二人の話   作:属物

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第二章、二人に友達ができる話
第一話、二人がやな奴と顔を合わせる話(その一)


 空は全く晴れていない。

 

 ”宇城正太”の心情同様に、空きチャンネルの色合いの曇り空だ。もっとも有線ネット放送が一般化して久しい現在は、日放(日本放送局)以外の無線TVチャンネル全てが空きチャンネルなのだが。

 何にせよ、正太の心境と同じく様に空模様は曇りの模様だ。お天気チャンネルによれば本日は一日中晴れのはずなのだが、どうやら予報を外したらしい。そして正太自身のそこそこ楽しい一日になるだろうと言う予想も外している。正太の後ろで裾を掴んで唸り声を上げている”向井蓮乃”がそれを証明していた。

 

 「うぅ~~っ!」

 

 進化か、退化か、それとも変化か。霊長類から食肉類になったらしい蓮乃は、柴犬よろしく犬歯を剥いて正面の「少年」を威嚇している。自分の整った外観に頓着しないのは蓮乃の好ましい点だと正太は考えているが、物には限度というものがある。このまま放って置いたらワンワン吠え始めそうだ。正太のしかめ面が深まる。

 一方、目の前の「少年」に吠える様子はない。代わりに不定期な苛ついた舌打ちと刺すように睨みつける視線が、どんな声よりもその心情を雄弁に物語っている。天使のように十二分に整った顔立ちも、強烈な敵意で酷く歪んでしまっていた。

 

 ただしその視線の先は蓮乃だが、舌打ちの対象はそうではない。その上の正太へと、敵意の全ては向けられている。正太には顔が歪むほどの悪意を向けられる理由なんぞ、脳味噌の中身をひっくり返しても思いつかない。少なくとも蓮乃とそう変わらない年齢の少年に、自己の存在全てを非難されるような態度を取られる覚えはない。しかし現実問題、真ん前の「少年」は「お前が呼吸しているのが不快極まる」と言わんばかりの反感を正太に向けて噴射している。

 蓮乃は少年へ牙を剥き、「少年」は正太へと舌打ちを繰り返し、その有様を見てますます蓮乃のうなり声はトーンを上げる。一方通行にループする敵意は収まる気配を見せず、一回りごとに空気の重量を増やすばかり。

 

 「どーしたもんだろ」

 

 ただ一人、中心人物でありながら蚊帳の外の正太は、いつもの口癖を呟くと、現実逃避と現状確認をかねた回想へと意識を脱出させた。

 

 

 

 

 

 

 ――暑い。

 

 五月は春の終わり際であるが、初夏という言葉もある通り夏の始め際でもある。五月の終わりともなれば夏の始まりとほぼ同じだ。故に晴れの日は暑い。昼過ぎとくればさらに暑い。ましてや、体温の高い子供がへばりついているならば、なおのこと暑いに決まっている。

 

 「……暑いし、重い。いい加減退けよ」

 

 正太は背中全体から伝わる体温の原因に向け、うつ伏せのまま文句を投げた。余りに暑くて両手の間に握った小説に集中できない。本音を言うとさほど重くはないが、蓮乃を退かすための方便である。暑さの源である背中の蓮乃がそれを聞き取れないことは解っているが、それでも文句の一つも言いたかった。

 

 今、正太の手の中にあるのは、一月以上待ってようやく図書館から借りられた『殺魔忍』シリーズの最新作なのだ。電子書籍で借りれば一切待たずに読めるが、実物本派の正太としてはどうしても実物を読みたかった。

 そうやって待ちに待った週末の土曜日、待ちに待った小説を抱えて我が家に帰り、キンキンに冷やしたラムネの栓を抜き、デンプンチップス:梅干し味の袋を開けて、さあ最高の時間の始まりだとやろうとした。その時に間も悪くやってきたのが自由軌道ロケット噴射娘だったのだ。

 

 いや、蓮乃の存在自体に正太は文句を言うつもりはない。蓮乃が宇城家に入り浸ることを、正太の両親”宇城昭子”と”宇城昭博”も、蓮乃の母親である”向井睦美”も許している。家主と保護者が許可を出している以上、正太にどうこう言う筋はない。

