新都にそびえる高層ビル群、その中でも一際高い建造物の一つである“冬木ハイアットホテル”は新都開発初期に建てられた謂わばランドマークの様なものであり、冬木市において最高級の設備とサービスを誇る施設である。
本来なら観光客や富裕層等の憩いの場としてある筈の建物はしかし、夜明けを前にして轟音響く魔城と化していた。
最初に起きた大きな振動は地震と錯覚できる程度のものだったが、それが二度三度と続けば誰でも危機感を覚えるだろう。しかもだ、その尋常ならざる震源が地下からではなく、地表高くそびえる建造物からというこの世の地質学を全力で否定する事態ともなれば、周囲の人間だけでなく、その内部に取り残されたものにとって、まさに悪夢であると言えるだろう。
そして、そんな建物内で起こる暴威の中心、震源では周囲の恐怖然とした空気とは一転、静寂としていた。
実際は破壊音と男の狂音は鳴りやむ事はない。ではコレのどこが静寂なのか――答えは簡単だ。戦闘、或いは敵の殲滅を望むランサーにとって敵影を追い探すこの追走劇が事の動態である戦時などとは容認できないからである。
つまり、この夜に襲撃してきた敵、キャスターは――
「ハッ―――見え透いてんだよォタコがっ」
仕掛けられた簡易の罠、彼の杭とは違って人を害する事に洗練された細針の乱射を乱雑に、だが全て叩き落として見せるランサー。その腕は何らかの魔術か、彼の自前の能力によるものなのかは不明だが、先の戦いでセイバーに切り落とされた筈の腕が元通りにくっついている。危なげもなく罠を屠るその所作からも、まるで傷を負った身体だという事を感じさせない程に活き活きとしてた。
対して、キャスターは依然としてホテル内をウロウロと、或いは彼を嘲笑うかのように行く先々にトラップを仕掛けては追い付かれない距離を保って移動している。
轟音響く戦場ならばそれは喧騒としていて静寂とは程遠いだろう。だが、これは相対するでもないただの解体作業だ。トラップを逐一力技で蹂躙するランサーからしてみれば成程、これは破壊音こそしても戦闘とは尚程遠い。
その道理に従うのなら、彼にとっては確かにこの程度のやり取りは生ぬるいが為に静寂だ。そして苛立ちが募るだけであるこの追撃と挑発のいたちごっこは余計破壊衝動に駆られるのだろう。それは彼の進む道の後方、轍というのには物騒であり、且つ無残な残骸が彼の憤怒を物語っていた。
『あらあらざんねんすごいすごーい。物の見事にこっちの苦労全無視で気持ちのいい壊しっぷりね』
「チっ、ふざけやがってクソアマが……」
極めつけはコレである。
姿は見せず、だが気配は感知でき、且つ追撃できるようギリギリで逃走し、肩透かしを食らわせるようにトラップを待ち構えさせる。仕掛けた彼女もこの程度の罠でランサーを倒せるなどとは考えてはいないだろう。
先ほどの針や短刀、果ては鋸に石板の落下等、宝具程の神秘を宿してはいなくとも、それ等は魔を感じさせる道具の数々、まず間違いなく“魔術師”のクラス別固有スキル、“道具作成”によるものだろう。総じて殺傷という点で人には有効だろうが、サーヴァントであるランサーを射殺すには如何せん役不足といえる。
つまり、相手の真意は問うまでもなく、これはキャスターによる揶揄する行為に他ならない。
「―――俺に利くかこんなモンがっ!!」
再度飛来する針の群れをランサーはその吸魂の杭でもって弾き、砕き、枯れ落す。
やはり、これで決まりだろう。
サーヴァントの宝具は英霊が生前培った武器防具、或いはその在り様が神秘として形を成したものだ。ならば、いくら両者の地力に差があろうと、たかが弾いた程度で砕けるソレ等が宝具である筈はない。
故に、人を舐めるのも大概にしろと叫び散らすランサーの歩みは益々荒々しくなっていく。
