和を嫌い正義を為す   作:TouA(とーあ)

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大それたサブタイですけど。之しかない。勘の良い皆さんは分かってしまうかもしれませんが。


今回は《現代》→《大過去》といきます。


前回に引き続き、《大事な回》です。八幡、ヤハタが何を行ったのか、其れを明らかにしていきます。

下に一応前回と同じ紹介を載せておきます。


◎比企谷八幡《14歳》親を恨む。小町を守るため、時任に教えを乞うた。

◎比企谷小町《12歳》 八幡の妹。父に襲われそうになった所を・・・

◎紫苑(しをん)《14歳》
能天気で天然。口癖は“なぁなぁ” 。14歳の割にグラマラス。
ヤクザの頭領を張っていた両親を先生によって殺される。其のあと先生の世話になる。

◎奏恵(かなえ)《12歳》
大人しく、とても優しい。弟に甘い。小町と親友。

◎尚樹(なおき)《8歳》
超元気。小町大好き。将来の夢は“パイロット”。奏恵の弟。

◎先生(時任謙作)《43歳》前“政府の五剣”の一人。
比較的優しい。孤児を育てている。孤児院では無く、友人に譲ってもらった“廃寺”で六人暮らし。
とんでもない過去の持ち主。かなり前から肺を患っている。



では第二章 十五話 どうぞ!!




告白

 現代《電車 六車両》

 

 

「来ないで」

「そうは……行かない!!」

 

 敦は鏡花に向かって駆け出した。

 鏡花は驚愕の表情を浮かべた。其れと相反して“夜叉白雪”が敦に凶刃を振るう。

 敦は躰を倒し、凌ぐ。だが刃が頬を掠め血が滲んだ。刃は敦を通り過ぎ、電車のドアを切り裂いた。敦は瞬時に体勢を立て直し“夜叉白雪”に向かい合ったが……一刻遅かった。

 夜叉から振り降ろされる凶刃から敦は自身を守る術を持っていなかった。だが()()で後方に跳ねた。敦は無意識に動いていた。敦の中にある野生の……野獣の嗅覚。

 

(此の感覚は八幡さんの時と同じ……僕とは違う何かの……野生の、野獣の───“虎”よ)

 

 敦の右手が光に包まれる。再び迫り来る夜叉の凶刃に右手を頭上にかざした。

 “夜叉白雪”の凶刃は敦の腕を斬り落とすことは無かった。刃は、白い毛並みが生き物の様に噴き出した右腕に依って防がれていた。

 

「……」

 

 静寂が一刻だけ支配する。先に動いたのは“夜叉白雪”だった。

 夜叉は一度刀を引き、閃光の如く敦に刺突する。ビュンと風を斬る音が突きの速さを表している。

 

(深い呼吸を心掛けろ。視野を広げろ。足を止めるな)

 

 敦は八幡からの助言(アドバイス)を繰り返す。極限にまで集中した敦の目は“虎眼”と化し、閃光の如き“夜叉白雪”の動きを容易に捉えた。猫科の全体視野と眼球運動(サッケード)は人より上なのだ。

 眼球運動(サッケード)とは素早く動く対象をとらえるときの眼球運動の事である。猫はこの眼球運動(サッケード)が非常に得意であり、垂直運動で1秒間に250度、水平運動で1秒間に150度という速度で目を動かすことが出来る。

 

 動きを捉えた敦は“夜叉白雪”の刺突で伸びきった腕を虎化した右手で弾く。強烈な一撃が“夜叉白雪”を襲い、刀が夜叉の手から離れた。

 

 敦は好機を逃さず、瞬時に虎化した右手を鏡花の首筋に立てた。少しでも動けば虎の獰猛な爪が喰い込む。其の状況に追い込まれても鏡花の表情は一つも変わらない。

 

