「懺悔」
いつからそうしていたのか、長い夢を見ていた気がする。
かつて恋い焦がれた愛しい人。
その彼女と結ばれるというようなおめでたい物語ではなかったが、夢なんだからもう少し自分に都合がよくてもいいだろうと、そう思っても罰は当たらない筈だろう。
彼女と、その愛娘達が楽しそうに一緒に遊んでいた。自分は彼女と、その夫の三人でその姿を離れていたところから眺めていて、昔は三人ともああだったこうだったと、時には男二人で言い合いになって、それを彼女が困ったような顔で慌てている。所謂じゃれ合いだ。そう、それは今思い返しても幸せそのもので―――だからこそ何で、自分たちはああも在れなかったのだろうかと後悔が胸をつく。
そう思ったら急に景色がが色あせてくる。これは夢なんだという味気ない現実を突きつけられて、間桐 雁夜は目を覚ました。
「――間桐 雁夜だな」
夢見が最悪なら、目覚めて一番も碌な事が無いらしい。彼のの前で不躾に問うてきたのは縒れたコートを着た男。
まるで見覚えの無い相手に、目覚めの悪さから不機嫌なままに返事を返した雁夜に、突き付けられたのは黒光りする金属の塊。
壁に寄り掛かっていた為に血の巡りの悪かった頭が、その
「だったら、どうだっていうんだ。お前、何処かの関係者か」
答える必要はないという男の答えに、雁夜は知らずに薄ら笑う。
考えてみれば解りきった事。現状で刺客を要する人間で自分に刃を向かせる人間は誰なのか。
まずはじめにライダーのマスター。あの少年は無条件で除外だ。一目見ても分かる。誰かに似ている。端的に言えば青臭いのだ。慎重と言えば聞こえがいいが、準備が万全になるまで表に出れない臆病者。ならば他人を要するなどという運用を思いつくとも思えない。
遠坂においては――歪だがこれも信頼だろう。遠坂 時臣はそういった手段も手札の一つとして持っているだろう。だが、こと自分を相手にすれば手ずからと“偽善”が顔を出す。そういう人間臭さにかつて期待をし、納得した時もあったが、要するに、理屈抜きでコレは違うと判断した。
「当てて見せようか……セイバー、アインツベルンの関係者だろ」
「――っ」
反応は僅か。だがそれで把握するには事足りる。
「ハ、せっせとアサシンの真似事か」
もうすぐこの体も事切れると理解できたが為に、不思議と向けられた銃が恐ろしくなかった。この場で撃たれようが凌げようがどうせ変わらないと、死に瀕した事で嘲るような笑いを口にさせた。
「聞きたい事は一つだ。アインツベルンのマスターを知っているか。銀髪の女だ」
「主人を探してこんな穴ん中まできたのか。そいつは、ご苦労様だな」
対して、切嗣がこの場において聞きたかったことは一つだけ。もう一つ、雁夜に会うまではバーサーカーの退場も視野に入れていたが、目の前にすれば何の事はない。どういう訳か既に死の断崖に立たされているマスターが一人。猶予もないとなれば情報を聞き出す方を優先するのも無理からぬ話しだった。だが、虚偽説明に付き合う猶予はないし、その判断も後回しだ。
「死にかけの人間の酔狂に付き合うつもりはない。答えろ。知っているかいないのか、イエスかノーだ」
撃鉄を上げ、余計な言葉をつづけるなら問答無用と示す切嗣に対し、雁夜はここにきてようやく彼の質問に取りあう気になったのか、苦笑 を漏らしつつも視点の定まった右目で切嗣に向き合う。
「いや、悪い。が、だったら外れだ。俺の目的は遠坂 時臣を倒す事。他の奴らなんかに興味はない」
その言葉だけは偽りではないと。
蟲に喰われて穴だらけとなった身体に残った、数少ない行動原理。色としては後悔と怒り。
刻一刻と淵へと疾走する間桐 雁夜に残った火種。
「そうか―――」
「なあ」
だからだろうか、恐らく最後の最後。
「そっちの質問に答えたんだ。俺からも一つだけ聞かせてくれ」
もう望みをかなえられないと達観して灰色になりかけている心が、一つの問いを投げたのは。
「……いいだろう」
指を引き金にかけたまま、男の目は死んだように暗く、その内を図ることはできなかった。が、その雰囲気が僅かに緩んだことだけは感じれた。
「アンタは、目の前にしたマスターは誰であろうと全員殺すのか?」
