白い靄に包まれた空間の中、奏夜はそこに眠りながら佇んでいた。…夢では無いかと言う疑問が浮かんでくるが、それは間違いでは無いだろう。
「やあ、また会いに来たよ」
―君は―
謎の少年ファルロスとの会合…眠っているからなのか、奏夜から声は出せない。
―なんでだろう…何だか、雰囲気が何時もと違うように…―
ふと、奏夜はファルロスと言う少年に対してそんな違和感を覚える。
「ん? 何時もと違うって? 変わらないよ」
そんな奏夜の心の中を読んだかの様にファルロスは言葉を紡ぐ。
「君と出会ってから、もう三つ目の季節だ。時間の流れるのは早いね。でも…世界には決して変えられない“決まり”みたいなものも有るんだろうね」
―“決まり”、ね。…そんな物叩き潰したいくらいだよね、出来る事なら、ね―
「ふふ…君らしい答だね。でも、ちょっと何時もより過激になってる気がするね」
―…あー…。色々とストレスが溜まってるんだと思う―
思わず奏夜はファルロスの指摘にそう思ってしまう。もしくは、そうじゃなかったら、映画の撮影の悪役モード(黒奏夜)の影響が残っているのだろう。
「それは大変だね。ふふ。なんか色々な物が見えてきた気がするんだ」
―タルタロス?―
周囲を包む白い靄の中に巨大な黒い塔が浮かび上がる。それを見間違えるわけが無い、あんな異形の塔がこの世に二つも存在しているわけは無い。………間違いなく、それはタルタロスだ。
「あの“塔”の事とか、最近はその事ばっかり考えてる…」
ファルロスの見上げる先に有るのは異形の塔、タルタロス。
「もちろん、君の事もね」
そう言ってファルロスは奏夜に微笑みかけると、
「ぼく等の関係は変わってしまうものかな? 変わらないものかな?」
―人間は変わるものだけど、不変のものもあるって事だね―
「そう言う事さ。でも、これから先に何が待っていようと君とぼくは友達だよ。……絶対にね」
―そうだね、ぼく達は友達だよ―
「ん…?」
奏夜の意識が覚醒すると窓から強い雨音が響き、未だに台風の真っ只中と言うのは理解できる。
(…丸一日くらい寝てたのかな…?)
そう思いながら体を起こすと…………何故か自室の中に見慣れているが見慣れないモノが存在していた。
「………アイ……ギス………?」
ぶっちゃけ、思いっきり瞬き一つせず奏夜を見ているアイギスさんでした。
「…何してるの…?」
カバッと奏夜の目の前まで近づくとアイギスは彼の額に手を当てる。
「おはようございます。健康チェックをさせていただくであります。体表温度36.2度…平熱。体温脈拍呼吸数、何れも異常なし」
健康診断も出来るのか、と妙に高性能な彼女のスペックに感心してしまう。
「風邪の治癒を確認しました。お天気の方はまだ回復せずですが、生還おめでとうございます!」
「…生還って…」
戦場にでも行って来たのだろうか、と頭の片隅で考えながら敬礼と共にそう宣言してくるアイギスに対して思わず唖然とする奏夜だった。
「え゛?」
そんな事を考えながら携帯電話を取り出して時間を確認すると…思わずそんな声を上げてしまう。それもそのはず…
「…9月21日…? 二日も寝てたの、ぼく?」
…思わず『一度医者に行った方が良いのではないのか』、と言いたくなるほど寝込んでいた自分の健康に対して不安に思う奏夜だった。
そんな事を考えていると喉の渇きと空腹を覚えると服を着替えて、何か食べる物は無いかとロビーまで降りていくと、丁度一階のロビーには乾一人だけが居た。乾も奏夜が降りてきた事に気が付いて其方へと視線を向ける。
「体調良くなったんですね。二日も部屋から出てこないんで、みんな心配してましたよ」
「あはは…心配かけちゃったみたいだね、思いっきり」
「はい。それに様子を見に行った山岸さん以外の人達が、部屋の中に…メイド服の緑の髪の女の人とか、ワイルドなスーツ姿の男の人とか、燕尾服の屈強な大男とか居るとか言ってましたけど」
「っ!?」
思わず台所で飲んでいた水を噴出してしまう。
「………どうしたんですか?」
流石にそんな奏夜の態度は乾の目には不信にしか映っていない。
「い、いやいやいやいや、何でもないから」
間違いなく様子を見に来た仲間達(風花を除く)が会ったのは、シルフィー、次狼、力の三人の事だろう。多分、風花は残ったラモンと会っていたと推測するが、何気に当たってたりする。
「…あの、それで先輩が何か言ってなかった」
「えっと、なんか、『寮のセキュリティを一から見直す』って言ってましたよ」
「そ、そうなんだ」
何を仕出かすのか分からない美鶴に対して、思わず不安を覚える奏夜だった。しかも、どうやって部屋に入ったかは知らないが原因は自分の身内だし。…全員が全員気付かれる事なく部屋の中に入れそうな面子だし。…少なくとも、風花には見付かっても問題は無いだろうし。
想像していて妙に顔色が悪くなる。なるべく考えない様にしながら、何か食べるモノが無いかと探していると、
「……あの」
乾から声をかけてくる。
「自分にはやるべき事があって。けど……今まで色んな“もやもや”が頭の中にあって、中々実行できなかったんですね」
