二人の話   作:属物

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第四話、正太と休日の話(その二)

 頬骨の張った顎をさすりながら、父は細目をさらに細めてしげしげと蓮乃を眺めている。その横でふっくらと肉付きよい頬を撫でながら、母はこれまた興味深そうな表情で蓮乃を見つめている。

 

 「この子が正太や清子が話していた向井さんとこの蓮乃ちゃんか」

 

 「清子が言ってたとおり美人さんねぇ」

 

 かたや骨ばった細身の父に、かたや肉々しい太めの母と、正太の両親は実に対照的な外観だ。顔立ちもそれぞれ、骨の直線で作られた厳めしい父と、肉の曲線で描かれた和やかな母と、好対照をなしている。ついでに言うなら、鳥の巣のようにボリュームのある母の髪と、頭皮の肌色が透けて見える父の髪もまた対比が際だっている。

 共通していることと言えば、二人とも細目をさらに細めている事と、蓮乃を見つめる目はどちらも優しげな色合いをしている事くらいだろう。

 

 「なーもー!」

 

 一方、初めて顔を合わせる宇城夫妻に興味津々で興奮気味なのか、植木の隙間から身を乗り出して大きく腕を振るう蓮乃。『向井蓮乃です! 初めまして!』と挨拶の書かれたノートを、おまえは飛ぶのかと正太に聞かれそうなほどにバタバタと上下させている。鼻息も荒く頬も濃い目の桃色で、ついでにさっきから宇城夫妻に見せているノートの文字も乱れ気味だ。

 もう正太には、ブンブンと力強く振るわれるその腕が犬の尻尾にしか見えない。実は「霊長目ヒト科じゃなくて食肉目イヌ科でした」っていわれても納得できそうな気がする。

 

 「はぁ~、どーしたもんだろ」

 

 そして当の正太はというと、なにやら疲れた顔で三人を傍観していた。母が持ってきた冷たい豆乳をがぶりとやりながら、頭痛が痛そうな顔で両親と蓮乃の様子を眺めている。

 草むしりを休憩できたのはありがたいが、本当にもうどーしたもんなんだろうか、これ。今、蓮乃に何かやらかされるのはほんとに困る。両親の前で大馬鹿やられるのはさすがに御免被りたい。

 そもそも蓮乃のことを夕食時に話題に上らせて、両親に話したのは我が妹である”宇城清子”なのだ。多少自分も蓮乃の話をしたとはいえ、両親が蓮乃のことに興味を持ったのは清子のせいではなかろうか。だとしたならば、こういった面倒は清子が真っ先に対応すべきなのだ。それなのにあいつは友達とウィンドウショッピングに出かけている。これは重大な問題だ。帰ってきたらグチグチ小言をいってやる。今決めた、そう決めた。

 現状に対する内心の文句を、今居ない清子にぶつけて現実から全力で逃避する正太。だが目の前の光景はそれを許してはくれない。

 

 『でね、兄ちゃんね、そんでね、すごいんだよ!』

 

 「ほうほう」

 

 「そうねぇ」

 

 何せ宇城夫妻に話している(書いて見せている)蓮乃の話の半分くらいは、正太の事柄なのだ。こうして正太が現実逃避を続けている間にも、蓮乃はなにやら正太に関する事を勝手気ままに話し倒していたりする。ということは、蓮乃という珍妙なフィルタを通した正太の行動が、両親へと垂れ流され続けているという事なのだ。

 何がすごいのか当人以外誰も知らないが、蓮乃は文章に加えて手足を回し、身振り手振りでそのすごさを伝えようとしている。それに父は興味深そうに相づちを打ち、母は感心したように同意を返している。

 興奮気味の子供のたわいない話をのんびりと聞く両親の姿と、実にほのぼのとした昼前の家庭の情景である。ただし、正太の気が付かない間に、父の目には剣呑な光が浮かび、母の目は生暖かい色合いを帯びつつあった。後もう少しすれば、「父による情け容赦なしのお説教大会+母によるフォローという名の精神的介錯」という、正太にとっての致命的なタッグ戦が始まることだろう。

 

 しかし運命は正太に味方したらしい……見方によるが。

 

 「蓮乃? 蓮乃! どこにいるの!?」

 

