和を嫌い正義を為す   作:TouA(とーあ)

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お待たせしてしまい、申し訳ありません。

一万字超え、楽しんで下さい!


後会

 

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 泣いた。哭いた。啼いた。

 吠えた。吼えた。咆えた。

 

 最初(はじめ)は、人を救いたいことだけが理由だった。

 最後(おわり)は、人を救いたくないことが理由になっていた。

 

 人を治す異能。

 人を救う異能。

 人を(たす)く異能。

 

─────断じて、否。

 

 人の命を軽くする異能。

 人の命の尊さを奪う異能。

 人の心を…壊す異能。

 

 

 助かった、手が有る、足が有る、両親に会える、恋人に会える、家族に会える、奇跡だ、奇跡だ、有り難う、有り難う、有り難う、天使だ、天使だ、天使だ天使天使天使天使天使天使天使────死の天使だ、会いたい、逃げたい、帰りたい、死にたい、死ねない、死にたい、死ねない、死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死死死死死死死死死死死────。

 

 

 願い望んだ結末は平和だった。

 突きつけられた結末は地獄だった。

 

 

『あああああああああああああああああああああ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『御前が一番、“命”を軽く見てんだろうが』

 

 

 

 

 

 

 心眼でも持っているのか────。

 ぴしゃりと胸の内を言い当てる少年に出逢うのは、もう少し先の話だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《数年後・武装探偵社》

 

 

 港に程近い赤煉瓦で造られた建物に居を構える武装探偵社に、太宰と別れた“中島敦”は戻っていた。向かう先は会議室だ。

 さして広くも無い会議室には、十名余りのの社員が壁一面の大きな映写幕(スクリーン)を取り囲む様に座っている。

 会議室の入り口近く、出席者の全員を見る事ができる位置に座るのは、以前“銀狼”と呼ばれた銀髪の男性────武装探偵社社長・福沢諭吉。

 福沢の斜め後ろには、事務員である“春野”が秘書の様に控えている。

 肩掛(ケープ)、緩く締めた襟飾(ネクタイ)、鳥打帽。西洋の探偵小説に出そうな洋装をし、大量の駄菓子を机に撒き散らしている青年────江戸川乱歩。

 乱歩の向かいには、肩上で切り揃えられた髪に、蝶の髪留め、瞠目している楚々とした姿は正に才色兼備を体現していると云っても過言では無い女性────与謝野晶子。

 凛とした姿の与謝野に比べ、隣に座る若者の姿は頼り無い。色素の薄い髪と肌、気弱そうな顔立ち、大き目の編地(ニット)からは華奢な鎖骨を覗かせている青年────谷崎潤一郎。隣に座る実妹のナオミに(しだ)れ掛かられており、困った顔をしている。

 本当に兄妹なのかを疑ってしまう距離感に敦は目を逸らしてしまうが、谷崎兄妹の目の前に座る少年────宮沢賢治は全く気にした様子は無く、乱歩と談笑していた。麦わら帽子に使い古した作業着(オーバーオール)を着ており、雀斑(そばかす)のある顔には人懐っこい笑みが浮かんでいる。

 賢治の隣は空席である。其の隣にちょこんと座っている、白と黒が入り混じった髪に無邪気な笑みを浮かべ、乱歩から貰ったであろうお菓子を頬張る少年────夢野久作。

 其の隣で久作を慈愛の目で見つめる、花飾りで二つに結んだ長い黒髪に、和装の少女────泉鏡花。

 鏡花の視線に促され、久作を挟む形で敦は着席した。隣の久作は社員では無いが、諸事情により探偵社で身柄を預かることになっている。寝泊まりは大抵与謝野の部屋で、気分次第で社員宅を色々回って泊まっている。敦と鏡花の部屋にも何度か泊まったことがあり、皆との関係は良好だ。

 

 全員が席に着くと、映写幕(スクリーン)の前に立っていた男────国木田独歩が照明を落とした。一房だけ長く伸ばした髪、長身にきっちりとした襯衣(シャツ)胴衣(ベスト)を着込み、生真面目な顔で着席した社員を見渡すと『会議を始めます』と口を開いた。

 

 映し出された映像には、或る街の様子が映し出されていた。

 先ず、煉瓦造りの建物が目につき、商店が(のき)を連ねている。猥雑さを感じさせるが、どこか郷愁的(ノスタルジック)な雰囲気が漂っている。画面の端には時刻と場所が示されており、深夜の台湾であることが判った。

