②Ewige Wiederkunft
※①
今代でもなく、冬木でもない遠い昔のとある国で、一人の村娘がいた。
何かが特段稀有であったわけではない。
女ながらに士官に努めていた訳でもなく、武官に嫁いでいた訳でもない。
ましてや、魔道の深淵に身を浸していた訳でもない。
辺鄙な小さな村だ。
日が昇り、日がな牧歌に歌われるようなのどかさと小さな飢えと――だがそれ以上に、彼彼女等はそんな日常を愛していたからこそ、その世界に留まっていたのであって、誰も不幸と思ってはいなかった。
そんな村で生を受けた女性。
そんな彼女も平穏な村を好み、ごく普通に生活に必要な術を学び、ごく普通に恋をして、ごく普通に結ばれた。
―――そんな彼女も、たった一つだけ、小さな差異があった。
辺境の村でかくやと謳われた乙女。
そう、その女は大層美しかったのだ。
美も醜も過ぎれば何事も煙たがれる。
出る杭は打たれる。
要は、村一番と言われた女は村の一部から妬まれていたという話だ。
ある時は、夫がいる身でありながら求婚をされた。
あの女は男をかどわかす。
妻がいる男を誘惑した。
噂は所詮噂。
それ単体なら女が悲劇に合う事もなかっただろう。
そうだからこそ、噂を噂と放置した結果、悲劇は起こった。
なにが悪かったかと言われれば女でもその他の村娘でもなく、全ては“時代”が悪かったのだ。
“魔女狩り”
その時代に蔓延していた悪しき風習。
魔女の居る無しではなく、最終的には無実の者が悪しきもの、“魔女”として異端審問にかけられる。審問と言えば余地があるように聞こえるが、とどのつまりが公開処刑である。
彼女は村の女たちの恨みの発露として、積もった不満の生贄として“魔女”の罪に科せられたのだ。
女は嘆いた。
自分は噂になる様な悪事は働いていない。
見知らぬ男に思いを告げられたことはあった。だがしかし、自分は夫を愛している。彼に不義になるようなことは神に誓って犯していないといえる。言えたのだ―――
そう、第一の審問で、その糾弾する村人の中に夫の姿を見るまでは。
彼の表情は妻に対する申し訳なさに歪んだわけでも、嫌々此処にいるという訳ではない。
いや、この世界、しいては時代の病気なのか。人々は大衆の意思こそ共通の念だった。病魔が起こした熱がうつる様に、夫もその被害にあっていた。彼女が信じていた愛も信頼も、例外ではなかったのだ。
女は独房の中で絶望していた。
自分が信じてきた愛は何だったのか、貧しいながら、自分は真摯に生きてきたつもりだ。
不満が無かったとは言わない。だけれど、日々は幸せだったと言える。朝の弱い夫を仕事に送り出し、村で出会う人に挨拶を交わし、何気ない会話から内助に努めた。夫を迎えて――子宝には恵まれなかったが、それでも二人の時間に確かな幸せを感じていたのだ。
それが、その全てが今日突然突き崩された。
目の前が真っ暗になるとは、まさに彼女の様子を表すのだろう。
寄る辺を失い、生きる意味もなく。もうこのまま命を絶ってば楽になるのではと未練が薄れた時だ。
『これは――また、妙な縁があるものだ』
異端審問中、看守以外に誰も入れない筈のその牢の外に影が差す。
一体何か、まさか刑執行が早まったのかとビクリと女が肩をすくませてそろりと顔を上げてみれば、そこにはおぼろげな、酷く目に捉えづらい男が立っていた。
ボロ布のマントに身をすっぽりと包み、ただ伸びるままにしていただろう青い髪に相貌が陰っている男。
身長もそこそこに、だが牢で座り込んでおり、ここ最近は人から遠ざけられている彼女にとってはひどく歪な存在に思えた。
今思えば、それは本能的な恐怖の表れだったのだろう。
何度も思い返した。
もし、あの時、その男の話に耳を貸さなければ、その手を振り払っていれば、もしかしたら違った結末が待ち受けていたかもしれないという希望。
だが、実際女は処刑を待つ“魔女”の烙印を押された乙女であり、此処にいる限り死は免れられない。
だから、そう、故に彼女は選んだのだ。
『君は、この世界が綺麗だと思うかね?』
女は、■■■はその男の手を―――
※②
「――ぁ、ァ……なんで、こんな時に――っ」
脳裏に浮かんだビジョンは風化した筈の記憶の中でも忘れようのなかった汚点。あの日、ただの人間が魔道に身を落した忌むべき記憶。
初めに気付いたのは浮遊感。
