二人の話   作:属物

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第七話、昨日の話(その一)

 雨が降っている。

 

 さほど強くはないが、さりとて弱いともいえない中途半端な雨足だ。「しとしと」と「ざあざあ」を足して二で割れば比較的近いだろう。そのくらいの雨が一昨日の夕方から降ったり止んだりだ。

 強くもなく弱くもない雨の音を背景に”宇城正太”は、自宅である間島アパート一〇三号室の居間でぼんやりとテレビを眺めていた。表情もぼんやりとして捕らえ所のない微妙なものだ。ついでに心境もぼんやりしている。存在もぼんやりしていることだろう。

 時刻は午後三時半。「二週間前ならば」いつもと変わらない静かな放課後だ。あと二、三〇分もすれば妹である”宇城清子”が帰ってきて、一〇三号室はちょっとばかり賑やかになるだろう。そして六時頃になれば両親が帰宅して、家族一同で夕飯食べて、居間でテレビ見て、子供部屋で宿題やって、風呂入って、便所行って、寝る。それでまた明日だ。

 

 だがここ二週間は違った。放課後に帰宅してみれば、大抵あの小憎たらしいくらい整った顔で脳天気な笑顔をした”向井蓮乃”がいた。おかげで否応なしに正太の放課後は、笑えるくらいうるさくて頭を抱えるくらい賑やかになった。仏頂面の正太、笑いをこらえる清子、そして理由もなくドヤ顔の蓮乃。そんなのがここ二週間ほどの毎日だった。

 そんな蓮乃は昨日は来なかった。今日も来ない。明日もきっと来ないだろう。確証はないがそう思う。おかげで放課後は二週間前と同じだ。先日みたく静かに本でも読みながら、もしくは今日みたくボケっとテレビでも見ながら、家族が帰宅するまでを過ごす。前と変わらない、いつも通りの時間。そう、いつも通り。

 

 ――なら、なんでこんなにテレビが面白くないのだろうか

 

 ソファーの背もたれに預けた体重を前に戻し、頭の重量を頬杖で支える。見ているのは今週見そびれていた装甲ライダーの最新話だ。きっと清子に笑われるだろうから大きな声では言いづらいが、二週間前は興奮して楽しんでいた。だが、今は不思議と楽しめない。

 目の前のテレビでは、近代的な鎧を着込み隙間から緑の燐光を放つ正義の戦士が、傷口から赤光を漏らす異形の怪物を追いつめている。戦士は本部へ必殺技の使用許可を要請した。後は必殺の跳び蹴りで怪物は爆発四散。一件落着、事件解決、エンドロールだ。しかし正太はそれを見ることもなくリモコンをいじった。「SmartLife」のロゴと「シャットダウン中です」の文字が流れ、画面が真っ黒に染まった。

 別に今週の番組の出来が悪くて見てられないわけではない。つまらないとは違う。まるで脳味噌の表面を映像が滑り落ちるようだ。風邪っ引きで寝込んだ時にも似た感覚を覚える。意識が朦朧として、ものを考えようとしても考えられないあの感じ。もしくは、考える気力もないのに誤動作する脳味噌が、余計な思考や想起を止められない。そんな感じだ。特に布団の中で熱にうなされながら見る夢に似ている。ついでにいうならそうやって見せられる夢は大抵が薬物中毒者めいた極彩色の悪夢だ。

 そして正太が繰り返し思い出す光景は、サイケディリックの悪い夢ではないが気分的にはそう変わらない物だった。

 

 ――般若ばりの激情から豹変した睦美さんが蓮乃の手を引っ張ってゆく。こちらを振り返る蓮乃の瞳には涙がこぼれそうなくらい溜まり、まるで「助けて」と訴えかけるように見える。でも自分がしたことは中途半端に手を伸ばしただけ。届かせるほど覚悟を決めた訳でもなく、手を下ろすほど結論を出した訳でもない、どっちつかずな形の手。何もできず何もせず、固まったままの自分を置いて、そのまま二人はドアの向こうへ消えた。

 

 一昨日の、低気圧が泣き出す寸前の光景だった。この直後から降り出した雨は今日もまだ止んでいない。天気予報によれば後二・三日は降るらしい。初夏にしては珍しいくらいの長雨だ。窓向こうに目を向ければ、一〇三号室の小さな庭は雨で煙って滲んでいた。時折道を通るトラックのヘッドライトが結露に濡れた窓を白く染める。

 

 『知り合いが連れて行かれる前で、根性無しのヘタレが何もできないまま固まってた』

 

 結局の所、あの時のことを文字にすればたったこれだけだ。「前の一件」で幾らかマシになったと思いこんでいたが、全くもって変わりなし。自分はクズでバカでマヌケで、どうしようもないダメ人間のままだった。

 いや、それは表現としておかしい。「どうしようもない」のだから、マシになるはずがない。つまり自分は変化無しで、価値無しで、意味無しだ。ああ、死んだほうがいいな。

 

 あまりの己の醜態に、正太は自嘲を通り越した乾ききった笑みを浮かべる。頭痛が痛くて堪らない気分だ。もう考えるのを止めたい。でも思考は空転して止まらない。考える気力もないのに、暴走する脳味噌が余計な思考を止めてくれない。胡乱な目をした正太は、体重をソファーの背もたれに移した。自暴自棄な心持ちで天井を仰ぐと、シミの見える天井はいつもと変わりなく煤けている。みんないつもどおりだ。そうでないのは、グチャグチャな自分の心境だけだ。

 もういいや、どうでもいいや。諦めないことを諦めて、正太は自滅的な想起に思考を委ねた。グルグルと空転する脳味噌は、楽しくもなければ面白くもないかつての記憶を巻き戻してゆく。

