二人の話   作:属物

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第四話、二人が友達の家に行く話(その五)

 --速い!

 

 ボールに触れるや否や褐色の風が駆け抜けた。流れる風を思わせる影がチョコレートの色を伴って滑らかにバスケットへと向かう。

 疾風迅雷と熟語にあるがピーノの動きは正に疾風そのものだった。ネコ科の猛獣じみたしなやかな跳躍と共にボールが放たれてゴールに吸い込まれる。

 音もなくリングを通り抜けたボールには地面に当たる音もない。それより早くピーノが掴み取って見せたからだ。代わりに響くのは子供たちの歓声だった。

 

 「おぉーっ! ピーノ兄ちゃんスゲェ!」「今の見た!? アリウープだ! アリウープだぞ!」「壁走れるのは知ってたけど飛べるなんて知らなかった……」

 

 皆の兄貴が見せたスーパープレイに誰もが興奮を隠せない。熱狂と歓喜以外の顔をしているのはごく少数だ。

 ピーノの独壇場になってしまって客が不快にならないか心配な柳。この後どうやってピーノと利辺を押さえ込むか笑顔の下で考え込む友香。舞もまた正太と蓮乃を見てなにやら考え込んでる様子。

 

 「なーもーっ!」

 

 それと正太の応援に忙しい蓮乃も興奮してるが歓喜はしてない。

 そしてThe Walkめいた跳躍を見せたピーノ自身と、それを厳つい顔で見つめ返す正太の二人は興奮からほど遠い表情をしている。

 片や仏頂面から冷たい視線を発して、一方は軽薄な笑みに嘲笑を忍ばせている。楽しげに呟く声音にも余裕と優越感が滲む。

 

 「これじゃ試合にならないかな?」

 

 「……そうでもないさ」

 

 投げ上げられたバスケットボールを見つめながら、正太は虚空に向けて返事を呟いた。ピーノの蔑笑が深まる。固まるばかりで何も出来ない豚が何を言うか。

 だが野生の猪は一撃で猟犬を殺し、時に狩人を返り討ちにするのだ。ボールに手を伸ばすピーノは次の瞬間にそれを思い知ることになった。

 

 「っ!?」

 

 手の中にあるはずのボールがない。そもそも触れることすら出来なかった。ボールは何処に?

 それは正太の手の内にある。体型は太いが運動能力は高い。停止状態から僅か数歩でトップスピードに入り、ロケットの速度でゴールへ一気に迫る。

 先のピーノが疾風ならば、今の正太は迅雷そのものだ。追いかけるピーノを置き去りに正太は跳ぶ。ピーノのような滞空時間も華麗さもない。

 だがそれを補って余りある速度と力強さが跳躍する全身に満ちていた。

 

 「ふんぬっ!!」

 

 轟音を響かせて叩きつけられるダンクシュート。子供たちはバスケットゴールが折れ曲がるのを生まれて初めて見た。同径の鋼鉄より軽く強い真金竹(マガネダケ)の支柱が悲鳴を上げて変形する。

 強靱なCNT繊維は何とか衝撃に耐え抜いたものの、その軽さが災いし自身の弾性力には耐えきれない。子供たちはバスケットゴールは宙を跳ぶのだと初めて知った。

 

 「あ」「お」「え」

 

 ピーノと違い喝采の声は上がらなかった。否、上げられなかった。

 目で追えない程の瞬発力と、有無を言わさぬ豪腕力。観客の予想をもねじ伏せる一方的なまでのパワープレイに子供たちも言葉を失うばかり。

 

 「なーおーっ!」

 

 叫ぶのは兄ちゃんの活躍に目を輝かせて両手を振り回す蓮乃だけだ。

 撥ね跳んで倒れたゴールを片手で立て直し、正太はピーノへと猛獣じみた笑顔を送った。

 

 「ほら、試合らしくなったろ?」

 

