第八十二夜
―本日も昨日深夜の辰巳記念病院への爆弾テロの話題から―
テレビから流れるニュースキャスターの言葉を聞きながら奏夜は昨日の一件に想いを馳せる。
―死傷者などは無かったものの入院患者が一名行方不明になっていることが……―
「彼女が順平に上げた命……か」
彼女から命を託されたあの日から、丸一日順平は部屋に閉じこもっている。
自分が止めたトリスメギストスの炎が、順平の持つ意思の最後の輝きだったとは思えない。……だが、それでも……今の順平には、間違いなく時間が必要だろう。
11/24(火)
カレンダーに書かれた日付を眺め、奏夜は別の事へと意識を向ける。
(……時間は必要なんだろうけど、残念ながら時間は無い……)
既に先方に連絡は入れている。既に桐条グループの協力の多くが得られない以上は、武器は手持ちの物を使用するか……自力で確保するしかない。
幸いにも召喚器はまだ返していないし、今まで使っていた武器も有る。唯一手元に無いものと言えば、桐条製のイクサシステムだけだ。流石に影時間がなくなったと誤認されている以上、イクサシステムを再び借りる事は難しいだろう。ならば、
「真田先輩は兎も角、後は順平次第か」
次の『仮面ライダーイクサ』。その名を受け継ぐべき資格が得られるかどうかは、二人次第だ。
戦える力を持っているのは桐条だけではない。もう一つだけ確かに『影時間対応型のイクサシステム』は存在していた。念の為にと接触した相手の元に確かに存在していたのだ。『仮面ライダーイクサ』、その名を持つべきものの元に。
放課後
「生物は何であれ事故の生命維持を優先する“本能”を持っています」
駅の構内でアイギスがそう言葉を切り出す。
その場に居るのは、アイギスのほかに奏夜と風花の二人だけ。体験学習の帰り道にそのメンバーとなった三人である。
なお、アイギスの事は美鶴が手を廻してくれていたらしく、何か有った時にフォローし易いようにS.E.E.Sのメンバーが最低限二人は一緒になれるようにしていてくれたらしい。他所のクラスの風花が此処に居るのも、その結果だ。
「よって、自分の生命を全て譲渡しようとしても、この“本能”がリミッターになると思われます」
そう、他者から生命力を吸い上げるのと他者に譲渡するのでは『限界』も違う。全てを奪うのと、全てを与えるのでは……生存本能の四文字がリミッターとなって普通ならば行なえるわけが無い。
「にも関わらず、チドリさんは順平さんに生命を譲渡する事ができました」
己の命に執着していないのがストレガとは言え……そんなに簡単に己の生命を他者に与えられるわけが無い。だが、現にチドリは順平へと己の生命を譲渡する事かできた。ならば、その理由は一つ……。
「本能をも上回る何らかの“意思”が、お二人の間にもあったものと思われます」
アイギスの言葉通り、チドリの意思が彼女の本能さえも凌駕し、己の命を全て順平へと与える事ができた。
「……想いが本能を凌駕した……物語としては感動的だろうけど……」
本の、テレビの……物語の先に見るのならば二人の絆を語る上で感動的な物語だろう。だが、現実として直面したのならば、感動など出来るわけが無い。
「はい、順平君とチドリさんがとても素敵な仲だったのは分かっています。そりゃあ、今だってある意味“一緒に居る”のかもだけれども……」
「やっぱり、二人には……一緒に生きていて欲しかった」
風花の言葉にそう続ける。父の体験した悲恋と、順平とチドリの二人を重ねて見てしまっているのは否定できない。
同時に考えてしまうのは、銃弾程度ならば自分には防ぐ手段はあったはずだと言う事。……それなのに、自分は……一番近くに居たはずなのに、何も出来なかった。
(大切な人と別れる悲恋のジンクスなんて……家の家系だけで十分だ)
祖父や父の体験した悲恋の事を思い出しそう思いたくなる。悲恋など……どれだけ美しかろうが、それは所詮話の上、文章の上だけの事。当事者となってしまっては、悲しさしか浮かんでこない。
その日の夜、
「美鶴先輩」
女子の部屋がある散会へと続く階段の途中で、思いつめた表情のゆかりが美鶴を呼び止める。
「すみませんでした……勝手な事をして」
