二人の話   作:属物

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第三話、三人でお出かけの話(その二)

 「いらっしゃい」

 

 扉を開くとドアチャイムの音色と共に渋い声の挨拶が届いた。店内は年得て古びた風合いに仕立てられてはいるが、隅々まで掃除が行き届いて清潔な印象を覚える。挨拶の主である初老の店長はカウンターの中で静かにカップを磨いている。背筋をピンと立てコーヒーカップの水気を拭う姿は、重厚な店の雰囲気の中でどっしりと存在感を発揮している。

 その空気に引かれてか、店には様々な年代の客が集う。中学生とおぼしき少年は通ぶって注文したコーヒーの苦さに顔を歪めながら何でもない風を装う。二人組の女性客はチーズケーキとコーヒーのマリアージュを楽しんでいる。ハードカバーの電子書籍をめくりながら文学青年はコーヒーと共に土曜日の昼を過ごす。

 

 それぞれの時間を堪能している姿を横目に、正太・蓮乃・友香の三人は空いている四人席に腰を下ろした。とりあえずと正太は燻木に似せた充電スタンドから電子ペーパー製のメニュー表を取り出す。本日のおすすめコーヒーと軽食・ケーキが乗ったシンプルなメニュー画面を適当にいじって昼のメニューを探してみる。

 代用コーヒーにベトナムコーヒーやインディアンコーヒーなどなどコーヒーの種類は多いが、軽食はトーストにカレーやナポリタンなど喫茶店の定番以上は無いようだ。想像通りに値段が高いし少ないと正太は心の底で文句をぼやいた。正太としては十二分に腹を満たしたいのだが、この値段でそれをすると睦美から渡された昼飯代から足が出る。ここは我慢のしどころだろう。

 

 「ほー」

 

 不満を噛み殺した正太とは対照的に、蓮乃は興味に目を輝かせながら正太の隣からメニューを覗き込んでいる。意外なことに興味深そうにしているのは蓮乃向かいの友香も同じだった。爽やかな調子を崩さない程度にだが、電子ペーパーのメニュー表に目は固定されたままだ。

 偶然に正太の指先が点滅して主張する『本日のおすすめコーヒー!』の文字に触れた。そこに表示された数字に正太の顔が堅くなる。僅か一杯で一人頭の昼食代半分が軽く消える値段だ。もしこれを頼むなら昼食のメニューはかなり考えないといけないだろう。

 

 「どうかしました?」

 

 正太の様相の変化に気が付いたのか、友香はメニュー表に落としていた視線を持ち上げた。小首を傾げて笑顔を浮かべた顔はあどけないが、碧眼は正太の腹の底まで貫くように鋭い。事実、彼女は正太の心中を正しく見抜いている。

 

 --年下の手前で見栄張ったけど、今更になって財布がキツくなってきたみたいね

 

 友香からすれば格好付けるより前にやることあると思うのだが、同じ厚徳園の家族である”利辺 翔”も”ピーノ・ボナ”もまず第一に意地を張りたがる。女子かつ計算高く現実主義な友香には、やせ我慢を美徳とする男子の不条理な性質は理解しがたいものだ。

 呆れを交えた上から見通す目線に晒され、思わず正太は視線をメニューへと逸らして乾いた笑いで誤魔化しにかかる。別段コーヒーを飲むつもりもないし、昼飯代は睦美から貰った分があるし、誤魔化す必要性は全くない。だが思春期の正太は咄嗟の反応でつい格好を付けてしまっていた。

 

 「いや、こーいうとこのコーヒーはやっぱりいい値段しているなぁ、と思ってね、ハハハ」

 

 海洋輸送悪化のおかげで、現代のコーヒーは基本的に高級品となっている。それでも日本人はコーヒーを求めて止まないのか、ロブスタ種を中心にタンポポやらコーヒーナッツビーンやらの代用コーヒーで嵩を増したブレンドコーヒーが各所で盛んとなっている。ブレンドを調整した子供向けの苦くないブレンドコーヒーもあるが、背伸びしたがる年頃の子供は苦みの強いコーヒーを好んで飲みたがる。彼らの基準ではその方が格好いいのだ。

