二人の、似て非なる孤児の少年がいた。
一人の少年は、両親から捨てられ、孤児院で受けた虐待の記憶に苦しみ、自己否定を繰り返していた。
一人の少年は、物心付いた頃から、孤独と痛みが隣に有り、貧民街の路上を
二人の人生は、一人の青年が関わる事で大きく変わることになる。
一人の少年は、武装探偵社に入社し、仲間と居場所を得て、「大切なもの」を守る為、日々強くなっていく。
一人の少年は、ポートマフィアに在籍し、戦闘の中で苦悩を昇華し、己を高めていく。
光と闇。白虎と黒獣。
表裏一体の二人が抱く孤独感と寂寥感。
そして─────。
“中島敦”は、孤児院の虐待の過去から、誰かから『生きる価値あり』と云う許可を。
“芥川龍之介”は、恩師から認めて貰いたいが為、冷酷無比な殺戮者となり、戦果を。
他者からの承認を得たいと云う欲求は、同質でこそ無いものの酷く似ていた。
其れを口にした、二人が相対する“覚悟”は家族を護らんとする強き意志の持ち主だ。
二人は激昂した。こんな奴と一緒にするな、と。
だが云い争いながら、二人は互いに背負っていた“荷物”について自然と理解していた。
故に、互いが救いとなる言葉が自然と零れた。
────苦しめる過去の言葉と貴様は本質的には無関係だからだ
────太宰さんはとっくに御前を認めていると思うぞ
二人が死地に赴くとき───。
芥川は敦の過去の幻影を断ち切り、敦は芥川を執着から解き放した。
他者を救う事だけが“救済”では無い。誰かを救う事で“自分”が救われる事もある。そう二人は思い至った。
終撃の衝突。
芥川は、黒
フィッツジェラルドは、過去を顧みず、処分可能な資産を
衝撃が地を伝い、少し遅れて音が空気の壁となって周囲に響き渡る。両者を纏う異能の光が地に降り注ぐ。
曲げれぬ覚悟の咆哮が夜霧を切り裂き、命を燃やした気迫が天を
最後に立っていたのは────二人の少年だった。
満身創痍の二人は艦版から墜ちるフィッツジェラルドを止められなかった。
何かに縋るように、何かを
「ゼルダ……君にもう一度、幸福を」
「“異能”を此の世界から消し去るのです」
鼠が天井裏を疾駆する際の耳に障る不快音の如く、聞きたくもない言の数々が鼓膜を叩く。
朦朧とする意識の中で、穿たれた
自身が垂れ流した血流に身を浸し、誰かに包まれる様な温かさを感じ得ながら、奴からの問いに答える気力を振り絞る。
「……す、る…訳………ない、だ、ろ…」
「強情ですねェ、矢張り貴方は罪深い。貴方がラヴクラフトとの“特異点”で何を
銃口を向け
異能力の臨界点を超えた行使による躰の
ならば、目前の人の形をした悪魔に魂を売る事で何かを得る事が出来ると云うのなら、其の選択肢こそ最善である可能性は大きい。“生きたい”と云う情を優先するのなら、だが。
八幡の答えは────。
「ぅ……らァッ!」
拒絶、だった。
失血に依って躰を思う様に動かせぬ筈であるのに、其の問いが余りに愚かで唾棄すべきものとして認識した事で、理性から漏れ出た激情が八幡の躰を鼓した。
左手で躰を跳ね上げ、ドストエフスキーの右腕を摑む。血濡れた右手がドストエフスキーの
───────。
「“忘、却”…し、ない?」
「
「く、そ………」
掴んだ右手が力無くして下落する。
膝が地に付き、離れる意識をどうにか留まらせようと残った力で舌を噛む。
ドストエフスキーは、最後の最後まで足掻く不格好な八幡を、どうしようもなく滑稽だ、と肩を竦める。
国木田の愛銃の“ベレッタ92F”を懐にしまい、底冷えする微笑を浮かべながら天を仰ぐ。
「罪と罰、そして一からの創造…甘美な響きです。ですが僕の望みが貴方の手に依って叶わないのならば、もう…貴方には────」
「貴方は探偵社でもマフィアでも、独り、ただ独りで罪を積み重ねてきました。
「罪の
鏡花が行き着いた場所は静謐に包まれた操舵室だ。
立ち籠める暗雲たる空気の重圧は、闇の世界に身を浸した鏡花でも息を呑む程だった。
扉を開け、最初に反応した感覚器官は耳殻。押し殺した様な嗚咽が耳朶を駆け抜けた。
「また…私は独り……
ルーシー・モード・モンゴメリ。
異能力『深淵の赤毛のアン』を有し、武装探偵社に