思い浮かべるのはやはり、先日のストレガの一件の際のことだ。
「その……ストレガを倒すチャンスだったのに……」
そう、ストレガの一人であるタカヤは順平のペルソナの力……暴走していた事による爆発的な力の発現により、あのまま放っておけば助からずに死んでいただろう。
ジンの言葉から考えてストレガのリーダー格……中心人物はタカヤの方だ。あのままあそこでタカヤが命を落としていればストレガは消滅していたはず……。
ゆかりはそれでも、タカヤを助けた……。彼女の言葉通り、最大の好機だった筈だ。
「気にすることは無い」
そんなゆかりの言葉を美鶴はやんわりと否定する。
「命を尊ぶ君を友に持った事を、私は誇りに思うよ」
「でも……順平は」
そう、あの時ゆかりの取った行動は……順平にとっては“余計な事”だったのかもと思ってしまう。
その手で大切な人を殺した相手への復讐を遂げる寸前で、その邪魔をしてしまったのでは、と。
「……“時が解決する”なんて言葉が有るが……伊織はどうなんだろうな」
大切な人を失った心の傷を癒すのには時間をかける以外には手段は存在して居ない。立ち上がって前に進めるか、それともそのまま二度と歩けなくなるか……。それは順平次第だ。
同じ頃、別の場所……一階には乾と明彦の二人の姿があった。
「まあ滅多な事は無いだろう。あいつだって分かっているはずだ。これから先、どう生きるべきかを、な……」
明彦が向けているのは仲間への信頼。先輩と言っても、奏夜以上に明彦にとって順平の方が戦友と呼ぶべき相手だろう。だからこそ、立ち上がる事を、順平の強さを信じている。
「ストレガってなんなんでしょうね」
ふと、乾がそんな疑問を零す。今までは考えている余裕が無かったが、
「別に湧いて出た話じゃないんだから、作りあげた張本人が居るはずですよね」
ペルソナ使いの集団が勝手に湧き出るはずも無い……。それが誕生するには、何らかの要因が存在するはずだ。
「その人、名に考えていたんでしょう? こういう悲しみが起こることくらい想像できなかったんでしょうか?」
憤りを向けるのはストレガを生み出した存在へと……。
電車の中……
「ストレガって言うのも考えてみれば謎が多いヤツラなんだよね……」
「謎、ですか?」
「ちょっとぼくの知り合いに調べて貰ったんだけど、情報が殆ど出てこないんだ」
風花へとそう言葉を告げながら、父方の叔父を初めとする知り合いを中心に調べて貰ったが、ストレガの構成員の三人の事は殆ど分からない事だらけだ。タカヤ、ジン、チドリと言う名も、偽名か本名かも分からない。顔写真に至っては影時間の中だけに、用意さえ出来ず絵に描いて調べて貰うしかないが……。
「……あんまり絵心無いんだよな……」
物凄くどうでもいいことだが、音楽のセンスに比べて絵心はあまり無い奏夜だった。一応、似てはいたが……。幸いにもチドリの写真だけは手に入ったので、彼女の写真が一番有力な手掛かりらしい。
「それでも、何か分かる事が有るはずですよね」
「そうなんだけど……」
最初の結果から考えてたいした事は分からないと思っている。恐らくだが、彼らストレガは孤児……ペルソナ使いの資質を持っていたか、それを得る為のモルモットとして用意された……。
そう考えるのが自然だろう、そう考えると其処には一人の人物の貌が思い浮かぶ。
(考えられるのは……桐条の罪……か)
幾つも有る状況証拠からの推理程度だが、影時間とペルソナが関わってくる以上、そこに行き着いてしまうのだった。
学生寮、ゆかりと美鶴
「彼女も“例の薬物”を使っていたからな。今、死ななくとも近く死ぬ運命だった。あるいは今回の結末は、そんな運命の中で選びうる、最も美しい結末だったのかもな……」
ペルソナが制御できないが故に服用していた薬物。それを使えなくともペルソナの暴走によって死に至らしめ、薬物を使い続けても命を削る……。
其処に有るのは死に方が違う程度の差しかない、最悪と最悪の選択肢……そんな中でチドリと言う少女が掴み取った結末は、確かに美鶴の言う通り……最も幸せな死に方だったのかもしれない。
「なんか、美鶴先輩らしいですね」
「冷たいヤツだと思うか?」
「いえ……。でも、私は……」