キャスターが廊下の角に消えるものならその壁を粉砕し、下層に降りようものなら足元を砂と化す大穴に変えて追い立てる。その杭の特性上、彼の前には有機無機問わず障害物というのは存在しないであるが為に、ホテルは刻一刻と廃墟同然に荒れ果てていく。彼がこうしている間にも下ではケイネス達が隠蔽工作に奔走しているのだろうが、このまま崩壊が進むのならいよいよもって外部に異常を悟らせないのは至難となる。
もちろん、その点が頭にないほど彼も馬鹿ではないが、これだけ人を嘲る敵が目の前にもう一度現れたのだ。ならば、多少の些事など彼の知った事ではない。もとより戦闘に関しては己の領分、戦場に及ぼす害、主に降りかかる負債等は彼にとって埒外だ。
そして当然、その害を被るのは彼等当事者だけの筈はない――
『あらあら、逃げ遅れちゃったのかしら? けど――ハイ残念ご愁傷様』
「――!? ま、イ゛ァ―――」
『――いただきまぁす』
粉砕機に巻き込まれるゴミ――というには些かに生々しい音と悲鳴が廊下に響く。
「ハッ、俺も大概人の事は言えた性質じゃねぇが、イイ趣味してるぜオマエ」
哀れな犠牲者の断末魔は絶叫も許さぬ執行者の術によってこの世から消されていく。そもそも、ランサー達の追走劇は3分や5分の単劇ではないからして、この道中にはエキストラとも言うべき贄が参列している。150階の高層ホテル、それも市内で有数の施設ともなれば、利用者だけでなく要する従業員数も並大抵ではない。だからこそ、そんな
『何よーアンタが目の前にしてもどうせグシャグシャにして汚しちゃうんでしょうが。寧ろ、態々掃除までしてあげてるんだからありがたく思いなさいよね』
そう、彼の溜息に込められた半分の感心とはつまりそれだ。
もともとキャスターの立場は襲撃者であり、根城であるホテルを襲うのならどうしても一般人との接触は不可避だ。故に、本来ならその手の接触による不都合の対応はランサー側がおうべき負担、であるのに、先行しているためなのか、行く先々で彼女は目撃者を積極的に“消して”いる。
しかし、感知においては全サーヴァント中アサシンに次いでその手のスキルに適性の高いキャスターが接触を避ける方法などいくらでもある筈なのである。だからこそ、その醜悪さ、悪趣味に後を追うランサーは呆れもするのだ。
「吐かせよ戯けが、手前が食溜める言い訳に人を使うんじゃねぇよ」
“英霊”である彼等は、皆戦場での偉業なり悪行を馳せた猛者である。だが、霊体、所謂この世ならざる彼等に成長という生物的利点であるステータスアップは原則存在しない。死という絶対の法則で自身を固定されている以上、この世にサーヴァントとして現界した神秘のそれが限界である。
そして、なればこそ理の抜け道というのは存在する。
そう、自身の力の上限が決まっているのなら、その力の源である魔力=生命力を略奪して蓄えるという体力・気力の貯蔵。つまり、キャスターが今まさに目撃者を喰ったというのは比喩ではなく、その魂を糧とする為に捕食したという事になる。
通常の英霊なら、マスターからの供給で十分まかなえる筈のエネルギーを、余所から蓄える必要があるのかと思うかもしれない。だが、彼女のクラスは“魔術師”なのだ。より高度で殺傷力のある呪術となれば、燃費が比例して嵩張るのは道理である。なら、より相手を効率的に殲滅する為に、より手札を増やす為に、弾薬を充実させるのは戦術的に何らおかしくはないと、つまりはそういう話である。
『へぇー……やっぱりアナタってお頭はバカじゃないみたいね。けど、なら解っていて放置するっていうの?』
キャスターの発言はもっともだ。
彼女の行動はその性格、言動を鑑みて半ば趣味ともいえる嘲りであるのは間違いないが、その裏の目的、大砲の弾薬を態々作り溜めさせる様な行為を知りつつ黙認するのはありえない。仮に戦闘に興じて視野が狭窄する性質というのなら解るが、この男はそのような安い戦士ではない。
「ああそうさな。確かに手前は目障りだし、俺の判断は常道じゃねえだろうさ。けどよ、なんで俺がそんな面倒な縛りに従ってやる必要がある?」