異能力を相手に認識され暴かれた以上、駒としてのモンゴメリの価値は激減した。だが、八幡の言葉により、一から始めてみようと雇い主であるフィッツジェラルドに頼み込み、居場所を新たに自分の手で作り出した
─────だが。
モンゴメリは
つまり、モンゴメリと云う少女は知らず知らずの内に
故に
「…………何で、此処に人がいるの?ねぇ
「…貴女を迎えに来た」
鏡花の口から出た言葉はモンゴメリの目を丸くさせた。
途端、恐怖で顔が歪み、目の光が消えて征く。不自然に釣り上がった口端は真白の頬に
「嗚呼、嗚呼、あゝ……しっぱいしたしっぱいしたしっぱいしたシッパイした失敗した!!来ないで!来ないでよ!何で来るのよ!殺される!殺される!皆死んじゃう!!」
「…落ち着いて」
「いや!来ないでよ!構わないでよ!助けて!助けてアン!」
「────ッ!」
刹那、モンゴメリの有する異能力『深淵の赤毛のアン』により、鏡花は異空間へと飛ばされ、外界と遮断され、閉じ込められた。
此の空間、此れこそ“魔人”ドストエフスキーがモンゴメリを
何故ならば、外界と遮断する異能、つまり何かを隠し通したい、此の場合、
他の
「また!またよ!また私は!なんで私だけ!私だけなの!もう独りになるのは
「………ッ!」
肉薄するアンを紙一重で躱し続ける鏡花は少しずつモンゴメリとの距離を詰める。
発狂するモンゴメリは滂沱の涙を流しながら両手で躰を抱き締める。搾取される恐怖と一切の絶望に身を震わせている。
「また!またよ!また世界は私の全部を奪っていく!居場所も友達も!命も権利も!私には何もない!幸せになる権利も何もかも!」
「そんな事、させない……!奪わせない…!」
モンゴメリの精神が不安定になるにつれて、アンの姿が歪んでいく。彼女の心情が其の儘、アンに投影されているのだ。手足の爪は鋭利な刃物に変化し、口内には喰い千切らんばかりの牙に生え変わっている。“魔人”の影響を色濃く反映していた。
鏡花の胸の内に有るのは、光の世界を見せてくれた敦の笑顔だ。奪うだけの立場だった鏡花が今、大事な物を護ろうと一心不乱でいる。
(
鏡花の心に大きく影響を与えている人間が敦以外にもう一人。
決して弱音を吐くことの無い、自分の事を決して語らず、誰よりも強く見えて、其の実、一番臆病だった人が、自分の意志で新たな世界に一歩踏み出した、其の瞬間の、一分に満たない僅かな瞬刻を、鏡花は忘れられる事が出来ない。
(私も彼の様に一歩を踏み出して
(其の
鏡花の本心だった。
ポートマフィアの一員だからと、芥川の命で動く殺人兵器では無い。
武装探偵社の一員だからと、光の世界に生きる事を渇望して、生きる価値を求めた訳では無い。
一歩を踏み出した
生きる権利は要らない。
ただ、此の世界を生きる為に迷う権利さえ有れば良い。
そして其れは既に持っていた。気付かなかっただけだった。
そして其の権利の終着点、歩んだ行く末に辿り着く“答”を、敦や探偵社の皆と共に探したい。長い時間が掛かる、若しかすると生涯見付からないかも知れない、“答”なんて有りはしないのかも知れない、そんな不確かで不明瞭な存在を。
鏡花は、それでも探したい、と。
鏡花は、それでも歩いて行きたい、と。
鏡花は、それでも此の世界を迷い続けたい、と。
それこそ
「私に、彼女を護る力を下さい……!」
強く手を握り締める。手の中には、古い携帯電話があった。
意を決して、鏡花は喉を震わせる。其の声で呼び掛ける。
殺戮の権化を、誰かを守る為に────。
今、此処に─────武装探偵社の調査員に相応しい“高潔さ”を持った、一人の少女が産声を上げた。
「───────夜叉白雪!!」
迫り来る恐怖の権化と化したアンの前に、夜叉白雪が降り立った。
刀で空間を斬り払い、アンに無数の斬撃を殺到させる。滑空し、肉薄し、鏡花の元へ行かせぬよう流麗な美技で抑える。
対するアンも鋭利な爪で刀の軌道を逸らし、手数を以って
「一人には、させない」
「何で…何でよ……私を、もう放っておいてよ、優しくしないでよ……どうせ皆、皆……!!」
夜叉白雪の一閃がアンの胸を貫き、其の儘、異能空間の壁に
アンは刀を抜こうと躰を
「白雪ッ!」
鏡花の危慮の声に呼応するかの様に夜叉白雪は、貫いた刀を力技で斬り下げ、下半身を両断する。アンは斬撃に