その回想を妨げるような鈍い痛み。視線を下げれば、腹部に大きな穴が開いていた。
どこからどう見ても致命傷。
河川で広げた“新・創造”その能力をフルに使ってランサー達を相手取っていた。覚えているだけでセイバー達も含め、その場には全サーヴァントが揃っていたはずだ。本来なら、それだけ場を混沌とさせれば彼女の目的は果たされていたはずなのだ。
だが―――自分は敗れた、これが現状だ。
何をされたのか、彼女は遅れながらに理解した。そして、気付けば自身の魔術回路はズタズタ、先程までは確かに感じていたマスターと彼女を繋ぐパスも消失している。
患部から徐々に感覚が消失していく。当然だ、敗者は散るのが定め、霊核を打ちぬかれ破壊された以上、どのような英霊であろうと生き延びる術はない。
トサリとその体が音を立てて地面に横たわる。永遠に空を舞うことなど無いのだから、そうなるのは当然だろう。投げ出された態に反して音が呆気なかったのには気が抜けるようだが―――どうせ痛みに体が動かなかろうと、すぐこの世界から聖杯に引き戻されるのだから、気に留める必要もない些事だ。
そう、そんな事より、彼女には気になった事がある。
心残りとでも言えばいいのか、それは――
「ます、ター……」
回路が壊れているので魔術でその存在を感じる事も出来ない。
繋がっていたはずのパスも希薄で、それがそのまま自身の敗北を物語っているかのようだった。
「……そっか、やっぱり、届かなかったのね」
天に伸ばした手は、聖杯によって受肉した体に反して色素が薄まり、空が透けて見える。そろそろ、この体の消滅が近いのだろう。
だが彼女にとってソレは別段問題ではない。
もともと仮初の身体に仮初の名前。この世界に落ちたキャスターという魔術師はそうした空虚な記号でしかない。
だが、そんな空虚な存在に影を落とした存在がある。
“雨竜 龍之介”
初めは気の合うパートナーだった。
何かしらの縁で選ばれたのだろう程度の認識しかなく、枷になる程度であれば初めは躊躇なく切り捨てる予定だったのだ。
それがいつからだろう。得難いと、居心地がよいと感じてしまうようになったのは。
別に彼と作る“作品”に心惹かれた訳ではない。
あれも一種のコミュニケーションだが、そう。一つ一つの何気ない表情に惹かれた。かけてくれた言葉が嬉しかった。
たぶん、きっかけは些細な事だったのだろう。
しかしそれだけに、気がついたら目が離せなかった。
今にして思えばなんて出来の悪い話。
300を超える年月を生きた魔女が、それこそ半世紀も生きていない子供に心奪われるなど、それも生娘の様に一喜一憂しているのだから、案外自分も子供だったのかと彼女は自分の認識に驚き苦笑する。
そしてそう。それ程惹かれたからこそ、この世界に絶望したのだ。
全てが虚構に過ぎないこの箱庭に。
得難いとおもった出会いですら仕組まれたと感じるこの既知感に。
でも、そんな彼女に彼は大したことではないと笑い飛ばして見せた。
何の論理も、根拠もない。ただ世界を知らない若造の世迷言に過ぎない、そんな言葉で―――不覚にも彼女は心救われたのだ。
理屈じゃない。この思いが作り物で、不義だと感じてしまう。気持ちも、多分本物だ。
でも、それ以上にこの思いも虚構だと認めるのも癪だったから。
作り物が、役者が作られた脚本を逸脱するなどタブー中のタブーだろう。
だが、その程度の障害で止められる程、その時の彼女は冷静ではなかった。
キャスターの英霊ではなく、■■■として―――
「あ―――そういえば、名前、言ってなかったなぁ――……」
自分らしくない落ち度にまたも笑いが漏れる。
逆に考えれば、それほどに思いが暴走していたという事だが――彼女風に言うならそれも悪くない、の一言だ。
それほどに容認できなかったから、もっと簡単に言えば許せなかったのだ。
「だって―――そんなの虚しいじゃない、悔しいじゃないっ」
笑から一転、その小さな口から洩れたのは嗚咽だ。
言葉の通り、この虚構にすら足掻けない現状が、自身の渾身を、文字通り全霊を尽くした結果、この世界を乖脱するには至らなかったもだから。
敗北と一言に行っても、セイバー達サーヴァントに負けたのが口惜しいのではない。それこそ、今の彼女にとって聖杯戦争などはどうでもいいのだから。
だた、思い出したから、夢から覚めたから。
