二人の話   作:属物

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第五話、三人でお菓子づくりの話(その三)

 「さて」と口の中で小さく呟くと、割烹着に着替え書く物も書いた清子は後ろを振り返った。視界の先には、自分も手伝うことになんだか納得していないような顔の正太と、いつもの元気花丸一〇〇点満点とはいかないものの八〇点の及第点くらいには機嫌を回復させた蓮乃の姿が見える。

 居間の真ん中の正太は似合わないエプロンをかけて、隣の蓮乃は清子同様に割烹着姿だ。但し、二人とも微妙にサイズが合っていない。

 

 まず正太のエプロンは小学校の家庭科で作ったものだから、左右に腹がはみ出てしまっている。正太は「成長期(故にまだ身長は伸びると言い張っている)だからしょうがない」と言い訳るだろうが、清子から言わせれば単なる食いすぎ太りすぎである。

 一方の蓮乃はというと、正太とは真逆で割烹着が大きすぎる。何せ貸したのが母の割烹着のため、裾を床に引きずりかけている有様だ。手首を隠していた袖口は、清子が二の腕まで腕捲りして固定してあげたので、調理に支障はでないはずである。

 

 こんなんで大丈夫かなと心中に不安が顔をもたげてくるが、だからこそ蓮乃用にしっかりと作り方のメモも書いたのだと、清子は自分を納得させる。蓮乃ちゃんは色々と幼い部分があるが、基本的に「言えば判ってくれる」物分かりのいい子だ。説明さえ間違えなければ心配ないだろう。兄はその都度突っ込みを入れればいい。何か間違えたのならちゃんと言ってくる。

 それに、二人とも初心者だから作るのが簡単な「ビスケット」にしたのだ。「化学実験の産物」と言われる西洋菓子の中でもビスケットはことさら簡単でかつ失敗しにくく、初めての菓子作りには非常に適している。さらに言うならば、魔法発現による混乱後に値上がりしたままの海外産原材料なしでも、それなり以上の物ができるためお財布にもとても優しい。

 

 「説明するから二人とも集まって」

 

 いろいろと書き込んだメモを掴んで台所へと進みながら、清子は二人に呼びかける。だが言葉を聞き取ることのできない蓮乃は、清子の呼びかけに不可思議そうな顔をするばかり。なので苦笑を浮かべた正太は、清子の言葉を書き込んだメモをキョトンとした表情の蓮乃に見せた。ポンと手を叩き、ようやく理解の色を見せた蓮乃は、割烹着の端を両手に持って正太共々清子の後を追った。

 

 宇城家の台所は二列型のシステムキッチンで、そう大きいものではない。片列が「冷蔵庫」「コンロ」「水道とシンク」これだけで埋まってしまう程度だ。逆側は食器棚を筆頭とする収納スペースで全て埋まっている。

 もっとも、狭い狭いというが一人で料理する分にはさほど問題はない。それに居間とつながっているので配膳が楽というメリットもある。時に清子が手伝いをすることもあるが、基本的に宇城兄妹の母が一人で使っている台所だ。それに併せて必要な物は置かれているから、大きく移動することなく料理に必要な作業のできる、適当な大きさといえるだろう。そう、一人で作業するならば。

 

 問題は清子、正太、蓮乃の「三人」が台所にいると言うことだ。台所に三人が集まるとさすがに狭い。先に書いたように、宇城家では基本的に台所は一人で使っている。三人もの人間が集まることはほぼない。その上、正太と清子はその母から平均より広い横幅を受け継いでいる。こうなれば絶対的に細い蓮乃ですら、かなりの圧迫感を感じざるを得ない。

 

 「やっぱ三人でやると無理あるな。よし、ここは俺が引こう!」

 

 一番最後に台所に入った正太は、押しつけがましく居間でグータラしてテレビ見る言い訳を口にした。発案者のくせにやる気のない正太の妄想(≠構想)では、お菓子作りに興じる清子と蓮乃を横目に眺めながら豆乳をすすって小説を読んでいる予定であった。

 

 「言い訳はいいから手伝って」

 