アンは徐々に動きが止まり、光が弾け、静かに消失した。役儀を終えた夜叉白雪も刀を鞘に収め、小さな光になり霧散した。
「あぁあぁ、あぁ……」
憑き物が落ちたのか、モンゴメリの目に光が灯り、頬が健康的に紅潮する。
簡単な話だ。モンゴメリの心情は異能力のアンに反映される、つまり“
「私は、私はずっと一人が
「私が居る、から…
未だ、震える躰を抱き締めるモンゴメリに、優しく、優しく声を投げる鏡花。
事実、モンゴメリが味わった恐怖や畏怖は計り知れない。
人が
「大丈夫だから。私達に有るのは“迷う権利”だけ。私は今迄、色々な物を奪って来たから、私は之から其れ以上の物を護って行きたい。貴女も、そして此の街も────」
「でも私は
「させない。其の権利さえも奪おうとする存在を、探偵社は絶対に
優しく、母親の様にモンゴメリの涙を拭う鏡花。
零れ落ちる涙と共に、創られた異空間が割れる様に瓦解する。鏡花の着物の裾を強く握り、胸に顔を
「これ…」
モンゴメリが胸
『アヒャヒャヒャヒャヒャッ!』
制御端末の液晶に『死の鼠』の
制御端末に有る
「
モンゴメリの震える手と自身の震える手を繋ぎ、
マフィアで培った技術を活かして、
「最初から…墜とす
制御端末の液晶、そして操作盤の
其れでも鏡花は歯を食い縛り、一度も此の現状を諦観する事なく操作を続ける。一縷の望みは
────全部話して。アンタが隠れてコソコソやっていること全部
────今度か、買い物に付き合いな
走馬灯…と云う物は本当に有るらしい。走馬灯は、死にたくない、そんな陳腐な欲望を、過去の経験に照らし合わせて最善の
皮肉なもので、独りで生きてきたと、越えるべき壁や難題は自身の力で乗り越えて来たと、そう信じていた俺が、走馬灯で想起したのは、たった一人の照れた様に願いを口にする可憐な女性だった。
此れは取り留めの無い“記憶”の一
────何が…違うのか
考える迄も無かった。阿呆らしくて少し笑みが
簡単な話だった。俗世との隔絶を経て、孤独で在ろうとした人間が、たった一人の女性の微笑みを想起して苦悩する。感傷的な響きを持たせて意味を取ろうとしても、結局のところ根は単純だった。
晶子と交わした約束は────未来への約束だった。
織田作との『
乱歩の『横浜を救おう』と云う願いはラヴクラフトを忘却した事で自身のやるべき事は達成した。
だが…晶子の願いは、交わした約束は何一つ叶えちゃいない。
買い物に行く?全部を話す?……陳家なものだ。取り留めの無い日常の一部だ。理性の化物が聞いて呆れる。
此の儘、野垂れ死ぬと云うのなら───。
異能の先の“特異点”で
最後は俺に…俺自身に……“異能”を奮う、臨界を超える────。
「“異、能力”…『本、物』」
「
────。
──────。
─────────。
────────────。
「有り得ない。貴方は……
「………ハッ」
「…
地に付けていた膝を使い、上手く立ち上がろうとするが、血を失い過ぎた
見据えるドストエフスキーは狂喜を浮かべつつ狼狽している。喜色や恐怖が
「傷も癒え…
「御名、答…」
「衣服に付着した血痕や止水した血河…既に喪失した物は再現出来ないようですね。未だ立ち上がれない事からでも、其れは推測出来ます。其れでも十分過ぎる程、常軌を逸していますが」
異能を自身に使えない、のでは無い。
俺は誰よりも弱い。肉体的なものでは無い…心の、弱さ。
何度も俺は
────“紫苑”の花言葉は“君を忘れず”なんだ。だから八君、私を忘れないでね
紫苑の言の葉は、俺に逃げる事を
自身の“記憶”から“異能力”で
其れは、呪いの様でいて、其の実、俺が俺で在るが為の“希望”だった。
────然し、今は。
乱歩が、晶子が、探偵社が…目指すべき未来が在る。
過去に囚われるのはもう…
「世界の在るべき姿を、
「比企谷君、ぼくは
「其れが君の本音かい?“魔人”フョードル・ドストエフスキー」
怒気と嘲りを滲ませた声音で魔人の背後から声を投げ掛ける青年、
両手を
「貴方が
「其れは僕よりも頭が悪いって云う自己紹介?…あゝそう、今僕を
「………流石ですね」
凡人の俺の頭脳で理解出来るのは、超人的な頭脳を持つ二人の会話と所作が理解が及ぶ範囲にない事ぐらいだ。
