疑の色などまるで感じえない。

 

おそらく、ここを出る前にあっていたのなら、本当に激励の一つでも貰えたのかもしれない。

 

幼いとは言え、誰かから激励の一つでももらえれば、多少なりモチベーションは違うのだろう、と考えつつも、我が物顔で居間を独占しつつ、手元の書類に目を落とした。

 

正直に言って、その経歴などどちらでも良いのだが、何かイレギュラーな要素を持ち得ていられては大いに困る。

 

そもそも自分が既にイレギュラーと化している以上、全てを再現することは不可能であるにしろ、自分に死を与えてきそうな要素を持ち得ているものには最大限の警戒をせねばならない。時臣のサーヴァントや今手にしている書類の人物たる衛宮切嗣がそうだ。この二名に関しては始めからイレギュラー抜きで自分に死を運んでくるものだ。特に時臣のサーヴァントが物語通りであれば、自分に興味を抱くことはないだろう。機嫌を損なえば首が飛びかねない。

 

本音を言えば、時臣のサーヴァントもイレギュラー覚悟で別のものにして欲しかったところであるが、召喚されてもいないサーヴァントを伝承上の経歴を理由に変更させるなど、なかなか出来る事ではない。元より、それを吟味した上での時臣の選択だ。到底意思変更が出来るはずもなかった。

 

「ーー随分と難しい顔をしていますね。今更怖気ついたんですか?」

 

窓一つ開いていない部屋にふわりと一陣の風が吹く。

 

「……用もなく実体化するなとは言わんが、嫌味を言うために出てきたのなら霊体に戻れ」

 

「お断りします。例えマスターといえど、命令を聞いてあげる義理はないもの」

 

「ほとほと理解に苦しむな。どこの世界にマスターの命令を聞かないサーヴァントがいる?」

 

「ここにいるでしょう」

 

綺礼は深く溜息を吐いた。

 

何故このサーヴァントが呼び出されたのか、アサシンを、ハサンを呼び出そうとしていた綺礼の元に呼び出されたのか。未だに理解できない。

 

数日前のことだ。

 

時臣立会いのもと、綺礼の英霊召喚の儀が行われた。

 

触媒は無い。アサシンの枠こそがハサンを呼び出す触媒ゆえに聖遺物は必要なかったのだ。

 

だからこそ、ハサン以外のサーヴァントが出てくるなど想像もしていなかったし、何よりアサシンですら無いことも欠片も考えていなかった。

 

魔法陣の中に現れたサーヴァントの姿を見たとき、我が目を疑った。

 

端々が赤く染まり、ボロボロになっている黒マント。

 

薄明かりの中でも照らされて煌めく長髪と金色に染まった瞳。

 

全体的に黒を基調とした軽鎧と服を纏ったその女性(・・)にはハサンのような髑髏の仮面をつけず、素顔をさらしていた。

 

この時点で時臣はアサシンで無いと察したが、綺礼はそれ以上にそのサーヴァントの事を知っていた。

 

『サーヴァント、アヴェンジャー。召喚に応じ参上しました。……どうしました。その顔は。さ、契約書です』

 

そう言って現れたのが、今の言峰綺礼の魔力を餌に現界しているサーヴァント。

 

本来なら存在そのものがないはずの、暗黒面に堕ちた聖処女。

 

とある時空において『彼女ほど悲惨な目に遭ったのならば復讐を考えていない筈が無い』という民衆の想いに寄生する形で存在の根拠とし、贋作の英霊を生み出し続けることで真作を上回り、乗っ取ろうと画策した竜の魔女。

 

決してこの世界には現界できる可能性が一パーセントも存在しない彼女が、綺礼のサーヴァントとして今確かに存在していた。

 

英霊は一人のマスターにつき一人しか召喚できない。

 

他のマスターのサーヴァントを奪うならその限りではないものの、綺礼に彼女と契約を結ぶ以外の選択肢はなかった。

 

「何ですか、その不満そうな顔は?縊り殺されたいのですか?」

 

「そんな事をすれば聖杯戦争が始まるでもなく、君は聖杯に焚べられるがね」

 

「……脅してるつもり?私は別に聖杯なんて興味ないんだけど」

 

「地が出ているぞ、聖処女。主に仕えるために出てくるような殊勝な奴(お花畑)や戦を望む戦士(脳筋)でない君が、聖杯に望みをかけずして出てくるなどあり得ん話だ。だから、早まっても私を殺そうとは思わないことだ。いや、本当やめてください」

 

余裕そうに強がっていたものの、隣にいるサーヴァントの高まる負のオーラを感じ取ったのか、勢いで殺されないように釘を刺した。というか、懇願した。

 

「フン。敬虔な信徒なら神に祈れば良いじゃない。アンタが神に仕えるものなら、助けてくれるわよ」

 

「神は信用していない。寧ろいるなら聖杯にでも神殺しを望みたいぐらいだ」

 

「………アンタ、本当に信徒なの?」

 

「無論、教会に属する者だ。しかし、神への祈り方はそれぞれだろう?呪詛ぐらい乗せてもいいとは思わないか?」

 

「………アンタ、絶対碌な死に方しないわよ」

 

「ならば、天寿を全うできるように頑張るさ。少なくとも、この聖杯戦争で死ぬつもりは毛頭ない」

 

粗方書類に書いてあったことを記憶した綺礼は、何のイレギュラーらしきものも感じなかったことに、内心安堵の息を吐く。

 

これで参加者の中に自分以外の同じ境遇の者がいれば、間違いなく一番初めに狙われる。これはZeroだが、その次の十年後の話は自分が元凶となる部分がいくつもある。なら、その前に排除しておこうと考える者がいてもおかしくないはずだ。自分なら間違いなくそうする、と綺礼は言い切れる。

 

「?何処に行くのですか?」

 

「お前も聞いていただろう。父のところだ。今宵、我が師が英雄王を弓兵(アーチャー)のクラスで召喚する。後の事を考えれば、当分胃が痛い話だが、見届けなければな」

 

綺礼の言葉にアヴェンジャーは眉根を顰めた。

 

さして興味がなかったために話半分で聞いていた綺礼と時臣の会話だが、そこでは英霊の名もそのクラスも一言も口にしていなかった。

 

一つのクラスにしか該当しないサーヴァントならまだしも、英雄王はそういうわけではないだろう。かといって空き枠がアーチャーしか存在していなわけでもない。

 

綺礼もまたアヴェンジャーが自分のことを訝しんでいるのを察したようで、不敵に笑う。

 

「勘だ。特に自分の不幸に関しては聡いつもりだ」

 

「……何ですか、それは」

 

「何、ただの経験談だよ。では行くぞ。流石に人目につくわけにはいかんからな。外出時くらいは霊体化してくれ。後でアイス買ってあげるから」

 

「……やはり焼き殺そうかしら、この男」

 

子どもを釣るような言い方をする綺礼に、アヴェンジャーは割と本気でそう思った。

 

 

 

 




またも気まぐれで始めてしまいました。Fateでした。

なんといいますか……衝動で書いてしまうことが多々ある愚かな作者です。申し訳ありません。

サーヴァントに関しては召喚された理由は当然あります。皆さんが予想していると思われますので、今は伏せておきますが。

続くかどうかはわかりません。出来れば完結させたいたいと思いますが。バトルかつシリアスなのは初めてですので。

設定が違うところもありますが、御都合主義というか……仕様です。どうかご勘弁を。

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