文字通り大した意味はない。全てのマスターというのなら、この男は死にかけた雁夜の事も容赦なく殺すだろう。例え殺す事に意味などなくとも、生かしておくことにも意味がないから。
彼自身何をと質問を聞いたことを後悔しているだろうが、雁夜の目は嘲りだとか諧謔といった戯れではないと訴えていた。
その意を彼なりに組んで、そして当然だと切嗣は口にする。
「ああ、その通りだ」
酷く短い言葉だ。だけど、それで幾分体に溜まった汚れを掃えた気がした。
「そうか――」
人任せなんて何とも情けない様この上ないが、身体が言う事を聞いてくれない眼も霞んでいく。だが罵倒だろうと懇願だろうと、これ以上言葉を重ねるのも余計醜態をさらすだけだと理解できてしまったから。彼は目を閉じ、一思いにやってくれと首を垂れる。
それを見て彼が何を思ったのか、伏した雁夜には知るよしの無い事だが、僅かになった金属の擦れる音にこれで終わりなのかと、狂気で生き繋いだ今日までを振り返った。
そして――
最後に、耳に轟音と痛烈な衝撃を身に浴びながら、間桐 雁夜は息を引き取った。
目の前で繰り広げられるライダーとアーチャーの戦い。先に宝具を開放したのはライダー、そしてアーチャーは戦闘開始から防戦一方。味方としてはそう見える。
だが一方で、
「勝ち目があるんじゃ、無いのかよっ」
ライダーが召喚した屍兵の群れ。その蹂躙に、あろう事かアーチャーは直立不動のまま、丁寧に一体一体を行動不能になるよう粉砕していた。
屍であるのだから、首を断とうが心を穿とうが倒せやしない。マリオネットとさして変わらないのだから人形を殺そうとしても無意味なのは当然の事。
故に、方法は雑把に分けて二つ。
糸を手繰る術者本人を屠るか。
そもそも人形自体を粉微塵に消し去るかだ。
「いやはや。こうして数が多いというのも面倒ですねぇ。根性論というのもらしくない。いい加減一区切り見えてもいいでしょうに」
「生憎、こんな所で折れてあげられないのよ!」
つまりアーチャーが取っているのは人形である屍の骨、間接全てを用成さなくなるまで向かってきた物から手折っていく地道な作業。単純故有効だが、そもそも前提条件からしておかしいのだ。何故押し寄せる屍の群れが規則正しく一体ずつ相手取れるのか。まさか列を作って、稽古よろしく乱取りをしている訳でもあるまい。だからそう、アーチャーの能力、その不可思議な“頑強さ”を持つ彼だからこそこの状況を作り出せていた。
『umgeben――Crush!!』
「やれやれ、芸の無い」
頭上を遙か超えて覆われる死人の
「何を躊躇っているのですか? さっさと“彼等”を出せばいい。出し惜しみが無意味なのは承知のはずだ」
そして、解りきっていた事だろうと説法を説くように死人の山を吹き飛ばして歩み出てきたアーチャー。その姿に、身に纏う服ですら傷ついた形跡はない。聖杯戦争が幕を開けてこれまで、誰一人として彼に手傷を負わせられない。この理は揺るぎないという様に、彼は一歩一歩ライダーに向かって歩み寄る。
「ああ、それとも―――また“悩んでいるフリ”ですか。貴方も大概好きですね」
「っ」
その発言が癪に障ったのか、ライダーが指揮する屍兵の勢いが増す。それはまさしく数の暴力だ。彼が一体一体を吹き飛ばそうと地面から湧き出てくる死人は尽きない、飛ばされたカレ等も動ける限り這ってでも進軍する。アーチャーの言うとおり、この勝負には区切りというものがてんで見えてこない。
ライダーの屍兵ではアーチャーの鎧を崩せず。アーチャーも防御に徹している限りはライダーを攻め落とせない。唯一、キャスター討伐の折に見せた一撃を見舞えば状況は一変するのだろうが、逆を言えばそれを出させない限りアーチャーに攻撃の札はない。それを警戒しているが為の数にモノをいわせた蹂躙。
無論、アーチャーに他に手札が無ければの話であるが。
だからだろうか、戦闘を開始してからしばらく、此処にきて丁寧に一体一体対処していた彼は、まるで作業になれたという様に軽口が増えてきたのだ。
「貴方もこうなることくらい承知だったはずだ。そうと知っていて札を切る。それこそが勝利の為の最善手だから? 彼女の為にはこうするしかない? 私にはこれしかできないから?」
恐るべきことに、その間も屍兵たちは一向に傷を負わせることができないまま。
この程度で私は砕けない言葉より雄弁に、彼は行動で示し続ける。
