二人の話   作:属物

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第三話、三人でお出かけの話(その四)

 膨れた胃袋を抱えて店外に出てみれば、昼時が過ぎたためか繁華街の人通りは幾らか減っていた。中点に未だ腰を下ろしている日差しは、暖かいを通り越して些か暑いくらいだ。

 

 降り注ぐ日差しに三白眼を差し向けながら、正太は満腹になった太い腹周りをおやじ臭く撫でる。想像していたよりしっかり腹に溜まったし、味も良くて大満足。唯一の不満は値段だが、昼飯代で足は出なかったんだからよしとしよう。

 正太隣の蓮乃も、その真似をして少し丸くなった自分のお腹をさする。値段を気にする立場ではない蓮乃に一切文句はなかった。美味しかったしお腹いっぱいで大満足だ。

 二人の後に続いた友香もまた満足げな顔をしている。二人と違って食事に対する満足ではない。別にサンドイッチが不味かったわけではないが。大当たりも大当たりを見つけ出せたからだ。これでようやく『あいつ』に対抗する目処が立った。後はお兄さんさえ居れば『あいつ』はもう好き勝手に出来ない。

 ほぅと満足とげっぷの混じった息をもらす三人。不意に友香が正太へと呼びかけた。

 

 「えっと、お昼のお金出さなくて本当によかったんですか」

 

 「最初から三人分預かっているんで、氷川さんは気にしなくていいよ」

 

 正太は気にするなと顔の前で手を振る。昼飯代は蓮乃が友達とのお出かけということで睦美が三人分を出している。当初、正太は自分の分は小遣いで何とかすると断ったものの、ペコペコと強引な睦美の剣幕に押し切られた。

 睦美からしてみれば先日のこと(第一部参照)に加えて、娘の保護者代理を買って出てくれている正太には頭が上がらない。それなのに乏しい小遣いはたいてまで頼んだ仕事をさせるわけにはいかないと、正太の手に無理矢理昼食代を握らせたのだ

 

 「そこまでしていただかなくても……」

 

 『気にしない、気にしない』

 

 困り顔でやんわりと遠慮する友香に、蓮乃が正太の真似で重荷に思うなとアピールする。単なる真似っこだけでは無く蓮乃なりの心配りでもある。その姿に小さな笑いをこぼすと友香は素直に頷いた。

 

 「そこまで言ってくれるなら、有り難くご馳走になります。それでなんですけど、さっき話に挙げた店にそろそろいきませんか?」

 

 「んっ!」

 

 「そうだな、そうしようか」

 

 勢いよく頷いて答えるや否や、蓮乃は二人の手を握り引っ張るように歩き出す。気恥ずかしさと迷惑を微妙な表情で表現して、正太は逆に引っ張り蓮乃を止めた。同時に家の子が済まないと友香に黙礼を一つ。友香はニコニコ顔で頷くだけだ。

 

 『蓮乃、行き先を知ってるのは氷川さんだろ? それに俺じゃないんだから、勝手気ままに引っ張るなよ』

 

 『友香ちゃんごめんね』

 

 『大丈夫よ。気にしない、気にしない』

 

 言われてみれば尤もだと正太の指摘に頷いて蓮乃は友香に謝罪する。いいよいいよと手を振り、蓮乃の台詞を引用して心配無用と笑って受ける。正太も蓮乃も友香自身も気づいていないが、その姿は最初よりも格段に自然だった。

 詫びも終わり、三角形の形で三人は歩き出した。横に並んだ蓮乃と友香が先を行き、二歩後ろに正太が付いている。保護者代理の正太としては二人の状況が見えるこの位置が宜しいのだが、蓮乃的には納得いかないようで正太を並ばせようと引っ張っていた。

 

 「みーむー!」

 

 「やめい」

 

 正太は引く手を外して友香を指さし、一緒に動くように身振りで指示する。折角、友達と休日に遊んでいるんだからそちらを優先すべきである。氷川さんが遊びに誘ってくれたのだからなおのこと。

 だが、蓮乃は正太の意図を理解しながらも首を振って拒否する。二人で遊びに来たのではない。三人で遊びに行ったのだ。それなのに兄ちゃん抜きで遊べとは筋が一切通らない。

 

 「ぬーっ!」

 

 「だからやめろって。服が伸びるってーの」

 

 正太の腕をつかみ直し再度引っ張る蓮乃から、正太は再び腕を外す。その腕を蓮乃がつかみ直し、正太がもう一度腕を外す。リピートボタンでも押したかのような同様の光景を五回ほど繰り返し、段々と周囲の目が集まってくる。集中する視線の圧力と冷たさに圧されて、正太の動作がどんどん鈍る。しかし視線を一切合切気にもとめない蓮乃の速度に変化はない。むしろ手慣れた分掴み直す速度が向上している。

