人が争うという言葉を聞いた時、貴方は何を想像するだろうか?
例えば、それには隣人との諍いといいうものがあるだろう。
己と他者とが相容れない時、そこに起こるのは両者の主張のぶつかり合いとなる。これもまた、人が競うという点において、間違いなく争いの一つだろう。まあ、争いという枠においては些か程度の低いものではあるが……
さて、程度で諍いを表現したが、物事にはどんなものにも下位があれば上位というもの、位というものが存在する。この“争い”という単語も一つの枠組みで囲えるのは例外ではない。
では、その言葉の真逆となる最上位とは何か? 諍いという言葉について、これは小一時間ほど論じてみたい誘惑に心揺さぶられるが……ああ、しかしだ、既にこの中でもソレが浮かんだ者もいるのではないだろうか?
霊長の名を冠していながら、未だ人類が己を律する事を不得手とする負の象徴。
そう―――“戦争”だ。
民族、宗教、大陸を分断しうるその規模はまさに上位の名を冠するに相応しい。
何しろ巻き込む対象が国、ないし世界規模にまで蔓延するのだから、これほど傍迷惑な争いもあるまい。
対岸の火事と静観できる者は幸せだろうが、巻き込まれる方は迷惑千万だろう。誰であれ、余所の火の粉が己に降りかかるのは御免こうむりたいというもの、ましてやそれが如何に理不尽であり、無慈悲に命というものを膨大に浪費しえる怪物なのか、この時代において知らぬものは少ないだろう。何せ戦争とは人の歴史の優に半分を占める混沌の象徴だ。歴史を紐解けばそれは克明に主張しており、平和を謳う国々でさえ、そこには略奪と紛争の爪痕の上に成り立つのだから。
故に現代において戦争というものは忌避されるべきものだというのは言うまでもない。
その怪物がもたらす負債がどういうものであるのか、その傷が色濃く残るこの時代においておいそれと弓引く行為は好まれない。
――――だが、何事にも例外というモノは存在する。
戦を忌避するのが正常であるというのなら、戦を好み、招き、自ら弓引く逸脱者というものもまた少なくないという事になる。
なぜなら、先程“戦”を“火の粉”と表現したが、その火の粉がもたらすのは何も不利益だけではないからだ。そう、戦が紛争であり、侵略と己の主張を通すための手段であるのなら、その勝者は、はたまた漁夫の利を頂く第三者にとって、もたらすのは莫大な恩恵だ。諍いというのは事の大小に程度はあれ、一貫してこの恩恵というものが存在する。故に勝者とならんと剣を手にする者、不利益を掻い潜り、それを他者に擦り付ける事を生業とする者がいるのはなんら不思議ではない。その魂が果たして尊いものであるのかどうか、まあここではあえて論ずるのは避けておこうか。
さて、前置きが長くなってしまったか、申し訳なくは思うが……これも此度の演目を語る上では外せないお題である故、所謂お約束というところであれば致し方ないというもの。その評価はどうか、この歌劇の終焉をもって投じて頂ける事を願おう。
さあ、舞台は極東の地、日の国と呼ばれた“日本”、その一角だ。
7人の人間がそれぞれの従者を引き連れて行う演目は“恐怖劇”、描くお題は“聖杯戦争”。
彼彼女らが誓う欲望の成就に、果たして勝者に約束された未来は日の光を灯すのか……
では、今宵の
「開幕」
時刻は静寂に染まる真夜中、まるで波風以外の音を呑み込むように静けさに染まる埠頭はその課せられた静寂を順守する様に薄暗い闇色に彩られている。通常時なら足元を十二分に照らしてくれるだろう街灯も、この時ばかりは月明かりよりも朧げであり、儚く頼りないものであった。
なぜなら、闇色に染まる埠頭を異彩に染める3つの影の存在がその他の主張を、その一切を圧していたのだから。
片や、幽鬼のようにゆらりと立つ白髪長身の男。
片や、街灯よりも清廉とした出立の女主従。
両者とも異国人じみた居出立ちに相違ないが、醸し出す剣呑な敵意が物理的に大気を鳴動させる程濃密である為、この場においてその他の行動を、或いは生を否定していたのだから。
取分け敵意の色濃いのは女主従の片割れ、もう一人を背に前に出ている、恐らく従者と思われる金髪碧眼の女性と、彼女達と相対する白髪の男のものだ。もう一人の白髪灼眼のどこか人間離れした、陶器を思わせる彼女は敵意というより警戒色の方が色濃く見受けられる。