 歯を剥いて笑う獰猛な顔は『これからお前を喰い殺すぞ』と宣言するかの様。

 返事代わりにピーノは猛禽の視線で艶やかに微笑む。正太への返答はこうだ。『その前に刺し殺してやるよ』

 

 試合が再開し、もう一度ボールが投げ上げられる。余計なお喋りも一欠片の油断もない。あるのは殺意じみた対抗心と勝利への強烈な執着心だけ。

 

 「ふっ!」「フッ!」

 

 瞬発力はこっちが上か、先にボールに触れたのは正太の手だ。そのまま腕力にものを言わせて無理押しでボールを抱え込みにかかる。

 だがボールは不細工がお嫌いなようで、するりと正太の手の中から逃げ出した。手引きした下手人は当然ピーノだ。

 

 「っ!」「あらよっと!」

 

 何人もの女性を天国に送ったテクニックはボール相手でも優しくリードする。ボールを奪い返そうと遮二無二に暴れるが、華麗な空中戦はピーノが二枚も三枚も上手だ。

 空中で両手を振り回すだけの正太では軽やかに宙を舞うピーノを捕らえきれない。獲物をくわえた豹のように音もなく着地し、ピーノは流れる体捌きで一足先にゴールへと向かう。

 

 「お先!」「チッ!」

 

 出遅れた正太は即座に砲弾の勢いで飛び出した。噴煙じみた土煙を巻き上げ先行するピーノへ食らいつく。

 

 「せいっ!」「よっ!」

 

 ボールめがけて突貫する正太をするりとかわすピーノ。風に流れる羽毛の軽やかな動きは捕らようにも捕らえきれない。しかし捕らえきれないからといってむざむざ逃がすつもりは毛頭ない。

 

 「ふんっ!」「っと!」

 

 餓えた獣じみて執念深くボールを付け狙い襲いかかる。羽毛に触れるだけの丁寧も器用もなしに暴れ回った処で、舞う一葉を捕らえきれるはずもない。

 

 「このっ!」「あぶなっ!」

 

 しかし虚仮の一念、石の上にも三年。

 暴れ回るその動きは落葉を吹き散らす。諦めを知らない正太の暴れっぷりは、淀みなくステップを踏むピーノでも回避に専念せざるを得ない。

 

 「そらっ!」

 

 それでもバスケットボールの経験はピーノが長ける。がむしゃらな正太の不意をついた柔らかなシュートが流麗に弧を描く。

 

 「ふんぐっ!」

 

 遅れた反応をがむしゃらの無酸素運動で補って、歯を食いしばり腕を振り回す。正太の執念が実ったのか掠めた腕はボールが描くはずだった完璧な軌道を乱した。

 

 だが、ピーノは物理的にも技術的にもその上を行った。軽やかに空を跳んだピーノは弾かれたボールを優しく捕まえてみせた。

 

 「よい、しょっと!」

 

 その上、圧倒的滞空時間にものを言わせて、這いずる正太を後目にそのままリングへとボールを叩きつける。反動でバスケットゴールが小刻みなステップを踏んだ。

 

 「「「ウォォォッ!」」」

 

 興奮しきった性徴前の甲高い声が再び厚徳園の広場を満たした。誉め称える子供達へと手を振って答えると、ピーノは満面の微笑みで慇懃無礼に一礼をしてみせる。

 中指を突き立てる代わりに、プロばりの空中殺法で同じダンクシュートを御贈呈。皮肉の利いた切れ味鋭い意趣返しに正太の猛々しい笑みが深まる。

 

 イジメを受ける前なら心折られて不細工な泣き顔を晒していただろう。蓮乃と会う前なら断って戦う前に逃げていただろう。

 だが今は違う。胸の内に満ちるのは煮えたぎる闘志と燃え上がる戦意だけ。尻尾を丸めるつもりもケツをまくるつもりもない。

 

 「うぉぉぉっ!」

 

 三度投げ上げられるボールを前に正太は吼えた。

 

 

 

 

 

 

 「はーっ、はーっ、はーっ」

 「ゼェッ、ゼェッ、ゼェッ」

 