「終わりだ。此の能力を止めて爆弾の場所を教えろ」

「私の名前は鏡花。六ヶ月(むつき)で三十五人殺した。一番最後に殺したのは三人家族。父親と母親と男の子。夜叉が首を掻き斬った」

「突然何を……何てことだッ」

 

 鏡花は自身の着物をはだかせた。敦の目に飛び込んで来たのは幼い少女に取り付けられた大きな爆弾。そして感情の無い少女の表情。

 

「君は何者なんだ……言葉からも君自身からも何の感情も感じない。まるで殺人機械(マシン)だ」

「……」

「言葉にしてくれ。望みがあるなら言葉にしなきゃ駄目だ。こんな事が君のしたい事なのか!?」

「……ッ」

 

 鏡花の顔に動揺が走ったのを敦は見逃さなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 同時刻《第一車輌》

 

 

八幡(ヤハタ)君! 果断なるご婦人の前で証明したまえ! ボクの実験の素晴らしさを!!」

「……」

「おい! 云い逃れはできないぞ! 君は確かにボクの前で実験について語ったんだ」

「……そうですね。実験は実に上手く行きました。私の“記憶”に強烈な印象を残してくれました。感謝しています」

 

 そう云って八幡(ヤハタ)は梶井に手を差し伸べた。梶井は八幡(ヤハタ)の手を取り強く握手を交わした。梶井は満足気な笑みを浮かべた。八幡(ヤハタ)はゆっくり口を開く。

 

「“異能力”『本物』────【Re:production(再 生)】」

 

 梶井を朱殷(しゅあん)色の光が包み込む。咄嗟の出来事に梶井は身動きが取れなかった。驚いたのは梶井だけでなく、目の前に相対している与謝野もだった。

 

 梶井の頭に流れ込んで来る、(いや)、再び組み直されていく()()()()()

 

 途轍もない情報量による頭痛に梶井は片膝を付いた。頭を襲う鈍痛に藻掻く。そして絞り出した声は怒りを伴っていた。

 

「君は……ボクの部下でも、ましてやポートマフィアでもない……」

「……」

「ボクはずっと君の掌の上だった訳だ。君と出逢った時からずっと……」

「……」

「ふふふ……アッハッハッハッ!! やってくれたね! 此処までボクを虚仮(コケ)にしてくれたのは君が初めてだよ!!」

「……」

 

 憤怒に染まる梶井に対して、何処までも冷徹でいる青年。

 

(だんま)りかい? ホント……ホントに…………ムカつくね君は!! ボクの実験を(ことごと)莫迦(バカ)にしやがって!!」

「……」

「どうせ君は二車輛目に仕掛けた爆弾を乗客に報告したンだろ!? 科学の究極で不可逆なる“死”を(ないがし)ろにしやがって!!」

「……」

「あぁそうか……君が“(シャドー)”だな!! 何の異能かは知らない。が、ボクを弄んだ其の力があればポートマフィアを動かすことなんざ朝飯前だろうからね!」

「……」

「何か云ったらどうだ!? “(シャドー)”君よ!?」

 

 薄笑いを浮かべ、一言。

 

「…………梶井さんは」

「あぁッ!?」

「俺にとって愚鈍で滑稽で梼昧(とうまい)で厚顔無恥の良き傀儡(かいらい)でした」

「此の畜生がぁッ!!!」

 

 堪忍の尾がきれた梶井は自身が携帯していた檸檬爆弾(レモネード)八幡(ヤハタ)に向け、ばら撒いた。

 其の数は十を超えている。梶井の“異能”の特性上、梶井自身には檸檬爆弾(レモネード)毀傷(ダメージ)を受けることは無い。

 此の量の檸檬爆弾(レモネード)が爆発すれば間違いなく四肢が吹き飛び死体など跡形も無くなるだろう。

 

 ────爆発しない。

 