 暫くして街並みに薄い靄の様なものが掛かった────霧だ。

 

 三年前、台湾の台北、路面に這いつくばっている焼死体。

 一年前、シンガポール、トランプのカードでマーライオンに縫い付けられた男。

 半年前、デトロイト、巨大な氷柱に胸を貫かれた女性。

 

 場所は違えど、何れも濃霧が短時間の内に発生し、霧散後に死体が発見されていた。

 

「此の人達、異能者だね」

「仰る通りです。流石です、乱歩さん」

 

 台湾の焼死体の時点で被害者が“異能者”である事を見抜いた乱歩の言葉に、国木田は(しっか)りと頷いた。

 つまり、と福沢が口を開く。

 

「不可思議な霧が出現した後、各国の異能者が、皆、自分の能力を使って死んだと云う事か」

「此の霧に、何らかの原因が有る訳ですか?」

 

 福沢の事件を総括した言葉を聞き、賢治は国木田に問うた。

 問いは疑問の形になっているが、其れは確認だった。辺りを覆う霧と、能力者の死体……無関係とは探偵社の誰もが思っていなかった。

 国木田は軽く首肯した。

 

「【異能特務課】では、此の一連の事件を、『異能力者連続自殺事件』と呼んでいます……自殺と云えば、太宰の阿呆は如何(どう)した?」

「……新しい自殺法を思い付いたようです」

「あの唐変木がッ!!」

 

 敦の返答に国木田は大声で叫んだ。矢っ張りな、と敦は思う。当然だろう。国木田は何度も太宰に逃げられ振り回されているのだ。其れはもう、気の毒になる程に。

 

「そうか」

 

 国木田が敦に、もっと真剣に連れて来いだの怒っていた時、乱歩がぽつりと言葉を漏らした。

 水面に雫が一滴落ちて波紋が広がる様に、乱歩の言葉に探偵社面々は続きを待つ様に静かになる。

 お菓子に手を伸ばすのを()めた乱歩は、片目を開き、口を開く。

 

「国木田、八とは連絡ついた?」

「いえ、ついてません。あ、そう云えば、出張から帰って来るのは今日でしたね……」

 

 国木田の返答を聞くと、乱歩は向き直り、お菓子を頬張る久作に問い掛ける。

 

「久作君、今から東京に行って美味しい甘露(デザート)を食べに行こうか!」

「へ?行く行く!!」

「春野さんとナオミ君、君達も付いて来てね?僕達だけじゃ迷子になるだけだし……嗚呼(あゝ)、勿論二人は仕事扱いだから給与は出るよ」

「「えっ!?」」

「悪いけど宿泊所(ホテル)の手配も宜しく。一泊二日で良いからさ、あとお金も惜しまないから良い処お願いね」

 

 乱歩の突然の提案に目を白黒させる春野とナオミ。

 オロオロする二人を見かねた福沢が、乱歩の指示に従う様に下知を飛ばす。

 退室した春野は手配に動き、ナオミは久作の手を引いて会議室を退室した。

 其れを見届けた乱歩は広げていたお菓子を事務所の金庫へ仕舞っていく。(たま)りかねた福沢が乱歩の突発的な行動に疑問を呈す。

 

「乱歩、何が判った?」

「僕には関係ない、って事かな。只、久作君の身の安全の為に、今迄使った事は無かったけど“有給”を使わせて貰うよ。良いよね?社長」

「……判った」

 

 渋々と云った様子で福沢は其の要求を呑んだ。春野に下知を飛ばした時点で殆ど認める事になっているのだが、其れはさておき。

 国木田は遠隔操作機器(リモコン)を操作し、一人の男を映写幕(スクリーン)に映し出した。

 

「今回は【異能特務課】に依る捜査依頼です。先の連続自殺に関係していると思われる此の男が、此の横浜に潜入していると云う情報を得て、我々に其の捜査、及び確保を依頼してきました」

 

 癖のある長い白髪。白皙(はくせき)の肌。白い容貌の中、真紅の瞳が(くら)(きらめ)く。

 国籍と名前、年齢以外の記録は、一切が不明と書かれてある。

 

 

「澁澤龍彦────二十九歳。判っているのは何らかの異能力者である事と、蒐集家(コレクター)と云う通称だけです」

 

 

