二人の話   作:属物

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第四話、二人が友達の家に行く話(その二)

 厚徳園の建物へと小走りで駆け込む蓮乃。走るにあわせて長い黒髪が残像のように流れる。腕を引かれる正太も不格好に歩調を合わせる。少し遅れて茜色のお下げを棚引かせた友香がそれに続いた。

 そんな三人を見つめる視線が二つ。優しく見守りながら後を追う柳でも、好き勝手な速度で子供達でもない。

 

 「ホントに来たんだ!」

 

 「そりゃ友香が嘘つくような理由もないしな」

 

 それは屋根裏部屋の窓から身を乗り出して蓮乃を見つめる利辺と、興奮のあまり今にも窓から飛び出そうな弟を面白そうに眺めるピーノに他ならない。

 この二人こそが蓮乃と正太が厚徳園行きを渋り、未だに頭を悩ませる理由なのだ。

 

 「で、翔は会いに行かないのか?」

 

 「それは……」

 

 チョコレート色の艶やな頬を掻きながらピーノが頬杖を突き直す。小学生男子特有な自意識過剰に足すことの一方的な恋心で蓮乃に完全に嫌われている利辺だが、諦める気は一切ない。

 

 しかし本日は珍しいことに随分と消極的に天使じみた顔を伏せている。その理由は蓮乃を呼ぶ前に友香が刺した太過ぎる大釘である。

 昨日、蓮乃を厚徳園に呼ぶにあたり友香から「二人にちょっかい出したら厚徳園中に全部言いふらすからね」と脅迫されたのだ。

 好きな子に思い切り振られた挙げ句、徹底的にやりこめられたなんて家族に知られた日には、二度と戻らぬ家出を実行しかねない。この年頃の男子にとって身バレは死と同義語なのだ。

 

 「うう~~」

 

 そう言う訳で利辺は食卓に並べられたご馳走を眺める飼い犬のような、恨めし顔で蓮乃のつむじを見つめるだけだ。正太に散々にやりこめられても蓮乃への恋を諦めない利辺だが、手も足も出ない現状では情けない唸り声をあげる事しか出来ない。

 ブロンド二歩手前の淡い栗色の髪を掻きむしり頭部上下運動を繰り返すばかり。弟の惨めな有様にピーノは大仰な溜息を吐くと拳と掌を打ち合わせた。

 

 「男は度胸、女は愛嬌! 何にもしなけりゃ何にも変わらないぜ?」

 

 軽快な音と共に快活に笑い、ピーノは動くに動けない利辺に発破をかける。ピーノが笑むと褐色な肌に純白の歯が浮き上がり、エキゾチックな魅力が吹き出すようだ。

 

 「そりゃそうだけどさ……どうして上手く……でも……なんで……」

 

 大抵の女子が一発で奮起するような応援だが、女の子ではない利辺は迷いながら躊躇う。にっちもさっちも行かない現状に懇願じみた悪態が口から漏れ出ている。これで好いてもらおうなど土台無理な話。哀れみ同情してもらえれば御の字だろう。

 

 「情けねぇなぁ」

 

 弟の惨状にピーノもカカオ99%の苦い表情を浮かべている。面白半分兄貴風半分で背中を押してはいるが、この様では進展ないしつまらないし、恋破れるだけだろう。

 自分のセンスにも「ピン!」と来る娘を選んだのは流石俺の弟だと誉める処だが、ビビって捕まえられなきゃ格好が付かない。

 ましてやその娘はピーノ基準からすれば下の下そのまた下な奴に尻尾を振って愛想を振りまいている始末。だからこそ弟である利辺には蓮乃をぶんどるガッツを見せて欲しい。

 しかし当の弟が竦み上がっていてはどうにもならない。

 

 「さーて、どーすっかねぇ」

 

 ぼやきながら乾いた唇を湿らせる。唇を舐める動作一つですら強烈な艶やかさを帯びている美貌が、小悪魔じみた悪戯な笑みを浮かべた。背中を押してだめなら蹴り飛ばすまで。

 

 「じゃ、あのオデブ君と蓮乃ちゃんが仲良くするのを一人寂しく眺めているか?」

 

 「ッ!」

 

 鬱々と沈み込む利辺のケツを、悪い笑顔を浮かべたピーノが一番強い言葉で蹴り上げる。言葉の針を突き立てられて利辺の顔が跳ね上がった。

 散々っぱらに正太から敗北感を刻み込まれた。その上、恋しい蓮乃からも散々に振られてしまった思い返すだけで利辺の身は縮こまる。

 それでも利辺に諦める気は毛頭ない。どれだけ蓮乃に袖にされても、どれだけ正太に恐怖を叩き込まれても、なお諦めきれない恋なのだ。

 