 荒い息の二重奏が響く。滝のように止めどなく汗は流れ、荒れた呼吸は収まる様子を見せない。

 外観に反して運動が苦手ではない正太だが、最近の運動不足が祟ったのか骨が軋む急加速急停止の連続で膝が震えて止まらない。

 しかしストップ&ゴーで付きまとわれたピーノの体力も底をつき、ふらつく体を抑えられないでいる。

 

 ここまで一進一退の展開が続いている。

 ホワイトボードの得点表示では僅かにピーノが勝っているが、今までもこの程度の点差なら瞬く間にひっくり返されてきた。二人のどちらにも油断はない。

 審判役の子供が持つボールに穴を開けそうな視線が突き刺さる。お陰で少年は随分と居心地悪そうだ。

 

 「ええっと……いくよ! それっ!」

 

 「ぬぅぅっ!」「ぐぅぅっ!」

 

 残り少ないスタミナを気力で補い、苦痛じみた吼え声で投げ上げたボールに飛びつく。最初と比べれば明らかにジャンプの到達点が低い。二人とも限界が近いのだ。

 それでも意地で悲鳴を上げる全身を動かす。

 

 「ぃよし!」

 

 今回、ボールを手にしたのは正太だった。体を丸め込んで不格好にボールを抱え込む。見栄えなどこの際気にしていられない。元々あって無いような格好良さなど勝利のために捨ててしまえ。

 

 「くそっ!」

 

 普段のピーノならこの程度の防御など、するりと抜けてボールを奪い取れただろう。

 しかし、疲れ切った今は正太の隙間を狙い澄ますことができない。できるのは不器用なドリブルで走る正太の後を追いかけることだけ。

 それでも加速力はともかく最高速度も足の長さも上回るピーノが距離を詰める。

 

 互いの残り体力を考えれば、もうダンクを狙える体力はないだろう。正太のシュートが下手なことは試合を通してよく判っている。

 ゴールを外したボールを掠め取り、横合いからシュートを決めるのが上策だ。ゴールを外した瞬間にボールへ飛び込めるよう、歩幅を調整し末脚をため込むピーノ。

 

 だが、正太は跳んだ。

 

 「ふぎぅっ!」「っ!」

 

 悲鳴にしか聞こえない雄叫びを上げながら、ボールを振り上げて正太は跳躍する。見開かれた目は血走り、噛みしめた歯の隙間から泡が漏れる。

 出せる全てを絞り出しての大ジャンプ。それでもぎりぎりボールがバスケットに届くかどうか。いや、届かないか?

 

 「なーっ!」

 

 最後の最後、僅かに聞こえた声が正太の腕を数cm動かした。轟音と共にボールは引っかかることなくリングを抜けた。これで点差はゼロだ。

 可能なら蓮乃にガッツポーズの一つでも見せてやりたい。できれば対戦相手に皮肉の一つでもぶつけてやりたい。

 だが無理矢理で限界突破した無酸素運動の結果、正太には着地に必要な酸素が足りなかった。

 

 「ぬぐぉっ!」

 

 そして昔からの標語の通り、車は急に止まれない。空中では急停止も利かない。そもそも着地も停止も考えずに跳んだのだ。

 盛大な騒音を立てて正太は大地と熱烈な抱擁を交わした。

 

 「なーまっ!?」

 

 正太の強烈なハードランディングに蓮乃は思わず心配の大声を上げる。蓮乃的には正太は絶対味方のスーパーマンだが、それでも三回転半ひねり擬きで地面を跳ね飛ぶ姿は流石に心配をせざるを得ない。

 だけどやっぱり蓮乃の前なら正太はスーパーマンだ。

 

 「大丈夫だ! 心配すんな!」

 

 停止した正太は即座に立ち上がり、無問題と蓮乃へ手を振ってアピールする。擦り傷が焼けるようにひりついて打撲跡が痺れる程痛むが、少なくともやせ我慢で意地を張れる位にダメージは浅い。

