二人の話   作:属物

27 / 74
第六話、二人が買い物にいく話(その一)

 初夏だというのに気の早い蝉が鳴き出してもおかしくない陽気の正午過ぎ。脳天を直射日光に炙られながら”宇城正太”は自宅である間島アパート一〇三号室の扉の前に立った。

 濃い藍色の通学鞄を肩にたすき掛けて同色の制服を身にまとったその様は、格好だけなら普遍的な中学生のイメージそのものだ。しかし、厳つく骨ばった顔立ちと相撲部屋に行けそうな横幅が、「普遍的」という言葉を遙か彼方に投げ捨ててしまっている。中学生らしいこの格好よりも、恰幅と顔立ちを生かしてスーツや着流しの方がよっぽど似合う。もっとも似合うといっても、得られる印象は「やくざ者の若頭」か「マフィアの幹部」あたりで決まりだろうが。

 

 頭上近くから差す日差しは強く、正太の頭蓋骨を赤外線で焦がしている。まだ日は高く、足下の影も小さい。

 何せ、まだ午後過ぎて直ぐなのだ。帰宅途中で見た時計の表示は一三時前を指していた。今日は予想よりも格段に早く授業が終わった。近くの学校で爆弾テロが出たためだ。幸いにも不発だったため死傷者はなかったが、犯人はまだ捕まっていない。ということもあり、本日は午後の授業は急遽取りやめ、昼食後はそのまま集団下校と相成ったのだ。

 

 普段やっていないことをやると疲れる。それが独りぼっちを際だたせる集団下校だとなおさらだ。しかし「集団」下校なのに「独り」ぼっちを感じるとはこれ如何に。

 首筋に凝りを感じた正太は首を軽く曲げる。が、音は鳴らずに筋が延びた。さらに追加で二三度曲げるが、やっぱり何の音もしない。

 まあ、これはこれで気持ちがいいし、なにより体に悪くない。胸の内でそう呟き自分を納得させると、両手で勢いを付けて腰を捻った。

 

 その瞬間だった。小枝を折るような、とは言い難い生木をへし折るような、バキンという音と衝撃が脊髄を走った。

 

 「ぬぅっ!」

 

 脳天まで突き抜けるインパクトに、正太は思わず鞄を地面に落として扉に手を突く。イヤーな感じの痺れが脊椎を中心に体中を走り回って、神経に直接電流を流された気分だ。脂汗と冷や汗の混合物が、さほど暑くもないのに額に流れた。

 正太は衝撃の爆心地である腰上三〇cmを拳で押さえ、妹と母からのお小言の意味を噛みしめた。特に妹である”宇城清子”からは、小姑よろしく「間接を鳴らすな」と何度となくお説教を頂いている。今この瞬間、その意味が文字通り痛いほど理解できた。

 腰に右手を当て左手を扉につけたまま、正太は痛みと痺れが引くまでじっと待つ。格好も含めて反省しながら深呼吸を何度か繰り返すと、いくらか痛みが引いてきた。まだ痺れが抜けきったわけではないが、十分我慢できる程度だ。

 

 正太は幸先の悪さに不安を感じつつ、痛みが引いた安堵を含めてため息を吐き出した。何せ、イの一番に爆弾テロだ。本日は先行きの雲行きがずいぶん怪しい。もっともテロの爆弾が不発なあたり、逆に運がいいのかもしれないが。

 爆弾テロを思い出したあたりで、正太は芋蔓式に集団下校中の同級生の噂話を思い出した。なお、正太が噂を聞かされたのではなく、近くで同級生が噂しているのを小耳に挟んだだけである。学校に正太の友人はいない。今、現在一人もいない。

 

 同級生の噂によれば、犯人は不法移民の赤色テロリストらしい。声明文で「日帝に搾取される人民よ立ち上がれ」とか「日帝小魔に鉄槌を下す、これは革命の号砲だ」とか謳っていたそうな。

 ただし、この話はあくまで中高生の噂話であり、信憑性などは無きに等しい。少なくとも正太は今の今まで「日帝小魔」なんて言い方を聞いた覚えはない。おそらく意味は「日本人の子供の魔法使い」のような意味だろうが、向こうの文法でも間違っていそうだ。

 そもそも正太の通う公立戸小中学校には確かに「日本人の子供の魔法使い」が通っているが、その大半は『帰化民の子供』、つまり元外国人だ。自分のような「日本民族の子供の魔法使い」は戸小中内では一番少数である。彼らはしっかりと法手続きをとって帰化した日本国民ではあるが、外人が想像するステレオタイプな日本人ではないし日本民族とも別物だ。

 

 感電にも似た痛みを誤魔化そうとどうでもいい思考をグルグル回しつつ、正太は鍵を通学鞄から取り出して鍵穴に差し込む。腰の痺れが取れないせいか、正太はまだ反省状態のままだ。ジンジンと唸る腰を平手でさすりながら逆の手で鍵を回す。金属が噛み合う音と共にロックが外れて扉が開いた。

