二人の話   作:属物

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第四話、二人が友達の家に行く話(その四)

 惚れた蓮乃をモノにしようとした結果、散々に正太にやりこめられて利辺の心はベッキリ折れた。

 しかし燻ったままで終わりでは決してないのだ。ピーノ兄貴に吹き込まれ、再び火のついた利辺に諦めの二文字はない。

 

 例え正太が再び阻もうとも、例え友香に秘密を触れ回されようとも。例え……好きな蓮乃に一顧だにしてもらえなくとも!

 

 『それでさ、ピーノの兄貴はさっとかわして足払いを一発かましたんだ』

 

 『舞ちゃん、そっちの何味?』

 

 『でさ、這い蹲るそいつ等に言ったんだ。”ここらじゃゴキブリが二足歩行するのか。進化の秘訣を教えてもらえないかい?”ってね』

 

 如何に兄貴分が格好良かったか延々とメモに書き続ける利辺。対して話され続けている方の蓮乃は、時たま胡乱げに睨みつけるだけで利辺の語りを一切無視している。

 

 『山葵味かぁ。そっちも美味しそうだね。半分こしない?』

 

 『当然、そいつらキレて殴りかかってくるけどピーノ兄貴には掠りもしないんだ』

 

 しかも後ろでは友香が他の子供達にヒソヒソと利辺のやらかしと秘密を暴露中。

 やれ「翔くんは蓮乃ちゃんが好きでコナかけたけどあっさり振られた」だの。やれ「腹いせにお兄さんに喧嘩ふっかけて泣きべそかくほどぼろ負けした」やら。

 年頃男子からすれば切腹を希う程の話が飛び交っている。おかげで利辺をみる子供達の視線は、哀れみと軽蔑と見下しを足して三で割らない色をしていた。

 明日から座る椅子には針のむしろが引かれていることだろう。

 

 『で……さ……』

 

 気づけば利辺が綴るメモの文字は間延びした尻切れトンボになっている。震えるペン先の周りにはいくつもの涙染み。

 思い人には路傍の石の如く無視され続け、周囲から犬のフン扱いの視線に曝されて、ついに精神が限界に達したのだろうか。

 眺めるピーノの顔にも諦めと同情でこりゃだめだと書かれている。

 

 『それでさぁ!』

 

 だが、利辺はまだ耐える。涙で滲んだメモを捨て歯を食いしばって新しいメモに文字を刻む。

 正太はその姿を思わず賞賛していた。ここまで非存在されて尚も語りかけようとする根性は相当なものだ。虐めを受けてへし折られていた当時の自分よりは格段に強靱だろう。

 兄貴のピーノも思わずニッコリ。弟の見せたガッツに賛辞の口笛をピィッと送る。

 

 『そいつ等の一人が刃物抜いて脅してみせるけど、兄貴は不適に笑うだけでビビりもしない。どこぞの顔だけ厳つい奴とは大違いでね』

 

 最も、話す内容は結局吾が仏尊しのお国自慢でしかないので、愛しの蓮乃は鼻にもかけない。

 

 「ぬー」

 

 いや、先とは異なり明確な不満の声を上げ不快そうに睨みつけている。

 

 「むー」

 

 目に入れる気も起きずに意識から外していたが、大好きな兄ちゃんを蔑むような台詞を見せられては黙っていられない。

 しかし元来子供っぽい蓮乃が憤怒と敵意を表情で示しても、端から見れば子犬が甲高い声で牙を剥いているようなもの。怯え竦む相手など居やしない。可愛がられるだけだろう。

 

 --こっち向いたぞ!

 

 『まあ、ケンカ百戦錬磨の兄貴と強面だけで生きてきた相手を比べるのは酷かな』

 

 実際、利辺にはご褒美でしかなかった。だから嫌われているのに今回も調子と図に乗ったの利辺は、よせばいいのに蓮乃が反応した正太への侮蔑を増やし始めた。

 運がいいのか悪いのか、止めに入って謝らせてくれる柳はトイレに行ってしまっている。ブレーキを掛けてくれる者はいない。

 

 「むう~っ」

 

 膨れ上がる利辺の自惚れと反比例して蓮乃の機嫌が更なる急降下を始める。自分の大好きな人をバカにされて楽しい筈もない。

 許容できる一線を越え、怒れる蓮乃はついに会話用ノートを開くと握りしめたペンで反論を刻みつけた。

 