乱歩が
「此処は…俺に任せてくれるンじゃ無かったのか?」
「『判った』とは云ったけど、其の通りに『実行する』とは云って無い筈だけど?」
「…捻くれ者」
「うわぁ…君だけには云われたくないよ八」
魔人を
乱歩の滲ませる『余裕』の表情が俺の心を想像以上に安堵させていた。軽口を叩けるぐらい、には。
其の
「魔人君。僕は“銃”って物は人の“弱さ”の表れだと思うンだよ。自分の気に入らない物、見聞したくない物、反りが合わない物を有無も云わせず抹消する。だからさ、
「世界一を
「成、程…ね。僕も同じだよ」
「「此処までは予想の範疇」」
まるで俺を護る様に、前に立つ乱歩。
対するドストエフスキーは銃の
英雅な微笑みと冷たい微笑。ベクトルの違う天才同士の狂宴。渦中の俺は、“忘却”の
「予告しよう“
冷徹で底冷えする低音のよく通る声が耳殻を抜け、視線が集束する。
「此れは此れは…
「ほう?情報規制されている身の俺が、横浜を転覆させようとする
「…鼠は何処にでも居るものですから」
「フッ、違いない」
殺人探偵────綾辻行人。
殺人事件を犯した犯人を捕まえる探偵の意では無い。罪を犯した犯人を“殺害”する探偵の意である。故に異能特務課から『特一級危険異能者』として四六時中監視されている。
「…
「ま、そういうこと」
「理解したなら大人しく縄目の恥を受けろ。それと、
綾辻先生の淡々とした推理はドストエフスキーを
ドストエフスキーは降参の意を持つ両手を上げるが、嘲弄する笑みは崩さない。
「制御端末など持っていません。其れに止まりませんよ、
突破口が失われ、ドストエフスキーを詰問した所で情報を吐くとは思えない。
「
「黙れ。
「…そうですか、残念です」
互いに
数刻も無く、横浜の喧騒が消え逝くと云う現実で、意味を持たない会話は不毛以外の何者でもない。
「はぁ…太宰、最終手段だ」
目の前に屹立する乱歩が大きく溜息を
ドストエフスキーの捜索、及び横浜の街の警護は乱歩と太宰に一任した。故に、何が最終手段なのか知り得ていない。
だが───壱度たりとも乱歩の余裕の笑みは崩れていなかった。
「…判りました、乱歩さんの判断に従います」
『頼んだよ太宰』
「はい…」
黎明まで寸刻の空は、深夜と早朝の
太宰は乱歩と繋がっていたインカムを切ると、大きく溜息を
「国木田くぅ〜ん」
「何だ太宰、操縦中だから手は離せんぞ」
「乱歩さんからの指示だ。私の指定した場所へ向かってくれ」
太宰、国木田は海の上に居た。
国木田が操縦する双胴型の高速艇が波を切り裂く事で白い飛沫を散らし、太宰が指定した目的地へ進んで行く。
太宰は
「えっと
「身長の事は云うンじゃねェ糞太宰。殺すぞ?」
獅子の様な
ポートマフィア幹部───《羊の王》中原中也。
太宰の羽織る
犬猿の仲、そんな言葉では云い表せない二人の関係が、艦版の座椅子に座る老年の紳士を微笑ませた。
「太宰君、君が
「うん、考える限りの最悪の
老年の紳士────広津柳浪。
ポートマフィアの百人長として《黒蜥蜴》を率いる紳士然とした外見の壮年の男である。頭髪は黒と白が入り混じり、其の目は死神の
太宰は再びインカムに触り、乱歩では無くもう一つの通信先へ問い掛ける。
「鏡花ちゃん、聞こえる?」
『……うん。
「…敦君達と合流したかい?」
『
「後二分で合流して
『うん…………ご、御武運を』
通信は鏡花側から切られ、太宰は少し間の抜けた顔をした後にプッと噴き出した。
太宰と云う立場の、周りから見れば成績はきちんと残すいい加減な男が激励されるなんてことは滅多に無い。太宰が仕切るなら大丈夫、そう探偵社の面々は思い信じているからだ。入りたての鏡花にはそんな感覚は無い。是は、ごく普通な、一般的な上司への返しをしただけの事だ。
だが其れがあまりにも可笑しくて、少しだけ嬉しくて、太宰は噴き出してしまったのである。先輩として頑張らねば、と身が引き締まるのも無理は無いだろう。
「中也」
「んだよ、流石に今回ばかりは
「ヘェ…説明して御覧よ」
「街に墜ちてくる糞鯨の軌道を海に逸らす。だから
「甘く採点して
「
自信有り気に自身の考えを披露する中也を太宰は嘲笑する。太宰の返しに激昂する中也だが、太宰の常人を逸脱した頭脳に依る
