この章もあと一話です。
『太宰治の黒の時代』は一話(閑話)で済まして、『蒼の使徒』はアニメ通りで行きたいと思います。
今回は中途半端に終わりますがご了承ください。
感想評価お待ちしています。
足取りが重い。八幡は異能の過剰行使により疲労が蓄積していた。
乱歩に認められた?後、八幡がスタッフルームへと戻った時、江上に話し掛けられた。
「比企谷君!私、あの子の
「さいですか…」
えらい上機嫌な江上とは打って変わり、八幡の思考は冷えていた。恐らく、乱歩は全ての事象を見抜いたのだ。其れを確信したが為に八幡は未だ見つからない漱石の安否が不安になる。…訳でもなく、之から起こる
江上を適当にあしらい、観客席へと戻る。江上が上機嫌だったのは演出家としての才能を買われたからだそうだ。事件を見抜いたと云う名探偵に其処まで云われるとまぁ…そう云う事である。
異能の過剰行使により疲労が蓄積していた八幡は頭痛が
(ヤバイ……之からしなければならない事が有るってのに…。座るンじゃなかった)
然し、強烈な眠気に逆らう事は出来ず、深い眠りに落ちてしまった。
〜〜〜〜
「ーみ、---へよ!!」
(五月蝿いな…。此方は疲れてんだよ…。)
「君、--まへよ!!」
(
「君、起き給へよ!!」
重たい瞼を上げ、目を擦り、顔を上げると自称“世界一の名探偵”が八幡を見ていた。乱歩は舞台の上に一人で立っており、スポットライトも乱歩にだけ当てられていた。
「善し!!漸く、
江上は乱歩がステージに立つ前に小型のマイクを渡し、此の解決編をホール全般に響き渡らせる様に演出した。演出家としての才能は皮肉にも此の“名探偵”によって証明されたのだった。
「先ず君たちの関心事である『刃で貫かれで死んだ主役の彼』についての真相を明らかにしていこうか」
客席がざわつく。乱歩は其れを手で制し、一呼吸置いて順序よく語り始めた。
「君達に先に云っておこう…。
乱歩はこう云った。
演劇でも云っていた様に、“天使”とは登場人物達からは不可視な存在である。それでいて登場人物の挙動は
「“天使”は加害者ではなく被害者なんだよ。此の事件と演劇の物語は深い所で繋がっている。天から堕ちた天使を裁きの天使が阻止する。一方で天使の裁きは見せ掛けであり、被害者である筈の人間が裁きを詐称している。
「そして此の構造はそのまま殺人事件その物に適用されている……」
八幡の頭の中にあった知識と見解が熱を帯び、点と点であった事象が繋がり始めた。
もう一呼吸置いて乱歩は続けた。
「市警やスタッフ達は最前列の空席に座っていた男を加害者だと思って捜査している。何故なら事件の直ぐ後に消えているのだから、彼が犯人だと思うのは当然の事だ。だが先にも云った通り、此の劇は
「市警が
乱歩は舞台の一番奥まで歩き、背景映写用の『スクリーン』を一気に引き剥がした。
「被害者はずっと此所にいた」
気絶し縛られた紳士風の男が転がっていた。客席から小さく驚いた声が響く。閉じられた瞼が開く様子は無いが生きているようだった。
(ん?…何やってんの?何やっちゃってんの?)
そう、転がっていたのは“夏目漱石”だった。叫びたい気持ちをぐっと堪え、八幡は顔が強ばるのを抑制した。此所でボロを出せば犯人に目をつけられると思ったからだ。
「さぁ!!加害者は被害者になった!では、
乱歩は宙に向かって吼えた。その演技は板についておりまるで本物の天使に声を投げ掛けているようだった。
「姿を現せ!堕天せしもの!誰かの目を誤魔化せても此の僕の目は誤魔化せないぞ!之が解決編だ!もうこれ以外の終わりはない!!天と神の御子、そして
ホールは沈黙に支配された。然し、一瞬の静寂だった。そして其の静寂を破ったのは乱歩の声では無かった。
「之が結末か!素晴らしい!!
