二人の話   作:属物

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第二話、二人が友達と出会う話(その六)

 触れれば凍傷を起こす程に冷たい敵意を叩きつける正太と、浴びれば一瞬で凍結確定の寒々しい蔑意を垂れ流すピーノ。二人の間は凍り付き、蓮乃と利辺は対立すら止めて凍る空気に耐えている。永遠に続くかと思える凍れる視線をぶつけ合う冷戦の中で、原因の片割れである正太は実の処かなり焦れていた。

 前の虐め以来内省的な傾向が生まれたとは言え、元々正太は短気で感情的な質だ。一触即発ながらも妙な均衡を保ってしまっている現状は、正太のさほど太くもない神経にヤスリをかけ続けている。蓮乃が側にいるという事実が正太の心理にブレーキをかけていなければ、自ら物理的に均衡を崩しに動いていただろう。

 

 --もういっそぶん殴ってやったほうが格段に早いんじゃないか?

 

 それでも物騒な思考がラムネの泡の様に、正太の脳裏に次々に浮かんでは消える。聞く耳を持たない相手に有効なコミュニケーションはただ一つ、拳骨だ。怒りを込めた鉄拳で聞く気のない耳を殴り抜いてやればよろしい。会話したくないくせに意見を押し通そうとするバカ野郎には、拳で語ってやろうか。わき上がる苛立ちは無意識の反応となって正太の拳を堅く握らせる。

 それをセンスで察知したのか、ピーノは肩幅に足の位置を調節して僅かに膝のバネをたわめた。ピーノは正太を『価値のない大衆』と見ているが、それは琴線に触れるか否かであって、危険性やら暴力性やらとは別問題だ。少なくとも喧嘩慣れしているピーノの直感は、正太の怒りに「備えろ」と訴えていた。必要ならば即座に発動できるよう、魔法のイメージも固めておく。

 ガス過給の風船よろしく破裂寸前に空気が張りつめていく。おそらく後数分せずに、冷たい感情をぶつけ合う冷戦は熱い拳をぶつけ合う熱戦へと変わるだろう。だが凍り付いた場を崩したのは、全員の意識の外からの声だった。

 

 「『初めまして、私は氷川 友香。あなたとお友達になりたいから名前を教えてくれない?』って、そう彼女に伝えて欲しいの、お兄さん」

 

 氷めいた視線を投げ合う正太に声をかけたのは、蚊帳の外で観察していた友香だった。想像もしていなかった人物に声をかけられて、正太は面食らった表情のままマジマジと友香を見つめる。そう言えばこの子も居たんだったと言わんばかりの表情だ。失礼な物言いだがそれは正太の本心でもあった。身内同然の蓮乃、蓮乃の縁切り先のクソガキこと利辺、利辺の後ろ盾で都合のいい目をしたチョコレート野郎。これら三人のことで正太の頭は一杯一杯だったのだ。

 

 「無理かな? お兄さん」

 

 「あ、ああ、わかった」

 

 半ば呆然と見つめる正太を正気に戻したのは、小首を傾げて確認する友香からの第二声だった。意識の間隙を突かれて混乱したまま、正太はガクガクと首を縦に振る。二連続で撃たれた不意に、正太は相づちの要領で反射的に首を縦に振ってしまった。

 正太の返答によかったと笑う友香を見ながら、これでよかったのかと思わず自省する正太。だが、伝えるだけなら特に問題はないはずだ。それに蓮乃が嫌だ言えばそれで終わりだし、それでも粘るならその時は連中と同じ扱いにすればいい。何より頷いておいて今更断るのは筋が通らない。口にしたことは守る。正太は両親からそう教えられている。

 

 なので正太は友香の発言内容をメモにしたため、蓮乃へと手渡した。正太のメモを読む蓮乃の額には再びの皺山脈が隆起している。先ほどとの不機嫌と文句と異なり、悩みと疑問が主な原料だ。蓮乃はやな奴こと利辺ともう関わり合いたくないのが本音だ。それを伝えるために今日は公園まで足を運んだ。それなのにピーノは話せ話せ話をしろと強いてくる。蓮乃としてそれも嫌だ。

