二人の話   作:属物

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第一話、二人がやな奴と顔を合わせる話(その八)

 

 

 

 

 

 

 

 男の子は隠れ家が大好きだ。子供時代には秘密基地を隠れて作り、大きくなったらツリーハウスだのログハウスだのを建築し出す。大人でも子供でも家族と暮らす中では、完全な個人空間を持つのは難しいものだ。だから、公立児童養護施設『厚徳園』のある命徳山の中にも、子供たちの秘密基地が当然存在している。

 「人」の字に重なり合った樹木に廃材で壁を作り、多層段ボールや強化油紙で覆って作った簡素極まりない代物だが、子供たちにとっては一国一城に等しい重要物件だ。だから、「隠れ家を大人には絶対に教えない」「隠れ家は共同で使用し、決して独り占めしない」といったルールが定められている。

 これを破った場合、パンツの中に弾け蛞蝓(ハジケナメクジ)をダースで突っ込まれる『ナメクジ爆弾刑』や、鈴鳴き蝉(スズナキゼミ)を詰めた袋で頭を覆う『目覚ましリンリン刑』など、身の毛もよだつ恐るべき刑罰が下されるだろう。

 

 それでも秘密基地の中で膝を抱える、天使じみた顔立ちの少年、もとい”利辺 翔”は一人になりたかった。惚れた相手とその付随物にけちょんけちょんにされて、泣きべそかきながら逃げ帰ってきたことを、厚徳園の皆に知られるなんて死んでも避けたかったのだ。赤く腫れた目は仕方ないとしても、せめて涙の雨が止むまでは秘密基地にいるつもりだった。

 

 「ヒッ……ヒッ……くそぅ……ズズッ……なんで……ヒッ」

 

 だが、利辺の涙が乾くのは随分先になりそうだ。なにせ後から後から涙が溢れて止まらない。ズタズタにされたプライドの隙間から、弾けた感情が堪えようもなく漏れ続けている。

 好きなあの娘はにべもなく、不細工な付随品にやりこめられて、周り中に隠していた気持ちを晒されてしまった。せめて暴れてやろうとした瞬間に、その娘に最後の一発を叩き込まれた。打ちのめされて泣き出して、思わずその場から逃げ出していた。声を上げないように取り繕うのが精一杯だった。

 惨めで情けなくて、余りに格好悪かった。穴に入れるなら穴に入ってしまいたい。厚徳園の皆に、こんな姿を見られたくない。憧れている『兄ちゃん』に見られたら、恥ずかしさの余り死んでしまうかもしれない。

 

 天井にひっかけられた冷光灯のカバーを外すことも忘れて、薄暗い隠れ家の中で利辺は膝を抱えて一人泣き濡れ続ける。その姿を上下逆さの人影が、入り口から興味深そうに眺めていた。入り口からの逆光で顔立ちは判らないが、頭は地面から一〇cmの位置にあり、足は秘密基地を形作る樹木の枝の辺りにある。短い髪もシャツの襟元も、足の方つまり上方に垂れ下がっているのを見るに、単純に樹木に足を引っかけているのとは違うようだ。

 逆さの人影は涙に溺れる利辺をしばらく覗き見ていたが、一向に泣きやむ気配が見えない。なので、天地上下を元に戻すと、秘密基地の入り口を腰を屈めてくぐり抜けた。バランス取りに入り口枠を掴む片手には、赤銀色の『腕輪』、すなわち魔法使いの証である『特殊能力確認用携帯機器』がはまっている。

 

 「よう、邪魔するぜ」

 

 「ピーノ兄ちゃん!?」

 

 人影……”ピーノ・ボナ”は悪戯っぽい笑みと共に片手を上げて、快活に呼びかけた。思いもかけない来訪者に、利辺は涙を流すことも忘れて目を丸くする。呼び方も格好付けたいつもの『兄貴』呼びではなく、昔ながらの『兄ちゃん』だった。

 ピーノは邪魔をすると口にしながらも気を使う様子は全くないようで、水平蹴りかはたまたブレイクダンスじみた動きで足を回すと、簀の子の床にどっかと腰を下ろした。子供たち専用の秘密基地は、背丈のあるピーノにとって随分と手狭なようで、背筋を丸めて窮屈そうに胡座をかいている。ピーノはついでに、頭上の冷光灯のカバーを外した。

