和を嫌い正義を為す   作:TouA(とーあ)

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終幕

 

 

 

 二人の、似て非なる孤児の少年がいた。

 一人の少年は、両親から捨てられ、孤児院で受けた虐待の記憶に苦しみ、自己否定を繰り返していた。

 一人の少年は、物心付いた頃から、孤独と痛みが隣に有り、貧民街の路上を(ねぐら)にしていた。

 

 二人の人生は、一人の青年が関わる事で大きく変わることになる。

 

 一人の少年は、武装探偵社に入社し、仲間と居場所を得て、「大切なもの」を守る為、日々強くなっていく。

 一人の少年は、ポートマフィアに在籍し、戦闘の中で苦悩を昇華し、己を高めていく。

 

 光と闇。白虎と黒獣。

 表裏一体の二人が抱く孤独感と寂寥感。

 そして─────。

 

 “中島敦”は、孤児院の虐待の過去から、誰かから『生きる価値あり』と云う許可を。

 “芥川龍之介”は、恩師から認めて貰いたいが為、冷酷無比な殺戮者となり、戦果を。

 

 他者からの承認を得たいと云う欲求は、同質でこそ無いものの酷く似ていた。

 

 其れを口にした、二人が相対する“覚悟”は家族を護らんとする強き意志の持ち主だ。

 

 二人は激昂した。こんな奴と一緒にするな、と。

 だが云い争いながら、二人は互いに背負っていた“荷物”について自然と理解していた。

 故に、互いが救いとなる言葉が自然と零れた。

 

 

────苦しめる過去の言葉と貴様は本質的には無関係だからだ

 

 

────太宰さんはとっくに御前を認めていると思うぞ

 

 

 二人が死地に赴くとき───。

 芥川は敦の過去の幻影を断ち切り、敦は芥川を執着から解き放した。

 他者を救う事だけが“救済”では無い。誰かを救う事で“自分”が救われる事もある。そう二人は思い至った。

 

 終撃の衝突。

 芥川は、黒洞々(とうとう)たる黒獣を、敦の拳に巻き付け、颶風(ぐふう)を纏う一撃を振るう。

 フィッツジェラルドは、過去を顧みず、処分可能な資産を(すべ)て異能力に変換した“覚悟”の一撃を叩き込む。

 

 衝撃が地を伝い、少し遅れて音が空気の壁となって周囲に響き渡る。両者を纏う異能の光が地に降り注ぐ。

 曲げれぬ覚悟の咆哮が夜霧を切り裂き、命を燃やした気迫が天を()き、両者を纏う異能の光が地に降り注ぐ。

 

 最後に立っていたのは────二人の少年だった。

 満身創痍の二人は艦版から墜ちるフィッツジェラルドを止められなかった。(いや)、止める事が出来なかった。

 何かに縋るように、何かを(つか)むように、無限に広がる天に手を伸ばし、何かに(あい)しく微笑むフィッツジェラルドを見ては。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ゼルダ……君にもう一度、幸福を」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「“異能”を此の世界から消し去るのです」

 

 

 鼠が天井裏を疾駆する際の耳に障る不快音の如く、聞きたくもない言の数々が鼓膜を叩く。

 朦朧とする意識の中で、穿たれた脾腹(ひばら)疾走(はし)る烈々な痛覚だけが、八幡を此の世界に引き留める現実的な蜘蛛の糸だった。

 自身が垂れ流した血流に身を浸し、誰かに包まれる様な温かさを感じ得ながら、奴からの問いに答える気力を振り絞る。

 

 

「……す、る…訳………ない、だ、ろ…」

 

「強情ですねェ、矢張り貴方は罪深い。貴方がラヴクラフトとの“特異点”で何を()たのか感興を催さないと云えば嘘になりますが、此の趨勢(すうせい)で『何もしない』と云う選択肢が悪手である事は聡明な貴方ならお判りでしょう?」

 

 

 銃口を向け(なが)ら、魔人の慈愛の微笑みから漏れる言葉に、一切の偽りは無いのだ。

 異能力の臨界点を超えた行使による躰の凡百(あらゆ)る箇所からの出血、銃弾での脾腹への穿孔、ものの数分で失血多量に依り八幡は死歿(しぼつ)するだろう。そうで無くとも、異能力『本物』の“忘却”は寿命を擦り減らす事に依っての引換で発動している。世界に“寿命”を売る事で、世界の“記憶”を買い得る───生命(いのち)の売買契約と云っても指し違いない。

 ならば、目前の人の形をした悪魔に魂を売る事で何かを得る事が出来ると云うのなら、其の選択肢こそ最善である可能性は大きい。“生きたい”と云う情を優先するのなら、だが。

 

 八幡の答えは────。

 

 

「ぅ……らァッ!」

 

 

 拒絶、だった。

 失血に依って躰を思う様に動かせぬ筈であるのに、其の問いが余りに愚かで唾棄すべきものとして認識した事で、理性から漏れ出た激情が八幡の躰を鼓した。

 左手で躰を跳ね上げ、ドストエフスキーの右腕を摑む。血濡れた右手がドストエフスキーの白蠟(はくろう)めく衣服に血痕を付け拡げる。

 

 

 

 

 ───────。

 

 

 

 

「“忘、却”…し、ない?」

 

()いですねェ…其の、絶望的な状況下で一縷の希望を托した感情の潑剌。現実主義者(リアリスト)で“理性の化物”の貴方が感情任せに動いた結果に依る新しき絶望……此の服は貴方の為に異能力で編んだ物。貴方の能力は無意味です」

 

………」

 

 

 掴んだ右手が力無くして下落する。

 膝が地に付き、離れる意識をどうにか留まらせようと残った力で舌を噛む。

 ドストエフスキーは、最後の最後まで足掻く不格好な八幡を、どうしようもなく滑稽だ、と肩を竦める。

 国木田の愛銃の“ベレッタ92F”を懐にしまい、底冷えする微笑を浮かべながら天を仰ぐ。

 

 

 

「罪と罰、そして一からの創造…甘美な響きです。ですが僕の望みが貴方の手に依って叶わないのならば、もう…貴方には────」

 

 

 

「貴方は探偵社でもマフィアでも、独り、ただ独りで罪を積み重ねてきました。湾岸(ここ)は、(じき)に墜ちる白鯨(モビー・ディック)の衝撃の範囲外ですから、死に絶える時も独りで()けます。救いの死、其の永き旅路の餞別です…大いなる沈黙を、貴方と此の街に」

 

 

 

「罪の(くびき)より解き放たれ、魂の救われんことを」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鏡花が行き着いた場所は静謐に包まれた操舵室だ。

 立ち籠める暗雲たる空気の重圧は、闇の世界に身を浸した鏡花でも息を呑む程だった。

 扉を開け、最初に反応した感覚器官は耳殻。押し殺した様な嗚咽が耳朶を駆け抜けた。

 

 

「また…私は独り……(いや)、厭だ、一人はもう……」

 

 

 ルーシー・モード・モンゴメリ。

 異能力『深淵の赤毛のアン』を有し、武装探偵社に所縁(ゆかり)のある少女二人を誘拐し、敦と八幡を誘い出した。然し、八幡と其の場に偶然居合わせたポートマフィアの首領(ボス)である森鷗外に計画を阻止されたのだ。

 異能力を相手に認識され暴かれた以上、駒としてのモンゴメリの価値は激減した。だが、八幡の言葉により、一から始めてみようと雇い主であるフィッツジェラルドに頼み込み、居場所を新たに自分の手で作り出した

 

─────だが。

 

 モンゴメリは白鯨(モビー・ディック)へと戻る最中、組合(ギルド)の一端である“魔人”に捕まり、思考を支配(コントロール)されてしまった。

 つまり、モンゴメリと云う少女は知らず知らずの内に間者(スパイ)にされ、白鯨(モビー・ディック)を横浜に墜とす、と云う策戦に加担していたのだ。

 故に組合(ギルド)の長であるフィッツジェラルドは白鯨(モビー・ディック)が落下している事も、モンゴメリが間者である事も()()()()()()()()()()()()()(すべ)ては“魔人”の掌の上で起こされた静かなる“死の罰”だ。