「……ようやく誘いにかかってくれる獲物がどんな間抜け面してるのかと楽しみにしてみれば、まさか両方とも女とはな……流石に俺も予想外だったぜ?」
その敵意を殺意というより濃密な密度の刃を振るう様に口を切ったのは白髪の男だ。
伏せ気味だった顔を上げてみれば、黒で統一している服装から僅かに露出していた白い肌が目につく。
「……セイバー」
従者の後ろに控えていた女性が僅かに前に出て窺う。
それに対してセイバーと呼ばれた彼女は男から視線を切らず、視界に収めながら僅かに顔を主に向けて肯首で応える。
「それはそれは、ご期待に添わなくてこちらもうれしい限りです……が、まさかその顔でフェミニスト気取りですか? あれだけ獣の様に見境なく挑発しておいて、言っておきますけど、全く似合いませんから」
セイバーの返しを受けてクツクツと男が笑いを漏らす。
それを確認しつつ、セイバーの合図に従ってゆっくりと主である女性は後退する。
相対する男の顔を伏せる行為は殺意をぶつけ合っているこの場においては失策と取れてもおかしくはない、が、あれは敵を軽視している類の行動ではないのはセイバーも承知している。
揺れ陰る頭髪の向こうに光るあれは闘争を好む狂者の目だ。
「――クック、言うねぇオンナ……いいぜ、思ったよりも楽しめそうじゃねえか」
空気が変わる。
濃密な殺気に変化はない、それは見に留めていた男の獣性が相手を仕留める為に静から動に転じたという変化によるもの。
信じがたいが、男は殺気を振りまくあの状態が静を保った状態らしい。
「……アイリスフィール。見ての通り相手は好戦的な性格です、用心の為ここは後方に控えて―――」
「いいえ、セイバー。私の、私たちの方針に変更はないわ」
用心の為下がる事を進言するセイバーに対し、アイリスフィールの返事は端的に否、思わずセイバーが振り返りそうになる程簡素な返事だが……彼女の発した方針という言葉に思い直す。
「――わかりました。アイリスフィール、私の背中を預けます。その代り、この剣にかけて貴方に勝利を!」
「ええ、思いっきり行ってセイバーっ」
その言葉と共にアイリスフィールが円筒上の物体を投げ寄こす、それを後ろ手に受け取ったセイバーは筒の拘束を手早く外し、露出した棒を掴んで包みを抜き捨てる。
「―――ホゥ」
それは簡素な鈍色の光沢を放つ細剣、通常の西洋剣に比べて刀身が細長く、サーベルの様に湾曲しているわけでもない。僅かに技巧を凝らしたとみられる鍔と、刀身に刻印された装飾以外に特筆するような特徴も無い直刀。
一目見て切る事よりも貫く事を目的としたそれであると判断できるそれを見て、目の前の男は感嘆の息を漏らす。
そう、見た目は質素であろうと、それに施された工程は一介の剣を優に凌駕する逸品だ。それを討ちあう事無く一目で見抜くあたりこの男も只者ではないという証明でもあるが。
「なよっちい得物出されたら堪らねえと思ったが、イイ得物持ってるじゃねえか。セイバー、か。どうやら見た目以上に最初の獲物は上質そうだ」
「さあ、もしかしたらランサーかもしれませんし、アーチャーかもしれませんよ?」
彼女たちが呼称するセイバーやらランサーは“聖杯戦争”における7人の
セイバーが取り出した武器は彼女の主であるアイリスフィールが投げ渡したもの、確かにセイバー自身が取り出したものでないのならそれは判断基準にはなりえないだろう。更に付け加えれば、主が名乗ったセイバーの名さえブラフという可能性もある。この戦争は会敵した瞬間、例えにらみ合いだろうと勝負は始まっている。
しかし目の前の男はそれを否定しにかかった。
「ククク、バカ言え。弓兵の剣技なんぞで俺を止められるかよ。街からここに来るまで徒歩で主の逃走にも徒歩を強いる奴がライダーっつうのもな、かと言って狂った狂戦士の類じゃねえな。その澄んだ胸糞悪い目がアサシンやキャスターなんて狡い性悪な器とも思えねえ……とくればだ、残るはランサーかセイバーってわけだが―――」
確かに話の筋は通っている。
そして
となれば論理としては弱い
「ああそうだな。確かに仮初の武器なんざ基準にもなりもしねえ……が、悪ぃな。名乗り遅れたが、この第4次聖杯戦争に召喚されたサーヴァント、“ランサー”だ。最初の獲物が“最良のサーヴァント”とは、光栄だぜ、セイバー」