 

 青みの強い発光酵素の輝きが秘密基地の中を照らし、ピーノの顔形が露わになる。エキゾチックに整った蠱惑的な顔立ちは、チョコレートのような男というより、美男子の姿を取ったチョコレートと表現できそうだった。

 つまり甘やかで濃厚、苦み走って薫り高い。子供っぽく通俗的でありながら、大人っぽく品よく優美。そして体に悪いと判っていながら、口にするのを止められないほど、魅力的で魅惑的である。

 

 「しっかし、お前にそう呼ばれるのは久しぶりだな。明日は槍か雪が降るかね」

 

 ニヤニヤと意地悪そうに、それでいて嬉しげに笑いながら、ピーノはようやく泣きやんだ弟をしげしげと眺める。その肌はミルクチョコレートの色合いで、髪と瞳はビターチョコレート色に彩られ、歯はホワイトチョコレートと同じく一点のくすみもない。

 

 「ッ! ……何だよ、ピーノの兄貴!」

 

 自分が昔からの幼い呼び方をしていたことに気づいて、利辺は息を詰めると顔を真っ赤に染めて呼び直した。赤く腫れた目元と併せて、利辺の天使顔は赤一色だ。

 ピーノ兄ちゃん、じゃなくピーノの兄貴にこんなカッコ悪いとこ見られるなんて。一番見られたくない人に見られてしまった。利辺は恥入るあまり目を逸らして顔を伏せそうになる。

 だが、それは一番カッコ悪いことだ。だから涙を拭って穴だらけの矜持を無理矢理繕い、やせ我慢で真っ正面からピーノを見つめる。意地で張りつめた顔をする利辺を、ピーノは勇気づけるように面白がるように、愉快そうな笑みを浮かべて見やる。

 

 「いやなに、かわいい弟が盛大に泣いきべそかいてたから何事かと思ってな」

 

 『兄ちゃん』とは呼んでくれないのかと僅かな不満をにじませて、ピーノは気取った素振りで肩をすくめる。その動作一つですら強烈に様になっている。

 彼を見れば、世の男たちは苦々しく表情を固め、世の女たちは甘やかに顔を蕩かすだろう。クランチの歯触りで小気味よく喋り、ウイスキーボンボン並にきついジョークを飛ばす。そして笑顔はどんなガナッシュよりも柔らかく、容易く女の子のハートを溶かしてしまう。

 さらに言うなら、血筋すらカカオ原産の南米とチョコレート発祥の欧州の混血と、頭の先から足の裏までチョコレート。それがピーノ・ボナという少年だった

 

 「泣いてない! っていうか何処で見てたんだよ!」

 

 首筋まで赤く色づけて利辺は判りきった嘘を叫び、さらに話を逸らしにかかる。たとえバレバレであろうとも、男の子である以上これを認めるわけにはいかないのだ。ましてや憧れの兄ちゃん相手に、自分の涙を認めて助けを求めるなどできるはずもない。

 

 「そりゃ入り口からさ。で、どうしたんだ、翔?虐められでもしたか?」

 

 「違う! いや、その、ちょっと、色々あってさ」

 

 だが、ピーノは話題逸らしを軽く受け流し、利辺の本心をいとも容易く射抜いて見せた。一番聞いてほしくないから話題を逸らした訳で、利辺は両手をつきだし空をこね回して、わちゃくちゃと誤魔化しにかかる。

 しかし、そうやって誤魔化そうとする態度そのものが、聞かないでくださいと暗に口にしているのと同じだ。話題同様に逸らした目も言い辛く口隠る言葉も、それを判りやすく示している。

 

 「可愛い可愛い弟のお悩みを、このピーノ兄ちゃんが当ててしんぜよーう」

 

 当然、ピーノがそれに気づかないはずがない。仕掛けられた悪戯に気づいた、悪戯好きの悪童の顔でにんまり笑う。その笑みの意味を理解した利辺の顔が青ざめた。ピーノ兄ちゃ、じゃなくてピーノの兄貴はものすごく勘がいいから、自分の考えを当てられちゃうかもしれない。そうなったらカッコ悪いどころの話ではない。それはイヤだ、すごくイヤだ。