「海に落とすは正解。でも横浜湾に落とした場合、総重量二万九千
「じゃあ
「簡単簡単、被害が出ない場所に
「
「まぁね♪
太宰の凍える
「
「腹立つ…!」
「もう残った手は
「一つって…
笑う太宰に不自然に口端が釣り上がる中也。
中也が口にした単語は、二人がポートマフィアとして過ごした過去を想起させる。太宰がポートマフィアを裏切り、敵対する武装探偵社に入った事で、嘗ての二人は────“双黒”は袂を分かった。
人の心を掌握するスキルに長け、戦略的に相手を追い詰めていく────太宰治。
真面目な性格と圧倒的な力を以て確実に任務を遂行していく────中原中也。
其れでも互いが互いの力量を、そして自分には無くて相手には有るものを理解している。相手に出来て、自分には出来ない事を理解している。
「私達二人が“双黒”なんて呼ばれ出したのは『汚濁』を使い、一晩で敵対組織を建物ごと壊滅させた日からだ。但し、『汚濁』は私の
太宰の問い掛けは、中也に
“双黒”の極めつけは中也の奥義である『汚濁』だ。発動すると、中也は
「選択を任せるだと?
中也の絞り出した答えは過去の経験からなる信頼の、或る種の覚悟だ。
二人は立場が変われど変わらないものがある────横浜を守ろうとする一貫した強い思い。そして危機に瀕した際には、何も言葉を交わさずとも自分のやるべき事を遂行すると云う覚悟。
つまり、太宰の問い掛けと中也の答えは、『元相棒』同士の間にある、お互いの実力に対する“不本意な絶対の信頼”は現在でも存在する事を意味していた。
中也は嵌めていた手袋を宙に投げ棄て、空を仰ぐ。遠目で視認出来るほど
「広津さん」
「皆まで云うな。私の役儀は私が一番理解している」
「流石ですね…誰かさんとは大違いだ」
「うっせ」
太宰の指示した座標に辿り着いたのか、船は何時の間にか止まっていた。
広津は立ち上がり肩幅ほどに足を開く。右手を天に突き出し、左手は右手の内腕刀に添える。
中也は“異能力”『汚れちまった悲しみに』を発動し、自身に掛かる重力を極限にまで減らす。艦版を少し蹴り、広津が突き出す右手に着地する。
「────御武運を」
「────任せろ」
広津柳浪───“異能力”『落椿』。
此れは、自身が触れたものを、互いが離す力である『斥力』で弾き飛ばすと云うもの。無論、軽量のものであれば吹き飛ばす事を可能である。
つまり、『重力操作』で極限にまで重力を減らした中也を“砲弾”、広津を“大砲”として『斥力』で
「やっちゃえ…中也」
太宰の呟きが聞こえたかどうかは判らない。
中也が『斥力』に依って宙へと飛び立つ。風圧が襲い、大気が肌を斬る。直線上に邪魔な物は重力で払っていき、常人ならものの数秒で息絶える荒業を、荒々しい笑みと共に容易く
「────汝、陰鬱なる汚濁の許容よ、
声に応える様に中也の躰に異能痕が疾走り始める。輝き、光を強め、中也の全身を駆け巡り、膨大な力を溢れ出させる。自らを重力子の化身とする『汚濁』の状態に成り得ると同時に、
「う、るァァァァあああああああッ!!」
「
相対する八幡を護る様に乱歩、綾辻は、一切の躊躇無く前へと踏み出している。
乱歩はインカムの操作し、通信先へと声を投げ掛ける。
「社長、進捗はどう?」
『雷撃の異能者を制圧。異能に
「さっすが〜!じゃあ軍警に渡しておいて」
『うむ』
ドストエフスキーの手下を捕縛する為、乱歩は探偵社の長である福沢諭吉を動かしていた。肉体一つで異能者と渡り合い、骨が無いとまで口にする福沢、孤剣士『銀狼』の名は伊達では無い。
「本当に何処までも…貴方達は私の策を潰していきますね」
「そりゃそうだよ、
「ラヴクラフトを餌に
文字通りの袋の鼠。
絶体絶命の中でもドストエフスキーは陰惨な笑みを崩さない。寧ろ、此の状況を愉しんでいるまである。
乱歩も綾辻も気を抜く事は一切無い。窮鼠猫を噛む、其れが一番怖いのだ。
「“鼠”、駄目押しだ」
綾辻が指を鳴らすと、乾いた銃声と共にドストエフスキーの胸に銃弾が吸い込まれた。
ドストエフスキーは衝撃によろけるが、其の程度。不敵な笑みは変わる事なく、三人に向けられていた。
「フッ、矢張り御前の衣服は“異能”か」
「えぇ、ぼくの衣服は部下の異能で作らせた物です。銃はおろか、