 元気一杯だと格好付ける正太の主張に、安心したのか蓮乃は緊張を解いて息を吐いた。

 

 「宇城君、大丈夫!? どこが痛い!?」

 

 しかしながらこの場を預かる柳にしてみればとてもじゃないが安心できない。正太が大地と摩擦熱で熱い一時を味わう姿を見て、柳は焦燥の顔ですぐさま駆け寄った。

 幸い、厚徳園で子供たちの怪我を見てきた経験からさほど重いものではないことはすぐに判った。

 

 「誰か救急箱持ってきて!」

 

 だからといってこのまま試合再開していいような傷でもない。子供の遊びだからと、ここまで無茶するとは想像していなかった。完全に自分のミスだ。

 後悔にほぞを噛みながら甲斐甲斐しく負傷を診る柳の姿に、ピーノの眉根が僅かにつり上がる。幸いそれに気づく者はいなかった。

 

 「大丈夫です! 頑丈なのが取り柄ですから!」

 

 「そういう問題じゃないでしょう? 傷口洗って打ったとこ冷やすから水道まで行くわよ」

 

 男の子はやせ我慢して格好付けたがるものだが、怪我相手に意地を張るものではない。一時は無茶できるかもしれないが、後で利子付きの代償を払う羽目になるのだ。

 

「だから大丈夫です! 最後までやらせてください!」

 

 「ダメです、まずは怪我を治してから。試合はドクターストップです」

 

 止める柳に頼み込む正太だが、柳は頑として首を縦に振らない。正太からすればなんとしても勝ちたい試合だが、柳からすればありふれた日常の一幕だ。負った怪我を押してまでするような事ではない。

 礼儀正しい態度に、年上としての蓮乃への接し方。柳は今まで見た正太ならば納得して引き下がる筈だろうと踏んでいた。

 しかし、正太は柳の想像より遙かにガキだった。

 

 「なら治します! ぬぅぅん!」

 

 子供のワガママじみた宣言と共に、正太の全身が赤く色づく。同時に腕輪が魔法使用をビープ音で訴え出した。

 正太の魔法は『熱量操作』。体内の熱量(カロリー)を動かして基礎能力を底上げし、持久力を引き上げる。そして運動力を活性化できるなら、回復力も活性化できない筈はない。

 丹田の溶岩を細胞に注ぐいつものイメージに加えて、傷口周りに流れ込む熱を調整し細胞に留まらせる想像図を意識下に描く。

 

 残り少ない体力を反映してか脳内に映る下っ腹のマグマは底が見えそうな程大きく嵩を減らしている。故に慎重に無駄なく熱流のイメージを操る。

 擦れてめくれ返った皮膚細胞と毛細血管に熱量を送り、かさぶたの形成と組織の再生を促す。皮膚の下で千切れた血管を迂回し、内部に溢れ出た血液を吸収させる。

 

 脳裏に映し出される余りに鮮明な体内イメージの通り、擦り傷から滲んだ血が見る見る固まって色づき始めた青あざが瞬く間に消え失せた。

 正太の願望じみた予想を魔法が現実に変えたのか、妄言じみた宣言通りに正太は傷を癒して見せた。

 外気を肺一杯に吸い込み、長い息で余った熱量を吐き出す。吐き出す息は冬場でもないのに白く煙り、火傷しそうな程の熱を帯びていた。

 

 「これでいいですよね?」

 

 ズレた自信に満ちた正太の顔は、いつもの蓮乃のドヤ顔にどことなく似ていた。唖然とする柳を無言の抗議と誤解したのか、正太は更に柔軟体操で完調をアピールする。

 膝を曲げ伸ばし、背筋を折り曲げ、腰を捻り戻す。多少痺れる程度で特に痛みはない。動いた拍子にカサブタが剥がれ落ちたが、その下には再生したばかりの濃い桃色の皮膚が張っている。傷一つない。

 

 「ほら、大丈夫です。じゃ、試合再開ということで」

 