 「落ち着いているならば」清流のように涼やかで鈴のように心地いい声が、宇城家のある一〇三号室庭に響いた。無論、現在は落ち着きなど遙か彼方であり、実際のところは、濁流のように恐慌気味で割れ鐘のように不安定な声があたりに響いている。それは蓮乃同様にここ数日で正太が聞き覚えることになった声だ。蓮乃の頭上、植木の隙間に正太が目をやれば、その声の発振源がすぐに目に入る。

 蓮乃によく似た顔立ちに張りつめたような表情を張り付けて、ベージュ色のブラウスと細身で黒いロングスカートを身にまとった美人さんが、蓮乃の名前を呼んでいた。蓮乃の母親である”向井睦美”がキョロキョロと蓮乃の姿を探し回っているのだ。

 

 そして、その声が響くやいなや宇城夫妻との会話の途中にも関わらず、蓮乃はくるりと振り返って宇城家の庭から向井家へと姿を消した。あまりに唐突な行動に正太の両親は半ば唖然とした表情を浮かべている。一方、驚きはないものの不可解そうに正太は眉をひそめた。

 蓮乃がお隣に帰るときはいつもこうだ。睦美さんの帰宅する一七:三〇頃になると、会話中であろうと遊んでいる最中であろうと蓮乃は庭の方から飛ぶように直帰してしまう。何度かちゃんと玄関から挨拶して帰るように言い含めているが、蓮乃はなぜだかこれだけは拒否するのだ。蓮乃は道理と理屈を持って説明すれば大体のことは理解できる子なのだが、理解や納得以前の段階で拒んでいるようにも感じられる。正直に言って訳が分からない。

 

 「一体全体どーしたもんなんだろうな」

 

 蓮乃の行動由来の不快な不可解さを削り落とすように、正太は頭をガリガリと掻いてへの字口をきつくした。そうして正太がしかめっ面で怖さ五割り増しの顔を蓮乃が去った植木の隙間へと向けていると、後ろの両親から声がかかった。

 

 「正太、蓮乃ちゃんどうしたの?」

 

 「あーえっと、その」

 

 両親の方へと向き直った正太は、無意味な文言を唱えながら青空に視線をさまよわせる。どうしたのかと言われた所で、正太自身にも説明しがたいのだ。せいぜい解ることと言えば、今までにも蓮乃の異様な行動があったと言うことと、向井家母子に何かがあるという推測くらいだ。

 だが、正太の両親は隣近所のゴシップを嗜好品にするような人間ではない。むしろ、そう言ったものに嫌悪感を覚える良識ある人間である。そんな二人にお隣の家庭がどうだの教育がどうだのと下らない推測を話したところで、頂けるのは冷たい視線と容赦ない拳骨、そして泣きベソをかきたくなるようなお説教ぐらいだろう。

 頭を掻きつつ何を言えばいいかと正太は繰り返し首をひねる。その様子を見て母も、蓮乃がなにやら難しい事情を抱えているのかもしれないと見当がついた。

 

 「まぁ、言いづらい事なら言わなくてもいいけど、あんまり人に迷惑はかけないようにね。子供を泣かすような事はしちゃだめよ」

 

 「……重々承知しております」

 

 「前の一件」もあり、そう言ったことには気を使っているつもりではある。だが所詮「つもり」は「つもり」でしかないのか、正太は母からの言葉で胸のあたりに五寸釘を突き刺された気分を味わった。そうか、やっぱり信用されてないのかな。それに蓮乃の奴、俺に泣かされたことまで伝えていやがったのか、あんにゃろうめ。

 正太は母からの言葉を拡大解釈して一人上手に落ち込んだあげく、責任の一部を蓮乃へと転嫁し始めるという、無駄に器用な芸当をやってみせている。そうやって脳味噌を空転させながら、青空を泳がせていた視線を雑草の抜けた地面で這いまわらせていると、母の右隣で腕を組む父から声が投げかけられた。

 

 「なあ正太、蓮乃ちゃんに拳骨落としたってのは本当か?」

 

 「あ、ああ、うん」

 