 考え込む蓮乃は自分の気持ちを確認するように虚空に向けて頷いてみせる。利辺やピーノに変な誤解をされないよう、ちゃんと正太の方に向き直った上でエア首肯をしている。常ならば『兄ちゃん、私えらいでしょう』とか言い出しそうだが、現在は沈黙思考に忙しいのか正太に色々言い出す様子はない。

 

 ケチャップ色の人、じゃなくて友香ちゃんは私と友達になりたいって言ってる。それは嬉しい、すごく嬉しい。でも友香ちゃんはやな奴と近しいみたい。そしたら友香ちゃんからチョコレート色の人みたいなことを言われるかもしれない。それも嫌だ。どーしたもんだろう。友達を作りたい気持ちとやな奴と関わり御免な気持ちがぶつかって、蓮乃の皺山脈の高低差を更に深める。

 実を言うと蓮乃は友達作りが大の得意だ。美麗衆目な外観、物怖じしない度胸、単純明快な性格、なにより底抜けの明るさ。誰と何処でもあっという間にお友達だ。しかし、蓮乃は友人関係を維持ができた試しがない。なにせ蓮乃は学校に行ってないから、会う機会がほぼ月検診のみとなる。子供の一月は長い。一月も会わなかった相手は大体知り合いのラインに落ちる。だから蓮乃はその場だけの友達しかいなかった。それだけに友香の言葉は純粋に嬉しかった。

 なお、蓮乃的には正太は友人のカテゴリに入っていない。正太専用「兄ちゃん」カテゴリーに入っている。

 

 「う”ーぬー」

 

 喉の奥で犬めいた唸りを上げて悩む蓮乃。その様子を見て、友香もまた何やら考え込む顔を浮かべる。直ぐに結論づけたのか「しょうがないか」と小さく口中で呟くと、悩む蓮乃を眺める正太に向けて呼びかけた。

 

 「お兄さん、あの子にもう一つお願い。『翔くんと遣り取りするの嫌なら間に立つよ』って伝えて」

 

 友香が放った追加の言葉に、正太は意外と書かれた表情に変わる。ついでに横から聞いていた利辺はそれを遙かに越える驚愕で目を剥く。好いたあの子こと蓮乃と仲良くなるため利辺はここまできたのだ。主体は自分であり、ピーノ兄ちゃんは後ろ盾、友香は勝手に付いてくるだけ。そう言う話のはずだった。なのに邪魔されるのは許容できない。打ちひしがれた心境も一時忘れ、利辺は友香に食ってかかる。

 

 「なに言ってんだ友香! それじゃあなんの意味もな……」

 

 「でも、向こうは嫌って言ってるんでしょ?」

 

 だが被せ気味の一言で痛いどころではない急所を突かれ、利辺は一発で撃沈された。思い出した負け犬根性に押しつぶされて再度地面へと目をそらす利辺。その表情から折れ直した心を確認して、友香は正太たちに聞こえないよう側に寄って利辺に耳打った。あえて二人の様子を眺めるピーノには聞こえる程度の声音だ。

 

 「直接お話しできないだけでしょ。時間をかけて少しずつ関係改善すれば十分いけるんじゃない?」

 

 「それはそうかもしれないけど……」

 

 蓮乃をモノにしたいが嫌われている現状では切っ掛けを作ることすら難しい。あえて合間に友香を置くことで、間接的だが関係を作る戦術は全く持って有効だ。ただ一点、利辺に一切いい所無しで話が終わる点にさえ目を瞑れば。

 話は理解したが納得しがたい顔で利辺は頭を振っている。作戦の妥当性は理解できるが、利辺の感情とプライドが実行を拒んでいるのだ。最後の意地で土俵際を堪えて憧れの兄貴から認めてもらったという事実が、その感情に拍車をかけて暴走させる。

 

 感情面からもう一押しが必要と看破した友香は、耳打ちしている利辺から振り返る。視線の先には、首後ろを掻きながら考え込むピーノの姿。ピーノもまた友香の言葉と現状を照らし合わせている。

 自分の手で落としたいのは山々だし、拒否されたままで終わりというのは情けない。だが、妹分の行動を無碍にするのもカッコが悪い。それに利辺とくっつけてやるというのが当初の目的だったはず。ならばそれで手打ちが妥当なところだろう。

