二人の話   作:属物

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第四話、正太と休日の話(その一)

 ベッドの上、布団の中、目が覚める。仰向けになった視線の先には、消えたままの有機EL平板灯。

 そろそろ起きなきゃいけないかなと思いながらも、ふかふかほかほかの布団から体を出す気になれない。朝食後の二度寝ほど怠惰で素晴らしいものはない。こうして布団にくるまっているとよくわかる。さらに素敵なのは明日も休みだと言うことだ。本日土曜日、週末サイコー。

 

 現在午前九時過ぎ、寝ぼけた頭の”宇城正太”は布団の中で無意味に週末を賞賛していた。先からの思考の通り、本日は土曜で学校は休みである。おかげで、朝食の後に再び布団に潜り込み惰眠を貪るという、平日においては絶対不可能な自堕落極まりない時間を正太は過ごしているのだ。

 そうだ、このまま午前は無駄に寝て過ごすこととしよう。そして午前を無駄に消費したことを後悔しながら昼食をとるという、贅沢極まりない悔恨に浸るのだ。その後は図書館でも行こうか。まあ、いいや。寝よう。

 正太は睡魔からの誘惑に二つ返事で答えると、布団を頭からかぶり眠りを迎え入れる準備に入った。

 

 「正太、いい加減起きなさい」

 

 だが怠惰の悪魔と魂の売買契約交渉をしていた正太の思考は、母である”宇城昭子”の声により中断を余儀なくされた。頭を覆った布団を除けてみれば、子供部屋の入り口から呆れたような母の顔が見える。子供たちに受け継がれた横幅の広い体を割烹着でくるみ、休みの日と言えど惰眠を貪り尽くして満足そうな息子の姿にしかめっ面を浮かべている。

 

 「あ~い」

 

 面倒くさいと言外に聞こえる返事を返し、正太はどっこいしょとオッサン臭いかけ声と共にベッドから起きあがった。それから二度寝の素晴らしさについて口の中だけでボヤきながら、自堕落に低速再生の速度で寝間着を着替え出す。それを見た母は洗濯物の詰まった洗濯かごを抱え直すと、廊下から居間へと歩きだす。そうして視界から外れる母の背中を見ながら、正太は起きた拍子にクチャクチャになった布団へと目をやった。

 ついさっきまでぬくい布団の中にいたせいで、朝の空気が少々寒く感じる。柔らかな布団の隙間から睡魔が手招きするのが見えるようだ。もう一度布団へダイブすべきか迷うが、先と異なり今は母から起きるように言われている。これに逆らうのはさすがに気分が悪い。

 起きることを胸の内で決定すると、正太は睡魔を追い出すために腕を組んで天井へと伸ばした。小枝が折れるような軽い音が間接から体内へ響く。体を前後左右へ曲げてさらに捻り、過剰な睡眠で強ばった全身をほぐしてゆく。

 

 「ぃいいぃぃぁぁぁああぁ」

 

 体中の筋が伸び、正太の口から絞殺寸前の鶏のような声が漏れる。体の筋が伸びる度に、弛みきった意識の糸も引き張られるように感じる。薄らぼやけて霞のかかった頭の中が澄み切ってゆく。

 一通り体を伸ばし終えた正太は、全身の力を抜きゴロリとベッドの上に横たわる。今度は口から幸せと心地よさを混ぜたため息が漏れた。

 ああ、心地いい。布団にくるまって惰眠を貪るのもすばらしいが、こうして全身を伸ばして頭をシャッキリとさせるのもまたいいものだ。さて、あとは一杯のお茶が怖い。着替え終えたら麦茶でも飲もう。

 タンスから着替えを出そうと、正太が勢いをつけてベッドから立ち上がる。その拍子に尻の下の合板が短い悲鳴を上げて軋んだ。

 

 ――ダイエットを考えるべきだろうか?

 

 

 

 

 

 

 着替え終えて居間に出てみると、テレビの向かいのソファーに腰掛けた父、”宇城 明弘”が電子新聞を広げていた。正太はなんともなしに新聞の文面を目で追う。

 

 電子ペーパーの上で踊る見出しは風雲急を告げる中華諸国情勢を伝えている。どうやら、南京臨時政府が一方的に北京自由政権との条約を破棄して、戦争の準備を始めたらしい。つい先日にニュースチャンネルのアナリストが「中華諸国は安定に向かう」とか言っていた覚えがあるが、大いに予想を外したようだ。

 正太は大陸の情勢をどうでも良さげに考えながら、麦茶を取りに台所へと足を進めた。冷蔵庫の中から出した麦茶のボトルはよく冷えている。麦茶のボトルを片手に、戸棚から出したグラス二杯を逆の手に摘み上げて居間へと戻った。

 