響いてくるのは暗い声音…心の音楽を聴くまでも無い。
「でも、その“もやもや”が晴れても、また別の“もやもや”が有って、結局そんな物自分次第で、上手く行くかなんて分からないんです。けれども……………」
其処で一度言葉を切る。今の彼からは、背中を押して欲しいと言う気持ちが感じられる。
「どうすれば、良いんですかね?」
「………君が正しいと思う事をすればいいと思うよ」
「………そう、ですよね」
奏夜の言葉が彼が望んでいる物かそうでないのかは分からない。だが、
「だけどこれだけは言っておく…」
「え?」
「…それが間違ってるって思ったら…その時は、ぼくは全力で君を止める」
「………その時は…お願いします………」
9/23
その日、荒垣はロビーで『家庭の料理全書』と言う本を読んでいた。
―守ってやれよ―
「……馬鹿が」
いつか明彦に言われた言葉を思い出してそう呟く。そんな彼の言葉に反応したのか、コロマルが近づいてくる。そんなコロマルに気が付いた荒垣は、
「そういやお前も事故で大事な人を亡くしたんだっけな」
コロマルもまた『同じ』だと感じ取ったのか、荒垣は言葉を続けていく。
「長鳴神社の神主…。お前は主が居なくなっても、ずっと居場所を守り続けたんだな。街に出たシャドウ相手にも、たいした奴だぜ」
そして、コロマルが守ってきた場所は乾が願掛けに行っている場所でもある。
「そんなところで、あいつは………」
再びコロマルへと視線を向けると笑顔を浮べる。
「今は此処が自分の居場所だってか? …なんてな」
そう言った後、荒垣は苦笑を浮かべ、
「ん、それともなんだ? 料理に興味あんのか? 今度うめぇモン作ってやるから、みんなには言うなよ。料理が趣味だなんて、なんかちょっと恥ずかしいかんな」
「ワン!」
荒垣の言葉にコロマルは嬉しそうにそう答えた。
『久々のいいお天気』
そんな時、外から風花の声が聞こえてくる。
「今日は暑いね」
「表面温度を一定に保つのにエネルギーが要るであります」
「アイギスも大変なんだね、もう涼しくなるよ」
外に出かけていた風花とアイギスの二人が寮に帰ってきていた。ちょうどその時、
「や、二人とも今帰り」
「あ、奏夜くん」
「奏夜さんも今御帰りでありますか」
「まあね」
キャッスルドランに出かけていた奏夜も丁度帰りに二人とばったりと出会った。
「「ただいま」」
「ただいま戻りましたであります」
「ワンワン!!!」
三人が寮の中に入るとコロマルと頭に先ほどまで読んでいた本を顔の上に乗せている荒垣が出迎えた。
「ただいま、コロちゃん」
「ただいま、コロマル」
出迎えてくれたコロマルに挨拶を返す二人。
「でも、荒垣先輩起こしちゃ悪いから、静かにね」
「クゥーン」
(…えっと、荒垣先輩…寝たふりしてるね…)
何でだろうと思いつつ横目で荒垣へと視線を向けている奏夜。本当に寝ているのか、寝ていないのか程度なら分かるのだが…。
「あれ、この本?」
ふと、風花は荒垣が頭の上に乗せている本に気が付いた。
「“家庭の料理全書”、欲しかったんだ、あれ。でも、ちょっと高くて手出せなかったんだよね」
「え゛」
思わず『風花』と『料理』と言う組み合わせの危険さに思わず背筋が寒くなる奏夜だった。………何気に自分が防波堤になって彼女の料理の被害を食い止めているのだから。
「先輩…料理とかするのかな? それにしても…重そう。なんていうかさすが先輩…」
「ワン! ワンワン!!!」
すると、コロマルがどこか嬉しそうに吼える。
「何? コロちゃん、何か作ってって? でも春花さんに教えてもらってるけど、私の腕じゃまだ酷い事になっちゃうかなー…なんて」
「(…少しは自覚症状があるのかな)そんな事は無いよ、風花さんの腕は確実に上がってるし」
なるべく風花を傷つけないような言葉を選びながら彼女にそう告げる奏夜。内心では酷い事を考えているが、それはそれ。真実なのだから仕方が無い。
………どう考えても、風花が危険性に正しく気付かないのは、奏夜の優しさに問題がある気がするのだが………。
「いえ、風花さん、奏夜さん、荒垣さんがうめぇモン作ってくれるって、喜びの遠吠えをあげているであります」
思いっきり正直に話してしまったコロちゃんでした。
「………。先輩、やっぱり、料理するのかな? あとで聞いてみよっと」
そう言って奏夜、風花、アイギスの三人は部屋に戻っていく。
その途中で奏夜は一度立ち止まり、
「荒垣さん、頭の上に乗せるのを止めて置いた方が良かったですね」
苦笑しながら風花達に聞こえない様にそう告げてから部屋に戻っていく。
「…あいつ、気付いてたのかよ。………おい、コロちゃん…」
頭の上に乗せていた本を降ろしながら、
「内緒だって言ったろうが」
「クゥーン」
困ったような表情を浮かべているコロちゃんでした。
「あ、いや、気にすんなって」
そう言って新垣はコロマルの頭を撫でる。
「嬉しかったって言うんなら仕方ねぇさ。…………にしても」
寮の階段へと視線を向けると、
「アイツ、犬語も分かるのかよ」
改めてそう思う新垣さんでした。
そして、時は刻一刻と奏より伝えられた運命の時へと近づいていく…