 しかし、こうして小判ザメよろしくペッタリとくっつかれることには、どうこう言いたくもなる。正太が床に横になってさあお楽しみと新刊を読み始めた所に、蓮乃が突如のし掛かったのだ。棒きれみたいな体型の御ガキ様と言えども異性は異性だ。こうも密着されると色々困る。なにせ暑いし気恥ずかしい。正太としては、先日の一件(第一部参照)以来、蓮乃からのボディコンタクトが異様に増えた気がしてならない。

 

 「や」

 

 先の正太の移動要求に対し、背中の蓮乃は短く端的な否定系を返した。蓮乃は障害の関係で言葉を聞き取ることができない。だから、正太の言葉の意味は解らない。だが、その意味合いだけは性格に読みとって、最近覚えたばかりの単音否定系で返す。蓮乃は再び手の中の文庫本に視線を移した。当然、正太の背中の上で相変わらずに、だ。

 夏一歩手前の五月の陽気と、子供らしく無駄に高い蓮乃の体温が合わさって、正太の全身は茹だるようだ。気恥ずかしさで正太自身の体温まで上がっている気がしてならない。なので正太はいい加減にしろと全身を大きく左右に振った。背中の蓮乃は両手も意識も本に向けていたこともあり、あっさりと転げ落ちる。

 

 「なぁ!?」

 

 縦軸回転で転がり落ちた蓮乃は、驚きの声を上げて抗議する。私はくっつきたいのだ。暑いのは自分も我慢している。なのに落とされるのは納得できない。正太が知ったらチョップを連打しそうな気持ちを胸に、再びのひっつき虫を狙う蓮乃。転がり落ちたままの腹這の体勢で正太へとにじり寄る。

 そんな蓮乃の心情を知る由もない正太としては、これ以上くっつかれるのは勘弁願うのが本音だ。知っていたとしても拒否するだろう。蓮乃から距離を離すべく、正太は投げ出されたボンレスハムの勢いでゴロゴロと転がる。

 

 「む~~」

 

 不満の声を上げながら、蓮乃は狙いを定めた猫よろしく全身を撓ませる。当然狙うは転がり回るボンレスハムこと正太だ。まるまる太ってさぞかし食いでがあるだろう。

 脂身たっぷりのボンレスハムに全身でむしゃぶりつくべく、「や」とも「に」とも付かない雌叫びを上げて蓮乃は飛びかかった。だが、ただのボンレスハムと異なり、宇城正太という名のボーン有りハムは動くのだ。

 

 「ぬぅん!」

 

 「ふぎゃぅ!?」

 

 気合いを入れた正太は、回転速度を上げて蓮乃の着弾位置から離れる。猫がつぶれたような声を上げ、蓮乃はソファーの背中に突っ込んだ。

 かくして蓮乃のボンレスハム襲撃は失敗に終わった。声に込める不満の気持ちを倍にして、蓮乃は自分の狙い通りに行かなかったことに抗議の声を上げる。しかしこの世の悉くは思うとおりに行かぬもの。それを示すかのように腹周り同様、実に太い正太の笑い声が木霊する。

 

 「むぅ~~っ!!」

 

 「ぬはははは!」

 

 正太の妹である”宇城清子”が見たら、頭痛に悶えて頭を抱えそうな光景だ。蓮乃と一緒にいるとなにかしらの箍が外れるのか、一四になる正太の行動も一〇少々の蓮乃と同年代かそれ未満に落ちてしまう。箸が転げても面白い年頃なのか、正太は蓮乃の突撃をかわした勢いのまま転げ回る。

 しかし、正太は忘れていた。宇城家の住まう間島アパート一〇三号室は決して大きくない。ましてその居間にはソファー三つにネットTV、食卓に各自の椅子ほか多数と、様々な什器が置かれている。そこで転げ回るとどうなるか。

 

 「イッダァッ!」

 

 それは言うまでもなく、鈍い音と共に顔面を食卓の足に強打して、のたうち回る正太が証明してくれている。いい気になった鼻っ柱を文字通りへし折られかけた正太は、顔面中心を貫く激痛に悶えた。

 

 「にーなぁ?」

 

 痛みにのたうつ正太へと、蓮乃は当人すら理解不能な独自言語で心配の声をかける。表情も先までの不満色から心配顔に変わっている。しかし両手で鼻を覆って身悶えする正太には届いていない。激痛のあまり頭の中が一杯一杯になっているのだ。