 

 「お兄さんはコーヒーを飲むんですか?」

 

 ごまかしの綻びを貫く友香の突っ込みが鋭角で正太に突き刺さる。トートロジーではないが正太は苦いのは苦手だ。なのでコーヒーは植物乳と砂糖をたっぷりと入れた苦くないものしか飲めない。けど苦いからコーヒーを飲めないというのは、子供の言い訳でないだろうか。どーしたもんだろ。

 中二病特有の「好き嫌いを口にするのは格好悪い」症がぶり返し、正太は針にかかった魚の勢いで目線を泳がす。他人の目を気にしないが為か他人の心理に疎い蓮乃は、二人のやりとりを不思議そうな顔で見つめている。

 

 「あーそうだなぁ。あんまり、沢山は飲まないなぁ、ハハハ」

 

 『あれ? 兄ちゃん苦いから飲めないんじゃなかったっけ?』

 

 そして心理に疎いが故に、他人の気持ちを斟酌せずに言葉の刃を突き立てるのもまた蓮乃だ。必死で誤魔化す取り繕いを快刀乱麻の勢いで一刀両断され、正太の顔は驚愕と不意打ちに固まった。表情が凍り付いても体は動くようで蓮乃のノートを即座に机の下に移動させると、友香に見えないよう体でノートを隠して震える文字で蓮乃を問いつめる。

 

 『お前なぁ! っていうかどこでそれ聞いたんだよ!?』

 

 『姉ちゃん!』

 

 蓮乃によけいな入れ知恵をした下手人は、正太が絶対に勝てない相手である妹の”宇城 清子”だった。兄よりも遙かに巧い論理の組立と、比べものにならないほどよく回る口を持つ清子は、圧倒的な口撃力と防語力で年上の正太を一方的に叩きのめしている。正太には兄妹口喧嘩で勝ち星どころか主導権を握れた覚えすらない。

 清子に完全なる負け犬根性を焼き印されている正太には、家に帰ったらネチネチ文句言ってやると決意するのが関の山だった。しかも内心の奥の方では「多分文句を言えないままで終わるのだろうなぁ」と醒めた予想すら立てる始末。この先も年下の清子に頭が上がる日はきっと来ないのだろう。

 

 「まあ、大人の人でも好き嫌いありますし、苦いのダメな人もいますから」

 

 そして本日は年下の友香に頭が上がらないようだ。幼い友香からの優しく容赦のないフォローに、最早グウの音も出ない正太は頭を抱えて俯くばかり。急いでテーブルの下に隠しはしたが、正太が隠したい真実を書かかれたノートはしっかり友香に見られていた。そうでなくとも正太のええ格好しいなど当然見抜かれている。僅かに残っていた年上の威厳など、窓の外の青空遙か彼方へとすっ飛んでいる。

 

 『私も苦いのダメだから、兄ちゃんと一緒!』

 

 他方、遠慮やら恥じらいやらを青空飛び越え衛星軌道のその向こうへとすっ飛ばしている蓮乃は、唐突に苦手の同意を二人に提示した。しかも浮んでいるのはひどく嬉しげなドヤ顔である。正直な処、どこがどう喜ばしいことなのか正太にはどうにも理解しがたい。

 不得手を誇らしげに言葉にする蓮乃の姿に正太は首を傾げる。だが好機は今しかないと、腹の底まで看破された現状を糊塗すべく、正太は作り笑い顔の早口で二人に昼食を勧めた。

 

 「ま、まぁ俺の好き嫌いはとりあえず棚上げさせてもらうとして、お昼を食べに来たんだから、何かしら頼むとしようよ。俺はこのビーフ風カレーにするけど、皆は何がいい?」

 

 『オムライスがいい!』

 

 「私はサンドイッチのセットで」

 

 蓮乃はメニューの写真を平手で叩いて、べちべちと擬音を立てながら主張する。対して音も立てずにそっと指先でメニューをクリックして表示する友香。性格同様に見事に分かれたなと、コントラストの利いた行動に正太の片頬だけがひきつった感じにつり上がる。