 其の写真に動揺を見せたのが敦だった。何か引っ掛かるものがあったのだが、其れが何か判らず、ぼうっとしてしまう。

 鏡花の心配する視線が刺さっている事に気付いた敦はと首を振り、心配無いよと伝える。

 ぱちりと音がして、会議室に灯りが点いた。一気に部屋が明るくなる。

 互いの顔が見える中、福沢が告げた。

 

「武装探偵社は此の依頼を受ける。此の事件の直接の被害者は異能力者であり、探偵社員である諸君等の安全を守る為でもあるが、其れ以上に、此の事件には、()り大きな(わざわい)を社会に(もたら)す予兆を感じる」

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 依り大きな(わざわい)と云う不吉な言葉に、敦は唇を引き結ぶ。断じて阻止しなければならない事だと、自覚する。

 覚悟を決めて、福沢の言葉を待つ敦や他の社員。

 其時、金庫を施錠した乱歩が息を吐いた。纏う雰囲気が変わると、会議室の空気が更に張り詰め、全員の視線が乱歩に収斂(しゅうれん)される。

 

「僕から一つ依頼がある」

 

 飛び出た言葉に社員の面々は目を凝然と見開く。

 鋭い眼差しで映写幕(スクリーン)に映し出されている男を一瞥すると、乱歩は続けて口を開いた。

 

「有事の際、八を探せ。但し、自身の安全を確保出来た者からだ。先ずは自分の身を護れ」

 

 そう云うと乱歩は立ち上がり、会議室から退室しようと取手(ドアノブ)に手を掛ける。

 其の儘、暫し。口を一文字に結んだ乱歩は、振り返りもせず、小さな声で、それでも会議室中には届く声音で声を漏らす。

 

 

「頼ンだよ」

 

 

 彼等を信頼しているからこその言葉。

 親友を慮っているからこその言葉。

 関係無いと云うこと、つまり此の事件に関われない事に対する自身の無力さを痛感したからこそ、漏れた言葉だった。

 乱歩の背中が見えなくなるのと同時に全員が立ち上がる。福沢に視線が集中し、覚悟と決意を基に命令する。

 

 

「探偵社は此れより、総力を上げ、此の男の調査を開始する────」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 穀潰し、と幾度と見た悪夢に敦は久々に苛まれた。

 彼等が消えると、目の前に神秘的で重厚の扉が現れた。

 突如、扉の周囲から沸き立った霧が奔流の様に敦に迫り、身体を包み込んだ。

 

────何かの予兆なのか?

 

 叫びたくても、叫べない。口中にまで霧が侵入し、支配される様な心地を覚える。息が苦しい。呼吸が出来ない。霧に呑まれ────。

 

 敦が目覚めたのは其の時だった。

 全身が汗で濡れている。体に薄い布団が纏わり付く。自分の部屋で、押し入れの中だと気付いた頃には、呼吸は落ち着いていた。

 

「開けていい?」

「あ、うん……」

 

 押し入れの戸が開くと、淡い光が差し込んでくる。

 寝間着姿の鏡花が「大丈夫?」と覗き込んできた。

 

「え?なんで」

「……酷く(うな)されていた」

「うん、ちょっと怖い夢を見てた」

「ッ!?……其の夢に霧は出てきた?」

 

 鏡花のただならぬ気配と自身に芽生えた奇妙な確信が、急かされる様に押し入れから飛び出させ、窓を開け放った。

 辺り一面に霧、霧、霧…正夢とは此の事かと、状況が状況でなければ感慨に耽ていたところだ。

 二人は自分の携帯を触り、携帯が繋がらない事を確認する。

 異常事態である事を把握した二人は、次にどう動くかについてそれぞれ提案した。

 

 敦は事態が把握出来ていない事から待機を。

 鏡花は何はともあれ、探偵社に出社する事を。

 

「貴方の意見も一理ある。でも、此れは“有事の際”に当て嵌まる」

「あ、乱歩さんの依頼……」

 

 鏡花は首を縦に振り首肯する。

 

「あの人は先ず“自身の安全を確保出来た者”から探せと云った。つまり彼の云う“有事の際”は緊急性を伴う安全では無い事態だと云うこと。其れに陥っている今、“待機”と云う選択肢が安全を確保出来るとは思えない」

「そう、だね…!行こう、探偵社に。誰かが居るかも知れない……!」

 

 決意した二人は素早く着替え、部屋を出る。

 静かな闇夜に相対するかの様に、胸の鼓動が酷く(うるさ)い。

 

