二人の話   作:属物

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第三話、三人でお出かけの話(その一)

 ふと”宇城 正太”が見上げた初夏の空は爽やかに青かった。昼前の日差しが燦々と照りつけ、肌に汗ばむくらいに暖かい。子供たちの遊ぶ声をBGMに、ゲートボールを楽しむ老人集団を背景にしつつ、正太は爽快な青空に反したしかめ面を浮かべる。

 太り気味の身には少々暑苦しいようだ。四角い顔立ちに藪睨みの細目とむやみやたらと厳つい顔立ちは、重苦しい表情と相まって暴力沙汰に関わりある印象を醸し出している。事実、図書館前広場で片隅のベンチに腰掛ける正太の周囲にはほとんど人がいない。しかし、ほとんどと言うことはゼロではない。一人はいる。

 

 同じベンチに座っては立ち上がり、腰掛けては腰を上げる”向井 蓮乃”がそこにいる。ベンチの逆に腰掛ける正太とは存在レベルで一八〇度逆のベクトルを持っていそうな外観だ。整った細面に各品が品よく配置され、濡れ羽色の長髪に日本人形じみた幼い美貌が覆われている。そして秒単位でクルクル変わる表情が、それら全てを明後日の方向へとぶん投げていたりする。近いモノを挙げるなら血統書付きの柴の子犬だろうか。自身の美しさを一片たりとも理解していないが故の底抜けの明るさが全身から溢れている。

 

 おかげで正太単体なら親子連れが即座に回れ右する不必要な威圧感は、現在の空模様と同じ蓮乃の脳天気な雰囲気に程良く中和されていれる。顔と臑に傷を蓄えていると見える正太も、蓮乃と一緒なら昔随分ヤンチャしていた親父さん程度になるだろう。尤も、齢一四の正太にしてみればどっちも御免だと文句を垂れるだろうが。

 ベンチの上で上下運動に勤しむ蓮乃は動作にあわせてちらちらと手首の『腕輪』へ繰り返し視線をやっている。魔法使いの証である『腕輪』の画面で、数十秒ごとに現在時刻を確認しているのだ。正太以来初めて出来た友達である”氷川 友香”との待ち合わせ時間が近づいていることもあり蓮乃は気が気ではない。立って座ってまた立って。落ち着きという言葉を遠く忘れた蓮乃は、まだかまだかと視線で周りを探る。

 本日の蓮乃は友香とここで待ち合わせて一緒に遊ぶ予定をしている。待ち合わせの場所は蓮乃と友香が両方知っている場所ということで「となりまち公園図書館前広場」に、時間は正太と友香の都合で土曜の昼となった。

 

 「気持ちが急くのは判るが、少しは落ち着けって」

 

 頬杖ついた正太がぼんやりと眺めつつぼやくように言葉を投げた。蓮乃は障害の関係で言葉を聞き取ることは出来ない。しかし耳が聞こえないわけではない。なので正太の言葉に込められた感情に従って、唇をとがらせつつ両足を抱えて蓮乃は静止した。ベンチの上に折り畳まれた細い両足の付け根まで、若草色のワンピースの裾から見えそうになる。幸い膝の隙間に落ちたウサギのポーチがしっかり隠してはいるが、正太のしかめ面がますます深まった。まだそういう年でないのは判るが多少は恥じらいを覚えろと言いたくもなる。

 そうして体は動かさずとも周囲と『腕輪』を行き来していた蓮乃の視線が、不意に一点で停止した。表情が不満から驚きに、そして喜びに次々と転じる。撓められたバネの勢いでベンチから飛び降りると、目的の人物めがけモーター過電流の速度で右手を大きく振った。

 

 「なぁーもぉーっ!」

 

 「蓮乃ちゃん、こんにちは!」

 

 待ち人である友香が来たのだ。特徴のない麻布のポーチを肩に掛け、蓮乃と似たような袖付きレモンイエローのワンピースを纏っている。違いは各所に付けられたフリルが蓮乃のワンピースより少女らしさと高級感を発しているあたりか。茜色の三つ編み二つと相まって、米南部豪農のお嬢様とでも言えそうだ。動作一つ一つに漂っている「他人からの見え方」を意識した礼儀正しさがそれに拍車をかけている。

 一方、「他人からの見え方」など部屋の隅の玩具箱でホコリ被ってそうな蓮乃は、犬の尻尾よろしく腕をぶん回してご挨拶。友香もそれに片手をあげて答えると、自分のポシェットからノートを開いて差し出した。蓮乃の目がドングリの形に丸くなる。