 呆然とする柳を取り残し、正太はコートの真ん中に舞い戻る。一本指の上で回していたボールを審判役に手渡し、ピーノは正太に向き直った。

 

 「バカは風邪引かないと聞くが、傷の治りも早いんだな」

 

 「そうバカにしたもんでもないぜ。三点もってけよ、すぐに取り返してやる」

 

 「試合中って話だろ。そんなもんいらねぇよ。バカも休み休み言え」

 

 「バカ言ってろ」

 

 敵意を込めた軽口を叩き合いながら呼吸を整えていく二人。試合再開まで不意をつくような真似はしない。この腹立たしい野郎には真っ正面から勝たねば意味がない。

 体力的にも時間的にも、何より柳的にもこの一回がラストだろう。何せ勢いで押し切っただけで柳は一切納得していない。少なくとも睨みつける視線と堅くひきつった表情はそう訴えている。

 ついでにさっきのダンクで点差は無くなった。つまり次にボールをゴールに入れた側が勝者だ。

 

 「せーの、それっ!」

 

 「ふんっ!」「ぬぅっ!」

 

 そして審判役の少年はボールを投げ上げた。

 

 同時に跳んだつもりだった。だが、先の負傷は完治していなかったのか、あるいは先の回復で残り少ない体力を更にすり減らしてしまったのか、正太はピーノに半瞬出遅れた。

 

 「糞っ!」「よしっ!」

 

 先に触れさえすればテクニックに優れるピーノが当然ボールを確保する。体力十分ならピーノは淀みなくドリブルへつなげて流れるようなシュートで点を稼いだだろう。実際、得点の多くはそうやって重ねたものだ。

 しかし疲労と消耗はピーノから滑らかという形容詞を奪っていた。着地で崩れたバランス、反射的な踏ん張り。ほんの僅かな、しかし常と比べれば余りにも長い停止。

 

 「ふんぐぁ!」「畜生!」

 

 それを見逃す道理はない。猛獣を通り越して怪獣か魔獣じみた声を上げて正太は躍り掛かった。乱れた平衡を取り戻すそうと硬直した体では猪突猛進に対応しきれない。

 豪腕に奪い取られたボールは、荒っぽいドリブルで地面に叩きつけられながら一路ゴールへと向かう。このままダンクシュートで勝利は確定か。

 

 いや、しない。なぜなら接戦を繰り広げ大いに疲労し消耗したのは正太もまた同じなのだ。

 飛ぶかの如く跳ぶ加速力はとうに失われ、ドタドタと不格好に両足を動かすばかりで迫るピーノを振り切れない。それどころか容易く追いつかれつつある。

 

 「寄越せっ!」「御免だ!」

 

 ゴール下で追いついたピーノは正太が不格好にドリブるボールを奪い取りにかかる。疲労のお陰で華麗な技巧が粗雑な素人仕事に落ちぶれたピーノでは、正太が抱え込むボールをかすめ取れない。

 しかし消耗の余り猛獣の剛力が子犬の甘噛みに零落した正太では、ボールをしっかり握り込むだけも難しい。

 

 ハイレベルな一進一退を繰り広げていた二人の争いは、同様に疲弊して低水準な五十歩百歩の比べあいになり果てた。戦いは同じレベルでしか生じないと言うが、奇しくも高低両方で二人は拮抗している。

 

 「意地汚く、抱え込んで、いるんじゃねぇよ! 豚かよ、手前は!? 豚だな、手前は! この、デ豚野郎!!」

 

 「うるっ……せぇ! 取れねえのは……手前が下手クソな……だけだろうが! 豚に食われてろ……クソ色チョコ擬き!」

 

 「ピーノ兄ちゃんうわぁ……」「かっこわるぅ……」「だめだありゃ……」

 

 ついでに口喧嘩も子供のそれと同レベルだ。ゴール下の争いは色んな意味で泥仕合と化していた。

 泥めいた罵声を投げつけあって見苦しく争う二人の醜態を前に子供達の目が加速度的に濁っていく。

 