キャスターの問いに足を止めて言葉を返す為か、ランサーはその場で初めて足を止める。
伏せた顔はその表情を窺う事は出来ないが、小刻みに揺れる肩から大凡の色は窺える。この男は恐怖や危惧するといった迷いに類する感情は持ちえないと言っていいだろう。
「俺は弱くねぇ、追い立てられる程脆弱でもねぇ。何べんも言わせんじゃねぇよ、わざわざ手前の誘いに乗ってやってんだ。もしよぉ、こんな程度でネタ切れってんなら―――このビルごとテメエを吸い殺すぞっ!!」
瞬間的に濃度を増すその気は大気を喰い裂き、乱射される杭の群れは轟音と共に廊下はおろか、その先々の壁を瞬く間に食い破る。文字通り遠慮など無縁だった彼だ。その殺意の色を増して己が槍に乗せて振るうのなら、その凶状は想像するまでもない。そして煙が晴れるとそこは建物の外、夜の広がる街を展望させる大穴を穿っていた。
そして、彼が目標を捉えて障害物を取り除いたという事はその先にはつまり――
「よぉ……ようやく真面に面ァ拝めたぜ。どうだよコソ泥、眺めが良くなったろ」
「――っ、最初の印象通り野蛮ねー。アナタ、求婚しても意中の人には袖に振られるタイプでしょ」
「くかっ、いいぜ手前の下らんしゃしゃも今のは見逃してやる――が、ここからは逃がさねぇ」
依然として上昇する彼の戦意の高揚に従う様に、まるで刃をすり合わせるような不快音を響かせる杭の群れが表すその様は血に飢えた獣の唾を呑む様か、喜意の表れか、どちらにせよ、散々手間を取らせてくれた敵が目の前に捉えたのだ。それは彼でなくとも興が乗るだろう。
「精々あがけや……必死に逃げる姿で魅せてみろや策を捻り出して止めてみやがれ。滑稽に足掻いてくれればそれだけ粒し甲斐があるってもんだ」
だが、相対するキャスターもここに至って逃げの策から一転する気になったのか、迫る殺意の風を真正面から受け止めて見返すその瞳に宿るのは明確な戦意だった。
「――いいわ。なら、お望みどおりにしてあげる。後悔しても知らないんだからっ」
嘲る様に吊上がった笑みは変わらず湛えているが、その表情に加わる色は猟奇的なものだ。
つまり、弾薬の補充もこれまでと、その十二分に整った弾丸を解き放つべく踊る様に指を走らせ、或いはタクトを振るう指揮者の様に芝居がかった手の振りでもって術を編む。
それはまず間違いなく――
『
魔術師の宝具の開放に他ならなかった。
『――
そして、それは今までセイバーやランサーが見せた武器、或いは凶器の具現といった見た目を劇的に変化させるものではなかった。
彼女を中心に編まれた魔方陣はその規模を見ても並みの術ではないのは解るが、如何せん先の二人の清廉さ、禍々しさから比べるとどうしても見劣りしてしまう。が、それを見たランサーは感嘆の息を一つ吐く。何故なら、宝具とは何も武器武具が具現されるだけではなく、その身に宿す特殊能力なり超然とした秘技が昇華されたものも存在するからだ。だとしたら、キャスターのそれは明らかに後者、その規模だけで判断すれば足元をすくわれるだろう。
だが、そうと解っていても尚、ランサーは初撃は譲ってやる見せてみろと余裕を見せながら差し向けた指を数回まげて挑発してみせた。
そして、それに反応したのか、キャスターが見せた変化は迅速だ。
体を取り巻く魔方陣とは別に背後に複数の円、そこから飛び出す鋭利な穂先の群れは先程の罠で掃った短刀を思わせるが、そこに宿る魔の密度が今までの比ではない。ならば、秘奥を晒してくれた礼儀だとランサーはその腕を振り被って迎撃の構えをとるが―――
「――お?」
突如、どういう絡繰りか、彼の周囲に現れた小規模の魔方陣から幾重もの鎖が飛び出し、彼の四肢からその胴体、巻き付けるとこならばどこだろうと構わないという様に獲物の動きを拘束しにかかる。初めの出現こそ魔的な技だが、出現したソレはどちらかというと蛇を連想させる生物らしさがある。
「……面白れぇ、俺を相手に力勝負で来ようってか? 気概は買うがよぉ――手前如きの細腕でっ俺が止められるわけねぇだろうが!!」
