二人の話   作:属物

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第二話、正太が蓮乃を叱る話(その二)

 

 

 「……ゼーッ……ゼーッ……ゼーッ」

 

 さほど遠くないと言え、そこそこの距離を走り回ったせいで正太の息はひどく荒れていた。

 意外なようだが正太は元来運動は得意な方だ。体型に似合わない運動性は希少な魔法と相まって、小学校時代の正太の鼻を天狗よろしく伸ばしていた。

 だがここ数年の運動不足と体重の増加は、肉体から持久力の三文字を奪い去っていた。それに加えて体型が少々ふくよかにすぎることもあり、正直きつくて堪らないというのが現在の正太の本音であった。火で炙ったヤスリを、一呼吸ごとに呼吸器官にかけられている気分だ。さらにコップ一杯どころか洗面器いっぱいの汗が、制服の肌着をグショグショに濡らしている。推測だが、ワイシャツどころかその上のブレザーまで汗で湿っていることだろう。明日の朝は着る物がなくてさぞかし困るに違いない。

 それでも、無理に息を吐いて、無茶に息を吸い、酸素を求める体を無視して呼吸を何とか整える。

 

 公園で遊ぶ子供達を一通り確かめ(パトロール中の警官から睨まれた)、ケーキ屋と和菓子屋のある通りで一軒ずつ確認し(店の人からは不審人物を見る目で見られた)、正太は蓮乃を捜し回ったがその姿を捕らえることはなかった。

 あとは、少々距離のある電気屋とおもちゃ屋まで足を延ばしてみるくらいしか、蓮乃の居所に想像がつかない。だがしかし、自転車でも一〇分はかかる電気屋とさらに移動時間に一〇分を追加するおもちゃ屋に、徒歩で行くのはさすがに体力の限界を超えている。

 その上、我が家にある自転車は共用のママチャリ一台限りで、この時間は母がパートの出勤に使用しているのだ。さらに言うなら自転車で三〇分かかる母のパート先へ自転車を取りに行くのは、ナンセンスを通り越してジョークの領域に達していると言ってもいいだろう。

 

 つまりは自己の体力的な側面から考察するに、このまますごすごと自宅へ帰還し、絶望的な心地で睦美さんに「蓮乃ちゃんが行方不明です」との一報を連絡するほかないということだ。

 

 ――嫌な手段を使わない限りは、だけど

 

 右手にはまる、赤銀色の「腕輪」に視線をやり、正太は感度調整ねじが最低を示しているのを確認した。電子音の警笛をならしながら町を走り回るのは、とりあえずしないですみそうだ。

 

 嫌な手段と言っても、別段法に反しているというわけではない。使い方如何では法に触れる部分もあろうが、気を付ければさほど心配はない。

 ただ、単に自分の心理的にこんな手段に頼るのは、「便所で見つけたカマドウマを直火で炙って熱々でいただく」ぐらい嫌だと感じているだけだ。昆虫食を否定するつもりはないが、自分個人としてはとてもじゃないが許容できない。それくらい「それ」を行うのは心底嫌だ。

 だが、ほかに方法がないならやるしかない。「それ」をやらずに蓮乃を見つけ出せないより、「それ」やって蓮乃を見つけた方がマシなのだから。

 正太はいろんな感情のこもったため息を深く深く吐くと、深く深く息を吸い、そのまま深呼吸を繰り返し始めた。

 

 

 

 

 

 

 訳の解らないものの代名詞である「魔法」だが、さすがに四〇年以上つきあえば、人類もある程度のことは判ってくる。たとえば、受動的な「(勝手に)使われる魔法」と能動的な「(自ら)使う魔法」におおざっぱに分類できる、みたいなことが。

 その分類でいくならば「それ」、すなわち正太の魔法「熱量操作」は、能動的な「使う魔法」だ。

 

 ではどうやって使うのか?