 「もーなっ! にー!」

 

 言葉を聞き取れない蓮乃はある意味幸いだった。大好きな兄ちゃんがあの様でも純粋に応援できるのだから。

 

 「いい加減に、しろ!」「お前が……してろ!」

 

 戦争の無意味さを教えてくれるように醜くのたうち回る二人。死ぬまで続きそうな見るに耐えない取っ組み合いだが終止符は唐突に打たれた。

 

 「んぐぅっ!」「うぉっ!?」

 

 ピリオドを叩き込んだのは断末魔じみた叫び声と共にボールを強引に奪い返した正太だった。

 ボールを奪われた反動で大きくたたらを踏むピーノを後目に、生まれたての子鹿並に震える手足で正太はシュートの体勢に入った。試合中でゴールに入った正太のシュートはない。

 だがダンクを決めるだけの燃料もどこにもない。残る体力はタンクの底を浚って集めた最後の一滴。ならばこの一発で決めるのだ。

 

 「ぜぇっ!」

 

 疲れに疲れ余計な力を失ったことが功を奏したのか、手から放たれたボールは当の正太が驚くほど綺麗なアーチを形作った。時が止まったように誰もが声無く見つめる中、運動方程式に従って美しい放物線を描く。

 『魔法』でも使わない限り、必ず入ると誰もが確信した。だから誰も予想していなかった。

 

 「せぃっ!」

 

 正太同様に限界な筈のピーノが、シュートの高さに追いついてボールを掴み取って見せる姿を。

 

 「なぁっ!?」「もっ!?」

 

 試合開始のボール争いを越える程の異常な跳躍を前に、正太と蓮乃が共に呆けた声を上げる。

 兎に角ボールを追おうと正太は半ば条件反射で膝に力を込めるが、パンクを思わせる勢いで足から一気に力が抜けた。最後の一滴まで絞りに絞った正太にはもう何も残ってはいなかった。

 

 崩れる正太を後目に空中のピーノは体を捻る。子供達の応援も、正太の雄叫びも、耳障りな電子音も、極限の集中が全ての音を消しさる。

 位置、体勢、重さ、体力、出力。無数の情報が無意識を走り抜け、優れた直感は瞬時に答えを弾き出した。

 

 「ふっ!」

 

 押し出すように放ったシュートは一直線にピーノのゴールへと迫る。それでも消耗しきった肉体が誤差を生じたのか、ボールはリングと衝突してほぼ真上に跳ね上がった。

 ボールの行き先を知るのは幸運の女神のみ。ピーノも正太も声もなく見つめる中、ボールはただ重力加速度に従った。

 

 そして女神は……ピーノ・ボナに微笑んだ。

 

 「うぉぉぉっ!」「やったぞ! 勝ったぞ!」「スッゲー! スッゲー!」

 

 ボールが音もなくバスケットを通り抜け、途端に子供たちの歓呼の声が跳ね上がる。

 途中お見苦しい映像はあったものの、確定シュートの奪取から空中スリーポイントで試合終了と最後はキッチリ締めて見せた。終わりよければ全てよしだ。

 

 全身全霊を使い果たしてその場に腰を落とすピーノ。視線の先で正太は口惜しそうに地面に拳を突き立てている。

 

 --ほんとに何度見てもピンとこない奴だ。

 

 蓮乃ちゃんはさておいて、あいつの事は一切感性に触れない路傍の石だと思っていた。直感は容易く勝てると謳っていた。感覚も一方的な勝利を予言していた。

 しかし蓋を開けてみれば死闘に次ぐ死闘で辛勝もいい処だ。いつも直感に従い感覚に任せて生きてきた。それで必ず正解だった。間違いを示したのは生まれてこのかた初めてだ。

 だが勝ちは勝ちだ。

 

 「アイツ相手に接戦を演じるなんてびっくりしたけどさ、格好良くキメたよね! やっぱ兄ちゃんだよ!」

 