すこし現実に挫けて足踏みをしてしまったけど、本当に打倒すべき者を見つけたから―――それ故の敗北なのだ。悔しくない筈がない。
「やだっいやよ。私まだ消えたくないっ、やりたい事だって、言いたい事もまだたくさんあるのに―――」
気づいた。気づかせてくれたのだ。
それに対する感謝も伝えられず、自身の気持ちに気づいてからさえも、その思いを言葉にすることもできなかった。あの時自身の、この世界の根底に気付いた以上、彼とそのままかかわるのは危険だと思ったから、何より、その温もりに自身が恐怖を感じてしまったからだ。
故に胸が締め付けられる。
知りながら、気づきながらにその思いを秘めねばらならなかった苦悩に。
できれば何度も踏み止まろうとおもった。
新たな可能性に気付いたのなら、別の方法もきっとあったのではというIFの話。
所詮たらればの可能性など詮無いことだとわかっていても―――理屈じゃないのだ。
だが、いくら悔やもうと、いくら口で否定しても薄れゆく体の限界というものは超えられないのだ。
この世の者ならざる彼女が身を留めていた理。そのルールを抜け出せなかった以上、これは避けえぬ結末なのだから。
「―――っ」
だから、既に感覚の無い顔を、悲鳴を上げる身体に鞭を打って動かす。辛うじて、今出せる全力で動かせたのは僅かに首を傾けるだけだったが――それで彼女の目的は事足りる。
「―――よかった……」
未遠川の下流、その先に感じる魔力。
回路も感覚も既に役にも立たない彼女には、その気配ですら錯覚だったのかもしれない。けど、その場所は見間違える筈がない。このステージに彼女が上がり、セイバーが来るまで、何度も後ろ髪をひかれながら確認した場所なのだから。
「……ごめんね、りゅーちゃん」
置いていかれるのは自分の業の筈なのに、これではあべこべだと涙に歪んでいた顔にようやく笑いが漏れる。
その最中にも、彼女の視界は涙で歪んでいたが――それでも、無理にでも笑って記憶に残しておきたかったのだ。
「もう逝くね――どうか、私の事は忘れて……元気でね――きだよ」
やはり最後まで涙をぬぐいきれない。
されど、それは自分の維持だと言うように名残りを残さないまま、異界の魔女は消えていった―――
その目覚めは、一言でいえば最悪だった。
まるで長い間気味の悪い夢でも見ていたように、思い出そうとすると悪寒が走る。
なのに、だというのに何故か心は思い出そうと脳に働きかけ――結果的に気分を降下させる悪循環に陥っている。
「――ってか、そもそもココどこなんだよ」
男は薄暗い、筒状に続く通路。恐らくは下水、生活水を循環させるパイプの中だろう。だが、そんなところに用事が出来るような覚えもなく、酔狂でこんな所に足を運ぶ性格ではなかった筈、というのが男の印象だった。
長い間寝ていたのか、体の節々が痛む。こんな所で横になっていたのなら、何かしら体に異常をきたしそうなものだが――体を動かしてみればその可動に異常はない。内面的、風邪や湿気によって体調を崩した様子もない。いや、寧ろ軽く捻った身体の状態は軽い。気がつけば寝ていた気だるさも嘘のようだと健康体そのものだ。
「ん――? 刺青……なんてしてたか? 俺」
おかしな所はないかと身体の部分部分を去ら理ながら確認していると、薄暗くて気が付かなかったが、顔まで手を持ちあげれば手の甲に妙な痣があった。
渦を巻くように描かれた三画の紋様。掠れている為にその形は把握しづらいが、その様子から入れ墨というよりかはボディペイントに近いものだろうか。
だがそんなものに覚えもある筈もなく首を捻っていると―――
「あれ? 消え、た?」
その手の甲にあったはずの痣が綺麗さっぱりなくなっていたのだ。
あればあれで奇妙なものだが、あった物が突然亡くなるのも気味が悪い話だ。試しに擦ってみるが、それで浮き上がる筈もなく手の甲が赤く擦れただけだった。
薄暗いところにいたために陰影でそんな模様が見えた事も考えられるが――何故か、本来はなくなったものなどどうでもいい筈なのに、この時彼はその痣が気にせずにはいられなかった。まるで見覚えが無いものであったのに、それが掛け替えのないものであったかのように。
だが、時間が立つとそんな脳裏に引っ掛かっていた痣も、どういう訳かどのような形だったかも思い出せなくなってくる。普通なら然程気にすることでもないのだろうと結論づけるのだろう。