 

 「判った判った! 並んで歩いてやるからいい加減にしろ!」

 

 「なもっ!」

 

 結局、根負けしたのは正太だった。これが筋の通らない身勝手な行動なら正太が譲ることはなく、最後には鉄拳が蓮乃の頭上に降り注いでいただろう。

 しかし、そうでなければ正太は蓮乃にとにかく甘い。蓮乃が話しかければ時間が許す限り耳を傾け、自分の用事はさておいて望めば必ず遊びに付き合ってくれる。正太にその自覚はほとんどないが、だからこそ蓮乃は正太に懐いているのかもしれない。

 

 「うちの子がすまない。懐いてくれるのは嬉しいんだが、もう少し場を弁えてもらいたい処だ」

 

 「気にしないでください。三人一緒でも大丈夫ですよ?」

 

 多分心地よくないだろう友香に向けて、正太は苦笑いと共に片手合掌で勘弁を願った。正太に他人の心中は判らないがそこまで不快でもないのか、友香とクスクスと軽い笑いをこぼす。実際、友香も悪い気分ではなかった。望みが叶うなら人間は結構鷹揚になれるものだ。

 

 --お兄さんは外観と違って結構周囲に気を使うタイプなのね

 

 おかげで友香がつける辛口評価も大辛から中辛くらいには辛さを落としている。お昼を取った喫茶店でのことといい、周囲に気配りを欠かさない正太の意外な細やかさが友香には見て取れた。それに蓮乃も謝らせた辺り筋を通す性格でもあるらしい。突っ走りがちな蓮乃を考えれば、親から預けられるのもよく判る。

 なお正確には、正太が気を使っているのは周囲そのものではなくその目線である。周りの目がなければ、毎度の如くに妹から小言を差し込まれるくらい大ざっぱで適当なのが常の正太だ。ただし蓮乃に対しては自分が手本にならなければとの意識が脊椎に筋骨を通しているが。

 

 「それだけ好かれているって事じゃないですか。私もそうなりたいなぁ」

 

 「なに、蓮乃のことだから、すぐにもっと仲良くなれるよ」

 

 友香の内心に気づくこともなく、友香に合わせて笑いを浮かべながら正太は顎をもむ。どうせ判らないと諦めきっている相手の内心よりも、自分の口が滑らかな方が重要だ。多少は慣れてきたのか蓮乃や家族相手でなくとも思いの外ちゃんと喋れるのはありがたい。いつまでも訥々の木訥だったら格好がつかないことこの上ない。

 胸中で一安心と胸をなで下ろす正太が、友香の腹の底に気づかないのは本当に幸運と言えよう。何せそんな正太の心の底を友香はほぼ正確に見抜いているのだ。蓮乃相手には流暢に話せていながら、友香相手には訥弁が見え隠れしている。慣れと緊張が原因と推測するのは難しくはなかった。ならば今、会話が円滑に進むのは正太が気を許してきたということだろう。友香としては判りやすくて実に助かる。

 

 「なーもっ!」

 

 他方、正太の安心にも友香の計算にも一切頓着しない蓮乃は、歩き出しながら声を上げて二人を呼ぶ。脳天気でお気楽な蓮乃の様に、正太と友香は意図せずに同じタイミングで苦笑を浮かべていた。

 

 --こいつは全く

 

 --蓮乃ちゃんはシンプルね

 

 視界の端に写った同じ表情に顔を見合わせてもう一度笑う。笑い合って足を進めない正太と友香の元へ蓮乃は駆け戻った。二人が反応するより早く、さっさと行こうと二人の片手を掴んで歩き出した。一応、正太に言われたことは覚えているようで、二人を引っ張り回すことはなく歩調を合わせている。

 ただしそれ以外はいつもの蓮乃だ。MIBに捕まった宇宙人か、はたまた親の両手をブランコにする子供か、正太の左手と友香の右手を前後に振り回しながら歩く。足も高く上下に振り上げて、ローマ式なガチョウ歩きだ。周囲の視線を一向に気にしない様は実に蓮乃らしいが、正太としては前からワンピースの中身が見えないか気が気でない。だからといって前に回ってそれを確認したらそれこそ正太が犯罪者で確定だ。

 どーしたもんかと表情をゆがめて考え込む正太。不意に蓮乃向こうの友香がその目に入った。周囲の悪感情を吹き飛ばす蓮乃の底抜けな明るさに、最初の笑顔よりも格段に柔らかい苦笑をこぼしている。踊るメニュー表に手を叩いていた時と同じく、その表情は蓮乃と同年代らしく見えた。