 いの一番に駆け寄った利辺は『兄貴』呼びのカッコ付けも忘れて大はしゃぎで両手を振り回す。バカな子ほどかわいいと言うが言葉通りに愛おしい弟に手を振って応えるピーノ。

 不意に目に入った手首の『腕輪』が表示を変え、電子音が消えた。表示窓をマジマジと眺めるが、映し出される文字は平常を意味している。

 

 つまりそれは異常から平常へと表示を変えたということだ。そして『腕輪』、すなわち特殊能力確認用携帯機器が示す異常とはただ一つ、(違法な)『魔法』使用への警告に他ならない。

 ピーノには『魔法』を使ったつもりも記憶もなかった。だが機械は嘘をつかない。そして無意識に魔法を使ってしまうことはままあることだ。

 

 可能性があるとしたら最後のジャンプかシュートかその両方か。疲労しきった肉体ではあり得ないほどの跳躍に、異様なまでの滞空時間からのロングシュート。どちらでも両方でも可笑しくはない。

 

 『試合中の魔法使用は相手に三点』

 

 自分がそう言った。そう決めた。なら勝ったのはどっちだ?

 

 反則があったなら普通は一度試合を停止する。つまり最後のスリーポイントは無かったことになる。それなら三点贈呈でピーノの負けだ。

 ありとしても正太への三点で点差はゼロのまま。その場合は引き分けとなる。

 

 --どちらにせよ、俺の勝ちじゃない。

 

 そう自覚した瞬間、胸の内にあった熱くも心地いい勝利の残照が瞬く間に冷めた。弟の賞賛も子供たちの歓声も一気に色を失ったかのよう。

 代わりに冷たい敗北感と黒々とした自分への怒りが腹の底から吹き上がり臓腑を凍らせていく。

 レーザーじみて敵意を収束させた視線が肩を落としてうなだれる正太へと突き刺さる。

 

 しかし疲労困憊の正太が反応することない。それよりもと気合いで優しい笑顔を浮かべ、心配げに駆け寄る蓮乃の頭を撫でた。

 

 「なーうー……」

 

 『応援ありがとうな。でもすまん、負けちまった』

 

 正太の力ない言葉に蓮乃は逆に奮起する。兄ちゃんが落ち込んでいるなら私が頑張らなきゃ!

 

 『頑張った! 感動した! 次は勝ってね!』

 

 『ああ、そうするさ』

 

 いつの時代のネタだといつも通りにどこかずれた蓮乃の励ましに苦笑を浮かべながらも気合いを入れ直す正太。その目がピーノの暗く凍った視線とかち合った。

 

 どうやら向こうさんも納得し難い結果のようだ。初めの言い草からすれば楽勝快勝全勝のつもりだったのだから、辛勝は期待はずれもいいとこだろだろう。

 だが、こっちも心境はそう変わらない。だから次は勝つ。

 

 敵意に凍り付いた瞳に戦意に焼ける目線を投げ返す。同じ感情を込めながらも温度の異なる視線が交差する。

 

 「はいそこまで」

 

 平板な柳の声が二人の目を強制的に常温に叩き戻した。

 

 「二人とも、そこに直りなさい」

 

 柳と初対面に近い正太だがこの手の声には覚えがある。粗相した自分を父が容赦なく締め上げるときの声音だ。浮かべる表情もそれと相違ない。

 僅かに目線を動かせば、それが正解だと言わんばかりにひきつって青ざめたピーノの顔。

 土気色のチョコレートと笑ってやりたいところだが、多分自分も屠殺場行きを自覚した豚みたいな顔をしている処だろう。

 

 容赦ない小言の大嵐をやり過ごすべく、二人は肩を竦めてうなだれた。不意にぶつかった互いの視線は、今度は同じ色で同じ温度だった。

 

 「いい、二人とも!? スポーツするなとか運動するなとか言うつもりは全くないけど怪我する為にやってるんじゃないでしょう!? 試合に勝ちたいのは判るけど……

 

 つまり、これから来るお説教への疲弊の色と諦念の温度をしていた。


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