 はじまりの鐘は既に鳴っている────。

 

 

 

 

 

 × × × × × × × ×

 

 

 

 

 

 

 白い霧に覆われ街は、妙に静まり返っている────人が居ない。

 幾ら深夜とは云え、繁華街にも、観覧車の在る遊園地にも、海に近い公園にも、人の姿が見当たらない。ただただ白い霧が立ち込め、異様な雰囲気を醸し出していた。

 そんな霧の街を、鏡花は堂々と歩く。鏡花の後ろを恐る恐る付いて行くのは敦だ。二人分の足音が石畳に反響する。

 

 (やが)て、横浜でも有名な大通りに出ると、多くの車が連なって大事故を起こしていた現場が目に飛び込んで来た。

 玉突き事故、連鎖、爆発。色んな言葉が敦の脳裏を飛び交う。数十代の車がぶつかり合い、ぐちゃりと道路の奥に固まっている。濛々(もうもう)と黒煙が立ち昇っており、之程の悲惨な事故を敦は見た事が無かった。

 

 車内を検分する為に駆け寄るが、人が居ない。

 どの車にも、道路の何処にも、人の姿は存在しない。敦が見ようが鏡花が見ようが確認出来なかった。

 抑々(そもそも)、之だけの事故があったと云うのに、警察や救急車が呼ばれていない事も不自然だった。

 見渡してみれば、施錠(ロック)が解除された状態の携帯や露店で買ったのであろう香ばしい臭いを発する調理済食品(ジャンクフード)が不自然に落ちている。

 飲食店には、明かりは点いているが中途半端に食事が残っている。珈琲からも湯気を視認出来た。

 

 不自然な事だらけ。

 まるで、自分等だけが世界から取り残された様な感覚────此れが、蒐集家(コレクター)の異能なの『うわァァァァァあああああ!!!』。

 

 敦の考えを遮るかの様に、誰かの悲鳴が轟いた。

 鏡花と視線を交わすと、二人は脇目も振らず駆け出した。

 

 

 

 

 

 × × × × × × × ×

 

 

 

 

 

 肩口を抑え、恐怖で顔を歪める男が視界に入る。

 遮光眼鏡(サングラス)に黒を基調とした張り裂けんばかりの背広(スーツ)。見た目からしてポートマフィアの構成員の様だ。

 だからと云って放っておける訳も無く、敦は足を一歩踏み出した。然し、其の行動を鏡花が手で制する。

 

如何(どう)して……!」

「待って、強い殺気を感じる。其れに────」

 

 二人は派手に横転する車の陰に隠れる。

 鏡花は口を(つぐ)み、自身の額を二度叩いた。それから肩口も。

 遠目から確認しろ、と云う事らしい。敦は、其の構成員に見つからぬ様、顔を覗かせる。

 

 構成員の右肩から下、つまり右腕は無かった。だが不思議なことに血が一滴も流れていない。自身で抑えてはいるものの、顔が歪んでいる原因は“痛み”と云うより“恐怖”であった。

 それから額。赤い結晶が輝いていた。偶然付いた訳では無いだろう。敦は、其の結晶が埋め込まれている様に感じた。

 

 あくまで冷静に。

 徹底している鏡花だからこそ気付けた不可解な点だ。敦も見習わなくてはと自戒する。

 構成員であろう男は一点を見詰めていた。其の先に何があるのか、敦達からは死角で肉眼には映らない。

 

『来るな……()めろ、()めてくれ……』

 

 腰が抜けているのか、後退(あとずさ)るだけの男。

 筋骨隆々の男が涙目で怯えている。其れ程までの恐怖の象徴が目前に有るのかと、敦は生唾を呑んだ。

 瞬間、獣の唸り声が聞こえた。殺気が叩き付けられ、身構える。

 周囲に注意を払いながら、敦と鏡花は少しずつ近付いて行く。正体を見極める為であり、男を(たす)く為でもあった。

 

『うわァァァァ太宰さッ────!!』

 

 弾かれる様に敦と鏡花が地面を蹴る。

 獰猛な唸りが響くと、男の傍を黒い(もや)が通過した。

 正確には、靄と云うより獣の影だ。判るのは、ただ(おお)きいと云うこと。

 

 男の元へ駆け寄る途中、男の額の結晶が破砕したのを目視する。

 背落ちする男の額にあった結晶が散らばり、破片が(きらめ)く。

 赤い光が霧散し、男を包み込む。

 (やが)て、光と共に男の姿が消えた。

 