 なので蓮乃は痛みに暴れ狂うボンレスハムに巻き込まれないよう、遠回りに近づくと正太の背をさすった。先と意味合いだけが同じ気遣いの声をかけながら、蓮乃は繰り返し正太の背中を撫でる。

 

 「なー……」

 

 いい加減暴れ回って痛みもある程度引いたのか、正太は転げ回るのを止めて蓮乃の手を受け入れた。「いたいのいたいのとんでいけ!」と真剣な顔でさする蓮乃と、顔を両手で覆ったままそれを無言で受け入れる正太。静かな時間が一〇三号室の居間に流れる。

 しばらくしていい加減痛みが失せた正太は、床に腰と新刊を下ろして筆記用具を手に取ると、蓮乃向けに単文を書いて見せた。

 

 『もう大丈夫だ。ありがとう』

 

 普段から蓮乃と正太は筆談で会話している。音声だけでもお互い声音くらいは理解できるが、正確に伝えたい言葉があるなら文字を用いている。

 なお、言葉を書き込む間も正太の片手は顔を半ば覆ったままだ。痛みではない。妹分の前で痛い痛いと悶えて暴れた恥ずかしさからである。先日大泣きしたばかりだが、だからといってそう慣れるものではない。

 

 それでも正太は感謝の一文を蓮乃に手渡した。いくら恥ずかしかろうが礼は言わねばならない。それが最低限の礼儀というものだし、恩を受けて礼も言えない人間になどなりたくない。なによりそんな醜態では尊敬する両親に顔向けできない。

 メモを受け取った蓮乃は嬉しげなしたり顔で鼻息荒く頷いている。蓮乃は何かとやっては(やらかしては)ドヤ顔を正太に見せつけてくる。正太としては「言いたいことがあるんならちゃんと言え」と、言いたくて仕方ない。というか何度か言っている。

 痛み未満のジンとした痺れが疼く鼻を揉みながら、正太は小さく息をはいた。蓮乃とこうしているのはそこそこ楽しいが、どうにも埒があかないのも事実だ。放って置いたら新刊を読み切れないまま図書館に返す羽目になりかねない。それでは何のために借りたのか解らない。

 

 「どーしたもんだろ」

 

 常の口癖をぼやくと正太はゆっくりと身を起こした。庭に向いた窓から入る日光が目に痛い。僅かに厳つい顔をしかめて細い目をさらに細める。

 さて、じっくり新刊を読むには何処がいいか。蓮乃のことを抜きにしても、このまま居間で新刊を読むのはいささか辛い。朝方確認した天気予報チャンネルによれば本日は一日中快晴が続くとのこと。燦々と輝く太陽に炙られて、ポークジャーキーになってしまう。

 困った正太は喉に手を当て、意味もなく顎下の贅肉を軽く揉む。だからといって他の部屋で読めないのが辛いところだ。寝床でもある子供部屋での飲食は御法度だし、同じく子供部屋の住人である清子から容赦ないツッコミを食らうことになる。両親の寝室に勝手気ままに侵入すれば、夕食後のデザートに、母からの拳骨一ダースと父からのお説教三アワーを頭蓋にねじ込まれるだろう。あとは風呂場とトイレと物置くらいだ。どれも快適な読書空間とは言い難い。

 

 「う”~む」

 

 豚そのものなうなり声を上げつつ正太は思考を空転させる。さりとてほかに候補が思い当たらないのも事実だ。どーしたもんだろ。

 頬の脂肪を指で揉みながら首を傾げる。ずいぶんと柔らかい。軽く引っ張れば思いの外伸びる。こんなに肉が付いているから、暑さがなおさら辛いのだろう。もう少しダイエットでもすれば違うのかもしれない。運動は嫌いではないし、久方ぶりに少しくらいやってみるのもいいかもしれない。

 一片たりとも問題解決の役に立たない無意味な思索をこねくり回し、ついでにカロリーの詰まった肉をこねくり回す。そんなことをしていれば当然事態は進まず、新刊は一ページたりとも読み進められず、時間ばかりが進むばかり。

 

 「む~う」

 

 放って置かれた蓮乃はドヤ顔するのにも飽きたのか、隣に座って正太の真似をし始めた。整った顔に似合わないしかめ面を浮かべ、正太と同じく顎の下を揉もうとする。しかし蓮乃に贅肉はないので、顎下の皮をいじくるのが精一杯だ。