 上記のように蓮乃は他人の言葉を聞き取れない。なので常に持ち歩いているノートで筆談をするのだが、正太のように特に親しい人間を除けば相手側が蓮乃用に用意してくれることは全くなかった。しかし、友香は蓮乃に気を利かせたのか会話用のノートを自主的に持ってきてくれたのだ。本当に気が回る子だと正太は驚きと感心を足して二で割った顔で頷いた。

 

 『待たせちゃったかな?』

 

 『待ったけど大丈夫!』

 

 二人の会話を見て、正太の表情に苦みと呆れが追加される。そーいう時は『待ってない』というのが普通だろうに。家の子はいつもながらフリーダムだこと。感情を吐息に乗せて吐き出すと、正太も友香へと片手を上げて挨拶する。

 

 「こんにちは氷川さん。あーっと、お邪魔虫だけど、今日はご一緒させてもらうよ」

 

 「こんにちはお兄さん。あたしは大丈夫ですけど、蓮乃ちゃんは……大丈夫そうですね」

 

 「なーうっ!」

 

 友香が子供であるせいか、はたまた蓮乃がいるせいか、思いの外正太の舌が動く。コミュ障気味の正太にしてみれば有り難い限りだ。友香の質問への返答代わりに正太は蓮乃へと視線を向ける。別の意味で正太の言葉を気にもしていない蓮乃は、全く判っていないままに元気よく頷いてみせる。

 先日の後、蓮乃が友人ができた旨を母親である”向井 睦美”に説明したところ、遊びに行くときは正太について行ってもらうよう言われたのだ。これに関しては正太の両親も了承済みである。

 

 「えっと、もう少し詳しく話すと、蓮乃のお母さんとの取り決めで、ええっと、蓮乃がお出かけの際は俺がついて行くことになったんだ。あー、楽しい話じゃないかもしれないけど、ここは勘弁してくれないか?」

 

 しかし、友香に全面的了解を頂いたわけではない。なので正太は詳細を交えて説得しにかかる。自分のコミュニケーション能力不足というか吃音二歩手前な様に歯噛みしながら、底をつきかけた歯磨き粉よろしく必死で言葉を絞り出す。

 

 「あたしは気にしませんよ」

 

 友香は二重の意味を込めて形良い笑顔を浮かべてみせる。正太自身でも判るつっかえつっかえの訥々な喋りっぷりを、気にする素振りも見せない友香の出来の良さが正太にもよく判った。白人種らしい高い鼻に対して実に腰の低い態度である。事情を聞いてにっこりと笑う友香に正太は感心を込めて思わず頷く。

 そのまま視線をスライドさせた先の蓮乃は、何をするつもりなのかストレッチを始めている。正太は腹の内で二人を比較し、密かに気苦労込みの嘆きを漏らした。こっちが訥々なのに嫌な顔一つしない。氷川さんはほんとよくできた子だ。蓮乃もこんな風に落ち着いて欲しいだが蓮乃だしなぁ。

 ため息をこぼす正太と、鼻息を吹き出す蓮乃。柔らかい笑みを整った顔の上に浮かべて、友香は二人の様子を眺めている。

 

 蓮乃は他人の内心を気にしない。蓮乃自身は余り気にしていないが、言われたらちゃんと気にしようと決めてはいる。だから蓮乃も気づかない。

 

 --蓮乃ちゃんは単純で判りやすいわね。『あいつ』次第だけどこれなら押しつけるのも簡単にいけそう。親の締め付けが厳しいみたいだから、自由を餌にすればコントロールはいいかな。

 

 --でも、そうなるとお目付役のお兄さんがやっかいね。お兄さんの魔法も知りたいところだし、今暫くは様子見。こっちを全く疑ってないみたいだから、お兄さんを動かすのも簡単そうだし。

 

 正太は他人の内心が判らない。正太自身そう思っているし、判ったつもりになってはならないと戒めてもいる。だから正太は気づかない。

 コーカソイド特有の色素のない肌の下に隠した辛辣な評価を正太と蓮乃のどちらも気づかない。面従腹背そのものの態度でニコニコを続ける友香は二人に呼びかけた。

 

 「これから行き先は決まってますか? 決まっていないなら行きたい場所があるんですけど」

 

 

 

 

 

 

 「ねぇどこ行こうか?」

 「今日はよく晴れたね」

 「おなかすいたー」

 「あそこ不味かったな!」

 