 居間へ戻ると父が広げる新聞は、映す文面を新方式の三Dディスプレイへと移していた。

 記事によれば、現在開発中のガス投影方式三Dディスプレイは、既に実用化されている両眼視差方式や偏光眼鏡方式に比べて、特別な道具無しかつ目に優しい点で優れているらしい。だが、電離発光ガスやレーザー投影装置のおかげでコストが高騰し、未だ実用化は遠いとされてきた。それに対して東柴ケミカルが開発した新型電離発光ガスは、従来の半分以下のコストで生産が可能とのこと。これにより飽和状態の三Dディスプレイ市場に大きな一石が投じられることとなる、そうだ。

 

 まあ、未だに二Dディスプレイで満足している我が家には何の関係もない話だ。

 正太は台所から持ってきた麦茶入りのグラスを片手に、父の九〇度横のソファーに腰を落とす。二杯のグラスを背の低いテーブルに置いて、片方ずつボトルから麦茶を注いだ。コポコポと麦茶が泡立ち、香ばしい臭いがテーブルから漂いだした。

 麦茶は母が朝方に淹れてからさほど時間がたっていない。おかげで、こうして小人大麦(コビトオオムギ)の香りを楽しみながらおいしい一杯を楽しめるのだ。

 

 一方のグラスを父の方へと差し出すと、正太はもう一杯のグラスを掴んだ。グラスの表面は大いに汗をかいていて、掴めば手のひらがぐっしょりと濡れて非常に冷たい。そして、きりりと冷えたグラスを口元へと持ってくると、躊躇することなくがぶりとやった。鼻を抜ける香ばしい香りと共に喉をよーく冷えた麦茶が滑り落ちていく。

 ああ、たまらない。特に休日の午前に飲む麦茶は格別のような気がする。特に登校時間を気にせずに楽しめるのが素敵だ。

 

 「正太、ちょっとお願いがあるんだけど今大丈夫?」

 

 そうして正太がぼんやりと時間を過ごしていると、庭の方から母の声がかかった。声の方へと目をやると、物干し竿にかかった洗濯物が五月の風に緩やかに揺れている。本日は快晴、絶好の洗濯日和である。

 

 「別にいいけど何?」

 

 中身が空になったグラスへと、ボトルから残りの麦茶を流し込みながら正太が答える。時間がたって麦茶はちょっとぬるくなってる。

 

 「ちょっと庭の雑草が増えてきたから草むしりお願い」

 

 改めて庭を見ると、すねの半ばくらいまで雑草が生い茂っていた。ここまで育つと、硬い葉で肌を刻まれかれないので突っかけやサンダルだけで庭を歩くのが難しい。しかしそれだけ育った雑草ならば、草むしりもまた相応に手間になる。

 何故に休日に面倒くさい作業をやらねばならんのか。それが正太の正直な本音だ。しかし、時間のある休日だからこそ面倒な作業をやらねばならんのだ。

 それに家族は相互扶養であるべきだと正太は考えている。父に母に妹にと世話になりっぱなしな現状、最低限の恩返しはしなければなるまい。ましてや「前の一件」でどれだけ迷惑をかけたというのか。その罪滅ぼしも必要だ。

 

 「あいよ。後でなんか冷たいものちょうだい」

 

 「豆乳でいい?」

 

 覚悟と根性を入れて怠惰の誘惑を蹴り飛ばし、正太はよっこいしょと爺臭いかけ声とともに立ち上がる。テキトーな返事を返して、と正太は軽く答えると作業用のジャージへ着替えに子供部屋へと足を向けた。

 

 

 

 

 

 

 青々と育った剣のような雑草の葉を、軍手で握りしめて園芸用スコップで根っこを掘り返す。掘り返した雑草は油紙のゴミ袋に入れておく。こいつは後でまとめて捨てる予定だ。単純に引きちぎるだけならもう少し楽だが、そうすると数日経たないうちに残った根から再生してしまう。だから、地下茎や根っこまで掘り返して捨てる必要がある。

 

 葉っぱを掴んで根っこを掘ってゴミ袋に放り込む。

 

 もっともこれを徹底的にやったとしても、どこからともなく風に乗ってやってくる雑草の種が庭一面を緑色に染め上げるのだが。それについて考えていると徒労感がひどいので、あまり考えないようにしている。皮肉にも、この草むしり単純作業は単調極まりなく「ものを考えない」ことに非常に適していたりする。

 

 葉っぱを掴んで根っこを掘ってゴミ袋に放り込む。

 葉っぱを掴んで根っこを掘ってゴミ袋に放り込む。

 

 雑草を握る軍手には生草の青臭い汁が染み着いて、中の手のひらまで青臭くなりそうだ。というより、さっき軍手を外して嗅いでみたら手から雑草の臭いが漂ってきていた。作業の後、石鹸でよーく洗うつもりではあるが、ちゃんと臭いは落ちるのだろうか?