 しかし、年齢と同じだけ兄の様を見てきた清子がそんな怠惰を許すはずもなく、先手を打たれて正太は不承不承手伝いをすることとなったのだ。故に清子がそんな稚拙な言い訳を許すはずもない。台所の奥に陣取る清子に間髪入れずに返されて、冷蔵庫の前で正太は静かにうなだれた。

 

 「じゃ、説明するから蓮乃ちゃんにこのメモ読ませてあげて」

 

 清子は、蓮乃への説明用にメモを使い、正太へは口頭で説明するつもりである。蓮乃の頭上を通すように清子が差し出したメモを、正太はうなだれたまま受け取ると、蓮乃が見やすいようにコンロの狭いスペースに置く。それを身を乗り出して蓮乃が読む。その左横から正太もまたメモをのぞき込んだ。その様子を確認した清子は正太向けの説明を始めるべく口を開いた。当然ではあるが、口にする説明はメモに書かれたそれと違いはない。

 

 「ビスケットの材料は

 ・デンプン粉(合成グルテン添加)

 ・合成卵液

 ・ショートニング(植物油脂)

 ・粉末水飴

 の四つね」

 

 本来のレシピなら、デンプン粉ではなく小麦粉、合成卵液ではなく鶏卵、ショートニングではなくバター、粉飴ではなく砂糖を使う。しかしそれらは海外輸入品でも国産品でも決して安くはない。それにビスケットはこれでも問題がない。元々が非常にシンプルなお菓子であるため、多少のアレンジでもたやすく受け入れる度量があるのだ。

 

 「作り方は簡単。

 その一.粉を全て篩にかける

 その二.材料をボウルに入れる

 その三.粘土みたいにまとまるまでこねる

 その四.三〇分冷蔵庫で寝かす

 その五.薄くのばして型を抜く

 その六.一時間寝かす

 その七.一七〇℃に余熱しておいたオーブンに入れる

 その八.一三分焼き上げる

 これで出来上がり」

 

 正太と蓮乃というお菓子作り初心者がいるため、清子はレシピを意図的に細かく説明した。が、実際のところ話した内容を圧縮すれば「材料をこねて成形、適当に寝かしてオーブンで焼く」だけですむ。このビスケット作りで失敗するには、不器用さなどとは違うまた別の能力が必要だろう。

 清子の説明を聞き終えた正太は、蓮乃の方へと目を向けた。視線の先の蓮乃は、頭の中に焼き付けるようにじぃっと説明のかかれたメモを見つめている。見た限りは大丈夫そうだ。が、自分もこいつもお菓子作りは素人だ。確認は必要だろう。

 正太は蓮乃の肩をちょいちょいとつつくと、蓮乃の読むメモの端にペンで付け加えた。

 

 『一応確認するぞ。指でなぞった所を読み終えたら、頷いてくれ』

 

 蓮乃の頭上から弧を描くように腕を突き出すと、正太は一文を指でなぞる。正太の指に遅れて蓮乃の視線が文字を追った。なぞり終えた正太は蓮乃の顔を見る。蓮乃は「解った」と言うように、小さく首を縦に振って答えた。二人はこれを全文にわたって繰り返す。

 正太は「作り方その五」をなぞりながら小さく息を吐いた。思っていたより面倒だ。しかし必要なことである。いくら作り方が簡単とはいえ、やり方を理解せずに始めれば高い確率で失敗する。ましてや自分はお菓子づくりは初めてだ。小さな山であったとしても、初めての登山でルートを調べず勝手気ままに進めば、確実に遭難するだろう。

 それに蓮乃も初めてなのだ。だったら成功させてやりたいと思うのが人情というも。なら、ちょっとの苦労くらいは我慢すべきだろう。

 

 ようやく確認を終えた正太は、最後に蓮乃に向けて一文を追加する。その『解ったか?』の文字を見た蓮乃は、「ん!」と言葉になっていないが明確な返答を返した。それを聞いた清子は一つ頷くと、手を叩いてお菓子作り開始を告げた。パンッと軽い音が周囲に響いた。

 