 そんな蓮乃を、「自覚していなかったアホみたいな口癖を、オウムの声真似で聞かされた飼い主」の顔で正太が見つめる。似顔絵書きでデフォルメされた自分を見るような気分で蓮乃を見つめていると、正太の目に気がついたのか二人の視線が交わった。

 途端に蓮乃の顔が日なたに出したラクトアイスよろしく溶け崩れる。「にへへ~」とでも擬音がつきそうな顔で柔らかく笑う蓮乃を見ながら、正太は胸の内で小さく息を吐いた。いつもながら悩んでいるのがバカバカしくなる。こいつみたいに楽しく生きれたらそれは素晴らしいことなのだろう。

 蓮乃の気の抜けた笑顔に当てられたのか、正太の顔も自覚の無いまま苦笑の形に緩んでいる。そうやって適度に気が抜けたのが奏功したのか、正太の脳裏にLED電球が点灯した。

 

 ――そうだ、図書館行こう

 

 古いCMではないが、正太の胸の内にそんなフレーズが浮かび上がった。図書館は全図書を電子化して久しいが、正太のような物理本派にも扉を開いているのだ。

 続けて顎下の贅肉をいじくりながら正太は自分のアイディアを吟味する。図書館では長時間リラックスして本を読めるように、ソファーやクッション、座敷も用意されている。飲食は流石に特定の場所でしか許されないが、そこには自販機や給水機も設置されている。当然、図書館の中では騒音禁止であり、静かに本を読む環境が整えられている。読み終えたらそのまま新刊を返却して、別の本を借りてもいい。

 考えて見ればそう悪い判断ではない。いや、むしろよい判断と言えるだろう。図書館で過ごす週末はなかなかに魅力的だ。正太は自分の発想に合格点をつけ、納得するように小さく頷いた。

 

 とすると、問題はこいつだな。正太は隣で床に腰を下ろしている蓮乃に目をやった。正太の真似をするのはまだ飽きていないようで、顎に手を当てたまま小刻みに頷いている。

 母親である睦美さんから預けられた以上、放り出していくことは決してできない。清子がいたなら預けていく選択肢もあるが、清子は学内の友人とショッピングを楽しんでいる真っ最中だ。宇城家両親は両親で各々の用事があるそうで、帰宅するのはもう暫く先になる。となれば、図書館に行くのを諦めて家で二人で過ごすか、それとも二人して図書館に行くかの二択となる。しかし蓮乃が外に行きたがるかは未知数だ。

 正太は豚そのものなうなり声をもう一度上げると蓮乃の肩を突っついた。正太の真似を中断して不思議顔の蓮乃は正太を見上げる。胴長短足の正太と違い、身長における足の割合の大きい蓮乃は座るとなおのこと小さい。

 その蓮乃に上向きの手のひらを差し出して、正太は会話用ノート及び筆記具を要求する。「んっ!」と元気よく返すと蓮乃は腰のポーチからノートとペンを差し出した。当然、その表情は「よくわかっているでしょ!」と言わんばかりのドヤ顔だ。

 

 「ありがとな」

 

 聞こえていないのは解っているが、正太は口頭で礼を言った。無論、ノートにも礼を書き込む。親しき仲にも礼儀有り。尊敬する両親から正太にしっかりと仕込まれている。

 「むふ~」とお礼に満足げな笑みをこぼす蓮乃に、正太は礼と質問を書いたノートを差し出した。

 

 『ノートとペンありがとう。で、これから図書館に行こうと思います。蓮乃も行くか?』

 

 『いく!』 

 

 間髪入れずに蓮乃の返答が打ち返された。眼前に突き出された一ページまるまる使った元気いい三文字。どうやら予想通りに行く気満々らしい。吹き出す鼻息も荒く、直ぐにでも立ち上がって玄関へ駆け出しそうだ。正太の顔に微苦笑が浮かぶ。

 しかし勝手に飛び出されても色々困る。なので『少し待ってろ』と書き含めると、正太は電話で睦美に連絡すべく勢いつけて立ち上がった。当然のように蓮乃も一緒に立ち上がる。その額を軽く抑えてもう一度『少し待ってろ』の一文を見せると、正太は玄関口の電話へと向かった。


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