 

 正太は殊更大仰に大きく息を吸い、できる限り時間をかけて息を吐いた。まるで炉に風を送るフイゴのように、深い深い深呼吸をする。そして想像する。イメージする。

 ヘソの下の腹の底、中国拳法で言う丹田の辺りをイメージする。そこに溶岩がある。沸々と泡を立てて煮えたぎるマグマがある。それは自分の生命が持つ熱量(カロリー)そのものだ。

 

 実際はそんなものは「ない」。あるのは大小の腸と腎臓くらいだ。でもそこに「ある」と明確にイメージする。大道芸のパントマイムのように、その温度を、その熱を、その重量を、強く強く想像する。

 そして溶岩がポンプで吸い上げられる。ポンプは胸の内で脈打つ心臓だ。心臓が血液を循環させるように、溶岩を吸い上げて体の隅々へと流し込んでゆく。心臓から胴体へ、胴体から四肢へ、四肢から指先へ。煌々と赤熱する溶岩流が細い流れになって、動脈を通る赤い血潮のように細胞一つ一つに流し込まれてゆく。全身が煮えたぎり、燃え上がり、茹だっていく。

 

 イメージに伴って深呼吸のリズムが速まってゆく。始めは体中に染み渡るような深い呼吸。しかし今は全力疾走した後のような、荒く短いテンポで息が肺を出入りする。それに併せて、心拍もまた運動後のような一六ビートを刻んでいる。

 

 火山から吹き上がる溶岩に触れたように、流し込まれた細胞は赤々と燃え上がる。細胞が熱膨張を起こして膨れ上がり、灼熱するエネルギーが細胞膜から溢れ出て、隣の細胞をも赤熱させる。

 筋繊維の一本、皮膚の一枚、骨の一片に至るまで、内から流し込まれた生命の熱に沸騰している。まるで自分は巨大な炉心だ。流し込まれた熱量(カロリー)を燃やして、無尽蔵のエネルギーを生み出す、怪物的なエンジンだ。きっと水をかけたら湯気が昇るどころか、水蒸気爆発を起こすに違いない。

 

 全身余すところなく熱量(カロリー)が注ぎ込まれたのを感じ、正太は無理矢理息を止めて荒い呼吸を急停止させる。さらに余剰の熱を排出するように、深く深く息を吸って吐く。吐息は紙をかざしたなら、火が点きそうなほどの熱を帯びている、そんな気がする。実際はどうとかは気にしない、気にしている余裕もない。まるで全身が内側から炙られている感じだ。

 実際、正太の全身は内から来る高熱に紅潮して熱気を放っている。もしも、冬場なら湯気と陽炎が立つ様をみれただろう。

 

 体内を空冷するために、もう一度深呼吸して肺の中に外気を取り込む。肺の血管を通して冷気が体内を通り抜け、熱い風呂の後でアイスキャンディーをかじった時のような、鮮烈な爽快感が神経を走った。それと同時に脳の随まで満ちていた熱がようやく逃げだし、風呂の中のように靄のかかった意識が急速に澄んでゆく。頭を何度か振って熱の残滓を投げ捨てると、ようやく準備が整った。

 

 魔法を使ったのはずいぶんと久しぶりだった。「前の一件」以来、半ばトラウマじみて魔法から遠ざかっていたのだが、ありがたいことに魔法を使用する感覚は忘れてはいなかったようだ。うまく規模を調節できたかはあまり自信がなかったのだが、「腕輪」が電子音で文句を付けていないあたり、どうやら望み通り法的使用限度の四級規模で収まったらしい。

 だが、久しぶりに使用した魔法に酔って、いつまでもじっとしているわけには行かない。正直あまり使いたくない魔法を使ったのは、あくまで未だ見つからない蓮乃を捜し出し、家に連れてかえって、足がしびれて泣き出すまで正座でお説教してやる為なのだ。

 