「なっ何故だ!?」

「貴方が先程、自分で仰っていたじゃないですか。()()()()()()()()()()()()()()…………と」

「真逆、此処まで持ってくる時に!?」

「細工をしてない訳が無いでしょう? 貴方が今ばら撒いたのは唯の“檸檬”ですよ。貴方が最初から携帯していた檸檬爆弾(レモネード)は二つ。其の内の一つを二車輛目に。もう一つを其処のご婦人に使ったでしょう?」

「では今ボクが持っているのは(すべ)て偽物……」

「えぇ。(ちな)みに車掌も死んでません。気絶させただけです。血は血糊です」

「莫迦なッ!! ボクは脈拍も測ったぞ!」

「之ですよ」

 

 八幡(ヤハタ)は懐から『シリコンゴム製の詰め巻き』を取り出した。其れは役者が体型を変える時や顔の造形を変えて変装する時に使う物だ。

 

「ボクが車内放送に気を取られている隙に其れを貼った……ゴムにより脈拍を抑えて瀕死を装ったのか。本当にやってくれるね君は!」

真実(ネタ)ばらしも終えましたし、そろそろ終わらせましょうか。これ以上語っても時間の無駄ですから」

「ぐぬぬ……ウワァァァァァ!!!」

 

 何を錯乱したのか梶井は八幡(ヤハタ)に向かって拳を振りかぶった。まぁ此処まで自身が築き上げてきた地位や誇り(プライド)を莫迦にされれば錯乱する気持ちも判らない事は無いが。

 

 

時任流(ときとうりゅう) 連之型(れんのかた) “羅刹”」

 

 

 一撃────。

 ()ち上げに依る掌底で顎を撃つ。響き渡る顎の粉砕音。

 二撃────。

 高速で撃ち出される肘鉄が胸に突き刺さる。響き渡る胸骨の破砕音。

 三撃────。

 自身の体重を凡て乗せた神速なる拳が鳩尾を抉る。凡ての痛苦を無に帰す終撃。

 

 

 “羅刹”は破壊と滅亡を司る神である。技の由来は言わずもがな仏教から取り入れられている。

 形容し難い連撃に襲われた梶井は意識を失った。其れは痛みの所為(せい)なのか終撃の一撃に依るものかは判らない。唯、無惨だった。

 

「晶子、頼む」

「どちら様ですか? (アタシ)八幡(ヤハタ)なんて人間知らないよ」

先刻(さっき)、普通に俺だって判ってただろうが……何なら腹抱えて笑ってましたよね??」

「聞こえない聞こえなーい」

 

 耳を塞いでそっぽを向く与謝野。

 其の態度に口をへの字に曲げる青年。

 

「……俺は八幡(ヤハタ)じゃない。比企谷八幡(ハチマン)だっつうの」

「じゃあ此の阿呆を治して欲しいのは八幡(ヤハタ)としてなのかい? 八幡(ハチマン)としてなのかい?」

「……八幡(ヤハタ)として、だな」

「じゃあ依頼料取るよ」

「この(アマ)……」

 

 悔しさと呆れで顔を歪ませる八幡に勝ち誇った様に笑みを浮かべる与謝野。

 

(いや)なら(いや)でも良いよ。梶井(コイツ)なら市警に渡しても死刑。良くて無期懲役だからね。別に困らない」

「はぁ。判った、判ったよ。依頼料は?」

「────全部話して。アンタが隠れてコソコソやっていること全部」

「……判った」

「あと…………」

()だ有るの?」

 

 与謝野は振り返り、八幡に顔を見せぬ様、呟く。

 

「今度……か、買い物に付き合いな」

「………………全部、片付いたらな」

 

 八幡は車掌の介抱と梶井の治療を与謝野に任せ、自身は後部車両へと急いだ。八幡の“異能”で梶井の“記憶”をさらった時、梶井には後部車両に設置した爆弾の情報が全くと云っていい程なかった。

 

(つまり、“三十五人殺し”自身が持っている可能性がある)

 