 首後ろから手を離したピーノに、タイミングを見計らって友香は声をかける。首後ろに触れるのはピーノが考え込む仕草で、手を離すのはそれが終わった証拠。つまり結論が出たということだ。故あって家族相手にも観察の目を向ける友香は、ピーノの癖をきっちり覚えていた。

 

 「ピーノお兄ちゃんもそれでいい?」

 

 「わかった、そうしてくれ」

 

 友香の予想通りにピーノは首肯する。ほくそ笑む内心を張り付いた笑顔で誤魔化しながら、友香は改めて利辺へと向き直る。同行を申し出た時と同様に、不承不承ながらも利辺はピーノの結論に追随した。

 

 「兄ちゃんがそう言うなら」

 

 一方、結論を出した三人とは異なり、正太が伝えた友香の言葉で蓮乃の首は更に大きく捻られている。悩みの内容は先ほどと同じだ。友香と友達になりたいが、利辺とまた合うのは御免だし、ピーノに強いられるのも嫌だ。

 そこに友香の一言が蓮乃の心境に更なる波紋を呼んでいる。やな奴とは話をしたくない。直に話をするなんて絶対に嫌だ。それをしなくていいのは嬉しい。でも、友香ちゃんの言い方はまるで「直接じゃなきゃ話はする」って言ってるみたいに聞こえる。それもそれで嫌だ。でも友達にはなりたい。友香ちゃんと友達になるのと、やな奴と一切話をしないのはどっちがいいんだろうか。

 利辺が知ったらもう一度砂になって消滅しそうな思索を進める蓮乃だが、天秤は水平のままで一向に答えは出てこない。拮抗状態になってしまった蓮乃は、正太に回答を要求する。

 

 『兄ちゃんはどっちがいいと思う?』

 

 『お前がどうしたいかが重要だ。俺が答えることじゃない』

 

 正太は渋い顔で回答の拒否を返答した。幾ら親御さんから預けられた身の上とは言え、蓮乃の友人関係にくちばしを突っ込むなど御免被る。自分が目指すちゃんとした大人のやることじゃない。なによりヒーロー気取りで人様の人生にあれこれ指図するのは、睦美さん相手にやらかした先日のトラウマを実に刺激してくれる。

 

 『それはそうだけど、どっちがいいのか判んないから兄ちゃんにも考えて欲しい』

 

 だが蓮乃は兄ちゃんの意見も聞きたいと押してくる。自分だけでは判らないから聞いたのだ。尤もと言えば尤もな話だと正太は顎を揉みつつ、蓮乃の返しを考える。

 クソガキこと利辺のことを無視できるなら、自分としては受けてほしい。自分も人のことは全く言えないが、蓮乃の交友関係は狭い。蓮乃の見

識を広げるいい切っ掛けになるかもしれない。だが、蓮乃にちょっかいだそうとした利辺がいる。感情のままに暴走されて、蓮乃に万一があったら目も当てられない。信頼されて蓮乃を預からせてもらっている身だ。それを裏切るような真似をしたくはない。そもそも蓮乃に危険なことがあることは許し難い。それにこの話自体、唐突で急な印象が強い。知り合いが告白しにきた所に同行して、そいつがフられた直後に友達になりたいと持ちかける。端から見れば利辺のフォローとも思える行動だ。しばらく悩んだ末に、正太は結論を出した。

 

 『俺は答えてもいいと思う』

 

 正太の返答に、蓮乃は確認の意を込めてその顔を見つめる。正太は大きく頷いて許可の意志を示した。先日の一件(第一部参照)の時、暴走した睦美さんは危険に触れることを恐れるあまりに蓮乃を軟禁してしまった。安全を理由に狭い世界で終わりにしたら、その時と何一つ変わらない。向こうの友香という子も、利辺の暴発に気を付けているようだし、これを契機に自分の世界を広げて欲しい。

 

 『ただし、友香さんと友達になっても俺はついて行くからな。勘弁しろよ』

 

 「んっ!」

 