 『そんなことない! 兄ちゃんは強いよ!』

 

 ほっぺたを赤く染めながら突きつけられたノートに、天使じみた利辺の口が醜く歪む。無視してた蓮乃を引きずり出せて気分は最高潮だ。

 その周りで蓮乃と利辺の口喧嘩を横から眺める子供たちは、口々に騒ぎ立て好き勝手に批評している。

 

 「ウキさんって強いの?」「さあ? 今日初めて会ったのに知る訳ないじゃん」「だよね」

 「でもピーノ兄ちゃんは強いよね」「うん、この間サマーソルトで人を蹴っ飛ばしてたの見たよ」「すげー! やっぱピーノ兄ちゃんカッコいいなぁ」

 「でも今の翔は格好悪いよね」「だね」「サイテー」「バッカみたい」

 

 オッズはピーノ>正太と、彼らにとって実績あるピーノの方が高い。正太について判っているのが「顔が厳つい」だけなのだから道理だろう。

 なお、周囲からの好意は蓮乃>>>>>>利辺となっている。他人を蔑んで大喜びしている今の利辺を鑑みればこれまた道理だろう。

 

 『兄ちゃんもなんか言って!』

 

 ぷんすかと怒った蓮乃は言われっぱなしを是正すべく正太に参加を要請する。

 しかし当の正太は渋い顔だ。一言二言反論した所で、利辺は嵩に懸かって見下してくるだけだろう。何せ蓮乃の文句すら快感に脳内変換できる御仁なのだ。

 

 それでも何かないかと正太は頭を捻るが、出てきたのは「柳先生が返ってくるまで待つ他なし」と憂鬱な結論でしかなかった。

 それまでは癪に障る得意満面の天使顔を眺めているしかない。もしも利辺の侮蔑先が身内同然の蓮乃だったら、地に頭をすり付けて謝罪するまで殴りつけているところなのだが。

 

 『代々顔だけなんだろうね。親の顔も想像つくよ』

 

 「おい」

 

 だから利辺が身内を貶した瞬間、暴力を振るわない理由は正太から消え失せた。血走った三白眼を見開いて牙じみた犬歯を剥く。人の嗤いは獣の威嚇を源流とするという。それ故にその表情は狂笑によく似ていた。

 

 「俺の面が気にいらんのはお前さんの勝手だがよ、知りもしない他人の親を貶めるのはどういう了見だ。おい?」

 

 「あ、い、え」

 

 瞬時に利辺の胸ぐらを掴んで額が触れ合う距離まで引き寄せる。レーザー兵器並の視線で網膜を焼かれて、ぶり返した恐怖と涙で利辺の目の前が真っ暗になる。

 

 感情の高ぶりが無意識に魔法『熱量操作』を使ったのか、正太の全身は真っ赤に色づき薄い湯気が立っている。魔法使用を検知した腕輪は電子音で注意を促すが誰も気づく様子はない。

 勝手気ままに批評していた子供たちも突然爆発した正太の怒りに言葉を失っている。

 

 「お兄さん、落ち着いて! 落ち着いてください!」

 

 キャラを作り忘れる勢いで必死に制止の台詞を叫ぶのは、子供たちで唯一正太の怒り方を知っている友香である。

 とは言え以前に見たそれよりも遙かに高温のキレっぷりに手を出し倦ねているのが現状だ。

 だから代わりに手を出したのは、この場で一番正太を知る蓮乃であった。

 

 『兄ちゃんやりすぎ!』

 

 顔前にノートを滑り込ませて利辺と正太を物理的に遮断する。布を被せられた猛牛と同じく、憎いあんちくしょうが見えなくなった正太も幾らか落ち着きを取り戻した。

 胸ぐらを掴む手を離すと腰を抜かした利辺がすとんと落ちる。

 

 『お前がそれをいうのか?』

 

 『そこまでしてとは言ってないよ!』

 

 正太からすればけしかけた当人が過剰だと止めるのだ。色々言いたくもなる。納得し難いと憮然の顔にもなるし、腹の底で煮えたぎる怒りはまだ解放を求めている。

 具体的には一発拳骨落としてやれと感情が沸騰しているのだ。クソガキにはきっちり詫びを入れさせない限り到底許す気にはなれない。

 

 だが如何に自分が正しくとも感情的になってしまえば周りは自分を加害者と見るだろう。外観的にも悪党なのはこっちだ。熱くなってたのは確かなのだ。

 まずは深呼吸が必要だ。大きく息を吸い、そして吐こうとする。その瞬間だった。

 