 爆弾の停止(ボタン)も含めてである。八幡は“三十五人殺し”には敦が付いている事は知っていた。だが其れは“信頼”と云う綺麗なものでは無く、もっと歪な何かだった。

 

 八幡は二車輛、三車輌と駆け抜け、乗客が避難している四車輛目に差し掛かった時、八幡の目が線路下の川に飛び込む()()()()()の姿を捉えた。

 

 八幡は咄嗟に携帯を取り出し、或る電話をコールした。

 

「二人を守れ! “夜叉白雪”!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 同時刻《六車輛》

 

 

「君は爆弾の停止(ボタン)を持っている筈だ」

「……」

 

 鏡花は停止(ボタン)()()()()()()()()を目の前に居る敦に渡した。

 敦は受け取って直ぐに其の(ボタン)を押した。之でひと段落と思った瞬間。

 

 ビィィィィ!!! と明らかに不審な音が六車輛を満たした。驚愕したのは敦だけでは無い。鏡花もだった。鏡花の携帯から無機質な声が響く。

 

『其れを押したのか鏡花。解除など不要。乗客を道連れにし、マフィアへの畏怖を俗衆に示せ』

 

 ツーツーツー……電話が切れると同時に爆弾の無機質な機械音が大きくなる。二人は爆発まで十もないと理解させられた。

 

「爆弾を外すんだッ!!」

「間に合わない」

 

 敦は鏡花の細い腕に突き飛ばされた。敦は既に満身創痍だった為、抵抗出来なかった。だが躰は動かなくても頭は働いていた。

 

 ────僕は漸く気が付いた。

 ────彼女の能力は何時も携帯からの声で動いていて、一度だって彼女の為に動いていない。

 ────如何(どう)して気付いてあげられなかったンだ! 

 ────彼女は自分の異能力を自分で操れないンだ!! 

 

 気付いた所で満身創痍の敦の躰は動かない。敦の視線が鏡花に釘付けになる。鏡花は自身が封じていた今までの思いを吐き出した。

 

「私は鏡花。三十五人殺した────もうこれ以上、一人だって殺したくない!!」

 

 鏡花は“夜叉白雪”が斬り裂いたドアから身を投げた。

 鏡花の決死の慟哭は敦の躰を駆け巡り、奮い立たせた。

 

 敦は脚に全神経を注いだ。敦の脚の毛が逆立つ。皮膚が波打ち、ん骨が異常な成長音をたてる。白い毛並みが生き物の様に噴き出し、脚部を覆う。

 

「ウオォォォォ!!」

 

 敦の脚は紛れもなく“虎の脚”だった。虎の脚力で敦は鏡花を目掛けて電車から跳躍した。

 敦は鏡花に追い付くと、“虎化”した右手で鏡花に取り付けられていた爆弾を引き千切った。其の勢いで其の儘、電車とは真逆の宙に投げる。……が。

 

 ドオォォォォォン!! と梶井が『月まで飛べる量の爆弾』と云った通り爆弾の威力は凄まじいものだった。川に着水する前に敦と鏡花に爆炎が迫る。

 

『二人を守れ! “夜叉白雪”!!』

 

 再び鏡花の携帯から声が漏れる。其の声は先程の無機質な声とは打って変わり、二人の身を案じるような優しく強い声だった。

 鏡花から“夜叉白雪”が発現し、二人を爆炎から守る様に優しく抱きしめる。爆炎は夜叉の背を焼いた。二人は爆炎に晒される事はなく、川に着水した。

 

却説(さて)如何(どう)する? 敦」

 

 二人の安否を電車から確認した八幡は一人、虚空に呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 十二年前《廃寺》

 

『薬? 先生の?』

『うん。時任(ときとう)先生、体調が何時もより悪いから。八幡お兄ちゃん行ってきてくれる?』

『まぁ善いけど……住所を記入した地図は有るか?』

 