 

 葉っぱを掴んで根っこを掘ってゴミ袋に放り込む。

 葉っぱを掴んで根っこを掘ってゴミ袋に放り込む。

 葉っぱを掴んで根っこを掘ってゴミ袋に放り込む。

 

 草むしりは改めて考える必要もなく手間だ。人間が芝刈り機や刈払機を発明したのは当然のことだろう。できるならば、家庭用の安上がりな刈払機が欲しい。我が家の家計を見るに非常に難しいというのはよくわかるが、それでも燦々と照りつける太陽の下で草をむしっていると機械動力が欲しくなる。五月といえども嘗めてかかるべきではなかった。太り気味の体がまるでグリルの中のポークステーキだ。脂の代わりに脂汗が垂れ流れて、Tシャツがずぶ濡れてしまっている。

 

 葉っぱを掴んで根っこを掘ってゴミ袋に放り込む。

 葉っぱを掴んで根っこを掘ってゴミ袋に放り込む。

 葉っぱを掴んで根っこを掘ってゴミ袋に放り込む。

 葉っぱを掴んで根っこを掘ってゴミ袋に放り込む。

 

 魔法がこの世に出てきて以来、魔法で改造された珍妙な生物たちもたくさん増えた。自在に毛色を変えるチェシャ猫に、妖精そっくりに整形された人擬熊蜂(ヒトモドキクマバチ)などなどいろんな奴らが出てきている。きっとこの雑草たちもその一つなのだ。だから抜いても抜いてもまた生えてきやがる、こん畜生が。

 

 葉っぱを掴んで根っこを掘ってゴミ袋に放り込む。

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 葉っぱを掴んで根っこを掘ってゴミ袋に放り込む。

 葉っぱを掴んで根っこを掘ってゴミ袋に放り込む。

 

 もう考える事がなくなってきた。というより、考えることが億劫だ。なんか世界のすべてが、雑草とゴミ袋、スコップと太陽でできている気がしてくる。

 

 葉っぱを掴んで根っこを掘ってゴミ袋に放り込む。

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 葉っぱを掴んで根っこを掘ってゴミ袋に放り込む。

 

 いや気のせいなんかじゃないのか? 実際、今目の前にあるのは雑草で、手に掴んでいるのはスコップとゴミ袋で、頭上にあるのは太陽だ。

 ……やっぱり世界の全てじゃないか!

 

 葉っぱを掴んで根っこを掘ってゴミ袋に放り込む。

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 葉っぱを掴んで根っこを掘ってゴミ袋に放り込む。

 葉っぱを掴んで根っこを掘ってゴミ袋に放り込む。

 

 そうか、草むしりか! そうだ、草むしりだ!

 

 葉っぱを掴んで根っこを掘ってゴミ袋に放り込む。

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 葉っぱを掴んで根っこを掘ってゴミ袋に放り込む。

 葉っぱを掴んで根っこを掘ってゴミ袋に放り込む。

 

 わかったぞ! わかったぞ! わかっ「なーうっ!」

 

 初夏の太陽に炙られて脳が煮えてる正太は、草むしりという概念と一体化しつつあった。だが、左後方斜め四五度からの声に一時停止させられた。声の元へと振り向くと、ここ数日の間で嫌と言うほど見覚えができた顔が植木の間から突き出されている。

 

 「もーなー!」

 

 いつも通り結局何が言いたいの「しか」解らない挨拶をする”向井蓮乃”。さらさらと流れるような黒髪に葉っぱを沢山くっつけて、ご機嫌な様子で植木の隙間から整った顔をつきだして右手を振っている。

 いかん、幻覚が見えだしたあげく、幻聴まで聞こえてる。俺は疲れているんだ、少し休なければ。草むしりと世界の真理については後でじっくり考えよう。

 目の前の光景を幻と否定しつつ、茹だった頭を冷やすため正太は縁側を越えて居間へと戻ろうとする。

 

 「な~ぅ? いぅに~~!」

 

 自分の挨拶に反応しないどころか、無視したあげくに部屋へと戻ろうとする正太に、蓮乃は疑問と怒りの声(らしきもの)をぶつける。だが、それに反応したのは正太ではなく宇城家の居間でくつろぐ正太の両親の方であった。

 

 「なんだなんだ」

 

 「誰の声?」

 

 どたどたと鈍い足音をたてて正太の両親が縁側にやってきた。さすがにさっきの声で相手が人間であると気が付くのは難しかったようだ。

 そして植木の隙間から顔を覗かせた不満顔の蓮乃と、窓の隙間から顔を覗かせた驚き顔の両親。双方の視線が交わった。知らない顔の美少女に両親は思わず顔を見合わせる。

 

 「ええっと、どちら様かしら?」

 

 宇城家を代表して母が蓮乃に質問する。正太は両親の反応でようやく蓮乃が現実であることを認めた。

 

 ――あ、蓮乃は幻覚じゃないのか。


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