 「翔君には私の方からも言っておきますから、ウキさんもあまり怒らないでやってください」

 

 肩に触れた舞に不意をつかれて吐き出す寸前の息が一瞬止まった。

 

 「あ、ああ、俺も言いすぎたよ。すまなかった」

 

 止まった息を力付くで吐き出してそう返すのが精一杯だ。同時に正太の胸中と感覚に違和感が瞬く。

 

 何かおかしい。自分はクソガキを許す気など無かったはずだ。しかし発した台詞は許して終いにするものだった。咄嗟に口から出ただけか。ならば感じるこのチグハグはなんだ。

 

 突然現れた不連続な感覚を、正太は記憶と共に追いかける。正太が急に黙りこくったので少々心配を覚えたのか、蓮乃がノートを突き出した。

 

 『どーしたの? まだ怒ってるの?』

 

 『怒ってはいるが、話はお終いにしたから気にすんな』内

 

 心の疑問を優先したい正太は軽くあしらって会話用ノートを蓮乃に受け渡す。その瞬間、蓮乃の手と同時に目に入ったものが疑問を解いた。

 

 --腕輪……そうだ、魔法だ。

 

 現れて消えた感覚に近いのは、魔法を使ったときのそれだった。

 正太の魔法は熱量操作。体内の熱量(カロリー)を操作して運動能力や持久力、集中力を一時的に底上げするものだ。そして正太が魔法を使う時は『丹田で煮えたぎる溶岩を心臓で吸い上げて全身に流す』イメージをしている。

 それ故に正太は熱量(カロリー)が体内をどう流れるかをぼんやりとだが知覚しているのだ。

 

 その知覚がほんの一瞬、ねじ曲げられた流れの存在を訴えていた。だが、その場所が判らない。

 何かおかしいのに何がおかしいのか答えられない。間違い探しをしているようなもどかしさだけがある。

 

 正太に判るのは容疑者が舞と言うことだけだ。先の蓮乃の違和感、そして今の正太の違和感。両方とも舞が触れた直後ことだ。確証はなくとも嫌疑をかけるには十分だろう。

 方法は恐らく魔法か。考えてみれば正太は舞の魔法を知らない。それが他人の精神や肉体に操作するものである可能性はある。

 

 --だがしかし……

 

 そこまで急回転していた思考の速度を落とし、正太は舞を見つめる。涼やかに微笑む彼女の顔からは何一つ読みとれない。何でもないと当然の顔をしているばかり。

 厚い面の皮で犯行を隠しているのか、それとも本当に無関係な冤罪被害者なのか。コミュ障な正太には到底測りかねた。

 

 「どうしたの? 何かあったの?」

 

 そこで便所から急いで舞い戻った柳が顔を見せた。急に消えた子供たちの嬌声に押っ取り刀で駆けつけたにしては少々おっとりし過ぎである。

 尤も正太が突如ぶち切れて唐突に治まるまで、ものの一分かかっていない程度なのだから致し方ないだろう。

正太の爆発を浴びた部屋の空気は重苦しい沈黙に押し潰されている。

 なんだなんだと辺りを見渡す柳に、どーしたもんかと正太は口の中で意味のない言葉を転がす。

 

 「ええっとですね、これは「いやね、俺がちょっとシモい話しちゃったら皆ドン引いちゃったみたいでさ」

 

 正太の言葉に被せる形で、黙っていたピーノが突如嘘八百の口八丁で説得に動いた。

 

 「ピーノちゃん何やってるのよ、宇城さんも困ってるでしょ」

 

 「つい口が滑っちゃってさ。ごめんごめん」

 

 バツ悪げに顔だけで笑ってみせるピーノを、腰を落とした利辺は信奉めいた目で見つめる。情けなさと有り難みの混じった涙が滲む。

 

 「折角来ていただいたのに不快な思いをさせてしまってごめんなさいね」

 

 「……お気になさらず」

 

 深く頭を下げる柳を背にして、ピーノが浮かべる表情は正太へと明白なまでに意志を伝えてくる。

 冷たい敵意の視線を乗せた艶やかな笑み。

 可愛がってる弟分をいじめてくれた豚野郎を放って置いてはくれないだろう。

 

 「ほら、宇城さんにもちゃんと謝って」

 

 「いや、すまなかったね。悪い悪い」

 

 正太に向ける口調も声音も表情も謝罪の形を取っていながら、ピーノの目だけは明確に敵意を示していた。

 説得を買って出た訳も恨まれる理由も泣かせた利辺の件に違いない。このまま和やかに終わるとは想像しがたい。

 

 「にしても空気が随分と悪くなっちゃったね。いやー迷惑かけたかけた」

 

 「そう思うならちゃんと反省してちょうだい」

 

 軽薄に非を認めるピーノはむっつり怒る柳の小言に首を竦める。同時に目配せを利辺に投げた。

 

 --今回は庇ってやったが、これ以上失望させてくれるなよ?