 らしいっちゃぁらしいと内心ぼやき、正太はメニュー表を操作して自分と蓮乃の頼みたい物を選んぶ。友香は先に操作して置いてくれたので操作の必要はなかった。二人に見せて内容の確認をとった上で注文ボタンを押すと、『注文を承りました。しばらくお待ちください』の表示と、コーヒー関係の豆知識が飛び出てきた。

 

 --ふーむ、コーヒー豆だけに豆知識とは、中々に洒落ているじゃないか

 

 余人の大半は寒い駄洒落だと一刀両断するだろうが、世間様の斜め下をいく正太の感性にはピンと来たようだ。ロブスタ種とアラビカ種の違いにつての雑学を眺める正太の横から、自分も読もうと蓮乃が顔を突き出した。コーヒーの知識について見識を深める二人を、時を待つように友香はじっと観察する。そしてタイミングを見計らい、呼吸の間隙をついて声を二人に投げかけた。

 

 「そういえば、蓮乃ちゃんもお兄さんも魔法使いなんですか?」

 

 「あー、そうだよ。蓮乃も俺も魔法が使える」

 

 『私も魔法使いだよ!』

 

 意識の隙を突かれた正太は、考えること無しに反射的に応えていた。それにつられた蓮乃も手首にはまった赤銀色の『腕輪』を見せつける。当然の如くにドヤ顔な蓮乃を、そんなに偉いことでもないだろと呆れた表情で正太は見つめる。当然、その正太の手首にも『腕輪』ははめられている。

 赤銀色の『腕輪』……すなわち、特殊能力確認用携帯機器をつけている以上、正太と蓮乃の二人とも魔法使いである。

 

 『ねぇ、蓮乃ちゃんの魔法はどんなの?』

 

 思春期の子供らしい「魔法に興味津々です」という表情を作り、友香はドヤ顔のまま『腕輪』をいじくる蓮乃に問いかけた。友香自身魔法に興味あるのは事実だ。主に自分の狙いに使えるかどうかが非常に気になる。家族の利辺同様にふんぞり返ってベラベラ喋るかと思ったが、正太の方は不意をついても聞かれたことしか答えなかった。幸い蓮乃は話したがっているようなので、そちらから先ずは聞き出すつもりだ。

 

 友香から投げかけられた問いかけに、蓮乃はノートを取るでもなくまず正太の顔を見た。加えて白紙のページを開き正太へと差し出した。いつも通りの蓮乃の唐突な行動に、正太の顔がめまぐるしく表情を変える。行動の意味が理解できない疑念の色に、そして理解したが故の呆れの色に、最後は行動に対する返答の思慮の色へと移り、正太は顎に手を当てて考え込んだ。

 蓮乃の行動の理由は「魔法のことを友香に教えていいか?」だと正太は理解している。このタイミングで意見を求めた辺り、十中八九間違いはない。正太としては自分のことなんだから俺に判断を仰ぐなといいたいとこだが、今日の正太は母親である睦美から蓮乃の代理保護者を委託されている。そうである以上、正太にも考える義務がある。どーしたもんだろ。

 顎を揉みながら静かに考え込んだ正太は蓮乃をまっすぐ見つめ直すと、結論代わりに小さく首を縦に振りノートを返した。手渡されたノートには結論の詳細が書かれている。

 

 『他人にふれ回る事じゃないが、隠し通すようなことでもない。お前さんの好きでいいさ。俺の時もお前に説明したしな』

 

 「んっ!」

 

 元気よい首肯と共に蓮乃はペンを握りしめる。了解さえもらえれば後は早い。元々話したかった事もあり、蓮乃のペン先はノートを引き裂きそうな勢いで紙面を走り回った。

 

 『私の魔法は、「音声念動」っていうの! どんなのかっていうとね』

 