「笑止。見当違いも甚だしい。いい加減皮を被るというのもここまでくれば悪習だと知るべきだ。そもそもです。そんな回りくどいやり方をせずとも直接確信に至らせれば済む話だ」
どの口で言うのかと噛みつきかけたのを必死で自制する。
悪習だというのなら、彼のこれまでの行動こそ悪業だろう。彼を貶め、彼女を穢し、彼を腐す。彼は率先して他者を突き落す。自らの望み、彼が己に科した命題。その為ならいかな犠牲も厭わない。彼が罪を重ね挙げているというのはそういう事だ。
「そんな様だから慎重を重ねて後悔を積み重ねる。だから大事なものをとりこぼすのですよ」
故に、だがしかしと、その言葉だけは聞き捨てならないと反論したライダー。
「取りこぼしたというのなら貴方だって同じでしょうっ、私とあなた、結局は」
「いいえ違います」
それに対し、彼は被せるようにして力図よく否定した。それこそ、貴女と同等に扱われるのは心底侵害だというように目を見開いて。
「勘違いをしてもらっては困る。私も後悔を重ね罪を悔いて巡礼を重ねる虜囚。だが、私は悩み歩みを止める事だけはしない」
ヴァレリア・■■■■が罪人であるのは至極当然、己の業罰など誰よりも承知だ。自らの望みの為に奔走するのみならず、他者を切り捨て巻き込み屠る。その山を手ずから築いていく男に救いがあるわけがないと口にする。
後悔を抱く。その一点に関しては両者に差はないだろうとも
だがしかし、
「作り上げては失敗し、試行錯誤を重ねて壊してまた作って、何度も何度も何度も何度も何度も繰り返し繰り返し繰り返し――
如何に罪を堆く積み上げる事になろうとも、歩みを止めないという事に関しては天と地との差があるという。答えに気付きながら、倫理が許さない。自身は傷つきたくないからと自分は苦悩しているという自慰行為耽る事は決してないと誇らしげに彼女を侮蔑さえして見せた。
「ヴァレリアっ、あなたって人は」
だがそれは狂人の世迷言だ。
トライ&エラー。
彼にとっては成功の為には些細な
「狂っていると? ええ、ええそうでしょうとも。狂わなくてはこんな事などできはしますまい」
故、この男は“最初から”狂っている。
生まれてから、後天的なのか、それがいつからであるのか、“元”の彼を正しく知っている彼女にとってソレが何より痛ましかったから。
「見ていられないのよっ」
屍を手繰っていた瘴気が一転に集中する。
瘴気を渦巻き、空中に白い
「ホウ……」
これが呼び出せるようになったという事は、彼女の企ては潰えてという事。
彼女が生き延びたのか、共倒れになったのかは知れない。だが、だとしたらせめてこの男だけでも屠らなくてはいけない。それが最後の最後まで悩み続けて足踏みをした自分へのけじめだろうと、彼女は
そして、
「然り、貴女ならこうしなければ、こうでもしなければ事は終われない」
信じていた。信頼していたこうなる事を。
口角を釣り上げて笑う狂信者が此処にきて守から攻勢に躍り出た。
『―――
急激な変化はこれまでの流を断ち切ったが為に、その他大勢での屍では対応できない。ならば、呼び出したカインの受肉もままならない状態で彼女は迎撃を選択し―――致命的に判断を誤った。
「前途明るい少年の未来を摘み取るのは気が引けますが、致し方ないでしょう」
一時とはいえ、屍を操舵したままカインを召喚するという状況が、彼女自身に及ぼす過負荷を。
「え?」
「恨みはありません。せめて神の御許で――
祈りを告げるその顔はまるで悪魔の如く。その悪行を恥じるどころか■しんでいる風で、彼は手刀を突きだした。
腹に受けた衝撃。
激痛を覚悟した割にはあっけないものだとまるで他人事のように、ウェイバー・ベルベットは自身の最後を受け入れていた。
勢いから聖杯戦争という大舞台に心振るわせて倫敦を単身飛びだし、手繰りよせた
自身がしてきたことなど、振返れば誇れることなど何もない。女の後ろでただ戦いを眺めているだけなんて、例えそれがマスターの常道であるのだとしても、彼は終ぞ納得などできなかったのだ。
だからこそ決意をして、彼女の力を借りたが自らの意思で戦場に赴いた。
馬鹿な事だと思う自分もいるが、それでも後悔はなかった。その結末なら、確かに呆気ないものだけど受け入れられると、彼はどこか真白な気持ちで目を閉じていた―――