 だからといって勝手気ままな放任にする訳には行かない。正太は親御さんである睦美から蓮乃を預かった保護者代理とでも言うべき立場だ。放置と自由は全くの別物、月とすっぽんの差がある。それに正太の判断で後押ししてしまったのだから、その安全は正太が最低限確保する義務がある。先日同様に利辺が爆発してもすぐ対応できるよう必ず側にいると正太は決めていた。

 なお、正太は自分のことを蓮乃のお邪魔虫だと考えていたが、蓮乃の方は願ったり叶ったりであったりする。保護者(代理)の心、子は知らず。その逆もしかり。

 

 

 

 

 

 

 何のかんので時間がたっていたのか、気づけば太陽は随分と地平線に近づいていた。眩しさも落ちたオレンジ色の太陽に照らされて、三対二で向かい合う五人は長い影を伸ばしている。

 その中間地点で対面するのは、やや緊張した面もちながらも隠す気もない喜びと興奮を帯びた蓮乃と、リラックスした様子で一切変化のない楽しげな笑顔の友香だ。喜怒哀楽の「喜」に「楽」と一見同質に見えても、二人のまとう空気は真逆の色合いをしている。

 何かしらの違和感に気づいたのか、正太が僅かに目を細める。だが当の蓮乃はそんなこと気づきもしないし気にもしない。久しぶりにできた友達に単純明快に大喜びだ。

 

 『私は向井 蓮乃です! これからよろしくね!』

 

 まるまる二ページ使って書いたでっかい自己紹介をノートごと差し出しつつ、逆の手で友香の手を握り風切り音がしそうな勢いで振り回す。振り回される友香の顔に浮かんだのは、実験動物を見るような研究者のそれだった。だがそれはほんの一瞬の間。次の瞬間には「楽しい」と書かれた笑顔の下に消える。蓮乃へと返すノートに書いた返答にもそれを示すものはない。冷静な観察の目は、深まる笑顔の下に綺麗に隠されている

 

 『改めまして私は氷川 友香です。これからよろしく、蓮乃ちゃん』

 

 「ぅんっ!」

 

 友香はノートを手渡し、振り回す蓮乃の手に自分の両手を合わせる。新しく結ばれたお互いの絆を示すように、両手で蓮乃の手を包んで握る。蓮乃もすぐさま友香の手を包んで答えると、そのまま大縄跳びの勢いで二人の腕をぐるぐる回し始めた。

 いつもながらのエンジン暴走大爆走っぷりに先の違和感も忘れて正太の顔がひきつった。あのマイウェイ速度超過娘は時と場所を選ばんのか。選ばないからこその蓮乃である。正太はそれを思い知っている。

 一方、ピーノも自分が落とせなかった理由に思い至り脱力した笑みを浮かべる。ああ、あの子はガキンチョ過ぎるのか。そりゃセンスもトークもマスクもなんも関係なしで、嫌なものは嫌で終わるだろう。やる気も一緒に脱力したのか、あの子は翔に任せようと胸の内で決意した。

 利辺はひたすらに楽しげにする二人を見ながら、蓮乃へと恋に惚けた視線を、友香へと嫉妬に焼ける目線を向ける。もしこれが正太にヤキを入れられる前ならば、二人の仲に割り込みをかけていただろう。しかし、友香と交わした約束と正太に刻みつけられた敗北主義にブレーキをかけられ、利辺はただ鬱々とどす黒いものを腹の底で煮詰めるだけだった。

 

 「なーもーっ!」

 

 「あははっ!」

 

 そんな周りの状況などつゆ知らず、大波小波で腕をぶん回し、フォークダンスで腕を軸にぶん回り、蓮乃は勢い任せに踊り狂う。あまりの勢いに、友香の笑顔がひっぺがれて年相応な素の顔が表れるほどだ。すぐさまニコニコをかぶり直して取り繕うものの、本当に楽しんでいる様子が漏れ見える。

 その姿を羨望の緑に燃える瞳で見つめる利辺。笑ましそうに暖かな目で見る正太とピーノ。互いの目が合い、即座にー145℃に急冷される。

 

 雲間から差し込む夕日の色は、鮮やかな茜色へと転じていた。

 

終わり


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