「伏せてッ!」

 

 茫然としていた敦を鏡花の催促が引き戻す。

 間一髪で敦は避けた。敦の背中に冷や汗がつぅ、と流れる。

 考えるのは後────。

 気になる事は山程あるが、其れは、自身の身の安全を確保するのが前提として無くてはならない。

 正体不明の黒い獣、到底敵わない力を奮う獣に震えそうになる。しかし、ぐっと(こら)えて敦も鏡花も獣に備える。

 敦と鏡花は叫ぶ。自らの刃たる“異能力”を呼び出す為に。

 

「“異能力”『月下獣』!」

「“異能力”『夜叉白雪』!」

 

 己の躰を虎に変化(へんげ)させる敦の異能、月下獣。

 刃を持った禍々しい異形ほ夜叉を具現化する異能、夜叉白雪。

 何方(どちら)も敵を殲滅させるのに長けた“異能力”だ────何も起きない。

 

 敦は虎に変化(へんげ)する事は無く、夜叉白雪も現れない。まるで手応えが無いのだ。

 思わず敦は言葉を失い、鏡花は瞠目している。此の様な異変は初めての経験だった。

 然し、二人が驚愕している間にも、正体不明の獣は咆哮をあげ襲い掛かって来る。

 

「ッ!」

 

 鏡花が、敦の腕を強く掴み、手を引いて駆け出した。

 混凝土(コンクリート)に包まれた無機物な街を、敦は鏡花に引っ張られて走る。背後から轟音と白い煙が上がり、例の獣が道路やクル屋に体当たりをしながら追って来ているのが判った。

 

 逃げる、逃げる、逃げる。

 呼吸が苦しくても、心臓と肺が張り裂けそうでも、足の筋肉が引き千切れそうでも、立ち止まる訳にはいかない。

 まるで死神の跫音(あしおと)だ。純然たる恐怖に追いつかれまいと、二人は必死に足を動かした。

 

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 国木田が“霧”に包まれたのは、探偵社から帰宅している最中だった。

 午前中は、特務課の依頼のもと『澁澤龍彦』に対する調査の会議。

 午後は、特務課のエージェントから新たな情報を得るべく港の倉庫街へ谷崎と向かった。然し、落ち合う予定の相手は遺体となって転がっていた。エージェントの(むくろ)を認めるや、拳銃を手に周囲を警戒したが誰も居ない。遺体の傍らにはナイフが刺さった“林檎”が転がっていた事は、鮮明に記憶している。

 前迄(さきまで)は探偵社で社員に報告したり、特務課や先輩の意見を伺おうと電話を掛けたりしていた。電話は二つとも繋がらなかったが。

 

 独自で調査したが短時間である為に限界は有る。収穫は無い。

 だからと、心機一転しようと帰宅している最中に異変に気付いたのだ。“霧”に包まれる街と、無辜の市民が一人も居ない事に。

 

(此れは、動画の霧か……!)

 

 国木田は、特務課に捜査依頼された『異能力者連続自殺事件』と直ぐに結び付けていた。

 開放的な場所に居ては狙われる、そう考えた国木田は近くの路地裏へ入った。

 細かく確認して自身の安全を確保すると、携帯を取り出し電話を掛ける。相手は、此の状況に唯一対抗出来るであろう人物─────太宰だ。……繋がらない。

 

「他の者も駄目か……糞ッ!」

 

 他の探偵社の面々に通話を試みるが同様に繋がらない。異常事態に悪態を()いてしまう。

 瞬時に切り替え、何をすべきかを考える────探偵社へ戻るのが最善手である、と結論付けた。

 即座に行動へ移す。最大限に警戒しつつ、探偵社へと走る。

 

 街は不気味な程に沈黙していた。

 乗り捨てられた車の数々に食べ掛けの食事。突然人が消えたようだ…奇しくも敦と同じ感想を抱いていた。

 

 ジャキン────。

 遊底(スライド)を引いた音を耳が拾い、咄嗟の判断で身を前に投げた。

 銃声が鳴り響くと、国木田が居た地面を銃弾が抉った。

 銃声から予測し、車の陰に隠れる。襲撃者が一人かどうか判っていない今、戦闘を行うのは良い選択では無い。

 

閃光榴弾(フラッシュバン)で撒くか…『独歩吟客』)

 