 一人一人それぞれ人生のある人間は、無数に集まればただの雑踏となる。一つ一つそれぞれ意味のある会話は、無数に重なればただの騒音となる。図成町の駅前広場は数多の雑踏でごった返して、幾多の騒音に包まれていた。広場のモニュメント前では俺達の歌を聴けとバンドが演奏し、向こう側には端切れと埃を纏った浮浪者が昼寝をして、横では宗教団員が教祖様の教えを純粋な善意で配っている。

 様々な人種年齢の人間がたむろする広場の中、やや毛色の違う三人組がそれぞれの表情で佇んでいた。人の数に圧倒された正太は辟易と書かれた顔を浮かべ、見るもの全てが新しい蓮乃は興味津々と表情を輝かせ、二人をこの場に連れてきた友香は相も変わらぬ笑顔を被っている。

 

 「なーおーっ!」

 

 普段なら周囲の目を集めずにはいられない蓮乃の独自言語も、無数の人が行き交う雑踏と騒音の最中ではさほどの注目も集まらない。それでも愛がどうこう恋がどうこうと声を張り上げているバンドよりも人目を集めるあたりが蓮乃である。そしてその全てを一切気に留めてもいないのも蓮乃である。

 

 『兄ちゃん兄ちゃん、あれ何やってるの!? あの人は何で地面に寝てるの!? あの曲は何!?』

 

 蓮乃は沸き立つ気持ちのままにノートに走り書くと、そいつを正太の渋面な顔面に押しつける。ついでに説明文を読んでも意味する内容が判らない異形のモニュメントの辺りを逆の手でグルグルと指さす。世間知らず丸出しの蓮乃にノートを押しつけられた正太は苦り顔全開で受け取った。

 

 『1.客引き。2.家がないから。3.俺は知らん。たぶんポップス。後、叫ぶな』

 

 適当な返答を書きつつ横目を向けた先のモニュメントは、太陽光に照らされて七色に変色しつつ痙攣じみた奇怪な動きを繰り返している。説明文によれば世界平和と人類融和を意味しているらしいが、どこをどうやればそう読みとれるのか美術が2の正太にはよく判らない。冒涜的な邪神でも召還して世界平和(洗脳)と人類融和(物理)でもするのだろうか。

 眺めていると正気度が減少しそうなモニュメントから焦点を外すと、東日本鉄道図成町駅と浮き彫りされた巨大な看板が目に入る。ついでにグラフティが重ね塗りされ過ぎて何が描かれているのか理解できない鉄橋下も視界に入る。

 

 --どーにもこーいうとこは苦手だな

 

 雑然として猥雑とした空気に思わず身じろぎする正太。コミュニケーション能力が低く新しい物事には後込みする方の正太としては、こういった場所は居心地が悪い。返答を書いたノートを蓮乃へと手渡し、乱雑に賑わう駅前から視線を外す。

 外した視線の先では、駅向こうの遠くで再開発予定地域が原色のスモッグに霞んでいる。スラムと化した再開発予定地域では違法な魔法生物が売り買いされ、危険な魔法物質が使用されていると聞く。まかり間違っても近づきたい場所ではないし、蓮乃を絶対に近づけさせたくない。悪所通いを心配する親御さんの気持ちも良く判る。

 

 「それで、行きたいとこってのはどこなんだい?」 

 

 蓮乃をここに居させたくない気持ち四割、この場から離れたい気持ち三割、行き先への純粋な興味三割で、変わらず笑顔の友香へと正太は行き先を問いかける。正太の具合を観察する友香は青い目で描く笑みの孤を深めて駅とは反対側の商店街奥を指さした。

 

 「商店街の奥で面白い物売ってるお店があるんです。ちょっと歩きますけどすぐそこですよ」

 

 --へぇ、お兄さんは強面に似合わずこういったとこは苦手なんだ

 

 同時に周囲すべてに興味津々な蓮乃へと視線をやり、正太が邪魔なときには興味の差を利用して切り離すかと、内心をおくびにも出さずに腹の底で算盤を弾く。

 当然、二人は友香の内心に欠片も気づかない。友香から話を聞いた正太はどんなところだろうと予想するだけで、正太から話を読ませてもらっている蓮乃はきっと楽しい所だろうと想像するだけだ。

 しかも蓮乃の想像はあちらこちらへと飛び回る。商店街の奥ってどの辺りだろう。あの旗の向こうかな。その旗に書かれている絵は何だろう。近くで見てみよう。

 

 「だったらそろそろお昼だし、行き途中で食事にしないかい? どんな店かは判らないけど、色々見ていたら食べるまで随分かかってしまうだろうし」

 

 そんな感じに興味のままに何処へと走り出しそうな蓮乃の首根っこを捕まえて、正太は親指で広場の時計を指さした。親指の先の時計は、短針も長針も一番上を指しかけている。中天に達した太陽は活力を増して、夏近いことを否応なしに理解させてくれる。