だが、この程度かと笑い飛ばすようにしてランサーは己が肉と杭を蠢動させて振り切りにかかる。
先の通り、彼の膂力は現サーヴァント中上位である。ならば、いかに知力と魔力を凝らした術だろうと、それが力に変換され依存する以上彼の動きは阻害しえない。または埠頭で見せられた純然たる魔術の拘束ならば手間取りもするだろうが、この程度の技ならランサーに対して役不足も甚だしい。
「――ええ、でしょうね」
だからこそ、キャスターもこの程度でランサーが止まらない事など承知している。
もとよりランサーがこちらの出方を嬉々として待っているからこその鎖による拘束術なのだ。例え破られようと、いや、破られれるだろうとその拘束されるという事実を認識するまで彼の意識は意図的に無防備だ。絶対的な強者の自信、余裕は確かにその実力に見合ったものだが、この場ではそれが命取りになる――と、鎖を取り出してから即座に次手を講じていたキャスターはあっさりと彼の暴威を切り捨てる。
「っ!?」
そして、その言葉に反応するまでもなく、ランサーは次の瞬間目の前に現れた大車輪に思わず驚愕の念を漏らしてしまう。先程のランサーの杭の弾雨によって仕立てられた蹂躙の道、その直線を更に踏み固める様にして迫る鋼鉄の歯車によって。
宝具は一体の英霊において単一ではない、が、一つの宝具が宿す能力とは一つに限る。それがより威力を純化させたものであればあるほどその傾向は顕著であり、先のトラップと一線を画していた短刀の様子、こうして巻きつく鎖からも感じられる魔の濃さから二つまでなら予想の範疇だ。だが、新たな攻め手の出現は彼でも一瞬は驚く。
「っ、ォオオオオ!!」
もっとも、瞬時に鎖を砕き振り切り、迫る車輪の蹂躙を杭を打込む事によって無理矢理止める彼の力技はやはり出鱈目だった。が、それにしてもこの攻撃はランサーを防御に転じさせるだけの危険を孕んでいると判断させるだけのものであり、それは今までの様に一撃で掃わなかった彼の対応からでも十分窺える。
そして、やはりというべきか、多少の驚きと手間はかかったが、長身であるランサーの身の丈を優に超えるそれを、彼はそのまま突き立てた腕でもって踏みしめる廊下から浮き上がらせ、杭の魔性を発揮させる。
奇襲は見事、奇策もいいだろう。だがこの程度で己をやれると思ったのなら興覚めもいいところだと言いたげに、砂に返っていく車輪を興味も失せるとその心に若干の苛立ちを宿してキャスターを睨みつける。
「ナメたなァ、俺を……この程度で―――」
「――いいえ、この程度なんて私は言った覚えはないわよ」
そして次の瞬間、崩れ廃墟の様に変貌していた筈の廊下、それがランサーの左右のみ頑強な様を示した壁が顕現した。それも、悪質な針の山を生やしてだ。
ランサーの杭以上に洗練されたその棘達は、磨き上げられたような身を僅かな光源に晒して鈍く輝く。宛ら剣山の様に両脇にそびえたそれら――は、もちろんそのまま鎮座する筈もなく、間を置かずして合の手を合掌する様にランサーに迫る。
「クソがっこんな壁如きで!!」
直ぐさま車輪の破片を背後に放り、フリーとなった両手から杭を延長して挟み込むそれらを押し止める。先ほどの鎖も車輪も比較にならない程の力を腕に感じたランサーにも、流石に先程待ち構えた時の様な余裕は薄い。
「おーすごいすごい―――だと思ったから、ついでにコレも、よろしく、ねっ」
何をと視線を向ければそこに輝く幾重の鈍色の光。その正体を問うまでもない。先ほどの攻防でキャスターが宝具を開帳して最初に取り出した暗器、短刀がここにきて殺到したのだ。
二手三手を超えて五重の展開を見せたキャスターの宝具、その様はあきらかに宝具の前提を根底から否定していると言える。加えて、その術中に陥っているランサーも手が塞がり、迫る凶刃と剣山に挟まれた形となる。
故に、絶体絶命であり、並みのサーヴァントならコレで終いであろう。