 国木田の異能力は、手帳の(ページ)に書いてあるものを具現化出来ると云うもの。だが────具現化しない。異能力が発動しないのだ。

 重なる異常事態に脂汗をかいてしまう。そっと拭うと、意を決して車道へ飛び出し銃口を向ける。

 

 少し先────襲撃者は居た。

 其の装いに目を凝然と見開く。何故なら、襲撃者は自身と瓜二つであったからだ。

 見目も銃の構え方も変わらない。然し、額に嵌め込まれいる赤い結晶と手帳に書かれてある文字が“妥協”である事以外は、だが。

 

 国木田は無二も無く引鉄(ひきがね)を引いた。

 銃弾は襲撃者が構える拳銃に吸い込まれ、破壊。国木田は其の隙に爆ぜる様に動いた。

 距離さえ取れれば…と考えていた矢先、背後から妙な青白い光が国木田に届き、振り返った。

 襲撃者は、“妥協”と書かれている手帳の(ページ)を消費し、何かを具現化しようとしていた。()()()()()()()…云うまでも無い。

 同時に理解した。『異能力者連続自殺事件』とは何か。何故、異能力者は自殺していたのか。

 

「自殺では無く、自身の異能に殺されたのか……!」

 

 弾道を避ける為、国木田は横浜の街を路地裏を使いながら複雑に駆けて行く。

 自身にぶつけられる殺気を背中に感じながら、武器と情報の確保の為に探偵社を目指す。

 

 

 

 

 

 × × × × × × × ×

 

 

 

 

 同日、同時刻。

 横浜の各地で激しい戦いが繰り広げられていた。

 

 円形をした珍しい歩道橋で、同じ背格好をした二人の少年が向かい合う。片方の影が、手にした標識を振るった。巨大な膂力で振るわれた標識が豪風を生み出す。赤い標識に書かれた『止まれ』の文字が虚しい。

 同じ背格好した雀斑顔の少年、賢治が歩道橋から飛び降りた。幸い、歩道橋はたいした高さもなく、交差点には多くの車が停車したままだ。賢治は車の屋根に飛び降り、数百キロの重さがある標識を事も無げに扱う────相対するは賢治の“異能力”である『雨ニモマケズ』である。

 

 

 一方、谷崎は白い霧に視界を奪われていた。

 油断なく周囲を見回す。だが、幻影に気をとられた隙に、華奢な指が谷崎の首にかけられる。幻影が消え、緑に囲まれた広場が顕になった。噴水と記念建造物(モニュメント)に囲まれた場所で、谷崎の顔が苦悶に歪み、体ごと宙に持ち上げられる。背後から谷崎の首を絞めるのは、谷崎と同じ顔の存在────相対するは谷崎の“異能力”である『細雪』である。

 

 

 此れは慥かに厄介だねェ、そう呟いたのは与謝野だ。

 与謝野も自身の“異能力”である『君死給勿(キミシニタモウコトナカレ)』と相対していた。瀕死の重傷を治癒すると云う異能である。

 愛用の鉈を振り回し、自身と同じ姿の異能を攻撃する。腕を刈り取ったが、切り離された腕を異能が宛てがうと、異能の光が右腕を包み込み、斬られた筈の腕が繋がっていた。『探偵社にとって重傷は無傷と同様』と云う言葉がこんな形で返って来るとは思ってもみなかった。

 

 

 探偵社社長・福沢は帯刀し、街へ出ていた。

 無辜の民を護ること、其れを第一に掲げる武装探偵社の長である福沢が、問題発生時にいの一番に動く事は極自然といえる。普段こそ部下に任せて下知を下すだけの立場であるが、状況が状況だ。

 

「乱歩が云っていた事は…此れか」

 

 乱歩が“有事の際”での時『八を探せ』と云っていた事を想起する。

 但し自身の身の安全が保障された者から、とのことだった。福沢自身、簡単に()られる様な(やわ)な鍛え方をしてはいないが、乱歩が()()()()()()()()()()である事は念頭に置いておかなければならない。

 勿論、其の事は他の調査員も把握している事だろう。皆、優秀である事は社長である福沢が一番理解していた。

 

『若し────』

 

 福沢の足を止めたのは、自分を呼び問う声。

 日本刀の柄に手を掛け、静かに振り返る。

 福沢に声を掛けた男は、日本警察の制服に身を包んでいた。変わった装飾が無い事から、上階職では無い事は一目で判る。ただ、其の男が浮かべる下卑た薄笑いは警察官の持つ“高潔さ”とは相反していた。