「じゃあ之なら?」
続き、乱歩が一度指を鳴らすと、何処からともなく乾いた“風”が息吹き、ドストエフスキーの外套をはためかせた。
外套の端々や衣服の繊維が何十年と時が経った様に崩れ落ちていく。
「────ッ、『風化』能力ですか」
「物理は最強でも『風化』なら通用するでしょ?」
八幡の背後に、豪華絢爛な
八幡の異能で“記憶”を操作されている為、当人は武装探偵社に所属する『スカーレット・オハラ』と思い込んでいるが、実際は
「君が八の対策として身に纏う衣服を異能で細工するだろうと踏んでいた」
「えぇ、部下の異能は『自身で編んだ仕える
ドストエフスキーの声にも表情にも諦念の相が浮かんでいた。計画していた
誰かに指示される訳でもなく、ドストエフスキーは膝を付き、後頭部に両手を持って行き、指を組む。
少し回復した八幡は観念した様に見えるドストエフスキーに云う。
「“魔人”フョードル・ドストエフスキー、御前の敗因を教えてやる」
「其れは其れは、大変興味深い…」
「御前の敗因は、
「そして───日本屈指の探偵“達”を敵に回したことだ」
「そうですねェ…大局を、趨勢を見誤りました」
善人が一度の失敗に反省するかの様に、ドストエフスキーは八幡の言を真摯に受け止めていた。
三人からしてみれば気持ち悪いことこの上無かった。出逢って数刻も無いのに、目の前に居座る“魔人”の思考が読み切れない事が判っていたからだ。之は、異常…だ。超人的な頭脳を持つ“名探偵”が二人、人の“記憶”を誰よりも見て来た男が、たった一人の人間の思考を読み解く事が出来ないのである。
「
胸を
絶体絶命の状況下、其れでいて
「ハハハーハハ!
何も無い虚空から、其の男はドストエフスキーの隣に現れた。
男は
「え?何だって?ゴーゴリ〜?大正解ー!続いての問題!私は何しに────」
「一体何処から────!」
「貴方が云っていたでしょう?ぼくの事を“
二人の探偵が気付き動く。
ドストエフスキーは手を後頭部に当てた儘、笑みを深める。
「排水溝……!辻村君!」
「オハラ君!
「もう皆さん、出題者の言葉を遮っちゃ駄目でしょ!問題の
インカム越しの相手に指示を出す綾辻と乱歩。
其の間にも“ゴーゴリ”と名乗った男はドストエフスキーに纏った
八幡はただ激動する情勢を見る事しか出来なかった。
「比企谷君…
「
ゴーゴリが
再びゴーゴリが自身を
「………」
静寂が其の場を包み、
何事も無かった様に横浜の喧騒は遥か遠くから聞こえ、少しの寂寥感をおぼえさせる。だが其れこそが、二人を取り逃がした事の
「にゃあ」
「にゃあ」
何時の間にか居た“三毛猫”が俺に肉薄する。
合点がいった。何故、乱歩の他に“綾辻”先生が“魔人捕縛”に手を貸してくれたのかと考えていた。此の猫…
「にゃっ!」
「あ痛ッ!」
三毛猫は動けない俺に飛び掛かり、顔に爪を立てると、鼻をすんっと鳴らし踵を返した。
猫の目は『しっかりしろ』とそう伝えていた。相変わらず、俺に対しての評価が手厳しい。
「比企谷君」
「綾辻先生…」
「依頼料を」
「鬼かよ。少し待って下さい…」
「はぁ…最後まで聞け。依頼料を取り立てたいが『ドストエフスキーの捕縛』と云う依頼は達成していない。依って今回は無しにして於いてやる」
「……MAX
「君以外に愛飲している者は居ないと知れ。其れは感謝では無く嫌がらせに値する」
本気で
綾辻先生は先に踵を返していた三毛猫の隣に並ぶと、三毛猫が肩に飛び乗っていた。あの綾辻先生でさえ、其の無礼千万の行為に悪態を
「乱歩…?」
「八、“
「……」
「“魔人”君…
探偵帽を押さえ、
今の乱歩は、初めての“敗北”に
「恐らく、自身の救出の合図は『手を後頭部に組む』だ。あの異能転送系の能力者に其の
「
「あぁ、奴は付けてないさ。恐らく他の仲間があの手品師にインカムを通じて報告していたんだろう」
「なら、今から
「うん、軍警と市警に頼んでる。多分、捕まらないだろうけど」
力無くして乱歩が笑う。
乱歩の云う言葉が正しいのならば、ドストエフスキーは
試合に勝って、勝負に負けた……そんな在り来たりな言葉が頭に浮かぶ。
「やァ比企谷君」
「森、
沈んだ空気を弛緩させる様に、金髪の少女“エリス”と共に森