 

 

「…………何で、此処に人がいるの?ねぇ如何(どう)して?教えてよ、ねぇねぇねぇ!!」

 

「…貴女を迎えに来た」

 

 

 鏡花の口から出た言葉はモンゴメリの目を丸くさせた。

 途端、恐怖で顔が歪み、目の光が消えて征く。不自然に釣り上がった口端は真白の頬に(しわ)を幾重と作り出している。

 

 

「嗚呼、嗚呼、あゝ……しっぱいしたしっぱいしたしっぱいしたシッパイした失敗した!!来ないで!来ないでよ!何で来るのよ!殺される!殺される!皆死んじゃう!!」

 

「…落ち着いて」

 

「いや!来ないでよ!構わないでよ!助けて!助けてアン!」

 

「────ッ!」

 

 

 刹那、モンゴメリの有する異能力『深淵の赤毛のアン』により、鏡花は異空間へと飛ばされ、外界と遮断され、閉じ込められた。

 此の空間、此れこそ“魔人”ドストエフスキーがモンゴメリを支配(コントロール)した所以である。

 何故ならば、外界と遮断する異能、つまり何かを隠し通したい、此の場合、白鯨(モビー・ディック)の制御端末を隠し通したい時に、仮令(たとえ)誰であろうとも探す事が出来ないからである。

 他の組合(ギルド)の団員を捕縛し、タンデムローダーに運び込む事に成功した賢治、鏡花、芥川であったが、モンゴメリは此の空間に閉じ篭っていた為に存在を認識する事が出来なかった。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()に“魔人”に処理(プログラム)されていたのだ。『誰かが外部から来た』と云う情報は先程の場合は白鯨(モビー・ディック)内の放送により、把握した。然し、今回の二回目の来襲は不意を突かれた為に一歩遅れたのだ。

 

 

「また!またよ!また私は!なんで私だけ!私だけなの!もう独りになるのは(いや)なのに!」

 

「………ッ!」

 

 

 肉薄するアンを紙一重で躱し続ける鏡花は少しずつモンゴメリとの距離を詰める。

 発狂するモンゴメリは滂沱の涙を流しながら両手で躰を抱き締める。搾取される恐怖と一切の絶望に身を震わせている。

 

 

「また!またよ!また世界は私の全部を奪っていく!居場所も友達も!命も権利も!私には何もない!幸せになる権利も何もかも!」

 

「そんな事、させない……!奪わせない…!」

 

 

 モンゴメリの精神が不安定になるにつれて、アンの姿が歪んでいく。彼女の心情が其の儘、アンに投影されているのだ。手足の爪は鋭利な刃物に変化し、口内には喰い千切らんばかりの牙に生え変わっている。“魔人”の影響を色濃く反映していた。

 鏡花の胸の内に有るのは、光の世界を見せてくれた敦の笑顔だ。奪うだけの立場だった鏡花が今、大事な物を護ろうと一心不乱でいる。

 

 

((あの人)の様な優しさや八幡(あの人)みたいに前へ一歩踏み出す勇気を………!)

 

 

 鏡花の心に大きく影響を与えている人間が敦以外にもう一人。

 決して弱音を吐くことの無い、自分の事を決して語らず、誰よりも強く見えて、其の実、一番臆病だった人が、自分の意志で新たな世界に一歩踏み出した、其の瞬間の、一分に満たない僅かな瞬刻を、鏡花は忘れられる事が出来ない。

 

 

(私も彼の様に一歩を踏み出して()いのなら……足掻いて、藻掻いて、抗って、未来(あした)の為に、闘いたい……!)

 

 

(其の未来(あした)の為に、此の美しい世界を迷いながら、同じ歩幅で()仲間(みんな)と共に歩いて生きたい……此の世界に生まれた意味を、“答”を、何時か見付ける為に………!だから、だから────!)

 

 

 鏡花の本心だった。

 ポートマフィアの一員だからと、芥川の命で動く殺人兵器では無い。

 武装探偵社の一員だからと、光の世界に生きる事を渇望して、生きる価値を求めた訳では無い。

 一歩を踏み出した八幡()の行動が、眩しくも残酷な、歪な世界を迷う権利を、既に持っていた事に気付き、吐露した言葉。

 

 生きる権利は要らない。

 ただ、此の世界を生きる為に迷う権利さえ有れば良い。

 そして其れは既に持っていた。気付かなかっただけだった。

 そして其の権利の終着点、歩んだ行く末に辿り着く“答”を、敦や探偵社の皆と共に探したい。長い時間が掛かる、若しかすると生涯見付からないかも知れない、“答”なんて有りはしないのかも知れない、そんな不確かで不明瞭な存在を。

 

 

 鏡花は、それでも探したい、と。

 鏡花は、それでも歩いて行きたい、と。

 鏡花は、それでも此の世界を迷い続けたい、と。

 

 

 それこそ溝底(どぶぞこ)を宛もなく疾走(はし)る……土(まみ)れの“迷い犬(ストレイドッグ)”の様に────。

 

 

 

「私に、彼女を護る力を下さい……!」

 

 

 

 強く手を握り締める。手の中には、古い携帯電話があった。

 意を決して、鏡花は喉を震わせる。其の声で呼び掛ける。

 

 殺戮の権化を、誰かを守る為に────。

 

 今、此処に─────武装探偵社の調査員に相応しい“高潔さ”を持った、一人の少女が産声を上げた。

 

 

 

「───────夜叉白雪!!」

 

 

 

 迫り来る恐怖の権化と化したアンの前に、夜叉白雪が降り立った。

 刀で空間を斬り払い、アンに無数の斬撃を殺到させる。滑空し、肉薄し、鏡花の元へ行かせぬよう流麗な美技で抑える。

 対するアンも鋭利な爪で刀の軌道を逸らし、手数を以って()りに来る。四方八方に吹き荒ぶ爪撃の嵐が夜叉白雪の着物を斬り刻む。

 

 

 

「一人には、させない」

 

「何で…何でよ……私を、もう放っておいてよ、優しくしないでよ……どうせ皆、皆……!!」

 

 

 夜叉白雪の一閃がアンの胸を貫き、其の儘、異能空間の壁に(はりつけ)にされる。

 アンは刀を抜こうと躰を(よじ)るが、傷痕が拡がるだけで意味は無い。苦痛の呻きが少し漏れるが、目を見開き、最後っ屁とばかりに夜叉白雪の肩に喰い付いた。

 

 

「白雪ッ!」

 

 

 鏡花の危慮の声に呼応するかの様に夜叉白雪は、貫いた刀を力技で斬り下げ、下半身を両断する。アンは斬撃に(こた)え、肩を開放。そして夜叉白雪は、刀を持ち返し追撃ちの如き終撃を一閃、下半身から脳天まで斬り上げた。

 アンは徐々に動きが止まり、光が弾け、静かに消失した。役儀を終えた夜叉白雪も刀を鞘に収め、小さな光になり霧散した。

 

 

「あぁあぁ、あぁ……」

 

 

 憑き物が落ちたのか、モンゴメリの目に光が灯り、頬が健康的に紅潮する。

 簡単な話だ。モンゴメリの心情は異能力のアンに反映される、つまり“心的支配(マインドコントロール)”を受けた“魔人”の思想や狂気が其の儘アンに上乗せされたと云うこと。故に、夜叉白雪の手に依って葬られた今、其れと同時に“心的支配(マインドコントロール)”上の“魔人”の狂気も消え失せたのである。

 

 

「私は、私はずっと一人が(いや)で…だから組合(ギルド)で居場所を作って…でも、奪われて、幸せになる権利なんて無いって…でも、死にたくなくて…寂しくて……淋しかった……」

 

「私が居る、から…探偵社(私達)が居るから。大丈夫」

 

 

 未だ、震える躰を抱き締めるモンゴメリに、優しく、優しく声を投げる鏡花。

 事実、モンゴメリが味わった恐怖や畏怖は計り知れない。

 人が(おぼ)える恐怖とは、自分では計り知れない“未知”の事を指す。ならば、“魔人”と云う人ならざる、人や“悪”の概念を超越した“何か”から(おぼ)えさせられた恐怖は簡単には推し量れないだろう。体感した恐怖や畏怖、では無く頭に直接刻まれた、弄られた恐怖や畏怖は言葉だけでは語れない。無論、他者が其れを語れる事は一切無い。