彼も必死に思い出そうとしていたが、此処で唸っていても仕方がないと思い至ったのか、まずはこの地下水路を出る事に決めたようだ。
「う――んと? コッチ、かな」
特に確信があった訳ではないが、迷う事無く細い迷路のような道を行く。
そもそも男はここ数年の記憶が綺麗に抜け落ちていた。歩き始めはこのまま出られないのではないかと気をもんでいたが――次第に通路に通る空気の流れを感じて険しかった顔が晴れやかになる。
何度目かになる曲がり角を曲がれば、視線の先に光源がある。出口だ。
まずここを出たら何をしよう。
記憶が無いのだから男に指針というものはない。まずは何か思い出す切っ掛けになる様な物を見つけるのが先決なのだろうが、生憎とここが僅かに残る故郷と同じである保証もない。無難に行くなら、まずは人を探すのが先決だろうか。
などと、軽く今後の事について考えていれば出口まではあっという間だった。
眩い日の光。
どうやら時刻は昼間、日も真上を過ぎている事から正午は過ぎているのだろう。
眩む目を保護するように手で日の光を遮り、せめて暗くなる前にどうにかできればな、と考えていれば――どうやらその考えは無用だったらしい。
なぜなら、
「君!? こんな所で何をやって、此処は立ち入り禁止だぞ!」
物々しい服装に身を包んだ男が数人、水路の出口である川の周辺に何人もいたからである。
「お? なんだついてるジャン。ラッキー」
人に会えるかが不安だったのだが、この際道や場所だけでも聞ければどうとでもなる。
何やら立ち入り禁止の場所に出てしまったらしく、こちらに近寄る男は怖い顔をしているが、ともあれ、頭を下げればそうそう悪い展開にはならないだろう。
「―――! お、お前!?」
などと、男が楽観していると、目の前に来た男が急に顔を険しくして驚いていた。
一体何か、おかしな所でもあるのかと自分の衣服を改めてみれば、どこもおかしくはない。強いていれば通路の中にいた事で少々汚れているが、そもそもそんなところから出てきたのであるからそう驚く事でもない筈だ。
ではいったい何に――と聞こうとして、動くなと大声で怒鳴られ、次の瞬間には飛び掛られた。
「え、ハ、ちょ!?」
当然、初対面の筈の人間に襲い掛かられるとは思はなかった彼は踏み止まるなどできる筈もなく、飛び掛られたままにそのまま川に倒れ込む。
「――っ、痛っぇなっ。ちょっとオッサンなにしや」
浅かった為に沈む事はなかったが、その代り受け身も取れず後頭部を打ちつける。打ち所が悪ければ、というより頭が割れるかという衝撃を味わい。流石に聞き込みどころではない心境だと抗議しようとして――その手に鋼鉄の輪をはめられた。
思わず痛みも忘れてポカンと見返してしまったが、彼を捉えた男は有無を言わせず強引に引き上げて立たせ、騒ぎを聞きつけた他の男達に指示を飛ばしている。
何が何だかわからない。
いったい自分が何をしたのかと問いかけようにも、数の力で取り押さえられながら連行されれば流石に尋常ではないと彼も悟る。だが、抵抗しようにも既にその期は逸している。
そうして、聖杯戦争第七のマスター、雨竜 龍之介は連行という形で舞台から退場する。
この数日間の記憶を、彼が作り上げてきた数年間の足跡と共に消失させて。
まるで夢の続きを見させられているかというように彼は要領を得ないまま、冬木で画く物語を終えることになった。
黙祷。
ハイ、しんみりしたお話を書いたのは初でしたが、思いの外勢いよく疾走して書きあげられましたtontonです。
ファンの方ごめんなさい。しかし、私なりに彼女に対する愛は込めたつもりです。聖杯戦争を題材にする以上、散る存在というのは必ずいます。今回はそれがキャスターという事でしたが、私的には存分に暴れ、舞台の確信近くまで引き上げたつもりです。この作品はキャラクターの誇張、弱体化を盛り込むと言いましたが、彼女ほど変化させてキャラはいません。■■■■■との出会いのシーンは言葉をねつ造していますが、大筋外れてはいないかと。
それにしてもここまで詰め込むと、逆に他のキャラが軽くならないか不安にもなりましたが、今のところ全キャラクターにある程度のスポットライトを当てられてると思っています。今後、キャスターの様に、とは言いませんが同じように物語を駆けるよう努力していく次第です。
では、いつもの如く長くなってしまったのでこの辺で失礼します。
お疲れ様でした!!