もう既に黎明に近い。微かに溢れる陽の光が、エリスの金髪を照らしていた。
「ポートマフィアと組む事は君の提案かね?」
「いえ。でもまァ…何となく想像はしていました。太宰と乱歩に
「其れが一番の最適解、か。太宰君も丸くなったものだね、元
森
何処か安心した顔に見えるのは俺の勘違いだろうか。
俺は何故に此処へ森
「森
顔を合わせば戦争していた横浜の二つの会社が、停戦、加えて完全な協調、即ち同盟を結ぶとなると其れなりの条件がいる。
目の前にいる超合理主義者を説得させる事が出来た条件は、並大抵のものでは無い事は云わずとも判る。
「そんなに怖い顔しないで
「デフォです」
「其れは失礼。太宰君に私が呈示した条件は二つ、一つは君が掛けた私の部下の“記憶”の再起。つまり太宰君の異能力で君の異能を無効化にすること。そして、もう一つは之だ」
森
指一本、躰を動かせない俺は、其の封筒を受け取る事が出来ずにいる。森
「解、雇……」
「そう、
「
「君にとってポートマフィアとは“友との約束”で居た程度のものだろう?切っ掛けはどうであれ、ね。其れに“記憶”が
「だから────」
「其れ以上に、だ。君が今回、横浜の街を救った事に横浜の一大
聞く耳さえ持ってくれない。決定事項で俺の意は無視であると森
夢野久作…通称“Q”の所有権を巡ってポートマフィアと争わなくて済むのは俺としても
でも釈然としない。大きな事を成し遂げたとは云え、
「君は────」
「……?」
「君は、
「彼の元担当医として…医者は患者の想いに応えるのが仕事だからね」
何故か、何故か…涙が零れた。
言葉には出来ない。云い表せない。言葉にすれば陳腐にしかならないだろう。
森
少しだけ、ほんの少しだけ垣間見えた森
────幸せになりなさい
そう云われたのだ。
『生き抜くンだろ?なら戦え、抗え、挫けるな。そんな時間は無い』『足を止めれば死ぬぞ?休む事を
誰もが、足を止める事を
「有り難う…御座います」
絞り出した声は震えていた。
其の光景は────幼き頃の俺と小町を彷彿とさせた。恐らく、森
「なァ乱歩」
「なぁに?」
「俺達は、ドストエフスキーに負けた」
「うん」
「でも、横浜の街を護れた。其れだけで十分じゃないか?」
「だけど────」
「御前は俺に手を差し伸べてくれた時、何て云った?」
────手始めに横浜を救おうよ、相棒
「……捻くれ者」
「知らなかったか?長い付き合いだから知ってるものかと」
「フフ、ハッハッハッ!知ってるさ!知っているとも!僕を誰だと思っているんだい!?そう僕は────」
「世界一の名探偵《江戸川 乱歩》だろ?知ってる」
「僕の
「そうだな、後で教えて
「良いよ!さァ帰ろう!探偵社に!」
「………おう」
水平線から朝日が昇る。
夜闇が消えて行き、喧騒が再び轟き始める。
護れたのだ、と云う結果を少しずつ実感する。唇が少し綻ぶのは仕方ない事だろう。
敦は上手くやったか────。
鏡花は探偵社に入れたか────。
太宰と国木田には一杯奢ろうか────。
谷崎兄妹にも何かしなければ────。
あぁ賢治の牛丼は『大盛り』にしてやるか────。
社長には湯呑みでも買おうか────。
乱歩には探偵物を新調してやろう────。
Q…久作は笑顔で未来を迎えさせないと────。
晶子には何を…厭、謝るのが先か────。
展望した未来を見据えて未来を考える。
やってきた事の様でやってこなかった事だ。躰がぼろぼろだから晶子に怒られる事を除けば、斟酌し切れない未来はとても明るい。
「八、愉しそうだね」
「…そうか?」
「うん」
「…なぁ、乱歩」
「何だい八幡」
「少し…寝て良い、か?」
「駄目」
「……そう、云うな、よ…」
「駄目だ…!」
「今迄、無い、くら、い……頑張っ、たンだ、から…………」
「駄目だ…!寝るなんて
「八………?」
「八……!」
「八ッ!」
────。
─────。
──────。
───────。
────────。
─────────。
─────────。
『
『泣かないの!そんな顔しても
『今、
『あぁもう良い!?お兄ちゃん!何処にいても小町はお兄ちゃんの妹なの!其れは絶対に変わンない!』