 蓮乃がノートに綴る言葉は正太も横合いから横目で見ていた。友香に書いて見せる文の中に、悪い意味で見覚えのある文字の並びを正太は見つけた。只でさえむやみやたらと厳つい顔が当社比三割り増しでキツくなる。苦いコーヒーを格好付けて舐めていた学生客が、何の気なしにこちらを見て反射的に顔を背けるほどだ。

 

 蓮乃が正太と初めて顔を合わせたとき、自分の魔法を説明しようと蓮乃は『腕輪』が警告をならす水準で魔法を使って見せた。(第一部第一話参照)警告を無視して魔法を使用し続ければ、警察まで連絡がいって法的措置が実施されることになる。

 その時は初対面にも関わらず、正太は蓮乃を怒鳴りつける羽目になった。そして叱り飛ばされた蓮乃は思いっきり泣きじゃくり、正太もまた泣きたい気分にさせられたりしたのだ。

 

 二度目はごめん被ると正太は色んな意味を込めて蓮乃の名前を呼んだ。人前で大声出すのはゴメンだが、あの時同様いざとなったらやらざるを得まい。すっ飛んできた警察に事情を話して謝罪するよりは幾らかマシだ。氷川さんにかける迷惑も警察呼ぶより、怒鳴り声あげた方が幾らかマシなはず。

 

 「オイ、蓮乃?」

 

 「う~ぬ~……」

 

 『どんなのかっていうとね、声をかけた物を好きに動かせるの』

 

 幸い蓮乃は言葉を聞き取れないながらも、正太が言外に込めた意味を正確に受け取ったらしい。ぶすくれた顔でぶすくれた声を上げながらも、ノートに必要な文字を追記した。やはりそれは当人にとって不本意らしく、背中を丸めて唇を尖らせた不満顔を正太に向けている。なのでおまけに正太へ抗議の文をノートに追加した。

 

 『私、あの時みたいに机を持ち上げたりしない! メニューを浮かせるだけにするつもりだった!』

 

 --やっぱやるつもりだったんじゃねぇかお前

 

 そういう問題じゃねぇだろと思わず突っ込みを入れかけた正太は、ペンを取る寸前に思い留まった。以前、蓮乃が魔法を使った時に正太が怒った一番の理由は「法に触れる規模で許可無く魔法を使った」からだ。逆に言うなら法に触れない範囲ならば、今ここで使用してもさほど問題はない。マナー的には微妙なところだがメニュー表を浮かせるくらいならどうという事はないだろう。ただし、蓮乃は勢い任せなところが非常に多い。最低限、釘は刺しておくべきだ。

 

 『ならいいが、ノリと勢いで人やら机を浮かせたりするなよ』

 

 『そんなことしない!』

 

 「ぬーっ!」

 

 微妙に信頼の足らない半目の正太は、膨れる蓮乃に注意のメモ書きを突きつけた。信用してませんと言外に込めたメモに蓮乃の頬がさらなる膨らみを見せる。蓮乃はフグ科と張り合えそうな勢いで膨れっ面を膨らませ、正太はチベットスナギツネとガン付け合戦が出来るだろうジト目で見つめ返す。

 睨めっこする二人を横目に蓮乃から手渡されたノートの文章を眺めつつ、冷たい色の瞳を細めた友香は冷静に計算を進める。名前からして音声念動は音声がトリガーの念動力に間違いない。純粋な物理操作だから自分の狙いには特に使えないだろう。

 

 --となると、蓮乃ちゃんは『あいつ』に押しつける役割にしか使えないわね

 

 両方は欲張り過ぎだったかなと友香は心中で苦笑を浮かべる。後はお兄さんの魔法だけど、蓮乃ちゃんがこれじゃ期待薄。残りの嘆息を胸中にこぼす友香の耳に、いつもと違う蓮乃の声が届いた。常のピーカン青天井ノー天全開な底抜けに明るい声色ではない。純粋な氷のように透明で、雪の結晶のように儚く消える。普段の様からは想像も付かない音色に友香は思わず視線を向ける。

 

 「Naaaaoooooo……」

 

