二人の話   作:属物

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第五話、三人でお菓子づくりの話(その六)

 軽食を再開し、三人はそれぞれクラッカーを口に放り込む作業に戻った。だが、さっきのような和気藹々とした雰囲気はそこにない。三人の間には据わりの悪い沈黙が存在感を主張していた。三人が三人とも何も言わず何も喋らず、ただ黙々とクラッカーを頬張っている。蓮乃はえらく不機嫌そうに、清子はとても呆れ返った様子で、そして正太は酷く居心地悪げに。

 清子が考えていたように誰かを叱ると言うことは、周囲に悪い空気を振りまいているのと変わらない。叱った正太も、叱られた蓮乃も、それを見ていた清子も、振りまかれたストレス元をたっぷりと吸い込んで、イヤーな雰囲気を味わう羽目になっていた。

 

 「あ~、その、なんだ…………やっぱいいや」

 

 重苦しい沈黙に堪り兼ねたのか、正太は何かを言おうと口を開くが、食卓の上の沈黙に押し込められて何も言えずに口を閉じた。端から見れば酸素不足の金魚のように、正太は無意味な口の開閉を繰り返す。

 「前の一件」以来、他人とのコミュニケーションに難のある正太にとって、この状況は正直つらい。何せ、コミュ障気味なおかげで自力での状況改善がほぼ不可能だ。何を言えばいいのか何も解らない。

 自分ではもはやどうにもならぬと、正太は助け船を求めて清子へと視線を向ける。兄のひきつった顔を見て、清子は大仰にため息をはいた。ほんとに手の掛かる兄ちゃんだこと。

 

 「兄ちゃん意外と小さい子の相手できるんだね」

 

 当たり障りのない会話として清子が選んだのは先の感想だった。それに清子自身、正太が蓮乃の相手を結構やれていることをそこそこ意外に感じているのは事実だった。少なくとも清子の記憶を探る限り、正太が幼い子供の取り扱いに長けているという覚えはない。

 

 「いったい誰がおまえの世話したと思ってる」

 

 「父さんと母さん」

 

 「おっしゃるとおりです」

 

 夫婦漫才ならぬ兄妹漫才を続ける二人。多少は緊張がほぐれたのか、気の軽い様子で正太は会話に参加する。やっぱり家族ってありがたい。

 いくらか気も晴れた正太はクラッカーに手を伸ばした。が、少々数が少ない。初めは大皿に山と積まれていたはずだが、皿上の敷地面積は半分を切っている。いつの間に食べてしまったのだろうか。自分もそこそこは口に入れたはずだが、そこまで食べた覚えはないぞ。だとするならば……

 正太は兄妹漫才の相方である清子へと目を向ける。清子は不機嫌そうに表情をゆがめて、顔を左右に振った。兄同様の大食らいと思われるのはさすがに心外だ。母の血を引くこの体が少々、いや多少、いいや幾らか横に広いことは確かだが、兄のように毎食お代わり付けてサイズ拡大の努力をしているわけではない。だとするならば……

 

 二人は顔を見合わせると、そろってもう一人へと視線を向けた。視線の先には、頬一杯にクラッカーを詰め込んでハムスターになっている蓮乃の顔があった。どうやらこいつも原因らしい。もぎゅもぎゅと擬音が鳴りそうな蓮乃の様に、右記兄妹は顔を見合わせて苦笑いを浮かべた。

 

 『さっきも聞いたが、夕飯本当に食べれるのか?』

 

 先と同じく食いすぎを警告するメモを正太が差し出すが、蓮乃はプイと横を向く。どうやら叱られたこともあり、今は正太と話したくないらしい。唇も再びとんがっている。煎茶の出し殻をかみしめたような渋い顔で、正太は自分の額を叩いた。

 

 「聞くに聞けん(危険)な赤信号、ってなところかねぇ」

 

 そして正太は自作の下手な地口を呟いた。齢一四ながら中二病通り越して高二病気味の正太は、こういった古い冗句を格好付けに使うのが大好きだ。実際、正太は内心でしてやったりな顔をしている。

 

 「ヘェ、おもしろいこと言うネ。後でメモにでも書いておこうかナ」

 

 そして、人生始まって以来正太と顔を突っつき併せてきた清子は、そんな正太の格好付けを容易く見抜いていたりする。そんなわけで、清子は小悪魔から小を取った顔で、正太の格好付けを揶揄するのである。

 

 「待て待て待て待て待ってくれ」

 

 脂汗を流して慌てた様子で、正太は嘲う清子へと待ったをかけた。正太とて自分の格好付けが端から見て、格好良いものではないと知っている。そんな自分を客観的に見せつけられてはたまったものではない。穴を掘って中に入って生き埋めになりたくなるくらい恥ずかしい。

 そんな正太を皮肉る清子からすれば、「そんだけ恥ずかしいならやめればいいのに」と言いたいところだ。

 

 「そういえばまだカスタード大福買ってもらってなかったっけナァ」

 

 「イヤ、ちょっと、タイミングが、その」

 