 

 

「大丈夫だから。私達に有るのは“迷う権利”だけ。私は今迄、色々な物を奪って来たから、私は之から其れ以上の物を護って行きたい。貴女も、そして此の街も────」

 

「でも私は魔人(あの人)に奪われて────」

 

「させない。其の権利さえも奪おうとする存在を、探偵社は絶対に(ゆる)さない。一片の光は必ず、在るから」

 

 

 優しく、母親の様にモンゴメリの涙を拭う鏡花。

 零れ落ちる涙と共に、創られた異空間が割れる様に瓦解する。鏡花の着物の裾を強く握り、胸に顔を(うず)めるモンゴメリからは、今迄置かれていた立場の恐怖が伝わり取れた。

 

 

「これ…」

 

 

 モンゴメリが胸衣嚢(ポケット)から制御端末を取り出し、鏡花に手渡す。鏡花は生唾を呑み込み、震える手で受け取ると白鯨(モビー・ディック)の落下を阻止しようと操作する。

 

 

『アヒャヒャヒャヒャヒャッ!』

 

 

 制御端末の液晶に『死の鼠』の烙印(マーク)が浮かび、そうだ室にケタケタと不愉快極まりない嗤い声を轟かす。

 制御端末に有る(ボタン)を幾ら触ろうが、現状に変化が起きない。つまり、白鯨(モビー・ディック)の落下は止まっていないのだ。

 

 

()だ─────!」

 

 

 モンゴメリの震える手と自身の震える手を繋ぎ、白鯨(モビー・ディック)の操作盤へ。

 マフィアで培った技術を活かして、白鯨(モビー・ディック)の落下を止めようとするが、(すべ)ての技術を収斂(しゅうれん)しても止める術が無い。外部から誰かしらが…(いや)、罪を裁く“魔人”が機関部制御を奪っている。

 

 

「最初から…墜とす心算(つもり)だった……!?」

 

 

 制御端末の液晶、そして操作盤の表示装置(モニター)から流るる(すべ)てを嗤う鼠だけの笑声が延々と響き渡る。愚かだ、滑稽だ、醜い足掻きだ、と…嘲笑う。

 其れでも鏡花は歯を食い縛り、一度も此の現状を諦観する事なく操作を続ける。一縷の望みは()だ捨ててはいない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────全部話して。アンタが隠れてコソコソやっていること全部

 

 

 

────今度か、買い物に付き合いな

 

 

 

 

 ()の日、晶子に俺の仕事が露見した時。

 八幡(ヤハタ)として依頼料の代わりに、晶子と交わした約束を何故か思い出していた。

 走馬灯…と云う物は本当に有るらしい。走馬灯は、死にたくない、そんな陳腐な欲望を、過去の経験に照らし合わせて最善の道程(ルート)を探し当てる為に有ると云う。

 皮肉なもので、独りで生きてきたと、越えるべき壁や難題は自身の力で乗り越えて来たと、そう信じていた俺が、走馬灯で想起したのは、たった一人の照れた様に願いを口にする可憐な女性だった。

 此れは取り留めの無い“記憶”の一(ページ)だ。小町や紫苑(しおん)、先生や尚樹、奏恵(かなえ)が死んだ凄惨で惨憺たる記憶でも無く、織田作と共に食べた辛い咖喱飯(カレーライス)の記憶でも無く、漱石(金之助)さんに闇社会を生き抜く術を叩き込まれた記憶でも無く、八幡(ヤハタ)としてマフィアで下請けをした記憶でも無く、武装探偵社で朗らかな日々を過ごした記憶でも無い……今迄生きてきた人生の最たる出来事では無かった。

 

────何が…違うのか

 

 考える迄も無かった。阿呆らしくて少し笑みが(こぼ)れる。

 簡単な話だった。俗世との隔絶を経て、孤独で在ろうとした人間が、たった一人の女性の微笑みを想起して苦悩する。感傷的な響きを持たせて意味を取ろうとしても、結局のところ根は単純だった。

 

 

 晶子と交わした約束は────未来への約束だった。

 織田作との『迷い犬(ストレイドッグ)を救ってくれ』と云う願いは敦や鏡花、そして夢野久作を(たす)く事で多少なりと叶えた。

 乱歩の『横浜を救おう』と云う願いはラヴクラフトを忘却した事で自身のやるべき事は達成した。

 だが…晶子の願いは、交わした約束は何一つ叶えちゃいない。

 買い物に行く?全部を話す?……陳家なものだ。取り留めの無い日常の一部だ。理性の化物が聞いて呆れる。畢竟(ひっきょう)、最後に俺を突き動かすのは純度百%の感情だった。

 

 此の儘、野垂れ死ぬと云うのなら───。

 異能の先の“特異点”で()た世界の真髄を───。

 最後は俺に…俺自身に……“異能”を奮う、臨界を超える────。

 

 

 

「“異、能力”…『本、物』」

 

 

 

()だ“生”に縋りますか……貴方、何をして」

 

 

 

 

 

 ────。

 

 ──────。

 

 ─────────。

 

 ────────────。

 

 

 

 

「有り得ない。貴方は……()()()()()()使()()()()筈です」

 

「………ハッ」

 

「…嗚呼(あァ)、そうですか。貴方は……貴方は如何なる時でも僕の予想を超えて征くのですね」

 

 

 地に付けていた膝を使い、上手く立ち上がろうとするが、血を失い過ぎた所為(せい)で後ろに尻を付いてしまう。

 見据えるドストエフスキーは狂喜を浮かべつつ狼狽している。喜色や恐怖が表相(うわべ)から見て取れるが(わず)かばかり歓喜が(まさ)っている様に見える。

 

 

「傷も癒え…(いや)、違いますね。自分の躰、即ち数十兆個の体細胞に“異能”を使い、元の躰の“記憶”を“Reproduction(再 生)”したのですか」

 

「御名、答…」

 

「衣服に付着した血痕や止水した血河…既に喪失した物は再現出来ないようですね。未だ立ち上がれない事からでも、其れは推測出来ます。其れでも十分過ぎる程、常軌を逸していますが」

 

 

 異能を自身に使えない、のでは無い。使()()()()()()()()()()のだ。

 俺は誰よりも弱い。肉体的なものでは無い…心の、弱さ。

 何度も俺は()の“記憶”を、小町や先生、尚樹や奏恵、そして紫苑の最後の“記憶”を忘却()したかった。事件さえ無ければこんなにも苦しむ事は無かった、彼女らに出逢わなければ“生”を(たの)しまずに済んだ、でも紫苑(彼女)の一言が、一節一節の音が、頭の中から消えて無くなってくれない。

 

 

────“紫苑”の花言葉は“君を忘れず”なんだ。だから八君、私を忘れないでね

 

 

 紫苑の言の葉は、俺に逃げる事を(ゆる)してはくれなかった。

 自身の“記憶”から“異能力”で(すべ)てを消して、つくり上げた人間関係を消して、積み上げた罪を消して、見たく無い過去を消して…残酷な現実から目を背ける事を(ゆる)してはくれなかった。

 其れは、呪いの様でいて、其の実、俺が俺で在るが為の“希望”だった。

 

────然し、今は。

 

 乱歩が、晶子が、探偵社が…目指すべき未来が在る。

 過去に囚われるのはもう…()めた。終わった過去より、人類が斟酌(しんしゃく)し切れない未来を羨望する方が()()()()()()と……そう思った。

 

 

 

「世界の在るべき姿を、人間()異能()の在り方を…本当に、貴方は私が描く“あらすじ”から何度も何度も外れる……」

 

 

 

「比企谷君、ぼくは()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「其れが君の本音かい?“魔人”フョードル・ドストエフスキー」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 怒気と嘲りを滲ませた声音で魔人の背後から声を投げ掛ける青年、(いや)、世界一の探偵────江戸川乱歩。