 正太は体を丸めて、クラウチングスタートじみた体勢を作る。それとも獲物を狙う猫科の猛獣の姿勢か、矢をつがえて引き絞った石弓の構えか。そして引き金を引き絞るように、全身に満ちる熱量(カロリー)を両足に流し込み、地面を力強く踏みしめて目的地へ向けて駆けだした。

 

 

 

 

 

 

 街路樹が並ぶ並木道の中、全身の肌を真っ赤に紅潮させた正太が、イノシシが跳ねるように走っている。正太の視界の中では、等間隔で立つ寡婦銀杏(ヤモメミイチョウ)の木々が、飛ぶ勢いで後ろへ遠ざかってゆく。まるで自転車を全力で漕いでいる時のように、風景が勢いよく流れ去る。

 事実、正太は自転車とさほど変わらない速度で、歩道を駆け抜けている。全身に満ちあふれる熱量(カロリー)が、短距離走の速度を長距離走の距離で発揮させているのだ。さらに外気に奪われて消費されてゆく熱は、止まること無い心臓が丹田から補給し続けており、正太から一切の疲労を取り去ってくれる。今の正太ならオリンピック候補のマラソン選手とも張り合えるだろう。もっとも、魔法使いがスポーツや武道の公式試合に出場することは、法律で明確に禁じられているのだが。

 

 とは言っても無限にこれができるわけではない。自分のイメージの中で腹の底に蓄えられていた煮えたぎる熱量(カロリー)は、ずいぶんとその量を減らしている。自分の魔法は「熱量操作」、操作する熱量(カロリー)がなくなってしまえばできることはない。

 というより、熱量(カロリー)が尽きれば命に関わりかねない。自分が操作する熱量(カロリー)は人間が持つエネルギーそのもの。それは体温であり、血液であり、脂肪であり、それらの原動力となるものだ。それを使いきることは、冬山登山で食料を切らしたのと変わらない。冥界めがけて一直線で転がり落ちることとなる。一つ間違えれば、凍死と餓死の二重死因という世にも珍しい死に様となるだろう。

 

 事実、正太にはそれをやらかしかけて救急車で病院に連れて行かれた記憶がある。その時、応急処置をしてくれた救急隊員曰く、低体温症と栄養失調を足して二を掛けたような状態だったらしい。その時の正太は、電気あんかを抱きしめて三重毛布にくるまれながら、高カロリー栄養点滴の応急処置を受けていた。その時、正太の感覚は、凍るような全身の冷たさと、胃袋が焼け付くような飢餓感を訴えていた。

 だから実際に使用できる熱量(カロリー)は、イメージの中の溶岩量よりも少々少な目に見積もる必要がある。それを考えれば、正太としても無駄な時間をかけるわけにはいかない。

 

 頭の中で地図を広げ、正太の現在位置と目指すおもちゃ屋・電気屋の位置を比較する。まだ、半分も行ってはいない。未だ遠い目的地への距離と、量を減らす一方の丹田の残り熱量(カロリー)が、正太を焦燥感で炙る。急く気持ちがさらに熱量(カロリー)を浪費して、足を無駄に早回そうとする。

 だが諺にもあるとおり、こう言うときは「急がば回れ」だ。ありがたいことに、いつもなら突然現れては脳味噌を埋め尽くす混乱思考も、脳の髄まで注がれた熱量(カロリー)が存在を許さない。注ぎ込まれた熱量(カロリー)のせいで極端に集中した脳味噌は、「目的地への到着と蓮乃の探索」の妨害になる思考を締め出してくれる。

 それでも残る余計な思考を熱の籠もった深呼吸で吐き出すと、正太は丹田から消費分の熱量(カロリー)を汲み上げて、火照る全身へと再度注ぎ込んだ。速度を速めることも遅れることもせず、常に一定速度で走り続ける。

 

 目指す場所はまだ遠い。要する熱量(カロリー)もまた多い。急がず、焦らず、されども遅れず。

 