 

 誰もいない部屋の隅で過ごした文化祭。

 

 声を張り上げる振りだけした体育祭。

 

 何か変わるのかと益体もなく期待した中学入学。

 

 刑務所から出所した気分だった小学校卒業。

 

 拷問部屋から独房へ移された心境の転校。

 

 そして、全てがひっくり返った「前の一件」。

 

 自分にとって最悪で最低で最凶な一件だった、なにより自分のクソさ加減を思い知らされたという意味で。思い出すのもイヤになる、というかイヤだ。しかし制御不能な脳髄は不快感を覚える正太を無視するように、人生上最大級の出来事を再生し始めたのだった。

 

 

 

 

 

 

 自分の魔法について知ったのは小学四年の定期検診の日だった。保険の先生が検診記録を見るなり難しい顔をして、どこかに電話をかけていたのを覚えている。その後は別の部屋に移されて、母と役所の人が来るまでずいぶんと待たされた。午後の授業が吹っ飛ぶのはうれしかったが、なにが起こるかわからずに結構な不安も覚えていた。

 

 「この結果を見るに……お子さんは特殊能力保有者のようです」

 

 役所の人と一緒にやってきた医者の先生に、母と一緒に告げられて最初のうちは呆けていた。正式名称「特殊能力保有者」、俗称「魔法使い」。アニメやニュースの中の存在だと言われていきなり理解するのは難しい。もっとも、少しばかり道を歩いてみれば魔法使いの腕輪をつけた人間は棒に当たった犬より簡単に見つかる。単に自分があまり周りを見ていなかっただけだ。

 次いでこみ上げてきたのは興奮だった。まるで自分が特別な何かになったようで猛烈に鼻息を荒くしていた。病院で詳細な検査がどうこうと母に説明をしながら、苦い顔で見る先生の視線に気づかずに。頭痛を覚えたかのようにこめかみに掌を当てた母の姿もまともに見ずに。自制心の無い子供に足すことの魔法。ろくな結果にならないことは幾多の若年層特殊犯罪が証明している。

 確かに特別と言えば特別だろう。魔法使いは全人類の内五%ほどしかいないのだ。ついでにいうと日本人は全人口の二%未満だ。だから、「日本人であることよりは特別でない」程度に特別だ。だが幼い自分は、全知全能とさほど変わらないレベルの特別を感じていた。解りやすく言えばスーパーマンになった心地だった。

 

 しかしスーパーマンはその力を人のために生かす慈しみに溢れた心と、決して悪に屈しない強靱な信念を持つからこそヒーローなのだ。そして自分は一片たりとも理解していなかった。魔法というスーパーな力を持っていながら、自分は成人(マン)ではなく子供(ボーイ)だったのだ。「子供だから」と言えばその通りだったのかもしれない。少なくともこの時点まではその言い訳は利いただろう。この時点までならば。

 

 

 

 

 

 

 魔法が使えることが判ってから、自分の学校生活は大きく変わった。当時、属していた小学校には自分以外の魔法使いはいなかった。帰化外国人の子息を積極的に受け入れている学校ならばともかく、日本人でほぼ全員な地方の小学校なら魔法使いがいる方が珍しい。だから、恩賜上野動物園に贈られたパンダのように周りの注目の的だった。

 無論、パンダと違って見た目が可愛くもなんともない自分が、そう長い間注目を集められるはずもない。代わりに人目を引きつけたのはやっぱり魔法だった。

 

 自分の魔法は熱量操作。熱量(カロリー)を操作して肉体を活性化することが出来る。見た目の派手さは全くないが、使えば運動能力は跳ね上がる。加えて無意識に使用していた時とは違い、自覚的に使用すればできることは桁違いに増えるのだ。

 まるで子供にコンピューターを渡した時のように面白全部でいじりにいじり倒して、大人が驚くほど短い時間で魔法の使い方を考え出していった。

 

 全身に熱量を流し込み運動能力を増強する「熱量加給」

 下半身に熱量を集中させての「熱量加給・下肢増強」

 下肢増量の上半身バージョン「熱量加給・上肢増強」

 試験には不許可だが集中力上昇「熱量加給・脳力増強」

 そして奥の手・必殺技の熱量加給強化版「熱量過給」

 

 ほかにも掌に高熱を帯びさせる火傷前提の「熱量充填」、冬場に最適人間ストーブ「熱量放射」などなど。子供特有の無駄に柔軟な発想力で、次々に生み出される新しい魔法の使用法は、放っておけば急速に下降するだろう自分への注目度を下支えしていた。

 注目というのは麻薬と同じだ。初めは戸惑いと恥ずかしさでさほど喜べないだろうが、一度その味を覚えればもう手放せない。もっと注目してほしい、自分を見てほしい、関心が欲しい、興味が欲しい。注目を得るための行動は過激化の一途をたどる。危険を伴おうと大人から睨みつけられようと、周囲の視線を得られれば何のその。俺を見てくれ、もっと見てくれ。見てくれ悪いが、もっと見てくれ。

 

 だからだろうか。自分は周りの視線の色合いが変わっていることに気がつかなかった。思い返してみれば十分に予兆はあったのだ。多少なりとも話をする数少ないクラスメイトからの忠告。猿回しの猿めいた自分への先生からのお小言。そして何度となく学校の様子を聞く親の様子。程度の差はあれど皆気がついていたのだ。そしてある人はそれとなく、またある人はかなり直接に自分へとそれを伝えていた。

 だが人気者という立場に正体を失った自分は、馬(鹿)の耳に念仏と大事なことを聞き流していた。そして自分は、トイチで複利で暴利な代償をすぐに支払う羽目になったのだ。


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