 「やってやる、やってやるよ!」

 

 立ち向かうだけの勇気も出てこない相手なら、自力で勇気を絞り出すしかない。覚悟と拳を握りしめて、燃えだした利辺は立ち上がる。

 

 「おう、頑張りな! 骨は拾ってやるぜ!」

 

 俺の弟ならこうでなくちゃ。ようやっと火の点いた弟にピーノは満足げに頷いた。

 が、当の利辺の表情が情けなく崩れる。

 

 「ねぇ兄貴。それで相談なんだけど、どうすりゃいいかな?」

 

 「多少は自分で考えろよなぁ」

 

 蓮乃がらみで利辺が考えてうまく行った試しはないのだ。自信もアイディアも出てこない。

 どこまでも情けない弟の姿にピーノは口をへの字に曲げてため息をついた。

 

 

 

 

 

 

 本来、厚徳園の談話室には机はないが、今日は倉庫から引っ張り出された長机が幾つも平行線を描いている。そして、その全ての中心には大皿に積まれたスコーンが山を作って鎮座している。

 イチゴジャムやマーマレード、大豆クリームにアナクロチーズに取り囲まれたスコーン山を、厚徳園の子供達全員が目を輝かせて見つめている。裏取引やお菓子の闇市があるとは言え、厚徳園では好きなだけオヤツを食べれる機会など殆どない。

 そしてそのほぼ有って無いようなチャンスが今、目の前で文字通り山を成しているのだ。

 

 「ねぇ、ほんとにこれ食べていいの!?」「今日は特別だって!」「食うぞ食うぞ!」

 

 子供達の誰もがお預けを食らった猛犬となって今や遅しと『よし!』の一言を待ち望んでいる。

 

 「みんな注目!」

 

 この場で唯一GOサインを出せる柳が声を上げた。無数の飢えた視線が集中するが彼女は慣れっこである。

 

 --早く終わんねぇかな、これ。

 

 しかし隣に立たされた正太は収束した視線に射すくめられて非常に居心地が悪い。注目を求めてイジメの標的になった身としては、一刻も早くここから逃げたいのが本音だ。

 それでも卑屈な様を見せないのは格好付けて痩せ我慢で意地張っているからである。平気の平左な妹分の前で兄貴面しておきながら格好悪い様は見せられないのだ。

 

 「なもっ!」

 

 実際蓮乃は視線の数など何処吹く風だ。物怖じしない性格と他人の目を気にしない質が相まって、全く持っての自然体である。コミュ障な正太としては妹分が羨ましいやら兄貴分として情けないやら色々と複雑な心境にもなってくる。

 そんな正太の心境など知る由もなく、柳は子供達に向けて声を張り上げた。

 

 「今日は友香ちゃんのお友達の蓮乃ちゃんと、そのお兄さんの宇城さんが皆におやつを持ってきてくれました。皆、お礼を言いましょう!」

 

 「「「ありがとうございます!」」」

 

 「なーもなーも」

 

 柳の合図にあわせて厚徳園の子供達が一斉に頭を下げた。実に気持ちの篭もったお礼の言葉に、少し顔を赤らめた蓮乃は珍しく照れた様子を見せている。

 

 「じゃあ皆、おやつにしましょう」

 

 「「「いただきます!」」」

 

 そして柳の宣言で餓狼の鎖は外された。挨拶が終わるや否や飢えた獣と化した子供たちは我先にとスコーンに手を伸ばす。二つ三つと手に掴むのは当たり前。中にはジャムもクリームもつけずに素のままそのままで口に詰め込んでいる子もいる。

 

 「んぐんぐ!」

 

 瞬く間に子供たちの口の中に消えるスコーン。勢いに触発された蓮乃も挨拶そこそこに急いで口に放り込む。素朴な味わいで幾らでも食べれそうだ。

 しかし口のサイズは有限なので、詰めに詰め込んだ蓮乃の顔はリスかハムスターのそれである。しかもスコーンで一杯一杯になって唾液という唾液が吸い上げられる。お陰で飲み込むに飲み込めない。

 

 「ほれ」

 

 「んくっ、んくっ、んふ~」

 

 そこに珍しく気の利いた正太が豆乳を差し出した。蓮乃はすぐさま受け取ると一息に煽り、長い一息をついた。

 

 「なーも!」

 