 八幡は住所や電話番号が記入されている地図と時任の診断書を奏恵(かなえ)から受け取った。

 普段、時任(ときとう)に付き添って街へ出るのは奏恵(かなえ)だ。理由は至極単純で、奏恵(かなえ)は真面目で誠実でしっかり者だからだ。

 時任が街へ出る時、八幡は留守番している他の皆を守る役目を任され、小町は家事を任される。尚樹は齢が八と未熟で紫苑(しをん)は抜けている所がある為、消去法でも奏恵が選ばれるのだ。…………が。

 

『ほら八君。れっつごーだよ』

『……なんで紫苑(しをん)が居るの? 奏恵さーん??』

『あははは……八幡お兄ちゃん、紫苑お姉ちゃんを宜しくね』

『あー…………判った』

 

 八幡は奏恵が云いたい事を悟った。

 時任(ときとう)の容態が悪い今、此処での家事を担う小町と奏恵(かなえ)は離れられない。こう云う時、小さな男の子は何でも時間を潰せる術を持っている。よって尚樹は問題無い。

 然し廃寺に紫苑(しをん)が居れば忙しい二人を助けようと躍起になる事は判っていた。誰よりも優しい紫苑だが、家事が壊滅的である為、(すべ)てが悪い方向に行く事は自明の理だった。

 

(紫苑は優しい女の子だから。そう、優しいから俺は……)

 

 苦悶の表情を浮かべる八幡とは真逆に、紫苑は鼻歌交じりに目的地へ歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《とある街》

 

『…………此処? 此処なの?』

『そだよ。お邪魔しまーす』

『お、おい……』

 

 奏恵(かなえ)から渡された地図を頼りに街を歩いていると、裏路地へと入った。裏路地は日中にも関わらず薄暗い。

 辿り着いた先に見えるのは如何にも怪しげな家だった。紫苑は何度か来た事がある様で躊躇いなく暖簾をくぐった。八幡は尻込みしながらも紫苑に続いた。

 

『おじいちゃーん。来たよぉ〜』

『はて? どちらさんかのぉ……』

『私だよぉ。紫苑(しをん)だよぉ』

『おぅ? おっ紫苑(しをん)ちゃんか。随分と久しぶりじゃのぉ。ん〜色々大きくなったのぉ。ホッホッホッ』

 

 助平翁の戯言に一瞬感情が沸騰したが、直ぐに落ち着かせる八幡。

 怒る理由も、怒っていい理由も、何一つ見つからなかったからだ。

 

『もう〜おじいちゃんのえっち』

『ホッホッホッ。(ところ)で謙作君は如何(どう)したんじゃ?』

『えっとね〜えーと……』

『私が説明します』

 

 “時任謙作”

 之が時任の本名である。

 八幡の目の前に現れたのは独特の雰囲気のある初老の男性だった。年は六十くらいだろうか。どうやら此の男性が薬屋らしいと八幡は思った。

 紫苑(しをん)が言葉に詰まったのを機に八幡は口を開いた。

 

時任(ときとう)は容態が悪化しています。之が渡された診断書です』

『ふむ。預かろう。(ところ)で君は?』

『比企谷八幡と云います。この度は時任(ときとう)奏恵(かなえ)の代理として来ました』

『君がそうか……話は聞いておるよ。薬を持ってくるから暫し待っておれ』

 

 そう云って老人は奥へ消えて行った。妙な空間が辺を支配する。紫苑(しをん)は相変わらず鼻歌を歌っている。

 

『八君は此処は初めてなの?』

『……あぁ』

『……そうなんだ』

 

 沈黙が支配する。沈黙が降りてしまった理由は自身にあるのだと八幡は理解していた。其れをどうする事も出来ないのも判っていた。唯、息苦しさと寂寥感だけが八幡を蝕んでいた。

 

『ほれ。二週間分じゃ』

『有り難うございます』

『ありがと〜おじいちゃん』

 