 

『私の見間違いで無ければ、貴方“銀狼”殿ではありませんか?』

「……だとすれば、何だ」

『フフフ…アッハッハッハッハ!!』

 

 何が可笑しいのか、愉悦の表情を浮かべ高笑いする男。

 福沢は柄を優しく握る。闘志が漏れ出ぬよう静かに構えた。

 高笑いが街に響く中、男の背後からずらリと戦闘員が並び立つ。異国の者、軍警の者、ヤクザの者など、裏社会の勢力が一同に間見えている。其の数、二十余り。

 

(いや)僥倖(ぎょうこう)僥倖……こんなにも早く()()の一人と相見える事が出来るなんて』

「……標的、だと?」

『えぇまァ。あくまで()()、ですが。貴方に骨を数本折られ、計画を潰された過去が有りますから』

 

 憤怒と怨恨。

 男の顔に滲み出ているのは『福沢憎し』の激情だった。

 政府に仕えていた“銀狼”時代。それこそ、人の恨みを買う仕事は散々やってきた。然し、其の時でも辞めた後でも憎悪に顔を歪ませる男と関わった記憶が無い。ましてや、()()()()()()()()()()()()()()()など忘れる筈も無い。背後に控える戦闘員らも同様に額に赤い結晶が埋め込まれている。

 

『最後に一つ、私の事を覚えていますか?』

「済まないが、貴殿の事は存じ上げない」

『そうですか…構いません。では、冥土の土産に覚えて戴きましょう』

 

 男が手を振り上げる。

 背後に立つ戦闘員が銃を構える。市警察の“ニューナンプM60”、軍警察の“M1911A1”、密輸兵であろう戦闘員の“MP5A2”の機関銃(マシンガン)……市民が消えたと云う事は、警察や軍警他、裏社会の人間も消えた事と同義であり、其処から銃火器を鹵獲(ろかく)したのだろうと福沢は推測した。

 

「私の名は────」

 

 男は名乗り、手を振り下ろす。

 戦闘員は撃鉄を引く。

 福沢が石畳を削る勢いで地面を蹴る。

 此等は(すべ)て、刹那の一瞬で起きた出来事である。

 

 

 

 

 

 × × × × × × × ×

 

 

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 横浜の中心部の一等地に其れは屹立して在る。

 霧に包まれた高層物(ビ ル)郡を見下ろせる昇降機(エレベータ)の扉が開き、毛足の長い絨毯(カーペット)が敷かれた廊下を歩く。光源の位置を悟らせない完璧な間接照明の御蔭で、廊下全体は乳白色にぼんやり光っていた。

 其の廊下の先に在る対戦車擲弾(R P G)でも破壊出来ない様な頑丈な壁に囲まれた執務室。男の要件先は其処だった。

 

『失礼します』

 

 見張りの居ない仏蘭西扉(フレンチ・ドア)を開く。

 街を一望する窓硝子や油絵、欧州から取寄せたであろう豪華絢爛の丸机や椅子は薄暗く広い部屋に良く合っていた。

 

「おや、此処は部外者立ち入り禁止なンだけどねェ…」

 

 中央の執務机。黒革張りの椅子に腰掛けている男は、黒外套に背広、薄い笑いを張り付かせている────森鷗外。ポートマフィアの首領(ボス)だ。

 鷗外の返答に男は優雅に一礼した。扉の前から動かない。

 

『部外者と、侘しい事を云わないで戴きたい。首領(ボス)は私の事をお忘れで?』

「済まないねェ…私の“記憶”に君は存在していないのだよ」

()()である私をお忘れになるとは、憫然(びんぜん)たる想いですが…割り切る事に致しましょう。()()の恩情で此処に立つ機会を戴けた、此れ以上を望むのは“強欲”と云うものですから』

 

 全く忸怩たる想いを滲ませた顔をせず、意気揚々と嘘を吐く男に、鷗外は目を細める。其の瞳は、男の内奥まで透かし見る様な怜悧さがあった。

 

却説(さて)態々(わざわざ)私の執務室を訪れたと云う事は何かしらの目途が有るのだろう?君の事を忘失してしまった手前、或る程度の事は聞き入れようじゃないか」

『では一つだけ────貴方の(くび)を戴きたい』

 