愉悦に顔を染める男、ランサー。
最初にセイバーが剣を取り出した時点である程度絞り込んでいたのだろう。そして先程までの挑発の応酬、候補を確信に変えた彼の話術は粗暴ながら流れのあるものだ。つまり、見た目に反してこの男は理性まで闘争に染まっていないという事、冷静な戦闘狂など矛盾しているにも程があるが、どうやらこちらは最初の相手としては中々に難敵を引いたという事らしい。
「ま、つっても真名は名乗れねぇっていうクソつまんねえ縛りだが――あぁ、そんな堅苦しく身構えなくてもいいぜめんどくせぇ……そういう細けぇのは、今から手前の身体に聞いてやるよ」
低く半身に構えるランサー。低くといっても長身な男が屈もうとそれは的を小さくするというより、女性である故小柄なセイバーに合わせて初撃を繰り出しやすくするためだろう。
口上においても上達だったランサーだが、その所作は戦闘においても性格に似合わず合理的だ。
「オラいくぜぇえ!!!」
男が繰り出したのは掌底、そう、只の掌だ。こうして相対しても武器を手に取らなければ己の身一つで向かってくる事になるだから当然そうなるのであろう。がしかし、それにしても武器を手にした相手を前に躊躇なく飛び込む姿勢に慢心といった驕りは窺えない。
一見して無謀な一手であるように見えるが、これは初激だ。如何に口論を講じようと相手の不明点が多い事には変わりない。
ならば愚直に受け止める必要性はない、態々手を差し出す格好になるがサーヴァントというものは無手でもその特性、“宝具”によって魔技を持つ者もいる。ここは用心を取るべき場面で―――
「―――ッ」
差し出される様にして突き出た男の腕を切り落とすのではなく、その軌道を逸らすようにして剣の腹を向ける。用心を重ねて迎え撃つのではなく、搦め手で受けに回った選択だったが。
「ほぉ……イイ腕してんじゃねえか」
結果としてその選択が正解であったことが証明されれるが、正解にしては手痛いおまけつきとなってしまった。
「っ、ぅ――クッ」
男の賞賛の通り、今の対処が間違いでない事がこの手に伝わる震えが物語っている。
剣から伝わった衝撃で一時的に使えなくなった手を振り払うようにして相手を牽制し、即座に横滑りに距離を置く。
「加えて勘もいいとくれば―――ククク、いよいよ上玉じゃねえかよ。いいぜオマエなかなかにそそりやがる」
そう、受けた訳でも弾いた訳でもない。
接触は僅かな間触れた程度、されど完璧にこちらの追撃を潰してきた。
受け流すとは本来、カウンターありきの術であり、単なる防御ではない、にもかかわらず、両者の構図はその理を根底から覆している。カウンターを狙ったセイバーが退くなどということは本来ありえない。
ならば―――
「まあ、パワーでタイマン張ろうとしなかったのは褒めてやるが……頭使うにしても折角の戦なんだ、もっと派手に存分に楽しもうや」
単なる力技。
ふざけた話ではあるが、今の話は簡単に言うと“ただの掌底”が“ただものすごく力強い掌底”という文字にしてみれば実に短い真実である。
正に出鱈目、身一つで条理を覆すなど正にであるが、こちらに切り返す意図が無かったとはいえ、向かってくる刃に男は躊躇がなかった。そこから察するに剣を相手に素手という状況に恐怖など微塵もないのだろう。もとよりそのような可愛げのある感情など存在するのかも疑問というのが会敵からのセイバーの感想ではあるが、それにしても巧み過ぎる。腕の一つとっても武を収めている素振りは全くないというのにだ。
間違いなく、目の前の男は戦いというものに慣れている。
「考えは纏まったか? ならさっさと来いよオラ、渋ってんならこっちからイクぜっ!」
「ク――ッ」
軌道を逸らすだけで腕を取られるほどの衝撃とくればなるほど、無策に見えたのも仕方ない。そもそも策というものが必要ないのだから、この防戦を初めに選んでしまった時点で彼と相対した敵は詰んでしまう。
それでも早々にやられてやるつもりはないセイバーであったが、如何に彼女が最良のサーヴァントである“セイバー”のクラスを冠していようと、それを抑え込むほど男の攻撃は苛烈だ。
「オラオラオラッ! 柳を殴る趣味はねえんだ。もっと俺を楽しませやがれ、よっとぉ!!!」