 声音と言うよりは声楽に似た音と共にメニューが青の燐光を帯びて浮かび上がった。テーブルから一〇cmほど浮き上がったメニューを見つめる友香の顔からは本気の興味がかいま見えている。冷徹な計算と容赦ない評価を隠し持つ友香ですら蓮乃の奏でる歌声に引き込まれている。

 だが、少なからず蓮乃と顔を突っつき会わせている正太にはさほどの効果はない。その歌声に聴き惚れるより、余計なことをしないか蓮乃を監視する方に忙しい。警戒の目線で見つめる正太をご立腹の蓮乃は眉根を寄せて睨み返す。

 だが、なにやら思いついたのか蓮乃の顔に企みありげな悪戯顔が浮かび上がった。なにをやらかす気だと正太のデフコンが急上昇する。睨みつける視線も突き刺すほどに鋭い。

 

 「LuuuuunaaaaAAAA!」

 

 暴走を危険視する正太の心境をよそに蓮乃は声の調子を変える。先ほどまでが凛と引き締まった冬の青空とするならば、夏祭りの夜空にも似た浮き立つような華やかさを思わせる。

 途端に平たいメニュー表が立ち上がり堅さを忘れてグニャグニャと波打つ。それはすぐさま有線放送のBGMと調子を合わせてリズミカルに踊り出した。上の両端を両手の代わりに動かしまわり、下の両端を足の代わりにステップを踏む。ムーンウォークでテーブルの端まで滑っては、華麗な弧を描いてターンを決める。仕舞いにはドラムソロと同じリズムで小粋なタップを刻む始末。

 引き吊りきって呆れ果てた正太へと向き直り、蓮乃はどうだと言わんばかりに太い鼻息を吹き出した。さらに満面のドヤ顔で友香に気持ちを書き込んだノートを差し出す。

 

 「むふーっ!」

 

 『すごいでしょ!』

 

 頭痛が痛い余りに頭蓋骨を割りそうな正太とは反対に、半ば呆然とメニュー表のダンスを見つめる友香の顔に浮かぶのは純粋な笑顔だった。その顔は張り付けた作り笑顔ではない、内から湧き出た本物の驚愕と爽快な笑みが浮かんでいる。すごいすごいと白い肌を興奮の桜色に染め上げて、気づけば全身でリズムを取りながら掌を打ち合わせ手拍子を響かせている。

 蓮乃の音楽と共に踊り狂うメニュー表を見て、頭を抱える正太は何か言いたげに口をへの時に曲げる。だが、今までの表情とは異なる顔で思い切り笑う友香を見て無粋な注意を口にするのは止めることにした。その代わり、カウンターからこちらをじっと見つめる店長にうるさくしてスミマセンとテーブルに頭をすり付ける。止めろというなら直ぐ止めるつもりではあるが、これだけ友香が楽しんでいるのだ。正太は注意を受けるまでは頑張るつもりであった。

 

 そんな正太の頭部上下運動などつゆ知らず、メニュー表は友香の片手で形作った人形をダンスパートナーに、手の甲と平面を寄せ合ってチークダンスを始めていた。こーしてあーしてと手の人形の動きを変えてみれば、蓮乃の操るメニュー表がジャンプにターンにと即座に合わせてみせる。満面の笑みの蓮乃はとても楽しげにメニュー表を踊らせ、自然な笑顔の友香はひどく楽しげにメニュー表と踊る。

 だが楽しい気分は不意に終わりを告げた。友香の青い目が米搗きバッタをしている正太の背中を捕らえてしまったからだ。途端に楽しげな表情は消え去り、「あ」の形に口を広げ、自分のやらかしに呆然とする顔だけが残る。

 やっちゃったと友香の表情が苦く変化するのを見て、蓮乃もようやく水飲み鳥をしている正太に気がついた。ただしこちらは何で正太がそうやっているのかには気づいていないらしく、兄ちゃんどーしたと不思議そうな顔に変えるだけだった。

 

 「あの、その……ごめんなさい」

 

 「なーも?」

 

 二人の声で正太が振り向けば、罪悪感を顔に張り付けた友香と不可思議を顔に書いた蓮乃が自分の背中を見つめていた。反応は違えども二人が二人とも自分の行動に気づいたらしい。