 商店街のアーケードに興味を移していた蓮乃も、一二時目前を示している時計を目にして胃袋の辺りをさすり出す。その有様を横目で眺めながら、楽しそうに装った友香も首を縦に振った。

 

 「まーぬっ!」

 

 「そうですね、行きがてらお昼ご飯にしましょうか」

 

 二人が同意したことを確認して、希望をとりつつ正太は歩き出すよう促す。正太個人としては肉類をガッツリ食いたい。何せ今日の昼飯代は蓮乃の母である睦美から結構な金額(中学生換算)を貰っている。特殊生物の氾濫で海洋輸送が高コストとなった現代では食肉は基本高級品だ。ましてや宇城家では両親の教育方針もあり、肉類を食する機会はかなり少ない。この千載一遇の機会を最大限に利用して思う存分に腹と舌を肥やすのだ。代用肉でもいいんで腹一杯食おう。

 

 「じゃあとりあえず行こう。何か食べたい物とか嫌いなものとかあるかい?」

 

 『美味しいもの食べたい! 嫌いな物はないよ!』

 

 『美味しいものは希望とは言わん。何でもいいと判断する』

 

 食欲にまみれた決意を固める正太からの問いかけに、ドヤ顔で間髪入れずに蓮乃はノートを突き出した。むやみやたらにスピーディーだが中身は殆ど意味がないので正太は適当に処理した。それに幾らか遅れて考える表情で赤い髪をいじる友香から返答が届いた。

 

 「これといって食べたい物はないですね。強いて言うなら洋食かなぁ。あと、嫌いな物もないですからご心配なく」

 

 「判った、洋食ね。じゃあ途中に洋食を食べれる店を見つけたらそこにしようか」

 

 蓮乃の返答の内容が内容というか無いようなので、正太は友香の返答を参考にすることにした。蓮乃にも洋食にする旨を伝え、美味しいからとそれで納得して貰う。蓮乃も蓮乃で美味しいならとあっさり納得する。正太の預かり知らぬ事だが、蓮乃は殆ど外食らしい外食をしたことがない。「外食をする」という事実だけで蓮乃には十分以上に新鮮かつ刺激的なのだ。

 なので道中のんびりと探すつもりの正太や、適当なところでいいと判断している友香と違い、蓮乃は一刻も早く外食をしてみたい気持ちで一杯である。お陰で洋食屋探しにも熱が入る、入りすぎる。辺りをキョロキョロと見渡しては小走りで駆け出し、二人を置いてけぼりにした事に気づいて直ぐに駆け戻る。マイウェイ一方通行に自分のペースでアーケードを行ったりきたり。

 

 「なーも! なーも!」

 

 それだけ走り回った甲斐はあり、洋食を出している店はあっという間に蓮乃が見つけてしまった。ただしショーケースに並んだ料理見本の一番始めには「ブレンドコーヒー」が置かれている。つまりは洋食屋ではなく、喫茶店である。コーヒーカップを象った看板にも『昭和風喫茶店「ノワール」』と店のジャンルが明確に記されている。

 だが蓮乃にとってそんなことはどうでもよろしい。洋食を食えるなら洋食屋と何が違おうか。大声を上げて正太と友香を呼ぶ蓮乃に、げんなり顔の正太と苦笑を浮かべた友香が顔を見合わせた。

 

 「蓮乃ちゃんも呼んでますし、ここにしましょうか」

 

 「……そーだね」

 

 望みであった肉食ガッツリが難しそうな喫茶店に決定して、正太は内心本気でガッカリだった。元々、コーヒーやお茶を楽しむのが喫茶店の目的である。客の要望に応じて軽食も出すが、文字通りに軽い食事の量しか出さない。安くてタップリと飯が食いたきゃ飯屋にいけばいい話なのだ。

 女の子がいるんだし、はじめからボリューム食は無理だったのだ。自分にそう言い聞かせて正太はたっぷり食いたかった気持ちを鳴る腹の底に封じる。

 

 そして視線の先の蓮乃はショーケースにべったりと張り付いている。隣へと目をやればハリウッド映画の子役のように姿勢良く颯爽と歩く友香が見える。氷川さんは間違いなく女子だが、蓮乃がそうなのかは少しばかり疑問だった。ホモ・サピエンスではなく亜種のガキンチョ・サピエンスなのかもしれない。

 ショーケースにひっついた蓮乃を引き剥がしつつ友香の後を追って、正太はシックな印象の喫茶店へと足を踏み入れた。


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