 

 

 

 

 

 

 友香が案内した繁華街奥の面白い店とは、輸入雑貨の百貨店だった。

 

 ロバが背負った「ラ・マンチャ」の看板をくぐって店内にはいると、芸術的な形にディスプレイされたオススメ商品がお客様を出迎える。ブランドバッグはその並びだけで赤から黒へと至るグラデーションを描いている。色とりどりのリキュールの小瓶は虹に準えて七色に並ぶ。日本地図と相関する形に並べられた茶葉。流行の服を着たマネキンは町中の一瞬を切り取った様。

 入り口で手渡されたチラシを片手に、圧倒されて惚けた顔で正太と蓮乃は辺りを見渡す。巨大な店内のあまりの品ぞろえに圧巻されて何を見ればいいのかもよく判らない程だ。取り敢えずと手元のチラシを見れば、看板にも描かれたロバモチーフのイメージキャラクターが商品の説明をしている。

 

 「こりゃあすごいな……」

 

 「なーおー……」

 

 先にも書かれたが、海洋輸送は特殊生物の氾濫で高コストとなっている。そのため基本的に輸入品は航空輸送のコストをペイできる高級品か、一定の需要が見込めるマニア向けの品が数多い。

 この大型雑品百科店「ラ・マンチャ」ではそのマニア向けな品を山ほど集めて、かつ芸術的なディスプレイで耳目を集めることで新しい需要者を創出している。それだけに「冷やかしの客を意図的に増やしている」と揶揄される程に見栄えに気を使った店内は、それ自体がエンターテイメントを成している。つまり見て回るだけで楽しいのだ。

 

 「蓮乃ちゃんもお兄さんも、気に入ってもらえましたか?」

 

 「いや、ほんとに凄いね。どーしたもんか」

 

 「まーぬー」

 

 二人の驚きっぷりに案内した友香は満足に笑みを深める。何でもない風を装ってはいるが、内心得意満面のようで白い頬はほんのりと赤く色づいている。しかし驚いている正太としては、何処から回るにしても数が多すぎて迷ってしまう。さてどこから見たものかと正太は顎に手をやり首をひねった。蓮乃もそれに合わせて顎に手をやり首をひねる。まねっこだ。

 

 「うーむ」

 

 「う~ぬ」

 

 同じ角度で同期した二人の動作を見て、周囲はクスクスと笑いをこぼす。端から見れば無駄にゴツい正太は間の抜けた親熊に、無闇に明るい蓮乃は愛くるしい小熊に見えるのだろう。

 常の正太なら視線の集中砲火に恥ずかしがって縮こまるところだが、今の正太は考え込む余り周りが見えていないようだ。だから蓮乃の真似っこにも気づいていない。なお、蓮乃は他人の目が合ろうと無かろうと気にしない。

 だからこそ二人の動作は脳天気な漫画風味を帯びており、辺りを通るお客の目をかき集めてしまっている。そんな周りにあわせて友香もニコニコ笑う。だが固定された表情と異なりその脳内は高速回転中だ。

 

 --女の子なら服飾関係だけど、蓮乃ちゃんはともかくお兄さんが楽しめない。放って置いても大丈夫だって言うけど、蓮乃ちゃんが嫌がるからやっぱりダメ。男の子が好きそうなものと言えばスポーツ関係だけど、体型が体型だしお兄さんはインドアな可能性もありそう。そうなると二人とも楽しめそうなのは食べ物関係か玩具関係かな?

 

 とりあえず季節のディスプレイ見せて反応を探ってみようと結論づけ、友香は小首を傾げた二人に声を掛けた。

 

 「迷ってるなら、こっちとか見てみませんか?」

 

 迷う二人に向けて友香が指さすのは、入り口近くに大きく置かれた古池のジオラマだった。蛙飛び込む水の音が今にも聞こえてきそうな出来映えをしている。その周囲にも傘に合羽に長靴と梅雨向けの物品がずらりと並ぶ。さらに蛙や紫陽花や柳など梅雨らしいものをモチーフにした置物や小物も並んでいる。

 棚に並んだカタツムリのガラス細工を恐る恐る手に取り、触覚の先まで作られた出来映えに正太は感嘆の声を上げる。

 

 「他のもそうだが、これなんか細かいなぁ」

 

 「ディスプレイは全部専門のデザイナーが用意しているそうですよ」

 

 そりゃ剛毅な話とやっかみ混じりの感心を鼻息に乗せて吐き出す正太。現代では高級品の代名詞である舶来品をこれだけ揃えているのだ。資本規模も大抵の百貨店の上を行くだろう。お金はあるとこにはあるものだ。