 薬屋の老人が奥から出てきて、薬を八幡に渡した。加えてお菓子や飴玉も渡された。

 八幡は此処に入って来た時から思っていた疑問をおそるおそる口にした。

 

『すみません。あの此処の薬屋は……其の……』

『んん? おそらく君の思っている通りじゃよ。怪我や病気に掛かっても病院に通えない、まぁ要するに“裏の仕事”をしていて足がついては成らない人用の薬屋じゃよ。儂も昔は活躍しとったんじゃが……。謙作君は昔からの常連じゃよ』

『そうでしたか……有り難うございました』

『またね、おじいちゃん!』

『おうおう。年寄りの楽しみにしとくわい。何時でも来ておくれ〜』

 

 お菓子を抱えた紫苑は上機嫌のまま薬屋を飛び出した。八幡は苦笑し暖簾をくぐろうとした、其の時。

 

『八幡君と云ったかの』

『は、はい』

 

 老人は先程の雰囲気とは違い、其の眼光は歴戦の猛者そのものだった。八幡の声が上擦るのも無理はなかった。

 

『世界を恨むな』

『え?』

『君が思っているより世界はずっと広く、君を包み込んでくれている』

『……』

『大切な事は、大切な答えは、身近に居る大切な女の子が教えてくれる。儂の経験から云うンじゃ。間違いない』

 

 そう云った老人は優しい眼差しを八幡に向けた。口元には笑みが浮かんでいる。

 

『後悔のないようにな。またおいで』

『……はい。有り難うございました』

 

 薬屋から出た八幡は薬屋の前に紫苑(しをん)が居ないことに気付いた。

 

(あの阿呆……)

 

 八幡は駆け出した。路地裏から出て辺りを見渡す。

 紫苑(しをん)は花屋の前で座って何かを眺めていた。八幡は息を整えて紫苑に声をかけた。

 

『何してる?』

『えっとねー』

『何で一人で行くんだよ?』

『ご、ごめんなさい……』

『心ぱ…………(いや)、何でもない。其れで何してる?』

 

 心配しただろうが、と八幡は云えなかった。其れを隠す様に紫苑に問うた。紫苑は八幡の方を向く事はなく、唯、或る花を見ていた。

 

『此の花を見てたの。 』

『花?』

 

 紫苑が眺めていた花は周囲に薄紫の舌状花が一重に並び、中央は黄色の筒状花の花を咲かせていた。花にしては中々大きく、背丈は一(メートル)ほどある。

 

『どう云う名前の花か知ってる?』

『……知らん』

『私と同じ。“紫苑(しをん)”って云うの』

『……よく知ってるな』

『うん、お母さんが大好きなんだ。お父さんとお母さんが結婚できたのも紫苑(この花)のお蔭だって云ってた』

『────ッ』

 

 両親を失った事情を失わせる原因となった男から聞かされている八幡はこの話をどう捉えたらいいのか判らなかった。口を開くも言葉がでない。

 

『家の家紋も“紫苑(しをん)”だったンだ。凄いでしょ?』

『……あぁ』

『……後ね。私はこの花の花言葉が大好きなの。八君知らないでしょ?』

『……知らないな』

『“紫苑(しをん)”の花言葉は“────────”なんだ。だから八君。私を────────』

 

 そう云って微笑んだ紫苑(しをん)の顔は八幡の“記憶”に刻みついた。何時もより可愛くて、何時もより切ない笑顔だった。

 

『帰ろっか』

 

 八幡は無言で紫苑が抱えていたお菓子の袋を奪った。紫苑(しをん)は何かを云いかけたが、何も云わずただ微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《帰路》

 

『ねぇ八君。私のこと嫌い?』

『……え?』

 

 唐突な質問に八幡は足を止めた。八幡の前を往く紫苑(しをん)は振り返らない。

 

『私のこと避けてる。私と話す時、怖い顔する』

『別にそンな事ねェよ……』

 