 両手を衣嚢(ポケット)に突っ込み、悠々と距離を縮める。二人は視線を交錯させ、お互いの隣に並び立つと笑い、(わら)った。

 

 

「貴方が態々(わざわざ)埠頭(此処)に来る可能性は低いと思っていましたよ、江戸川乱歩君」

 

「其れは僕よりも頭が悪いって云う自己紹介?…あゝそう、今僕を狙撃()つのは得策じゃあない。北西に三百(ヤード)、君の部下に伝えてくれる?」

 

「………流石ですね」

 

 

 凡人の俺の頭脳で理解出来るのは、超人的な頭脳を持つ二人の会話と所作が理解が及ぶ範囲にない事ぐらいだ。

 乱歩が此方(こちら)に歩んで来る事で横列が崩れる。俺を見る乱歩の目は決意の熱情を宿すと同時に優しさに満ちていた。

 

 

「此処は…俺に任せてくれるンじゃ無かったのか?」

 

「『判った』とは云ったけど、其の通りに『実行する』とは云って無い筈だけど?」

 

「…捻くれ者」

 

「うわぁ…君だけには云われたくないよ八」

 

 

 魔人を他所(よそ)に何時もの様に談笑する。

 乱歩の滲ませる『余裕』の表情が俺の心を想像以上に安堵させていた。軽口を叩けるぐらい、には。

 其の所為(せい)か、“忘却”の状態(モード)が自然に解除された。

 

 

「魔人君。僕は“銃”って物は人の“弱さ”の表れだと思うンだよ。自分の気に入らない物、見聞したくない物、反りが合わない物を有無も云わせず抹消する。だからさ、ベレッタ92F( 其 れ )、下ろしなよ」

 

「世界一を(うた)う探偵が口にする言葉にしては説諭(せつゆ)に欠けますね。貴方達二人が居ようが居るまいが、ぼくの計画に狂いは有りません」

 

「成、程…ね。僕も同じだよ」

 

 

「「此処までは予想の範疇」」

 

 

 まるで俺を護る様に、前に立つ乱歩。

 対するドストエフスキーは銃の遊底(スライド)はし終えていて、後は指を曲げるだけだ。

 英雅な微笑みと冷たい微笑。ベクトルの違う天才同士の狂宴。渦中の俺は、“忘却”の状態(モード)では無い為、戦闘力を有していない乱歩にただ護られるだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「予告しよう“溝鼠(ドブネズミ)”、貴様は必ず事故死する」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 冷徹で底冷えする低音のよく通る声が耳殻を抜け、視線が集束する。

 鳥打(ハンチング)帽に遮光眼鏡。死者の様に白い肌。革手袋を嵌めた手は火の入っていない細煙管(キセル)をくるくると弄び、片手には朱色の繋服(ワンピース)を着た女の子の人形を持っている。其の男は焦りも哀しみも喜びも、他の凡百あらゆる表情も浮かべていない。淡々と自身の経験から照らし合わせた“答え”を口にしていた。

 

 

「此れは此れは…真逆(まさか)、殺人探偵まで」

 

「ほう?情報規制されている身の俺が、横浜を転覆させようとする(やから)に名を知られていようとは…高名になったものだ」

 

「…鼠は何処にでも居るものですから」

 

「フッ、違いない」

 

 

 殺人探偵────綾辻行人。

 殺人事件を犯した犯人を捕まえる探偵の意では無い。罪を犯した犯人を“殺害”する探偵の意である。故に異能特務課から『特一級危険異能者』として四六時中監視されている。

 

 

「…(ようや)く理解しました。江戸川君、君が銃に対して“恐れ”を抱かなかったのは殺人探偵が居るからですね?此処で、ぼくが貴方や比企谷君に罰を下すと『Another』で事故死する…厄介極まりない」

 

「ま、そういうこと」

 

「理解したなら大人しく縄目の恥を受けろ。それと、白鯨(モビー・ディック)の制御端末を寄越せ。潜り込ませた間者には持たせていないのだろう?」

 

 

 綾辻先生の淡々とした推理はドストエフスキーを囲繞(いにょう)し、此の事件を解決へと驀進(ばくしん)させたかの様に思わせる。

 ドストエフスキーは降参の意を持つ両手を上げるが、嘲弄する笑みは崩さない。撞着(どうちゃく)した行動は、俺達を鳥瞰(ちょうかん)している様にしか思えない。

 

 

「制御端末など持っていません。其れに止まりませんよ、白鯨(モビー・ディック)は」

 

 

 (わら)嘲笑(わら)うドストエフスキー。

 突破口が失われ、ドストエフスキーを詰問した所で情報を吐くとは思えない。思惟(しい)で正解への道程を模索するが、血を失い過ぎた所為(せい)か、頭が上手く回らない。何処かで重大な蹉跌(さてつ)をきたしたのだと気付いたが、後の祭りだ。

 

 

白鯨墜落(此 れ )は、異能者が跳梁(ちょうりょう)する此の横浜の都市を、ぼくの恩寵に依り贖罪の機会を与えているのです」

 

「黙れ。落魄(らくはく)した鼠の讒言(ざんげん)に耳を貸す時間は微塵も無い」

 

「…そうですか、残念です」

 

 

 互いに胸襟(きょうきん)開かぬ会話が続く。

 数刻も無く、横浜の喧騒が消え逝くと云う現実で、意味を持たない会話は不毛以外の何者でもない。

 

 

「はぁ…太宰、最終手段だ」

 

 

 目の前に屹立する乱歩が大きく溜息を()くと、耳を抑え、インカム先の相手に下知を下した。

 ドストエフスキーの捜索、及び横浜の街の警護は乱歩と太宰に一任した。故に、何が最終手段なのか知り得ていない。

 だが───壱度たりとも乱歩の余裕の笑みは崩れていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…判りました、乱歩さんの判断に従います」

 

『頼んだよ太宰』

 

「はい…」

 

 

 黎明まで寸刻の空は、深夜と早朝の(あわい)を不吉に彩っていた。

 太宰は乱歩と繋がっていたインカムを切ると、大きく溜息を()いた。此れから始まる“策戦”が酷く面倒だからである。

 

 

「国木田くぅ〜ん」

 

「何だ太宰、操縦中だから手は離せんぞ」

 

「乱歩さんからの指示だ。私の指定した場所へ向かってくれ」

 

 

 太宰、国木田は海の上に居た。

 国木田が操縦する双胴型の高速艇が波を切り裂く事で白い飛沫を散らし、太宰が指定した目的地へ進んで行く。

 太宰は(しか)めたな顔で、操舵室を退出し、船の舳先(へさき)へ立つ人物へ声を投げ掛けた。

 

 

「えっと其処(そこ)の小さい人、ちっちゃいンだから海に転げ落ちても知らないよ?」

 

「身長の事は云うンじゃねェ糞太宰。殺すぞ?」

 

 

 獅子の様な赭色(しゃしょく)の髪の上の古びた黒帽子を抑えながら、怪訝な顔で太宰を射殺さんばかりの視線を送る青年。

 

 ポートマフィア幹部───《羊の王》中原中也。

 

 太宰の羽織る黄土(おうど)の外套が、中也の羽織る黒の外套が、潮風に揺れる。

 犬猿の仲、そんな言葉では云い表せない二人の関係が、艦版の座椅子に座る老年の紳士を微笑ませた。

 

 

「太宰君、君が此処(ここ)に足を運んだと云う事は…」

 

「うん、考える限りの最悪の事例(ケース)になった。白鯨(モビー・ディック)は横浜に墜ちる」

 

 

 老年の紳士────広津柳浪。

 ポートマフィアの百人長として《黒蜥蜴》を率いる紳士然とした外見の壮年の男である。頭髪は黒と白が入り混じり、其の目は死神の眼窩(がんか)依りも冷たい。

 太宰は再びインカムに触り、乱歩では無くもう一つの通信先へ問い掛ける。

 

 

「鏡花ちゃん、聞こえる?」

 

『……うん。モンゴメリ(目標)の洗脳は解いた。でも、白鯨(モビー・ディック)の制御端末は偽物(ダミー)で落下を止められない』

 

「…敦君達と合流したかい?」

 