 蓮乃は何かしてもらったお礼はちゃんと忘れない。頭を下げる蓮乃に気にすんなと平手を振って返す正太。

 だが、蓮乃のがっつき具合には微妙にしかめっ面だ。我が家ならともかく人様の家で取るべき態度ではない。

 

 『厚徳園の子に持ってきたんだから、あんまりがっつくなよ』

 

 『でもなくなっちゃうよ?』

 

 飢えたる子供達の食欲のままに地殻変動じみた速度でスコーン山は標高を減じている。見る間に背を低くしてもう山と言うよりスコーン丘と呼ぶ方がふさわしい。そう遠くない内に元スコーン平原となるだろう。

 今食べなければもう食えないのは確実だ。だからといって礼儀を忘れて貪欲の化身となるのは違うだろう。数秒考え込んだ正太はメモに筆を滑らした。

 

 『また作ってもらうように睦美さんや母さんにお願いするから、今は落ち着け』

 

 『判った! お願いします!』

 

 何のかんの言って正太は蓮乃にだだ甘なのだ。大きく頷くと共に蓮乃は食べるペースを適度に落とした。

 蓮乃はちゃんと言えばちゃんと聴く子なのだと、正太も蓮乃の素直な態度に首肯する。清子が見たら親バカならぬ兄貴分バカと笑うだろう。

 ほんわかする二人の横から忍び足で近づく影が一つ。影は赤毛で碧眼で女の子だ。厚徳園に紅毛も青目も女子もいるが、三つ取り合わせたのは友香一人だけである。

 

 「今日はどうもありがとうございます」

 

 周りにばれないように声を潜めて礼を言う友香。礼儀正しく頭を下げる友香に正太は軽く笑って応える。

 

 「こっちも楽しみにしていたし、気にしないで。前に会ったときと随分調子が違うんでびっくりしたよ」

 

 「皆には秘密にしてくださいね?」

 

 立てた指を唇に当てて悪戯っぽく笑う姿は、外観もあってアメリカのホームドラマのそれだ。

 

『私こそ今日はどーもありがとう! 皆いい人だね!』

 

 一方、大河ドラマに出てきそうな外観の蓮乃は友香の言葉に上半身全部で大きくお辞儀する。濡羽の髪が蓮乃の後を追い、残像のように流れた。

 一見、社交辞令のようだが純粋極まりない蓮乃の本音だ。そもそも建前もお世辞も蓮乃は理解していない。

 

 『……うん、そうだね』

 

 それを理解しているはずの友香の笑顔は微妙に固く、頷く動作も返答の筆記も妙な間を伴っていた。

 不意に友香の笑みが硬度を増した。彼女の視線を追えば、金目銀髪と珍しい色合いをした女の子が一人。友香以上に大人びて友香よりも堅い笑顔がこちらを見ている。無意識に友香は息と唾を一緒に呑んでいた。

 

 --『あいつ』が来た。

 

 「どーも」

 

 「なーも」

 

 条件反射でお辞儀する正太に、蓮乃もつられて頭を下げる。二人が友香の内心を知る由もない。友香の言うところの『あいつ』……”母井 舞”が冷たく微笑んで応えた。

 

 「どうも、初めまして。母井 舞です。『親友の』友香ちゃんがいつもお世話になってます」

 

 慇懃無礼で冷たい目線が二人に突き刺さる。敵意に疎い蓮乃に気づく様子はないが、氷点下のレーザービームに正太は先とは違った居心地の悪さを覚えた。

 

 --なんか刺々しい雰囲気の子だな。厚徳園に入ってきたのが気にいらんのかね。

 

 当てずっぽうの想像は、正太には珍しく真実の一端を言い当てていた。

 

 『初めまして! 向井 蓮乃です!』

 

 舞の本音にも敵意にも一切合切気づかない蓮乃は、いつもながらの満面の笑みでノートを突き出しご挨拶だ。

 

 『あなたも魔法使い? 私もそうだよ!』

 

 非友好的な態度には気づかずとも、手首にはまった赤銀色の「腕輪」に気づいた蓮乃のテンションは急上昇する。

 

 「……そうなんだ、奇遇ね。私もよ」

 

 蓮乃を冷たい目で眺めていた舞の顔から険が消えた。舞の内面において蓮乃の立ち位置が『敵』から『子供』に成り下がったのだ。

 横目で舞の表情を観察していた友香の表情も緩む。狙い通り、純粋無垢で脳天気な蓮乃を相手に害意を持ち続けることはできなかったようだ。

 このまま蓮乃に舞を押しつけてしまえば問題は全て消え失せる。その筈だ。

 