 先日、蓮乃関係で正太は清子に頼みごと(第一話参照)をした。その時、清子から「カスタード大福八個箱入り(一〇二四円)」をお代として求められたのだが、正太がそれを買ったという話を清子が聞いた覚えはなかった。

 視線を泳がし正太は口ごもる。しまった、確かそういえばそんなこともあった。実のところ正太はきれいサッパリ、カスタード大福のことを忘れていたのだ。わたわたと見えない糸を手繰る正太を見ながら、清子は苦笑と揶揄と嘲笑と、ついでに飼い主がバカ犬を眺める顔を全部足した、えらく微妙な表情を浮かべた。まったくもう、うちの兄ってやつは。

 

 「明日の買い物で買ってきたら許してあげる」

 

 それで済むなら安いもんだ。正太はとり急いで首をガクガクと上下に動かした。バイブレーションの入った正太の様を見て、清子の表情に呆れの色が加わった。ついでに小さく嘆息もする。まあ、これだけ言っておけば忘れることもないだろう。そもそも自分としてもそこまで求めているわけでもない。単に兄を少々いじり倒して面白がっていただけなのだ。

 一方、正太もまた安堵の息を一つ吐いた。とりあえず何とかなった。後は、明日ちゃんとカスタード大福を買ってくればこれ以上イビられることも無かろう。父の説教は容赦がなくて辛いが、妹の揶揄は痛いところを付いてくるので辛い。ついでに言うと母の拳骨は物理的に痛くて辛い。母の慈悲無き鉄拳を思い出して正太は顔をしかめた。

 何にせよ、明日は近くのスーパー「ビックバスケット」でお買い物である。買うのは足りないお菓子と頼まれた大福と、おそらく母か父か両方からか買い物を頼まれるだろうからそれも含める。まとめれば結構な分量になりそうだ。でっかい紙袋に余りはあっただろうか。紙袋を確認しようと椅子から立った正太は、その拍子にふと思いついた。

 

 ――蓮乃の奴も連れていけば、ちょっとは機嫌も直るかもしれんな

 

 蓮乃は説教前と変わらず、好きなディップをべったり付けたクラッカーを、文字通りに頬張っている。頬に詰め込めるだけ詰め込んだその様は、リスかネズミかハムスターかとにかく囓歯類の仲間にしか見えない。だが説教前と異なり、その表情には大きな文字で「私は非常に機嫌が悪いです」と書かれている。

 くちばし宜しく唇を尖らせ、犬みたいに唸り声をあげる。ダンゴムシめいて背筋を曲げて、ネコのように周囲を睨めあげる。この様を見てご機嫌だと表する者がいるならば、そいつは眼科に行った方がいいだろう。そのくらい分かりやすく蓮乃は不愉快を表明していた。

 

 「む~~~~ぬ~~~」

 

 見ての通り蓮乃は不機嫌そのものである。その原因でもある正太としては、さすがにこのまま放っておくのは少々気分が悪い。放って置いても何か極端に悪いことが起きるわけではないのだが、その、何だ、何というか、気が引ける。まあ何にせよ、近くで顔見知りが不機嫌不愉快不満足という顔をしていれば、こちらもまたいい気分とは到底いかないものだ。ちょっとした行動でそれが晴れるならばやらないよりやった方がいいに決まっている。うん、そうだ。

 

 何かに言い訳るように自分に言い聞かせると、正太はメモとペンを手に取った。明日の買い物に付き合わせてやれば多少なりとも不機嫌を緩和できるかもしれない。混乱期前の昔から、女性のストレス解消と言えばショッピングと相場は決まっている。

 でも、自分に女性の気持ちなど分かるのだろうか? 突然、正太の胸の内に不安が浮かび上がった。存在を主張する不安は自己不信を携えて正太のペンにブレーキをかける。

 本当にたったこれだけで機嫌が直るのか? 連れていくのは雑誌で今話題の甘味所でもなければ、最新ファッションを発信しているブティックでもない。ただの近所のスーパーマーケットなのだ。むしろ不満を膨らませてより不愉快な気分にさせてしまうかもしれないぞ。だったら……

 

 正太は頭を繰り返し振って不安を脳味噌から弾き飛ばすと、減速したペンに意志の力でアクセルをかける。

 いかんいかん。マイナス思考のループに嵌まっている。こういう時はまず行動だ。聞かずに考えてもしょうがない。とりあえず聞くだけ聞いてみよう。後は答え如何で判断すればいい。付いてくるか決めるのは蓮乃なのだ。それこそ相手の気持ちなど判るわけ無いのだから。

 

 「あー、蓮乃」

 

 メモに書くべきことを書いた正太は、蓮乃に呼びかけた。蓮乃は言葉を聞き取れないが、顔を向けて声をかけられれば、少なくとも自分を呼んでいるくらいのことは理解できる。自分を呼ぶ声を聞いた蓮乃は切れ長いジト目で睨み上げるように正太を見つめた。その眼前に正太が書いたばかりのメモが眼前で揺らされる。

 