 八幡は口を閉ざした。続く言葉を持たなかったからだ。

 以前、時任(ときとう)に問われて以来、自分から距離を取っていた事を紫苑(しをん)は理解していた。何時もは鈍感なのに人の感情や気持ちについては敏感だった。其れが優しさ故であると八幡は理解していた。

 紫苑は八幡の方へ引き返した。紫苑と八幡の距離は一(メートル)ほど。

 

『私ね、八君と話してると心がポカポカするの』

『何で急に…………』

『でもね。最近は八君と話していると胸がチクチクするの』

『…………』

『八君は私と話している時、今にも泣きそうな顔をするの。其の顔はね、私がはじめて先生と出逢った時とそっくりなんだ』

『────っ』

 

 自分の過去を遺恨もなく、八幡に語り掛ける様に話す紫苑は自分よりも心が強いのだと八幡は理解させられた。

 其の姿は過去に囚われている八幡にとって……

 

如何(どう)して…………紫苑はそんなに強いンだ?』

『?? 私強くないよ?』

『あーそう云う意味じゃなくて…………』

『んーとね。私、お父さんとお母さんにね、何時も「強く優しい子で在りなさい。仮令(たとえ)、私達が紫苑(しをん)の目の前から居なくなっても優しさだけは忘れちゃいけないよ」って云われてたんだ。答えになってる?』

『…………あぁ』

 

 其の言葉だけで八幡は紫苑がどれだけ愛されていたのかを悟った。死と隣り合わせの紫苑の両親にとって、愛情を注ぐ事に躊躇いのない唯一の存在だったのだ。

 八幡とは全く違うのだ。

 

『俺は……』

 

両親(あの一件)で愛情や優しさと云う甘い真実は残酷であると知った。嘘が優しいのだと云うのならば逆説的に優しさは嘘なのだと。そう、諦観した)

 

『俺は…………』

『うん』

 

(過去に拘泥しない其の心の強さが)

(誰にでも優しく在れる其の姿が)

(人を信じる事が出来る其の愚直さが)

 

『────俺は紫苑が眩しい……眩し過ぎるンだよ』

 

『そっか』

 

(俺と小町がはじめて廃寺(あの場所)に訪れた時、最初に話し掛けてきたのは紫苑だった。紫苑は土足で俺の心に踏み込んで来た。何時も笑顔で優しく俺を迎えた)

 

(其の優しささえ嘘なのだと。現実は残酷で冷淡なのだと。俺は紫苑の優しさに縋りそうになる度に、彼我の距離を考え、置いてきた。其れでも無軌道で無制御な信頼を何処か俺は紫苑に置いていた)

 

(先生の話で紫苑の優しさが身を切るような思いをし、悩んで、苦しんで、其の上で絞り出されるものだと知った。紫苑の優しさは両親との絆であり、両親との約束であるものだと俺は知った)

 

(そんな紫苑の完遂された美しい“優しさ”に安易に委ねてはならない。結果、自身の傲慢に依る過ちの果てに気付いたのだ。俺は他人の為に自分を傷つけることがただ、ただ、怖くて、手を差し伸べられない心なき人形なのだと)

 

(紫苑は、邪智暴虐で自分勝手で何かが壊れた俺の傍に何時も居てくれる。其の“優しさ”さえ信じる事が出来ない自分が……)

 

『────俺は俺が嫌いだ』

 

 不意に二人の距離が近づいた。紫苑が八幡に向かって一歩踏み出した為だ。八幡は紫苑から目を逸らした。紫苑の顔を見れなくなったのだ。

 

 紫苑は両腕を伸ばして八幡の頬を両手で優しく包んだ。

 八幡は目を逸らしていたが、紫苑のはじめての行動に内心驚き、視線を紫苑に戻した。

 

 紫苑の目には今にも決壊しそうな程、涙が溜まっていた。

 

『私は八君が好き』

 