そんな美鶴の言葉をゆかりはそう評する。彼女からの評価に何処か自嘲気味な微笑を浮べて答える美鶴。
美しい結末だというのならば、美鶴の父も、ゆかりの父も、無念は数多く残っていたが、まだ救いのある死に方だったのかもしれない。それに比べればチドリは幸福の中で逝けたのかもしれないだろう。だが、ゆかりは……
「私は……何でそんな事選べるのか、わかんないです……。選んで欲しく……ないです……」
「……ゆかり……」
二階、順平の部屋……
「何時までこんなことしてんだ……オレはよ……」
暗い部屋の中、ベッドの上に居た順平がそう呟いて起き上がるが、シーツが滑りバランスを崩した順平は、
「って……おわっ!!!」
―ガッ!!!―
「……………~~~~~~~~~~~~!!!」
その勢いのまま、テーブルの上に置いてあった空き缶に頭をぶつけた順平が蹲りながら声にならない悲鳴を上げる。
「……どうしてこう……オレは……」
頭を抑えて痛みに悶絶していた順平だったが、己の身に起こった不思議な出来事に困惑する。
「…………」
頭の痛みが引いて行く感覚……一瞬で痛みが全て消えていくその感覚に困惑する中、
『順平、ちょっといいか?』
部屋の外から明彦の呼ぶ声が聞こえる。その声に従って他のメンバーが集まっている一介のロビーへと向かうと、
「少しは元気を出せ、順平」
「分かってますよ……。で、なんスか……用って?」
「病院からだ」
「それ……」
明彦が指差す先に有るテーブルの上に置かれているのは、チドリが入院していた病院から届いた一冊のスケッチブック。
「彼女の病室にあった物を整理していて、それが見つかった」
そのスケッチブックは彼女と順平が始めて出会った日、彼女の持っていたスケッチブック……そんな確信が順平の中にあった。だが、順平はそれを手に取る事はできなかった。
「ねえ順平……見ても良い?」
「……どうせ理解できないぜ、チドリの絵はさ」
ゆかりの言葉に否定でも肯定でもなくそう答えて視線をそらす。ゆかりがそんな順平に代わってスケッチブックを開く中、理解できない絵と言う言葉に興味を引かれたのか奏夜と風花も覗き込む。
「これって……!」
「すごい!」
ゆかりと奏夜の言葉にやはりと言う考えを浮べる順平だが、そんな彼の考えを続けて聞えてきた風花の言葉が否定する。
「すごい上手……」
「っ!?」
思わずその言葉に驚いて彼らへと顔を向ける。
「ホント、すごいじゃん!」
「これは“理解できない絵”なんかじゃないよ……」
ゆかりと奏夜の言葉が彼女の言葉が聞き間違いでは無いと告げる。そんな言葉に慌ててスケッチブックを覗き込む順平。
そこに描かれているのはチドリの描いた順平の絵。初めて会った時の絵では無く、綺麗に描かれた一枚の絵。
「順平さんの顔を克明に描写してるでありますね」
感心したように呟かれるアイギスの言葉……。そんな言葉も順平には届いていない……。
「チドリ……。チドリ……うぅ……。ううぅ……」
スケッチブックを抱きしめながら順平は泣き崩れる。今まで抑えていたものが崩れるように。
「……クゥーン」
「コロマル……」
そんな順平を心配するように見上げながら鳴くコロマル。
「……はは。フサいでんなよって言われてるみてぇだな」
「ワンっ!」
撫でながら呟く順平の言葉に、『その通りだ』と言う様にコロマルは吼える。
「チドリさんにとって、順平さんは、本当のヒーローだったと言ってるで有ります!」
空かさずコロマルの言葉をアイギスが翻訳する。
「……ったく、何やってんだ、オレはよ……」
此処には居ない大切な人が残してくれた励ましの絵……。
「ごめんな、チドリ……こんな情けない奴で……」
直ぐ近くに本当のヒーローが居る。
自分が一番よく分かっている。奏夜みたいにはなれない、奏夜みたいになりたかったと。
「ホント、ごめんな……こんなにカッコワリい奴でさ……」
だけど、チドリにとってのヒーローにはなれた……。奏夜の様に強い仮面もない、素顔の順平は、たった一人のヒーローにはなれた。
だから、チドリのヒーローが、カッコワルイままでいいはずがないのだと、
立ち上がれる。立ち上がらないわけには行かないのだと。
だって、自分は