 『明日、お菓子を買いにスーパーに行くけど、おまえも来るか?』

 

 湿っぽい半目だった蓮乃の瞳が、玉のようにまん丸に変わった。驚いた正太が思わず体を引くより速く、蓮乃はメモを引ったくる。驚きの余り身動きできない正太を後目に、奪い取ったメモを上から下まで四・五回見直すと、蓮乃は音が聞こえてきそうな勢いで首を上下に振り回した。当然、表情は満面の笑みだ。

 

 「ぅんっ!」

 

 「お、おう」

 

 正太が意外に感じるほど蓮乃は乗り気だった。全身全霊で「行く!」と表現している蓮乃に、予想もしていなかった正太は思いっ切り気圧されている。

 こいつはこんなことで喜ぶのか? 睦美さんと行ったこと無かったりするのか? まあ何にせよ、喜んでもらえて何よりだ。それでいい。

 安堵の表情を浮かべた正太は、蓮乃を見つめる目を細めた。機嫌を直したのはすばらしいことだが、それでも言うべきことは言わねばなるまい。何度も言うが取調室でカツ丼を食べる気はないのだから。

 

 正太は新しいメモを取り出すと、書くべきことをそこに書きこむ。そこに書かれていたのは、蓮乃の母である『睦美さんの許しを貰ってくること』との一文だった。目の前に差し出された一文に、蓮乃の顔はさっきの不機嫌に逆再生される。折角のいい気分に水を差された心境なのだろう。それでも「買い物」は魅力的なのか、しばらくたって蓮乃は渋々と了解を示す文を書いた。

 

 『わかった』

 

 一応は納得して見せた蓮乃に正太は安堵の息をもらした。とりあえずはこれで大丈夫かね。後は睦美さんから許可もらえるかどうかだが、まあ近頃は家に来る許可もあっさり出しているみたいだし、そう心配することはないだろう。後のことは明日の問題、今は今日の問題に、すなわち目の前のクラッカーに取り組むべきだ。

 面倒の元である蓮乃のご機嫌が回復したためか、さほど深く考えることなく正太は結論を出した。ちと考え込みすぎて疲れたな。甘い物が欲しい。消費したブドウ糖を補給すべく甘いクリームチーズ風ディップに手を伸ばす。

 が、それが入っているはずの器は空だった。器を手に取ったまま、正太は蓮乃の方へと視線を向ける。正太の白い目に耐えかねたように、蓮乃は無言で顔をそらした。

 

 『蓮乃、俺の目を見ろ。目を見て答えろ。何かいうべきことがあるだろう?』

 

 顔をそらせないように蓮乃の頭に手をやって、正太はメモを突きつける。一応、完全に頭に血が上っていないのか目は細めたままだ。しかし蓮乃の視線は定まらず、壁と天井と机の上をさまよっている。それでも一応答える気はあるようで、ノートを見ないままページの端っこに小さい文字で斜め下の返答を記した。

 

 『ちょっと少なかった』

 

 『そういう問題じゃない。一言くらい周りに言ってしかるべきだろ』

 

 間髪入れずに返答が打ち返された、いでにお説教も引き連れて。周囲のことを考える、それがマナーという物である。蓮乃の行動が少々それに欠けるものだったのは事実だ。

 

 『おいしかったんだもん』

 

 『だ・か・ら、そういう問題じゃないって言ってんだろうが!』

 

 蓮乃の返答でない返答に正太のボルテージは急上昇だ。おかげでメモには峡谷を思わせる深い跡が文字とともに刻まれて、特に文頭の三文字はメモを貫き机に跡を残している。後で両親に見つかったら、正太はどんな目に遭うことだろうか。

 ついでに正太のまぶたが六〇度から九〇度へと開いて、血走った白目が露わになっていく。なお、最大角度は一五〇度であり、先日こいつを体験した(第二話参照)蓮乃は大いにベソをかく羽目になった。

 

 「まあまあ二人とも、そこらへんにしておいたら?」

 

 アホくさい二人のやりとりに半笑いの清子が仲裁に入った。このまま二人のコントを眺めていてもいいのだが、こんなことでさっきのような面倒を生じさせるのは余りに馬鹿馬鹿しい。それにディップが空になるくらい食べたのだ。もういい加減にしないと全員夕飯が入らなくなる。

 清子の声にまず正太が右手を挙げて答えた。自分の阿呆さ加減に気が付いたのか、自己嫌悪でずいぶんゲンナリした顔だ。そして正太にメモを見せられて、叱られなくてほっとした顔の蓮乃がそれに続いた。

 

 「へーい……っとそうだそうだ」

 

 何かを思い出したのか、正太はメモを取るとささっと一文を書いて蓮乃に渡した。明日も当然学校があるので、連れていくのは帰宅してからになる。さっきのお説教で口にしておきながら待ち惚けを食わせるのは、アホくさいにもほどがあるというものだ。

 

 『俺が帰宅してからだから、買い物に行くのは三時ぐらいな』

 

 「んっ!」

 

 メモの文を呼んだ蓮乃は、大きな声で答えるのであった。


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