怒涛のラッシュを躱しつづけ、その桁も二桁を優に超えた来ただろうか。その間も僅かな接触もなく避け続けるセイバーの動きは驚嘆につきるが、その手を休めず攻め続ける男も異常、両者の間で天秤は傾くことはないが、傍目から見てても攻め続けられるセイバーが不利なのではと緊張が走るのも無理からぬ事だった。
そして――
「オイオイ最初の威勢はどおしたよ、俺を倒すんだろ主に勝利を捧げるんだろうがよっ」
一際力の籠った一撃を躱し、一息に距離を開ける。
といっても、相手の脚力から一足で詰められる距離であるからして後退にさほど意味はない。彼の言葉通りこの状態に硬直している限り彼女に勝機はなく、態勢を立て直そうにも彼の体捌きがそれを許さない。
状況的に男のステータスはその異常な力以外に不明な点が多すぎる。そも彼のクラスを特定する獲物も出してすらいない、自身から“ランサー”と名乗りこそすれ、それを鵜呑みにするほど彼女も脳筋になったつもりはない。
であるならば、彼を土俵に上げるために、その素性を暴し、凌駕する。騎士が主に誓いを立てたのならそれは命を賭しても掴み取るものであるのだから。
「……言われなくても――――」
故に構える。
半身に掲げた細剣の柄を胸元に引き絞り、狙うは刺突一点。
そも、初めから選択を間違えていた、騎士の誓いを立てておいて初めに取る手が搦め手などと、自身は少々気負い過ぎていたのかと若干の自嘲が少々、男の威圧には正直に感服するしかないが、それにしても後退の二文字を選んでしまった自分自身に対する怒りが多分にある。
しかし、ならばこそと前に突き進み力で対抗するのかと問われれば答えは否だ。
逃げの文字を捨てた以上、取るべき手段は確かに一つだが、そこに頼りにするものが一つである決まりはない。
「――ええ、そこまで楽しみたいのなら退屈はさせませんよ。もっとも、楽しむ暇なんて与えません!」
先程の様なカウンターや後の先というのは力が拮抗あるいはそれ自体を捩じ伏せてこそ、それがかなわない以上、触れずに相手を打倒するしかない。
「っ!」
正に電光石火。
鈍色の刃が街灯の光を仄かに煌めかせ、僅か一瞬の内に相手の目の前に踏み込む。
一瞬男の口から洩れたのは会敵から初めての驚愕の念を匂わす。それもその筈、男が知覚する時には既に眼前、引き絞られたその得物は間合いに踏み込んだ勢いを載せてその刃を走らせている、故に必殺。
急所を寸部違わず穿ちに来るそれは既に防御の暇を与えないものだ。
「うぉっとっ!」
だが、それでも男の肌にさえ届かない。
確かに一瞬とはいえ焦りはしたが、戦場において想定外の窮地というのは多々ある。重要なのはその直後の行動だ。今のは確かに防御をしようにもその手を伸ばす暇はないが、だからといって愚直に受ける必要などない。となれば今の必殺の一撃を躱された間こそお前敗因だと、彼は沿った身体を戻しつつその肩から腕を撓らせようとして――
「――あ?」
その起点である肩に起こったありえない衝撃を知覚した。
その筋は先ほどと同じく直線だった。変哲のないただの一筋、それ故に異常なのはある筈の間隙が潰されている事、一撃を避けたはずの場所へ既に二撃目が見舞われていたことだ。
「くそ、がぁあ!!」
そして肩を穿った剣を掴もうとした手の甲に更にもう一撃、ここまでくれば最早他に回答のしようがない。ランサーの一撃が力のみに単純化された技であるのなら、この剣戟は早さにその重きを置き、特化させた技であると。
そう、相手に攻撃の暇も与える事無く瀑布のように攻撃を繰り出す、それが彼女の答えだった。
であるのなら今この間合いは間違いなく男にとっての死地。
一秒でも長く留まれば瞬く間に槍衾だ、思考をする暇もないだろう。故に態勢を整える意味でも彼には後退しか許されない。もっとも、彼女がそれを見逃すほど甘ければの話ではあるが。
「逃がしません!!」
三つも手痛く討たれた形になった男だが、続く動きは戦上手の体に恥じぬ体捌きを見せている。
急所を的確に狙う刺突の嵐を時に掻い潜り、時に身を犠牲にしても致命傷は避ける。距離は狙いと違い相変わらず思ったように離せないが、それでもこれだけの動き、今のペースでくれば続くはずもない。しかし、だからと言ってただこのまま肉を切らせて敵の消耗を待つなど脆弱極まりない、男もその行為は断じて肯定できない、故に――