―――そう、並みの英霊ならば。
「っとに、楽しませてくれんじゃねぇかよォ!!」
彼の咆哮と共に大気の濃度が急激に薄まる。
彼の杭が宿すのは吸魂の性、その一本一本が禍つ業を孕んだ凶悪さはすでに多くの英霊が知っている。故に、幾ら室内という限定空間だろうと、大気が枯渇しかけるような事態というのは先の戦いでみせた範疇を優に超えていた。なら、それはランサーが新たな宝具を解放したという事なのか、と問われれば否だ。
狂性の増大、それは単純で明解な変容。
体のいたる所に制限なくソレを生やすのが彼の杭ならば、だ。その制限の無さを最大限に発揮すればどうなるのか、想像してみてほしい。
「うわぁ……やっぱアンタ馬鹿じゃないけど人間やめてるわよ、ソレ」
キャスターが呆れて示した先、そこにいる筈のランサー―――と思わしき針山状の物体。先ほどの壁などかわいく見えるそれは、一見して毬栗の様にも、ハリネズミの様にも思えるが、断じてそんな生易しさも可愛げもない、凶悪な凶器の塊だ。
「クッ――ハハ、ェァッハッハッハ!! 悪いな、そいつは俺にとって褒め言葉でしかねぇよ」
杭を身体の奥へと納める様にして人の形に戻っていくランサー。確かに、あの剣山とした姿では視界も悪く、彼が殺気や相手の呼吸を肌で感じれる戦場を生き残った猛者であろうと、あれではそれ以上の攻勢というのは取りずらいのだろう。
だが、尚も高く哄笑するランサーの身には己が槍で服を突き破られた形跡以外に傷らしきものが無い。つまり今の連撃でさえ彼は無傷という事だ。キャスターも致命傷とまでは思っていないだろうが、せめて手傷くらいはと考えていただろう。
よって、彼女のターンは此処に終了した。その宝具の開放をもってしても、彼女のそれではランサーを傷付けられないという事実を明確に示している。
「ううん、気にする必要はないわ。だって――」
だが、その絶望を味わう筈の少女は有ろう事か破顔して意地の悪い笑みを湛えてすらいる。そう、先程の連撃の際にも見せた、悪戯を成功させた悪餓鬼のような、いや、それよりも遙かに凶悪な笑みを浮かべている。
「あ?」
「――アナタもう捉まってるんですもの」
その宣言と共に体を襲う窮屈を強いる拘束性、それはランサーにとって忘れようもない、苛立たしい記憶だ。
「ハ? っ、お前――!」
魔槍と魔壁の衝突で立ち込めていた埃が晴れるとそこには一条の細く伸びた黒い影。間違いない、あの埠頭で3体のサーヴァントを拘束して見せたキャスターの拘束術だ。
この拘束の恐ろしいところは身動きどころか声すらも発せないところにある。相手の行動を許さないという一点において、この魔術は徹底して堅固だ。如何にランサーの杭が魔性を誇ろうと、その力は著しく速度を殺されている。さらに、この場に介入される気配もないとくれば彼女が止めを納める必要性はない。
「せぇーの……」
まるで遊戯に凝らす掛け声の様に、声高に謳うそれに従って平面だった影があろう事か立体的に敵を捉えにかかる。つまり、ランサーの足を伝い、腰を、肩を、腕を首を絞め巻き付き、より雁字搦めに彼の体を黒く染め上げる。そして、彼の足元に広がる影の水溜りは、先の襲撃でキャスターが見せた魔術と恐ろしく酷似している。
となれば―――
「よいしょおぉっ!」
「く、ぉっ、てぇメェええ!!」
彼の絶叫を呑み込む黒い咢。その大口を広げる影に囚われて下層に落されるランサー。
現状の高さは当初の150にも及ぶ高層から大分下ってきたが、今でさえ50数階といったところ、真面な英霊でも自重でその高さから落ちれば手傷で詰む話ではない。ましてや、今の彼は影にその身を拘束された身、真面以上に窮屈に囚われた状態で無傷というのはありえないだろう。
「まあ、それでもアイツしれっと生きてそうだから頭痛いのよねー……だから、念には念を、ってね」