()だ…』

 

「後二分で合流して()れ。君達は合流後、目標の“異能空間”の中に逃げ込み、私が行くまで雑談でもしておいて。白鯨(モビー・ディック)諸々は此方(こちら)に任せ給え。なぁに、私に懸かれば御茶の子さいさいだよ」

 

『うん…………ご、御武運を』

 

 

 通信は鏡花側から切られ、太宰は少し間の抜けた顔をした後にプッと噴き出した。

 太宰と云う立場の、周りから見れば成績はきちんと残すいい加減な男が激励されるなんてことは滅多に無い。太宰が仕切るなら大丈夫、そう探偵社の面々は思い信じているからだ。入りたての鏡花にはそんな感覚は無い。是は、ごく普通な、一般的な上司への返しをしただけの事だ。

 だが其れがあまりにも可笑しくて、少しだけ嬉しくて、太宰は噴き出してしまったのである。先輩として頑張らねば、と身が引き締まるのも無理は無いだろう。

 

 

「中也」

 

「んだよ、流石に今回ばかりは手前(テメェ)に云われなくても、やる事は判るぞ」

 

「ヘェ…説明して御覧よ」

 

「街に墜ちてくる糞鯨の軌道を海に逸らす。だから海の上(こんな所)に居るんだろ?」

 

「甘く採点して肆拾(よんじっ)点。脳の大きさは身長の高さに比例しない筈なんだけど…フフっ」

 

手前(テメェ)如何(どう)云う意味だゴラァ!」

 

 

 自信有り気に自身の考えを披露する中也を太宰は嘲笑する。太宰の返しに激昂する中也だが、太宰の常人を逸脱した頭脳に依る(いじ)りに満足いく返しが出来ていない。云ってもそよ風程度にしか思っていない。其れは出逢った時から変わらない事でもあるが。

 

 

「海に落とすは正解。でも横浜湾に落とした場合、総重量二万九千(トン)白鯨(モビー・ディック)は爆風と津波を引き起こすだろうね。無辜たる市民が被害を(こうむ)らない事は先ず、無い」

 

「じゃあ如何(どう)するってんだ……?」

 

「簡単簡単、被害が出ない場所に白鯨(モビー・ディック)を落とせば()い。幸いにも此処には《重力遣い》が居るようだし、ね?」

 

最初(ハナ)から判ってた訳かよ…!糞鯨が横浜の街に落とされる事を」

 

「まぁね♪()()()()()()()()()

 

 

 太宰の凍える怜悧(れいり)さはドストエフスキーと酷く似ている。故に()し、太宰がドストエフスキーの立場で横浜を滅ぼさんとするのならば、どの様に行動するか手を取る様に理解出来るのである。

 

 

却説(さて)、お喋りはここ迄にして於いて、だ。中也、君は參頓(3トン)弱ある巨体を《重力操作》で軌道を逸らせるかい?(いや)ァ無理だね。上空弐粁(2km)からの重力加速度分の重力が加算されるし……無理無理、無ぅぅ理ッ!」

 

「腹立つ…!」

 

「もう残った手は()()()()無いね!ハハハッ!」

 

「一つって…手前(テメェ)真逆(まさか)『汚濁』をやる気か?」

 

 

 笑う太宰に不自然に口端が釣り上がる中也。

 中也が口にした単語は、二人がポートマフィアとして過ごした過去を想起させる。太宰がポートマフィアを裏切り、敵対する武装探偵社に入った事で、嘗ての二人は────“双黒”は袂を分かった。

 

 人の心を掌握するスキルに長け、戦略的に相手を追い詰めていく────太宰治。

 

 真面目な性格と圧倒的な力を以て確実に任務を遂行していく────中原中也。

 

 其れでも互いが互いの力量を、そして自分には無くて相手には有るものを理解している。相手に出来て、自分には出来ない事を理解している。

 

 

「私達二人が“双黒”なんて呼ばれ出したのは『汚濁』を使い、一晩で敵対組織を建物ごと壊滅させた日からだ。但し、『汚濁』は私の援護(サポート)が遅れれば中也が死ぬ…選択は任せるよ」

 

 

 太宰の問い掛けは、中也に()()()()()()()()()()()()()()()()と云うもの。

 “双黒”の極めつけは中也の奥義である『汚濁』だ。発動すると、中也は凡百(あらゆ)る質量を呑み込むブラックホールと化すが、自身を制御出来なくなり、死ぬ迄暴れ続ける。其の中也を止められるのは太宰の異能の『人間失格』のみ。故に太宰は問うたのだ。

 

 

「選択を任せるだと?手前(テメェ)が其れを云う時はなァ…何時だって他に選択肢は()ェンだよ…!」

 

 

 中也の絞り出した答えは過去の経験からなる信頼の、或る種の覚悟だ。

 二人は立場が変われど変わらないものがある────横浜を守ろうとする一貫した強い思い。そして危機に瀕した際には、何も言葉を交わさずとも自分のやるべき事を遂行すると云う覚悟。

 つまり、太宰の問い掛けと中也の答えは、『元相棒』同士の間にある、お互いの実力に対する“不本意な絶対の信頼”は現在でも存在する事を意味していた。

 中也は嵌めていた手袋を宙に投げ棄て、空を仰ぐ。遠目で視認出来るほど白鯨(モビー・ディック)は横浜へ接近していた。

 

 

「広津さん」

 

「皆まで云うな。私の役儀は私が一番理解している」

 

「流石ですね…誰かさんとは大違いだ」

 

「うっせ」

 

 

 太宰の指示した座標に辿り着いたのか、船は何時の間にか止まっていた。

 広津は立ち上がり肩幅ほどに足を開く。右手を天に突き出し、左手は右手の内腕刀に添える。

 中也は“異能力”『汚れちまった悲しみに』を発動し、自身に掛かる重力を極限にまで減らす。艦版を少し蹴り、広津が突き出す右手に着地する。

 

 

「────御武運を」

 

「────任せろ」

 

 

 広津柳浪───“異能力”『落椿』。

 此れは、自身が触れたものを、互いが離す力である『斥力』で弾き飛ばすと云うもの。無論、軽量のものであれば吹き飛ばす事を可能である。

 つまり、『重力操作』で極限にまで重力を減らした中也を“砲弾”、広津を“大砲”として『斥力』で白鯨(モビー・ディック)へと“砲撃”するのだ。狙いは遥か上空の異能戦艦。

 

 

「やっちゃえ…中也」

 

 

 太宰の呟きが聞こえたかどうかは判らない。

 中也が『斥力』に依って宙へと飛び立つ。風圧が襲い、大気が肌を斬る。直線上に邪魔な物は重力で払っていき、常人ならものの数秒で息絶える荒業を、荒々しい笑みと共に容易く(こな)していく。

 

 

「────汝、陰鬱なる汚濁の許容よ、(あらた)めてわれを目覚ますことなかれ……」

 

 

 声に応える様に中也の躰に異能痕が疾走り始める。輝き、光を強め、中也の全身を駆け巡り、膨大な力を溢れ出させる。自らを重力子の化身とする『汚濁』の状態に成り得ると同時に、白鯨(目標)の正面へと躍り出た。

 

 

 

う、るァァァァあああああああッ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

白鯨(モビー・ディック)が沈んだ……?」

 

 

 (ひそ)やかに漏れ出た声はドストエフスキーの本音其の物だった。

 相対する八幡を護る様に乱歩、綾辻は、一切の躊躇無く前へと踏み出している。

 乱歩はインカムの操作し、通信先へと声を投げ掛ける。

 

 

「社長、進捗はどう?」

 

『雷撃の異能者を制圧。異能に(かま)けていた為、骨の無い相手だった』

 

「さっすが〜!じゃあ軍警に渡しておいて」

 

『うむ』

 

 

 ドストエフスキーの手下を捕縛する為、乱歩は探偵社の長である福沢諭吉を動かしていた。肉体一つで異能者と渡り合い、骨が無いとまで口にする福沢、孤剣士『銀狼』の名は伊達では無い。

 

 

「本当に何処までも…貴方達は私の策を潰していきますね」

 