「――舐めくさりやがってクソアマが、この程度で……俺をやれると思うなぁ!!!」
背後の気配、後退の末に背に位置するように仕向けた鉄の箱の山、その一つに腕を打ち込み、一息に眼前に振り回す。優に1tは超えるだろうそれを振り上げる、それを片手でなど正に常識離れの力技と言えよう。
一連の動作で男は背を見せているが、その意図を覚った彼女は瞬時に後退している。
二人の間で四散したコンテナ片と貨物達、両者を隔てる様に散らばったそれらは狙ったのか、はたまた本当にぶち当てる心算だったのかは不明だが、一気に攻討ちたい所だったろう彼女も、流石に鉄の塊を前には後退を強いられ、結果として両者を隔てる役割を果たしている。
そこへ――
『何をやっているランサー』
不自然なほど反響した男の声が響いた。
「―――ランサーのマスター? どこに―――」
瞬時にアイリスフィールとセイバーはこの声を察し、視線を巡らせるが、姿はもちろんその気配も魔力を感じる事は出来ない。どうやらこの声の持ち主は聖杯戦争におけるマスターの鉄則とやらを従事しているようだ。
即ち、戦闘をサーヴァントに、マスターである自分は戦況を見渡し、情報収集と支援に回るという常道。
程度の差こそあれ、サーヴァントとして召喚された英霊達は、誰もが人の域を超越ないし逸脱してる。
その彼等の戦いの最中に介入するなど火の光に飛び込む虫のようなもの、自殺行為である。故にこの事態はランサーのマスターにとって大層歯痒い事態だったのだろう。本来姿をくらます筈の己が声を発生するなど――当然、それなりの防備、対策は施しているのだろうが――その存在を探る術を与える行為に等しい。
「ちっ、言ってくれやがる―――つってもなぁ、嬉しい誤算か、予想外にこの女が強えんだ。幾ら戦争がおっぱじまったばかりだっても、得物を封じてってのは、なぁオイ」
セイバーからしても聞き逃しそうな軽いぼやきから一転、周囲に響かせるような発言は不遜の一言。とてもマスターに対する進言とは思えないそれはそのまま彼らの信頼関係を思わせるが、それよりも今の発言には聞き逃せない言葉がある。得物を封じて、それに対するランサーのマスターの対応次第で、この戦局は一気に動く事になる。
『チッ……よかろう、確かにそこのセイバーは難敵だ。―――宝具の開帳を許可する』
「くかっ、そう来なくちゃなぁ。承諾するぜマイマスター」
その言葉を受けて顔を愉悦に染めた男が大業そうに両手を広げ、空を仰ぎ見る。
戦場においてあえて隙を晒す行為はセイバーにとっては正に好機であるが、主に言葉を返す男から歪な、酷く歪んだ魔力が流れ出す。濃密で甘いそれは花の蜜が香るように錯覚しそうになるが、セイバーの感がこれは断じてそんな華やかなモノではないと告げている。
「セイバー!」
「ええっ!」
宝具の開帳。
生前の偉業、または英霊自身の象徴ともいえる力の解放。それらは総じて現存する兵器など比べ物にならない神秘の塊だ。それ次第では如何にサーヴァント自体に差があろうと所持する宝具によってその関係が引っ繰り返ることもある。所謂切り札、ランサー陣営は今勝負に出ようとしている。アイリスフィールの緊張した声の通り、悠長に構えてなどいられない。先ほどがいくらこちらの優勢だったとはいえ予断が許されなくなる。幸いにして彼女の武器はそのスピード、主の言葉に風を切るようにして男に飛び込む。
思考なく飛び込む行為は自殺行為だが、相手との距離は5mばかり、彼女に一息に詰める自信があればこそ待ち構えるという手段は選択肢にない。
そして、その自信を裏付けるように彼女の剣が男を貫き―――
「―――なっ!?」
貫抜かれた掌によって強引に真の臓から狙いを逸らされる。
常軌を逸した行動による必殺の回避、肉を切らせてという言葉は戦場では稀にみる奇跡にも等しい奇行だ。が、果たしてそれを咄嗟に、即実行できる者が何人いるだろう。
そして、それを苦も無く実行した男の口元が三日月の様に吊り上り、ついにその宝具、その真名を告げる。
『
男から漂う纏わり付くような魔力の様に、吐き出す言葉は質量をもつ様で、神秘を明かすというより禍々しい呪詛の様に思えてしまう。
それは断じて生易しいものではない。瞬時に失敗とこの距離は死地だと断じたセイバーは勢い良く後ろへ飛ぶ。