それは如何なる魔術なのか――いや、彼女の周囲の空気は先の影の穴以外に魔力が消費された風ではない。寧ろその纏うマナはどういう訳か先程よりも色濃くなっていく。その様はまるで他に裂いていた余分を切り替えた風である。
「――あんなにボコスカ壁も柱もぶち抜いておいて、まさか足場が無事とかありえないでしょ? いやまあ、おかげさまで手間も省けたんだけど」
そうつまり、彼女は襲撃にあたってケイネスが用意したトラップ群を蹂躙しただけではなく、下層に無数の仕掛けを施していたのだ。
彼女の襲撃にあたっての目的は単純だ、即ち“視察”と“略奪”。
前者は文字通り敵戦力の分析、およびこの聖杯戦争に臨むにあたってどれだけの用意があるのか、その見極めだ。
そして略奪、これは敵戦力が保有する武威、或いはサーヴァントそのものを欠損させるという所謂消耗狙いの電撃戦だ。
これによって最初の獲物となったのがケイネス達である。
御三家に至っては200年に及ぶ聖杯戦争の先達、その知識も技術も並みを凌駕するとなれば初期の用意が不十分な状態では正直相対するのは避けたい所、よって、彼女が狙うとすればそれは同じ立場である外来の参加者となる。
そして、先の戦いで姿を暗ましたままだったライダーは除外、目下その捜索は急務だが、現状で即行動に移すには情報不足。
アサシンに至っては初っ端から自爆してくれたので論外――となれば消去法でランサー陣営がターゲットになるのである。更には埠頭での論破でキャスターがケイネスを組敷くのは容易いと判断したというのもあった。
「ま、いい墓標でしょう、ランサー? 手向けに残りの魂は譲ってあげる」
そして仕上げだとその身を空虚に透かせ、振り上げた手による采配で絶叫の後も静寂を保っていた筈の建物が強震しだす。
それは異常な光景にも見えるだろうが、先程まで嵐に晒されていて尚健在としていたことの方が異常なのだ。元は魔術的な工房でもなく一般的な建造物、故にその施されていた殻を解かれれば中身は崩壊する。もとよりこの襲撃を決めた時点で建物の消滅は視野に入れていたが、思いの外ランサーが派手に立ち回ってくれたので変化は瞬時に起こる。
「じゃぁね、瓦礫でペシャンコになっても無事だったらまた会いましょう」
キャスターの消滅と共に揺れていたホテルはとうとうその支えを失い、崩れ落ちていく。
ランサーの暴威によってその上階はものの見事に虫食いだらけであり、いかにケイネス達が処理に奔走しようと既に倒壊は免れない。唯一の救いは、キャスターの処置が恐ろしく的確だったことだろう。
まるで爆破解体の様に下層から地下に沈み落ちる様にして内側に崩れていくホテルは、彼女の魔術が正確に要所を壊していたことによるものだ。
もっとも、その崩れ行く先、地下へと落とされたランサーに降りかかる瓦礫の山は生き埋めにしても凶悪に往き過ぎている。鉄柱鉄骨コンクリ屑の山、既にtという単位も生易しく詰み上がるそれらはたった一つの亡霊(英霊)を屠る為だけに立てられた、彼女曰く墓標だ。
その供えにくべられた、逃げ遅れた者の魂が昇華していく様は神聖というには惨禍に過ぎており、事の収拾にあたっていたケイネス達も、“監督役”達も、彼等に此度の聖杯戦争の苛烈さを印象付けるには十分すぎる厄災だった。
やっちまった……結局ホテル倒壊!
……まあ、御三家除いておそらく資産豊富で名家な先生さんの所なら何とかしてくれるはずっ! それかキャスターさん側と応相談してください。いや、彼女のらりくらりとうまく逃げそうですがw
前回ランサーさんいい空気吸っていたので今回はちょい? 自重させてみたり、キャスターさんとはそんなに相性悪くはないと思うんですよ。原作で全然戦いに発展しなかったんですが(苦笑 そこは想像力をフル動員してみました!
てな感じでお送りしました7話、活動報告でも載せましたが、今週末はちょいと研修旅行に行ってまいりますので次回の更新はおそらく来週の水曜前後になると思われます。ので、そんな形で今後ともよろしくお願いします。