 視線から逃れようと思わず身をよじる弟の心境を知ってか知らずか、ピーノは大仰な仕草で考え込んでみせる。突きつけた指を回す動きも、顎をさする手も、どれもこれも芝居臭い。意図的に浮かべただろう悩みの表情からも、道化の笑みがにじみ出ている。

 

 「ふーむ、そ~だなぁ~。ズバリ、恋煩いと見たっ!」

 

 ピーノは芝居のかかった動きで利辺に指を突きつける。多分、夕食時に配信しているクイズ番組で探せば、似たような演技をしている司会者が見つかるだろう。

 もっとも、ピーノは全く持って司会に向いていないのだが。何せ、整いすぎた外観とキレのある動作、なにより全身から発する艶やかさで、出演者をことごとく食ってしまう。ついでにゲストが女性なら性的な意味でも食ってしまう可能性もある。外観から判るように、ピーノの女性遍歴は三桁に近いのだ。

 

 「ッ!」

 

 パパラッチにワイドショー、週刊誌に井戸端のオバハン。人間とは隠し事を知りたがる生き物だ。それが自然相手なら科学者の好奇心で話は済むが、人間相手ならそうはいかない。真実を暴く探偵は得意満面だろうが、暴かれる犯人役は悲痛な表情で俯くだけ。

 一〇かそこらの幼い利辺ともなれば、滲んだ涙のおまけ付きだ。あの子には道化にされて、付き人には虚仮にされて、周りには笑い物にされて、厚徳園へと逃げ帰ってきたのだ。そのトドメに、憧れの兄貴分に腹の底まで見破られてしまえば、後はもう泣くしかない。

 

 「あ、あーっと、そうだな。ここは恋愛百戦百勝のピーノ兄ちゃんが手を貸そうじゃないか! なーにどんな女の子もピーノ兄ちゃんにかかっちゃ子猫同然! あっという間にベタ惚れで、俺に体をすり寄せてくるぜ!」 

 

 自分が下手をこいたことに気づいて引き吊った顔のピーノが、早口でフォローに入る。悪戯好きで他人をいじり倒して楽しむピーノでも、家族を泣かせて喜ぶ趣味はない。思う存分大声上げて泣きわめこうとした利辺だが、焦ったピーノの顔を見て溜飲が下がったのか、ぼやく声は多少は落ち着いている。

 

 「……兄ちゃんにすり寄せたんじゃ意味ないじゃん」

 

 同じ女性を二日以上連れたことはないピーノだが、あくまでそれはピーノの話だ。振られ虫で泣きべそかいてる利辺が、あの子に好かれなければ意味がない。

 

 「いやいやいや、そのテクをお前に教えてやるってことさ! 俺のテクを使ってみせれば、次の日にはその子とラブラブでイチャイチャな仲になってるぞ!」

 

 利辺の鋭い一言に、突き出した両手を素早く振ってピーノは必死に否定する。だが俯いたままの利辺からは何の返答もない。重苦しい空気が秘密基地の中に満ちる。ピーノの整いきった顔がさらに引き吊り、加熱したホワイトチョコレートよろしく脂汗が流れ落ちる。

 だが、利辺がそれに気づくことはなく、無言で指をいじりながら、俯いたまま一人考え込む。例えピーノの兄貴相手でも、あの子のことは話したくない。でも、ピーノの兄貴ならあの子にくっついてた太った奴なんか格好良くKOして、あの子を恋人にしてみせるんだろう。それに、ピーノの兄貴にはもうバレてる。隠したって意味がない。

 

 「……わかった。ピーノの兄貴、手を貸してくれる?」

 

 決断した利辺は、取り繕い丸出しのピーノの申し出を受けることにした。滲んだ涙を拭った利辺は、顔を上げてピーノをまっすぐ見つめる。どうにか危機は去ったとピーノは安心した様子で息を吐いた。

 

 「おう! 大船どころか宇宙戦艦に乗ったようなもんだぜ!大いに安心しろ!」

 

 ピーノは太陽じみた快活な笑みを浮かべる。見る女性悉くが熱中症になりそうな表情で、胸を叩いて安心を利辺にアピール。道化と言うには少々イケメンすぎるが、滑稽を演じてみせるピーノの姿を見た利辺は笑って頷いた。

 

 「じゃあ厚徳園に帰るか!」

 

 「うんっ!」

 

終わり


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