セイバーが如何に高速を誇ろうと後退となれば方向は左右後方、男の視界から一息で脱するのは容易でない、故に追撃に身構える。
『―――
が、身構えた彼女に対して予想した衝撃は訪れず、代わりに続くその言葉で彼の歪みが顕現する。文字通り変じたのだ。
後退を優先した為、抜けなかった剣を即手放したセイバーの判断は英断だ。あのまま留まればこの身は瞬く間に槍衾になっている。
男の身に起こった変化というのはその皮膚のいたる所、規則性など感じられない程乱雑に生えた幾つもの杭だ。
英霊とは人を超越、ないし逸脱している者だが、それにしても人間離れした居出立ちだ。蜜の様に香る魔力が目に見えて収束され、その濃い魔力が形成しているとみられるその杭の群れは同じく怖気がする程禍々しい。
「何呆けてやがるよオイ。まさかこれ見て丸腰でこようなんて思っちゃいないだろうが―――オラ、忘れもんだ」
男の出方を窺っていたセイバーに向かって投げられたのは彼の手に突き立てた剣。丁度彼女の前に突き立つそれを一瞥し、男から目逸らさずそれを抜こうと手を伸ばして―――それが空を切る。
「っ!?」
「そんな、剣がッ」
掴もうと手を伸ばしたソレは砂城が風にさらわれる様に瞬く間に舞崩れる。
その剣は確かに相手、ランサーがいうように神秘を纏った宝具でも、セイバー自身の通常武装でもない。
早期の真名発覚を防ぐ為、こちらの不確定要素を増やせればとアイリスフィール側が伝手で用意したものだが、現代の代物とはいえ、名家である彼女の家が用意したものだけあり、世間的に確認された現存する宝剣に勝るとも劣らない逸品だ。更には無機物を扱う事にかけては一家言ある彼の家だ、もちろん
「セイバー! 今替えの剣を――」
後ろから慌しい気配を感じて片手でその先を制する。
視線を僅かに下げ、出来たばかりの砂鉄の小山に墓標の様に傾き立つ柄を見る。
セイバー自身驚嘆した逸品だったのだ。宝具の域とはいかないが中々の名剣であると、それが瞬時に姿を一変させるという事は、やはりあの杭は見た目通り禍つ魔力の塊、彼の宝具であると見て間違いないだろう。なら、アイリスフィールには申し訳ないがこちらが用意した剣で太刀打ちできるとは思えない。
そして早々に切り札を切るという事は、それだけ自信があるのか、はたまたまだ隠し玉があるのか。ランサーの性格だけであれば前者であるが、マスターの声から察するに後者とも取れる。
「吸魂の杭といったところですか……鉄も食べるなんて、随分悪食な性質なんですね」
「吸魂、ねぇ……だったらどぉするよ? あぁ? ブルっちまったとかここまで来て萎える真似言うんじゃねぇよなオイ」
クツクツと嘲る様に笑うランサーの肩の動きに合わせて身体から生えている杭達が、まるで蠢くように揺れる。ともすれば生きている様にも見えるそれ等は、獲物を前に舌なめずりをする獣を連想させた。
「まさか、寧ろ向後の憂いを断ってくれて感謝しているくらいです。こうなれば、私も
「成程、ねぇ――」
ランサーの歓心するように洩れた声、セイバーの言葉が確かなら一時圧倒していた剣技で持っても本気ではないという事になる。
つまり、先程までのやり取りはあくまで最善手でない小手調べでしかないのだと、それを聞いたランサーは堪らないとばかりに笑いを金成あげる。
「言うね……いいぜオマエ。最初から全力じゃないのは正直癇に障るが、コレを見せて強がるやつを見るのは久々だ。精々楽しませてくれるんだろうなオィ」
この場を窺う者ならセイバーの意図は明確だろう。
主に勝利を誓う彼女に敗走の二文字は無く、禍々しい魔力を上げるランサーを前にして寧ろ打倒してみせると。
「セイバー――」
「すみませんアイリスフィール、独断になりますが私は此処で剣を抜きます」
窺う声に対して短く謝罪の言葉を被せる。
聖杯戦争はまだまだ始まったばかりだというのに、こうも早期に手の内を晒す愚行、撤退を選べないのは自身の誓いであり、主の意向には背くかもしれない、でも、それでも、誓いを果たす為に駆ける事は諦めないとその目が何よりも雄弁に語る。己は負ける為に剣を抜くのではないと―――
「いざとなればこの身を盾にしてでも貴女の安全は約束します。ですからここは―――」