 「じゃあ、始めよっか。蓮乃ちゃんは器出して。兄ちゃんは下からボウルと電子秤をお願い。私は材料出すから」

 

 「んっ!」

 

 「おう」

 

 返事も軽く、清子の指示の通りに二人が動き出した。もちろん、蓮乃には正太が文字に起こした指示を見せている。

 正太はシンク向かいの床近い開き戸から、ボウルを出そうとしている。が、お目当てのガラスボウルが見あたらない。眉根を寄せて首をひねるが、端から端を見ても目にはいるのは鍋とフライパンだけ。記憶が確かなら…………いや、記憶は確かじゃない。

 正太は自分の脳内フォルダを漁るが、出てくるのはピントが外れてぼやけた記憶ばかり。どうやら忘れてしまったらしい。しゃがみ込んだままの正太は、顎に手を当て逆向きに首をひねった。さてどーしたもんか。

 

 一方、蓮乃は小走りでコンロと反対側の食器棚へと駆け寄ると、開き戸を勢いよく開けはなった。蝶番が悲鳴をあげて、開き戸自体からも衝突音が響く。収納の寿命が縮まりそうな音を耳にして、冷蔵庫から卵パックを出していた清子は思わず声を上げていた。

 

 「蓮乃ちゃん、もっと優しく!」

 

 言われた内容は解らずとも、さすがに何をして言われたのかは理解できる。ビクリと震えた蓮乃は叱られた犬の顔で縮こまって、そっと壊れ物を扱うように開き戸を閉めた。その様子を横目で見ていた正太は「そうじゃないだろ」と口の中で呟いた。蓮乃の様子を見るに「開き戸を開けて怒られた」としか理解していないんじゃなかろうか。こりゃフォローも必要かな。正太は頭を掻くと、ボウル探しをいったん諦めて食器棚の方へと足を向けた。

 開き戸を閉めた蓮乃は、その前で呆けたようにじっとしている。開き戸を開けて怒られたのだから開けてはいけない。しかし、開き戸を開けなければ食器は取り出せない。

 

 矛盾のジレンマに蓮乃の脳内で食器棚がぐるぐる大回転だ。そんなネズミ車よろしく空転している蓮乃の目の前に、中腰の正太はメモをぶら下げた。さらにピラピラとメモをはためかせて、その文字に注目させる。

 

 『開き戸は静かに開けるべし』

 

 蓮乃の瞳が広がって目の前のメモにピントがあった。文を目にした蓮乃は小さく首を縦に振る。そして開き戸の取っ手に手をかけると、恐る恐る開き戸を開いていく。ちらりと清子に目をやると、答えるように清子もまた首肯した。どうやらそれでいいらしい。ほっと小さく安堵の息をもらすと、蓮乃は開いた食器棚から四杯の器を取り出した。小分け用のボウル代わりだ。

 蓮乃の表情を見てもう大丈夫かとあたりをつけた正太は、腰の後ろに手を当てて背筋をのばす様に上体を持ち上げる。その拍子にショートニングのカップや紙製の卵パックを用意している清子と目があった。清子は苦笑と申し訳なさを足した表情で、合掌ならぬ片掌をして正太のフォローに礼を示した。

 

 「礼はいいけどボウルどこか知らない?」

 

 蓮乃のフォローがうまくいった以上、現在正太に必要なことはそっちである。結局、床近くの開きにはボウルの姿がなかったのだ。正太の不確かな記憶によれば、少なくともボウルを処分したことはないはずだ。なら当然どこかにあるはずで、宇城家でそれを知っている可能性があるのは、毎日料理をしている宇城兄妹の母と、お菓子作りで少なからず台所に立った経験のある清子であった。

 

 「食器棚の下の開きにあるよ」

 

 そして正太の想像通りにボウルの在処を知っていた清子は、あっさりとボウルの所在地を答えた。

 言われてようやく正太の脳内フォルダからお目当ての記憶が浮かび上がる。今更すぎるが大抵はこんな物だ。無くした物は代わりを買った後に見つかって、勉強したときに限って小テストの問題は簡単なのだ。つまりは「マーフィーさんの言うとおり」という事だ。清子に礼を言う正太の顔に、しかめっ面のような疲れたような表情が浮ぶ。