 

 「ついやってしまうことは誰でもあるよ。楽しめたんだから、あんまり気にしなさんな。今日は楽しみにきたんだからそれでいいよ……まあ、もう少し控えめだと嬉しいけど」

 

 自責の念に押された友香は苦く表情を歪めて頭を下げた。緋色のお下げが力なくテーブルに転がる。これまた苦い顔をした正太はそれを手を立てて抑えた。年下の子供に謝らせた居心地の悪さに閉口しつつも、正太は気にするなと手を振って見せる。

 自分が止めなかった以上、正太としてもどうこうは言えないし言わないつもりだ。ただ、蓮乃には罪悪感を少しは持てと言いたい。事実、蓮乃には後ろめたさなど毛頭無いようで、喫茶店で正太が何故ヘドバンしていたのか眉根に皺山脈を作って考え込んでいる。

 自分で考えることは重要だが、一緒に乗ってしまった友香が謝罪を口にしていながら、主犯格の蓮乃がいつまでも考え込んでいるのは宜しくない。なので正太は実行犯であるお前は多少は気にしろと文章を突きつけた。

 

 『喫茶店はお茶と食事を楽しむ場であってダンスの場じゃない。店の人にちゃんと謝って、次からはしないようにすること』

 

 「なもっ!」

 

 自信満々にドヤ顔を浮かべて蓮乃は上半身全部で頷いた。過剰なほどに自負を見せたその姿に、正太は微妙に信用ならなそうな顔を浮かべる。だが、ここらで仕舞いと目を閉じて肯きを返した。

 何かとアホいことをやらかす娘っ子ではあるが、言ったことはちゃんと覚える子でもあるのだ。了解と頷いた以上、疑るのは失礼なだけだろう。

 

 「ご迷惑をおかけしました」

 

 「まーう」

 

 強い目つきで三人を見つめていたカウンターの店長へと、正太と蓮乃は向きを揃えて頭を下げた。テーブル反対側で友香もまた謝罪の意を込めて頭を低くする。ナイスミドルな店長は三人の謝罪を受け入れたのか、最後に三人を強く睨みつけると目線を和らげて肩をすくめて見せた。

 三人がほっと安堵を吐いたそのタイミングで、ちょうど良く店員がお盆にそれぞれの昼食を乗せてやってきた。蓮乃の前にオムライスが、友香の前にサンドイッチセットが、正太の前にカレーは置かれる。保護者と見られた正太には、加えて領収書とお叱りの言葉が置いてかれた。

 

 「店内での特能の使用は他のお客様のご迷惑になりますのでお控えください」

 

 「判りました。ご迷惑おかけして申し訳ありません」

 

 「ぬーなぁ」

 

 「ごめんなさい」

 

 刺された釘を心に留めて正太はもう一度詫びを告げた。それに続けて蓮乃と友香も謝罪の声を上げる。それで納得したのか、気を付けてくださいと言い残して店員は去っていった。

 店員の後ろ姿から視線をはずして二人の方へと向き直れば、友香と蓮乃は陰陽のように真逆の様相をしていた。後ろめたさなど何処吹く風と蓮乃は食べる気満々にスプーンを握り、逆に気落ちした友香は食欲が無さそうにお絞りを弄んでいる。

 

 --さて、どーしたもんだろ

 

 微妙に表情を堅くした正太は常の癖で顎肉を揉みながら考え込む。どうやら氷川さんは思いの外、失敗が尾を引くタイプらしい。落ち込んだままでいさせるわけにも行かないし、どうにかして調子を元に戻させたい。だが、どうやって気分を晴らしてあげるのか。

 頭の中の引き出しを片っ端から開いて見るも、役に立ちそうな答えは出てこない。元々、女の子とは縁のない人生を送ってきた正太である。頭の仕上がりが同年代に比べてシンプルな蓮乃や、人生の九割型を一緒に過ごした清子相手ならともかく、正太には年頃の子を慰める方法なんて知る由もなかった。


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