「セイバー。マスターとしての今回の方針を覚えてる?」
「アイリ―――」
そこで思い返したのは此度の戦争にこの地に訪れる前に告げられた方針、アイリスフィールではなく、セイバーに対して命令権、主の証である令呪を持つ本来のマスターである男の言葉だ。
『――戦場で、君達二人には誰よりも苛烈に、華々しく目立ってもらう。それこそ――』
――誰から見てもセイバーと、そのマスターと思われるアイリスフィールが注目される様に。
方針としては単純だ。
戦争の駒であるサーヴァントに加え、他陣営のマスターの目を集め、本来のマスターである彼をフリーにする。そうする事でサーヴァントに対抗できなくとも、その主であるマスターが彼女等を注視せざるを得なければそれだけ隙を晒すという事になる。
それを突くという手段は暗殺者の如き所業であるし、セイバー自身このやり方を正直是とはしていない。
だからこそ、戦場で苛烈であれというならその様を見せつけようと心に誓った、彼の出る幕が無い程に、最良のクラスに恥じない英雄を引き当てたのだと証明する為に。
それを今一度胸に、アイリスフィールに対して小さく首を振る事で肯定の意を示した。
「貴女の役目は戦場で華となる事、間違っても他を優先して敗走することはないわ。だから、貴方の判断は間違いじゃない。貴女のその決断が勝利に繋がるって信じてる」
「――ええ、今一度誓います。必ずや勝利をっ」
剣を手にせず行う勝利を誓う礼は奇妙に映るだろうか。否、その手に幻視する程に凛とした佇まいは間違いなく騎士の誓いだ。
彼女の檄を受けて、セイバーが実感するのは感謝の念に尽きる。
本当に自分には過ぎるといってもいいパートナー、もし、この戦争で自分のマスターが彼女だったら、そう思わずにはいられない、所詮もしもなどないとわかっていても。
「お待たせしましたねランサー。先程までが不服というならその非礼は詫びましょう。ですが、先程も言ったように、貴方の期待に応えるつもりはありませんよ。ここからは―――獲りに行かせてもらいますッ」
今この瞬間は彼女が主で自分が騎士で、勝利を誓う存在だからこそ。
掲げる腕には未だ何も握られていない。しかし、無手の剣術が真剣を幻視させるように、その手には質量を結ぶ様に確たる何かが存在する。
そしてそのまま構えるは半身に引き寄せた腕に肩越しに相手を見据え、幻無の剣を向ける。
『―――
それは彼女が初めから取っていた構えだ。
呟かれた言葉を皮切りに、青白い光を纏って彼女を包んでいた魔力がその手に集う。
『
青白く瞬く光に生える純白の刀身。
細身且つ直刀でありながらその刃は血を払うためか、儀礼に細工した物なのか、表と裏の交互に鋭角の凹凸が施されている。飾り気というには質素な文様が一線施されたそれはまるでランサーの魔的な魔力と対をなすように澄んでいる。
「なんだこの小奇麗な気は反吐が出る。いい感じに潰し甲斐があるじゃねえか……く、くっくっく、頼むから見かけ倒しはやめてくれよなぁ」
「妄想に耽るのはそちらの勝手ですけど、風穴を開けられてから泣き言を言っても誰も聞いてくれませんよ?」
互いの武器に収束し、大人しく留まっていたそれらが猛威を振るう様に溢れ出す。
魔と清のぶつかり合いは場を混沌と圧していく。
対する二人も軽口の応酬はこれまでだという様に半歩、構えを深くとりつつに距離を詰めた。既にどちらが弾けてもおかしくない膠着、そしてそれは長く続くはずもなく―――
「上等だよ…ブチ殺してやらぁ!!」
「行きますっ!!」
駆け引きなど知ったことかと杭の生えた腕を槍にして飛び込むランサー。
半瞬遅れる形になるが、それでもこの程度は遅れになりはしないと地を蹴り瞬時に最高速へ至るセイバー。
両者の激突は沸き立つ魔力を爆散させ、埠頭を揺るがす余波で周囲を薙ぎ払う。
その中心で鍔迫り合う二つの影は勢いをそのまま、互いを吹き飛ばすように距離を取り、再度構える。
個々人が与えられる被害を凌駕した戦いの爪痕は剣戟の毎に刻まれ、激化していく戦闘は戦争と称して狂いはない。
“聖杯戦争”
七人のマスターが万能の願望器たる“聖杯”を求めて己が召喚したサーヴァントと共に競い、殺し合う闘争劇は、こうして幕を上げた。
いかがかな。
これよりこの地、冬木における4度目の戦争が幕を開ける。
公式には第2戦?