 しかしまあ、それが人生というものなのだろう。思春期真っ盛りのくせに悟った振りの思考を浮かべ、正太は食器棚から器を取り出す蓮乃が退くのを待つことにした。

 

 

 

 

 

 

 ――私と兄ちゃんと蓮乃ちゃんの三人分だから、全部一.五倍でいいかな。あっと、兄ちゃん甘くないの好きだから、粉飴五〇gぐらいに減らしたほうが良いかも。でも蓮乃ちゃんは甘いの好きみたいだし、どうだろう?

 

 色々なことを同時並列で考えながら、清子はコンロとシンクの間に置かれた電子秤の上に一匙、また一匙とデンプン粉を盛ってゆく。薄っすらと黄色い薄紙の上に真っ白なデンプン粉が山を作り、それにあわせて電子秤の小さな電子ペーパー画面がくるくると数字を変えてゆく。シンク横の電子秤の上に必要な量を盛り、画面が求める数を示した所で清子はデンプン粉の入った瓶のふたを締めた。

 デンプン粉は元々吸水性がありその上粒子が細かいので、放っておくと空気中の水分を吸収してネトネトの固まりになってしまう。一応、瓶の中に多孔質吸湿材を入れているが気休め程度だ。パウダーソルトやパウダーシュガーと違い、加熱して水分をとることができない以上、一番いいのはとにかく外気に触れさせないことだ。

 薄紙の両端を摘んで、デンプン粉の小さな山をこぼさないように器へと注ぐ。音にならないような小さな音とともに、デンプン粉は蓮乃が出してくれた小さめの器に収まった。これで一通り材料は用意できたはずと、清子は材料を収めた器を指折り数える。

 

 お菓子作りは一人なら一人なりに気楽ではあるが、みんなでやるなら人数分楽しく感じるものだ。でもそれだけに、全員が気分良く楽しめるようにしなければ、下手したら人数分苦痛が増してしまう。

 そう考えるとさっきの自分の行動はあまりよいものとはいえないだろう。思わずといえど少々声を荒げてしまった。兄のフォローで事なきを得たと言え、大声を上げる必要はなかった。蓮乃ちゃんは言えばちゃんと理解してくれる子なのだ。気をつけなきゃいけない。器用にも表情にも出さずに清子は内心で反省と落ち込みを済ませる。

 

 「デンプン粉よし、ショートニングもよし、卵液もよし、粉飴は……あ」

 

 だからだろうか。珍しく、清子は粉飴を忘れるというミスをしていた。蓮乃が出してくれた四つの器のうち、薄緑で唐草模様の器だけが空のままだった。「あちゃぁ」と情けない声を上げた清子は、額に手を当てて渋面を作った。関係ないこと考えてポカミスするとは、自分でも少々恥ずかしい。

 

 「そこの瓶から粉飴とってくれない?」

 

 清子は冷蔵庫横で手持ち無沙汰にしている二人へ呼びかけて、コンロ脇に三つ並んだ瓶を指さす。冷蔵庫とコンロの境にある瓶は、全部真っ白い粉末で満ちていて傍目からは違いが見えない。扱いに慣れた清子だけが、左から順に「デンプン粉」「粉末食塩」「粉飴」であることを知っている。

 清子の声を聞いた蓮乃は、隣の正太を促すようにじぃっと見つめた。「前の一件」も相まって、正太は他人の考えを推し量るのは大の苦手だ。それでも、ここ暫く顔面を付き合わせている娘っ子を推察することは、不完全ながらも不可能ではなかったようで、正太はペンを手に取った。

 

 『コンロ脇の瓶から粉飴とってくれとさ』

 

 「んっ!」

 

 正太に書いてもらったメモをみて、腕を降り上げて蓮乃は元気よく答える。三人もいると実に狭い台所の中で、思い切り降り上げられた腕に正太が迷惑そうな顔をする。だが、気づいた様子もない蓮乃はお構いなしに「真ん中の瓶」を手に取った。