 

 もし本当に不法移民のテロリストなら、他人様の国に勝手に住み着いてそんな馬鹿なこと叫び散らせるあたり、そいつには脳味噌の代わりに腐った豆板醤でも詰まっているのだろう。実際、爆弾の火薬は配合を間違えて火を付けても爆発しない代物だったそうで、頭のお粗末さ具合が伺える。

 まあ、その発酵脳味噌殿のおかげで午後いっぱい自由時間となったのだ。感謝の意を込めて、早急に警察に御用となって本国に送還されるように祈っておこう。そういえば、日本に不法移民していた人間が本国に送還された場合、「いい思いをしていた」と嫉妬されて酷い目に遭わされるのが常のことだそうだ。すごくどうでもいい話だが。

 

 上方から下らない、口の端にも上らない、実に無為極まりない思考が無闇に回る。しかし無為な思考は考えても無意味だから無駄なのだ。だから、これ以上頭を空転させても時間の浪費でしかない。腰の痛みも引いたことだ。ここらで動くこととしよう。

 家の中に入るため、足下の鞄を持とうと正太は腰を曲げる。途端に脊椎を走る感電感が強まった。

 

 「ほぉっ!」

 

 妙な声が口から飛び出る。腰の衝撃で反省ポーズを続けている現状、足下の鞄を持とうとすると腰に何か妙な負荷をかけるようだ。きつい。

 仕方ないのでそれは諦めて、正太は鞄の取っ手を掴むと下手投げで玄関から投げ込んだ。カーリングの石のように廊下を鞄が滑ってゆく。特にブラシはかけていないが、母が綺麗に掃除してくれてるおかげで、廊下は氷面の滑らかさだ。滑走中の鞄は居間の入り口前で、横戸の溝に引っかかりピタリと止まった。こいつの回収は後にしよう。まだ蓮乃に言った時間まで余裕があるし、取りあえず横になってジッとしていたい。

 

 扉に向けて反省ポーズをしながら、正太はにじり歩きの擦り足で玄関横の壁に移る。あまりの激痛と不快感に、今までの人生を反省したくなる。反省していない方の手でドアノブを掴むと、痛みを堪えて扉を開いた。そのまま玄関の壁に手をやりながら、行儀悪く踵を擦るようにして靴を脱ぎ捨てる。いつもなら母と妹にねちねちお説教を頂くところだが、今回ばかりは勘弁して頂きたい。

 正太は壁に手を伝って子供部屋へとゆっくり向かう。足を上げ下げすると腰も一緒に動いて痺れるので、擦り足でことさら時間をかけて移動してゆく。痺れを少しでも押さえるため深く深く深呼吸を繰り返し、できる限り上下動を押さえて動く。まるで、ナメクジかカタツムリにでもなった気分だ。

 ただ、最近は跳ねるナメクジや飛ぶカタツムリが出てきたそうだから、この表現も正しくなくなってきたかもしれない。いや、あーいうのは特殊生物だし特例扱いでいいだろう。そーいうのが一般的になったらそれこそ環境系テロリストの叫ぶ「生態系の危機」だ。庭の手入れやってたらナメクジが群をなして跳んできたなんぞ、さすがに勘弁願いたい光景である。

 

 無為な思考を止めようと決めたのに、無駄な思索は留まることを知らず正太の脳味噌を埋めてゆく。「前の一件」以来、考える余裕があると無駄に考えてしまうのだ。一番いいのは何も考えずに書物に熱中することだが、あいにく好物の小説は子供部屋の書棚に入っている。結局、痛いのを我慢して子供部屋に向かうしかない。

 まともに歩くため上体を起こそうとするが、神経を走る激痛信号の前に正太の姿勢はバネ仕掛けで元に戻ってしまう。

 こんな調子で大丈夫だろうか。正太の口から盛大なため息が漏れた。何せ今日は昨日約束したとおり、お隣の”向井蓮乃”とスーパーでお菓子を買う予定なのだ。その上、「スーパーに行くなら買ってきて」と母からはでんぷん米だの鶏卵だのを買うように頼まれている。それに加えて清子からは先日の手伝いの代金(第一話参照)として、カスタード大福を買ってこいと言い付けられていたりする。

 となれば当然だが、片道一〇分の道のりを大荷物を抱えて歩かなければならないわけで、腰が曲がらぬままでは苦行にもほどがある。最悪断るしかないかもしれない。きっとあいつ泣くだろうなぁ。

 