 

 

 

 

 

 昨日の天気予報通り、夕方近くになって雲間が広がり太陽が姿をかいま見せ始めた頃、ようやく正太は自宅のある間島アパートにたどり着いた。

 首をうなだれてアスファルトで視界を満たしながら歩く帰路は、永遠と思えるほどに遠く感じさせる。さらに言うなら腹の底の熱量(カロリー)は空っ欠近く、足に鉛を詰め込んでいるようだ。気分も同様に鉛を呑んだが如くの、最低値まで沈んでいる。

 正太の横に蓮乃の姿はない。正太が「一人で」帰路についていることを考えればなにがあったか、いや、なにが「なかった」かは明白だろう。結局、おもちゃ屋にも電気屋にも蓮乃は居なかったのだ。

 一通り店の中を廻り、店員に蓮乃の特長を伝えた。さらに帰りには、再び公園と和菓子屋とケーキ屋に寄って、不信人物扱いしてくる店員に尋ね聞いた。それだけ行っても、あの娘っ子の影も形も掴めなかった。

 

 もはや正太が思いつく限りの万策は尽きた。後は、自宅に帰って、気分が進まないどころか逆走しそうな睦美さんへの電話連絡をこなし、後は近くの交番へいって迷子届けを出……せない。それは親しかできない。つまり、蓮乃が帰ってくることを信じながら、漫然と家で待ち続ける他はない。

 今からアパート前の車道で横たわり、大型トラックあたりに平たくしてもらえば楽になれるのだろう。しかし、そうしてしまえば、今まで自分のために家計を費やしてきた両親に申し訳が立たない。でも、やっぱりそこらのビルから頭を下にして飛び降りれば、もう両親に面倒がかかることも……

 

 今や正太の思考は後ろ向きに全力疾走だ。「死ねば楽」「死ねば迷惑」の間でメトロノームじみた往復運動をひたすらに繰り返している。それに当てられたのか、自宅の一〇三号室に向かう姿もまた、千鳥足めいて左右に揺れていた。

 正太はつま先に視線を合わせたまま、錠前に鍵を差し込んだ。鏡を見たとしても、うつむいた顔を見ることはできないが、どんな表情かは誰でも簡単に予想できる。きっと人生が終わったことを自覚した幽霊のような表情であるに違いない。

 頭はうなだれて体が停止したまま、手だけが独立してドアノブを回し扉を開ける。

 

 ――電話を、電話を睦美さんへ掛けなきゃいけない。

 

 連絡したらパニックに陥ることは明白だろう。別段驚くべきことでもない。何せ自分の娘が行方不明なのだ。預からせていただくと言ったのにこの体たらく。目の前で割腹自殺したら少しはましになるだろうか。

 マイナス方向に思考を空転させながら、正太は震える手で靴を脱いだ。もはや前を見る気力すらない。つま先と床に視線を落としながら電話機のある居間へと歩を進める。そこで正太は前方からの音に気が付いた。恐らくは帰宅した清子だろう。

 ああ、清子にも事情を話さないといけない。きっと散々に言われるだろう。きっと軽蔑されて二度と口も聞いてもらえないに違わない。

 

 確かに呼吸しているにも関わらず、死人より悪い色の顔を正太は廊下の先へとゆっくりと向けた。そして居間の様子を視線に納めると、どん底へと直下降していた思考は「家族一同からの勘当宣言」だの「家庭に迷惑のかからない自殺方法候補」だの余計な思考を巻き込んで、ガードレールの下へとダイブして虚空へと消えていった。

 呆然と見つめる正太の視線の先にあるのは、開け放たれた居間の窓と放り出された子供靴。ソファー前のガラス机に、栓の抜かれたラムネ瓶と口の開いたアミセンの袋。そして、それらをおやつに摘みながら母が置き忘れただろう雑誌を楽しげに読んでいる、「蓮乃の」長い黒髪だった。


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