いいや、あのような茶番前座というのもおこがましい。此度の世界の魔術師どもが己の術に矜持を持つように、舞台には舞台の王道というものがあるように、戦というのにも美学があるのだよ。
で、あるからして、姫と騎士、美々しく戦に臨む彼女等の相対するものが彼というのも、なかなかに趣向が利いていると思えないだろうか。
ああ、陳腐な言い方にはなるが運命的なものを感じいたりはしないだろうか――などと、私が聞けば貴方は下らないと切って捨てるのだろうが。
いや、なに。陳腐故に、これがなかなか侮りがたい。単純というものは明確であるからこそ分かりやすいのであって、明確という形を確立されたものは得てしてそれを否定、ないし抗うという術を嫌う。己が不運を払拭できない、追いすがる誰某に置き去りにされる、愛した物から失う、例え些事の積み重ねだろうと一度形の決まった条理は覆しがたい。であれば、この廻り合わせにも何某かの意味があるのではと、そう思っても何ら不思議はありますまい。
とまあ、こうして話を逸らしてしまうのも私の悪い癖かな。いや、自覚はしているし、貴方にも指摘はされてきたが、如何とも、こればかりは治る余地が見えてこないのだ許されよ。
さて、舞台は整い、幕は上がる。
まだ見ぬ終幕は遠く、そこに未知が約束されているのか、見果てぬ故に断定は遠慮させていただこうか。見えぬからこそ未知ではいてくれるが、我らにとって、事そこに至れば物の価値などどうとでも変わる。それこそ未知の宝石が途端に有り触れた石屑にでも変わるように、些か、難儀というには過ぎた業だが……ああ、この話をするのも何度目になるか――いや、この論議は別の機会にするとしよう。既に議論も結論も幾度と繰り返してきたが、ああ、勘違いはして欲しくはないな。私は貴方に退屈をして欲しい訳ではないのだよ。むしろ逆だ、その既知を振り切ってほしいと切に思うよ。
であるからして、これは私から貴方に贈る助言なるもの、どうか素直に受け取ってほしい。
なに、難しくはない。
此度の舞台、如何に彼らの魂が眩い輝きを放とうとも、決してその席を離れる事がなきようお願いしたい。
私自身が舞台に干渉するとバランスが崩れるというのは以前にもお聞かせしたとは思うが、これは貴方にも言える事であるのだよ。
如何に整ってはいるとはいえ、舞台を引っ繰り返されては戻しようもないというもの。まさか第一幕から御自らということが無いようにとは願うが、貴方は些か遊びを好む傾向にある。此度はそこまで強度の保証は出来ぬ故、忠告となってしまうが、一度、それも一時でも留まれはしないだろう。で、あるからして、もし、自制が利かぬというのであればせめて終局を待つのが吉であるとだけ言わせてもらおう。
その頃には器も十分に満たされよう。貴方のその身を受け止める事も、僅かとはいえ可能かもしれない。少々、遊びが過ぎる賭けにも聞こえるだろうが、なに、そういった趣向は貴方も好まれるところでしょう。
さあ、何はともかく今は序章が開けたばかり。
姫と騎士の活躍に御期待あれ。願わくば、彼女等の往く先に貴方が望む結果が訪れん事を――
――さあ、恐怖劇の幕を上げよう。
どうも、ハーメルンでは新参者になりますtonton言います。
Dies iraeが好きすぎて思わず書いてしまった……orz
けど後悔はしていない! たぶん
クロスにFate//Zeroを選んだのは戦場と、黒円卓の宿命である○○○○○完成と被せられそうと思い至ったのがきっかけです。友人に同じタイトルの動画があると知って筆がノリに乗ってしまったというのがあります。
初っ端からneat介入、本編はインパクトがほしかったので本編は初っ端からセイバーさんとランサーさんにやり合って頂いてます。
なので召喚の経緯や、全サーヴァントが召喚し出そろった瞬間、最後のneat発言による公式から除外された第一戦がなんであるのか、それはこの戦いがひと段落してから徐々に語っていくのでどうかお待ちください。