『其れと、何度生まれ変わってもお兄ちゃんの妹になるから!仕方ないなぁって笑ってあげるから!だから、だから………!』
『頑張れ!お兄ちゃん!!』
────。
─────。
──────。
───────。
────────。
─────────。
「起きたかい?」
「……あぁ」
「一週間、之がアンタが寝ていた時間サ」
「…其れは
「本当かい?其れは朗報だね、之でアンタを沢山使えるよ」
「仕事を……厭、したくないなァ」
「まぁ良い。一応説明しておくと、アンタはラヴクラフトとの戦闘の後からずっと《特異点》だったのサ。太宰の言葉を借りると『過去と未来の森羅万象の“記憶”を見る“特異点”』だったから、簡単に印象深い“記憶”が想起されたり、未来の“記憶”を森羅万象から読み取っていたんだと。太宰がアンタに触れた事で元に戻ったみたいだけどねェ…身に覚えは?」
「…まぁそうだな、ある。補足すると『過去と未来』に加え『死後の世界』も…だな」
「へェ…興味深いねェ。後で報告書を出しておきなよ」
「ん…あと、晶子さん?」
「何だい?」
「手をそろそろ離して呉れません…?」
「………殴らない代わりだよ。別に良いだろう?」
「顔を赤らめるぐらいならやらなきゃ良いの────あ、御免なさい、其の
「はぁ…其れで?臨死状態だったアンタが返ってこれた理由は何だい?」
「MAX珈琲が飲みた過ぎて────嘘です、すみません………云わなきゃ駄目か?」
「駄目」
「天国に居るマイプリティーシスターの小町に『今来たら一生口聞かない』って云われたから………其れ、と」
「其れと?」
「………晶子、御前との約束と…御前の笑顔だ」
「……っ、フンッ!」
「いっ!?……正直に
「アンタも起きた事だし、今から鏡花の入社祝いやるよ。其れとアンタの快気祝いも一緒にね」
「おぉ…」
「あぁ、そうそう。久作は探偵社にこそ入ってないけれど、鏡花と乱歩さんと仲良くしてるよ。兄、妹、弟みたいになってる。頑張りな、探偵社のお父さん」
「何故か御前の『頑張れ』はやる気が出ないンだけど」
「五月蝿いねェ…!はぁ、国木田呼んでくるから其処で待ってな」
「……あぁ、
「あぁ八幡!其れと……!」
「何だよ…」
「……お、おかっ…………お帰り」
「………………………ただいま」
此方に全速力で駆けて来る国木田の
また、日常が非日常な毎日が始まると考えると、少しばかり億劫だ。和を嫌って、一人で行動して、自分なりの正義を為してきた俺だ。之ばかりは変わらない。
唇が吊り上がっている?気の
腐った目に阿呆毛に猫背に捻くれ思考…其れが俺のデフォなのだから。
「八さん俺はずっとずっと…う゛わ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ん゛!!」「八ぃ起きたんだって!さぁ“探偵”について語ってあげようではないか!探偵と云うのは…」「八幡さん!良い牛肉が手に入りまして…!」「あっお兄さん起きたんだ!あのね!お人形ごっこしよ☆」「………湯豆腐」「うむ、よく目覚めた八幡。流石の私も心配し、森
「俺は矢っ張り、一人が良い……」
────これにて終幕────
本篇完結しました!
長らくお待たせしてしまいました!申し訳ございません!
有言実行、何一つ出来ないTouAです。そんな私とこの作品をここまで読んで下さり、本当にありがとございました!
まだ謎を残している段階での終幕となります。
本篇は完結ですが、鏡花入社祝いパーティーや八幡と晶子の恋路については改稿した上で、再度投稿します。その時に纏めて伏線は回収致しますので(この一話で更に張ったとは言えない)
6月10日が終わり次第、今迄投稿していた2話は一旦消して、改稿したものを投稿、そして締めの一話で完全な完結となります。
そして謝辞を。
この作品を、900人弱お気に入りをして下さった皆さん。感想をいつもくれた皆さん。Twitterで激励して下さった皆さん。本当に有り難う御座います!
初投稿から一年半経ちました。
あと少し、もう少しだけお付き合い下さい。よろしくお願い致します!
長ったらしい私の感想は後で活動報告にでも載せます(≧∇≦)/
ではまた次回!
二人の恋路にて会いましょう!!
本当に有り難う御座いました!!