 そんな正太と友香の会話を後目に蓮乃はいち早くジオラマの前まで駆け込んだ。ジオラマの出来映えに興奮した様子で手を振って二人を呼ぶ。正太は疲れたような返事と共に、足早に蓮乃の元へと急ぐ。二人の様子を観察しながら友香はその後を追う。

 

 「なーおーっ!」

 

 「はいはい。家の娘さんは元気だこと」

 

 「ほんと元気ですねぇ」

 

 仮にも常識のあるつもりな正太にしてみれば人前で大声を上げたりして恥ずかしいと感じないのかと聞きたくなる。たぶん感じないのだろう。以前にも道を歩く最中、手をつないで思う存分に童謡を熱唱していたのだ。恥を覚えるような気質なら等の昔に止めているだろう。でも俺が恥ずかしいから止めてくれないかな。

 不満げな気持ちをこぼす正太とは反対に友香は旨くいったと満足の表情を笑顔の下に浮かべた。蓮乃はあの様子で十分にラ・マンチャを楽しんで貰えているとよく判る。蓮乃の有様に苦い顔をしているが正太は正太でディスプレイに感心している。花丸満点とはいかないけれど合格点は貰えるかな。

 二人の心境を知ってか知らずかエキサイトな蓮乃は見本の折りたたみ傘から紫陽花柄を手に取ると、考えることなく思いっきり開いた。蓮乃が傘のランナーを力一杯に押し開くと、真金竹の骨格と形状再生繊維がしなやかに形を変える。同時に青色の紫陽花が桃色へと鮮やかに転じた。缶一本程度から上半身程の大きさに広がった折りたたみ傘に、仰天した蓮乃は驚嘆の大声を上げる。

 

 「おーっ!」

 

 「いい加減にしてくれ、恥ずかしい」

 

 正太の小言も右から左と蓮乃は傘の花をクルクルと回す。蛇の目柄ではないが、童謡が聞こえてきそうな様子に周囲の空気が柔らかに和む。回る傘は天井のLED灯を反射して紫陽花の輪郭と隠れた虹模様を輝かせている。

 

 「おお」

 

 反射は雨中での視認性のためだが、デザインに落とし込まれて見事に見栄えと機能が両立されていた。よく出来ていると結局正太も感心の声を漏らしている。その頭上に陰がかかった。見上げてみれば傘の内に描かれた梅雨の青空。見下げてみれば背伸びしながら傘を掲げる笑顔の太陽。

 

 「なーも!」

 

 --相合い傘!

 

 いつもの通り蓮乃の言ってることは判らないが、言いたいことはよく判った。正太の顔が形容し難く歪んだ。只でさえ形の悪い顔立ちがさらに酷いことになっている。その顔だけでは判らないが、居心地悪く動き回る指先といい泳ぎ回る視線といい正太の内心は誰からも見て取れた。

 正太の方としては恥ずかしいんで止めて欲しい。だが、大いに喜んでいる以上邪魔をするのは野暮天に過ぎる。なのでへちゃむくれた居心地悪そうな顔をしながらも、正太は蓮乃の好きにさせていた。蓮乃に甘いと清子に揶揄される所以がまさに此処にあった。

 百二十点満点のとろけた笑みで相合い傘を回す蓮乃に、赤ん坊に乗っかられたブルドックみたいな面構えの正太。蓮乃が子犬だったら千切れんばかりに尻尾を振ってることだろう。周囲の誰からも二人の関係は一目で見て取れた。

 

 当然、二人を見ている友香にもどれだけ蓮乃が正太のことを大好きかよく判る。周囲と同じほっこり顔を浮かべつつ、氷点下の思考を急回転させている。誰にも気づかれないように表情は常に優しい笑顔だ。だから見る目のある人間なら友香の違和感に気づくだろう。幸い、正太も蓮乃も他人の腹の底を見抜く目は持ち合わせていなかったが。

 これだけ蓮乃ちゃんがお兄さんに懐いているなら、蓮乃ちゃんを連れていけば半自動でお兄さんにが付いてくることになる。後は蓮乃ちゃんに気づかれないよう『あいつ』を押しつけて、二人を仲良くさせれば目的は叶う。お兄さんにさえいれば『あいつ』は自由に出来ない。身勝手をしたなら即座にバレて『あいつ』は皆の悪役になる。

 

 --そう、蓮乃ちゃんに『あいつ』を押しつけさえすれば……

 

 全ては狙いの通りに上手く行っている。その筈なのに胸の内に浮かぶ思いは、成功の甘い味とは真逆に酷く苦く感じられた。


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