 

 「なっ!」

 

 そのまま蓮乃は得意げな表情で清子に瓶を手渡す。小鼻がぷっくり膨らんで、実に分かりやすいドヤ顔だ。

 清子は礼を言う代わりに、笑顔で頷いて瓶を受け取った。後は必要な分を電子量りで計量し、唐草文様の器に入れるだけだ。これくらいなら蓮乃ちゃんにやらせてもいいかもしれない。

 

 「蓮乃ちゃんに粉飴の計量やってもらうから、翻訳お願いできる?」

 

 清子からの呼びかけを聞いた正太は、冷蔵庫に貼られたチラシを眺める作業を止めて「わかった」と答えると、メモにペンを走らせた。そして必要な文を書き終えた正太は、蓮乃の肩をちょいちょいとつついた。清子に材料を渡した後、器に入った材料の見物にふけっていた蓮乃は、反っくり返るように振り返る。

 

 『粉飴五〇gを計ってくれ』

 

 「まっ!」

 

 上下逆の視界の中、目の前に突きつけられたメモに当然の顔で蓮乃は大きく頷いた。それを見た清子は小さく笑いをこぼすと、木製のスプーンを瓶と一緒に手渡し、シンク横のスペースを空けた。

 蓋を開けた瓶からスプーンで白い粉を掬い、シンク横のスペースに置かれた電子秤の上に落とす。当然その上には薄紙が乗せてあり、真っ白な粉末が小さな山を作っている。ただ、お菓子作りに慣れた清子と違い経験のない蓮乃は、多少ではあるが薄紙からはみ出して電子秤の周りに白い粉をこぼしてしまっていた。よく見れば薄紙の上の小山もずいぶんといびつな形をしている。

 

 「む~」

 

 清子の作業のようにうまくは行かず、蓮乃は唇を尖らせて不満を露わにする。ついでに頬もまるまる膨らませた蓮乃の顔を見ながら、清子は苦笑を顔に浮かべた。

 結局の所、こう言ったものは慣れなのだ。才能ある人ならばものの数回でコツを掴んでしまうだろうが、自分のようにそうでないなら数をこなして慣れるほかに道はない。それに初めての一回目から完璧にこなせてしまうなら、今の今まで何回となく失敗してきた自分の立つ瀬がなくなってしまうだろう。それは困る、実に困る。

 

 そうこうしている内に、蓮乃がそろりそろりと薄紙をつまみ上げて器の上にもってきていた。どうやら清子が考え事をしている間に蓮乃は必要量を計り終えたようだ。

 そのまま粉を落とさないように慎重に薄紙を傾けると、さらさらと聞こえないほど小さい音をたてながら、粉末が唐草模様の器へと流れ落ちてゆく。薄紙の上からから器の中へと粉の小山が移った。今度はこぼさずにできたようで、得意げな笑顔がほころんだ表情に浮かんだ。

 

 「むふ~」

 

 鼻息も荒く自慢げな顔で蓮乃は清子を見つめる。その顔から言外に要求を察した清子は、笑みを浮かべて頷くと髪を梳くようにして優しく蓮乃の頭をなでた。

 自慢げにきりっとした表情が途端に緩み、「にへ~」とでも聞こえてきそうな蕩けた笑みに崩れ落ちた。まるで、「飼い主に誉められた柴の子犬が、ちぎれんばかりに尾を振ってる」様そのものだ。蓮乃の背後でバタバタと振り回されてる丸まった尻尾が目に見える。存在しないはずのものを幻視した清子はくすくすと笑いをこぼすと、もう少し強めに蓮乃の頭をなで回した。蓮乃の笑みが目に見えて深まり、表情はトースト上のマーガリンより溶けている。

 そんな春の日溜まりのような幸福そのものの光景に、茶々を入れる無粋物が一人。ただ一人蚊帳の外で眺めていた正太が実にイヤミな表情を浮かべて、からかうように冷やかしを投げかけた。

 

 「へぃ、清子さん。お菓子は作らなくていいんですかい?」

 