 扉が開け放たれ、銃火器を携帯した背広(スーツ)遮光眼鏡(サングラス)を掛けた男等が執務室に(なだ)れ込み、男の背後に控えた。其の数、三十余り。(すべ)て男の()()()()()私設兵だ。

 其の無遠慮且つ不遜な行動は、ポートマフィアの戦闘員の姿で在りながら、長である“森鷗外”に信を置いていない事が判る。

 其の、急転直下の出来事に驚いた様子も無く、鷗外は張り付いた薄い笑いを崩さなかった。寧ろ、肩を(すく)めて嘲笑している様に見える。

 男は、鷗外の余裕綽々の笑みが酷く不快だった。鷗外が窮地である事は誰が見ても明白であるからだ。

 

『此の状況を唯一打破出来る“化物”は貴方の隣に居ないと云うのに随分と余裕が有りますね……表相(うわべ)を取り繕う勇壮さも此の状況下では只の蛮勇他ならない』

「……君が()()()だったと云うのは本当らしい。疑念を抱いていた訳では無いが、其の“UZI”や“Thompson submachine gun(トンプソン・サブ・マシンガン)”を含め、私の“異能”についても了得している様に思える。だけどね────其れだけだよ」

 

 ポートマフィアの者が使用する機関銃(マシンガン)の“UZI”や“Thompson submachine gun(トンプソン・サブ・マシンガン)”は、マフィアの武器庫の場所や暗証番号を知り得ていることの証明に一役買っているのだ。其れを知る者は幹部か準幹部級に位置している為である。

 

 鷗外の優しく諭す様な声色に、男の神経は逆撫でされる。

 取るに足らない相手だと云われている様だった。事実、鷗外は入室した時から姿勢を変えていない。故に、相手にさえされていないと気付かされる。

 男は怒気を滲ませながら云う。

 

『もう一つ選択肢を与えましょう……!私に(かしず)き、扶翼(ふよく)なさい。貴方の(くび)も大きな波紋を呼ぶでしょうが、貴方が私の右腕となるならば其れも一興でしょう』

「ん〜〜面子(メンツ)と恩讐の組織であるポートマフィアの長が、容易に(こうべ)を垂れる訳にもいかないからねェ…君の右腕になるにしても合理性に欠くよ。有難い事に私を慕ってくれている者も多いから」

 

 瞠目し、少し嬉しそうに語る鷗外。

 真面(まとも)に取り合わない鷗外に義憤が溜まる男。

 男は一歩後退し、私設兵は一歩前進する。銃床を肩に当て、右頬を添える。

 

『…では矢張り、此処で死んで戴きましょう。何か、云い遺した事は御座いますか?』

「────君の名前は?」

 

 

 

 

 

 × × × × × × × ×

 

 

 

 

 

『御前の下に付けば、()の糞餓鬼に復讐出来るンだな?』

 

 

「えぇ、約束します。私の指示通りに動いて戴ければ、ですが」

 

 

『あゝ、動くさ。俺ァ家族と部下の復讐さえ出来りゃ其れで()い。獲物への執着と怨恨と執念深さは俺が俺で在る為の矜持だ。ただ手前(テメェ)…裏切ったら判ってンだろうな?』

 

 

「重々承知しています。嗚呼(あぁ)、そうだ…彼を連れ征くと()いでしょう。必ず貴方の復讐の目途に役に立ちます」

 

 

『そうかい。其奴(ソイツ)の名は?』

 

 

 

 

 

 × × × × × × × ×

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『私の名は────三田村。そしてさようなら…“銀狼”福沢諭吉殿』

 

 

 

 

 

 

A(エース)。貴方の(くび)()る、一介のディーラーです』

 

 

 

 

 

 

「ラヴクラフト。()き便りを期待していますよ、蟒蛇(ウワバミ)さん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 × × × × × × × ×

 

 

 

 

 

「…」

 

 

 

 

 

『私ね、ずぅ〜〜〜と逢いたかったンだ』

 

 

 

 

 

「……」

 

 

 

 

 

『なンか照れるね…』

 

 

 

 

 

「………」

 

 

 

 

 

『もぅそンな顔しないでよぉ…笑って笑って?』

 

 

 

 

 

「…………ッ」

 

 

 

 

 

『久し振り──────八くん』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





お待たせしてしまい、申し訳ありません。

三期が始まる迄には終わらせる()

遅筆な私でも、根強く応援してくれている方本当に有り難う御座います。
力になってます。

ではまた次回。
感想、評価、お待ちしております!

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