 

 次はないと言外に伝える目線に、利辺はバブルヘッドの勢いで首を上下させた。

 兄貴の期待を二度と裏切る訳にはいかない。あの子のハートを穫る他ない。でも、どうやって?

 ピーノの真似しても、積極的に動いてもダメだったのだ。何か悪かったのか、何が悪かったのか。鼻を啜る利辺には未だ判らない。

 

 今後の展望はともかく最低限反省する弟の様子に納得したのか、ピーノは腹立たしい障害物へと向き直る。

 家族には疑われないよう自然な笑顔を見せて、相手には伝わるよう目線に蔑意を込めて。

 

 「じゃあさ、親睦も兼ねて運動でもしないかい?」

 

 親指で指し示す窓の向こうには手作りの背の低いバスケットゴールが鎮座している。鈍い正太でもいい加減気づいた。

 ピーノの狙いは自分の得意とするスポーツの試合に引きずり出し、苛立たしい正太を皆の目前で徹底的に叩きのめすことなのだ。

 正太は腹を立てると同時に大いに呆れた。意向返しにしては何ともガキ臭いやり口だ。大人に見えるのは外観だけで中身はクソガキとそう変わらない。

 きっと頭の中が同じだから仲がよろしいのだろう。なお、この台詞が自身と蓮乃にも綺麗に当てはまるが、その事に正太は一片も気づいていない。

 

 「やらないのかい? 自信がないなら魔法使用可のルールでもいいけど?」

 

 親切ごかした挑発で突っつき回すピーノに氷点下の視線で返した正太は考え込む。

 さてどーしたもんか。挑発に乗れば恐らく1on1のバスケになる。これを選んだ以上完勝して嘲笑できると狙える実力はある筈だ。

 逆に挑発に乗らなければどうなるか。適当な誤魔化しは餌を放るだけだが、皆の前で素直に認めればそれ以上はない。周りの視線が枷となって理不尽な責め様がなくなるからだ。

 

 どう考えても挑発に乗らないのが賢い選択だろう。目の前のチョコレート野郎ことピーノと、クソガキこと利辺に侮られる他に実害はない。

 多少の恥をかいたとしても場を丸く治めるのが大人のやり方だろう。それが度量のある器の大きい人間というものだ。

 そうありたいと常々自分は考えている……その筈だ。

 答えは出ているが正太の口は開かない。むっつり黙りこんだ正太の袖を横合いから蓮乃が引っ張った。

 

 『兄ちゃん、なんかやるの?』

 

 会話が聞き取れないながらも周囲の雰囲気から読み取った蓮乃は期待に満ちた瞳で正太を見つめる。事情が判っているのかいないのか。

 多分、何するか興味津々なだけだろう。気の抜けた長い息を吐いて、正太は蓮乃の頭をくしゃりと撫でた。

 どうやら自分はまだまだ子供で器も随分と小さいようだ。連中にこうも嘗められて、蓮乃にこうも期待されては、やらない訳にはいかないのだから。

 

 「いいよ、やろう」

 

 「そうこなくっちゃ。じゃ、試合中に魔法使ったら相手に三点ってことで」

 

 そこで思い出したようにピーノは付け加えた。

 

 「ああ、それと俺の魔法は『接地面重力作用』な。簡単に言えば壁を走れる魔法だ。」

 

 「俺の魔法は『熱量操作』だ。脂肪を消費して運動能力を上げられる。二つ名とかは無いよ」

 

 「なるほど、魔法にお似合いの体型なことで」

 

 「心配しなくても魔法は使わないよ。無しで十分勝てるからな」

 

 嘲りを込めて妖しくも危険な笑顔で応じるピーノ。獰猛極まりない笑みで応える正太。二人の合間で空気が音を立てて歪んだ。


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