『村上』だった。劇場は驚愕のどよめきに包まれる。だが朗々と響く声と指から爪先に至るまで生命力に溢れた所作はまごうこと無き悲劇の主人公、そのものだった。
「其れが僕の異能だからだ。そして殺人事件なんて存在しなかった」
「何時から気付いていた?」
「
之には八幡も驚かされた。“世界一の名探偵”?と鼻で笑っていた事が恥ずかしく思える程に。
乱歩の感慨もないぶっきらぼうな断言の後、事件の一つ一つの謎を大衆に聞かせる様に解き明かしていった。
乱歩が福沢と一緒に楽屋を初めて訪れた時、『村上』は青白い顔をしていた事。之は少し前に血を抜いた為であると。福沢や市警の様に血を見慣れたプロを騙す為には本物の血を使うしかなかった為だと。
死を装うには演技力がかなり要るが本職だから出来た事であると。化粧で顔色を誤魔化し、演技力で直ぐ傍に駆け付けた福沢を騙した…と。
乱歩は懐から『肌色のゴム製の何かの膜』を取り出した。それは八幡が先ほど見つけた物であった。
「後は是だね。シリコンゴム製の詰め巻き。役者が体型を変える時や顔の造形を変えて変装する時に使う物だ。之を脈拍を測られそうな体の部位にカバーしたんだ。僕が手に持っている五倍くらいの量が搬入口のゴミ箱に捨ててあったよ」
八幡は理解した。福沢ほどの御人が人の死の偽装に騙された理由を。ゴムにより脈拍を抑え、福沢は『村上』の生死に気を取られたが為に、『村上』による瀕死の表情に軽々と騙されたのだ。
「後は病院に連絡するだけだったよ。外傷を受けて死亡した急患の『村上時雄』さんは確かにいたけれど、人相を確かめてみれば六十代のお爺ちゃんだったよ。恐らく、搬送先の病院で
「ふふ。共犯がいてね」
「『脚本家』かい?」
「御明察。二人で計画してね。
「…後は自供だけだよ。貴方に相応しい様に僕が場所を用意してあげたよ。これだ」
舞台の照明が落ち、ホールが暗闇につつまれる。驚く間も無く、細い円柱の様な照明が『村上』の頭上に注いだ。声なき視線が『村上』に集中する。
「俺は…僕は役者だ!自分では無い物を、存在しない人生を立ち上げる役者だ!人間とは何かを晒けだすのが僕の仕事だ!之が僕の役者としての生き方だ!!」
『村上』の魂からの本心に観客は見入る。八幡と福沢も例外ではなかった。ホールに『村上』の言葉が響く。
「生き方を演じている以上、避けられない物がある!其れは“死”だ!!僕にとっての究極の仕事は人の死を演じる事だった!!そして今、僕は演劇を極めることが出来たのだ!」
『村上』は客席へ向かって足を一歩踏み出し、叫んだ。
「見て頂けたか?死は常に僕たちの頭上に在る!声も無く静かに僕達が其方へ行くのを待っている!決して描けない“死”と云う矛盾の存在を最初に演じたのは僕だ!今日、此所に来てくれた皆さんに観て貰いたかった!!故に後悔は無い!!」
其れが、動機なのかと八幡は思った。殺人予告を偽装し、無関係の人間を巻き込み、被害を偽装し警察を騙した。其れが役者の生命体なのだとそう云った。
八幡はそうして迄、やる価値があるものとは思えなかった。
市警が『村上』に手錠をかける。立ち去る時、不意に乱歩が口を開いた。
「君の情熱は立派だと思うよ。僕が理解出来ないくらいにね…。でもね客席を見てみなよ」
舞台の照明に照らされた観客の顔は、全て統一していた。『村上』は観客に釘付けになっている。
「君は自分の職業を
「そうか。結局俺は…自分の為に演技したかっただけなのか…」
舞台俳優とは思えない程の声量が舞台の上に落ちた。悲しく、弱々しい光が『村上』の目に宿り、舞台を踏み締める様に歩き出した。
舞台の照明が消えた。誰も何も云わなかった。幕引きも無くカーテンコールも無く、観客の拍手も無いあまりにも静かな終わりの瞬間だった。
〜〜〜〜
八幡は客とスタッフが誰一人としていなくなったホールをゆっくり歩いていた。スタッフは事後処理に追われ、客は怒る者、悲しむ者、戸惑う者に溢れていると予測できた。
八幡は何かが引っ掛かっていた。『村上』が捕まり、
『一つ、
漱石はそう云った。彼がこんな単純な
『
(真犯人?
因みに漱石は何時の間にか消えていた。八幡は漱石については心配はしていなかった。此の状況はまだ漱石の掌の上だろうと思ったからだ。
『此の演劇のチケットを儂に渡したのは脚本家である“倉橋”じゃ』
(掌の上でありながら何故、金之助さんは捕まった?『村上』は自供の時、共犯者は『脚本家』だと云った。ならばあの事件はもう一つの目的があったのではないか?そうでなければ
『脚本家』である『倉橋』は劇で大きく紹介していた事から“異能”について誰かから情報を貰っていたと云う事は確定している。
『
乱歩が推理中に云った一言が気になった。明らかにおかしいのだ。仮定として“漱石の誘拐”が真犯人の目的であるのなら乱歩の意見は
歩いているうちに八幡は自分の席から出口までに違和感を覚えた。何かが足りないのだ。そして気づいた。
「絨毯がない…」
ホールの入口に毛足の長い絨毯があった筈なのだ。それが無く床が剥き出しになっている。顔を近付けてみると微かに何か変な匂いがした。
「有機溶剤。其れも接着剤の類いか…だとすると……」
漱石が転ばっていた場所へ駆け足で向かい、臭うと
結論を云うと、噴霧式の接着剤を絨毯に吹き付けた真犯人は逃げようとした漱石を捕まえた。それから薬か何かで気絶させて絨毯にくるんで運んだのだ。逃げ足が早いと云う漱石の情報が筒抜けになってると云う事でもあるが…。
「運んだのは共犯である『脚本家』の『倉橋』の筈だ。厭、待てよ。確か…」
『御明察。二人で計画してね。今は家にいるよ』
『村上』はそう云っていた。『村上』が云っていた事が本当ならば漱石を運んだのは『倉橋』ではない。計画では家に居る筈だからだ。だとすれば誰だ。黒幕は誰なのだ。
八幡はもう少しで
其の時、ホールの入口の扉が勢いよく開いた。
「比企谷君!被害者の中年男性の持ち物である杖を知らんか!?」
鬼の形相で福沢が入って来た。疾風の如き速さで舞台へと登り、八幡に問うた。
「之ですか?」
「それだ!礼を云う!!」
この杖を渡してはならない。漱石にとってこの杖は国から保護されている証であり異能者である証でもあるからだと八幡は知らされていたからだ。然し、疑われるのを避けなければならない八幡はスタッフのふりを続ける必要が有る為、杖を福沢に渡した。
「福沢さん。
「乱歩が真犯人に攫われた。真犯人は“三田村巡査長”だ」
「ッ!?」
杖を物色すると同時に福沢は八幡に自身の名刺を渡した。裏を見てみると稚拙な鉛筆書きでこう書かれていた。
『真犯人は三田村 杖を捜して』