そこでふと気が付いた。いつまでたっても、彼の命を奪う激痛が訪れない事に。
「――お、お前何やって」
頬に、真っ赤な血が滴り落ちていた。
「ごめんなさい。焚付けておいて、結局このありさまだけど、自分から死に飛び込んだわけじゃないから“命令”違反じゃないわよね」
覆いかぶさるようにして胸から血を流していたのは彼のパートナー。
心臓を一刺し。
致命的だ。“英霊”である彼女がその霊核である部分を損失したらどうなるか、それが分からない彼ではない。
「っ、そんな、僕が言いたいのは」
彼女が謝るのは多分、恐らく遠坂邸を訪れる前に使った“令呪”のことか。
“絶対に死ぬな”という馬鹿な命令。幾ら強制力の高い令呪であろうと、そんな曖昧な命令に力が無い事など承知だった。けど、いざ戦いに赴く前に見せた彼女の顔が、悲観したその表情が脳裏をチラついたから思わず言葉にしたもの。
何が許してほしいだ。そんなのふざけてる。謝りたいのはむしろ自分の方だと抱いた深い悔い。彼女は決して弱いという訳ではなかったし、寧ろ戦い方次第では十分強者の部類だろう。だからこそ、落ち度があるとしたら半人前の自分の所為だ。
もし、もし彼女を呼び出す触媒に手違いが無く、ケイネスの元に渡っていたら、少なくともこんな主を庇って終わる幕引きはなかったはずだ。
「それは違うわよ」
だからか、そんな彼の思考がまるで読めたように、だが彼女の勘違いではなく的確にソレを否定する。
「私は、貴方がマスターだったことに、後悔した事なんて一度もないわ」
いつかという訳ではなく、ふとした時に彼が負い目を感じるように押し黙る事が幾度かあった。初めはソレがなんの事か分からなかった彼女だが、ケイネスとの邂逅を経て、戦場を経て彼が抱いていた苦悩を理解した。
幼い、少年特有の焦燥。悪く言えば青さだ。大人になればそういった自尊心との折り合いなど自然と身に着けてしまう。そして、いつか慣れて擦り減っていく。処世術だと銘打って諦める事を覚えていく。身に覚えがある話だ。彼女には身が痛むほどに。
だが、そんな彼が自らの意思で立ち上がれたのだ。無論彼女の言葉がきっかけだという事はあるだろう。だがしかし、そのことで公開をさせてしまう事だけはしてならないと、そう思ったから、彼女は消えかける身体に鞭を打って振り絞る。
『――Mauerwerk』
地面より隆起する死人の群れ。その数はこれまでと変わりがなく、彼女がまだ戦えることを示しているようで――その中にカインがいない事が、この局面で呼び出せない事が、彼女の限界を物語っていた。
その内の一体が、ウェイバーの背後に立ち、有無を言わせず彼を羽交い絞めにする。
「な、オイお前! こんな時になにふざけてっ」
「逃げるのも時には勇気よ。けどこれだけは忘れないで」
彼を抱えて屍が跳躍する。
同時に、這い出た死人の群れが彼女と彼を隔てる様に壁を作り上げていく。
「いつか、貴方にとって誇れる大切なものができたら、その時は何が何でも立ち向かうのよ。私なんかに命を張っちゃいけないの。だから貴方は」
“どうか生きて欲しい”
最後の言葉はウェイバーの耳には届く事はなかったが、その口元から大凡の察しはついた。だからこそ、ふざけるなと彼は癇癪を起す。
「離せよオイっ、離せ!!」
遠くなる距離。魔術を使えること以外は平均並み。運動に関してはそれ以下であるウェイバーが、屍とはいえ英霊が召喚した兵に生身で振りほどけるわけがない。
そんなことが分からない彼ではない。そんなこと誰に言われるまでもなくこうして身に染みて味わっている。
「――せよっ、なんだよコレ。こんな事で――嬉しいわけ、ないだろ」
だから、悔しくて打ち付けていた拳に刻まれていた二画の“令呪”の喪失を認められなくて、彼はもう一度大きく拳を振り上げる。
振り下ろしたその先に、白い屍の腕は既に消失していた。
なんだかポンポン役者が散っていくな(棒
しゅ、終盤だからね(震え
いや、エンドどうするか札を決めたので、もう全力で駆けています。寧ろ切り捨てている部分が多いなと思うこの頃。……次回作で回収しよう。
そんなわけで新章、もとい最終章突入。終盤を想像できている方もいるかと思いますが、最後までお付き合いいただけると幸いです。