 「ほら、舞ちゃん! 蓮乃ちゃん喋れないからノートに書いて書いて!」

 

 何かがチクリと胸に刺さる感触から目を背けて、無邪気を装う友香はペンを差しだし二人のお膳立てを進めにかかる。

 

 『改めて私も初めまして。母井 舞です。宜しくね、蓮乃ちゃん』

 

 『よろしくね!』

 

 舞に返事をちゃんと返されて、興奮気味な蓮乃は益々笑顔を深める。ネアカな蓮乃のぺかぺかと光る笑顔につられたのか、舞もまた涼しげな微笑みを浮かべている。

 

『これで友香ちゃんとも、舞ちゃんともお友達だね!』

 

 ピキリと空気に亀裂が走る音が友香には聞こえた。浮かべる微笑が瞬く間に氷の堅さと冷たさを思い出す。

 

 『そうね。でも舞ちゃんと私は親友だから少し違うかな』

 

 ひきつった友香は咄嗟のフォローに入った。反射の速度で書き込んだ文字も乱れている。舞に迎合するのは吐き気をよもおす心境だが背に腹は代えられない。ここで蓮乃が嫌われれば全ては水の泡なのだ。

 しかし友香の内心にも舞の地雷にも蓮乃は気づかずにスキップを続ける。

 

 『そーなんだ、親友かぁ。羨ましいな、私もなれるかな?』

 

 『大丈夫、蓮乃ちゃんなら素敵なお友達ができるよ!』

 

 自覚無く舞の地雷を踏み抜く蓮乃の返事を、友香は必死で逸らしにかかる。

 

 『友香ちゃんと舞ちゃんじゃダメ?』

 

 --何でよりにもよって今そんなこと言うの!?

 

 だが蓮乃は軌道修正してまで雷管を踏み込んだ。もう少し先で、舞と十分に仲良くなった後でなら最高にありがたい台詞だろう。

 しかし今は最悪にありがたくない。よりによってこのタイミングで言うのか。

 

 『ダメ。親友は一人だけよ』

 

 --だから舞が出張ってきちゃうじゃない!

 

 友香の予想通りに氷のナイフじみた台詞を舞が刺し込んできた。言わんこっちゃ無いと頭を抱えたい心境で、友香は無邪気に見える笑みを無理強いて維持する。二人の様相に気づかない蓮乃は首を傾げて正太へと疑問を投げかけた。

 

 『そーいうもんなの?』

 

 『そこは人それぞれだ。母井さんにはそーいうもんじゃないかね』

 

 苦笑いの正太は俺に聞くなよと前置きして一般論で返す。細かい事情も知らずに突っ込んだアドバイスなど出来はしないのだ。

 

 --親友は一人だけでなきゃダメってのはあんまり聞かんな。

 

 正太も内心首を傾げてはいたが口には出さない。他人には他人の事情が有るものだ。

 

 『そーいうもんなんだ。じゃあしょうがないね』

 

 一番信頼している人間からの一応納得できる言葉に、ちょっと不満そうだが蓮乃は意見を引っ込めた。蓮乃が自分の地雷原から離れて舞も表情を和らげる。話題は友香の望み通りに軌道修正されたようだ。

 

 --お兄さん、いい仕事してますね!

 

 友香は作り笑顔の下で安堵の息を大いに吐いた。許されるなら親指を立てて正太を労いたい気分である。

 舞の親友は友香一人だけだとか、蓮乃に変な釘を刺されたのは気に入らないが後で正太を通じて引っこ抜けば済む話だ。

 何とか上手く行った、今はこれでいい。その筈だ。胸に突き刺さる何かを無視して、友香は二人に合わせる笑顔を作った。

 

 『親友は無理だけど、お友達なら大丈夫よ』

 

 『そっか! じゃあ舞ちゃん、これから友達ね! よろしくお願いします!』

 

 『うん、蓮乃ちゃんもよろしくね』

 

 ふんすと鼻息荒く蓮乃は舞の手を握る。舞もまた優しげに微笑み、蓮乃の手を握り返す。

 大輪の向日葵を思わせる青天井な笑顔で蓮乃は握った舞の手をぶんぶんと振る。

 握手を振り回される舞の微笑みは、幼い子供を見守る大人のようであり、またお気に入りの人形を手に入れた子供のよう。

 無邪気な笑みを形作った友香は二人の様子を表向きの表情で見つめる。

 

 三者三様の笑い顔を付き合わせて表面上は和やかに、蓮乃の二人目の友達が出来た。


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