 恥ずかしい所を見られた照れが半分、いい所を邪魔された不満が半分の憮然とした表情を清子は浮かべた。

 

 「いいじゃない、ちょっとくらい。それに兄ちゃん、いきなりなに?」

 

 「なに、いつもの仕返しでございます」

 

 清子からの文句混じりの質問を、正太は間髪入れずに弾丸ライナーで打ち返した。毎度、毎度、いじり倒され小馬鹿にされている正太も、たまには反撃の一発くらいお見舞いしてみせることだってある。

 

 「へぇ、よく言うネェ。ノリノリで特撮の主役を声上げて応援していた兄ちゃんは、ほんと言うことが違うんだネェ」

 

 しかしながら勇気を出して虎の尾を踏みつけたところで、正太が成れるのは勇者ではなく虎の晩飯がせいぜいなのだが。当然ながら「口」撃力は清子の方が遙か高みにいるわけであり、反撃のクロスカウンターでノックダウン寸前だ。

 

 「オ、オイ! それは反則だぞ!」

 

 清子からの舌鋒鋭い一撃で、余裕ぶっていた正太はあっさりと馬脚を現した。わたわたと慌てふためく姿には、さっきのような大物を装った平静さはどこにもない。所詮、ルール無用何でもありの論戦を、女子相手にやろうということが無謀にすぎる。そもそも口べたでコミュ障気味な正太が、女子グループ内の潤滑材をやってのけている清子に口げんかで勝てる要素などほとんどないのだ。

 

 一方、ただ一人話題から取り残されている蓮乃はというと、おたおたと情けなくうろたえている正太をじっとりとした細目で見つめていた。何せ、蓮乃は二人のおしゃべりを聞き取ることができない。その上、気持ちよく撫でられていたのに急に蚊帳の外に追い出されたおかげで、その整った顔にはでかでかと「不機嫌です」と刻まれている。蓮乃にとって気に入らないことは多々あるが、その中で一番を挙げるのならば「放って置かれる」ことに他ならない。

 だから「ぬ~」と口から不満を垂れているものの、正太からの反応はなかった。さらに不機嫌の文字を深める蓮乃は、いい加減業を煮やしたのか狼狽に手一杯な正太の袖を引っ張った。袖をグイグイと引っ張られてようやく蓮乃の存在を思い出した正太の眼前に、蓮乃からの質問が突きつけられる。

 

 『兄ちゃんは姉ちゃんとなに話してたの?』

 

 『蓮乃、人には誰しも一つや二つ聞かれたくないことがあるんだ。だから聞くな』

 

 正太は突きつけられたノートの一文に拒否の一文を蓮乃へと突き返した。その顔は「渋柿と青汁のカクテルをジョッキで一気飲みさせられた」有様だ。「知る権利」があるというなら「知られ(たく)ない権利」があったっていいじゃないか。いい年(一四歳)の自分がノリノリで装甲ライダーの主人公を応援していたことなど、他人様に知られたいことではない。嘲われるのも馬鹿にされるのも御免被りたいし、清子みたいにイジリのネタにされるのもノーサンキューだ。

 

 「ぬ~~む~」

 

 そんな正太の無駄に力のこもった拒絶に、蓮乃は眉根を寄せてぶーたれる。知りたいから聞いたのだ。返答を拒まれてうれしいはずがない。口からは不満と不機嫌を表明する音が漏れだしている。

 

 そして二人を岡目八目と横合いからのぞいていた清子は、あまりの馬鹿馬鹿しいやりとりにけらけらと声を上げて笑いだした。まるでコントか小芝居だ。しかも厳めしくも情けない顔の正太と可愛らしくも不満げな表情の蓮乃が、実に好対象をしている。これは大通りでうまいことやれば、お捻りを少々頂けるかもしれない。もっとも、許可なしで大道芸をしてしまうと官憲に肩を叩かれて、お捻りよりも高い罰金を支払う羽目になりかねないのだが。

 笑い転げる清子とぶすくれてしかめっ面を浮かべる蓮乃の二人を眺めて、結局俺はイジられ役かと正太は深いため息をついたのだった。


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