 八幡は言葉の意味を理解するのに時間が掛かった。確かに紫苑は八幡に『お嫁さんにしてくれる?』と云った事はある。だが、そんなものは戯言なのだと何時も自重し流していた。

 真っ直ぐ向けられる感情に八幡は思考と躰が止まってしまった。

 

 

 ────────。

 

 

『お、おまっ…………』

『えへへ。私のはじめて八君にあげちゃった』

 

 二人の顔が離れる。二人して頬を真っ赤に染めている。其れは夕陽の所為(せい)では無いだろう。そして紫苑は決意に満ちた声で八幡にゆっくり語り掛けた。

 

『八君が困っていたら傍にずっと居て支えるよ』

 

『八君が迷っていたら私が相談に乗るよ』

 

『八君がもっと自分の事を嫌いになったらもっともっと私が好きって云うよ』

 

 

 八幡は全身に血が巡るのを感じた。八幡を見つめる紫苑の目は潤んでいる。其れでも八幡は聞かずにはいられなかった。

 

如何(どう)して…………そんなに、俺を……』

 

『────好きだからだよ』

 

『────っ』

 

『八君が私の気持ちを信じられないなら行動で示すよ。大好きだって。伝わるように。待たないでこっちから行くよ』

 

『好きだからって其れは……』

 

『好きって気持ちはね。世界で一番、綺麗で純粋で温かいんだよ。之が私の“本物”の気持ち』

 

『本……物…………』

 

『うん。私の一番大切で一番大好きな気持ち』

 

 

 八幡は思い出していた。薬屋の老人の言葉を。

 

《大切な事は、大切な答えは、身近にいる大切な女の子が教えてくれる》

 

 八幡は思い出していた。師の時任(ときとう)の言葉を。

 

《君の“本物”は直ぐ傍にあるのだから》

 

 

 

『俺は…………』

 

『うん』

 

『考えても答えは出ない。どうすれば良いのかも判らない。残ったのは唯の我儘だ』

 

『うん』

 

『俺は欲しいものがある。でも其れは俺一人じゃ見つからない。だから……』

 

『うん』

 

『だから……だから…………』

 

『うん』

 

『手伝って……くれるか』

 

『うん。判った。はじめて八君が頼ってくれた。嬉しいなぁ……』

 

『…………日が落ちるまでに帰るぞ』

 

『うん。えへへ〜〜』

 

 八幡は意味もなく空を見上げた。橙色の空は少し滲んでいた。(いや)、滲んでいるように見えただけだった。

 

 二人の距離は少しだけ、ほんの少しだけ近付いた。

 

 

 




第二章 十五話目 お読み頂き有り難うございます。


如何でしたか?八幡が居るだけで少しずつ原作と変わっています。

それで今回と前回の話ではじめて・・・

八幡(ヤハタ)八幡(ハチマン)

と読者の皆さんに明かしました。まぁ気づかなかった人はいないと思いますけど。タハハ・・・


今回の前半の現代の話では、梶井にはネタバレを行い、撲殺寸前の威力を持つ打撃を叩き込むという可哀想なことをしました。心と躰はボロボロですよ。アハハ・・・
“時任流”のエグさを感じていただけたなら幸いです。

後半の大過去編では、八幡が人に対して一歩踏み出すまでを書いています。過去からほんの少しだけ解放された八幡を感じていただけたならいいなと思います。

今回と前回の話で“番外編”でなぜ、与謝野に対して八幡が躊躇っていたのかが判ってくれたと思います。大過去編に関してはこれからが本番なのですがw


イチャイチャや明るい大過去編はここまで。此処からは覚悟して下さい。でもみなさんは何となく結末判ってるんじゃないかなぁと思ってます。勝手に。



以後謝辞。

UA数を3万超え、お気に入りも四百超えました。
有り難うございます!これからも頑張りたいと思います!!


次回は敦と鏡花のデート回ですね。今回が長かったために短く感じると思います。


ではまた次回。感想、評価お待ちしてます!!

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