 正太の脳裏に蓮乃の泣き顔が二つ三つと浮かび上がる。蓮乃は明るく元気な子ではあるが、同時に感情の起伏が激しく大いに泣き虫でもある。さらに言うなら子供らしく、わがままで意固地な部分もあった。正太の記憶にある限り、なぜか蓮乃はスーパーに買い物に行くのをずいぶん楽しみにしていた。それが関わりないところで中止になったならば、いったいどれだけ泣きわめくやら。少なくとも自分が吐き出すため息の数は、当社比十倍を下るまい。

 最悪の、それでいてあり得そうな可能性を想像し、正太はもう一つおまけにため息をこぼした。

 

 

 

 

 

 

 宇城家が住む間島アパートはボロい、というほどでもないがそこそこ年季が入っている。通路の鉄柵には錆が浮いているし、建物の塗装も所々剥げが目立つ。もっともそのおかげでさほど給料の多くない正太の父でも、子供部屋と庭付きの部屋を借りることができたのだが。

 

 そういうこともあり、正太等の子供部屋も内装が少々くたびれている。具体的に言うと、ベッドに横になった正太が見つめる目の前の壁は、本来の白ではなく黄色味を帯びている。

 そんな檸檬色というには汚らしい壁紙を眺めながら、正太は腰を労りつつ静かに黄ばみの数を数えていた。しばらく子供部屋で休んでいたらいい加減腰もよくなってきたようで、少なくとも痺れや痛みは感じない。どうやら一時的なものだったらしい。少なくとも最悪の事態だけは避けられそうだ。

 安堵を込めた長い息を吐くと、正太は腰に負担をかけないようにそろりそろりと体を起こした。いつもなら思う存分延びをして身体の凝りをほぐすところだが、ついさっき腰をいわしたばかりである。さすがに我慢だ。もっぺんやらかしたら確実に最悪の事態となることは簡単に想像できる。

 ベッドに腰掛けたまま見下ろせば、制服のワイシャツとズボンがしわにまみれてしまっている。後々母にぶちぶち文句を言われそうだが、最低限上着とネクタイ、それとベルトは外したので、勘弁して欲しいところだ。

 

 正太はいつも通りにハンガーに脱いだ制服一式をかける。いつもならばこの後は、ゆるゆるな家着に体を突っ込んで、居間でごろ寝しつつ本を読むところだ。しかし本日は出かける予定があるので、家着ではなく特徴のない単色緑の木綿パンツと、キリル文字が描かれた灰色のTシャツを身にまとった。締め付けるものはベッドにはいる前に外したとは言え、やっぱり制服を脱ぐと張っていた気分がいい具合に緩んでくる。

 後はベルトを締めて買い物袋と財布を持てば準備完了である。時計をみればそろそろ三時近い。蓮乃に告げた集合時間は三時だから、あいつも準備していることだろう。

 正太は蓮乃を探すべく庭に向かい、居間に踏み込んだあたりで違和感に気づいて足を止めた。

 

 ――なんで俺は庭に向かっているんだ。

 

 本来、余所様の家に出入りするならば玄関からが当たり前だ。それなのに、正太と清子が何度注意しても蓮乃は庭から出入りを繰り返している。最近(とは言っても数日程度だが)は二人もあきらめて一言二言口にするだけになってしまっている。

 だが、だからといって自分まで同じレベルに落ちる必要はどこにもない。悪い意味で慣れてしまっているが、おかしいのは蓮乃の方なのだ。近頃は蓮乃に毒されてしまったのか、どうにも自分の行動が幼い気がする。蓮乃同様のガキンチョになってはいけないのだ。気を付けねばなるまい。

 ただし、清子あたりからすれば「兄ちゃんがガキっぽいのは蓮乃ちゃんが来る前からだよ」の一言で一刀両断されるのは間違いなかったりする。

 正太はいかんいかんと頭を振って気を引き締めなおした。今度は間違いなく蓮乃を玄関から連れ出して、ついでに説教をお見舞いしてやろう。今度こそ間違いなく玄関へと向かうべく正太は踵を返す。その背中に居間の窓の向こうから、ずいぶんと聞き覚えてしまった声が投げかけられた。

 

 「なぁーーっ!」

 

 覚えのある発音を耳にした正太の顔は、途端にゲンナリという文字を体言した形に変わった。世界中探してもこんな言語で喋る奴は一人しかいないだろう。少なくとも自分は一人しか知らない。それにしても、こいつはやっぱりそっちからやってくるのか。

 正太は改めて一言叱っておこうと胸の内で決めると、仏頂尊と張り合えそうな仏頂面で振り返る。その視線の先には全く持って予想と違わず、準備万端スタンバイ状態の蓮乃がいた。庭の垣根の隙間から顔を覗かせて、宇城家の居間をのぞき込んでいる。正太と目が合うと気づかれたのが嬉しいのか満面の笑みを顔に浮かべて、大きな声で挨拶らしき声を上げた

 

 「まーーーもっ!」


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。