「そりゃそうだよ、八幡(相棒)を餌にしたンだ。失敗は(ゆる)されない」

 

「ラヴクラフトを餌に大災厄(カタストロフ)を釣った心算(つもり)が、ぼくが大災厄(カタストロフ)に釣られていたとは…ふふ、面白いですね」

 

 

 文字通りの袋の鼠。

 絶体絶命の中でもドストエフスキーは陰惨な笑みを崩さない。寧ろ、此の状況を愉しんでいるまである。

 乱歩も綾辻も気を抜く事は一切無い。窮鼠猫を噛む、其れが一番怖いのだ。

 

 

「“鼠”、駄目押しだ」

 

 

 綾辻が指を鳴らすと、乾いた銃声と共にドストエフスキーの胸に銃弾が吸い込まれた。

 ドストエフスキーは衝撃によろけるが、其の程度。不敵な笑みは変わる事なく、三人に向けられていた。

 

 

「フッ、矢張り御前の衣服は“異能”か」

 

「えぇ、ぼくの衣服は部下の異能で作らせた物です。銃はおろか、凡百(あらゆ)る物理的攻撃は効きません」

 

「じゃあ之なら?」

 

 

 続き、乱歩が一度指を鳴らすと、何処からともなく乾いた“風”が息吹き、ドストエフスキーの外套をはためかせた。

 外套の端々や衣服の繊維が何十年と時が経った様に崩れ落ちていく。

 

 

「────ッ、『風化』能力ですか」

 

「物理は最強でも『風化』なら通用するでしょ?」

 

 

 八幡の背後に、豪華絢爛な美飾服(ドレス)を身に纏い、優雅に颯爽と現れた女性────マーガレット・ミッチェル。

 八幡の異能で“記憶”を操作されている為、当人は武装探偵社に所属する『スカーレット・オハラ』と思い込んでいるが、実際は組合(ギルド)所属の従弟(アプレンティス)だ。

 

 

「君が八の対策として身に纏う衣服を異能で細工するだろうと踏んでいた」

 

「えぇ、部下の異能は『自身で編んだ仕える(あるじ)の衣服を強化する』と云うもの。其れは『(あるじ)に抱く“恐怖”に起因する』らしく、彼女は大層私を怖がっていました……『プラダを着た悪魔(THE DEVIL WEARS PRADA)』ですね」

 

 

 ドストエフスキーの声にも表情にも諦念の相が浮かんでいた。計画していた(すべ)てを潰されたと云わんばかりに。

 誰かに指示される訳でもなく、ドストエフスキーは膝を付き、後頭部に両手を持って行き、指を組む。

 少し回復した八幡は観念した様に見えるドストエフスキーに云う。

 

 

「“魔人”フョードル・ドストエフスキー、御前の敗因を教えてやる」

 

「其れは其れは、大変興味深い…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「御前の敗因は、横浜(此の街)を敵に回したこと」

 

 

 

 

「そして───日本屈指の探偵“達”を敵に回したことだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうですねェ…大局を、趨勢を見誤りました」

 

 

 善人が一度の失敗に反省するかの様に、ドストエフスキーは八幡の言を真摯に受け止めていた。

 三人からしてみれば気持ち悪いことこの上無かった。出逢って数刻も無いのに、目の前に居座る“魔人”の思考が読み切れない事が判っていたからだ。之は、異常…だ。超人的な頭脳を持つ“名探偵”が二人、人の“記憶”を誰よりも見て来た男が、たった一人の人間の思考を読み解く事が出来ないのである。

 

 

白鯨(モビー・ディック)の墜落の阻止、雷撃の異能者の捕縛、異能服の露見、そして貴方の勧誘の失敗。恐らく、狙撃手も()()()()()()()()()()()()()()()()のでしょう?……どれを取っても()()()()ですねェ…えぇ本当に」

 

 

 胸を()かれる乱歩。綾辻は『だろうな』と一言口にした。水面下で“ポートマフィア”と“武装探偵社”が組んでいた事を、八幡以外は知り得ていて、綾辻は其れもドストエフスキーに露見しているだろうと(あらかじ)め推測していた。

 絶体絶命の状況下、其れでいて(たの)しそうに敗北を噛み締め笑うドストエフスキー。

 何方(どちら)が袋の鼠なのか判らない。明白に、ドストエフスキーが降参の意を顕にしているのに精神的余裕が無いのは八幡側だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハハハーハハ!却説(さて)ここでクイズ!私の名前は何でしょう!!

 

 

 

 何も無い虚空から、其の男はドストエフスキーの隣に現れた。

 黒洞(ブラックホール)の様な漆黒の虚無から白蠟めく外套(マント)が出現し、ドストエフスキー以外の視線を奪うと明朗快活に言葉を発した。

 男は奇術師(マジシャン)の様で、高帽子(ハット)やトランプの柄が彩れた真白の背広(スーツ)を身に纏っていた。

 

 

「え?何だって?ゴーゴリ〜?大正解ー!続いての問題!私は何しに────」

 

「一体何処から────!」

 

「貴方が云っていたでしょう?ぼくの事を“溝鼠(どぶねずみ)”だと」

 

 

 二人の探偵が気付き動く。

 ドストエフスキーは手を後頭部に当てた儘、笑みを深める。

 

 

「排水溝……!辻村君!」

 

「オハラ君!()外套(マント)を────」

 

「もう皆さん、出題者の言葉を遮っちゃ駄目でしょ!問題の助言(ヒント)は救出!あっ答え言っちゃった

 

 

 インカム越しの相手に指示を出す綾辻と乱歩。

 其の間にも“ゴーゴリ”と名乗った男はドストエフスキーに纏った外套(マント)を覆い被せ、次の行動へと移ろうとする。

 八幡はただ激動する情勢を見る事しか出来なかった。

 

 

「比企谷君…(また)、日ならずに」

 

(また)お会いしましょう!良い夢を(Good night)!あっもう朝だった!」

 

 

 ゴーゴリが外套(マント)(ひら)けると其処には居る筈のドストエフスキーは居なかった。

 再びゴーゴリが自身を外套(マント)の中に内()ると、遥か遠方から銃弾が其の外套(マント)に吸い込まれるが、金属音が鳴り響き弾かれる。ゴーゴリの外套(マント)はドストエフスキーの衣服同様、異能で編まれていたのだ。

 

 

「………」

 

 

 静寂が其の場を包み、(さざなみ)の音だけが響き渡る。

 何事も無かった様に横浜の喧騒は遥か遠くから聞こえ、少しの寂寥感をおぼえさせる。だが其れこそが、二人を取り逃がした事の慰藉(いしゃ)の様に感じさせるのは皮肉なものだ。

 

 

「にゃあ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「にゃあ」

 

 

 何時の間にか居た“三毛猫”が俺に肉薄する。

 合点がいった。何故、乱歩の他に“綾辻”先生が“魔人捕縛”に手を貸してくれたのかと考えていた。此の猫…(いや)、此の人のお蔭だ。

 

 

「にゃっ!」

 

「あ痛ッ!」

 

 

 三毛猫は動けない俺に飛び掛かり、顔に爪を立てると、鼻をすんっと鳴らし踵を返した。

 猫の目は『しっかりしろ』とそう伝えていた。相変わらず、俺に対しての評価が手厳しい。

 

 

「比企谷君」

 

「綾辻先生…」

 

「依頼料を」

 

「鬼かよ。少し待って下さい…」

 

「はぁ…最後まで聞け。依頼料を取り立てたいが『ドストエフスキーの捕縛』と云う依頼は達成していない。依って今回は無しにして於いてやる」

 

「……MAX珈琲(コーヒー)(ダース)ぐらいなら送りますよ」

 

「君以外に愛飲している者は居ないと知れ。其れは感謝では無く嫌がらせに値する」

 

 

 本気で(いや)そうに眉を顰めて綾辻先生は云う。何故皆、あの美味さが判らないのだろうか。

 綾辻先生は先に踵を返していた三毛猫の隣に並ぶと、三毛猫が肩に飛び乗っていた。あの綾辻先生でさえ、其の無礼千万の行為に悪態を()かない……(いや)、諦めているだけだろうな、うん。