 父からの剃刀の眼光に晒されて、思わず正太はどもった。何せ一番他人に聞かれたくないような話を一番聞いてほしくない父親に、当事者である蓮乃が話してしまっているのだ。最悪説教耐久三時間コースで決定。明日が日曜なので一切の容赦はないだろう。ああさらば我が愛しき週末よ、と無為な思考を急加速して最悪な未来予想図を描き終えると、正太は胸の内で頭を抱えた。

 

 「蓮乃ちゃんからどうしてそうしたかは聞いた。別に間違ったことをやったとは思わんが、よそ様の子だ。もう少し気を使った方がいい」

 

 「う、うん、わかった、気をつけるよ」

 

 内心の驚きを見開いた両目で表現しつつ、正太は父の言葉に応えた。正直言って父の言葉は意外だった。蓮乃はいいようにレッテル貼った「宇城正太」の行動を思うようにフィルターかけて両親へとたれ流していたものだと思っていた。だが父の言葉を聞く限り、蓮乃は「叱りはされたが理由あっての行いだった」という真っ当な形で先日のお説教を両親へ伝えていたという事になる。

 あの時、確かに叱りつけたのは自分なりに考えがあったからだったが、蓮乃の頭をぶん殴ったのは九割方感情が理由だった。握った拳を振りおろしたときは実際何一つとして考えてはいなかった。

 

 顎を手のひらでさすりながら、正太はばつ悪げな据わりの悪い表情を蓮乃が出入りした植木の隙間へ向けた。第二次性徴からさほどたっていないせいか髭はなく、手のひらの感触は滑らかである。

 今更ではあるが、さすがに悪いことをしてしまったかもしれない。正直に言って少々後ろめたいものもある。さりとて今更謝罪しても意味がないだろう。それどころか、叱りつけた内容を変に誤解されるのもあり得るかもしれない。もしも「悪いことをしたから拳骨もらった、叱られた」という現在の理解を、「正太から謝罪があった=あれは悪いことではなかった」とでも蓮乃が誤解したら、非常によろしくない。主に蓮乃の教育的な意味で。

 深々と息を吐き目を閉じて、正太は今までの自分の行動を一つ一つ思い浮かべるとそれぞれ自戒した。具体的には、出会って初日に怒鳴って泣かせたことや二日目に殴りつけたことなどに。

 

 今後はもう少し注意して行動しよう。特に拳骨みたいな体罰は特に気をつけなくては。蓮乃が来なくなったら困るし…………困る?

 自身の脳裏に浮かんだ一語に正太は呆けた。え、いや何が困るの? あいつが家に来なくなったところで何も違いないだろ? 我が家に蓮乃が来るようになったのはものの数日だぞ。それで困るってなんだ。いやほんと何が困るんだ。むしろ人のおやつ勝手に食う奴がへって、ってもう勝手に食わないように言いつけたんだっけ。ああそれなら安心、じゃなくて、ええと。

 抜けるような青空に視線をクロールさせながら、正太は全力全開で混乱していた。ひきつった顔から豆乳臭い脂汗がだらだらと流れ落ちる。正太はもはや自分が何を考えているのか何に悩んでいるのかすら解らなくなりつつあった。

 

 「ああっ、もう、こん畜生が!」

 

 理解できない自分の脳内を罵りつつ、正太は頭をかきむしりながら虚空へと叫ぶ。それを聞き咎めた両親の視線は冷たかった。

 

 「どうしたのかい正太、『また』頭がおかしくなったの?」

 

 「そう言う言動は『いい加減に』したほうがいいぞ」

 

 「……何でもないです、すみません。草むしり続けますんで」

 

 両親からのコンビネーションブローに正太の精神はノックアウト寸前でグロッキー状態だ。容赦なく刺された五寸釘の群で心が針山ならぬ釘山になっている気がしてくる。

 もう何がなんだか解らないが、少なくともいい気分ではない。それにまだまだ雑草は生い茂っている。休日とはいえこれ以上、無駄な時間は過ごしたくない。何せ本日は図書館で好きな小説の新刊を読む予定なのだ。予定を決めたのは今この瞬間に他ならないが。

 朝方のベッドの中とは真逆の感想を胸中に浮かべると、正太は内蔵を吐き戻すようなため息を吐いてスコップとゴミ袋を掴んだ。


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