 

 

 

「乱歩…?」

 

「八、“敗北(負ける)”ってこんなに悔しいンだね」

 

「……」

 

「“魔人”君…(いや)、ドストエフスキーは()()()()()()()()()()()()()()()(いや)、違うね…()()()()()()()()()。負けると判った上で策を練っていた」

 

 

 探偵帽を押さえ、此方(こちら)に顔を向けない乱歩。

 今の乱歩は、初めての“敗北”に(こた)えていた。悔しさに身を震わせている。

 

 

「恐らく、自身の救出の合図は『手を後頭部に組む』だ。あの異能転送系の能力者に其の合図(ポーズ)をしたら救出する様に命令を下していたンだろうね」

 

(いや)、其れなら“ゴーゴリ”が排水溝に隠れていた事の説明がつかない。ドストエフスキーの姿は疎か、俺達の姿も見えていないだろ?ドストエフスキーはインカムを付けていた様にも見えなかった」

 

「あぁ、奴は付けてないさ。恐らく他の仲間があの手品師にインカムを通じて報告していたんだろう」

 

「なら、今から其奴(そいつ)を追跡しないと」

 

「うん、軍警と市警に頼んでる。多分、捕まらないだろうけど」

 

 

 力無くして乱歩が笑う。

 乱歩の云う言葉が正しいのならば、ドストエフスキーは最初(ハナ)から負ける心算(つもり)で、俺達に(すべ)て計画を潰される事を計算に入れていた事になる。

 試合に勝って、勝負に負けた……そんな在り来たりな言葉が頭に浮かぶ。

 

 

「やァ比企谷君」

 

「森、医師(せんせい)……」

 

 

 沈んだ空気を弛緩させる様に、金髪の少女“エリス”と共に森医師(せんせい)は歩んで来た。森医師(せんせい)と云うだけあって、白衣姿だ。

 もう既に黎明に近い。微かに溢れる陽の光が、エリスの金髪を照らしていた。

 

 

「ポートマフィアと組む事は君の提案かね?」

 

「いえ。でもまァ…何となく想像はしていました。太宰と乱歩に白鯨と魔人(そ っ ち)は任せていたので知ってはいませんでしたが」

 

「其れが一番の最適解、か。太宰君も丸くなったものだね、元首領(ボス)からしてみれば嬉しくもあり寂しくもあるが」

 

 

 森医師(せんせい)は肩を竦めて唇を歪める。

 何処か安心した顔に見えるのは俺の勘違いだろうか。

 俺は何故に此処へ森医師(せんせい)が現れたのか、何となく察しがついたので、疑問を呈した。

 

 

「森医師(せんせい)、太宰に貴方が呈示した“組む条件”は何ですか」

 

 

 顔を合わせば戦争していた横浜の二つの会社が、停戦、加えて完全な協調、即ち同盟を結ぶとなると其れなりの条件がいる。

 目の前にいる超合理主義者を説得させる事が出来た条件は、並大抵のものでは無い事は云わずとも判る。

 

 

「そんなに怖い顔しないで()れ給えよ」

 

「デフォです」

 

「其れは失礼。太宰君に私が呈示した条件は二つ、一つは君が掛けた私の部下の“記憶”の再起。つまり太宰君の異能力で君の異能を無効化にすること。そして、もう一つは之だ」

 

 

 森医師(せんせい)は懐から一枚の封筒を取り出すと、俺に差し出した。

 指一本、躰を動かせない俺は、其の封筒を受け取る事が出来ずにいる。森医師(せんせい)は苦笑して封を開け、中身を俺に突き付けた。

 

 

「解、雇……」

 

「そう、馘首(クビ)だ。君は今日を以てポートマフィアを退いて貰う」

 

(いや)、ちょっ……!」

 

「君にとってポートマフィアとは“友との約束”で居た程度のものだろう?切っ掛けはどうであれ、ね。其れに“記憶”が(すべ)て戻った部下は真っ先に君の(くび)()りに行くよ?其れも四六時中…マフィアは面子と恩讐の組織だからね」

 

「だから────」

 

「其れ以上に、だ。君が今回、横浜の街を救った事に横浜の一大首領(ボス)として感謝を。依って其れだけの条件だけで私は(くび)を縦に振った。其れと()()()()()()()も君に差し上げよう。之は今迄、君がポートマフィアで活躍してくれた事への御礼だ。素直に受け取ると良い」

 

 

 聞く耳さえ持ってくれない。決定事項で俺の意は無視であると森医師(せんせい)は遠回しに云う。

 夢野久作…通称“Q”の所有権を巡ってポートマフィアと争わなくて済むのは俺としても(たす)かると云うのが本音だ。晶子と結んだもう一つの約束も守れる事になったのだから。

 でも釈然としない。大きな事を成し遂げたとは云え、此方(こちら)に利が有り過ぎる。其れが却って不安に駆られるのだ。

 

 

「君は────」

 

「……?」

 

 

「君は、時任(ときとう)殿によく似て誰かの幸せの為に何時も命を燃やして行動している。君を見ていると彼の背中と良く重なる。だから…だから、私は時任殿が成し遂げる事が出来なかった()()()()()と云う想いを、君に受け継いで欲しいンだ」

 

 

 

「彼の元担当医として…医者は患者の想いに応えるのが仕事だからね」

 

 

 

 何故か、何故か…涙が零れた。

 言葉には出来ない。云い表せない。言葉にすれば陳腐にしかならないだろう。

 森医者(せんせい)は『解雇』の通知を俺に渡す為に此処に現れた。そう思っていた。組織の長として此処に来た筈なのに装いが医者で白衣なのは……医者としての自分の気持ちを俺に伝える為だった。

 少しだけ、ほんの少しだけ垣間見えた森医者(せんせい)の“優しさ”が、どうしようも無いくらいに…嬉しいのだと、そう思う。

 

 

────幸せになりなさい

 

 

 そう云われたのだ。

『生き抜くンだろ?なら戦え、抗え、挫けるな。そんな時間は無い』『足を止めれば死ぬぞ?休む事を(ゆる)すと思うか?罪を贖え』『迷い、足掻いて、藻掻いて…死ね』『(すべ)ての業を背負い、地獄へ堕ちろ』────。

 誰もが、足を止める事を(ゆる)してはくれなかった。そして、誰よりも自分自身が足を止める事を(ゆる)さなかった。異能を持った時点で其の資格は無いとそう思っていた。

 

 

「有り難う…御座います」

 

 

 絞り出した声は震えていた。

 (せんせい)は振り返る事もなく、エリスと手を繋いで横浜の街へ消えていった。

 其の光景は────幼き頃の俺と小町を彷彿とさせた。恐らく、森先生(せんせい)と俺が初めて顔を合わせた時は、小町が隣居たからだろう。懐かしく、思う。

 

 

 

「なァ乱歩」

 

 

 

「なぁに?」

 

 

 

「俺達は、ドストエフスキーに負けた」

 

 

 

「うん」

 

 

 

「でも、横浜の街を護れた。其れだけで十分じゃないか?」

 

 

 

「だけど────」

 

 

 

「御前は俺に手を差し伸べてくれた時、何て云った?」

 

 

 

 

────手始めに横浜を救おうよ、相棒

 

 

 

 

「……捻くれ者」

 

 

 

「知らなかったか?長い付き合いだから知ってるものかと」

 

 

 

「フフ、ハッハッハッ!知ってるさ!知っているとも!僕を誰だと思っているんだい!?そう僕は────」

 

 

 

「世界一の名探偵《江戸川 乱歩》だろ?知ってる」

 

 

 

「僕の台詞(セリフ)を取るンじゃなぁぁいッ!ったく、八は探偵が何たるか判ってないみたいだね」

 

 

 

「そうだな、後で教えて()れよ」

 

 

 

「良いよ!さァ帰ろう!探偵社に!」

 

 

 

「………おう」

 

 

 

 

 水平線から朝日が昇る。

 夜闇が消えて行き、喧騒が再び轟き始める。

 護れたのだ、と云う結果を少しずつ実感する。唇が少し綻ぶのは仕方ない事だろう。

 

 

 敦は上手くやったか────。

 

 鏡花は探偵社に入れたか────。

 

 太宰と国木田には一杯奢ろうか────。

 

 谷崎兄妹にも何かしなければ────。

 

 あぁ賢治の牛丼は『大盛り』にしてやるか────。

 

 社長には湯呑みでも買おうか────。

 

 乱歩には探偵物を新調してやろう────。

 

 Q…久作は笑顔で未来を迎えさせないと────。

 

 

 晶子には何を…厭、謝るのが先か────。

 

 

 

 展望した未来を見据えて未来を考える。

 やってきた事の様でやってこなかった事だ。躰がぼろぼろだから晶子に怒られる事を除けば、斟酌し切れない未来はとても明るい。

 

 

 

 

 

「八、愉しそうだね」

 

 

 

 

 

「…そうか?」

 

 

 

 

 

「うん」

 

 

 

 

 

「…なぁ、乱歩」

 

 

 

 

 

「何だい八幡」

 

 

 

 

 

「少し…寝て良い、か?」

 

 

 

 

 

「駄目」

 

 

 

 

 

「……そう、云うな、よ…」

 

 

 

 

「駄目だ…!」

 

 

 

 

 

「今迄、無い、くら、い……頑張っ、たンだ、から…………」

 

 

 

 

 

「駄目だ…!寝るなんて(ゆる)さない………!」

 

 

 

 

「八………?」

 

 

 

 

「八……!」

 

 

 

 

 

「八ッ!」

 

 

 

 

 

 ────。

 

 ─────。

 

 ──────。

 

 ───────。

 

 ────────。

 

 ─────────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ─────────。

 

 

 

 

 

此方(こっち)に来ちゃ駄目!ゴミぃちゃん!待ってる人置いていっちゃうなんて駄目!ポイント低いから!!しっしっ!』

 

 

 

 

 

『泣かないの!そんな顔しても此方(こっち)には来させないから!』

 

 

 

 

 

『今、此方(こっち)に来たらお兄ちゃんと一生口聞かないから!』

 

 

 

 

 

『あぁもう良い!?お兄ちゃん!何処にいても小町はお兄ちゃんの妹なの!其れは絶対に変わンない!』

 

 

 

 

 

『其れと、何度生まれ変わってもお兄ちゃんの妹になるから!仕方ないなぁって笑ってあげるから!だから、だから………!』

 

 

 

 

 

『頑張れ!お兄ちゃん!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────。

 

 ─────。

 

 ──────。

 

 ───────。

 

 ────────。

 

 ─────────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「起きたかい?」

 

 

 

 

「……あぁ」

 

 

 

 

 

「一週間、之がアンタが寝ていた時間サ」

 

 

 

 

 

「…其れは(まず)いな。只でさえ、ポートマフィアを馘首(クビ)になったってのに」

 

 

 

 

 

「本当かい?其れは朗報だね、之でアンタを沢山使えるよ」

 

 

 

 

 

「仕事を……厭、したくないなァ」

 

 

 

 

 

「まぁ良い。一応説明しておくと、アンタはラヴクラフトとの戦闘の後からずっと《特異点》だったのサ。太宰の言葉を借りると『過去と未来の森羅万象の“記憶”を見る“特異点”』だったから、簡単に印象深い“記憶”が想起されたり、未来の“記憶”を森羅万象から読み取っていたんだと。太宰がアンタに触れた事で元に戻ったみたいだけどねェ…身に覚えは?」

 

 

 

 

 

「…まぁそうだな、ある。補足すると『過去と未来』に加え『死後の世界』も…だな」

 

 

 

 

 

「へェ…興味深いねェ。後で報告書を出しておきなよ」

 

 

 

 

 

「ん…あと、晶子さん?」

 

 

 

 

 

「何だい?」

 

 

 

 

 

「手をそろそろ離して呉れません…?」

 

 

 

 

 

「………殴らない代わりだよ。別に良いだろう?」

 

 

 

 

 

「顔を赤らめるぐらいならやらなきゃ良いの────あ、御免なさい、其の(なた)仕舞って下さいお願いします」

 

 

 

 

 

「はぁ…其れで?臨死状態だったアンタが返ってこれた理由は何だい?」

 

 

 

 

 

「MAX珈琲が飲みた過ぎて────嘘です、すみません………云わなきゃ駄目か?」

 

 

 

 

 

「駄目」

 

 

 

 

 

「天国に居るマイプリティーシスターの小町に『今来たら一生口聞かない』って云われたから………其れ、と」

 

 

 

 

 

「其れと?」

 

 

 

 

 

「………晶子、御前との約束と…御前の笑顔だ」

 

 

 

 

 

「……っ、フンッ!」

 

 

 

 

 

「いっ!?……正直に(いら)えて此の仕打ちは酷くないですかね…?」

 

 

 

 

 

「アンタも起きた事だし、今から鏡花の入社祝いやるよ。其れとアンタの快気祝いも一緒にね」

 

 

 

 

 

「おぉ…」

 

 

 

 

 

「あぁ、そうそう。久作は探偵社にこそ入ってないけれど、鏡花と乱歩さんと仲良くしてるよ。兄、妹、弟みたいになってる。頑張りな、探偵社のお父さん」

 

 

 

 

 

 

「何故か御前の『頑張れ』はやる気が出ないンだけど」

 

 

 

 

 

「五月蝿いねェ…!はぁ、国木田呼んでくるから其処で待ってな」

 

 

 

 

 

「……あぁ、(たす)かる」

 

 

 

 

 

「あぁ八幡!其れと……!」

 

 

 

 

 

「何だよ…」

 

 

 

 

 

「……お、おかっ…………お帰り」

 

 

 

 

 

「………………………ただいま」

 

 

 

 

 

 

 此方に全速力で駆けて来る国木田の跫音(あしおと)が聞こえる。

 また、日常が非日常な毎日が始まると考えると、少しばかり億劫だ。和を嫌って、一人で行動して、自分なりの正義を為してきた俺だ。之ばかりは変わらない。

 唇が吊り上がっている?気の所為(せい)だろう。

 腐った目に阿呆毛に猫背に捻くれ思考…其れが俺のデフォなのだから。

 

 

 

 

「八さん俺はずっとずっと…う゛わ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ん゛!!」「八ぃ起きたんだって!さぁ“探偵”について語ってあげようではないか!探偵と云うのは…」「八幡さん!良い牛肉が手に入りまして…!」「あっお兄さん起きたんだ!あのね!お人形ごっこしよ☆」「………湯豆腐」「うむ、よく目覚めた八幡。流石の私も心配し、森医師(せんせい)に…」「八幡さんお早う御座います!おわっ!太宰さんちょっ!」「比企谷さん!良いワインが入りましてね!其れが何と咖喱 (カレー)に合って…!」「八幡さん!御見舞の品を…ちょっナオミ抱き着かないでって何処触ってるの!?」「あん♡もうお兄様ったらァ♡♡♡」

 

 

 

 

 

 

「俺は矢っ張り、一人が良い……」

 

 

 

 

 

 

────これにて終幕────

 

 

 

 

 





本篇完結しました!

長らくお待たせしてしまいました!申し訳ございません!
有言実行、何一つ出来ないTouAです。そんな私とこの作品をここまで読んで下さり、本当にありがとございました!

まだ謎を残している段階での終幕となります。

本篇は完結ですが、鏡花入社祝いパーティーや八幡と晶子の恋路については改稿した上で、再度投稿します。その時に纏めて伏線は回収致しますので(この一話で更に張ったとは言えない)
6月10日が終わり次第、今迄投稿していた2話は一旦消して、改稿したものを投稿、そして締めの一話で完全な完結となります。


そして謝辞を。
この作品を、900人弱お気に入りをして下さった皆さん。感想をいつもくれた皆さん。Twitterで激励して下さった皆さん。本当に有り難う御座います!


初投稿から一年半経ちました。
あと少し、もう少しだけお付き合い下さい。よろしくお願い致します!

長ったらしい私の感想は後で活動報告にでも載せます(≧∇≦)/

ではまた次回!
二人の恋路にて会いましょう!!

本当に有り難う御座いました!!

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